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2011年10月1期陸上競技瀬古利彦総合スレッドPart2
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瀬古利彦総合スレッドPart2
- 1 :10/02/13 〜 最終レス :11/12/17
- 瀬古利彦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%8F%A4%E5%88%A9%E5%BD%A6
主な記録・成績
※歴代成績は2009年6月現在
トラック種目
5000m:13分24秒29(1986年7月11日、日本歴代10位)
10000m:27分42秒17(1985年7月2日、日本歴代5位)
15000m:43分38秒2 (1983年9月24日、日本記録)
20000m:57分48秒7 (1985年5月11日、日本記録)
25000m:1時間13分55秒8 (1981年3月22日、世界記録)
30000m:1時間29分18秒8(1981年3月22日、世界記録)
マラソン
自己最高記録…2時間08分27秒(1986年10月26日)
1977.02 京都マラソン 2:26:00 10位 新人賞獲得
1977.12 福岡国際マラソン 2:15:01 5位 日本人最上位
1978.12 福岡国際マラソン 2:10:21 優勝 当時世界歴代10位、当時日本学生最高記録
1979.04 ボストンマラソン 2:10:12 2位 当時世界歴代9位、当時日本学生最高記録
1979.12 福岡国際マラソン 2:10:35 優勝 モスクワ五輪代表権獲得、福岡日本人初の2連覇
1980.12 福岡国際マラソン 2:09:45 優勝 当時世界歴代8位、福岡日本人初の3連覇
1981.04 ボストンマラソン 2:09:26 優勝 当時世界歴代5位、当時大会記録
1983.02 東京国際マラソン 2:08:38 優勝 当時日本最高記録、当時世界歴代3位、当時大会記録
1983.12 福岡国際マラソン 2:08:52 優勝 ロサンゼルス五輪代表権獲得、当時世界歴代6位相当、福岡日本人初の4回制覇
1984.08 ロサンゼルスオリンピック 男子マラソン 2:14:13 14位
1986.04 ロンドンマラソン 2:10:02 優勝 ロンドン日本人初の優勝
1986.10 シカゴマラソン 2:08:27 優勝 自己最高記録、当時世界歴代10位、シカゴ日本人初の優勝
1987.04 ボストンマラソン 2:11:50 優勝 ボストン日本人初の複数回制覇
1988.03 びわ湖毎日マラソン 2:12:41 優勝 ソウル五輪代表権獲得、日本3大マラソン制覇
1988.10 ソウルオリンピック 男子マラソン 2:13:41 9位
(マラソン通算成績:15戦10勝)
1978年7月8日にイギリスのローカルマラソン・ミルトンケイネスマラソンに参加。調整と練習一環で出場した。 このときの68位 2時間53分17秒は瀬古自身の競技歴には記載していない。 国際陸連が発行する資料ではこのときの記録は瀬古のキャリアに記載されているそう。
前スレ
なんでも瀬古利彦のせいにするスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1257333092/
- 2 :
- 現役時代マラソンでは鬼のように強かった。
- 3 :
- GORO/瀬古特集 (1980)
http://lovestube.com/up/src/up4052.jpg
http://lovestube.com/up/src/up4053.jpg
http://lovestube.com/up/src/up4055.jpg
http://lovestube.com/up/src/up4056.jpg
- 4 :
- >>3
おお、面白いな
そんな瀬古が30年後にこれだけ天然ぶりを発揮して
2ちゃんでバカ呼ばわりされることになろうとは
- 5 :
- >>3
3段目と4段目はまともだが、1段目と2段めは何なの?
- 6 :
- 元祖コバンザメ
- 7 :
- 瀬古さんは黙っていれば凄い人なんだが
- 8 :
- 瀬古さんは監督をしなければ凄い人なんだが
- 9 :
- 瀬古利彦(四日市工) 高校時代主な成績
1972年(高校1年)
800m 2位 2.00.4 三重高校 6月
1500m 3位 4.11.4 三重高校 6月
800m 3位 1.57.3 東海高校 6月
800m 3位 1.54.6 山形インターハイ 8月
1500m 4.07.5 9月
3000m 2位 8.44.6 ジュニア 11月
1973年(高校2年)
1500m 5位 4.04.1 沖縄国体 5月
800m 1位 1.58.5 三重高校 6月
1500m 1位 4.08.1 三重高校 6月
5000m 1位15.57.4 三重高校 6月
800m 1位 1.57.0 東海高校 6月
1500m 1位 4.04.8 東海高校 6月
5000m 1位15.22.6 東海高校 6月
800m 1位 1.55.4 三重インターハイ 8月
1500m 1位 4.05.3 三重インターハイ 8月
1500m 1位 3.58.2 三重高校新人 9月
1500m 1位 3.55.5 千葉国体 10月
5000m 1位14.37.0 千葉国体 10月
1974年(高校3年)
1500m 7位 3.53.3 兵庫リレーカーニバル 5月
800m 1位 1.55.8 三重高校 6月
1500m 1位 3.58.4 三重高校 6月
5000m 1位15.10.6 三重高校 6月
800m 1位 1.56.6 東海高校 6月
1500m 1位 4.04.5 東海高校 6月
5000m 1位15.18.6 東海高校 6月
800m 1位 1.55.2 福岡インターハイ 8月
1500m 1位 4.01.8 福岡インターハイ 8月
5000m 2位14.56.2 福岡インターハイ 8月
800m 1.54.8 記録会 9月
1500m 1位 3.53.4 茨城国体 10月(高校新記録)
5000m 1位14.33.0 茨城国体 10月
(全国高校駅伝)
1972年 1区 10km 10位 31分38秒
1973年 1区 10km 1位 29分28秒
1974年 1区 10km 4位 30分46秒
- 10 :
- 瀬古利彦(早稲田大学) 主なトラック成績
1975年(浪人・アメリカ留学)
目立った記録なし
1976年(大学1年)
5000m 14.29.0 九大学記録会 5月
5000m 14.22.2 関東学連クラス別記録会 6月
1500m 1位 3.55.9 三重県選手権 7月
5000m 1位 14.48.8 三重県選手権 7月
1500m 1位 3.59.6 東海選手権 8月
5000m 1位 14.50.8 東海選手権 8月
1500m 1位 3.51.3 早慶対抗 9月
10000m 6位 31.04.2 インカレ 10月
5000m 1位 14.29.8 インカレ 10月
800m 3位 1.51.7 佐賀国体 10月
5000m 2位 14.23.6 佐賀国体 10月
1977年(大学2年)
5000m 1位 14.17.1 関東学生 5月
10000m 1位 29.21.2 関東学生 5月
10000m 2位 30.15.0 実業団対学生 7月
1500m 1位 3.51.9 三重県選手権 7月
5000m 1位 14.28.6 三重県選手権 7月
5000m 1位 14.12.3 東海選手権 8月
10000m 1位 30.04.7 東海選手権 8月
1500m 1位 3.51.3 早慶対抗 9月
5000m 1位 14.20.6 青森国体 10月
5000m 1位 13.56.5 インカレ 10月
10000m 1位 29.37.4 インカレ 10月
10000m 4位 28.34.8 日本選手権 10月
5000m 2位 13.49.3 日本選手権 10月
1978年(大学3年)
5000m 1位 14.20.5 東京六大学 4月
10000m 2位 28.56.1 東京選手権 4月
5000m 3位 14.16.3 東京選手権 4月
10000m 2位 28.32.5 スポニチ陸上 5月
10000m 1位 29.39.7 関東学生 5月
1500m 6位 4.03.3 関東学生 5月
5000m 2位 14.05.5 関東学生 5月
5000m 1位 13.35.8 ケルン国際(ケルン) 6月
10000m 9位 28.12.2 ワールドゲームス(ヘルシンキ)6月
10000m 1位 27.51.61 DNガラン(ストックホルム)7月
5000m 11位 13.40.49 DNガラン(ストックホルム)7月
5000m 1位 14.13.8 日中対抗 9月
1500m 1位 3.50.6 早慶対抗 9月
5000m 2位 13.57.6 日中親善 9月
10000m 2位 29.20.8 8カ国対抗 9月
5000m 1位 13.49.5 インカレ 10月
10000m 1位 28.57.0 インカレ 10月
- 11 :
- 1979年(大学4年)
5000m 1位 14.26.5 六大学対抗 4月
10000m 2位 29.34.1 関東学生 5月
5000m 3位 14.07.9 関東学生 5月
10000m 1位 28.59.2 アジア陸上 6月
10000m 1位 28.02.59 ワールドゲームス(ヘルシンキ)6月
5000m 3位 13.34.4 4カ国対抗(ブレーメン)6月
3000m 7位 7.54.9(日本新記録) 4カ国対抗(ブレーメン)6月
5000m 3位 13.37.6 オスロ国際(オスロ)
5000m 1位 13.46.8 早慶対抗 9月
5000m 2位 13.43.4 インカレ 10月
10000m 1位 28.40.6 インカレ 10月
1000m 3位 28.41.8 日本選手権 10月
瀬古利彦(早稲田大学) 主なロード・マラソン成績
1976年(大学1年)
20kmロード 3位 1時間02分40秒 箱根駅伝予選会 11月
1977年(大学2年)
マラソン 10位 2時間26分00秒 京都マラソン 2月
30kmロード 13位 1時間37分22秒 中日30kmロード 3月
20kmロード 1位 1時間01分18秒 箱根駅伝予選会 11月
マラソン 5位 2時間15分00秒1 福岡国際マラソン 12月
1978年(大学3年)
20kmロード 1位 59分40秒0 新潟20kmロード
20kmロード 1位 59分21秒8 府中多摩川20kmロード 11月
マラソン 1位 2時間10分21秒0 福岡国際マラソン 12月
1979年(大学4年)
マラソン 2位 2時間10分12秒 ボストンマラソン 4月
20kmロード 1位 59分25秒 新潟20kmロード 11月
20kmロード 1位 58分07秒1(道路日本新)府中多摩川20kmロード11月
マラソン 1位 2時間10分35秒 福岡国際マラソン
箱根駅伝
第53回大会(1977年) 2区 11位 1時間16分58秒
第54回大会(1978年) 2区 2位 1時間13分54秒
第55回大会(1979年) 2区 1位 1時間12分18秒(区間新記録)
第56回大会(1980年) 2区 1位 1時間11分37秒(区間新記録)
2区=24.4km(当時)
- 12 :
- 瀬古利彦(社会人1年目・エスビー食品) 全成績
1980年
04月27日 優勝 10000m 28分46秒9 群馬リレーカーニバル
05月05日 優勝 10000m 28分18秒6 スポニチ国際
05月17日 優勝 20000m 58分46秒0(日本新)東日本実業団対抗
07月01日 2位 5000m 13分30秒94 ビスレットゲームス
07月07日 優勝 10000m 27分43秒44(日本新)DNガラン
07月09日 3位 10000m 28分09秒42 ワールドゲームス
09月06日 優勝 5000m 13分50秒5 日中対抗
09月15日 優勝 5000m 13分46秒7 早慶戦(オープン)
09月20日 優勝 10000m 28分38秒7 八カ国陸上
09月27日 優勝 20000m 58分51秒9 全日本実業団対抗
09月28日 優勝 10000m 28分24秒6 全日本実業団対抗
11月03秒 優勝 20kmロード 59分03秒 中条ロード
11月23日 優勝 20kmロード 57分48秒5(日本最高)府中多摩川20km
12月07日 優勝 マラソン 2時間09分45秒 福岡国際マラソン
(社会人2年目・エスビー食品)
1981年
02月15日 優勝 30kmロード 1時間29分32秒 青梅マラソン(30km)
03月22日 優勝 30000m 1時間29分18秒8(世界新) 3万m記録会(ニュージーランド)
04月12日 優勝 5000m 13分58秒2 東京六大学対抗(オープン)
04月20日 優勝 マラソン 2時間09分26秒 ボストンマラソン
05月17日 優勝 10000m 28分18秒1 東日本実業団対抗
06月06日 優勝 10000m 28分44秒98 アジア陸上
06月14日 優勝 10000m 28分53秒1 神奈川選手権
07月09日 2位 10000m 27分51秒93 DNガラン
10月24日 優勝 10000m 29分37秒6 群馬秋季大会
(社会人3年目・エスビー食品)
1982年
09月15日 優勝 5000m 13分36秒1 早慶戦(オープン)
10月16日 優勝 20000m 58分29秒6(日本新)全日本実業団対抗
10月17日 2位 10000m 28分38秒9 全日本実業団対抗
(社会人4年目・エスビー食品)
1983年
02月13日 優勝 マラソン 2時間08分38秒(日本最高)東京国際マラソン
09月24日 優勝 20000m 58分18秒1(日本新) 全日本実業団対抗
11月13日 途中棄権 20kmロード 高島平ロード
12月04日 優勝 マラソン 2時間08分52秒 福岡国際マラソン
- 13 :
- (社会人5年目・エスビー食品)
1984年
04月28日 優勝 10000m 28分48秒7 東京選手権
05月12日 優勝 20000m 58分43秒0 東日本実業団対抗
05月29日 優勝 20000m 59分41秒1 記録会
08月12日 14位 マラソン 2時間14分13秒 ロサンゼルス五輪
10月21日 3位 10000m 28分32秒49 日本選手権
11月03日 2位 10000m 28分11秒25 韓国選手権
11月18日 区間1位 6区(23km) 1時間08分08秒 東日本実業団駅伝
12月18日 区間1位 6区(23.2km)1時間08分30秒 全日本実業団駅伝
(社会人6年目・エスビー食品)
1985年
05月06日 2位 10000m 28分27秒55 スポニチ国際
06月01日 優勝 20000m 57分48秒7(日本新) 東日本実業団対抗
06月22日 優勝 5000m 13分35秒4 記録会
07月02日 4位 10000m 27分42秒17(日本新)DNガラン
07月10日 優勝 10000m 27分45秒89 ローザンヌ国際
07月13日 2位 5000m 13分36秒28 パリ国際
(社会人7年目・エスビー食品)
1986年
03月16日 優勝 30kmロード 1時間29分21秒 広島平和マラソン
04月20日 優勝 マラソン 2時間10分02秒 ロンドンマラソン
06月01日 2位 10000m 28分29秒14 日本選手権
06月28日 優勝 5000m 13分33秒33 ベルシェロゲーム
07月05日 6位 10000m 27分45秒45 ビスレットゲーム
07月11日 優勝 5000m 13分24秒29(日本新)プジョー・タルボットゲーム
08月23日 優勝 10kmロード 28分56秒 パパクラ10kmロードレース
09月29日 3位 10000m 29分31秒90 ソウルアジア大会
10月26日 優勝 マラソン 2時間08分27秒 シカゴマラソン
11月16日 区間1位 7区13.8km 40分12秒 東日本実業団駅伝
12月21日 区間1位 5区17.7km 51分15秒 全日本実業団駅伝
(社会人8年目・エスビー食品)
1987年
03月08日 優勝 30kmロード 1時間28分52秒 名古屋30kmロード
04月21日 優勝 マラソン 2時間11分50秒 ボストンマラソン
05月31日 2位 5000m 13分44秒9 水戸市立競技場オープン記念
06月30日 途中棄権 10000m DNガラン
07月10日 6位 3000m 7分56秒47 プジョー・タルボットゲーム
11月15日 区間1位 4区10.45km 29分40秒 東日本実業団駅伝
(社会人9年目・エスビー食品)
1988年
03月13日 優勝 マラソン 2時間12分41秒 びわ湖毎日マラソン
10月02日 9位 マラソン 2時間13分41秒 ソウル五輪
12月18日 区間2位 5区12.95km 35分24秒 千葉国際駅伝
引退
- 14 :
- 瀬古利彦 トラック欧州遠征 全成績
1978.6.22 ケルン国際(ケルン)(5000m 優勝) 13.35.8
1978.6.28 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 9位)28.12.2
1978.7.03 DNガラン(ストックホルム)(10000m 優勝)27.51.61
1978.7.04 DNガラン(ストックホルム)(5000m 11位)13.40.49
1979.6.20 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 優勝)28.02.59
1979.6.23 4カ国対抗(ブレーメン)(5000m 3位)13.34.4
1979.6.24 4カ国対抗(ブレーメン)(3000m 7位)7.54.9 (日本新)
1979.7.05 オスロ国際(オスロ)(5000m 5位)13.37.6
1980.7.01 ビスレット国際(オスロ)(5000m 2位)13.30.94
1980.7.07 DNガラン(ストックホルム)(10000m 優勝)27.43.44(日本新)
1980.7.09 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 3位)28.09.42
1981.7.09 DNガラン(ストックホルム)(10000m 2位)27.51.93
1985.7.02 DNガラン(ストックホルム)(10000m 4位)27.42.17(日本新)
1985.7.10 ローザンヌ国際(ローザンヌ)(10000m 優勝)27.45.89
1985.7.13 パリ国際(パリ)(5000m 2位)13.36.28
1986.6.28 ベルシェロ・ゲーム(5000m 優勝)13.33.33
1986.7.05 ビスレットゲームス(オスロ)(10000m 6位)27.45.45
1986.7.11 プジョー.タルボット.ゲームス(ロンドン)(5000m 優勝)13.24.29(日本新)
1987.6.30 DNガラン(ストックホルム)(10000m 途中棄権)
1987.7.04 ビスレットゲームス(オスロ)(5000m 12位)13.38.65
1987.7.10 プジョー.タルボット.ゲームス(ロンドン)(3000m 6位)7.56.47
トラック欧州遠征結果
優勝7回、2位3回、3位2回
- 15 :
- 男子マラソン 1978年 世界10傑
1、2時間09分05秒6 宗茂(日本)
2、2時間10分13秒0 ロジャース(アメリカ)
3、2時間10分15秒0 ウェルズ(アメリカ)
4、2時間10分21秒0 瀬古利彦(日本)
5、2時間11分05秒0 喜多秀喜(日本)
6、2時間11分15秒0 チッカネン(フィンランド)
7、2時間11分17秒0 フルツ(アメリカ)
8、2時間11分25秒0 トーマス(アメリカ)
9、2時間11分43秒0 ライアン(ニュージーランド)
10、2時間11分57秒5 モイセーエフ(ソビエト)
1979年度 世界10傑
1、2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ)ボストン
2、2時間10分00秒 スメ(ベルギー)ベルギー選手権
3、2時間10分12秒 瀬古利彦(日本)ボストン
4、2時間10分20秒 ウェルズ(アメリカ)ナイキ
4、2時間10分20秒 サンドバル(アメリカ)ナイキ
6、2時間10分37秒 宗茂(日本)福岡国際
7、2時間10分40秒 宗猛(日本)福岡国際
8、2時間10分51秒 フォード(イギリス)福岡国際
9、2時間10分54秒 ロドウィック(アメリカ)ナイキ
10、2時間11分13秒 クアックス(ニュージーランド)ナイキ
1980年度 世界10傑
1、2時間09分01秒 ネイブール(オランダ) 4月アムステルダム1位
2、2時間09分41秒 サラザール(アメリカ) 10月ニューヨーク1位
3、2時間09分45秒 瀬古利彦 (日本) 12月福岡国際1位
4、2時間09分49秒 宗猛 (日本) 12月福岡国際2位
5、2時間10分05秒 伊藤国光 (日本) 12月福岡国際3位
6、2時間10分09秒 ヘンリー (オーストラリア) 12月福岡国際4位
7、2時間10分14秒 ゴメス (メキシコ) 10月ニューヨーク2位
8、2時間10分19秒 サンドバル(アメリカ) 5月ナイアガラ1位
9、2時間10分20秒 ビヨクルンド(アメリカ)6月ドゥルーズ1位
10、2時間10分23秒 宗茂 (日本) 12月福岡国際5位
- 16 :
- 1981年度 男子マラソン世界10傑
1、2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)12月福岡国際1位
2、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本) 4月ボストン1位
3、2時間09分28秒 グラハム(イギリス) 4月ロッテルダム1位
4、2時間09分36秒 ベアーズレー(アメリカ) 6月ドゥルース1位
5、2時間09分37秒 伊藤国光(日本) 12月福岡国際2位
6、2時間10分19秒 宗茂(日本) 12月福岡国際3位
7、2時間10分26秒 バージン(アメリカ) 4月ボストン2位
8、2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ) 4月ボストン3位
9、2時間11分00秒 ゴメス(メキシコ) 2月東京国際1位
10、2時間11分10秒 バルチャ(エチオピア)
1983年 男子マラソン世界10傑
1、2時間08分37秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 4月ロッテルダム1位
2、2時間08分38秒 瀬古利彦(日本) 2月東京国際1位
3、2時間08分39秒 ロペス(ポルトガル) 4月ロッテルダム2位
4、2時間08分55秒 宗猛(日本) 2月東京国際2位
4、2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア) 12月福岡国際2位
6、2時間08分59秒 ディクソン(ニュージーランド) 10月ニューヨーク1位
7、2時間09分00秒 マイヤー(アメリカ) 4月ボストン1位
8、2時間09分08秒 スミス(イギリス) 10月ニューヨーク2位
9、2時間09分11秒 宗茂(日本) 12月福岡国際3位
10、2時間09分12秒 ゴメス(メキシコ) 2月東京国際3位
1986年 男子マラソン世界10傑
1、2時間07分35秒 児玉泰介(日本) 10月北京国際1位
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(オーストラリア)4月ボストン1位
3、2時間07分57秒 伊藤国光(日本) 10月北京国際2位
4、2時間08分04秒 シンク(南アフリカ) 5月ポートエリザベス1位
5、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)2月東京国際1位
6、2時間08分15秒 ムトロ(南アフリカ) 5月ポートエリザベス2位
7、2時間08分21秒 中山竹通(日本) 10月ソウルアジア大会1位
8、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本) 10月シカゴ1位
9、2時間08分29秒 デンシモ(エチオピア) 2月東京国際2位
10、2時間08分39秒 メコネン(エチオピア) 2月東京国際3位
- 17 :
- 1980年度 10000m 世界10傑
1、27.29.16 クレッグ・バージン(アメリカ)
2、27.31.38 ヘンリー・ロノ(ケニア)
3、27.37.88 フェルナンド・マメーデ(ポルトガル)
4、27.42.70 ミルツ・イフター(エチオピア)
5、27.43.44 瀬古利彦(日本)
6、27.44.30 カールロ・マーニンカ(フィンランド)
7、27.44.58 アレクサンドル・アンチポフ(ソビエト)
8、27.44.70 ケディル・モハメッド(エチオピア)
9、27.46.50 コツ・トロッサ(エチオピア)
10、27.46.71 ビル・スコット(イギリス)
1981年度 10000m 世界10傑
1、27.27.70 フェルナンド・マメーデ(ポルトガル)
2、27.38.43 ヴェルナー・シルドハウア(東ドイツ)
3、27.39.44 ケディル・モハメッド(エチオピア)
4、27.40.69 アルベルト・サラザール(アメリカ)
5、27.40.78 ヘンリー・ロノ(ケニア)
6、27.42.70 ベナンチオ・オルティス(イタリア)
7、27.43.76 ジョフリー・スミス(イギリス)
8、27.45.50 マルッチ・バイニオ(フィンランド)
9、27.47.25 ビル・マックチェスニー(イギリス)
10、27.47.54 ジュリアン・ゴーター(イギリス)
13、27.51.93 瀬古利彦(日本)
1985年度 10000m 世界10傑
1、27.37.17 ビックフォード(アメリカ)
2、27.40.58 ニーナウ(アメリカ)
3、27.41.05 アイストーン(アメリカ)
4、27.41.09 マメーデ(ポルトガル)
5、27.42.17 瀬古利彦(日本)
6、27.43.90 キゲン(ケニア)
7、27.44.65 パネッタ(イタリア)
8、27.45.00 エレラ(メキシコ)
9、27.45.80 ピタヨ(メキシコ)
10、27.49.36 コバ(イタリア)
- 18 :
- 1986年 10000m 世界10傑
1、27.20.56 ネナウ(アメリカ)
2、27.26.11 アウイタ(モロッコ)
3、27.34.67 クンチェ(東ドイツ)
4、27.39.52 アンチボ(イタリア)
5、27.43.31 キプコエチ(ケニア)
6、27.43.89 ハイネ(東ドイツ)
7、27.43.97 メイ(イタリア)
8、27.44.53 ムゲ(ケニア)
9、27.44.57 バイニオ(フィンランド)
10、27.45.45 瀬古利彦(日本)
トラック20000m 世界歴代10傑
1、56分55秒6 バリオス(メキシコ) 91.3
2、57分18秒4 Diカストロ(ポルトガル) 90.3
3、57分24秒19 ヘルメンス(オランダ) 76.5
4、57分28秒7 サッケリー(ドイツ) 90.3
(57分31秒8 ヘルメンス 75.9)
5、57分44秒4 ローランツ(ベルギー) 72.9
(57分48秒4 ヘルメンス 75.9)
6、57分48秒7 瀬古利彦(日本) 85.5
7、58分01秒8 金井豊(日本) 85.5
8、58分05秒3 ニャンギンチャ(ケニア) 91.3
9、58分10秒8 キプロティッチ(ケニア) 91.3
10、58分18秒4 イツウェル(フランス) 90.3
トラック30000m 世界歴代記録
1、1.29.18.8 瀬古利彦(日本)80年
2、1.29.57.3 新宅雅也(日本)80年
3、1.31.40.4 アルダー(イギリス)70年
4、1.31.39.0 スクリプニク(ソビエト)72年
5、1.31.50.0 ロジャース(アメリカ)79年
6、1.31.53.2 ショヴェリエ(フランス)92年
7、1.31.56.4 ジョンストン(イギリス)70年
- 19 :
- GORO/瀬古特集 (1980) ※再アップ(アップローダーを変更しました)
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- 20 :
- 瀬古さんは解説の仕事さえしなければ凄い人なんだが
- 21 :
- 瀬古 VS モスクワ五輪覇者チェルピンスキー
第15回 福岡国際マラソン レース展開
1980年12月7日 晴れ 気温12度、湿度50% 北西の風1m
(後半部)
30km−キャステラ(豪州)を先頭に集団は10人。1時間33分03秒で
この間は15分08秒。徐々にペースが上がってくる。
31km−8月のモスクワ五輪で連続金メダルを獲得したチェルピンスキー(東ドイツ)
がスパート。 ピッタリマークしていた瀬古が後ろにつく。
ここで喜多、武富、キャステラが脱落。
32.5km− 瀬古が伊藤の足を引っ掛けてしまい、伊藤転倒。
瀬古が走りながら伊藤に謝る。
33km−先頭はチェルピンスキー、ペファー(米国)、ヘンリー(豪州)、瀬古、
宗猛、伊藤の6人。 宗茂が後退する。
33.7km− 伊藤が強めのスパート。転倒してすぐとは思えない余力。
一気に外国招待3選手が交代。
ついに五輪王者・チェルピンスキーが遅れだす。
伊藤が瀬古、宗猛を振り切ろうと左、右にコースを変え、ジグザグを描く。
35km−1時間47分48秒(14分45秒)ハイペースに。
伊藤の健闘が光る。
39km−橋の上がりかけで宗猛がスパート。伊藤国光が苦しい。
少しずつ遅れ始める。ついに伊藤も後退。
40km−2時間03分08秒(15分08秒) 前半の遅れを完全に挽回して
9分台の可能性が出てきた。
宗猛と瀬古の2人の優勝争いは平和台競技場の目の前に。
マラソンゲート50m先で瀬古が一気にスパート。みるみる宗猛に20mの差をつける。
スタンドは2万5千人の大歓声。
危なげない瀬古の走りで優勝。2時間09分45秒と瀬古自身初のサブテンを記録。
必死に食らいついた宗猛は4秒差で2位。宗猛もサブテンを記録した。
五輪優勝者・チェルピンスキーはゴール直前で宗茂にかわされ6位。
瀬古、宗兄弟のモスクワ五輪代表組は3人ともチェルピンスキーに勝つ結果になった。
- 22 :
- 15回 福岡国際マラソン 成績
1、2時間09分45秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、2時間09分49秒 宗猛(旭化成)
3、2時間10分05秒 伊藤国光(鐘紡)
4、2時間10分09秒 ヘンリー(オーストラリア)
5、2時間10分23秒 宗茂(旭化成)
6、2時間10分24秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
7、2時間10分29秒 ペファー(アメリカ)
8、2時間10分44秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間11分27秒 武富豊(神戸製鋼)
10、2時間11分35秒 キャノン(イギリス)
11、2時間12分35秒 ヘフナー(アメリカ)
12、2時間13分25秒 ダーデン(アメリカ)
13、2時間13分35秒 リスモン(ベルギー)
14、2時間13分56秒 弓削裕(旭化成)
15、2時間14分37秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
16、2時間14分38秒 エバーディング(東ドイツ)
17、2時間14分50秒 デュレンベヒャー(西ドイツ)
18、2時間15分15秒 川口孝志郎(中京大)
19、2時間15分19秒 引間金夫(新日鉄)
20、2時間15分23秒 ウイッティ(オーストラリア)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km 15.27
10km 31.05(15.38)
15km 46.48(15.43)
20km 1.02.41(15.53)
中間点 1.06.15
25km 1.17.55(15.14)
30km 1.33.03(15.08)
35km 1.47.48(14.45)
40km 2.03.08(15.20)
2.195km (6.37)
2時間09分45秒 日本歴代2位 世界歴代8位
- 23 :
- 瀬古―海外初制覇
第85回 ボストンマラソン レース展開
1981年4月21日 午前9時 スタート 気温9度 北西の風0.9m
6848人参加
参加日本人選手 瀬古利彦(エスビー食品)
喜多秀喜(神戸製鋼)
松尾正雄(九州電工)
スタートー ファネリー(アメリカ)が果敢に飛び出す。最初の1マイルを
4分37秒。5kmは14分33秒で通過。
瀬古、喜多、ロジャース(アメリカ)を含む集団40人は15分01秒。
10km−ファネリーが29分21秒。集団との差は約1分。後続集団ではタブ(アメリカ)が前に出てくる。
15km−ファネリー44分51秒。ペースが落ちてくる。しかし後続集団は約400m
遅れの46分02秒で通過。
ファネリーは観衆に手を上げたり、車椅子ランナーを追い抜くたびに肩を
叩いたりしてパフォーマンスが過剰。
20km−60分40秒。 後続とは45秒差。
中間点ー63分52秒。徐々に差が詰まり始め、300m差に。
後続集団から喜多が遅れ始める。松尾はすでに脱落。
25km−1時間16分01秒。ファネリーの足取りが重い。ついに後続の差は100m。
26km−後続集団からアメリカのメイアーが出て集団をリードしてファネリーを
抜き去る。ファネリーは降参したような表情。
後続集団はすでに瀬古、ロジャース、バージン(アメリカ)、チェトル(オース
トラリア)、ペファー(アメリカ)、イースト(アメリカ)に絞られる。
27km−メイアーが後続6人を30mリード。 ペファーが集団から脱落。
28km−ついに優勝候補のロジャースが集団から後退し始める。イーストとともに脱落。
30km−メイヤー1時間31分32秒。 瀬古、バージン、チェトルが6秒差。
- 24 :
- 31km―メイヤーが3人に捕まり後退。3人の優勝争い。
ハートブレイク・ヒルに差し掛かる頃、チェトルが脱落。瀬古とバージンが並ぶ。
ヒルの中間でチェトルは50m差。ロジャースが後続で粘り、メイヤーを獲らえる。
その後ろ30mでイースト。
ついにバージンが先頭へ。瀬古がバージンの後ろへ。
ハートブレイク・ヒルの頂点から瀬古が前に出て、ペースを上げる。
ここで2人のスピードランナーによる強烈なスピードアップ。
35km−1時間46分54秒。
36km−バージンがスパート。瀬古がピッタリと背後につく。バージンの顔が苦しく
なる。瀬古は無表情。
ビーコン通りに出る90度の左折で瀬古が強烈なスパート。
あわててバージンが追ったが、アッという間に差がつく。
ロジャースがメイヤー、チェトルを抜き去り3位に浮上。
40km−2時間02分06秒。世界最高クレイトンとの差は11秒。
昨年、福岡のラストを換算すると2時間08分43秒に。世界最高の
期待が高まる。しかし瀬古もかなり苦しい表情。アゴが上がってきた。
あと1kmで2時間06分19秒。8分台の期待は消える。
ゴールー2時間09分26秒。瀬古海外で初優勝。79年ロジャースの大会記録
2時間09分27秒を1秒最新する世界歴代5位。
2位には同年1万m世界ランキング1位の新鋭・バージンが入り、
3位にロジャース。
- 25 :
- 85回 ボストンマラソン 成績
優勝、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本)(日本歴代2位、世界歴代5位)大会新
2位 2時間10分26秒 バージン(アメリカ)
3位 2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ)
4位 2時間11分33秒 ロドウィック(アメリカ)
5位 2時間11分35秒 イースト(アメリカ)
6位 2時間11分52秒 トイボラ(フィンランド)
7位 2時間12分01秒 リンド(アメリカ)
8位 2時間12分23秒 チェトル(オーストラリア)
9位 2時間12分31秒 ヘフナー(アメリカ)
10位 2時間12分55秒 ガルシア(コロンビア)
50位 2時間18分45秒 松尾正雄(日本)
97位 2時間22分25秒 ファネリー(アメリカ)
620位 2時間36分59秒 喜多秀喜(日本)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km 15.01
10km 30.21(15.20)
15km 46・02(15.41)
20km 1.01.25(15.23)
25km 1.16.24(14.59)
30km 1.31.38(15.14)
35km 1.46.54(15.14)
40km 2.02.06(15.12)
2.195km(7.22)
2時間9分26秒
- 26 :
- ロサンゼルス五輪選考会
第18回(当時) 福岡国際マラソン レース展開
1983年12月4日(日) 快晴(気温13.5度、湿度50% 風2.5m)
平和台陸上競技場―雁ノ巣折り返し
外国招待17人、国内招待9人 総勢147人
スタートー 400mを70秒で通過後、イカンガーを先頭にロードへ
15kmでは30人の大集団。
25kmではイカンガー(タンザニア)、ペーター(東ドイツ)、サラザール(東ドイツ)
瀬古利彦、宗茂、宗猛、伊藤国光、喜多秀喜、千葉正秋 の9人。
チェルピンスキー、ハイルマン(ともに東ドイツ)、エッジ(カナダ)、前年の覇者
バリンジャー(ニュージーランド)、川口孝志郎、西村義弘、武富豊が第2集団。
さらに後方の第3集団に須永宏、工藤一良、児玉泰介。
28km−千葉とペーターが後退。
ここで瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の五輪候補のみが残る。イカンガーの先頭は
相変わらずイカンガー、続いてサラザール。
30km−1時間31分53秒(この間は15分13秒)
31km−喜多がついに遅れ始める。約50m遅れる。
33km−喜多が脅威の追い上げ。集団に返り咲き、また7人に。
35km−1時間47分11秒(15分18秒)
ここで再び喜多が脱落。
先頭はイカンガー、続いてサラザール。そのサラザールをピッタリマークの
瀬古がその後ろ。宗茂が後方で口をパクパクし苦しそうな表情。
残り3kmを2時間0分4秒で通過の後、ついに宗茂が5m、10mと遅れ始める。
15mと差がつく。
- 27 :
- 39.8km−イカンガーがスパート。瀬古がサラザールマークからイカンガーに
に切り換え、背後につく。その後方にサラザールと宗猛。その後方に
伊藤国光。伊藤の首が振れ始め苦しそう。その20m後方に宗茂。
40km−2時間02分30秒(15分19秒)
勝負はイカンガーと瀬古に絞られる。
41km−40km地点で伊藤に20m差をつけられていた宗茂が脅威の追い上げ。
伊藤をかわしてサラザール、宗猛と抜き去り3位へ。
平和台陸上競技場― 第4コーナーから瀬古が強烈なスパート。競技場は「ウォー」
と地鳴りのような歓声。瀬古優勝。2位イカンガー。
残り2.195kmを6分22秒。ラスト5kmを14分40秒でカバーし
福岡4回目の優勝。優勝タイム2時間08分52秒は世界歴代6位相当に記録と
なった。宗茂が3位。猛が4位。世界最高記録保持者のサラザールは5位に終わる。
6位伊藤国光までがサブテンで当時としては最多サブテン記録レースとなる。
7位喜多秀喜も自己最高記録。
- 28 :
- 18回福岡国際マラソン レース結果
1、 2時間08分52秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)
3、 2時間09分11秒 宗茂(旭化成)
4、 2時間09分17秒 宗猛(旭化成)
5、 2時間09分21秒 サラザール(アメリカ)
6、 2時間09分35秒 伊藤国光(カネボウ)
7、 2時間10分30秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
8、 2時間11分48秒 エッジ(カナダ)
9、 2時間11分49秒 ハイルマン(東ドイツ)
10、2時間12分51秒 児玉泰介(旭化成)
11、2時間13分31秒 須永宏(日本電気HE)
14、2時間14分15秒 中山竹通(ダイエー)
15、2時間15分13秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
17、2時間15分36秒 武富豊(神戸製鋼)
19、2時間16分14秒 工藤一良(リッカー)
21、2時間16分59秒 ペーター(東ドイツ)
22、2時間17分31秒 浜田安則(京セラ)
23、2時間17分38秒 渋谷俊浩(筑波大)
25、2時間17分43秒 仙内勇(ダイエー)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km―15分18秒
10km―30分37秒(15分19秒)
15km―45分53秒(15分16秒)
20km―1時間01分30秒(15分37秒)
中間点―1時間04分54秒
25km―1時間16分40秒(15分10秒)
30km−1時間31分55秒(15分15秒)
35km−1時間47分12秒(15分17秒)
40km−2時間02分30秒(15分18秒)
2.195km−6分22秒
ゴールー2時間08分52秒
残り5km地点通過−1時間54分12秒(ラスト5km 14分40秒)
残り3km地点通過―2時間00分04秒(ラスト3km 08分48秒)
- 29 :
- 瀬古 生涯自己記録
1986 シカゴ・アメリカズマラソン レース展開
1986年10月26日 午前8時45分スタート 気温13度 湿度93%
約1万2000人参加
参加メンバー
瀬古利彦(日本)
サラ(ジブチ)(85年W杯広島, 87年W杯ソウル優勝、元世界歴代2位)
ゴメス(メキシコ)(モスクワ五輪6位)
スペディング(イギリス)(ロス五輪銅メダリスト)
ムショキ(ケニア)(ハーフマラソン世界記録保持者)
ロノ(ケニア)(元1万m世界記録保持者、3000m障害世界記録保持者)
バイニオ(フィンランド) (ロス五輪1万代表)
スタートー 前半からタンザニアのジョン・ブラが集団を引っ張り5kmを通過。
瀬古以下先頭集団は8kmでブラを飲み込む。すでにスペディングは第二集団。
先頭集団は8人。瀬古、ホセ・ゴメス(メキシコ)、ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)、サラ、
アルカラ(メキシコ)、ブラ(タンザニア)、バイニオ、ムショキ。
ペースは15分をちょっとオーバーする程度。やや物足りないものの、それほど
遅いとも思わないペースで中盤へ。
20km−5人 通過は1時間00分21秒。世界最高のロペスに10秒遅いペース。
25km−15分21秒。ペースが遅くなり、たまらず瀬古がペースを上げる。
その瀬古について来たのはサラのみ。2人の一騎打ちになる。
30kmは瀬古のペースアップにより15分01秒。サラが瀬古にぴったりつく。
しかしサラの表情が険しくなる。瀬古はサラを観察するしぐさが増える。
35kmで瀬古が再度ペースアップ。すでにサラはついていける余裕はなく脱落。
瀬古の独走が始まる。
35kmでロペスの世界最高から51秒遅れ。世界最高は苦しいがしきりに左腕の
時計を見るしぐさが多くなる。7分台が狙えるペース。
40km−ペースアップの影響で15分10秒。ここで瀬古の表情が苦しいものに変わる。
足取りはしっかりしているものの、ピッチとストライドがかなり落ちてくる。
26マイル表示板の前をすでに2時間7分台で通過。
ゴールー 2時間08分27秒 世界歴代10位でのゴール。
2位にサラ、3位には後半追い込んだスペディングが入った。
- 30 :
- 1986年 シカゴ・アメリカズマラソン 成績
1、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間09分57秒 サラ(ジブチ)
3、2時間10分13秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分30秒 ムショキ(ケニア)
5、2時間11分17秒 ステファニー(西ドイツ)
6、2時間13分36秒 ブラ(タンザニア)
7、2時間13分59秒 ウイリアムス(アメリカ)
8、2時間14分27秒 ダハート(アメリカ)
9、2時間14分58秒 ホセ・ゴメス(メキシコ)
10、2時間15分02秒 ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)
26、2時間19分12秒 ロノ(ケニア)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km−15分00秒
10km−30分07秒(15分07秒)
15km−45分16秒(15分09秒)
20km−1時間00分21秒(15分05秒)
25km−1時間15分43秒(15分22秒)
30km−1時間30分44秒(15分01秒)
35km−1時間46分06秒(15分22秒)
40km−2時間01分16秒(15分10秒)
2,195km−7分11秒
ゴールー2時間08分27秒(日本歴代4位、世界歴代10位)
- 31 :
- >>19
何これ大嘘じゃねーかw
自分の著書には高校時代は朝練もなくて殆ど練習しなかったって言ってるのに
- 32 :
- 東京マラソン(1983)関連記事
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- 33 :
- 現役時代を見てみたかったな
解説だけだと凄い人には見えないからなあ
- 34 :
- 久しぶりに87年ボストンのVTRを引っ張り出して見たよ。
霧の影響で35km近くまで固定カメラしかなく断片でしかわからないが
前半あまりのスローで道幅一杯に集団が広がっていた。
後半、瀬古がスパートして間のない映像を映していたが、
あれだけスローなのに脚を使っているのか
心理戦で消耗してるのか、他のランナーがまったく瀬古に付けなかった。
その後、回線がつながり37km以降は移動カメラが瀬古をとらえた。
40km過ぎは脚に疲れがきてたみたいだが、今見返すと余裕を持っての
スパートだったようだ。
スポーツライター 小林俊一氏が当時のボストンについて記した内容がある。
「91回ボストンマラソンは4月20日開催される。
今の世界の最強メンバーを揃えたといってもおかしくない
ほどの豪華な顔ぶれでスタートのピストルが鳴らされる。
各大陸から5強が集まったみたいでレース前の
評判はいやがうえにも盛り上がったというもの。
レース前に2回行われた共同記者会見など、内外記者が
ざっと数百人。日本からも100人は下らなかったのではなかろうか。
ジョーンズ、キャステラ、イカンガー、トレーシー、それに瀬古。
レース2日前あたりから、競馬のオッズよろしく記者の間で連勝複式の
馬券がひそかに噂された。
その中で一番有力だったのが瀬古とイカンガー、
それにトレーシーがかむ組合せ。ジョーンズは世界クロカンで
80番台がひびいて一歩人気がない。キャステラは顔見せに来ただけとか
記者なんて適当なもの。
真剣なランナーを差しおいていいたい放題だった。
最後に文句なく世界一の座についた勝者.瀬古に一言言わせていただきたい。
ゴール前、あきらかに勝負がついているのに再三、後ろを振り返りましたね。王者らしく一点を見つめて
前に前に出てほしい。」(中略)
- 35 :
- 87年5月号 月刊陸上 ボストン特集 抜粋
33km過ぎ、それまでのスローペースに満を持じていた瀬古がスパート。
意を決してスパートした瀬古にスミス(3位)、ジョーンズ(2位)とも
あっという間に置き去り。世界一のスピードがいかんなく発揮された。
誰も、積極的にスパートをしない。「ここだ!」瀬古が勝負に出たのは33km付近。
カミソリの切れ味は天下一品で並走していたスミス、ジョーンズらとの差は
たちまち広がる。
あとはゴール目指してひた走り。瀬古のスパートにかなう者はいないという定評通り
快調なピッチを保ってボストン図書館のゴールは飛び込んだ。
2時間11分50秒という記録は平凡だが、並みいる強豪たちに競り勝った自身は大きい。
(以下 略)
- 36 :
- 瀬古―ボストン2度目の優勝
1987年4月20日 第91回ボストンマラソン レース展開
気温12度、湿度95% 4−5mの向かい風 6279人参加
テレビ東京系 衛星生中継
(実況)土居壮 (解説)高橋進
(参加選手)
瀬古利彦(日本)
S・ジョーンズ(イギリス)(元世界記録保持者、当時世界歴代2位)
イカンガー(タンザニア)(84ロス五輪6位)
ド・キャステラ(オ-ストラリア)(90回大会優勝、83世界陸上優勝、84ロス五輪5位)
トレーシー(アイルランド)(78世界クロカン優勝、84ロス五輪銀メダリスト)
スミス(イギリス)(88、89回大会優勝)
ロジャース(アメリカ)(79,82,83,84回大会優勝)
ビックフォード(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング1位)
アイストーン(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング3位)
カマウ(ケニア)(84年シカゴ4位)
ヘルビック(ベルギー)(のちの90年びわ湖毎日優勝)
谷口伴之(エスビー食品)、喜多秀喜(神戸製鋼)、武田裕明(日大)、
高橋養次(日立電線)
スタートー直後、キャステラが整理用ロープに足を引っ掛け転倒。
メイダー(アメリカ)が飛び出す。1マイル4分45秒。
イカンガーを先頭の大集団は50m差。
メイダーに代わり、グレイ(アメリカ)が先頭に出る。
5km−60−70人の大集団は15分09秒。
強豪が牽制し、また向かい風の為、ペースがなかなか上がらない。
テレビ中継は濃霧のため、飛べず固定カメラのみの映像。
8km−アシュランド地点。道幅いっぱいに集団が広がる。ロジャースも集団の中。
10km−30分49秒。ラップが30秒遅くなる。
11km−グレイがリード。 100m後続で16−17人の集団。
15km−46分58秒。スピードのあるビックフォードが先頭も依然、膠着状態。
15分40−16分10秒の間のスローな展開が続く。
スミス、ジョーンズのイギリス勢は会話を交わしたりし、余裕の表情。
ネイティック地点
集団には瀬古、ジョーンズ、イカンガー、キャステラ、スミス、トレーシー、谷口、喜多、
アブラファ(エチオピア)、ゴードン(アメリカ)、ビックフォード、カマウ、ウンバーグ(スイス)、ヘレビックなど。 喜多は最後方で遅れ気味。
(高橋)「せっかく世界の強豪が集まっているのにもったいないですね。
期待の世界最高は望み薄になりましたね。」
- 37 :
- 心臓破りの丘に差し掛かり始める。
32km−スルスルと瀬古が前に出て、集団は縦長の展開。ペースが上がる。
(土居)「(画面が切り替わって)これは男子のトップですかね? 瀬古ですね これは!
(高橋)「瀬古がね・・出ましたねぇ」
(土居)「瀬古がついにトップに出ました。まもなく心臓破りの丘でしょう。」
300m後、再度、瀬古がギアチェンジ。上がり坂で後続は苦しい。
集団は解体。瀬古―スミスージョーンズの順。トレーシー、アブラファ、谷口あたりが
ジョーンズの後ろ。イカンガー、キャステラが遅れる。
34kmでスミス、遅れてジョーンズ2人に160m差をつける。
その100m後ろがトレーシー、アブラファ、谷口の集団。
30−35kmの上がり坂主体となる区間を14分58秒で走破。
38km地点。 ヘリコプターの回線が普及。移動中継が始まる。 瀬古の独走映像。
(高橋)「楽に走ってますね」
「まぁ、このままいってせめて11分は切ってもらいたいですね」
40km−2時間04分48秒 この間15分08秒。
沿道は3重4重の人垣。
谷口がゴードンと4位争いを展開。
ジョーンズがスミスに追いつき2位争いが激しくなる。
(高橋)「どうも2時間11分台に終わりそうですね。」
ゴール地点
(土居)「2時間11分台・・ まもなくゴールを迎えます。 瀬古!
ゴールまですでに100mを切っています。変わらぬ足取り。
表情ひとつ変えません。日本の瀬古。
まもなくゴールを迎えます! ガッツポーズ!瀬古優勝です。
91回ボストンマラソン2度目の優勝であります」
2時間11分50秒。ボストン2度目の優勝。
残り150mでジョーンズがスミスをかわして2位に上がる。スミスが3位。
日本勢では谷口が5位、喜多が9位。
瀬古は優勝賞金4万ドル(当時・580万円)、ベンツを獲得。
- 38 :
- 91回(1987年4月) ボストンマラソン 成績
1、2時間11分50秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間12分37秒 S・ジョーンズ(イギリス)
3、2時間12分42秒 スミス(イギリス)
4、2時間13分30秒 ゴードン(アメリカ)
5、2時間13分40秒 谷口伴之(日本)
6、2時間14分24秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
7、2時間15分02秒 バンダーハーデン(ベルギー)
8、2時間15分16秒 ヘルビック(ベルギー)
9、2時間15分23秒 喜多秀喜(日本)
10、2時間15分41秒 マーチン(アメリカ)
11、2時間16分17秒 イカンガー(タンザニア)
14、2時間17分50秒 トレーシー(アイルランド)
15、2時間18分18秒 ロジャース(アメリカ)
18、2時間19分03秒 高橋養次(日本)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km 15分09秒
10km 30分49秒(15分40秒)
15km 46分58秒(16分09秒)
20km 1時間02分54秒(15分56秒)
25km 1時間18分56秒(16分02秒)
30km 1時間34分42秒(15分46秒)
35km 1時間49分40秒(14分58秒)
40km 2時間04分48秒(15分08秒)
2.195km 7分02秒
2時間11分50秒
- 39 :
- >>33
今の日本勢がからっきし勝負にならないから
瀬古さんの現役見たかったに同意
海外主要マラソンに日本勢が勝てる日はもう二度とこないのかねえ。
- 40 :
- 一番肝心の五輪でこけたのが残念。ラドみたいだな。
- 41 :
- 白ばっかじゃんwww
カーリング世界一決定戦並みwww
- 42 :
- 改めて瀬古利彦氏の凄さを認識しました。
日本男子長距離界では、不世出のランナーですね。
- 43 :
- ボストン・マラソン(1987) 関連記事
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- 44 :
- 福岡国際マラソンで当時、1966年を1回大会としたのはすでに何回か
記載済みになっているが、その第1回から現在までで日本選手が10位以内に入った
回数を調べてみた。
福岡国際10位入賞回数(5回以上)
1、宗猛 7回 (73年(7位)、75年(6位)、77年(9位)、79年(3位)、80年(2位)、81年(5位)、83年(4位)
1、伊藤国光 7回 (79年(8位)、80年(3位)、81年(2位)、82年(4位)、83年(6位)、84年(5位)、85年(3位)
3、宗茂 6回 (76年(4位)、78年(3位)、79年(2位)、80年(5位)、81年(3位)、83年(3位)
4、上岡忠明 5回 (66年(9位)、68年(3位)、70年(7位)、73年(8位)、74年(7位)
4、宇佐美彰朗 5回 (66年(10位)、68年(5位)、70年(1位)、71年(2位)、74年(6位)
4、瀬古利彦 5回 (77年(5位)、78年(1位)、79年(1位)、80年(1位)、83年(1位)
4、喜多秀喜 5回 (78年(2位)、82年(2位)、83年(7位)、88年(5位)、90年(8位)
80年代中盤までの福岡国際は間違いなく世界最高峰の国際レース。
79年のボストンでは地元放送も瀬古のことを「78年の世界チャンピオン
の瀬古」と紹介しているほど。
中山、児玉、谷口が3回。新宅が2回。君原は国際マラソンになってからは相性が良くなく
72年の5位の1回しか記録していない。
上の表のメンバーは今まで名が多く挙がっている名ランナーばかり。
特に宗兄弟は長きに渡って福岡国際を走っていた印象がある。
そんな中で、上岡忠明(東洋工業ー神戸製鋼)の活躍が目に留まる。
中堅選手として大崩れしない堅実な走りを福岡で披露。
ベストレースは68年の国際マラソン、アドコックス、采谷と中盤まで
先頭集団を形成した走りで2時間13分37秒6。
このような選手が統計で歴代選手の中に入ってくると、懐かしくかつ
嬉しいような気がする。
瀬古の5回走って4回優勝、1回は日本人最上位(77年5位)という結果はやはり偉大ではある。
- 45 :
- 日本で世界最高の大会が開かれるなんてゴミみたいな時代だったんだなw
- 46 :
- >>45
書物を見ると、1960年代初頭に日本から世界陸連にマラソンの世界選手権
を開催してほしいと要請したようだ。
いろいろあってマラソンのみ世界選手権という冠はつけられないが、
12月の年末にその年の各国際マラソンの優勝者や五輪のメダリスト、
入賞者が招待されて世界一を決める大会となったよう。
国際陸連も「ワールドチャンピオンシップマラソン」と名称をつけた。
そのため、世界中のランナーは福岡招待出場、そして優勝が目標と
なった。68年の大会ではデトロイトで世界歴代5位で走りながら
ドレイトンは実績不足で招待選手になれず、一般参加していた。
1回大会(1966年)から19回(1984年)の初期のコース(平和台陸上競技場〜
海の中道ー雁ノ巣折り返し)までは優勝タイムがすべて年度世界10傑入り
(19年連続)している。
その後、世界の賞金レースに後れをとり、取り残された印象。
- 47 :
- >>43あの87ボストンに世界中から強豪が揃ったのは この年からボストンが賞金に
踏み切ったこともある。 同じ時期に開催されるロッテルダムが賞金をモノに
有名どころを引っ張り、 ある時期、ボストンのレベルが停滞していた。
あの87大会では生命保険会社がスポンサーとなり高額の賞金を確保。
伝説となるほどのメンバーを揃えることが出来た。 日本は当時、賞金=NO
の時代だったため、 瀬古が獲得した賞金及びベンツの処遇で一時期もめていた。
「陸連が預かり引退後に渡してはどうか」みたいな大バカ論議を真剣にやっていたよ
- 48 :
- >>46
雁ノ巣折り返しの道の狭さと三角の簡易な折り返しポールは懐かしいよ。
あとチェックポイントごとの通過した選手のゼッコケンを確認する係員。
今はコンピューターだろうが当時は並走してトランシーバーで伝えてたもんな。
- 49 :
- http://www.youtube.com/watch?v=crMEjmZSZ5Q
87年ボストンの動画はこれだね。
名白楽・高橋進の解説は懐かしいな。
- 50 :
- >>49
カメラに向けて愛敬振りまくなんて今の瀬古彷彿するww
しかし強い。 黒人層薄くともたいしたもんだ
- 51 :
- 瀬古のジンクスにゼッケンに9が入っていると勝つというのがあったね。
初優勝の福岡が「9」、翌年のモスクワ選考会もたしか「9」、3連覇福岡が「119」
日本最高を出した東京国際が「69」、福岡でのロズ輪選考会が「29」 で81年のボストン時の「2」
以外は事如く9が入っていた。ロスでは残念ながら9は入らず。それ以降は9の入った
ゼッケンはなくなった。
- 52 :
- 五輪は残念だったね。体調不良だっけ。
- 53 :
- >>44 既に80年代に入って82年、84-86年も気の抜けたビールみたいなレース
だった。81年でも世界最高(といっても当時は歴代2位との報道)が結果的に
出たから良かったものの瀬古は出ないし、当時最強と目されたサラザールも
ゴメスも出ないので福岡には斜陽の色が強く出ていた。皮肉にもゴメスは
81年の東京で走って実力を見せつけていた。福岡の斜陽に東京マラソンの
出現が加担したのは間違いない。またBoston、NYCが隆盛になると同時に
80年代に入って82年にロンドンが始まり、83年のロッテルダムには日本以外
の超一流選手を集めたマラソンになり、日本が極東の辺境に追いやられた
ことが決定的になった。それの先棒を担いだのが他ならぬ瀬古の海外マラソン
志向とマスコミの欧米崇拝。このように時代を読み切れず、昨今の関西の
空港問題と同様にマラソンを乱立させて、みすみす世界一のマラソンを自ら
の手で潰してしまったのは残念というほかはない。
- 54 :
- >>53
子供ながらにマラソン中継(福岡が多い)があると、必死に父親に「ねえ瀬古はでるの??」
と聞き、父親の答えが、「今回は伊藤国光とかだなぁ」ガックリした
覚えがある。
当時の瀬古人気は女子供でもあったよ。
- 55 :
- 瀬古はほとんどの大会で前評判は「優勝候補」、「優勝候補筆頭」に
予想されていたが、86年のシカゴマラソンだけは違った。
大会前の評判は必ずしも高くなかった。
ビル・ロジャースは明らかに優勝候補一番手は瀬古の名を挙げていたが、
シカゴの新聞は様子が違った。
地元有力紙の一つは、1位サラ、2位スペディング、3位バイニオ、
4位に瀬古を挙げていたのだ。アメリカではこの時点でボストンでは
81ボストンでの評価が高く、瀬古ブランドの凋落はなかったが他の地区では
ロス五輪14位の惨敗。そして復活のロンドンマラソンが優勝したが2時間10分台
ということで「昔は強かったようだが、今は評価できない」という厳しい
ものだった。
しかし85年W杯優勝で世界歴代4位を持つサラとロス五輪銅メダリストの
スペディングをまったく相手にしないレースで快勝したおかげで、アメリカでの
瀬古評価は一気に元に戻った。そして翌年の「世界一決定戦」と銘打たれた
1987年ボストンで地元予想全誌が瀬古の優勝に◎マークした。
- 56 :
- 瀬古対中山が見たかった!今でもそう思う!
- 57 :
- 視聴率調べてみたら瀬古さんが復活優勝した東京マラソンて37%もあったんだな
今回のバンクーバーの浅田真央と同じ視聴率というのは凄い
いち国際大会なのにね。
昔はマラソン人気あったんだな
瀬古が人気あったからかな
- 58 :
- 浅田真央は、瀬古の運命に似ているな。まあ、銀メダルを取れただけマシだが。
1)トリノに出ていれば金メダルの可能性もあったが、年齢制限で出場できず。
(瀬古;政治的理由で、モスクワをボイコット)
2)採点方法の変更で、ジャンプよりも全体の流れや芸術性が重視されてしまう。
(瀬古;冬マラソンの調整は万全だったが、未知の夏マラソンへの変更を余儀なくされる。)
3)直前の練習と、本番(SP1回、フリー2回)のトリプルアクセルで
スタミナを消耗し、ガス欠を起こして終盤にミスを連発。
(瀬古;レース直前まで猛暑の東京で走り込み、脱水症状で血尿も出る。)
- 59 :
- 80年代のマラソンはみんな視聴率高かったからねぇー
それを言うなら高橋尚子が走ったベルリンマラソンのが凄い
瀬古なんて五輪惨敗選手と一緒にされたら浅田真央が可哀相
- 60 :
- >>58
あと五輪期間中の注目度も浅田クラスだろうね。
例えば、レース直前に現地入り。出発の成田でニュース、到着のロスでニュース。
ライバル、キャステラ含むメンバーや調整についてインタビューがニュース。
現地の調整模様がニュース。
こんな注目されたランナーは男子でいなかったが
夏マラソンを知らなすぎたのは関係者と視聴者も共通してた。
- 61 :
- ロスはキャステラが遅れた映像写った瞬間、「貰った!」と思ったけどな。
それ以上に瀬古は無理して集団についてたんだろう。
入賞狙いなら20km過ぎに集団からはなれて8位以内もあっただろうが、
金メダル意外考えられなかったから行けるとこまで行って激沈したんだろう。
7月のまだ気候の良いモスクワではしらせたかったな
- 62 :
- メダルも獲れない事実が残っただけだったな。
ロスは宗に先着許し
ソウルは中山に先着許し
フィギュアスケート選手に例えるなら安藤美姫もしくは村主でしょ瀬古は。
- 63 :
- 注目度は安藤美姫のトリノと瀬古のロスと似てんじゃないかな
どっちも惨敗
瀬古が運良かったのは宗が金メダルじゃなかったことか
- 64 :
- 安藤美姫は今回5位で満足
瀬古のソウルは9位でガッツポーズでゴール
確かによく似てる
- 65 :
- 87年は世界一と位われた瀬古もソウルの時は一気に衰えていたからなぁ
ま、その時の実力なら9位で満足だったのかもね
- 66 :
- 安藤や村主は、「金メダル候補」にもなっていないけどな。
- 67 :
- ロスの時は明らかにヨナ・浅田の関係が瀬古・キャステラ
方や連戦連勝でラストのキレは世界一。方や記録で上回り世界選手権優勝者。
直接対決はロス前まで瀬古の1勝0敗
トリノの安藤や村主レベルではないけどね
- 68 :
- 逆によく血尿出して14位に入った
今の日本代表なら途中棄権や最下位かもしれん
- 69 :
- 理不尽なルール改正で苦労した浅田と勝手に自爆した瀬古を同列に扱うなんて頭悪すぎる
- 70 :
- >>69
世界的にマイナーなフィギュアと五輪の最終日に開催されるマラソン比べるのは酷。
参加者が100人越えるのに男子マラソンで頂点は運も必要
- 71 :
- 第24回 ソウル五輪 男子マラソン レース展開
1988年10月2日 68カ国 124人参加
気温24度 湿度36% 北北東1.5m
出場選手ベスト5
1、2時間07分07秒 サラ(ジブチ) 1988
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(豪州) 1986
3、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)1986
4、2時間08分15秒 中山竹通(日本) 1985
5、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本) 1986
スタートーソウル・オリンピックスタジアムを周回。サラ(ジブチ)が前に出てくる。
ウガンダのルグガが先頭で10mリードしてロードへ
2.3km−ザイールのコージが10mリード。中山が大集団の先頭に出てくる。
解説・宗茂「日本で一番の期待は中山。昨年(87年)の福岡のような攻めのレースが
出来れば中山のもの」と話す。
4km−コージが集団に吸収される。中山、クベルンモ(ノルウェー)、ブラ(タンザニア)
イカンガー(タンザニア)が前で集団を引っ張る。
5km−15分29秒
実況.羽佐間「意外や意外。ペースがゆっくり」
宗茂「予定より明らかにスロー。」 集団は約30人。
この年のボストンで2時間8分43秒を記録し優勝したフセイン(ケニア)が
前に出てくる。
「スローになると暑さに強いイタリア勢、特にボルディンは要注意。
中山はタイムが良くなればなるほど優勝のチャンスがある。
遅くなると、誰でもチャンスが広がるからきつくなるはず」宗茂
10km− 30分32秒(15分03秒)
アフリカ勢が前に出てくる。
ブラ、イカンガー、サラ、キプサング(ケニア)、フセインら
中山は中段、新宅と瀬古は後方で集団につく。集団は依然30人前後。
「ペースが上がりましたが・・」羽佐間
「下り坂だけに14分40秒台で行くと思っていたが、やはり予想より遅い」宗茂
15km− 45分57秒(15分25秒)
フセイン先頭。集団はダンゴ状態。イカンガー、ブラのタンザニア勢、
エレラ(メキシコ)、モンドラゴン(メキシコ)のメキシコ勢が前に。
漢江に出てフリーウェイを走行。観衆がいなくなる。
16.4km− 前回(ロス五輪)銀メダリスト・トレーシー(アイルランド)が脱落。
重い足取りで不調が見てとれる。
羽佐間「中山の表情は?」
宗茂 「中山はかなり余裕を持って走っている。」
- 72 :
- (ソウル五輪 レース展開続き)
20km−1時間01分26秒(15分29秒)
イカンガー先頭。集団約25人。ペースが上がらない。
依然イカンガーとモンドラゴンが交互に先頭に出てくる。
21.9km−ペースは上がっていないが、サバイバルのように少しずつ
集団から脱落者が出始める。
フォスター(イギリス)、モンドラゴン、そしてついにフセインが後退。
集団は16人に
イカンガー、サラ、エレラ、モネゲッティ(豪州)、ボルディン(イタリア)、スペディング(イギリス)
瀬古、新宅、中山、キプサング、ポリ(イタリア)、カシャポフ(ソビエト)、
ラモツ(ハイチ)、ペーター(東ドイツ)、ワキウリ(ケニア)
23.9km−フリーウェイの上り坂で新宅が最後尾から10m遅れる。
苦しい表情に。カシャポフ、ラモツ、ポリ、が脱落。
24.3km−新宅が集団に復帰。合計13人に。
25km−1時間16分57秒(15分31秒)
イカンガー先頭。中山が後方へ下がる。フリーウェイのため観衆の声援
がない。キャステラ、新宅が最後尾で苦しい。
「中山は余裕を持ちすぎ。ベストポジションを早くつかんだ方が良い」宗茂
26.3km−新宅が力尽きる。前半健闘したキプサングも脱落。
27km− 集団は11人。 新宅は後方50m。
29.2km−エレラが後退。前半健闘したメキシコの二人がいなくなる。
29.7km−ボルディンがペースアップ。先頭に出て集団を引っ張る。
初めて集団が縦長の展開に。
イカンガーースペディングーワキウリーサラー瀬古ー中山の順の列
- 73 :
- (ソウル五輪 レース展開 続き2)
30km−1時間32分49秒(15分52秒)
キャステラの足取りが重く、ついに後退。集団は7人。
サラ、中山、瀬古、イカンガー、スペディング、ワキウリ、ボルディン
「スパートに反応する中山の対応が鈍い。」宗茂
30.8km−ついに瀬古が先頭集団から後退。その差20m。
中山が先頭に出てくる。集団は6人。
31.5km−スペディングが脱落。 瀬古は先頭から50m差。瀬古の前にキャステラが出る。
32.3km−スペディングが集団に追いつく。後続は追い上げたモネゲッティが
キャステラを捕らえ7位。キャステラ8位。瀬古9位。
「5kmが15分52秒かかってこれだけきつそうだから相当暑さが堪えている。」宗茂
35km−1時間48分25秒(15分36秒)
サラ、中山が先頭。スペディングが給水で脱落。
35.5km−イカンガーも脱落。 ついに集団は4人へ。
羽佐間「放送前半でイタリア注意という意見がありましたね。」
宗茂 「イタリアの3人は実力がある。一人はまともに走ると思ってました。」
瀬古は9位。新宅は13位で35kmを通過。
36.7km− 「中山、後ろに下げたのか!」羽佐間
「あっ、中山遅れましたね。」宗茂
「遅れた、遅れた」羽佐間
「今日は中山らしさが全然でていなかった。スローだったから前半に足を使って
だいぶ足にきているかもしれない。」 宗茂
37.7km− ボルディン脱落。 サラがロングスパートをかけている。
38km−ワキウリがサラから遅れる。サラ、スパートでトップに。
39.3km−サラからワキウリまで50m。ワキウリからボルディンまで20m差。
中山は230m遅れで4位。
- 74 :
- 40km− 2時間03分35秒(15分10秒)
ボルディンがワキウリを交わし2位へ。サラとの差は50m。
40.6km−サラの足取りがおかしい。まったくピッチが上がらない。
ボルディンがサラを交わし先頭へ。サラはペースダウン。
40.9km−ワキウリがサラを抜き2位へ。サラは3位。
羽佐間「中山がサラを抜く可能性は?」
宗茂 「しかしあと残り1kmしかない。2kmくらいあれば・・」
2時間09分23秒ー ボルディンがソウルオリンピックスタジアムへ
ゴールーイタリアが五輪史上初、男子マラソンを制覇。2時間10分32秒。
2位がワキウリで自己新記録。 3位はサラ。
中山はサラに6秒遅れの4位でメダルを逸した。瀬古は9位。新宅は17位。
- 75 :
- 第24回 ソウル五輪 男子マラソン 成績
(五輪記録) 2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル) 1984年
1、2時間10分32秒 ボルディン(イタリア)
2、2時間10分47秒 ワキウリ(ケニア)
3、2時間10分59秒 サラ(ジブチ)
4、2時間11分05秒 中山竹通(日本・ダイエー)
5、2時間11分49秒 モネゲッティ(オーストラリア)
6、2時間12分19秒 スペディング(イギリス)
7、2時間13分06秒 イカンガー(タンザニア)
8、2時間13分07秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間13分41秒 瀬古利彦(日本・エスビー食品)
10、2時間13分49秒 カシャポフ(ソビエト)
11、2時間13分58秒 エレラ(メキシコ)
12、2時間14分08秒 キャンベル(ニュージーランド)
13、2時間14分40秒 ネイブール(オランダ)
14、2時間14分44秒 フィツィンガー(アメリカ)
15、2時間14分53秒 テンカテ(オランダ)
16、2時間15分20秒 ピッツォラート(イタリア)
17、2時間15分42秒 新宅永灯至(日本・エスビー食品)
18、2時間15分44秒 金元卓(韓国)
19、2時間16分07秒 ポリ(イタリア)
20、2時間16分15秒 ラモツ(ハイチ)
主な途中棄権
トレーシー(アイルランド)
フセイン(ケニア)
- 76 :
- マラソン.駅伝 歴代視聴率10傑 (1977年以降)
1 第23回ロサンゼルス五輪・男子マラソン 1984年8月13日(月) NHK総合 48.8% ロペス
2 第24回ソウル五輪・男子マラソン 1988年10月2日(日) NHK総合 43.4% ボルディン
3 第26回アトランタ五輪・男子マラソン 1996年8月4日(日) NHK総合 43.0% チュグワネ
4 第22回福岡国際マラソン 1987年12月6日(日) NHK総合 41.0% 中山竹通
5 第27回シドニー五輪・女子マラソン 2000年9月24日(日) テレビ朝日 40.6% 高橋尚子
6 東京・ニューヨーク友好 '83東京マラソン 1983年2月13日(日) フジテレビ 37.5% 瀬古利彦
7 第2回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会 1984年1月22日(日) NHK総合 36.9% 京都府
8 第26回アトランタ五輪・女子マラソン 1996年7月28日(日) T B S 36.6% ロバ
9 第18回福岡国際マラソン 1983年12月4日(日) NHK総合 36.5% 瀬古利彦
10 2001ベルリンマラソン 2001年9月30日(日) フジテレビ 36.4% 高橋尚子
- 77 :
- >>76
1、2、6、9位で瀬古が絡んでいるな。もうこんな人気ランナーはでないだろう。
- 78 :
- アトランタ男子は、何故こんな上位なのかな?
バルセロナ男子が入ってないのも変だよね。
- 79 :
- 渡辺康幸が選ばれるかもしれなかったからだよ
- 80 :
- 瀬古はモスクワの時が18歳だったら、22歳でロスを失敗しても、
26歳の全盛期をソウルで迎えられ、30歳の円熟期でバルセロナに臨めたのだが...
少し登場が早過ぎたな。
- 81 :
- >>78
時差
- 82 :
- >>70
お前が勝手に比べたんだろアホ
スポーツに優劣付けるなんて最低だな瀬古爺は
- 83 :
- 福岡国際マラソン(1983) 関連記事
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- 84 :
- すげー自演w
- 85 :
- 瀬古さんの全盛期の頃、テレビで、マラソンの格好をした
三遊亭楽太郎がでてたんだけど、スタジオの人も俺も、
「楽太郎」っていうテロップがでるまで、瀬古さんだと信じ込んでいたww
このときの「楽太郎」のテロップがでたときのどよめきは忘れられない。
楽太郎は笑点でもしつこいほど瀬古ネタで笑いをとっていた時期があったwww
- 86 :
- ロス惨敗直後の笑点では、「今日で瀬古はやめます」と言ってたw
- 87 :
- 2人は当時から交流があって先日の園楽襲名パーティに呼ばれたみたいだね
- 88 :
- >>86
新・円楽は、瀬古の走る真似だけで仕事がバンバン来たくらいだからなぁ
「これからは落語で有名なりたいので、物真似はこれが最後です」
って、テレビのコントで言ったのを覚えてるぞ
- 89 :
- >>83
瀬古のピークというか、競技ハイライトはこの83年の福岡国際だろうねぇ。
83年の東京、福岡で神通力を使い果たした感じだ。
そしてろうそくの最後のともし火は87年ボストンだろうね。
一応、世界相手に「世界一」と認めさせたのがせめてもの救いだろうねぇ。
- 90 :
- >>83平和台の競技場前に坂道があるにも関わらず、ラストの上がりが6分22秒は
たいしたもの。 世界歴代10傑以内のペースで達成だけに、付加価値はある。
- 91 :
- 上がり6分22秒は、今でも日本人最速。 ※2位は6分23秒(藤田/2000福岡)
当時の動画を見ると、まだまだ余裕があったから6分10秒切りも可能だった。
- 92 :
- 武井隆司のびわ湖は何秒だ?
あれも速かったけど仕掛けがもっと早かったんだっけか
- 93 :
- >>92 6分40秒
http://www5a.biglobe.ne.jp/~synsuke/newpage167.htm
- 94 :
- >>91
動画見ると競技場内では余裕でイカンガーに着いてるのがわかりますね。
五輪最終選考会のようだから慎重だったんだろうけど、6分15秒くらいではカバーできそう。
ゴール後に直前に怪我して練習休んでたとアナが言ってる。それでラストのキレは凄いね。
今もこんなランナーでてこないかな。
- 95 :
- >>93 あんがと
40キロで出た藤原よりは速いんだね
- 96 :
- とにかく瀬古は神だったよ
ゆういつ可能性のあった渡辺康幸は瀬古を越えれなかった(ケガも運だな)
彼を越える、スター性・実力者はもうでないんじやない?
- 97 :
- >>70 マイナーじゃない。冬季五輪の華。ソルトレークシティーの折のアメリカの
TVガイドの表紙はミシェル・クワンだったよ。
瀬古自身が語るように最も印象に残るレースは断トツで79年福岡。不調の瀬古が
モスクワ五輪代表を決める痺れるような緊張感漂うレースで宗猛のスパートに
反応できず5メートル以上の差が出来たときは悲鳴が上がった。さすがに双子だけに
宗茂はすぐ反応したのにだ。二人を必死で追走し、平和台に入るときには追い付き
バックストレートで必のスパートで二人をまとめて抜いたときは鳥肌が立った。
- 98 :
- リアルで見たかったな瀬古さんの全盛期
これだけ熱く語るんだから高岡や藤田の全盛期より上なんだろうなぁ
- 99 :
- >>97
瀬古自身も、スタミナに関しては宗兄弟に一目置いていたね。
彼らは1日最高120`をこなしたが、自分は88`までだったと。
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