2011年10月1期文学レトリック・修辞に優れた作品・作家 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

レトリック・修辞に優れた作品・作家


1 :10/11/21 〜 最終レス :11/11/16
レトリック・修辞に優れた作品・作家を挙げていこう!

2 :

3 :
水嶋ヒロ

4 :
樹液が蒸発し果ててその音が聞こえなくなり、煙が紛紜と溢れ出した。
烟影は先程とは殊なる濁った黒い色をしている。細風の戦吹く度に、薪の山が幽かに紅潮する。
焔は知らぬ間に、内部で肥っていた。恰も一個の飯櫃な生き物であるかの如く。
火は時折素早く触手を伸ばしてみては、外に積まれた薪を?み、己が腹中に収めむとする。
しかし、その多くは成功しない。徒に幾条かの不吉な跡を残すのみである。
すると、突然癇癪を起こしたように、二三の小さな薪を好き飛ばしたりする。
焔は俄かに勢い附いていった。間歇的に鳴っていた薪の破裂する音は、次第に絶え間なく、降り
始めの驟雨が地を撲つように、続け様に響き出した。木片が、幾つも周囲に零れている。
−日蝕p174-175
石筍は、真直上方に伸び四半分程を剰して一度括れた後に、一層大きく膨み、
その儘緩やかに先端を結んでいる。対を成す鍾石も殆ど同じ形である。
丈は各が人の三倍もあろうか。二つの滴石は、将に触れ合い、溶け合わむと
する刹那の所で、纔かに指二本分程の隔たりを保っている。
間隙は存在の予感に閃き、爛熟し、存在以上の充実した緊張を孕んでいる。
                                      −日蝕p128
対立は、その面貌にも見えている。閉ざされた瞼は、苦痛の故とも、眠りの故とも
判ずるを得ない。眉間に仄めく数条の皺は、愁いと快楽とを両つながらに予感させ、
その謎を、際立った鼻準の直線の裡にあずけ、永遠に隠してしまう。
瞼際は締まり、顎の曲線は熟し遣らぬ果実のように滞らない。
それらを覆い侵さむとする髪は、叢がる爬虫類の如、又、甕より零れる清水の
ようでもある。
-日蝕p132

5 :
<これは一体何なのだろう?子供染みた疑念が、意識の腋をくすぐっているような
奇妙な感覚だった。金属線を巻きつけられて目一杯引っ張られた羊の腸が、
指で弾かれたり、馬の尻から伸びた毛で摩擦されたりして、世にも美しく鳴り響いている。
そして、それに合わせて繰り返されるのは、「聖なるかな、聖なるかな、……」という言葉!
少年の若い声帯が、大人の男にはもう決して届かない高みの音を、
失われた無垢そのもののように響かせてみせる。------死を嘆き、悲しむというのは、
人間特有の崇高な感情なのだという。しかし、その感情は、こんな馬鹿な道化じみた遊びで
、慰められるように出来ているのだろうか?こんな、ちんどん屋に毛の生えたようなのに、
涙ながらに聞き入って、心静かに死んだ人間のことを思うのが、美しい人間というわけか!
清らかだ!……ああ、いかにも浄らか!……>(決壊 下巻 p. 377)

6 :
村上春樹

7 :
(`ェ´)ピャー

8 :
日本では三島由紀夫がレトリック力の高い作家になることは、
異論の無いことだろう。

9 :
水嶋ヒロ先生だろう。

10 :
ヘンリー・ジェイムズ

11 :
レトリック

12 :
まあ三島すな
あと荷風とか

13 :
レトリック

14 :
修辞

15 :
15

16 :
三島は文章自体が金閣寺。

17 :
鏡花だろ

18 :
司馬遼太郎はレトリックの技術に関しては、
レベル高いでしょうか?

19 :
修辞

20 :
これは
「好みだろ」
で大半の奴閉口させられるな

21 :
?

22 :
阿部公房のは、けっこー好き好き大好き〜!

23 :
大岡昇平

24 :
 

25 :
寺山修司

26 :
寺山修司 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8

27 :
三島由紀夫

28 :
バーベリ

29 :
ブローティガン

30 :
ひょう‐でん【評伝】
人物評をまじえた伝記。

31 :
マジレスすると、梶井基次郎と井上ひさし

32 :
>>28
バーベリの『騎兵隊』が絶版とか、ほんと世の中とちくるってるな

33 :
ハンO帽をかぶった中原中也

34 :
レトリシャンが軒を連ねた商店街スレですか。

35 :
レトリック

36 :
大江健三郎
村上春樹
レトリックだけの作家だということを、本人がわかっていないせいで、
作品がどんどんつまらなくなって行っている例。

37 :
津島修辞

38 :
比喩を使う意義・メリットがよく分からん
誰か教えて

39 :
普通の文章とは明らかに差異性があるってことと
論理的な解釈じゃなくて感覚で理解することは確かである
そもそも修辞的文彩は非論理性と冗長性を母体にしているっぽい
また感覚は人それぞれの持ってるものだから
一つだけの解釈ではなく複数の解釈を可能になるが
より正確な解釈は文脈やイゾトピーや意味論的なものなどである程度絞られる
そのことから解釈を探求させるって点で知的欲求を満たすとも思えるし
二次的な作用として解釈について議論する場を生み出せる
まあ最後は修辞に限った事じゃないし
差異性があることの効果はなんにも記述してないが
修辞学を少しかじった程度だからあんまりわからないけどこんなもんじゃね

40 :11/11/16
解釈の多様性を発生させるのはメリットなのだろうか
文脈自体のジャーゴン化に陥るんじゃないの、それ
まあ、確信犯的にする人もいるかな

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