2011年10月1期懐かしニュース村松治夫さん誘拐事件
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村松治夫さん誘拐事件
- 1 :06/08/04 〜 最終レス :11/11/22
- 2001年2月22日、矢崎総業の現地法人矢崎シーメル副社長の村松治夫(ちかお)さんが
コロンビア・ボゴタで帰宅途中に誘拐され、極左ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」
に25万ドルで売られた。
FARCは村松さんの家族や会社に身代金2500万ドル(約27億円)を要求。
2003年11月24日、ボゴタ郊外で村松さんの射遺体が見つかった。
この間、なんと2年9ヵ月も経っていた。
- 2 :
- 2?
こんな事件知らなかったよ
- 3 :
- 矢崎総業は外務省、日本大使館と緊密な連絡をとりつつ、米国の危機管理会社を仲介させて村松さんの解放交渉を続けていた。
現地情報によると、FARCは村松さんの身代金として当初、2500万ドルを要求していたが、その後、1000万ドルに下げていた。
- 4 :
- これに対し矢崎総業は当初45万ドルを提示し、その後100万ドルまで受け入れていた。
だがFARCは980万ドルまでしか譲歩せず、依然巨額過ぎる身代金が支払われないまま村松さんは消息を絶ち、2年9カ月あまりたっていた。
- 5 :
- その間、コロンビア当局は村松さんの消息を断続的につかんでおり、その都度、フランシスコ・サントス副大統領らから日本政府に伝えられていたが、公表はなされなかった。
- 6 :
- 現地報道によると、矢崎総業は解放交渉の過程で身代金の一部をFARCに支払った、との情報があるというが、信憑性は定かでない。
- 7 :
- 新潟の少女監禁事件も9年2ヵ月という期間の長さは想像に絶する。
しかし、2年9ヵ月も監禁された挙げ句、されてしまった村松氏の
無念は、いかほどのものであっただろうか?
と思うとき、私は、村松氏の冥福を祈らずにはいられない。
- 8 :
- 村松さんは、愛知県新城市の出身。
地元の県立高校を卒業後の1971年、矢崎総業のグループ会社矢崎部品に
入社。国内勤務を経て、86年から90年まで、ポルトガルに勤務した。
同じ言語圏での経験を買われて、95年12月からコロンビアに単身赴任。
愛知県内に、妻と2人の子供を残し、6年間の予定での赴任であった。
矢崎総業は、マイナーな会社だが、自動車の電子部品をつなぐワイヤー
ハーネスという部品のシェアは国内で8割を占める、部品大手。
村松さんは、ワイヤハーネスの製造技術者だった。
- 9 :
- 村松さんが出向した矢崎シーメル社は、矢崎総業がコロンビアのシーメル社と
合弁で設立した現地法人。
日本人社員は、村松さんも含めて3人。ボゴタ北部にワイヤーハーネスの製造
工場があり、約700人の現地従業員が働いていた。
ここで作られた部品は、コロンビアに展開する日本のマツダ、三菱、トヨタ
等の自動車メーカーに納入された。
コロンビアは基本的に車社会なので、ここ近年、日本車の売り上げが伸びて
いた。村松氏は典型的な日本の企業戦士だったのである。
- 10 :
- スペイン語の会話は通訳なしで出来る村松さんは、順調に出世し、2000年4月には
現地法人の副社長に就任。
この1年後、自身が誘拐されるとは夢にも思わなかった。
01年2月22日(現地時間)午後5時20分ごろ、ボゴタ北部チアの高速道路で、帰宅
途中の村松さんを乗せた乗用車は、警官を装った2人の男に停車を命じられた。
「盗難車だ」
と言い掛かりをつける男らと運転手が口論になっていると、背後から接近して
きた車から降りてきた男たちが村松さんと運転手を引き込み、拉致した。
その後、運転手は解放され、村松氏の誘拐を警察に通報した。
- 11 :
- 村松さんを誘拐したグループは、誘拐専門の「ロス・カルボス」という
犯罪組織で、3月6日前後、村松氏の身柄をFARCの首都圏誘拐担当の東部
方面53部隊に25万ドル(50万ドル説も)で売り渡した。
誘拐した被害者を、身代金目的の人質として、極左武装ゲリラに「売る」
という行為は、日本では信じ難い話だが、コロンビアでは日常茶飯だ。
村松氏が誘拐された前年(2000年)一年間だけで、コロンビアでは確認
されているだけで3,706件もの誘拐事件が発生した。
これは、一日平均8人前後が誘拐された計算になる。主な被害者は裕福な
個人や企業幹部、外国人で、大統領候補から警備の手薄な庶民まで誘拐
される国なのだ。
- 12 :
- コロンビアにはFARCの他、国民解放軍(ELN)、人民解放軍(EPL)等の
極左武装ゲリラが存在し、ペルーのセンデロ・ルミノソ(SL)などと連携
しながら、政府に対する武装闘争を展開している。
中でもFARCは最も強力なゲリラ組織で、1964年に武装農民運動として出発
したが、80年代から密輸組織と協力し、コカイン原料のコカ葉輸送の
警護料や人質誘拐による身代金(戦争税)を資金源にするようになった。
特に誘拐による収入は、97年からの5年間で1,030億円にも達する。
コロンビア政府は90年代初頭に「誘拐対策法」を制定し、身代金の支払い
を禁じたが、効果はなく、被害者が害されるケースが増えたため、
同法は廃止された。
- 13 :
- 村松氏の誘拐は、日本時間23日午後には東京・港区三田の矢崎総業本社に
伝えられ、対策室が設置されたが、誘拐の事実は公表されなかった。
村松氏の誘拐が、一般に公表されたのは3月中旬。コロンビアの有力紙
「エル・エスペクタドール」が村松氏の誘拐を報じた。現地報道では、
村松氏の身代金は当初500万ドルとも800万ドルとも言われた。
コロンビアでは過去、日本人も何度か誘拐されている。1991年8月には
東芝の技術者2人が同国中部サンカルロスでFARCに誘拐され、同年12月
無事解放。92年1月、会社社長の中川浩治さんが誘拐されたが同年2月
無事解放。また、98年9月と01年9月には元山梨県議の志村昭朗さんが
二度誘拐されたが、どちらも無事解放された。
- 14 :
- 村松氏の誘拐が一般に報じられると、コロンビア国家警察も事件に介入
していることを認めた。
村松さんは01年4月下旬、ボゴタ南部フニン付近で拉致された他の人質
とともにゲリラに連行されているのを目撃されたが、それを最後に
村松氏の消息はぷつりと途絶えた。
2002年5月20日、コロンビア大統領府治安局(DAS)は、村松氏の誘拐に
関与した疑いで、ロス・カルボスのメンバーら7人をボゴタ市内で逮捕。
その後ので、主犯格に懲役40年、共犯に16年から32年の刑が宣告
されたが、村松氏の身柄は引き続き、FARCの拘束下に置かれていた。
- 15 :
- 2年9ヶ月もの間、村松さんはどのような生活を送り、何を考え、解放への希望を
つなげていたのだろうか。
村松さんは02年と03年、同国南部のメタ、カケタ州内の人質収容施設で目撃情報
がある。
村松さんの家族は、現地紙を通じて、村松氏の早期解放を呼び掛けていた。また、
地元ラジオ局が日本の音楽を流すなどして、村松さんを元気付けていた。
しかし、この間、村松さんの健康状態や安否など、詳しい情報はほとんど入らず、
村松さんが消息を絶ってから33ヶ月が経過していた。
- 16 :
- 2003年10月、コロンビア陸軍第5師団は首都ボゴタ周辺からゲリラ勢力を一掃する
ため、同クンディナマルカ州一帯でオペラシオン・リベルタ・ウノ(自由一作戦)
と呼ばれるゲリラ掃討作戦を開始した。
陸軍対ゲリラ特殊作戦部隊は同月30日、ボゴタ北部トパイピーでFARC軍事指導者
ホルヘ・ブリセニョ(通称モノ・ホホイ司令官)の腹心でFARC西方軍司令官の
マルコ・アウレリオ・ブエンディア(33)を害した。
ブエンディアは「村松さんを丁重に扱え」という、モノ・ホホイの指令書を携行
していた。この時点で村松氏の生存が確認されたわけである。
- 17 :
- コロンビア軍統合作戦司令局のカルロスアルベルト・オスピナ将軍が24日夕方の記者会見で
明らかにしたところによると、ボゴタ北西約70`のクンディナマルカ州サンフアンデリオセコ
付近で同日午前10時半、陸軍部隊が展開。直後に銃声が聞こえ、その方角を捜索中の同午後
1時半ごろ、ラ・オンダ渓谷で戦闘服姿の東洋人の射遺体を発見した。
オスピナ将軍は「遺体が村松氏である可能性が高く、遺体をボゴタの法務監察医務院に搬送
して調べる」と発表したが、遺体が村松氏であると推測した根拠は不明。
遺体は25日、ボゴタで指紋や歯形から村松さん本人と確認された。検察庁技術捜査局(CTI)
による検視の結果、死因は至近距離からAK銃で胸、脇腹などを撃たれたことによる失血死と
判明した。遺体は26日、ボゴタの日本大使館に引き渡された。
- 18 :
- 村松さんはなぜ害されたのか。陸軍第5師団長のレイナルド・カステジャノス中将は
「村松氏を拘束していたFARC22部隊が陸軍特殊部隊の追跡を察知し、人質が足手まとい
になるとして害した」との見方を打ち出した。しかし、
「我々はFARC部隊が村松さんを連行していたことを知らなかった。通常のパトロールで
銃声を聞き、その方角を捜索していたところ遺体を発見した」
と説明した。一方、AP通信は25日ボゴタ発で、指紋の鑑定士と警察の鑑識班を乗せた
ヘリが遺体発見場所上空まで飛行したが、地上では激しい戦闘が続いており接近できな
かったと伝えた。
- 19 :
- いち早く指紋鑑定士を現場に送るとは手回しの良いことだが、陸軍は「陸軍通信」を
通じて25日、村松氏の身元が確認されたことを伝えている。
銃声を聞いてから3時間後に遺体を発見したというのも、何かしっくりこない。
村松さんの遺体が戦闘服を着ていたことも疑惑を深める。村松氏が軍とゲリラの戦闘
中に巻き添えで射されたか、人質救出作戦の失敗で害された可能性も依然として
排除できない。
日本政府は、村松さんの遺体発見時の状況を詳しく分析する必要があるだろう。
- 20 :
- コロンビアでは2002年8月、極左ゲリラ対策で強硬派のアルバロ・ウリベ大統領が就任。
ゲリラ勢力との対話に熱心だったパストラナ前大統領とは対照的に「対テロ戦争」で
米国と協同歩調をとりながら、政府と敵対するFARCなど極左武装集団に対し、掃討作戦
を展開してきた。
03年5月には、同国中部アンティオキア州でFARCに拘束されていた同州和平顧問のエチェ
ベリ元国防相やガビリア同州知事らの救出作戦を行ったが、これをいち早く察知した
FARCゲリラは2人を含む人質10人を射してジャングルに撤収した。
またFARCは元ミス・ユニバースのレイナ・ヒルとヘルムート・ヴィッケンバッハ夫妻を
誘拐していたが、陸軍特殊部隊が2人の奪還のため接近したことを察知し、やはり2人を
射している。
今回の村松さんの遺体発見時の状況と酷似している。しかし、「大事な金づるは簡単に
さない」というゲリラ側の前提に立てば、2年9ヶ月も拘束していた村松氏を害した
ことには疑問が残る。
- 21 :
- 奇しくも村松氏の遺体発見と同じ11月24日には、03年9月に同国北部シエラネバダ山脈の
サンタマルタ雪山塊で誘拐されたドイツ人とイタリア人が解放された。
この解放交渉には、カトリック教会が関与していたという。
村松氏の害とは、あまりに対照的であった。
- 22 :
- 村松さん害で左翼ゲリラ幹部を起訴
2001年に矢崎総業の現地合弁企業副社長、村松治夫さん(当時55)が誘拐され
03年に害された事件で、コロンビア検察当局は8月31日、左翼ゲリラ「コロンビア
革命軍(FARC)」の最高幹部らを起訴したことを明らかにした。
起訴されたのはペドロ・マリン(通称マヌエル・マルランダ)幹部(76)ら4人。
マリン幹部は村松さんの誘拐計画の立案にかかわり、実行犯らに実行を指示したと
される。
- 23 :
- 村松さん害で有罪
【サンパウロ=時事】
2001年2月に矢崎総業のコロンビア合弁会社副社長、村松治夫さんが誘拐され、2年9ヵ月に及ぶ拘束後、
左翼ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)に害=死亡時(55)=された事件で、首都ボゴタの
重犯罪特別法廷は6日までに、事件に関与した元警察官3人に禁固14年などの有罪判決を下した。検察
当局が明らかにした。
- 24 :
- 元ゲリラ、監禁生活語る コロンビアで害の村松さん
南米コロンビアで矢崎総業の現地法人「矢崎シーメル」副社長の村松治夫(ちかお)さん(55)が誘拐され、2年9カ月にわたって監禁され害された事件で、
害直前まで行動をともにしていた監視役の元ゲリラ兵士4人が、9日までに朝日新聞の取材に応じた。4人は「村松さんは手編みのベルトをつくりゲリラ兵士
にプレゼントしていた」「害の日の朝、村松さんが泣いているのを初めて見た」などと、監禁時の様子を具体的に語った。
コロンビア革命軍(FARC)のオマル元兵士(33)ら、男性2人と女性2人。オマル元兵士ら2人は4カ月間、村松さんと過ごした後、害の2日前に投降
した。残りの2人は2カ月間、過ごした後、害直前まで村松さんといたが、政府軍の接近に気づいて逃げた後、今月4日ごろに逮捕されたという。
4人を含め6人で、村松さん1人を監視する特別チームをつくっていた。害は4人とは別の兵士が行ったと見られているが、チームは「政府軍が
近づいてきたら、村松さんを射せよ」と命令を受けていたという。
4人によると、村松さんは食事も十分で、ふっくらしていた。しかしキャンプ地が移動した最近2カ月は、政府軍の掃討作戦強化もあって食材が手
に入りづらくなり、害前1週間は米とパスタを混ぜた少量の食事を朝、食べるだけだった。
監禁中、村松さんは取り乱すことはほとんどなかったという。害の日の朝食後、兵士らは村松さんが静かに涙を流しているのを見た。初めてのこと
だったので、「どうした」と聞いたが返事はしなかったという。空腹や環境の悪化から、精神的に不安定な状態だった可能性がある。
監禁中は、手足を縛られるなどの拘束はなかった。ゲリラたちとトランプやすごろくをして時間をつぶすことが多かった。ある日、
羊の毛でできたヒモでブレスレットの作り方をゲリラが教えるとすぐに覚え、「もっとヒモを手に入れてほしい」と頼むようになった。
ベルトなどをつくり、仲のいいゲリラにプレゼントした。
- 25 :
- 村松さんが手編みで小物をつくっているという情報は、以前から矢崎総業関係者らにも伝えられていた。
兵士から小型ラジオをもらい、「誘拐された人への声」の番組で流された家族からの励ましのメッセージ
を村松さんが聞いていたのをゲリラの1人が目撃している。
「いつ出られるのかな」「あと2年ぐらいかかるかな」などと投げやりな表情で言うこともあった。若い
女性兵士を「太りすぎだぞ」などと、からかったこともある。
兵士といっしょに調理もよくした。小さなバッグには、めがねと日記帳が入っていた。兵士にハシの握り
方を教えたり、マッサージをしあったりすることもあった。
- 26 :
- 村松さんは11月24日に害されたとされる。政府軍は「日常的な掃討作戦で偶然追いつめられたゲリラが、連れ回していた村松さんを害した」と説明している。
今回のインタビューで、逮捕された2人の兵士は「24日朝、キャンプ地脇の高台で見張りをしていたら政府軍が見えたので逃げた」と話した。その後、逃走中に銃声
が数発聞こえたため、「キャンプ地に残っていた仲間が、命令に従って村松さんを撃ったのだと思った」と明らかにした。
また投降した監視役のゲリラ兵士によると、村松さんがキャンプ地にいたことはすぐ政府軍に伝え案内したといい、「軍は救出しようとしたのではないか」と話した。
救出作戦の失敗とする見方や、追いつめた政府軍側に責任があるとの批判が一部にあるが、政府軍側は一貫して「すべての責任はFARCにある」と全面否定。害に
至る経緯などは、なお矛盾点が残されている。
現地の日本大使館と矢崎総業では、コロンビア政府に詳しい調査報告を求めている。
- 27 :
- あげ
- 28 :
- ちかおさんいい人だったのね…
- 29 :
- 村松治夫の姪です。
最近パソコンを購入し、叔父の事件について調べていました。
時間がたつにつれこの事件が風化し、忘れ去られてしまうことが悲しいです。
この事件に少しでも多くの方が関心をもっていただけると幸いです。
- 30 :
- 同じ苗字だったので覗いてみた。
- 31 :
- 悲しい事件でした。
正直忘れてましたが。
風化しないようにとりあえず上げ
- 32 :
- そうです。
こういう人を二度と死なせてはならn。
- 33 :
- 保守
- 34 :
- 125854492187499
中学生が 自主制作AV 売り捌いてたらしい ★12
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1256682280/
まとめwiki
http://www31.atwiki.jp/shotakon_pachinkas/
621063232421874
- 35 :
- 保守
- 36 :
- 男が誘拐されるなんて珍しい事件だな
- 37 :
- 【MMD】リアルカさんでカラフル×メロディ
http://nicoviewer.info/sm14059698
- 38 :11/11/22
- http://pita.st/n/efou0589
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