2011年10月1期中国英雄武川鎮軍閥
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武川鎮軍閥
- 1 :06/11/09 〜 最終レス :09/01/24
- 八柱国、十二大将軍ってかっこいいな
- 2 :
- 関隴集団って呼ばれる人達ね
- 3 :
- 隋も唐も李密も、みんなこの系統だもんね。
- 4 :
- 武川ってどこらへん?
緯度と経度で
- 5 :
- >>4
手元の資料では、おおよそしかわからんな。
北緯41.1° 東経111.5° といったところかな?
緯度経度の見方をよく知らんから、この言い方であってるかどうかは知らない。
ちなみに、内モンゴルにあるフフホト市のなかの一県である武川県が、今の姿らしい(そこが幕府だったわけかな? よく知らん)。
- 6 :
- だいたい陝西や甘粛の方の勢力なんだよな
- 7 :
- マジか!? なら>>5は間違いだ。
どうみても甘粛ではない。 山西の北だと思ってた…
武川県とは関係ないのかな?
- 8 :
- 5の地域出身のグループが、6の地域(中国北西部)で勢力を伸ばし、
天下を統一したってことじゃね?
- 9 :
- 代郡武川だろ。現在の内モンゴル自治区の呼和浩特市のちょっと北に武川県があるが、そのちょっと西。
武川鎮の位置については>>5はほぼ正解。
関隴集団の性格としては>>6も間違いではない。
- 10 :
- 西魏のあれだから
- 11 :
- >>9 ああ、やっぱりそうだったんだ。
隋の頃の地図では、すでに武川鎮はないから、自信がなかったのだ。
考えてみると、武川鎮軍閥は皇帝が続々と輩出される宝庫なわけだが、後代の山西軍閥(河東節度使)も同様に皇帝を輩出したパンドラボックスwだったのは、なんか歴史の共通点を見るようで面白い。
どっちも遊牧系の民族出身者だったり、位置的にも近かったりと…
- 12 :
- この武川鎮軍閥ってのはほぼ鮮卑系で占められていたのかな。
- 13 :
- 宇文氏は鮮卑化した匈奴という説があったような。
独狐氏は匈奴独狐部の劉庫仁の子孫?
- 14 :
- 鮮卑主体で、匈奴が混合か
- 15 :
- 日常の生活にどれだけ遊牧民的な要素が残っていたかが、興味深いね。
- 16 :
- 隋唐にみられる女性活躍というのが、その一端だそうな。
- 17 :
- 「八柱国・十二大将軍」という枠組み自体が、実は帝室李氏を箔付け
するために唐代に捏造された代物だという説は、結局どうなったんだ。
- 18 :
- 普六如だの大野だの。
- 19 :
- >>17
あら、そうだったの
- 20 :
- >>11
ラティモアのリザーヴァー論読むと面白いよ
- 21 :
- 武則天の弾圧の矛先って、こういう関隴系貴族集団に向けられていたんだろうか?
- 22 :
- 最近流行り? らしい百度百科の記述
武川鎮(現在の蒙古武川県西部)は、中国の歴史上の北朝時代において、柔然を防衛するための6つの
軍鎮の1つ。元の名を黒城といい、武川と改めた。
武泰元年(528年)に至って、鎮は廃されて郡へと改められ、神武郡とされて朔州に属した。武川鎮は当時、
辺境を守る要地で、大量の将領軍隊が集まった。
多くの武川鎮の軍人出身の人物が、六鎮の乱において、局面を左右する人物となった。例えば北周の創
立者宇文泰は武川の軍隊の首領で、隋文帝楊堅の父楊忠及びその父祖もかつて武川の軍人であった。唐
朝の李氏の祖先も武川鎮の軍人出身であったことが確認されている。
- 23 :
- >>17
仮にそれが真実だったとしても、それでは隴西李氏以外の「八柱国・十二大将軍」が有力な勢族
だったことを裏書きしてるように思えるが?
- 24 :
- >>23
「八柱国十二大将軍家を中心として組織された武川陳、関隴集団」という陳寅格の説が成り立たなくなったというだけの話。
- 25 :
- 南朝系の貴族は、武川鎮軍閥系の貴族を見下したりしたのかな
- 26 :
- 李世民が、いろんな家の格付け表みたいなの作ってなかったっけ?
自分のところの李氏を筆頭にして。
- 27 :
- >>26 山東崔氏より下のわけがないだろ! ってね。
- 28 :
- 筆頭にしてたっけ?
5番目くらいに入れてたような…
- 29 :
- 他人に作らせたら李氏がトップに来なかったからブチキレて自作したんだよ
- 30 :
- 李世民って、そういう名誉のようなところに結構こだわるよね。
ちょっと狭量。
- 31 :
- 貞観氏族志ね。
でも山東の名族(崔・盧・李・鄭)の方も名声以外実質的には勢力無いのに
家柄を誇って他の氏族と婚姻するときには多額の財物を要求してたらしいね。
- 32 :
- 勢力が無いっていうことは無いんじゃないか?
貴族ネットワークが唐王朝を支えた柱の一本であったのは確かなんだから。
- 33 :
- 貴族システムの崩壊が一大転換点だからねー
- 34 :
- >李世民って、そういう名誉のようなところに結構こだわるよね
それだけ家格というものが当時の人間にとって重要な意味を持っていたということだろ。
現在の感覚で計ったらいかんよ。
- 35 :
- 追記
六朝時代にはその家格で官爵の上下が決められていた訳で、そこから考えると関隴集団が山東貴族より家格が下とされると政権を関隴系がとっていることの正当性が脅かされるということもあったのではないか。
- 36 :
- >>34
日本だって、源氏とか平氏にみんなこだわったし、
現実問題として官位を受ける時に必要だったからね。
- 37 :
- 宋代以降は、貴族制が崩壊したら、
家格なんてのもあまり気にしなくなったんだろうか。
- 38 :
- >>36
日本の源氏は、北魏の元氏の影響があったとかどこかで聞いたような・・・・・・
- 39 :
- 中国って“源”って姓はあったっけ?
“平”はあるよね。
- 40 :
- >>39
禿髪氏が北魏に降ったとき
もとは同じ苗字った拓跋氏が元になっていたので
同音の源に変えたとこの板で見た
- 41 :
- 爾朱栄=信長、高歓=秀吉、宇文泰=家康だよね?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1187604333/
- 42 :
- 乱を起こした時、武川の軍人らってそんなに窮乏していたの?
- 43 :
- >>42
元々特権階級、貴族に準じた扱いだったはずなのに、
いつの間にか奴隷みたいに見なされるようになっちゃった。
- 44 :
- 揚
- 45 :
- >>37
貴族は消滅したとは言っても、
貴族っぽいものは存在していたよ。
- 46 :
- >>45
宋代に台頭した新興地主層が、やがて貴族化していったけど
中世貴族社会のような、特定の家のみが支配層に居座り続けられる
社会ではない。
そこは今の日本と良く似ている。
陰かの操作はやっても、政治対立とかで相手にスキャンダルを暴露されると流刑にされた。
(まぁ、今の日本なら流刑なんて「極刑(笑)」はなく、お咎めなしがほとんどだから、
より貴族化しているともいえるかな?…毒舌)
- 47 :
- おぐんばつとな
- 48 :
- >>34
でも一番であることにソコまで拘るかな?
李家が楊家に臣従してたのが苦痛だったかね
- 49 :09/01/24
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【中国】軍閥期って区分は必要じゃね?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1232003169/
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