2011年10月1期一般書籍司馬遼太郎をあれこれ語る 31巻目 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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司馬遼太郎をあれこれ語る 31巻目


1 :12/01/04 〜 最終レス :12/01/05
前スレ
司馬遼太郎をあれこれ語る 30巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1318845804/
〔胡蝶の夢/最後の伊賀者・兜率天の巡礼ほかの短篇〕

2 :
【過去ログ】
司馬遼太郎をあれこれ語る 29巻目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1314512612/
〔梟の城/上方武士道/空海の風景/鬼灯/風神の門〕

3 :
>>1
乙〜

4 :
なんで過去ログが29巻目からなんだよ。

5 :
連投君が自分の好きなようにやっているからw

6 :
オホーツク街道では、ずいぶん京大考古学教室の悪口を書いていたと思ったら、
新聞記者時代の同教室の印象が非常に悪かったみたいですね。樋口隆康さんが
司馬さんから聞いた話として、そんなことを書いておられました。

7 :
第1章 門出の花
冒頭の源爺ちゃんと乙女のやりとりが、物語全体の明色を象徴しています。
いっきに引き込まれます。

8 :
14歳で剣術道場に通い始める前は劣等生だった竜馬。劣等生のあんた方が主人公に
同一化できるような見事な気配りですな。

9 :
ビーケーワンで司馬遼太郎買ったら、督促状来て、死にたいわ。あああ
司馬遼太郎なんて古本でよかったのに、糞ポンのせいで。

10 :
鋳掛屋お馬の母親が坂本家の女中をしていたとはビックリ仰天。
よさこい節で有名なお馬と純信の恋愛だけど、実はお馬は純信より20歳も歳下。
現代だったら、純信のロリコン野郎!!氏ね!と罵倒される恋愛でしょうな。

11 :
竜馬とお田鶴さまが出会う岡崎ノ浦とは、現在の地名でいうと鳴門市撫養町岡崎のことである。
岡崎の地名も残っているから間違いではないが、他の司馬作品では岡崎ノ浦という名称は
あまり使われない。空海の風景では撫養湊、播磨灘物語や街道をゆくでも撫養港だった。

12 :
すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、龍馬の最初の江戸行きの旅に
溝渕広之丞は一切登場しません。

13 :
長崎に亀山社中ができた頃になって、「実は龍馬の最初の江戸行きの旅で一緒だった
溝渕広之丞が・・・」てな感じで出てくるからいいじゃん。許してやれ。

14 :
坂の上の雲はなんでしてないの

15 :
第2章 お田鶴さま
お田鶴さま登場。美人設定です。お馬も美人だったし、あとで出てくるお徳も美人です。
娯楽小説の決まり事とはいえ、みんな土佐一の美人と言われていて、たれが一番なのかわかりません。

16 :
お田鶴さまは平井加尾をモデルにしていると言われるが、家老の妹なのでほぼ別人と考えたほうがいい。
なおこの小説内での兄とされている福岡宮内は実在の人物なので勘違いしないように。
福岡孝茂(宮内)は明治39年まで生きのびている。80歳で死亡。

17 :
竜馬が読んでいた韓非子の解釈について、小高坂塾の池次作が竜馬の個性的な
解釈に驚いたという話をお田鶴さまがしている。前章では池次作の塾は車瀬にある
とされていた。小高坂にあったのは竜馬を落第させた楠山庄助塾である。

18 :
この章の最後のところ、高麗橋で竜馬は何者かに命を狙われる。実は土佐藩のお馴染みの
人物なのであるが、誰であるかは翌日の連載を読まないとわからない。
美人の次には陣。娯楽時代小説の王道をいっていますな。

19 :
坂雲の主役・真之の孫娘が亡くなったね。合掌

20 :
第3章 江戸へ
この章のように東海道の宿場がたくさん出てくるところなど、初期作品らしいですね。
後期の司馬さんは自分で旅をするようになりますが、初期作品では主人公の旅が
多く描かれます。

21 :
天満八軒家から三十石船で伏見へゆくシーンは、上方武士道の「淀の水車」を彷彿させるな。

22 :
枚方の“くらわんか船”は、胡蝶の夢でも出てきた。

23 :
寝待ノ藤兵衛や信夫左馬之助を実在した人物だと思っちゃう読者もいるんだな。
少し慣れるとネーミングと物語の内容から即座に架空の人物だとわかるようになるよ。

24 :
信夫左馬之助は、吉田宿で挨拶をしたとき竜馬が無愛想だったというだけで、竜馬に遺恨を
もつようになる。怖いね、こういう人は。

25 :
その吉田宿(豊橋)で一時竜馬と離れた寝待ノ藤兵衛は、夕暮村(いむれむら)という所で
竜馬に追いつく。この夕暮村、現在は豊橋市飯村町という町名に変わっている。
飯村と書いて“いむれ”と読むのは昔のまま。
この夕暮村の土橋というのを、地元の方は殿田橋ではなかろうか、と言っておられる。

26 :
寝待ノ藤兵衛が赤蓼を食べるシーンがあって、竜馬は気味悪がっているが、我々も日常
赤蓼(紅蓼)を食べている。わさびなんかといっしょに刺身の薬味で出てくる、赤いやつ。
http://www.asahi.com/food/cooking/images/TKY200707060209.jpg

27 :
>>26
それ蓼の双葉。生えたばかりの芽蓼なので薬味に仕える。藤兵衛が食っていたのは成長した葉っぱ。
ふつう苦くて食えない。

28 :
>>24
竜馬って人柄は島倉伊之助とたいしてかわんないよね。行儀や挨拶がまともにできない。
なのに一方は人気者で、他方は嫌われ者。なんでこうなるの?

29 :
龍馬じゃなくて竜馬だから

30 :
角行の成り駒が“竜馬”と言ってそれに合わせて実際にいた龍馬をモデルに竜馬を創作してるのを忘れちゃいかん

31 :
>>28
竜馬には持って生まれた運の強さがある。ペリー来航の年に江戸へ出府し、大政奉還直後に死ぬ。
幕末の重要事件をほぼ網羅できる一生だ。しかも明治維新を見ることなく死んだという悲劇性もある。

32 :
カネのかかる戊辰戦争の戦闘シーンを省けるから、映画やドラマにしやすいしな。

33 :
第4章 千葉道場
武市半平太、桶町千葉親子の登場。そしてペリー来航です。

34 :
土佐藩の若い侍たちの楽しそうな“ふとん蒸し”のシーンを読んでいると、
“ふとん蒸し”をイジメや人にしか用いない、ゆとりのバカさ加減がつくづく嫌になる。

35 :
秋山成勲ヌルヌル事件は、もしかして「竜馬がゆく」がヒントなんですか?

36 :
半平太は竜馬より6つも年上なんだよな。中年になれば、6歳ぐらいの年齢差は
気にしないで友達になれると思うが、20代だと6歳の年齢差は大きいよな。
友達感覚はもてないだろう。先輩・後輩だよ。

37 :
その半平太の二人目の剣術師匠・麻田勘七は、小野派一刀流です。
岡田以蔵も麻田勘七に師事しました。その後、半平太も以蔵も鏡心明智流に
鞍替えします。

38 :
竜馬とさな子が初めて稽古試合をした日、重太郎は松平上総介の家に行っていた。
この松平上総介は長沢松平家の第18代当主・忠敏である。つまり、松平忠輝の直系の子孫。

39 :
竜馬とさな子が噂していた「二月の地震」とは、嘉永2年2月2日とめでたくも2が3つ並んだ
嘉永小田原地震のことである。マグニチュードは6.5。この地震での津波はなかった。

40 :
その地震の影響か、はたまた次にやってくる地震の前兆なのか、上総で大イカが水揚げ
された話が書かれている。
これについて徳島県南部のあるベテラン漁師は、「阪神大震災の時もそうだが、1946年の
南海地震の直前にも、イカが大量に取れた」と話す。
別の漁師は「あまりに大漁なので変だと思っていた。大地震の前にはイカが増えるとは
聞いていたが……」と驚いた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110501-OYT1T00194.htm

41 :
浅草新堀で獲れた大きな鯉の話も出ている。下の画像はその鯉塚と鯉塚のある龍寶寺である。
http://edophoto.web.fc2.com/r10motoinu/koidera604_thumb.JPG
http://edophoto.web.fc2.com/r10motoinu/koidera599_thumb.JPG

42 :
最初に黒船に乗り込んだ浦賀奉行所与力・中島三郎助永胤は、長崎海軍伝習所の第二期生
であるから、胡蝶の夢にも登場する(名前だけ)。榎本武揚と同期である。函館戦争で戦死。

43 :
>>39
嘉永6年だろうw

44 :12/01/05
>>38
忠輝の姉か妹が婿を取って御家を再興したんだから傍系の子孫だろうw
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