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2011年10月1期カメラ思い出に残る写真
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思い出に残る写真
- 1 :03/11/01 〜 最終レス :11/10/24
- 思い出に残った一枚や、それにまつわるエピソードをまた〜り語りませんか?
- 2 :
- 結婚して1年目。長男が生まれたのを理由に買ったコンタックスT2で撮った
女房と息子の記念すべき初写真。海岸で逆光だったが偶然日中シンクロがピタリとあたった。
現在、離婚調停中。3年生の息子は取られそうだ。
Sonnar T*38mm/2.8 f8/AE MFで日中シンクロ フジ・リアラ使用。
- 3 :
- 貧乏時代、お金を貯めて貯めてようやく買ったカメラ。
色々撮ろうと楽しみにしていたんだが、その前に嫌いな親戚の
ポートレート撮影を頼まれ、断れなくて最初の撮影はその親戚のスナップ。
しかも、その後撮影に行く前に置き引きにあってカメラ喪失。
長年貯めて買ったカメラの唯一の写真は嫌いな親戚のスナップ・・・・
- 4 :
- >>3
切ないですね・・・。
で、関連スレ
【だれでも】初めてカメラを持ったとき【初心者】
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/camera/1050121854/
- 5 :
- >>4
ありがとうございます、こんなスレがあったんですね。
早速読んでみます。
- 6 :
- 何気ない友人5人くらいで撮った写真。
そのうちの1人がその直後事故で亡くなった。
そこに写っていたのはいつもと全く変わらない笑顔。
その友人にとって、その時これが人生最後の写真になるとは
夢にも思っていなかったんだろうな・・・と写真を見て今でも思う。
- 7 :
- >>6
俺もその手の写真持ってる・・・はず。何処に行ったかな・・・。
- 8 :
- 爺さんの遺影かな、あの写真が遺影になっちゃうとは思わなかった。
写真の爺さんは丸々と太ってたけどそれから一年も経たずにガリガリに痩せて死んじゃったよ。
親戚でマシなカメラ持ってるの俺だけだからこれからも遺影撮り続けるはめになるんだろうなというか
今度みんなの遺影準備しておくつもり、死んでから写真ピックアップしてすぐにやってくれる写真館探してなんて
とかやってる暇全然ない、忙しすぎる。
お前らも前もって準備しておいた方がいいぞ。
- 9 :
- 高校2年の夏
初めて撮った彼女の水着写真。
- 10 :
- 高校二年生の冬‥
クリスマス一緒に過ごしてくれる子募集中…
- 11 :
- 学生の頃、橋の上からみた夕焼けが
あまりにも綺麗だったんで思わずパチリ。
絞りもシャッタースピードも覚えていない。
そのときのポジを最近発見、
今は漏れのホームページのトップを飾っている。
- 12 :
- 子供の頃ポケットカメラで列車の窓からガラス越しに外を撮った何気ない写真。
写真には流れてぶれた風景の他に窓に反射した笑っている自分の顔・・・
と、思ったんだが、よく見ると着ている服の模様が違う。それに、顔がしっかり
写っている(撮った時は当然カメラを構えているから顔はカメラである程度隠れるはず)・・・
ちなみに4人がけのボックス席には俺一人しかいなかった。
・・・・ガクガクブルブル
- 13 :
- 爺さんの葬式の遺影。
業者(明らかにPC初心者)がおそらくフォトショでレタッチしたと思われる
まるでアイコラみたいな画像処理まるだしの遺影が葬式当日に用意されたが
それでも皆に愛された爺さんだったからそんな遺影を抱いて家族で泣いた。
婆さんはこれからもあの遺影を眺め続けるのか...
ブロックノイズばりばりのjpgデータを...
プロ意識のない業者や「これからはやっぱデジでしょ!」的空気が憎い。
ふざけんじゃねえよ!
はあ。
- 14 :
- >>13
なんかそれってやるせないよね。
スキャンしていい感じに加工し直しては?
・・・あまり意味ないけど
- 15 :
- うちはジィさんが写真嫌いだったもんでしっかり写ってるもんがなくて
やっとこさ見つけたのがコンパクトカメラで撮った親戚20人以上での集合写真。ジィさんの顔なんて
サービス版の中で小指の先ぐらいのサイズでしかない。
それでも写ってる写真がやっとこさ見つかって遺族一同大喜び。ブロックノイズ
ばりばりのアイコラ画像見ながらバァさんが「綺麗に写ってるねぇ、よかったねぇ」としきり。
そんな写真であってもバァさんの目にはジィさんの顔が鮮やかに
見えているもんなのさ。きっと。
- 16 :
- ひいじいちゃんのは写真じゃなくて絵なのだ。
- 17 :
- ああ、今のうちのお袋の写真撮っとこうかな...
- 18 :
- 真珠湾上空を、ひと仕事終えて悠然と飛ぶ97艦攻の編隊写真。
ああよくぞ日本男児に生まれけり! って瞬間をよく捉えてある。
- 19 :
- 狂気の唄か・・・
- 20 :
- スレからちょっと外れるけど、絵の遺影というのもなかなか乙かもね。
- 21 :
- 上の人と一緒で、一人で写っている写真がなかったらしく、みんなと写っている写真からおこした絵なのだ。
顔は実に上手に描いてあるけど、体の部分はちょっと手抜きかな。
- 22 :
- 写真屋の友人が言ってたけど、葬式のは急ぎなんで、一人で残業して
夜中にフォトショやってると、背後に誰かが立っている気配がしたりするんで、
あまり楽しくないそうだ。
- 23 :
- >>13
俺も初めはそうだったんだけどポジ渡したらそのまま素手で触るし
「これってフィルムですか?」とか言ってるから写真館探した。
でも納期の問題で写真館じゃ明日の葬式には間に合わない。
しょうがないからプロラボに超特急でやってもらったよ。
コダクロームからだったんだけどスキャンして縦位置にトリミングして背景消してそこにグラデーションかけてもらった。
費用は9000円位で出来は満足してる。
- 24 :
- 片思いしてた子のピアノの発表会、花束と機材を手に撮影に行った
4曲のうち3曲で撮影して4曲目が終わったときに花束を渡したら、顔を真っ赤にして恥ずかしがったのが可愛かった
その後告白したけど友達にしか思えないのの一言で轟沈したが、そのとき撮った一心に
ピアノを弾く姿が当時の恋心を思い出させてならない
>葬式写真
母親は自分の葬式用の写真を2年置きに毎年撮りなおしてるw
まだ57なんだから葬式って歳でもないだろうに(苦笑
- 25 :
- 遺影専門のデザイン事務所はあったはず。
契約している葬儀屋から、生前の写真を添付ファイルで送ってもらい
急いで背景と着物を変える。
で、完成した写真を葬儀屋にまた添付ファイルで送って、そこでプリントアウト。
当然24時間営業だそうです。
- 26 :
- >>25
凄い・・そういうのもあるんですね。
- 27 :
- 写真。
ああ〜いろんな女とやったなぁと見ながらシコッてる。
- 28 :
- >>24
>母親は自分の葬式用の写真を2年置きに毎年撮りなおしてるw
>まだ57なんだから葬式って歳でもないだろうに(苦笑
ある種のこれからも元気で生きて行こうという区切りイベントなのかもしれませんね。
うちのかあちゃんにそれ勧めてみようかな・・・その瞬間俺の葬儀用写真が必要になったりして(w
- 29 :
- >>28
24でつ
元気に生きていく区切りみたいなもの、まさにそんな感じみたいでつ
ちなみに漏れは最近自分の葬式用写真用意させられましたw
バイクで大事故起こして療養中なクセにまたリッターマシン買ってしまったんでw
- 30 :
- 小学校の時に皆で撮った他愛のないスナップ写真が一枚ある。
そこに写っていたやつの一人がその写真を撮った日の夜、家族で夜逃げした。借金で追い詰められていたらしい。
その写真を見る度、そいつはおそらくその事を知っていながら、皆で楽しく過ごす最後の日、最後の写真だというのをじっと黙って
自分独り泣きたいのを一生懸命我慢していたんだろうな・・・そう思うといつも涙が出て来ていた。
社会人になって大分経った数年前、そいつから実家経由で連絡があった。借金はなんとか返して今は結婚して子供も一人、
裕福ではないが、不自由もなく幸せに過ごしているらしかった。
小学校時代の友人達に声をかけて(もちろんそいつも呼んで)家の庭でバーベキューパーティーをやった。
そこで撮ったスナップ写真、色々苦労を重ねたからか、険しい表情がなかなかとれないながらも、
はにかんで笑っているそいつの写真は、小学校の時の写真の横に並べて貼ってある。
- 31 :
- ええ話や…
- 32 :
- 泣ける・・・
- 33 :
- >遺影
何年か前に父に頼まれて白バックで撮っておいた物の中から紙焼きを見つけて葬儀屋に渡した。
アガリを見たらプリンターで普通紙にプリントしたもんだったよ。
これで2万円ぐらい取りやがった、ぶったくりだよな。
- 34 :
- 自分が小学生の頃、図工の時間に写真立てを作った。
苦心の末になんとか皆完成。
そこで先生が記念にそこに飾る写真を撮ってくれるといって、一人一人写真を撮っていった。
数日後、先生が持って来たのはマウントされたポジだった。
先生「なんかフィルムが違うみたいでこうなっちゃったんだよ。仕方ないからとりあえずこれを上げるね」
当時の自分はポジなんか知らなかったので、面白いフィルムもあるんだなと思っただけだった。
今、自分は大学生になり、写真が趣味になった。
残念ながらその時のポジはもうどこかに行ってしまったけど、今になって思えば安月給の中、記念だからと高価なフィルムを買ってくれた先生の愛を感じる。
- 35 :
- いい話だなぁ。
- 36 :
- 近所のおじいさん、とても明るい人で、上のカキコにあったように生前に自分の遺影を
撮っておいたんだが、それを「イェ〜イ!」とか言って見せびらかしていた。
亡くなった日、葬儀に行った時その写真が遺影として飾られていたんだが、生前の事もあって
可笑しさ半分悲しさと寂しさ半分で複雑な気持ちだった。
なんというか、近所で慕われていた楽しいじいさんだった・・・と言う感じかな。
- 37 :
- いい人生だね。
- 38 :
- 結局、一緒になれなかった彼女。あの時は自分の生涯でこの人しかいないと思った。
写るんですで撮った旅行先の記念写真は、机の奥にそっとしまってあった。
結婚して、子供ができて、ようやく悲しい思い出にかさぶたができた頃、
その写真はいつのまにか無くなっていた...
- 39 :
- 父は50代で肝硬変になった。
その頃、弟が結婚したのだが、医者には「お孫さんの顔は見られないでしょう」と言われた。
何度か肝不全と肝性脳症で医者に「今度こそ…」と言われながらも、その都度持ち直した。
最後に倒れた時も、何となく「今度も持ち直すだろう」という気分だったが、結局、一度も意識を取り戻さずに
息を引き取った。付き添いの交代と仕事帰りが重なって、たまたま家族全員が枕元にそろった夜、少しずつ少しずつ
心拍が落ちていって、1時間ほどで蝋燭が消えるように死んでいった。
遺影の中の父は、画面の外を見て子供のように笑っている。
その視線の先には、歩きはじめたばかりの双子の孫がいた。
- 40 :
- 親父は俺が物心付く前に死んじまったので、
写真でしか顔を知らない。
- 41 :
- フィルムスキャナー買った
実家に帰って古いフィルム探してスキャンしてみた
ひび割れだらけの、ネガから
母親と手を繋いでいる幼い自分がモノクロームで写っていた。
今は恥ずかしくて出来ないけど、綺麗な記憶だけが甦った.......
A4に印刷して実家に送りました
- 42 :
- >>41
感動した!
漏れ、今、猛烈にフィルムスキャナが欲しくなってる!!!
- 43 :
- >>41
おぉ!フィルムに限らずスキャナってそういう使いかたするのもいいよね!
今まで気付かなかったのも我ながらアフォですが、早速やってみまつ!
- 44 :
- 超優良スレですね
- 45 :
- 俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父がき、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
- 46 :
- 不覚にも、涙が。
- 47 :
- いい話ですね・゚・(ノД`)・゚・ 泣ける2ちゃんねるに申請したいぐらいです。
泣けるスレひとつ・・・。
http://natto.2ch.net/food/kako/1003/10032/1003257996.html
- 48 :
- 初めて2ちゃんで泣きますた……。。。
ええ話や。。。
- 49 :
- おれももう少し話があつまったら、泣ける2ちゃんねるに申請しようかと思ってた。
前も、カメラ板から1本載っているけど、よんだ?
- 50 :
- うち、事情は子供だったしよくわからないんだけど昔かなり貧乏だった。
父は遅くまで仕事だったし、母はこれまた遅くまで内職をしていた。
ただ、食事は小物っぽいおかず数品(魚一切れとか小さなカツとか)
が毎日日替わりでいろいろあったので、そんなに悪いと思わなかった。
ある日、父の会社の同僚が家に遊びに来た。そこで知ったのだが、
父は会社で出る弁当のおかずには殆ど手をつけずにご飯ばかり食べていたらしかった。
「永谷園のお茶漬けはふりかけにして食べると(濃いので)一袋でご飯何日か持つよ」とかいいながら・・・。
で、そのおかずは家の夕食になっていたらしかった。
そのおかずも、俺達が育ち盛りだからといやな顔一つせずに殆ど分けてくれていた・・・。
ある時、父が会社で(何かわからないけど)表彰された。金一封が出たんだが、母の内職の
給与からも少し出し、俺達兄弟の小遣いも数ヶ月返上wして思い切って温泉に行こうと言う事になった。
夕食の時に記念にと中居さんが家族写真を撮ってくれた。
皆、普段はお目にかかれないものすごい料理を前に、カメラではなく料理に視線がくぎ付けの
写真になったのだが、一番料理を楽しみにしていただろう父だけは、しっかりカメラの方を
向いて少し緊張した表情で笑っていた。
なんというか、ちょっと変な感じかただとは思うが、その写真の父に男の誇りみたいなものを感じた。
でも、俺はその写真よりも、その食事で熱燗を飲みながら刺身を食べ、少しだけ
目を潤ませていた父と母の顔が一番印象に残っている。
成人した今、俺と弟のボーナス時期には家族で温泉に行くのが恒例になっていて、
食事の前に必ず写真を撮るwのだが、そこに写っている父は相変らず少し緊張した表情で笑っている。
- 51 :
- いい話やね。
昔はみんな貧乏だったんだよな〜。
- 52 :
- 高校の寮(同学年10人程)に入っている私には、みんなで馬鹿やったり、時には真剣に語りあったりできる仲間がいました。
本当にいいヤツらでした。
できれば私も、一緒に卒業したかった。
しかし私は一年の時に留年したので、彼等と修学旅行に行けないことも、卒業式に出れないことも、
一年の終わりの頃から分かっていました。
どうしても埋められない空白を、寮の中では空元気で埋めていましたが、私はとても後悔していました。
彼等が三年になって修学旅行に行く時、私はまだ二年でした。
彼等が修学旅行に行く日
「まぁ気を付けて行っておいで」
と寮の前で見送り、その時に写真を一枚撮りました。
きりっとした顔になったTと笑っているN・・・。
そして数ヶ月後、彼等は卒業し寮を出ていきました。
今、私は四年がかりで三年になり、もうじき卒業です。
春になって桜が咲いたら
真っ先に昔の仲間に会いに行きます。
- 53 :
- >>50
自分が2児の父親となった今、そうした誇りや意地を我が子たちに示せるのかと、自問自答で小一時間。
我が子たちの結婚式のスライドショーのためにと、毎日せっせとポジで撮りつづける日々は楽しい。
1年に一枚くらいは、四つに延ばしておきたいコマが撮れれば、最高の幸せ。
その頃には銀塩はなくなってるかもしれないが、デジタルデータをプロジェクタで映す時代かもしれないが、
それでも、ポジでせっせと撮り続ける。それが、漏れの意地かも。
- 54 :
- >>53
カコイイ
- 55 :
- しあわせになりたいね。
それを写真に残すことができれば、いうことはない。
- 56 :
- 小学6年の修学旅行のとき、うちの学校は長崎へ行ったんだけど、その時の事。
自分の幼稚園の時から同じ所に通っていた、あさみちゃんって子がいた。
うちの幼稚園は年長さんが年少さんをお世話するって決まりがあったんで、俺の妹も迷惑を掛けていたんだけど。
小学校に入ったら2年の時から女子バスケクラブに入ってたぐらい活発な子だったんだけど…。
小5の三学期から隣町の大学病院に入院していた。担任の先生は僕らが詳しく話しても分からないだろうと言って、
心臓の難病らしい。とだけホームルームの時に話していた。
6年の秋、まだあさみちゃんは入院してた。10月になって、修学旅行の自由行動の班分けがあった。
あさみちゃんはうちの班になっていた。みんな無理やろなぁて言ってたが、前日になってお医者さんのGoが出た。
後から聞いたことだけど、あと三ヶ月も持たない。と言うのが理由だったらしい。
うちの班には担任が付いて回る事になった。大学病院からは身体に負担をかけないようにと言う事で、
車イスが貸し出されていたが、本当に昨日まで入院していたんだろうか。と思うほど元気だった。
グラバー園や長崎港内の遊覧船でみんなとはしゃいでいたのが目に浮かぶ。
班には学校から写るんですが2個ずつ配られていた。帰ってからのまとめ用という事だったが、お構い無しに撮っていた。
帰ってきたその日からあさみちゃんは大学病院にまた入院した。
それから数日後、現像から上がってきた写真のあさみちゃんの分をうちの班で家に届けに行った。
お母さんはとても喜んでいた。
それから数ヶ月、何事も無く過ごしていたうちのクラスは3月になってすぐ大きな衝撃を受けた。
亡くなったのだ、あさみちゃんが。特にうちの班はひどかった、修学旅行には一緒に行ったのに。と。
お葬式にはうちの学年全部が出席した。卒業式の前日だった。その遺影が何気なく撮った、修学旅行の時のスナップだった。
お葬式の後、おかあさんが僕らの班の一人ひとりに手紙をくれた。生前のあさみちゃんが書いたものだった。
そこには、「ありがとう、修学旅行楽しかった」とだけあった。
その手紙は今も手元に残っている。僕の宝物だ。あれから7年。今度、実家に帰った時に線香をあげに行こうと思っている。
駄文でスマソ。
- 57 :
- 泣けてきまつ・・・・゚・(ノД`)・゚・
- 58 :
- 両親の元を離れて早13年。今日私は職場で初めて泣いた。
>>45を読んですすり泣いて仕舞った。
心配して駆け付けた上司に「また就業中に2ちゃんかっ!」と怒鳴られた。
けれども上司も>>45を見て泣いた。
それを見かねた後輩君が心配そうにやって来て、>>45を読んで泣いた。
そして俺は生まれて初めて自分の両親に対する冷淡さを深く恥じた。
今までの俺は思い上がっていたのだ。
自分の人生は自分で切り開いてやると家を飛び出して以来、俺は一体両親に何をしてやれたのだろうか。
今年の正月は実家に戻ろうと思う。
そして三脚で写真を撮ろうと思う。
今日から俺はもっと謙虚になることを誓う。
両親に対しても、そして妻に対しても。
本当に有難う。>>45さん。
- 59 :
- >>58
>「また就業中に2ちゃんかっ!」
失礼ながらワラタ
それにしても、45氏の父上のように人生最後に「ありがとう」と言って終われる人生を送りたいものですな
- 60 :
- >>59
同意
- 61 :
- イイ話アゲ
- 62 :
- 泣ける話でなくて恐縮だが…
初めてマニュアルカメラ(露出もピントも)を買った当時、(カメラ自体初めて)
いつも出しに行っていたDPE屋は失敗っぽい写真はプリントしないところだった。
案の定、ピンぼけ、露出大外しの写真ばっかり撮っていたため
毎回半分以下の枚数しかプリントとしてあがってこなかった。
それで試しに他のDPEで焼かれなかったコマをプリントしてもらったが、ほんと下手。
それらのプリントらを今改めて見ると当時はシャッターを切るたびに
「これ写ってるのか?どう写ってるんだ?」と心配していた時期を思い出せる。。
- 63 :
- >>62
別に泣ける話でなんてなくても全然OKかと。
というか、なんか読んでいる方も懐かしさが感じられるいい話しで砂。
- 64 :
- 保守アゲ
- 65 :
- >>62
オレはリア廚の頃、初めて1眼を使った。昔から家にあったペンタのMF機だった。
それまでフルオートのコンパクトカメラしか使ったことが無かったから、フィルムを
カメラから取り出すことすらできず、DPEのおねーさんに泣き付いたのを思い出した。
- 66 :
- age
- 67 :
- 私には父がいない。
私が10歳くらいの時に外に恋人を作り、その人との間に子供を作り、出て行ってしまった。
正式に離婚したのは私が15歳くらいの頃のようだが、養育費も途中で途絶え、母は女一人で兄妹3人を抱えてずいぶん苦労していた。
末っ子の私はずっと「自分は既に愛のなくなった夫婦の間に
うっかり生まれてしまったやっかいものなんだろう」と思っていた。
常に「自分は”いらないもの”」そう思ってた。
高校生の頃、家の片づけをしていた時、古い封筒がみつかった。
「最愛の○○(父の名前)ちゃんへ」
父のノートも見つかった。
・・・他の女性への愛を語る文ばかりだった。
くやしかったし、悲しかった。なぜ、生涯愛せないような女性と無責任に・・・。
せめて私を生まなければ母の負担も少しは楽になったろうに。
つい最近になって、母の元でたんすの隅から一枚の写真を見つけた。
父と母と兄と姉。母のおなかは大きい。そのなかにいるのは、私。
母が気にして父の写真はなるべく隠してしまっていたらしい。
みんな嬉しそうに笑っている。
・・・よかった、私も愛情を受けて生まれたんだ・・・初めてそう思えた。
その後、父の気持ちは変わってしまったのだろうけど、
私の生まれたときには間違いなく私にも、母にも精一杯の気持ちを贈ってくれていたに違いない。
まだ父を心から許せるわけではないけれど、自分の存在を少しだけ許せた。
やさしい笑顔の父を少しだけ好きになった。
自分が嫌いだから写真も大嫌いだった。
プリクラ全盛期に高校生だったのに、プリクラ撮った事すらない。
でも写真って素敵なんだね。そこに愛を写せるなんて知らなかったよ。
自分と、今同居中の彼氏。これからどうなるか分からないけど、
今はまだ間違いなくある愛を残しておこうって思った。
結局何が言いたいのか良く分かんなくなっちゃった。
駄文なのに長文でゴメンよ。
- 68 :
- このスレ読んでいると、「家族写真は、最高の宝物になりうる」
・・・というのが分かるなぁ。
何かテーマを持って写真に取り組んでいる人で
「家族の写真を撮ってると道を外す」という者もいるが
そんなこと言わず、せっかく写真をやっているのであれば
バンバン撮っておいたらいいと思う。
恐らく「今時点での家族」なんてほんの一瞬なんだろうから・・・。
- 69 :
- なんか「泣ける2ちゃんねる」にupされてるね。
ttp://tear.maxs.jp/
- 70 :
- 写真に愛など表現できない。
見た人間が勝手に想像してるだけだ。
- 71 :
- 金融業だ。銀行や証券保険じゃない。いわゆるノンバンクというやつに就職
して6年たった。新卒で入社して、最初は『そんな伐とした業界じゃない。
明るく社会的な意義もある実力主義の世界だ』と思っていたが、3年を過ぎ
る頃には大勢いた同期も2割程度しか残っていない。上の役職に進むにつれ、
入社セミナーでは見えなかったものが見えてくる。長時間労働、利益主義、
ドライを極める債権管理。精神的に追い詰められて退職していく同期。
モラルを捨てる事をモラルとした構造がそこにはあった。
オレは学生の頃、カラオケ屋でバイトしていた。大きなチェーンではなく
パR屋のチェーンが税金対策でやってるような小さな店だ。
- 72 :
- 18〜22歳くらいの若いヤツばっかり雇って、店長もいない。
たまにパRのほうの社員が見回りにくるくらい。税金対策
だから利益なんて求められてない。気楽な環境だった。
朝4時に店を閉めて、夏は海に毎日いった。田舎街だったから
朝の空いた道路を一時間も飛ばせば海に出る。店に来た客に声を
かけておいて、いつも10人くらいで遊びにいっていた。替えの服
なんてないのに海に飛び込み、日が昇って人が増えた頃に帰る。
体に砂を付けたまま大学に出席だけとりに行き、バイトの時間まで
アパートで寝る。間違いなく人生で一番楽しい時だった。
その頃TVで流行っていた月9のドラマよりも鮮やかな日々だった。
- 73 :
- この間の年末、地方の店舗に巡回にいった。定期的に自分の受け持った
エリア外の店舗にも足を運び、債権管理、回収のアドバイスをするのだ。
本当はみんな嫌がる役目なのだが、その店舗がオレが学生時代を過ごした
街にあったため、自分で立候補していった。観光も兼ねて息抜きのつもり
だった。
- 74 :
- >>71に期待age。
- 75 :
- うちの父は写真が大好きで、あたしが地元に帰ると何気ない光景でもパチパチと撮ってる。
あたしはそれがうざくてうざくて、いつも写真を撮りまくってる父にきれてた。
でもこのスレを見て、父に優しくしようと思う。写真は大事なものなんだって思った。
次に帰るのは冬になっちゃうけど、写真いっぱい撮ろうと思った。
- 76 :
- >>71の続きはないのか?
- 77 :
- >>70
確かに、写真が愛を表現しているわけではないよな。
写真を見ている人の心に愛があるんだよな。
- 78 :
- >>75
そんな75さんに子どもができたら、
やはり写真を撮る75さんがウザイと思われたりして・・・歴史は繰り返す。かも。
- 79 :
- 俺は高校時代野球部でした。まあ野球部っていっても属に言う弱小高校、
しかも「N県最弱!」とまで言われてましたW。でも俺たちは弱小ながらも
練習だけは一生懸命やってた。部員は12人で同級生は6人、更に入部当初
6人中経験者が3人しかいないというおまけ付き。決して恵まれた環境では
なかったが、それでも皆で声を出して励ましあって必死に練習した。
夏の猛暑の時も皆汗だくになりながらボールを追いかけた。
そして高校三年の最後の大会、天気は晴天で太陽が球場には容赦なく
太陽の光が降り注いでいた。そしてプレイボール・・・
結果は7回コールドゲームで俺たちの惨敗、皆で泣いた。監督も泣いた。
悔しかったというのもあるが、もうこのメンバーで野球がが出来なくなった
ことの寂しさもあったと思う。
そして試合後、野球部最後のミーティング、野球部皆で写真を撮った。
その写真には最後のユニフォーム姿の俺たちが写っていた。皆さっきまで
泣いてたとは思えないくらい充実した顔をしていた。
あれから2年、野球部の同級生たちはそれぞれの道を歩いている。
あの時撮った写真はアルバムの中に収められている。今でもあの写真を見ると
夏のくそ暑い日に汗だくになりながら白球を追いかけていたあのときの事が鮮明に
蘇ってくる。
今俺は大学に行っているが、大学帰り道母校の前を通ると、名も知らない後輩達
が必死にボールを追っている姿が目に入る。いまだに弱小だけどがんばって欲しい
と願った。
長文&駄文ですまん
- 80 :
- >>79
あと20年くらいしたらさらに「いい写真」になるのではないか?
いいのを撮ったな。
- 81 :
- 数年前の正月に久々に実家に家族全員揃った時に居間で撮った集合写真。
折れ、折れのかみさん、兄夫婦、母親。そして父親の遺影。
出来上がった写真の右隅に小さい白いモヤモヤが写っていた。
ま、そんなもんじゃないとは思うけど、父も嬉しくて思わず写っちゃったのだろう(w
- 82 :
- 80>
コメントありがとうございます。
20年後が楽しみになりました!
>81
怖いけどなぜかほのぼの(W
- 83 :
- 泣ける話でもなんでもなくて恐縮なんだが
私の父はニコンFEを持ってて、よく写真を撮ってた。
私の写真も、兄の写真も、子供の頃はよく分からなかったけど
今自分が写真を考えながら撮るようになって改めて見てみると、とても
上手なのがよく分かる。AFも無かった頃、うろちょろ歩き回る
子供をジャスピンで背景も分かりやすく収めてある。
正月に田舎に帰ったとき、写真を見て古い町並みを思い出した。
今のその場所とは、全く違う景色にいる自分はとても暖かく写されて
いるように見える。昔の、暖かい雰囲気の町並みのせいなのか、
幸福だった自分の記憶がそう見せているのか、父の気持ちが
出ているからかよく分からなかったけど、その日父と飲んでたら
楽しくて仕方が無くてけらけら笑ってた。
次の日、街を散歩していたらなんか落ち着かなくてそのまま荷物を
まとめて戻った。なんでなのか分からなかった。写真のせいかと思った。
駄文ですまんけどそんな事、ナイ?
- 84 :
- >>71
続きが気になって、飯が喉を通りません
- 85 :
- 『廃れたなぁ』
学生時代、何度も見た駅からの景色。7年しか経ってないはずなのに、
少し丘になった駅からみた風景はやたらと活気が無く、観光気分がてら
だったオレは少々面を食らった。駅前すぐのデパートは倒産して廃墟
になっていたし、女子高生がよくプリクラとっていてナンパの名所だ
った向かいのゲーセンも、ドコモショップになっていた。
『・・・・潰れたのか』
巡回に行く店舗の店長が迎えにきた車の中、オレがバイトしていたカラオケ
屋の前を通った。一階がパR屋、その二階に少々下品なネオンが光る
看板を構えていたはずのカラオケ屋は、流行のリフレクソロジーと漫画喫茶
になっているようだった。
思ったよりがっかりはしなかったな。仕事柄、倒産とかには慣れているし、
この不況下、あんな利益のでないカラオケ屋を遊ばせておく余裕なんてない
だろう。『あそこのカラオケ屋、いつ潰れたんだ?』と店長に聞こうとした
が、辞めた。7年も経てばオレが知っている人間もいなかったろうし、この
店長はオレがこの街に居た事を知らない。これから伐とした債権回収の話
をするのだ。変な情が沸くような話は法度というものだ。
- 86 :
- 巡回した時は、回収困難になっている案件を見直し、保全の強化や調査
指示、時には直接交渉をする。嫌な予感はしていたが、オレをまっていた
のは机に乗り切らない程の案件ファイルだった。こんなに街が廃れてるん
だ。そりゃ金を返せない人だって増えるだろう。
『先に昼飯いきますか?』
と店長に誘われたが、せめて半分をは終わらせてからにしよう、と返した。
普段なら『そんな安穏とした仕事してるからこんなに債権が悪化するんだ』
と怒鳴りつける所だが、気が滅入ったオレは黙ってファイルを開いていった。
1/3程片付けた所で、ファイルの薄いもの(基本的に悪化してるものは厚
い)から先に片付けようと、ファイル名だけ流し見した。
『!・・・』
債務者 ○○興業。 保証人 □□□□
○○興業はオレのバイト先の親会社だったパR屋。□□□□は、オレ
よりも一歳年上だった、カラオケ屋の同じバイト仲間だった。
- 87 :
- 続き期待
- 88 :
- わぉ…
- 89 :
- wao!
- 90 :
- いいスレだな。
- 91 :
- >>71
どきどき。
- 92 :
- っこ
- 93 :
- 気になりアゲ
- 94 :
- 71に焦らされてるオレ
- 95 :
- どうなんだ
- 96 :
- 「私、中学の時いじめられてたの。ずっとひとりぼっちだった・・・・・」
とっさの事に僕はあっけにとられました。
そして彼女は延々と過去のいじめの体験を語りました。
無視、暴力、陰湿な悪口・・・・・
僕も昔いじめられてた経験があり、他人事とは思えませんでした。
今までこんな強気な彼女が、初めて弱いところを見せました・・・・
僕はそんな彼女を急に愛しく思いました。
そして彼女は小声でこう呟きました。
「〇〇(僕の名前)と付き合えてよかった。〇〇と付き合えて心が笑顔になったの。
いままで親も、クラスメイトも、誰も信用できなかった。
でも〇〇が人を信用できる事を教えてくれた。
〇〇が人と一緒にいる楽しさを教えてくれた・・・・。
〇〇がいなくなったら、私また深い闇に覆われてしまう・・・。怖い・・・。」
僕は目頭が熱くなりました・・・。
辛いのは僕ではない、彼女のほうなんだ。
僕が一緒に居るだけで、彼女を救えるんだ・・・。そう思いました。
そしてこう告げました。
「大丈夫。どこにもいかないよ。ずっとそばにいるよ。」
つづく
- 97 :
- できれば、1レスにまとめて欲しい予感。
単写真で勝負きぼーん。
- 98 :
- >>71氏続きキボンヌ
- 99 :
- 71続き木になる。
- 100read 1read
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