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三島由紀夫


1 :07/02/14 〜 最終レス :11/11/10
三島由紀夫の作家としての実績や割腹自決の動機などについて語りましょう。

2 :
美輪さんとのウホっな関係は真実なのか知りたい

3 :
憂国は三島の最高傑作

4 :
三島は両刀使い 嫁さんも三島の男色趣味に愛想がつきて離婚まで考えてたそうだ。

5 :
彼を両刀使いと定義するならば、世界中にゲイは存在しなくなるゼッ1

6 :
男時々女、か。

7 :
三島由紀夫
http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/cafe40/1171378813/

8 :
両刀以前に、超ナルシスト

9 :
蛙筋肉

10 :
以前、彼を知る俊民という人なら知ってるよ。

11 :
雑誌『フライデー』の創刊号に掲載された自決した三島の首と胴体の写真。(グロ注意)
三島由紀夫の生首:
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/imgs0410/mishima_head.jpg
三島由紀夫の胴体:
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/imgs0410/mishima_body.jpg

12 :
きみもまたおぼえておけ、2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。
、、、私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男が汗まみれで抱き合う昭和武士道のメルクマール。
http://zenkyoto68.hp.infoseek.co.jp/misima00.htm
情交の後、三島は福島次郎に問いかける、
「私にもしいざということがあったら、駆けつけてくれるか」
 「はい、行きます!その時には、電話か電報を下さい」、三島は強く頷く。
 福島はだが、間をおいてこう言った。
 「行くのは、行きます。しかし……その、いざということが、どういう内容のいざなのか、はっきりわかってから行きます」
三島はそのとき、
「風船がはじけたように、急にしぼんでしまったよう」な感じになり、「日本刀を袋に納い、
鉢巻をはずし、そこらをごそごそ」「片付けている様子だったが、いつの間にか、バスルームへ姿を消した。」 『剣と寒紅』福島次郎著
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/isihara.htm
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
 共に起つて義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。檄文・三島由紀夫
http://sintarou.e-city.tv/hokanshoko/m07.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
・にたばこを押しつける皇軍憲兵大尉は終戦後、昭和12年から16年までの期間に
犯した罪状で米軍から戦犯として指名され謹慎していましたが、
しばらくして戦犯指名から解除され、その後、防衛大学の教師として採用されました。
年齢は50歳近くになっていたと思います。

13 :
>>11
ただの首じゃん
ヤシンのミサイル爆のはなかなかグロかった

14 :
三島は日本の最後の武士だったな

15 :
粋がりのモーホー

16 :
三島が割腹自して果てた時に、青島幸夫が
「すごく知的なオカマのヒステリーだ」と評していたのを
記憶して居る。そんなヤツが東京都知事になったんだから
喫驚物だな。

17 :
高校の休み時間に近所の店のテレビで知ったよ

18 :
三島がゲイであるのは周知の事実だが、SMプレイでM男だったという噂まである。

19 :
もーほーのM男の発狂自

20 :
ホモっぷりやMっぷりを語るのもいいですが、文学についても語ってあげて下さい。

21 :
巧言美文少ないかな仁

22 :
三島は|をぶち込む側?それとも肛門に挿入される側?

23 :
>>16
言葉は悪いがすごく正確な感じがするのが泣ける。

24 :
青島が死んでも惜しまれないのはイヤミな奴だったからだね

25 :
三島由紀夫
http://www.youtube.com/watch?v=gvUNK8mt8TM
三島 vs 東大全共闘
http://www.youtube.com/watch?v=3dKnQ63iUSc&mode=related&search=
news movie "the death of Mishima Yukio" 1970
http://www.youtube.com/watch?v=o2IVg9D8LMQ

26 :
俺は坊城さん知ってるよ

27 :
三島をしたのは三島自身
武士や天皇へ対する間違った認識
三島に同調した人も同じ

28 :
>>26
以前、坊城さんの著書が読みたくて
探したけど見つからなかった

29 :
>>27
朝鮮人発見

30 :
頭のいい奴は 案外 男色の傾向があるらしいね。
彼の 南方熊楠御大もそんな気があったとかなかったとか。

31 :
 青島なんていつ死んだかしらんが、三島は永久に残る。偉大だとおもう。
 カリスマですね、今日の状況を正確に予告している。

32 :
↑ ?

33 :
三島由紀夫がホモだとは森田必勝が一緒に死んだのでそう思っていたが
実際にそうだったか。三島の美の源泉は彼の才能に在ったが外国を意識しだしてから
日本人の象徴としての天皇に求めたのか。彼には拠り所が掴めなっかたのか。
人類と言う拠り所が。狭いな。

34 :
狭くない

35 :
>>11
懐かしいな生首写真
漏れは34歳だが、フライデー創刊時(当時小学5か6)の時
小学校のホームルームで先生が見せてくれたっけ。
今だったら問題になってたかも

36 :
↑ 34歳の お若い方ゎ 他所で カキコしてくらはい。  ココゎ50歳代ですよ。

37 :
う、懐かしニュース板と間違いますた。
スマソ

38 :
>>33
天皇が日本の象徴と決めつけたのはアメリカ
日本の歴史や古事記を読めよ
君の三島に対する見識のが狭いな

39 :
三島は今 政令都市を目指して あがいているよ。

40 :
三島は今 新幹線 のぞみだって 止まるよ!

41 :
三島じゃなくて 四島だよ。  北方領土ゎ。

42 :
〜 民 主 党 2 0 0 7 年 政 策 危 険 項 目 リ ス ト 〜
■民主党マニュフェスト  
 http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2007/pdf/manifesto_2007.pdf
1:永住外国人の地方選挙権(3ページ)
 民主党は結党時の「基本政策」に「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」と掲げており、これに基づいて永
 住外国人に地方選挙権を付与する法案を国会に提出しました。
2:戦後処理問題(10ページ)
 アジア等の女性に対する旧日本軍による「慰安婦問題」の解決を図るための「戦時性的強制被害者問題の解決の促進
 に対する法律案」〜
3:靖国問題・国立追悼施設の建立(10ページ)
 A級戦犯が合祀されている靖国神社に、総理が参拝することは好ましいことではありません・・・ 
4:沖縄政策(11ページ)
 「民主党沖縄ビジョン」では、従来型の補助金や優遇政策に依存する活性化ではなく、沖縄本来の魅力や特性を最大
 限活用することを基本的な方向性として、地域主権のパイロットケースとしての「一国二制度」の推進・・・
5:人権侵害救済機関の創設(29ページ)
  各都道府県に地方人権委員会を設置し、人権侵害に係る調停・仲裁等の手続きを定めるとともに、特別救済手続につ
 いては報道機関等を対象としないことを内容としており、引き続きその成立をめざします。 
年金問題や増税問題などが隠れ蓑になり、これらの政策はほとんど報道もされず目立たないようになっています。
比例枠への投票は民主に行うという人が自民党を上回っているとの報道もありますが、民主党へ投票することで上記の
ような政策が実現されてしまったら日本はどうなるでしょうか。せっかく事なかれ主義、弱腰外交から脱却を始めた日本
が逆戻りするどころか、逆に中国や韓国の反日政策と迎合し、数年前より酷い状況になるのは目に見えています。

43 :
「聖セバスチャン殉教図」(→「薔薇刑」)
これが切腹より前、コアな部分にあると思うんだよな。
じゃ、なんで「薔薇刑」じゃなく切腹で死んだんだってことだが、現代日本であれでるシチュエーションは作り出せないってことに尽きる。
これで死んだら、単なるになってしまう。
切腹なら日本人だし、まだなんとか格好つけられるという選択だったと思う。
磔になっていっぱい弓矢を突き刺されのと腹切るのとは、自力と他力の違いはあるが、自虐的で非業に倒れるという図式は同一。
が、結局無理があったがね。
しかし、その為に10年以上前から、肉体改造から運動オンチかつ好きでもない(むしろ嫌い)武道を習い、天皇だの憲法だの一所懸命理屈こねた努力は特異だと思う。

44 :
三島由紀夫
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=550838

45 :
>>43
つまらん

46 :
411:名無しさん@お腹いっぱい。sage2007/08/18(土) 16:53:07 ID:???
よく三島由紀夫の死体から森田必勝の精子がうんぬんと、まことしやかな噂話が流布されたが、その場にいた当事者の証言からほぼ死因が特定されているこの事件の場合、肛門内まで調べる訳ないし、
決起前夜、楯の会のメンバーと三島の5人は、パレスホテルで総監拘束の演習や、辞世の句などを書いた後、午後4時チェックアウトし、
新橋駅の烏森口近くの料亭末げんで生死決別の宴を張り、静かに食事をしてそこを去った後、各々自宅へ戻っている。

47 :
412:名無しさん@お腹いっぱい。sage2007/08/18(土) 16:55:20 ID:???
つづき

森田必勝は新宿の下宿、小林荘に帰り、新宿西口公園近くのお茶漬け屋で夜食をとった後、
新宿の深夜バーでレジをしていた女友達を電話で呼び出し会い、下宿には午前1時半に戻っている。

三島由紀夫も、自宅へ帰り、午後10時には同じ敷地内の両親に、最後の別れのために会いに行っている。
朝は8時に起き、コップ一杯の水を飲み干した。そして、新潮社の小島さんに手渡すはずだった原稿(豊饒の海)をお手伝いさんに託し、市ヶ谷に向かうため出かけている。
これらは、店の人、友人、三島由紀夫の家族、お手伝いさん、時間に遅れた小島さんの証言により、ほぼ確定していることである。

48 :
三島は徴兵検査には合格し、その次の入営検査で、軍医が「この中に肺の既往症がある者は手を挙げろ」といったときに手を挙げ、(三島が級友三谷に語った)
さらにその時、軍医の診察により、当日、高熱と咳とめまいがひどかった三島は結核と誤診されたのだ。
びっくりして帰京してから、別の医者に診て誤診とわかり、徴兵は来年、つまりその翌年に延ばされただけである。
戦争が長引けば、三島も徴兵されていた。
それと、元々三島(平岡少年)は特別甲種幹部候補生、或いは海軍予備学生になることができて、
これなら軍関係の学校に入って学生を続けられたし、エリートコースなので危険な戦場に赴くことも無かっただろう。級友の三谷信もこの士官学校の学生だった。

49 :
>>28
彼が描いてくれた絵ならある

50 :
すぐに鉛筆でささっと描く人で
別れる時はシャポーを胸に当てて「ごきげんよう」と上品に去る人だった
自分の名前を紹介する時は発音を棒状温度計のぼーじょーですと良く言っていたよ
源氏物語についてや色々小説を書いていたようだったけれどもらった一冊がどこかに
すいません

51 :
坊城さんはご存命ですか?

52 :
彼(三島)の心は傷つきやすく、(学習院時代、稚児さん、あおじろと呼ばれからかわれていた)その傷の痛みを知っているがゆえに、祖母、母、父という大人たちの中でじっと静かに考える青年に育っていった。
大きくなっても、言葉の上でのちょっとした意地悪でも、深く傷つき、悲しんだ。
そんな彼が、昭和二年生まれの妹、美津ちゃん(筆者の妹と同級)を、とても可愛がっていた。自分と違い、思ったことをハキハキいえ、きかん坊でイタズラっ子で、平岡家の太陽だった。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)

53 :
そんな美津ちゃんが、勤労動員中に飲んだなま水に、多分体調をくずしていたのであろう一人だけ腸チフスになり、3、4日で呆気なく、しかし意識だけは最後まではっきりしていて、オロオロつきそう三島由紀夫に、
はっきりと、力をこめて、「お兄ちゃま!有難う」と別れを告げて、17歳ちょっとで避病院で息をひきとった。三島由紀夫は、生まれて初めて号泣した。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)

54 :
父梓も、ただ一人の女の子として、溺愛していたため、最期を看取ることさえ出来ぬほどのショックだったそうだ。
この美津ちゃんの最期を語る彼を、私は何度となく見たが、その度に、今の目の前の現実のように、三島由紀夫の目からは涙がハラハラとこぼれ落ちた。
母倭文重も彼と同じように何十年たっても、語る前、名前を口にしただけで、涙声にかわったのを見て、私は、美津ちゃんがこの平岡家で、とかく気持がバラつく一族をうまくかしこく結ぶ貴い糸の存在だったのが分かった。
そして、三島由紀夫は、妹を女(異性)として第一番に感じ、それは肉親愛ともちょっと違う初めての「愛」だったのだと思える。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)

55 :
これから書く彼の女性との愛は、すべて結婚一年前までのものである。
(中略)
そのうち本人が並はずれて女性に無免疫だったので、余り上手くない字を、ペン習字で猛練習し、すぐに臣三島由紀夫拝、などと書いたラブレターを自分の目にとまると、相手かまわずせっせと書きつづけていた。
(中略)
文士として大成して来た三島由紀夫に私はミスM・Kへのあこがれに似た子供っぽい愛も、ミスH・Kのとてもハーフというだけで失格とする固い平岡家の家風のためにも、
彼に自覚をうながし、「美徳のよろめき」のモデルの夫人との火遊びにもケチをつけたりして、何となく彼の身辺を整理した。彼には内緒だったが彼の父母にたのまれてやったことである。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)

56 :
彼が真剣に愛した女性は、M・KでもH・Kでもない華やいだ絹張りの令嬢だった。
(中略)
しかし離れてゆく彼女の心に逆行して彼は結婚を真剣に考えていたのだ。それが理解出来なかった彼女は、昭和32年5月、新派「金閣寺」観劇を最後に離れていった。
私は彼女と三島由紀夫との4年間を、二人の影としてずっと過ごして来て、今も彼女との交流は続いている。
(中略)
いくら女友達と割り切っていても、もしかしたら私の中の女の部分が、心の奥底で彼(三島)を愛していたのかも知れない。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)

57 :
「絶対これは内緒なんだからな。喋っちゃ駄目だよ。そのかわり彼女のことを全部君だけに教えるよ」といっていた。
(中略)
実物の彼女はとても美人で、お人形のような顔立ちで、不思議に亡妹美津ちゃんに似ていた。そして身につけているものは、すべてリッチでだった。
しかし、彼女を紹介されたほんの瞬間だが、私の心は女として不快だったのは事実である。三島由紀夫自身もそれを十分計算に入れていたと思う。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)

58 :
余りにも深く愛してしまった彼女のかわりは、楽しんだ私のサロンも、母倭文重のいつくしみも役に立たなかった。ただあるのは、物書きのきびしい宿命だけだった。
(中略)
ただ一度の愛にしか青春のよろこびを見いだせずにいたなど、あの得意の空笑いと外見の明るさから誰一人気づいた者などいなかったろう。
私は出来る限り無理をして、彼によりそうようにして約一年を過ごしたが、負けず嫌いの三島由紀夫の口からは、一度も彼女の名を耳にしたことはなく、空虚さの片鱗だに見せはしなかった。きっかり一年後、彼は結婚した。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)

59 :
三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、
三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。
三島は、戦後映画の「型」の頂点を究め、そのことによって逆に型を越えた人間の裸の感情を露出させたといえる脚本家の笠原和夫の感性をいち早く見抜いた訳です。
笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。
三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。

60 :
鶴田浩二のファンだったな

61 :

鶴田は三島からもらったサイン入りの『文化防衛論』を三島の死後に何度も
読み返していたよ。たまたまカバンに入れていたのを取り出して見せてくれた
ことがあったが、新聞紙でカバーしてそれもけっこうよれよれになってて、
こういう無造作なバンカラ風のカバーが好きだとも言ってた。本の扉には
三島の献辞も書き添えてあり、三島独特のペン習字の手本のような綺麗な
文字がきっちり並んでいたっけ。その時、互いに内容に関する話をしたが、
鶴田の死後、あの本がどうなったかは知らない。

62 :
作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。
自己に不可避性を課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。
ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、自分の運命として甘受したほうがいいと思います。
(中略)
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。
ところがそれは、太宰治のような意味とは、違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活にある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて運命なのだ。

三島由紀夫
三好行雄氏との対談から

63 :
彼(三島)はたしかに、古い夢の、神々の、死の自覚の上に立って、つねに仕事をしてきた作家であるといえるだろう。
彼は神々を、錬金術師のように、合成することを夢みる。そこに彼の批評精神があり、光栄があり、そしてまた苦しみがあるばずだ。

道徳を信じない道徳家、
愛を拒否する愛の詩人、
詠嘆的であることを恐怖する、しかしロマンティックな嘆美家、
――作品の背後にある作者(三島)の姿を、一口にいえば、そういうことになるのではないか、とぼくは思っている。

村松剛

64 :
実はノーベル賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の楯の会の政治的活動を問題視する声があがり、川端へ移行しただけ。
審査員が川端へ打診したところ、川端は三島を擁護せずにそれを承諾し、三島へも、今回は私がいただかせてもらいます、と言った。
後年、川端は、あれは三島君がもらうべきだったと知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。

65 :
http://imepita.jp/20071026/797920
http://imepita.jp/20071125/081620

66 :
三島由紀夫と同世代のゲイの人々って今は
どうして居るのでしょうか?

67 :
三島が惚れ込んだ女性は「ペルソナ」に出てくるマダムXね
今でもご存命ですよ
華やかな社交界にいて
誰も三島との関係を知らない
たぶん70歳をとうに過ぎていると思うが
上流社会のお年寄りは美しい
いつか回顧録でも出してほしい

68 :
三島由紀夫のふんどし姿はいかにも日本男児って感じがしたなあ。

69 :
>>68
同意。
チビなのに顔は異常に長い日本人体型、そして異常な毛深さ。
たぶん巨根だろうなあ。
真の日本男児だ。

70 :
>>43
そう、たしかにつまらん。
だからみんな三島自決に何か政治的な意図や哲学的な解釈をたれるのに必死になるんだよな。

71 :
仮面の告白に毒されすぎ

72 :
三島はハードゲイのM男www

73 :
氏がかまえた人工迷路の一つが、ホモセクシャルだったと思われる。それもまた三島氏の無理の一つだったろう。
氏のホモセクシャルについていろいろいう人はいても所詮どれも仮説でしかあり得まい。当人がそうだといっても同じような気がする。
あれもまた氏のプレゼンスの一つであり、深沢七郎流にいえば、無理の一つだったに違いない。

石原慎太郎

74 :
知己となってから私が「禁色」はいかにも面白かったといったら、
「ああ、あれはただの外連、外連。あんなものはもう卒業したの」
「でも外連の方が、この頃の観念だけの小説より面白いな」私がいったら、
「君ももうそろそろ趣味を考えなくちゃ」と例の哄笑だった。
石原慎太郎

75 :
三島由紀夫を担当していた新潮社の菅原氏が、三島に献言した言葉

「あなたは作品だけを書いて下さい。自分でわからなくても天才なんです。大事な人です。とにかくご自分で作り上げた主人公になりきる習性があるから注意して下さいよ」

「禁色」の時は男色の老作家に、「美しい星」の時は半ば宇宙人になっていた三島由紀夫を菅原氏は本気で懸念していたという。

76 :
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン

77 :
「薔薇刑」の基本的テーマは「生と死」「エロスとタナトス」であり、それは三島由紀夫を被写体とするところの私の主観的ドキュメンタリー作品である。
そこで理解してもらいことは、三島氏は自分を「被写体」と呼び、最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれた。
だからハリウッドの映画監督がつくった映画「MISHIMA」の中で私らしい写真家が登場するが、
そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。
細江英公

78 :
三島さんは文字通り「誠実の人」であった。その点だけは、身近に彼を知り、そして生き残った自分の責任として、きちんと後世に伝えておかなければならない。
その三島さんが、あえて選んだ死に様であるのなら、それは真摯に考え抜いた結果であったはずであり、そこには止むに止まれぬ理由が存在したに違いないのである。
であるから、私がまず強調しておきたいのは、事件直後から多くのメディアによって宣伝されてきたような「スキャンダル」として三島さんの死を扱うようなことは、実にもって愚劣なことであるということである。
細江英公

79 :
三島の自によって文学の終焉を実感、作家志望を断念した猪瀬直樹は三島の「仮面の告白」をマーケティングリサーチによる成功例として、彼独特の三島文学評論を展開しています。
太宰の命と引き換えにベストセラーとなった「人間失格」が懺悔録であった事から、自分にもまた懺悔に値する内面的問題があるはずだと、三島が倒錯的同性愛の世界を捏造したという事を、
三島の独身時代の異性遍歴や同性愛文献の研究、某心理学者を訪問しての自己分析、等の経緯を取材し追求しています。
また終戦後の焼け跡では進駐軍の解放ムードから性的通俗本が氾濫していたという時代背景もあって、
私小説を逆手に取った性的倒錯者のスキャンダラスな手記ということであればベストセラー間違いなしと、三島は睨んだという考察もしています。

80 :
(三島は)物差しやハタキのような長いものを持ってこれを振り回すのがとても好きでした。……やがて危ないというので、母(三島の祖母、夏子)に没収されてしまいました。
公威はこんなときでも、決して反抗はいたさず、だまって素直に従ってくれて、かえって可哀想になりました。
平岡倭文重
(三島由紀夫の母)

81 :
映画「憂国」を見た人、いや、それよりも、見ない人が、一様に抱く疑問は、なぜ作者自身が主演したのか、ということであるらしい。
これが最大の謎のように思っている人もあるらしい。そこで考えられるのは、作者のナルシシズムだとか、マゾヒズムだとか、ぼろぼろに使い古された精神分析用語を持ち出して、もののみごとに謎を解明したつもりになることである。
しかしこれでは何も謎は解明されない。精神分析学の発明以来、精神分析学を手段として利用しない芸術ジャンルは、ほとんどないと云っても過言ではないのであるから、上のような言い方は、単なる芸術の同義反復にすぎない。
三島由紀夫
憂国の謎

82 :
三島由紀夫の遺体が自宅へ戻ってきたのは、死んだ翌日の午後4時過ぎで予定を大幅に遅れたために、火葬場へ向かうまで20分しかないあわただしい密葬だったという。
福島次郎は一週間後に弔問に行ったとき二階に棺があったかのように本で語ってるが、福島がいかに創作や嘘を混ぜて脚色して三島本を執筆したのか、あらためてめてよく分かった。

83 :
仮面の告白の園子(邦子さん)と三島は邦子さんが他の男と結婚後に何度か会ってる記述が、三島の私的なノートにある。
「僕は彼女を真夏の薄着で、いささか厚化粧で抱きえなかったことを後悔した。彼女は今宵は頗る美しくみえた。
彼女の白いレエスに包まれた胸のあたりに花房のように揺れるものを今日ほど烈しく僕は欲したことがなかった。」

84 :
良スレ保守

85 :
>>67
まだご存命とは素晴らしい
実名では本を出せないでしょうねえ…

86 :
三島由紀夫が三谷邦子(仮面の告白の園子)のことを記述した私的ノートから
僕は婚約した彼女を一度誘い出して話したいという計画を抱いていた。
ところが突然別の僕がそれを気狂い沙汰だと叫び出す。向こうの家の父は吃驚して怒り出すだろう。かりにも婚約した以上、ひとのものをと!

87 :
三島由紀夫が三谷邦子(仮面の告白の園子)のことを記述した私的ノートから
「彼女はレインコートさえ脱ぎたがらなかった。まるでそれが下着ででもあるかのように。だから僕の彼女の抱心地はゴワゴワした感触しか残らない。
それのみか彼女は、唇を吸うにまかせて自ら吸おうとしなかった。」

88 :
村松英子って女優いたけどアレと三島の関係ってどうなの?
知ってる人いたら教えて。
下世話の話で申し訳ない。

89 :
>>88
もし付き合っていたとしても肉体関係はなかったんじゃないかな
今でも村松英子と、三島の息子たちは交流しているらしいから
三島由紀夫は文学座の分裂騒動のとき、村松英子に「英子、僕はきみが欲しい、僕のそばにいなさい」と女優として思うように育てたかったみたいですよ
そして「英子はヌードにしない」と脱ぐ役はやらせなかったそうです
お互い好きな気持ちは少しはあったと思います

90 :
三島由紀夫が天才?
川端康成が途中でゴミだと気づいて捨てたものを必死で吸収したあいつが?
笑わせるな

91 :
二流以下の川端、二流以下の谷崎、二流以下の諸外国作家、その他諸々。
同じく二流以下の修辞学、二流以下の精神医学、二流以下の宗教学。
二流以下の剣道、二流以下のボクシング。
それらの総体が一流の三島由紀夫に俺には感じられる。
これのどこが天才なのか教えて欲しい。

92 :
こいつの書いた太陽と鉄などは腹が立った。
いつの間にか肉体の世界を究めた気でいやがる。
ボディビルだって中途半端じゃねぇか。
なんでもかんでも中途半端。

93 :
>>90-92
何を一人で誰に向かってむきになってんの?ばかみたい
頭冷やしたら?

94 :
三島由紀夫はザイン(存在)を超越して、ゾルレン(当為、あるべきもの)に至る努力をした。

西尾幹二

95 :
あの人(三島)は、ほんとうに純粋で赤ちゃんみたいにきれいな魂の持ち主だったんですよ

美輪明宏

96 :
(三島は)「日本少年」とか「少年倶楽部」で育った時代なんですよね。
少年というのは凛々しくて、潔く清くて、正しくて、優しくて、思いやりがあって、親孝行だという「少年倶楽部」の世界そのまま律儀に全部、細胞の中までにしみこませて、そのまま死んじゃった人なのね。
普通、中年になったら、世俗的な手垢がついてきて、小ずるくなったり、いろいろするじゃないですか。
それに全然染まらなかった不思議な人でしたよ。

美輪明宏

97 :
瀬戸内聴寂
「三島さんのことを書いた福島次郎という人がいるじゃないですか。私は、ああいうの嫌いなの。」
美輪明宏
「前にも、一人出たんですよ。『週刊読売』で私、対決したことがある。
…その男の話は根っからの嘘だったの。でも、まあ世間という魔界には根も葉もないことを言うのがいますからね。」
瀬戸内
「…ひどいんですよ。ほんとうにけしからんと思うのね。
三島さんのお母さんやお父さんにご飯を御馳走になったり、とっても世話になってるでしょ。
あの男の小説は卑しい。もう呆れる。」

98 :
ある日公威は威一郎を連れてデパートに参りましたが、何か玩具のことで親子喧嘩したと見え、そのとき
「お父様なんか死んでしまえ」と言われたようです。真顔で悲しそうに私に訴えに参りました。
そのときの公威の心境が今日になってよく判ります。

平岡倭文重

99 :
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。
三谷信

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