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2011年10月1期文芸書籍サロン★感銘した、本の中の言葉★ TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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谷川流 ネタバレスレ1
清涼院流水の本って何が面白いの?
ハルヒやキョンの正体て最後までバラさなくてイイよな
(´・ω・`)久しぶりやね


★感銘した、本の中の言葉★


1 :11/05/30 〜 最終レス :12/01/05

小説、エッセイなどで見つけたキラリと光る言葉、名句を挙げよう

2 :
ニーチェ
君は傍観している人間か?それとも、人に手を貸す人間か?
或いは目を逸らし、脇を通り過ぎてしまう人間か?…第三の良心の問題。
−偶像の黄昏−

3 :
ニーチェ
もし一切が既に一度在りしものならば、汝侏儒はこの瞬間をいかに考えるのであるか?この城門も亦既に−一度在りしものではないか?
一切の事物はかく固く結ばれてあるのではないか?即ち、この瞬間が全ての来るべき事物を牽ききたるのではないか?
−ツァラトゥストラ−

4 :
ニーチェ
神は死んだ

5 :
○ 日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう。
平岡公威(三島由紀夫)昭和20年9月16日「戦後語録」より

6 :
○ 流れる目こそ流されない目である。変様にあそぶ目こそ不変を見うべき目である。わたしはかゞやく変様の
一瞬をこの目でとらへた。おお、永遠に遁(に)げよ、そして永遠にわたしに寄添うてあれ。
平岡公威(三島由紀夫)昭和20年9月16日「戦後語録」より

7 :
二十歳になるまでに、最高のバイオリニストたちは平均一万時間の練習を積んでいた。
これは良いバイオリニストたちより二〇〇〇時間も多く、音楽教師になりたいバイオリニストたちより六〇〇〇時間も多い。
(中略)
エリクソンはまた、このパターンに例外はないことを発見した。
辛抱強い練習なしにエリート集団に入れた生徒は一人もいなかったし、死ぬほど練習してトップ集団に入れなかった生徒もまったくなし。
マシュー・サイド:著 山形浩生、守岡桜:訳 「非才」

8 :
オーレェ
 俺も死んだ

9 :
感動した、か、感銘を受けた、じゃないの?

10 :
お疲れした!みたいな

11 :
人間の所謂発見とは? 寓話はいつでも教訓の私生児です。即ち人間が為し得る発見は、あらゆる場合、宇宙の
どこかにすでに完成されてゐるもの――すでに完全な形に用意されてゐるものの模写にすぎないのでした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より

12 :
ニーチェ
神をした俺達はどんな贖罪の式典、聖なる奏楽を案出しなければならなくなるのか?
こうした所業の偉大さは、俺達の手に余るものではないのか?
それをやれるだけの資格があるとされるには、俺達自身が神々とならねばならぬのではないか?
これよりも偉大な所業は未だかつてなかった。
−悦ばしき知識−

13 :
たゞ日本の詩文とは、句読も漢字もつかはれないべた一面の仮名文字のなかに何ら別して意識することなく
神に近い一行がはさまれてゐること、古典のいのちはかういふところにはげしく煌めいてゐること、さうして
真の詩人だけが秘されたる神の一行を書き得ること、かういふことだけを述べておけばよい。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「伊勢物語のこと」より

14 :
日本の歴史の上の創造即ち「むすび」は段階的なものではなく、デカダンスの次の空間から生れるものではない。
「かへる」のではなく、いはゆる復古でもない。その前によこたはるものゝ「はじめ」が次の「はじめ」を誘致する。
「をはり」は「はじめ」を誘致するのではなく、「はじめ」が常に「はじめ」につらなるのである。これは
日本風な創造であり、仏教風な輪廻思想ではない。「はじめ」の連結により歴史が形づくられるが、「をはり」と
「はじめ」は革命思想でむすびつけられるのではない。「はじめ」が「はじめ」に結びつきうるのは血の
ありがたさで血の連続なきところにはかゝる結合はうまれない。支那では「はじめ」が「はじめ」にむすびつくなど
考へられぬ。日本ではじめて天壌無窮の御神勅ははじめて意義をもつのである。
平岡公威(三島由紀夫)18歳「近松半二」より

15 :
少年がすることの出来る――そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の
二つであらう。恋愛のなかへは、祖国への恋愛や、一少女への恋愛や、臈(らふ)たけた有夫の婦人への恋愛などが
はひる。また、不良化とは、稚心を去る暴力手段である。暴力といふこのことだつて既に、生の過食からうまれて
くる一つの美しい憲法に他ならない。稚心を去る少年たちは、まづ可能性の海の瑰麗な潮風になぶられる。
神が人間の悲しみに無縁であると感ずるのは若さのもつ酷薄であらう。しかし神は拒否せぬ存在である。神は
否定せぬ。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「檀一雄『花筐』――覚書」より

16 :
童話とは人間の最も純粋な告白に他ならないのである。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「川端氏の『抒情歌』について」より

17 :
無秩序が文学に愛されるのは、文学そのものが秩序の化身だからだ。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「恋する男」より

18 :
わが国中世の隠者文学や、西洋のアベラアルとエロイーズの精神愛などは肉体から精神へのいたましい堕落と
思はれる。精神が肉体の純粋を模倣しようとしてゐる。宗教に於ては「基督のまねび」それは愛においても肉体の
まねびであつた。近代以後さらにその精神の純粋すら失はれて今日見るやうな世界の悲劇のかずかずが眼前にある。

平岡公威(三島由紀夫)22歳「精神の不純」より

19 :
われわれが築くべき次代の駘蕩たる文化も亦、古い時代の駘蕩たる文化の残した生ける証拠を基ゐにして築かれる。

平岡公威(三島由紀夫)22歳「沢村宗十郎について」より

20 :
芸術が純粋であればあるほどその分野をこえて他の分野と交流しお互に高めあふものである。演劇的批判にしか
耐へないものは却つて純粋に演劇的ですらないのである。

平岡公威(三島由紀夫)22歳「宗十郎覚書」より

21 :
小説の世界では、上手であることが第一の正義である。ドストエフスキーもジッドもリラダンも、先づ上手だから
正義なのである。下手なものは、千万言の理論の正不正とは別に、悪である。われわれ若い者は下手なるがゆゑに
悪である。
凡てにわかり合はうといふことがおそろしいほど欠けてゐる時代である。お互がわからないことを誇る悲しい
時代である。なまじつかわかり合はうとすれば自分の体に傷がつくことを知つてゐるからだ。もうすこしバカに
ならうではないか。そしてよいものをよいと言はうではないか
平岡公威(三島由紀夫)22歳「上手と正義(舟橋聖一『鵞毛』評)」より

22 :
ぐっさりぐさり 目にも止まらぬ けしにぐの剣 てだれのはやわざ!
ジャバウォッキー

23 :
「子供らしくない部分」を除いたら「子供らしさ」もまた存在しえないことを、先生方は考へてみたことが
あるのかと思ふ。大人が真似ることのできるのはいはゆる「子供らしさ」だけであり、子供の中の「子供らしくない
部分」は決して大人には真似られない部分であると私には思はれるが、もしそれが事実なら、大人のいふ「童心」は
大人の自己陶酔にすぎないであらう。
三島由紀夫「師弟」より

24 :
大学新聞にはとにかく野生がほしい。野生なき理想主義は、知性なきニヒリズムより数倍わるくて汚ならしい。
三島由紀夫「野生を持て――新聞に望む」より

25 :
「後悔せぬこと」――これはいかなる時代にも「最後の者」たる自覚をもつ人のみが抱きうる決心である。
浅間しい戦後文学の一系列が、ほしいまま跳梁を示してゐるなかに、最後の者、最後の貴族の生みえたまことの
芸術が、失はれた星の壮麗を復活させようとする決心に、後悔はありえない。
三島由紀夫「跋(坊城俊民著「末裔」)」より

26 :
三島厨UZEEEE

27 :
この世で愛を知りそめるとは、人の心の不幸を知りそめることでございませうか。
わが身の幸もわが身の不幸も忘れるほどに。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

28 :
恋の中のうつろひやすいものは恋ではなく、人が恋ではないと思つてゐるうつろはぬものが
実は恋なのではないでせうか。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

29 :
虎は、既に白く光を失った月を仰いで、
二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、
又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
中島敦 『山月記』

30 :
別れを辛いものといたしますのも恋ゆゑ、その辛さに耐へてゆけますのも恋ゆゑでございますから。
自在な力に誘はれて運命もわが手中にと感じる時、却つて人は運命のけはしい斜面を
快い速さで辷りおちつゝあるのである。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

31 :
女性は悲しみを内に貯へ、時を得てはそれを悉く喜びの黄金や真珠に変へてしまふことも
できるといふ。しかし男子の悲しみはいつまで置いても悲しみである。
凡ては前に戻る。消え去つたと思はれるものも元在つた処へ還つて来る。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

32 :
新人賞

33 :
やさしい心根をもつゆゑに、人の冷たい仕打にも誠実であらうとする。誠実は練磨された。
ほとんど虚偽と見まがふばかりに。
事件といふものは見事な秩序をもつてゐるものである。日常生活よりもはるかに見事な。
三島由紀夫「サーカス」より

34 :
若い女といふものは誰かに見られてゐると知つてから窮屈になるのではない。ふいに体が
固くなるので、誰かに見詰められてゐることがわかるのだが。
三島由紀夫「白鳥」より

35 :
三島厨UZEEEE

36 :
>>7
その文読んで買ってしまった
引用うまいな
三島厨は見習えカス
まあ俺も三島は好きだけどな
今こそ二人は真に美なるもの、永遠に若きものが二人の間から誰か巧みな盗賊によって根こそぎ盗みされているのを知った。
三島由紀夫「盗賊」

37 :
抑々(そもそも)人間性の底には或るどうにもならない清純さが存在するのであります。
古代人がこれについて深く思ひを致したならば恐らく神性と名付けるでありませう。
かゝる清純さは、本能的なもの無意志的なものと固く結びついてをるのでありまして、
或る時は社会的拘束の凡て、――就中(なかんづく)道徳的準縄の凡てをも、やすやすと
超越し逸脱し得るやうに考へらるゝのであります。さればこそそれは恒常の人間生活の
評価の前に立つ時、殆んど清純と反対の評語――邪悪、破廉恥、厚顔、乱、等の汚名をば
浴びせらるゝことを寡(すくな)しとしませぬ。
実に純粋とは、青春の苦役でもあるのであります。
三島由紀夫「贋ドン・ファン記」より

38 :
あの慌しい少年時代が私にはたのしいもの美しいものとして思ひ返すことができぬ。
「燦爛とここかしこ、陽の光洩れ落ちたれど」とボオドレエルは歌つてゐる。「わが青春は
おしなべて、晦闇の嵐なりけり」。少年時代の思ひ出は不思議なくらゐ悲劇化されてゐる。
なぜ成長してゆくことが、そして成長そのものの思ひ出が、悲劇でなければならないのか。
私には今もなほ、それがわからない。誰にもわかるまい。老年の謐かな智恵が、あの秋の末に
よくある乾いた明るさを伴つて、我々の上に落ちかゝることがある日には、ふとした加減で、
私にもわかるやうになるかもしれない。だがわかつても、その時には、何の意味も
なくなつてゐるであらう。
三島由紀夫「煙草」より

39 :
花には心がある。万象の心の中でも人の心に最も触れやすい心は之である。人が花を
愛づる時、花がなぜその愛に応へ得ぬことがあらう。花の愛は人に愛の誠を教へた。
女には婦徳を、男には平和を。光源氏が世にありし頃、女はなほ花と分ちがたい名を
持ち心を持つてゐた。恋歌は花をうたふ風体の上乗なるものであつた。しかも四時の花は
天候や季節に左右されることなく、極寒の梅も手に触るればあたゝかに、大暑の百合も
人の心に涼風を通はす。
三島由紀夫「菖蒲前」より

40 :
否、所謂(いはゆる)花の心は花にもなく人にもない。花を見、且つは触れ、且つは
そを愛でて歌詠む時、人の魂はあくがれ出で花のなかへはひつてゆく。花へはひつた人の心は
水に映れる月のやうに、漣が来れば砕けるが月が傾けば影も傾く。その間に目に見えぬ
糸があり、月と潮の満干のやうな黙契があると思ふのは、誤ち抱いた妄想にすぎぬ。
人の心が人の心のまゝになることに何の不思議があらう。鏡の影が像の儘(まま)に
動くとてなど怪しむことやある。花の心は人の心の分身である。人の心が立去るとき
花にも心は失はれる。
苦しみをはじめて得た人はなほその苦しみを味方に引入れて共に住むことを知らない。
その敵たらんと好んで力(つと)め、苦しみは益々耐へがたいものになる。
三島由紀夫「菖蒲前」より

41 :
才能が一つ多いほうが、才能が一つ少ないよりもより危険である。
ニーチェ

42 :
人の本質とは怠惰である。それ故に私は働きたくない。
ニート

43 :
もしも私が試験に合格できる運命なら、私は努力しなくても合格できる。
もしも私が試験に合格できない運命なら、私は努力しても合格できない。
しかるに、試験は合格できるかできないかのどちらかでしかない。
よって、いずれにせよ私は努力する必要はない。
校高合格(キリッ

44 :
恋と犬とはどつちが早く駆けるでせう。
さてどつちが早く汚れるでせう。
恋愛といふやつは本物を信じない感情の建築なんです。
笑ひなさい! いくらでも笑ひなさい! ……あんた方は笑ひながら死ぬだらう。
笑ひながら腐るだらう。儂はさうぢやない。……儂はさうぢやない。笑はれた人間は
死にはしない。……笑はれた人間は腐らない。
今の世の中で本当の恋を証拠立てるには、きつと足りないんだわ、そのために死んだだけでは。
三島由紀夫「綾の鼓」より

45 :
誰だつて空想する権利はありますわ。殊に弱い人たちなら。


余計なことを耳に入れず、忌はしいものを目に入れないでおくれ。知らずにゐず、
聴かずにゐたい。俺の目に見えないものは、存在しないも同様だからさ。


夢をどんどん現実のはうへ溢れ出させて、夢のとほりにこの世を変へてしまふがいい。
それ以外に悪い夢から治ることなんて覚束ない。さうぢやないこと?


喜んだ顔をしなくてはいけないから喜び、幸福さうに見せなくてはいけないから幸福に
なつたのよ。いつまでも羽根のきれいな蝶々になつてゐなくてはならないから、蝶々に
なつたのよ。


一度枯れた花は二度と枯れず、一度死んだ小鳥は二度と死なない。又咲く花又生れる小鳥は、
あれは別の世界のこと、私たちと何のゆかりもない世界のことなのよ。


淋しさといふものは人間の放つ臭気の一種だよ。

三島由紀夫「熱帯樹」より

46 :
三島厨はお帰り下さい。酷く迷惑です。

47 :
三島厨もナルシストなのか?

48 :
There is a kind of immodesty that becomes only a virgin,
differing from the immodesty of a mature woman,
and intoxicates the beholder, like a gentle wind.
Yukio Mishima "Confessions of a Mask"

49 :
淋しさといふものは三島厨の放つ臭気の一種だよ。

50 :
あいつら最速風神拳さえ出しとけばいいと思ってるからな。

51 :
人間の道徳とは、実に単純な問題、行為の二者択一の問題なのです。善悪や正不正は選択後の問題にすぎません。
道徳とはいつの場合も行為なんです。
自意識が強いから愛せないなんて子供じみた世迷ひ言で、愛さないから自意識がだぶついてくるだけのことです。

三島由紀夫「一青年の道徳的判断」より

52 :
真の技術といふものはそれ自身一つの感動なのである。そこではもはや伝達の意識は失はれる。俳優が一個の
機械になる。人形劇や仮面劇との差は、この無限の無内容を内に秘めた人間の肉体の或る実在的な内容に
すぎなくなる。それが顔であり面であり、姿であり、柄であり、景容であるのである。そこではじめて「典型」が
成就される。


歌舞伎とは魑魅魍魎の世界である。その美は「まじもの」の美でなければならず、その醜さには悪魔的な蠱惑が
なければならない。

三島由紀夫「中村芝翫論」より

53 :
物語は古典となるにしたがつて、夢みられた人生の原型になり、また、人生よりももつと確実な生の原型に
なるのである。
それはまだ人生の手前にゐる人には、夢の総称になり、いくらかでも人生を生きたといふことのできる人に
とつては、その追憶の確証になつた。
その後現実感の見失はれる不安な時代には、源氏物語は、なほかつ必ずどこかに存在すると信じられてゐる
「現実」の呼名になつた。その「現実」の象徴になつた。そしてそれこそは古典の本来の職分なのである。

三島由紀夫「源氏物語紀行――『舟橋源氏』のことなど」より

54 :
And it was a debasement more evil than that of any normal kind of love.
Indeed, of all the kind of decay in this world, decadent purity is the most malignant.
Yukio Mishima, Confessions of a Mask

55 :
You should keep both feet planted firmly on the ground, at least as you're alive.
Yukio Mishima, Sotoba Komachi, Modern No Plays

56 :
There's nothing that wasn't once vulgar. In time it'll change again.
Yukio Mishima, Sotoba Komachi, Modern No Plays

57 :
Might it not be that through the innermost recesses of love there courses
an unattainable longing in which both the man and the woman desire to become
the exact image of the other? Might not this longing drive them on, leading at last to
a tragic reaction in which they seek to attain the impossible by going to
the opposite extreme?
Yukio Mishima, Confessions of a Mask

58 :
All the men who said I was beautiful have died. Now I feel for sure that
any man who says I am beautiful will die.
Yukio Mishima, Sotoba Komachi, Modern No Plays

59 :
なるほど、さっぱりだ

60 :
この流れの遅さ!これなら『広義の本』の内容を投稿してもイケルぜ!
(略)
ははは!大丈夫だよ!大体、僕が誰だと思っているんだい?
"『英雄ハル』の名『ミ』を挟む、息子『ハミル』は役立たず。"
知ってるだろう?
今になって、例え何を言われようと、そんなもの、受け流せる経験は積んでるよ。
―――まだ、そんなことを言うのかい?
大丈夫だよ。
『100の非難に曝されようと、1人の"仲間"が出来るなら、それには十分意義がある。』
迷わないで欲しいな。
君が僕の"仲間"になってくれるなら、真に僕に興味の無い100人、皆失おうとも、
得られたものの方が、ずっと、ずっと、大きいんだから。
(略)
出典:岡山県の国立工業高等専門学校、文芸同好会会誌『赤色世界』
この会誌、確かに手元にあるんだけど、どんな人達が作ったのか全くワカラン・・・。
今あるのは"文芸【部】"だし・・・謎の一冊。

61 :
I suppose a fool like you thinks every beautiful woman gets ugly as soon as she grows old.
Hah! That's a great mistake. A beautiful woman is always a beautiful woman.
If I look ugly now, all it means is that I am an ugly beauty.
Yukio Mishima, Sotoba Komachi, Modern No Plays

62 :
What a heavy burden it must be to have once been lovely. I can understand how you feel.
A man who's once gone to war reminisces about the war all the rest of his life.
Yukio Mishima, Sotoba Komachi, Modern No Plays

63 :
三島由紀夫「
Yukio Mishima,
をNGにしたらスッキリした。

64 :
My hands and feet have become cold....
I'll meet you again, I'm sure, in a hundred years, at the same place.
Yukio Mishima, Sotoba Komachi, Modern No Plays

65 :
Which runs faster―love or a dog?
Which gets dirty faster?
Yukio Mishima, The Damask Drum, Modern No Plays
All questions are relative.
Love is the architecture of the emotion of disbelief in genuine articles,
Yukio Mishima, The Damask Drum, Modern No Plays

66 :
Laugh! Go ahead and laugh! Laugh all you like! ... You'll still be laughing when you die.
You'll be laughing when you rot away. That won't happen to me. People who are laughed at
don't die just like that... People who are laughed at don't rot away.
Yukio Mishima, The Damask Drum, Modern No Plays

67 :
There's insufficient proof that your love in this world was real, if that was
the only reason why you died.
Yukio Mishima, The Damask Drum, Modern No Plays

68 :
Woman's a soap-bubble, money's a soap-bubble, fame's another, and the world we live in is
only what we see reflected in these soap-bubbles.
Yukio Mishima, Kantan, Modern No Plays
Sometimes a wolf goes through a woman' s eyes.
Yukio Mishima, Kantan, Modern No Plays

69 :
Women have only two terms of criticism: “How divine!”and “silly!”
Those are the only two.
Yukio Mishima, Kantan, Modern No Plays
A baby is born. Into this dark, gloomy world. His mother's womb was more cheerful.
Why should he ever have wanted to leave it for a gloomy place? Little idiot.
I can't understand him at all.
Yukio Mishima, Kantan, Modern No Plays

70 :
When I feel I want to kill you, I must be thinking that I'd like to be pitied
by your dead self. And amidst feelings of every sort, simultaneously, there is myself.
Isn't it strange that I should be present at the same time with all those
different existences?
Yukio Mishima, The Lady Aoi, Modern No Plays

71 :
The clearest sign that a woman has lost her pride is when she talks in a highhanded way.
A woman longs to be a queen because a queen has the most pride to lose.
Yukio Mishima, The Lady Aoi, Modern No Plays
When I am on your right I am jealous of everything to your left. I feel as if
someone surely is sitting there.
Yukio Mishima, The Lady Aoi, Modern No Plays

72 :
Don't they say that human beings go on living by waiting and making other people wait?
If you gave your whole life to waiting, how would it be?
Yukio Mishima, Hanjo, Modern No Plays
All love is horrible, and there are no rules.
Yukio Mishima, Hanjo, Modern No Plays

73 :
The ideal presented in Hagakure may be summed up in one expression,“secret love,”
and Hagakure maintains flatly that once love has been confessed, it shrinks in stature;
true love attains its highest and noblest form when one carries its secret to the grave.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

74 :
It is always reinforced by death. One must die for love, and death heightens
love's tension and purity. This is the ideal love for Hagakure.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

75 :
The author, in his abundant understanding of human life, knows that man does not live
by his life alone. He knows just how paradoxical is human freedom. And he knows that
the instant man is given freedom he grows weary of it, and the instant he is given life
he becomes unable to bear it.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

76 :
>>63
スレの8割があぼ〜んになったんだが・・・
このスレはスレタイから失敗だったな

77 :
Youth possesses the impulse to resist and the impulse to surrender, in equal measure.
One might redefine these as the impulse to be free and the impulse to die.
The manifestation of these impulses, no matter how political the form it assumes,
is like an electric current that results from a difference in electrical charge―
in other words, from the fundamental contradictions of human existence.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

78 :
The occupation of the samurai is death. No matter how peaceful the age,
death is the samurai's supreme motivation, and if a samurai should fear or shun death,
in that instant he would cease to be a samurai.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

79 :
三島厨の三島厨による三島厨のための自慰スレ

80 :
In the basic spiritual makeup of the Japanese, eros and agape are melded.
When love for a woman or a young man is pure and chaste, it is no different from loyalty
and devotion to one's ruler. This concept of love, which makes no distinction between
eros and agape, was called “falling in love with the Imperial family”{renketsu no jo} at the end of
the Tokugawa Period and laid the emotional groundwork for emperor worship.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

81 :
The samurai has no choice but to defend his honor and his morale by constant anticipation:
“Will I not be shamed before my enemies? Will my enemies not despise me?
The samurai's conscience takes the form of the enemy itself.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

82 :
Once we have admitted the appropriateness of energy as the motivating principle of action,
then we can do nothing but follow the physical laws of energy.
A lion can only run headlong to the far end of an open field. That is the way
a lion proves that he is a lion.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan
What is“strength ”? It is not to be carried away by attempts at wisdom.
It is not to go overboard in judgment.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

83 :
“Egoism ”{in English} is different from “egotism”{in English}. If a man has self-respect,
and if his guiding principles are high, then it no longer matters what he says or does. He refrains
from speaking ill of others, yet he never makes it a special practice to praise them.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

84 :
The fact that we are alive may mean that we have already been chosen for some purpose, and if life is
not something we have chosen for ourselves, then maybe we are not ultimately free to die.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan
We tend to suffer from the illusion that we are capable of dying for a belief or a theory.
What Hagakure is insisting is that even a merciless death, a futile death that bears neither flower
nor fruit, has dignity as the death of human being. If we value so highly the dignity of life,
how can we not also value the dignity of death? No death may be called futile.
Yukio Mishima on Hagakure, The Samurai Ethic and Modern Japan

85 :
Discontent, young lady, is a poison which upsets all the sane principles of the world and
makes a mess of your own happiness.
Yukio Mishima, Dojoji, Modern No Plays
You can't win when you fight with nature.
Yukio Mishima, Dojoji, Modern No Plays

86 :
われわれが住んでゐる時代は政治が歴史を風化してゆくまれな時代である。歴史が政治を風化してゆく時代が
どこかにあつたやうに考へるのは、錯覚であり幻想であるかもしれない。しかし今世紀のそれほど、政治および
政治機構が自然力に近似してゆく姿は、ほかのどの世紀にも見出すことができない。古代には運命が、中世には
信仰が、近代には懐疑が、歴史の創造力として政治以前に存在した。ところが今では、政治以前には何ものも
存在せず、政治は自然力の代弁者であり、したがつて人間は、食あたりで床について下痢ばかりしてゐる無力な
患者のやうに、しばらく(であることを祈るが)彼自身の責任を喪失してゐる。

三島由紀夫「天の接近――八月十五日に寄す」より

87 :
作家はどんな環境とも偶然にぶつかるものではない。

三島由紀夫「面識のない大岡昇平氏」より


理想主義者はきまつてはにかみやだ。

三島由紀夫「武田泰淳の近作」より

88 :
簡潔とは十語を削つて五語にすることではない。いざといふ場合の収斂作用をつねに忘れない平静な日常が、
散文の簡潔さであらう。

三島由紀夫「『元帥』について」より

89 :
伝説や神話では、説話が個人によつて導かれるよりも、むしろ説話が個人を導くのであつて、もともとその個人は
説話の主題の体現にふさはしい資格において選ばれてゐるのである。


己れを滅ぼすものを信じること、これは宿命に手だすけすることによつて宿命を暗する方法である。宿命に
手だすけする代償として、宿命を信じる義務を免かれる行き方である。浪漫主義者の生活の理念は、ともすると
この種の免罪符をもつてゐる。

三島由紀夫「檀一雄の悲哀」より

90 :
ソープへ行け
北方謙三

91 :
小説のヒーローまたはヒロインは、必然的に作者自身またはその反映なのである。ボヴァリイ夫人は私だ、と
フロベェルがいつたといふ話は、耳にタコのできるほどくりかへされる噂である。同時に、雪子は私だ、と
潤一郎はいふであらう。雪子は作者の全美学体系の結晶であり、これに捧げられた作者自身の自己放棄の反映である。

三島由紀夫「世界のどこかの隅に――私の描きたい女性」より

92 :
主人公や女主人公とウマが合ふか合はないかで、その小説が好きになるかならないかは、半ば決つてしまふ。

三島由紀夫「私の好きな作中人物――希臘から現代までの中に」より

93 :
小説家には自分の気のつかない悪癖が一つぐらゐなければならぬ。気がついてゐては、それは悪でも背徳でもなく、
何か八百長の悪業、却つてうすぼんやりした善行に近づいてしまふ。
三島由紀夫「ジイドの『背徳者』」より

94 :
われわれが孤独だといふ前提は何の意味もない。生れるときも一人であり、死ぬときも一人だといふ前提は、
宗教が利用するのを常とする原始的な恐怖しか惹き起さない。ところがわれわれの生は本質的に孤独の前提を
もたないのである。誕生と死の間にはさまれる生は、かかる存在論的な孤独とは別箇のものである。
三島由紀夫「『異邦人』――カミュ作」より

95 :
愛慾の空しさなどといふものは、人間が演ずると、奇妙な、時には奇怪なものになりがちである。文学としての
「輪舞」は、何の説明がなくても、作者のシニシズムが納得されるが、映画の「輪舞」は、肝腎の役者たちが
生身の愛慾の場面を演じ、その限りで、肉慾そのものの誠実さのはうが、強く前面に押し出されざるをえない。
三島由紀夫「映画『輪舞(ロンド)』のこと」より

96 :
「ざつくばらん」といふ奴も、男の世界の虚栄心の一つだ。


人間は自分一人でゐるときでさへ、自分に対して気取りを忘れない。


つとめて虚心坦懐に、呑気に、こだはりなく、誠実に、たのもしく振舞ふこと、ケチだと思はれないこと。
男の虚栄心は、虚栄心がないやうに見せかけることである。なぜなら虚栄心は女性的なもので、男は名誉心や
面子に従つて行動してゐるつもりであるから、「男の一分が立たねえ」などと云ふときには、云つてゐる御当人は
微塵も虚栄から出た啖呵とは思つてゐない。
古い社会では、男の虚栄心が公的に是認され、公的な意味をつけられてゐた。封建時代の武士の体面や名前といふ
ものがそれである。男性の虚栄心に公的な意味をつけておくことは、社会の秩序の維持のために、大へん有利でも
あるし、安全でもある。金縛りよりもずつと上乗な手段である。

三島由紀夫「虚栄について」より

97 :
老夫妻の間の友情のやうなものは、友情のもつとも美しい芸術品である。


一面からいへば友情と恋愛を峻別することは愚かな話で、もしかすると友情と恋愛とは同一の生理学的基礎に
立つものかもしれない。
長い間続く親友同志の間には、必ず、外貌あるひは精神の、両性的対象がある。

三島由紀夫「女の友情について」より

98 :
大体イヴニングを着てダンサーに見えない女は、日本人では、よほどの気品と育ちのよさの備はつた女か、
それともよほどのおばあさんかどちらかである。

三島由紀夫「高原ホテル」より

99 :
私はまだ酒に情熱を抱くにいたらない。時々仕事の疲労から必要に迫られて呑むことがある。趣味はある場合は
必要不可欠のものである。しかし必要と情熱とは同じものではない。私の酒が趣味の域にとどまつてゐる所以であらう。

三島由紀夫「趣味的の酒」より

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谷川流 ネタバレスレ1
清涼院流水の本って何が面白いの?
ハルヒやキョンの正体て最後までバラさなくてイイよな
(´・ω・`)久しぶりやね