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2011年10月1期中国英雄【仁】最高の君主【徳】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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【仁】最高の君主【徳】


1 :06/11/08 〜 最終レス :11/12/11
尭≧舜>ウ≧周公旦で決まり!!

2 :
古代の伝説上の人物より、もっと後代の皇帝たちの中で、
「仁」「徳」と評されるべきは誰だろうか?

3 :
周公旦を君主に入れるとは、王莽のようだな

4 :
宣統帝溥儀

5 :
清なら康熙帝

6 :
雍正帝

7 :
「仁」「徳」だから、名君であっても、残酷なことしていたらアウトか?

8 :
1で結論が出たんだからもう良いじゃないか。

9 :
前漢の文帝、後漢の光武帝、唐の太宗、宋の太祖なんかはどうなの

10 :
仁といえば宋襄公

11 :
仁徳天皇

12 :
劉秀と趙匡胤のツートップに決まってる

13 :
清の歴史家の趙翼によれば
趙匡胤>李世民>漢の武帝=始皇帝
だそうな

14 :
>>13
 どういう基準なんだ? それ?

15 :
仁宗か徳宗しかおるまいよ…

16 :
じゃあ司馬徳宗か…

17 :
いや、それ安帝だし…

18 :
春秋期は、晋の文公、楚の荘王あたりか。

19 :
春秋期になると細かいことは分からんしな

20 :
>>14
文武のバランスがとれているか、後ろめたいことがないか。
だったはず。
で、軍閥出身だけど節度使の割拠を防ぎ、先帝の遺族を優遇したり、士大夫保護したりしてるから
宋の太祖がぶっちぎりなわけ。

21 :
>>20 細かいが、より正確をきするなら…
趙匡胤が節度使を兼任したのは、陳橋の変の2年前。
といって、任地にいたわけではないので、軍閥=藩鎮としての名望ではなく、禁軍の大将としての名望だった。
そして、最初に手がけたのが禁軍将帥の兵権奪取で、節度使のそれは太祖期にはまだ完全になされていない。
抑藩というかたちで制御したに留まったが、多少の不満を言うものはいたものの、抵抗されなかったのはすごいこと。

22 :
司馬炎に決まってるじゃんあの一番有名な三国時代を統一した英雄だぞ   
人格者で天才なんだよ

23 :
治世の世なら劉禅だな
家臣の独裁政権を許せる唯一の名君

24 :
李世民ってあれだろ、兄弟を家族もろとも皆しにして親を脅迫して帝位を奪
った極悪人だろ。しかも歴史家まで脅して捏造する小人ぶり。救えない奴よ。

25 :
でも民は救えたな。 よかったよかった。
これぞ、名君。

26 :
>>25
李世民は名君だが仁君ではない。朱元璋だって民は救っている名君だ。それと
どうレベル。

27 :
>>26 レベルの高い同位置だな、それ。
ボンクラには想像もできないような統治手腕と忍耐と人事の適正があってできることだ。
された方は未知数で比較はできないが、少なくともしたほうがこんなに名君で当時の人は、助かったことだろう。
暴君であれば目も当てられなかったが…
後半、高句麗に負けているが、それは宋太祖だって北漢に負けている。
ことさら貶める必要はないって。
名君になろうと努力して、そういう評価と荒れた国土を回復させただけで十分だろう。

28 :
宋太祖は北漢に勝たなきゃならん理由があるが
唐太宗の高句麗征伐は完全な自己満足だから
同列に語るのはどうだろう?

29 :
たしかに。
同列に置くのは軽率な発言だった。 そこは訂正します。

30 :
>>21
人望があったんだろうな

31 :
切磋琢磨の衛武公が「徳」部門では最高の名君じゃないかい?

32 :
>>20
その基準だと後漢光武帝もトップクラスだな。
簒奪ではなく自力で創業した分、後ろめたさの無さにかけては宋太祖を上回る。

33 :
光武帝はトップクラスというか、トップだろうな。

34 :
確かに皇帝個人としては光武帝は非常に優れていると思うが、
後漢というイマイチな王朝の創始者というところがどうにもなあ。

35 :
イマイチというなら宋だってイマイチだったさ
共通点は暴君は出ないが暗君は出る

36 :
つまり王朝の性格がハデな方がいいと?
堅実なイメージはあるが、そのイマイチという認識(一般的だろうなぁ…)にすっげー不満アリアリ。

37 :
個人的にはそんなイマイチな王朝が俺も好きだけどね

38 :
後漢っていまいちか?
前漢、後漢、唐、宋、元、明、清をいけてる順にすると、どんな感じ?

39 :
派手な王朝だと民衆は外征に駆り出されて大迷惑。
結構内乱も多いしな。
統一国家を維持できていれば、イマイチ王朝の方が民衆は幸せで内科医?

40 :
後漢、宋、明なんかはその例かな

41 :
元はもう考慮の外として(フビライ期の外征の多さと、後継者たちの政治不在は酷すぎる)。
宋>清>明>前漢>後漢>唐 こんなとこかな。
後漢と唐は一時期を除いてとにかく規模の大小問わず反乱内紛が多すぎる。その点では
前漢のほうがまし。

42 :
東アジアに与えた影響という点で、唐は無視してはいけない王朝。
しかもこのとき、ユーラシア規模で、巨大国が揺らぐという共通の事象がみとめられるので、より象徴的なものとしても捉えることができる。
内実は>>唐は一時期を除いてとにかく規模の大小問わず反乱内紛が多すぎる<< に尽きるが、民族が多国籍化した王朝としては統一への求心力を、最後の最後まで保てたのは、結構すごいことだと思う。
結局は、内部の人間(朱温)によって乗っ取られたわけだからね。

43 :
ドコまでを民衆とするかだ
富豪連中まで含めるなら明が圧倒的に豊か

44 :
>>41
内紛反乱の多さなら明だって負けてないだろ。

45 :
実は民衆にとっては、武則天なんかが一番いい君主なんじゃ・・・

46 :
>>31
衛武公って春秋時代の武公和ですか?
兄貴をして君主になっているから、業績から考えて唐太宗に及ばないのではと思います。
お爺さんになっても諫言に耳を傾けたいうことは素晴らしいと思いますが。
世界史板の春秋戦国スレで聞いたら、過去の「瑕」が彼を名君にしたんじゃないかって言ってました。

47 :
>>45
貴族官僚弾圧と寒門からの人材登用は高く評価されていい。
密告制度も民衆の政治参加という面で語ると名君という評価も当て嵌まる。

48 :
衛の武公よりは魏の文侯の方が上って気もする

49 :
>>45 >>47
確かに善政をしいてるケド個人的な人徳については大いに問題あるよなー

50 :
覇王項羽だな
戦う君主最高

51 :
個人的人徳なら徽宗だって善人だから仁君になる。
名君には個人的感情をして政治を行う冷酷さが必要だし、
それは仁や徳とは逆のもの。
両方を兼ね備えている人間は稀有の存在で、冷酷な人間が仮面を被っているか、
人格者が世のために己をしているかどちらか。
極端だが洪武帝と光武帝が例としてわかりやすいか。

52 :
>>50
自分が負けるのは、自分が弱いのでは無く、
天が自分を滅ぼそうとしている・・・・
最後の最後まで勘違いしてましたね

53 :
そこは感動するところで、イヤミを言うところではないんだよ〜

54 :
符堅や蕭衍なんてどうだろう
戮皇帝続出の魏晋南北朝時代にあって稀有な存在だと思うけど

55 :
蕭衍は晩年仏教に傾倒しすぎで国政を乱し宇宙大将軍が暴走して最後は国を崩壊させたのが痛いな。
もっと早く死んでいればここのスレの条件に合致したのに…

56 :
符堅タンは萌えキャラだよな

57 :
>>51
友達に持つなら徽宗がいいな。

58 :
>>57
気前がよさそう。
張士誠なんかも。

59 :
つまり、そうやって他人を食いつぶそうと寄ってきたヤツラが、北宋六賊の正体なわけね…

60 :
趙匡胤や劉秀も友人としてはいいんじゃない?
ただ酒の席で愚痴やつまらんギャグ連発されそうだけど。
李成民は友人としては嫌だな落ち着かない。
いくら名君でも雍正帝とだけは係わり合いになりたくないな。

61 :
雍正帝みたいな上司は悪夢だな。
庶民にとっちゃ、雍正帝みたいなのは結構いい方の君主だろうけど。

62 :
光武帝は名君だけどなぜか中国でもマイナーで人気がないらしい
どっちかというと日本人好みの君主なのかな?日本でもマイナーだけど

63 :
名君でいるのってストレス溜まって身体に悪そうだな。
長生きした名君はストレス発散する方法があったか、
仕事が趣味みたいな人間なんだろうな。

64 :
雍正帝は過労死らしいね。

65 :
そう考えるとあの在位の長さで名君の評価を揺るがせにしない康熙帝は偉大だよな

66 :
>>62
光武帝の人生って完全なハッピーエンドだからじゃない。
天下を取り、惚れた女を妻にし、息子も優秀で後継者争いもなく、功臣の叛乱もないときてる。
幸福な人生より悲劇的な人生のほうが物語としてうけるんだろう。

67 :
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68 :
>>65
同じように幼いうちに即位して、在位期間が長かった皇帝として、
少し前に万暦帝がいるね・・・

69 :
>>68
万暦帝も最初はまじめだったらしいけど・・・
子供のころから皇帝やってりゃおかしくなるかもな。
康煕帝は死んだはずの父親が実は出家してたって伝説あるけど、
もし本当ならアドバイスとか受けていて、
それが皇帝としての勉強になったのかも。

70 :
最初はまじめと言うか、先生の張居正に厳しく躾けられたからな。
せっかく張居正が財政を建て直してくれたんだから、
あの後真面目にやっていたら、明はもっと続いただろうに。

71 :
>>70
結局は政治家としての資質の差か。
誰かから強制されないとまじめにやれないやつは、結局自由になればサボりだすよ。
きっと自分のこと意外は、考えるのも嫌だったんだろう。
そんな責任感の無いやつが皇帝になったのが、明にとって不幸だったんだな。

72 :
それを思えば、康熙帝の父親の順治帝もとても立派ですね。
彼も幼少の頃は、ホンタイジの弟のドルゴンが摂政として、清の基礎を固めてましたが、
ドルゴンの死後も毅然とした態度で政治に臨んだ点など、万暦帝とは天と地ほどの
差があると言っても良いでしょう。
また、ドルゴンの死後にその一党を罰しながらも、政策路線を変えなかった点は、
何気に商鞅を罰しながらも、変法を推し進めた秦の恵文王を思わせるものがあります。

73 :
でも順治帝は弟の妻を奪ってるんだよな。
儒教的モラルから母の再婚相手のドルゴン憎んでたのに、
自分もそのモラルを守れなかった。
それほどその女性を愛していたのだろうけど。

74 :
清の皇帝は、明だったらいずれも名君に分類されるレベルだな。
まあ、少数派異民族の王朝という弱点があるから、昏君なんて出す余裕がなかったんだろうけど。

75 :
清が明みたいな皇帝を輩出していたら、早晩崩壊しただろう。

76 :
清朝では並みの皇帝も、明朝だったら名君扱いになっただろうね。

77 :
順治帝と康熙帝が宦官の定員を大幅に削減して
明の轍を踏まないようにしたのも要因かもね。
何せ明代は宦官が十万人近く居て、その大半が金目当てに自宮した
たちの悪い人間。

78 :
自分で自宮したのに、宦官として採用してもらえなかった可哀想な奴もいたらしいねw

79 :
宋も太祖・太宗・真宗・仁宗・神宗と名君が多いと思う。
しかし徽宗のイメージが強すぎて馬鹿皇帝ばっかりとか思われてそう。

80 :
宋の皇帝ってイマイチパッとしない人ばっかだよね…

81 :
と言うか、宋朝自体が、軍事面でそんなに強くなく、
版図も小さいめだったから、ぱっとしないイメージを抱かれがち。
文化面、経済面で超大国だったけど。

82 :
三国志とかからの延長でみれば、どうしても軍事力とか大版図とか、そういう目で見る傾向があるだろうからな。
宋は軍事力マンセー、英雄マンセーに対するアンチとしての国家体制だから、そういう方面からみる人にはつまらんのだろう。
そう、今の日本を見ているようで、ね。

83 :
>>81
ただ南宋のイメージがあるからなんか好きになれないんだよな
性格が曲がっちゃってるというか……

84 :
ぶっちゃけ北宋も趙匡義のせいでイメージ悪い
李世民も永楽帝もその意味じゃ一緒なんだが、やった相手が趙匡胤ってコトがその理由だろうか
あとは趙兄弟のイメージが日本の足利兄弟のイメージと重なるというのもある

85 :
だが、仁宗や神宗時代のイメージはかなりいいぞ。
多少、停滞気味だが名臣と呼ばれる官僚たちが生き生きしている。

86 :
>>83
いわゆる主戦派の皆さんが北宋の実力も無視、たーだ「中華」のプライドだけで
金にぶつかってったお陰で危うく死ぬ目にあった高宗は、そうとう性格ひん曲がったらしいね。

87 :
人質にされている最中にも、主戦派の皆さんは和議を無視して、
平気で金軍に攻撃をかけてくれたりしたからなあw

88 :
仁君なら、自分の命より祖国の存立のほうを大事とするだろう。きっと。

89 :
>>89
頭でっかちな主戦派も皇子である以上、「自分の事は気にせず敵を打て」
と言って、壮絶なryとでも思ったのだろうが、
「俺があっちにいる間は絶対攻撃すんなよ、絶対だぞ」だった高宗だからねえww。

90 :
>>87 主戦派が、欽宗が人質なのに和議を蹴りまくったわけではない。
高宗が、和議の条件で欽宗に帰還されると、非常に困るから影で主戦派たちを煽動し、いらなくなったら実権を奪ったり、抹させたりした。

91 :
欽宗は治世が短すぎてどんな皇帝かよく判断できないけど、
可哀想イメージは強いな。

92 :
アホなオヤジの尻拭いで一生懸命がんばってたのに敵に異郷に拉致。
後を継いだ弟からは自身の保身のために、帰国を拒否られ失意のうちに死去だからな。

93 :
可哀想と言えば明朝最後の崇禎帝も。
袁崇煥を処刑したのは非難されてしかるべきだっただろうけど、
仮にそれがなくても、即位した時点で、
明を再建することはほぼ絶望的になっていたんじゃないだろうか。

94 :
清の康熙帝だろ。
この人の節約っぷりは凄すぎる。
国政を維持する費用は莫大なものに達するというのに
自らは率先して節約に尽くし、減税処置を毎年の如く実施。
庶民が着ているような物を着て、政務に尽くしていたというのだがら
もはや人民を労わるために天が使わした聖君ともいうべき逸材。
61年の長期に渡る治世も納得してしまう。

95 :
文字の獄がね。。。

96 :
西漢の宣帝

97 :
荒らしです

98 :
春秋戦国の鄭の簡公も、ある意味立派では?
子産、子展・子皮父子、子大叔と言った有能な人材を用いて、
不安定だった鄭の国勢を安定に導いたのですから。

99 :
雍正帝

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