2011年10月1期懐かしニュース夕張保険金人事件
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夕張保険金人事件
- 1 :10/09/18 〜 最終レス :11/10/26
- 夕張保険金人事件についてのスレがなかったので、立てました。
語りましょう!
- 2 :
- やっと立ちましたか!
わたしが全てを知る
ザウちゃん事、聖皇帝!
バリユウをこよなく愛す!
この僕!ザウちゃんがすべてのQにAしまSYOW!
聞きたいですか?
- 3 :
- べつに
- 4 :
- No3のアナタ!
本当は聞きたいんですね!
アノ人の真似してKOOLにキメても僕にはわかります!
真相をANSARするのには!
2PARSENTSの支持が必要になります!
それまでLITORUBIT、WEITしててください!
ほかにもいますか?
ききたいですか?
- 5 :
- 夕張保険金放火人事件
1997年(平成9年)8月1日、日高安政、信子夫婦が死刑執行。
夫は札幌拘置支所の独房に収容され、妻は200m離れた札幌刑務支所
(女子刑務所)の独房に収容されていた。
まず、夫が護送車に乗せられて約600m離れた札幌刑務所構内一角の
死刑場にに向かい、午前10時頃死刑執行。
その後、妻が同じように護送車で護送され、午前11時半頃死刑執行。
執行後、二人の棺は遺体安置室に並べて置かれた。
二人は札幌地裁の判決を最後に二度と会うことはなくこの日を迎えたのだ。
戦後三人目の女子死刑囚日高信子の死刑執行は何とも痛ましいものだった。
立ち会った女子刑務官は職を辞したと伝え聞く。
日高安政 享年54
日高信子 享年51
■死刑囚、最期の言葉
・日高信子「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(刑務官)の顔を見たい」(夕張保険金放火人事件)
- 6 :
- 所長「法務大臣の命令なんだ。残念だが、お別れだよ。」
日高信子「られてたまるか!」
暴れるが、手錠に腰縄をかけられ、日高信子が踏ん張るのもむなしく刑場までの150mを引きずられていった。
刑場についた日高信子は少しおとなしくなった。
しかし、拘置所の役人が「観念した」と思って腰縄と手錠を外すと、日高信子は再び吠えて暴れ出した。
100kgの大女の怪力で刑務官を投げ飛ばし、殴りつけ、死にものぐるいの格闘が始まった。
本来は仏壇などに(死刑囚のために)備えられた供え物を頂戴し、坊さんの説教を聞いて死に赴くのが、拘置所にとって最も理想的な死刑囚の最後なのだが、彼女の場合、よってたかって押さえつけ、強引に処刑台に引きずっていき首に縄を掛けて吊したという。
そのあいだ約50分。
享年41。
- 7 :
- 全角英数 おちょんちょんのカス野郎
しゃぶって寝てろ
- 8 :
- で、この保険金人も「強制連行された朝鮮人のタタリ」なの?
- 9 :
- 女だとなかなか死刑にならない
- 10 :
- >>5-6
この状況で「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(刑務官)の顔を見たい」
という穏やか(?)な展開になったの?
- 11 :
- >>10
詳しいことはわかりませんが、ニュース議論板で、
日高信子さんの最期はそのようだったと聞きましたので。
- 12 :
- 議論板の出典が気になるな。
- 13 :
- >>5と>>6では死刑執行時の様子がまるで違うじゃん。年齢も違うし。
- 14 :
- これが正しいコピペみたいです。
夕張保険金放火人事件
1997年(平成9年)8月1日、日高安政(54)、信子(51)夫婦が死刑執行。
夫は札幌拘置支所の独房に収容され、妻は200m離れた札幌刑務支所
(女子刑務所)の独房に収容されていた。
まず、夫が護送車に乗せられて約600m離れた札幌刑務所構内一角の
死刑場にに向かい、午前10時頃死刑執行。
その後、妻が同じように護送車で護送され、午前11時半頃死刑執行。
執行後、二人の棺は遺体安置室に並べて置かれた。
二人は札幌地裁の判決を最後に二度と会うことはなくこの日を迎えたのだ。
戦後三人目の女子死刑囚日高信子の死刑執行は何とも痛ましいものだった。
護送中も泣き叫び抵抗、途中失禁の跡が点々と続き
立ち会った女子刑務官は職を辞したと伝え聞く。
なんで女死刑囚は、執行しないのか?★2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gender/1284487844/ より
- 15 :
- だったら、執行を担当する看守は、男性の看守でええんじゃないのか?
- 16 :
- >>14
へぇ
泣き叫び抵抗かぁ
図々しい女だ
- 17 :
- 図々しいから人なんてするんだろ。
- 18 :
- 自分にも子供がいて保険金でポニーを買ってやったのに子供までした
- 19 :
- 生命保険の方が多くて大半を逮捕までに使って火災保険だけが目当て(すつもりはなかった)と主張
- 20 :
- >>16
昔男の死刑囚でそんなのいたな。強姦で服役して、仮釈放中に強姦人を犯して死刑確定
したんだが、執行の時ものすごく暴れて、そいつタテヨコでかい巨漢で、看守が5人がかり
くらいで押さえつけて、それでも激しく抵抗して逃げようとするんで、頭から袋をスボッと
かぶせて取り押さえて、刑場まで引きずるようにして連れて行ったって奴。
全く反省してなかったんだな。普通死刑囚って静かに死んでいくらしいね。
- 21 :
- 10年ほど前夕張に行った際、まだ日高の事務所は残っていた。
今はどうなんだろう。
- 22 :
- 昭和57(1982)年11月25日朝、藤沢の女子高生人・死体遺棄の佐藤虎美死刑囚は、
所長から死刑執行の宣告を受けた。
とたんに「られてたまるか!」と180cm100キロ近い巨体で暴れまわった。
やっとのことで刑場まで引き立て、仏間に入っておとなしくなった。
いざ最後の執行となったとたん、儀式どころか手錠と腰縄をはずすと再び大暴れ、
刑務官を投げ飛ばし、喚き散らし、それをみんなで寄ってたかって取り押さえ、
カーテンの向こうに引き摺って、しゃにむに首にロープをかけて吊るしてしまった。
格闘だけで50分を要したという
- 23 :
- ■死刑囚、最期の言葉(1) 氏名(執行日)「言葉」(事件):執行順に掲載
・大米龍雲(16,06,26) 「くたばっちまえば、どうせ何も見えねえ(と目隠しを拒む)」(尼僧連続強姦致死)
・小平義雄(49,10,05) 「この期におよんで何も言い残すことはありません(と饅頭3個、ひかりを一服)」(小平事件)
・大谷高雄(55,02,11) 「先に行ってます。極楽では私のほうが先輩ですからね」(3人組拳銃強盗人)
・菊池正(55,11,22) 「おかやん、おかやん、助けてくれよ・・・」(栃木・雑貨商一家四人し)
・坂巻脩吉(57,06,22) 「お先に、先生!お世話になりました。元気でね!」(鏡子ちゃん人事件)
・古屋栄雄(59,05,27) 「ふみえーー!もう一度会いたいよぉ・・・・」(人違いバラバラ事件)
・孫斗八(63,07,17) 「ゴルァーーーー!だまし打ちにするのか!」(洋服商人事件・日本のチェスマン事件)
・千葉(中村)覚(67,11,02) 「犯罪なき世の中がうちたてられますように・・・・アーメン」(新潟・農家強盗人事件、歌人島秋人)
・奥野清(67,11,16) 「かあちゃん、いま行くで、待っとれよ」(母親バラバラ人事件)
・正田昭(69,12,09) 「小木先生によろしくお伝えください・・・アーメン・・・」(バーメッカ人事件)
・小林カウ(70,06,11) 「長い間お世話になりました。思い残す事も言い残す事もありません」(日本閣事件)
・杉村サダメ(70,09,19) 「あの世では被害者の皆さんに会って罪を償いたいと思います」(連続女性毒魔)
・西口彰(70,12,11) 「遺骨は別府湾に散骨してください、アーメン」(広域連続強盗人事件)
・小原保(71,12,23) 「真人間になって死んでいきます。ナスの漬物おいしゅうございました」(吉展ちゃん事件)
・片桐操(72,07,21) 「皆さん、ありがとうございました。お先に失礼します」(少年ライフル魔事件)
・中島一夫(73,10,12) 「あの世で被害者に会ってお詫びできることを思うとやはり死ぬことは喜びです」(埼玉9人人鬼事件)
・西武雄(75,06,17) 「そうでしたか(とタバコ一本をうまそうに吸う)」(福岡事件)
・堀越喜代八(75,12,05) 「どうか皆さん、ぼくの冥福を祈って成仏できるよう助けて下さい」(横浜・同僚母子人事件)
・大久保清(76,01,22) 「・・・・クック・・・・・」(大久保清連続人事件)
- 24 :
- ■死刑囚、最期の言葉(2) 氏名(執行日)「言葉」(事件):執行順に掲載
・佐藤虎美(82,11,25) 「られてたまるかーーーーー!」(藤沢女子高生害事件)
・渡辺健一(88,06,16) 「・・・ウソやろ!・・・・・かなわんなあ・・・」(寝屋川・若夫婦害事件)
・永山則夫(97,08,01) 「うおーーーーっ!!オレをすと革命が起きるぞ!」(永山則夫連続射事件)
・勝田清孝(00,11,30) 「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(教誨師)の顔を見たい」(連続人)
・大石国勝(00,11,30) 「くそ、俺のホースバンドを盗みあがったのは誰だ!」(鳥栖隣人人事件)
・長谷川(竹内)敏彦(01,12,27) 「・・・・残念です・・・・・・」(半田保険金人事件)
・宅間守(04,09,14) 「タバコとジュースくれや、妻にありがとうって、僕が言っていたと伝えてください」(池田小事件)
・秋山芳光(06,12,25) 「私は77歳ですよ。それでもあなた方は執行するんですか・・・」(秋山兄弟事件)
・藤波芳夫(06,12,25) 「今までお世話になりました」(前妻一家傷事件)
・陸田真志(08,06,17) 「晶子さんのところに行けるのはこの上もない幸せです」(SMクラブ連続人事件)
・宮崎勤(08,06,17) 「あのビデオまだ途中なのに・・」(東京・埼玉連続誘拐人事件)
・陳徳通(09,07,28) 「ワタシ、ニホンゴワカリマセン。アナタタチ、イマカラ、ワタシニナニスルノ」(川崎6人傷事件)
・山地悠紀夫(09,07,28) 「死刑でいいです、遺骨と遺品は国で処分してください」(大阪姉妹害事件)
・篠沢一男(10,07,28) 「ゴルァ!おまえら、す気だろーーーーーー?!」(宇都宮宝石店放火人)
・尾形英紀(10,07,28) 「私は反省の心を捨て、被害者のことを考えるのをやめました」(熊谷男女4人傷事件)
- 25 :
- >>6と>>22は全く別の死刑囚の最後の文章を改変したもの。
>>14の文章に関しては
>護送中も泣き叫び抵抗、途中失禁の跡が点々と続き
という部分が確認できず2chでの付加と考えられる。
- 26 :
- >>10
「目隠しを取ってもらえませんか。
もう一度先生(教誨師)の顔を見たい」は勝田清孝です
- 27 :
- 具体的に言うと>>6 と>>22の文章は佐藤虎美という死刑囚(もちろん男性死刑囚)の最後。
>>14の文章だが、2chのあちこちに張られているが
目にするたびに文章の量が増えており、原文に段階的に捏造を加えていったものと考えられる。
- 28 :
- >>23-24
の「死刑囚の最後の言葉」も半分程度がウソです。
中には全くのデタラメではなく死刑囚が生前に言った発言を
「最後の言葉」として改変したものもありますが。
そういうのをかすみしてもパロデイみたいなものです。
永山則夫の「うおーーーーっ!!オレをすと革命が起きるぞ!」については
後半部については永山が生前に手紙に書いた文章(無論、狂った妄想ですが)。
「ウォーッ」については永山の死刑執行の日にそういう声が聞こえた(本当に永山の声か不明)という話しとのミックスだと思われます。
宮崎の「あのビデオ、まだ途中なのに・・・」に至っては
拘置所でビデオ鑑賞が許されているという話しと彼の生前のビデオ好きからの連想でしょう。
- 29 :
-
死刑囚、最期の言葉 はすべて事実です。
死刑執行専門の刑務官のわたしが言うから間違いないです。
- 30 :
- >>6
これ、藤沢女子高生害事件の佐藤虎美でしょ!?
- 31 :
- >>30
あっ…、既に複数の方が指摘していたんですね(汗)
- 32 :
- >>20と>>22が佐藤虎美のことだよね?
- 33 :
- 雅樹ちゃん誘拐人の本山茂久死刑囚の場合は、いざ執行という日
「お迎え」に来た刑務官に自分の房の机を投げつけ、あらん限りの
力を尽くして抵抗。ついには特警(特別警護隊)に催涙弾を撃ち込まれて
連行されていくという大騒動になった。
引きずっていかれた廊下には失禁のあとがずっと続いていたという。
- 34 :
- 雅樹ちゃん誘拐事件の本山茂久は処刑のとき、完全に気が狂って舎房の鉄格子に
しがみつき、特警にかみつき、暴れ、吠えまくり、ロープに吊るされても、あがき、
もだえ、ついに主ロープが切れ、補助ロープでかろうじて(人をすのに、かろう
じてもないもんだが)処刑された。顔は醜くふくらみ、目はバセドー氏病のごとく
飛び出し、白目が今にもこぼれんばかりに噴き出て、首筋から顎にかけてはざくろ
のようにただれ、舌がこんなにもながいものかと思うほど、口から血にまみれて
長く長く垂れ下がっていた。そのときには、すでに何人もの死水を取り、何体もの
屍を清め、後始末をしていた俺でさえ、腰が抜け、危くこっちまで目玉むいてき
そうになったが、そのとき一緒に掃夫をやっていた尊属しの五十嵐正秀などは、
初めてのこともあって、へなへなと腰を抜かし、自分まで小便をもらす始末であった。
この本山の様子が、誰からどこへどう漏れたのか、その数日後、突然、保安課より
非常召集の命が下った。何が何やらわけのわからぬまま、俺たち掃夫全員、
(といっても4,5名だが。多い時で3〜40人、少ないときで10〜20人の死刑囚を、
担当、副担当各1名の元に4〜5名の掃夫が世話している)保安課へ連行され、
取り調べを受けた。本山のすさまじい断末魔の様子と恐ろしい死体の有り様が
漏れ伝わり、執行官が寝込み、死刑囚たちが動揺しているからと、俺たちは厳重
な緘口令を申し渡された。 かわいそうに腰を抜かして、小便をもらした五十嵐
正秀は、掃夫をやめさせられ、本監の懲役囚や拘置所の未決囚らといっさい接触
できない、構外農場の養豚場へ強制配置転換させられ、ブーブーいいながら豚の
世話をやくハメに陥り、豚の餌の上前はねて貪り食い、それを看守に見つかって
懲罰房にぶち込まれ、ヒーヒー唸っていた。
- 35 :
-
>>21
日高の事務所は夕張市内にあるんだ
たぶん犯行現場は右にある建物だと思う
ちなみにこの辺りはダムの底に沈む予定で今建物はほとんど残ってない
ttp://www.asahi-net.or.jp/~bx5m-iid/oyubari/ekimaesyoten.jpg
- 36 :
- >>33ー34
自分の排泄物を食べたり壁に塗りたくったり看守に投げつけたりしたんだよね。
大久保清も刑場に連れ出される時、腰が抜けたため両腕をかかえられ引きずられて房から連れて行かれたらしいし。
やはり失禁の跡があったとか。
- 37 :
- このスレッド、超つまんね。意味あんの?
- 38 :
- >>34
お前は一体何悪さしたんだ(カキコが真実ならば)。
- 39 :
- >>335-336>>339>>366>>371-372
とっとと回線切って首吊って!!!!
楽しみに待っとけ。
有言実行だ。
- 40 :
- >>38
>>34は合田士郎(元無期懲役囚)の著書『そして、死刑は執行された』で紹介されていた。
でも本文には「ある凶悪人事件の犯人」としか書かれていないので、本山のことだったなんて知らなかった。
- 41 :
- >>35
これは大夕張駅の前かな?
随分とにぎやかだったんだな。
- 42 :
- 雅樹ちゃん事件って知らないな。有名な事件?
- 43 :
- 小林カウって、映画「天国の駅」では吉永小百合が演じてたせいか、かわいそうな女って
感じがしたけど、実際はかなりしたたかな悪女だったんだな。
てか映画は悪い男たちに翻弄されて人者になってしまったかわいそうな女という
描き方だった。監督はどうしてそんな風に作ったのかなって思った。
- 44 :
- 旧日高組事務所
ttp://ysnowy.exblog.jp/tags/%E4%BF%9D%E9%99%BA%E9%87%91%E6%AE%BA%E4%BA%BA/
現場の旧鹿島旅館の事
ttp://www2f.biglobe.ne.jp/~mst_iida/ryokan.htm
- 45 :
- 入獄後の日高信子と、ある人との文通の話
ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/040/103.htm
- 46 :
- 日高夫妻の顛末。真偽は?だが
ttp://blog.livedoor.jp/yoshitaka1215/archives/1280234.html
- 47 :
- >>44-46
興味深く拝見した。
しかし、7人もしておいて「もう一度訴えたい、社会に戻りたい」?!?!
どうしようもない屑だったんだな。本当に。
- 48 :
- ちなみに夫婦はこれな
http://yubarifusai.jp/
- 49 :
- 恩赦を期待してたって・・
日本でかつて恩赦で死刑免れた事件とかそういうのあるの?
- 50 :
- スレチでわるいんだけど、市長さん、辞めて今度市議に立候補って
意味わかんない。どーゆーこと? 誰かおしえて、眠れんわ
ずっと人大杉だし
- 51 :
-
>>49
とりあえず俺が知ってるのは戦後女性死刑囚第一号山本宏子
http://gonta13-lj-hp.web.infoseek.co.jp/newpage295.htm
- 52 :
- >>47
だからその押しの強さってのが先天的なもの、いわゆる生まれ付きの性格みたいなものだと思ってるわけだろ。
そこが間違ってるって言ってんだよ。
そういったコミュニケーション能力は学習によって後天的に獲得する技能。
お前の得意な学校の勉強と同じ。
必要な努力は満遍なくこなさないと一生大人になんかなれないぞ。
まずは自分より弱そうな奴を見付ける事からでもいい。
できる事から一つずつ頑張ってみろ。
- 53 :
- 李珍宇(小松川女高生し、逮捕時18歳)
李珍宇は1940年2月28日、東京都城東区亀戸の朝鮮人で生まれた。
46年に家は空襲で焼け出され、江戸川区上篠崎に移り住んでいる。
三男三女の次男で、日本名は金子鎮宇といった。
父親は酒好きで窃盗の前科があり、母親は半聾唖だった。
同居する叔父も前科8犯のスリだった。
李の供述によれば、「きつねうどん以上のごちそうを食べたことがなかった」らしい。
死刑囚監房で彼は死の恐怖におびえ、消灯時間になると毎日「おかあちゃん、こわいよう」
と壁を叩いて泣き叫んだ。
昭和37年に死刑執行。李は半狂乱になって暴れ、麻酔銃を撃たれて、朦朧状態で刑場
へ引きずられていった。22歳没
李珍宇の執行後、聾唖の母と地下足袋姿のままの父が彼の死体を迎えに来た。
ふたりは棺の蓋をあけ、首が伸びた遺体の前で歯を食いしばって涙をこらえながら、
じっと死に顔を見つめていたという
- 54 :
- 2月27日 NHK教育 午後10:00〜11:30『法務大臣の決断』
http://www.nhk.or.jp/etv21c/lineup/index.html
2010年7月28日、東京拘置所で2人の死刑囚に対する死刑が執行された。
自民党政権での死刑執行から1年余りの空白を経て、民主党政権で初の執行だった。
死刑執行の命令書にサインした法務大臣は、千葉景子(当時・以下敬称略)。
就任前の千葉は一貫した死刑廃止活動で知られており、多くは千葉が任期最後まで
サインをしない姿勢を貫くものと考えていた。千葉はいかにして決断に至ったのか。
その決断の背景には何があったのか。10時間を越えるロングインタビューに、
千葉が初めて語った。
我が国では、死刑の執行は法務大臣の命令を必要とするが、最終判断者たる法務大臣
の心中を一般の人が知ることはなかった。多くの市民は「死刑」を、国家による罰と
いう抽象的な概念でしか捉えてこなかった。しかしいま、員のもとで、すで
に3件の死刑判決が下されているように、“市民”が死刑判決を下す重い義務を負う
時代が訪れている。私たちにとってもはや「死刑」をめぐる問題は、他人ごとではない。
大臣室で深まる苦悩、それは今まさに、市民の苦悩と重なろうとしているのだ。
番組はかつて明かされたことのない「法務大臣と死刑執行の決断」に焦点を絞る。
千葉大臣による死刑執行の決断に至るまでの経緯を詳細に検証しながら、長い死刑執行
の歴史の中で、命令書へのサインを前に繰り広げられた歴代法務大臣らのさまざまな苦悩
と決断を、本人らの証言を交えて浮き彫りにする。加えて、死刑判決を下してきた最高所
元判事、死刑執行の義務を負う法務省元幹部、決断を下す法務大臣を支えた人たちによる
貴重な証言や1997年の夕張保険金人事件の日高安政、信子元死刑囚の執行の模様もあわせ、
多角的に検証する。
- 55 :
- >>51
恩赦って死刑が無期になるということ?
この事件知らなかったが悲惨だな。被害者の夫が加害者をかばったとか、ちょっと考えられないね。
余程かわいがってたのかなあ。しかし加害者一人に金策に走り回らせて、借金作った当の夫は
家でじっとしてただけか?ひどい夫だな。
- 56 :
- >>53
昔はしたのが1人でしかも未成年で死刑、ってあったんだね。
この男、朝鮮人出身、母親が障害者、極貧、って境遇が月ヶ瀬村の丘崎に似てるな。
- 57 :
- >>55
山本宏子は被害者夫の実子だったって見方が強いよ
だから普段から夫を虐げてる被害者を憎んでいたらしい
恩赦は刑の減刑だから死刑だと無期になるんじゃないかな
最も山本は完全に精神がってたんで恩赦がなくても刑の執行停止
で獄死の運命だったろうね
>>56
李珍宇は二人してるよ
それに動機だって性的欲望の果てだし、未成年でも情状は決して良くない
ただ貧乏だの人種差別だのに託けて尤もらしく叫んでただけだろう
さて本件だけど、もうほとんど成功してたんだよ
ただ2階から飛び降りて両足まで折る助演男優賞なみの演技をした
子分の口封じに失敗すとは・・・
しかしポニーまで買い与えられた息子たちはその後どんな人生を送ったんだろう
運命とは言え両親が揃って死刑囚になるとは・・・
- 58 :
- 石川清は漫画だと子供だけでも助けようとして足を折って叶わなかった
日高夫婦は彼が入院しなくとも500万分け前をやるはずが100万もやらなかったというのもある
- 59 :
- ◆死刑執行当日のプロセス
----------------------------------
・9時、処遇部門職員、警備隊員数名が独房の扉開け告示(暴れる場合は催涙弾)
・暴れるもの、腰を抜かすものは刑務官に抱えられて刑場に連行(失禁に注意)
・刑場ではすでに線香と読経テープが流れてる
・仏間で拘置所長が死刑執行命令書を受刑者に伝える(暴れる場合は一部省略)
・希望があれば遺書、菓子、喫煙を許可(暴れる場合は省略)
・白装束に着替えさせられる(暴れる場合は省略)
・隣接する絞首刑台に進む
・目隠し、後ろ手錠、両膝を縛り、首にロープ
・3つのボタンを刑務官が同時に押す(ボタン1つだけが刑場の床と連動)
・受刑者の体が割れた穴に落ちる
・約15分後、医師と検事によって死亡確認
・遺体は清掃、安置室へ行く
・執行手当は刑務官@2万で5人まで(検察官は3万)でその日の仕事はない
・執行にかかる時間は1時間程度
- 60 :
- 【作業用BGM】数々のボカロ曲を演奏してみた【ベース】
http://g2labo.orz.hm/bridge/watch/sm14227075
【MMD】レア様達で「Valkyrja」【妖精帝國】
http://nicoviewer.info/sm14249838
- 61 :
- 日高安政
1943年に様似町で生まれている。7人兄弟の6番目で、一家はまもなく夕張に移った。
兄たちの影響を受けて店舗荒らし、賽銭箱荒らしをするようになったのは小学校
中学年の頃からで、小学6年の時に遠軽町の「北海道家庭学校」に入れられ、
そこで義務教育を終えた。その後はトラック運転手、土木作業員、炭坑員などの職
を転々として、17歳の頃にの世界に入り、暴行事件を数回起こした。
69年に結婚、一女をもうけている。
日高信子
1946年、炭坑員の家庭で生まれた。小学校は3歳年上の日高と同じ学校である。
道立夕張高校在籍時には「女番長」として知られていた。
高校卒業後、上京して山野愛子高等美容学校に入学。1年間学んで夕張に帰ってきた。
暴力団構成員と結婚して一女をもうけたが、夫は死亡し、バーのホステスとして働く様
になった。日高はそのバーに客として来て知り合い、やがて同棲生活を始めた。
日高はこの頃、妻と離婚している。
- 62 :
- 2人とも絵に描いたようなワルだなあ。よっぽど育ちが悪いんだなあ。
- 63 :
- 放火事件の3年前の1981(昭和56)年には配下組員の指を4本
切断して、坑内事故に見せかけて保険金を詐取しとる。安政
の服役中、信子が石川にやらせたらしい。
豆知識。
- 64 :
- そんなこともしてたのか。怖い女だなあ。しかし信子ってよく高校行けたな。
- 65 :
- 小林カウ・日本閣事件(70,06,11執行)
昭和45年6月10日、小林カウは拘置所長の呼び出しを受け、死刑執行の言い渡しを受けた。
言い渡しを受けると死刑囚には忙しい一日となる。遺書を認めたり、遺留品の整理をしたり
特別の入浴など日常と異なる用事に追われる。
カウは担当の女子看守が房を開けて「小林さん出房、所長がお呼びです」と言うにも
少しの動揺も見られなかった。あるいは言い渡しとは考えなかったのかもしれない。
所長室でカウは臆する様子も見せず、泰然と所長の机の前に進み出た。
「残念だが、いよいよお別れしなくてはならなくなったよ」
うつむき加減に立っていたカウは弾かれたように顔を上げ、所長の顔を凝視した。
「そうですか」カウはなんの感情も交えない声でこう答えた。
「小林カウ、明治41年10月20日生まれ。右の者昭和45年6月7日より5日以内に所定の方法に
より死刑の執行を行うべし。法務大臣」所長は送られてきた執行命令書を読み上げた。
執行命令書はもう一枚、同日に届いていた。カウと一緒に死刑判決を受けた大貫光吉のものだ。
「6月7日から5日以内と言うと明日が限度だから、本当に残念だがお別れだ。慣例通り明日午前10時
に刑の執行となる」、「もう一日だけ待っていただけませんか」カウは願い出た。
「残念だが、待つわけにはいかないんだよ」「そうですか、わかりました」
居並ぶ面々は執行されるのがカウではなく自分であるかのように顔面を蒼白にして緊張している。
「ところで君はいくつになったね」所長が尋ねた。「はい、61歳です」「そうか」
「今日は特別のご馳走をしよう。食べたいものがあったら何でも言うがいい。寿司でもウナギでも
天丼でも。普段食べたくても食べられなかったものを思いきり食べたらいい」
「それでは、お寿司を」遠慮しいしい小さな声でカウは言った。
美容室で髪をカットし、特別にたてられた湯でゆっくり体を洗うと午前中は終わった。
昼食、昼寝。午後には拘置所預かりの私物が戻された。明日には主なき品々となる物だ。
私物の中から久しく忘れていた化粧品が出てきた。カウはクリームの瓶を手に取り匂い
をかいでみた。黄ばんだ透明の油分が分離していた。カウは報知器のボタンを押した。
「どうしました小林さん」「これまだ使えるでしょうか」「これじゃ駄目ね」
若い看守は化粧気のないカウの顔を見ていった。
6月11日の朝、7時半にはカウは朝食を終えていた。食後あわただしい気持ちで着替えをした。
昨日私物の整理したときに選りだしていた晴れ着を着て、白粉を顔全体に叩き付け、頬紅、
口紅をつけた。薄化粧だが、死への門出の身だしなみだったのだろう。
迎えに来た主任刑務官は「小林さん、とってもきれいよ」。カウはいかにも満足そうであった。
小菅刑務所の刑場の仏間に入ったとき、カウは手錠腰縄から開放された。
教誨師の読経が始まっていた。祭壇には蝋燭、線香が灯り、いかにも厳かな
ひとときが始まっていた。
「これでいよいよお別れです。なにか言い残すことはありませんか」
「はい。長い間お世話になりました。ありがとうございました。思い残すことも
言い残すこともありません」カウはきっぱりと言った。
「それじゃ、お別れの握手をするか」拘置所長が手を差し出し、カウはそれに応えた。
カウが踏み板の上に立つと待っていた刑務官2人がすばやく首にロープの輪をかけ、
膝を紐で縛った。
ロープが首にかけられ、首の後ろでギュッと絞められた次の瞬間にはカウの姿はなかった。
地下室ではまだカウの肉体は生きていた。首を絞められているというのに胸部は深呼吸
しているようにふくれたりしぼんだり大きく繰り返している。手は空中を泳ぎ、足は地面を
求めるように歩く動作をしていた。
やがて手首の脈をとっていた医官が合図した。脈が感じられなくなったのだ。
少したって心音を聞いていた医官の聴診器がカウの胸からはずされた。
小林カウ 享年61。遺書は姉に宛てた簡単なものが一通だけであった。
- 66 :
- >>65
小林カウって、死刑確定してたからもう観念してたんだろうけど、おとなしい感じがするね。
この人が3人もしたのかあ…
- 67 :
- . §
,§、 プラーン
,ー./ハ,§
〈:://二§_
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- 68 :
- バカな夫婦よ。(笑)
- 69 :
- 日本の恩赦は今じゃ選挙違反ぐらいしか適用されない
この夫婦みたいに上告取り下げてアテ外れたの何人いるんだろ?
- 70 :
- 「実録 死刑囚」という本に載ってたね。
それによると、獄中の信子は淡々としていたとか。
- 71 :
- 夕張保険金放火人事件
1997年(平成9年)8月1日、日高安政(54)、信子(51)夫婦が死刑執行。
夫は札幌拘置支所の独房に収容され、妻は200m離れた札幌刑務支所
(女子刑務所)の独房に収容されていた。
まず、夫が護送車に乗せられて約600m離れた札幌刑務所構内一角の
死刑場にに向かい、午前10時頃死刑執行。
その後、妻が同じように護送車で護送され、午前11時半頃死刑執行。
執行後、二人の棺は遺体安置室に並べて置かれた。
二人は札幌地裁の判決を最後に二度と会うことはなくこの日を迎えたのだ。
戦後三人目の女子死刑囚日高信子の死刑執行は何とも痛ましいものだった。
護送中も泣き叫び抵抗、途中失禁脱糞経血の跡が点々と続き立ち会った女子刑務官
は職を辞したと伝え聞く。
- 72 :
- >>61
双方、しょーもない育ちだな。
血をわけた子が居るのか。恐ろしい。
- 73 :
- >>45の山影さんも亡くなったもんな
- 74 :11/10/26
- 馬鹿は死ななきゃ直らない
被害者のことを思えば、命で償って当たり前
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