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2011年10月1期中国英雄【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】
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【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】
- 1 :07/01/04 〜 最終レス :10/07/12
- 中国の長い歴史の中で登場した数多くの宰相・政治家たちの中から、
特筆に値するであろう名相百名を選ぼうというスレです。
・推挙する政治家については、その理由を述べること。
・対象となる政治家は、近世以前の武将とし、近代以降の政治家は含めない。
・対象となる政治家は、特定の時代に偏らないように配慮する。
以上の三点に留意して、中国名相百選を決めましょう。
- 2 :
- スレ立て乙。
じゃあまずは春秋戦国から始めるか。
- 3 :
- >>1
スレ立て乙
個人的には周から選びたいんだけどしょうがないか
姫旦、姫?あぁ
- 4 :
- 時代区分
春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜439年 219年間)
南北朝(439年〜589年 150年間)
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
スレ立て乙です
とりあえずコピペ
- 5 :
- 周でも良いと思うよ
- 6 :
- 孔明は当然入るよな?
- 7 :
- 春秋戦国・・・とりあえずこの時代の政治家を適当に挙げた
管仲、鮑叔、あん嬰、伍子しょ、華元、士い、范れい
子産、趙無じゅつ、商鞅、呉起、藺相如、戦国四君
張儀、魏ぜん、呂不韋
- 8 :
- 取り敢えず春秋戦国から五名ほど
・管仲(名宰相の代名詞)
・商鞅(法治国家の立役者)
・范雎(遠交近攻策と保身を全うした事を評価)
・李斯(秦の天下統一の功労者)
・藺相如(趙随一の名臣)
- 9 :
- 周だと周公旦、召公セキ
春秋だと管仲、百里ケイ、趙盾、孫叔ゴウ、子産、晏嬰、伍員、文種ぐらいかな
- 10 :
- 晋の六卿は趙盾以降、宰相格としての働きが認められないと思うんだけど。
- 11 :
- 選定方法って
足りないのを補充していくの?
適当に挙げて削っていくの?
- 12 :
- >>10何を理由にそう思うんだ?
- 13 :
- 前漢から
陳平 権謀術数の策士として有名だか宰相としても超一流。
文帝に丞相としての役目とは何かと質問され見事な答えで文帝を感心させた。
公孫弘 曲学阿世で有名。
武帝の信任を得て大任を全うした。
丙吉 宰相となっても尊大ぶらず、小事にこだわらぬ大人(たいじん)。
(↑何処かの誰かさん見習えよ。)
- 14 :
- >>12
・領主としての立場が強すぎる。
・公室に力がなさすぎる。
んで正卿が宰相の役割を果たしてないから。
- 15 :
- >>4
もともそうなんだが、時代区分は若干の変更があったはずだが
- 16 :
- 名相でだったら春秋戦国でまとめず分けたほうがいい
- 17 :
- >>14晋の公室の力があからさまに弱くなったのは平公ぐらいからだと思う
それに何を持ってあなたが晋の正卿を宰相らしくないと言ってるのかわからない
- 18 :
- >>17
>晋の公室の力があからさまに弱くなったのは
オレは趙盾が趙括を公族大夫に仕立てたあたりだと思ってたんで>>14になる。
- 19 :
- 前漢と言えば蕭何(偉大すぎて忘れてたw)
功績は言うまでもないだろう!!
オマケで曹参
蕭何の後を引き継いで何も法をいじくらなかった為に名宰相と呼ばれた。
当初、国の治め方が分からなかったが老子の徒に治め方を聞いて善政を施した。
- 20 :
- >11
適当に挙げて削っていく方が良さそうな気がする
全時代から挙げるだけ挙げて、足したり削ったり
得意分野が後の時代だとその時代の話題になるまで何もできない
なんていうのは自分だけか
>15 こっち?違ってたら直してもらえると助かる
神話〜春秋戦国
秦・前漢
新〜後漢
魏晋〜五胡十六国
南北朝
隋唐
五代十国宋遼金
元
明
清
で、春秋と戦国を分けよう
神話
春秋
戦国
秦・前漢
新〜後漢
魏晋〜五胡十六国
南北朝
隋唐
五代十国宋遼金
元
明
清
蕭何、賛成
管仲、蕭何、趙普、張居正あたりは確定で良いのでは?
- 21 :
- 神話 ・伊いん・・・商の湯王に従い商王朝成立に貢献、基礎をつくる
暦の改定、官吏の位に応じての服の色を設定
・伊ちょく・・・伊いんの息子、太戊を補佐、衰退してた商王朝を復興
・姫旦(周公旦)・・・幼い成王に代わり天子を代行
しかも天下を個人所有する気なし
官職制度を整理、職務分担を正確に分けた
・姫せき(召公せき)・・・文王時代からの功臣、周王朝の西を統治
姫旦が死んだ後、成王を補佐
- 22 :
- 正直、周の東遷以前の歴史って、
正史の編纂という考えの無い時代だったことをいいことに
春秋戦国時代の学者たちに改竄されまくった時代で、
史実とは言いがたいと思うんだが・・・
やっぱ、時代区分は名将スレで散々議論して
ようやく決まった↓を用いるべきだと思う。
春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜439年 219年間)
南北朝(439年〜589年 150年間)
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
三皇五帝や、夏、殷、西周の相は正直いらん。
どうしても入れたいなら、姫旦だけで充分。
- 23 :
- 元朝のイスラム系は入るんかいな?
- 24 :
- 神話の人はよく分からないから入らないでしょ
- 25 :
- 春秋戦国・・・管夷吾(仲) 晏嬰 伍員(子しょ) 范れい 華元 子産 趙無恤
士い 商鞅 呉起 藺相如 戦国四君 張儀 魏ぜん 呂不韋
統一秦〜前漢・・・李斯 えい政(始皇帝) 蕭何 陳平 曹参 劉恒(文帝)
劉啓(景帝) 霍光 劉病已(宣帝)
新・後漢・・・劉秀(光武帝) ケ禹 寇恂
- 26 :
- >>25
スレタイを読み直しなさい
- 27 :
- >>26
バーって挙げて、削ってた方がいいと思うけどね
推挙する政治家の理由を述べて、反論されて議論って流れだと
いつまでたっても決まらないと思うけど
ただでさえスレ消費遅いのに
次からテンプレの三点に注意して挙げるよ
- 28 :
- >>23
名相なら入れない理由が無いだろ
逆に現在の定義なら幾ら名相だったとしても楚材は外れる
- 29 :
- 戦国四君は、ぶっちゃけ信陵君意外は割と凡のような・・・。
- 30 :
- いや、時間をかけて決めるのがいいんだな
なんども議論を重ね(ry
- 31 :
- 春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜420年 200年間)
南北朝〜隋(420年〜619年 199年間)
唐(618年〜907年 289年間)
五代〜北宋(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
猛将スレに手直し版があったけど、こっちのがいいな。
春秋戦国の異様な長さは気になるが…端数が出るので11等分にはしたくないし…
春秋と戦国を分けたいなら、比較的それぞれ期間の短い
統一秦・前漢〜唐までの枠を何とかいじるしかないと思う。
例えば、
春秋(BC770〜BC403)333年
戦国・秦(BC403〜BC202)201年
前漢〜新(BC202〜25)227年
後漢〜西晋(25〜316)291年
南北朝(316〜589)273年
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
こんな感じ
- 32 :
- >>31
東晋と五胡十六国は?
南朝は東晋が滅亡してから
北朝は五胡十六国を北魏が統一してからでしょ
- 33 :
- >>32
正直、その辺りはよう知らんからフォローが足りんかった、すまん。
年代見てくれたら分かると思うが、
その時期は南北朝の枠にしっかり含まれている。
- 34 :
- 改めて、
春秋(BC770〜BC403 333年間)
戦国〜秦(BC403年〜BC202年 201年間)
前漢〜新(BC202年〜25年 227年間)
後漢〜西晋(25年〜316年 291年間)
東晋・五胡十六国〜隋(316年〜618年 302年間)
唐(618年〜907年 289年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
>>32の指摘を踏まえたうえで、更に年数の均衡が取れるように微調整を施した。
こんなんでどうでっしゃろ?
- 35 :
- 前漢より
張良 韓の宰相で有りながら高祖の軍師として活躍。
漢での身分は軍師だが漢王朝の基礎・骨組みを作ったのは彼の力に因る処が大きい。
その点を考慮たうえで彼を強く推薦したい。
- 36 :
- >>34
時代の分け方はそれでいいと思う
手直しが必要な所は
秦が滅亡したのはBC206年
BC206〜BC202までは項羽と劉邦が争ってた
新の滅亡は23年、東晋の成立は317年
清の成立は1616年から
- 37 :
- 【みんなで】【決めよう】がシリーズ化しているなw
- 38 :
- >>36
分かった、それじゃ、これを完成品とする為、
矛盾が出ないように時代区分をより明確にてみますた。
春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の再統一) BC202年〜36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の再統一〜西晋の滅亡) 36年〜316年 280年間
東晋・五胡十六国〜隋(西晋の滅亡〜唐の建国) 316年〜618年 302年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間
- 39 :
- >>38
少し訂正
春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の再統一) BC202年〜25年 227年間
後漢・三国・西晋(後漢の再統一〜西晋の滅亡) 25年〜316年 291年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
これでいいと思う
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間
- 40 :
- ミスしたorz
春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の再統一) BC202年〜25年 227年間
後漢・三国・西晋(後漢の再統一〜西晋の滅亡) 25年〜316年 291年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間
これが完成品でよろしく
- 41 :
- >>38
細かい突っ込みだけど、
25年当時、劉秀はまだ中国を統一してないよ。
公孫述政権が蜀で健在だったから。
新末後漢初(恐ろしく語呂悪いな)の群雄たちも前漢枠に入れるつもりで、この括りにしたんです。
それに、この方が時代区分も比較的均等になって、良いと思う。
- 42 :
- >>38じゃなくて、>>39
すまんかったorz
- 43 :
- >>27
>>26は「名相」だから皇帝を入れるのがおかしいと言ってるんじゃないの?
- 44 :
- >>42
統一したのは36年だけど
後漢を再建した意味で25年のほうがいいかなと思った
>新末後漢初の群雄たちも前漢枠に入れるつもり
例えばだけどケ禹(群雄ではないが)とかも前漢枠の方に入れるの?
- 45 :
- >>43
確かにそうなんだが
スレタイでは名臣ってなってるけど
皇帝入れないときつくないか?
- 46 :
- あくまで俺の個人的な意見を言わせてもらえれば、
〜末〜初(新末後漢初、隋末唐初、元末明初、明末清初)とかいわれている時代に活躍した人間は、
負け組み群雄側の人間は前王朝、新王朝側の人間は新王朝の名相として評価するべきだと思っている。
だから、ケ禹は、俺個人の意見では後漢枠に入ると思っている。
- 47 :
- >>45
ん な こ た 知 ら ん 。
流れに任せよう。
- 48 :
- すまん、なぜか名前のところが44になっている、訳分からんな。
- 49 :
- あと皇帝は統一して帝位についた人間のことを指すでOK?
例えば曹丕、魏の初代皇帝なわけだが、曹丕はOUT?
- 50 :
- まぁ細かいこといいや
>>45の言うとおり意見されたら考えよう
- 51 :
- ミスorz
>>47だった
- 52 :
- 後に帝位に就いた人物であっても、官僚あるいは宰相としての実績があったらいいんでないの?
ただし、かなり限られてるでしょ、人臣→皇帝ってケースは(魏晋南北朝期に集中しそう)
司馬炎は名宰相かと言われれば、明らかに禅譲後の政策の方が有名だし
楊堅や劉裕のあたりは、名宰相?名臣?
かなり評価に分かれそうだ、やっぱり
- 53 :
- 春秋戦国が終わるの待ってられないので
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡)にエントリー
北魏の崔浩を推挙
某サイトからコピペ
崔浩(381〜450)
字は伯淵。清河郡武城の人。崔宏の子。若いころから経史に通じた。はじめ直郎に任ぜられた
。天興年間に著作郎に転じた。北魏の明元帝のはじめ、博士祭酒に進み、武城子に封ぜられた。太
武帝が即位すると、東郡公に改封され、太常卿に任ぜられた。のち司徒に上った。漢人官僚の推薦
をおこない、儒教的国制の確立につとめた。仏教を憎み、寇謙之とともに太武帝に勧めて廃仏を断
行した。太平真君十一年(450)、北魏の国史を編纂しようとして、鮮卑族の民族感情を刺激してしま
い、誅された。
補足
拓跋珪・拓跋嗣・拓跋Z三代に信任され、拓跋Z(太武帝)期の政略・戦略(軍略を含む)のほと
んどが崔浩の献策による。
太武帝曰く「事ある毎に崔浩に諮問するが予測が外れたことがない」
九品官人制をモデルにした身分制度を導入し、異なる民族を同じ序列に置き統合を図った
ありきたりな言い回しで、北族と漢族の融合に貢献したこと。
政治には関係ないけど
容姿について「浩繊妍白ル 如美婦人」魏書
性格はやや難あり
- 54 :
- >>52
>楊堅や劉裕のあたりは、名宰相?名臣?
どちらでも無いだろ。二人とも帝位を纂奪して訳だし。
- 55 :
- 春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の全国統一) BC202年〜36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の全国統一〜西晋の滅亡) 36年〜316年 280年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間
時代区分確定版です
- 56 :
- そのへんは、田中芳樹のように「皇帝になったやつは除外」でやっちゃった方がいっそいいのかもしれない。
- 57 :
- 政治家ではなく宰相なのが問題なんだろうな
- 58 :
- 迷相百選の方が簡単に出来そうな気がしてきた。
- 59 :
- >>57
>政治家ではなく宰相なのが問題なんだろうな
だから優れた君主や宰相の地位に無くてもある程度高位で
名臣と呼ばれる人物とかも推薦してもいいことにしないか?
細かい事はみんなで煮詰めていくと言うことで。
諸兄いかがでしょうか?
- 60 :
- いいと思う。宰相の定義だって時代とともに変わって、王朝によっては宰相格が
何人もいたりするし。
ただ最低条件として、国の中央政治に関わって業績を上げたことかな。地方の知事
として功績をあげた人まで挙げてたら限が無くなる。
- 61 :
- >>60
という事は、全国統一政権以外の地方政権の宰相は
選考外になるのですかい?
- 62 :
- >>60
>ただ最低条件として、国の中央政治に関わって業績を上げたことかな。
そうだね。自分もそれが良いと思います。
取り敢えずあれこれ人物を挙げていって議論するってのは如何でしょう。
>>61の意見は分かるが時代と地方の政権の規模にも因るのでは?
例えば東晋や前秦、北魏クラスならOKとか。その件も含め議論すれば良いかと。
五代十国とかも微妙な政権があるし。
- 63 :
- 名宰相の定義をどうするかも問題では?
「独創的な制度の創出」だけだと百名行かないだろうし。
- 64 :
- おいおい地方政権なしだと春秋戦国の名臣ほとんどいなくなってしまうぞ
孔明も選考から漏れてしまう
- 65 :
- 名相ってのが厄介だな
中国名臣百選(政治家)にすればよかったな
- 66 :
- 自分の頭の中では
春秋戦国・三国志・五代十国などの地方政権の宰相は
ずば抜けた影響力を持ったとか特殊事情がない限り
漢・唐・宋・明などの統一政権の宰相に比べるとランクが落ちる
地方政権の宰相もOKだけど統一政権の宰相優先って感じ
- 67 :
- 自分の中ではむしろ逆に近い
統一政権だと相当無茶をするか、政体が腐ってない限りなんとかなる
分国期のほうが他国との比較で政策の効果が判断しやすいし
- 68 :
- 例えば張廷玉は入るのかな?
- 69 :
- >>66 おれは地方勢力を国家あるいは幕府として存立させ、統治機構を整備した地方政権の宰相や廷臣をこそ評価するがね。短命すぎたら話にならんが。
統一王朝の宰相って言ってもやってることは、たとえば唐律や両税法の施行とか、権門だけじゃなく、広く人材を求めたとか、そういうのだろ。
地方政権とどう違うんだろうと問いたい。
- 70 :
- >>67
まあ王朝の創業や中興は実力がないと話にならないだろうが、
全盛ってヘマさえしなければ何とかなったりするものだしな
- 71 :
- 地方政権の宰相の方が有能だという意見が多数意見ならそれで進めて良いよ
- 72 :
- >>67
面倒みなきゃならん範囲と人口が大きいほど仕事も難しくなるんでないかい?
- 73 :
- 地方政権でも、規模の大きさで評価は変わるような気もする。
例として、十六国北燕の馮素弗とか五代後梁の敬翔とか、
「○○にこの人あり」と謳われるような人物でも、その領域を
考えると、名相と呼ぶには小粒だし…。
「当たり前だ!」と叱られるのは覚悟してますが、ご一考いただければ
有難いです。
(戦乱期の小国って、名相と名将を兼ねる人が多くありませんか?)
- 74 :
- まず挙げられるだけ挙げてから削ろうよ
話が進まない
- 75 :
- >>73 敬翔は軍政官だから、オールマイティもいいところ。
朱晃の代には、よく用いられたけど末帝は彼を遠ざけたから、小粒というかあんまりパッとしないイメージがあるかも。
それでいくと、晋の張承業などは、地方藩鎮の幕職官でありながら、よく本拠を治めた名臣。
この人と、この人が抜擢した馮道がいなければ、晋が後梁を打倒するところまで、戦いぬけたかかなり疑問。
こういう人は入れるべきだと思う。
わかりやすく言うと、楚漢争覇期の蕭何に匹敵する。
>>戦乱期の小国って、名相と名将を兼ねる人が多くありませんか?
安定せず、越権しないとどうしようもないほど人が足りないからね。だから権限も増し、他の臣に妬まれてされたりする。
本来、軍人と政治家なんて明確に線引きはされず、文字が読めるとか計算ができるとかで人を幕下に加えるから、腕っ節が自慢でも、読み書きできると文官の役を与えられるのが戦乱時。
武人の力を押さえ込もうとするのが治政時といってもいいくらい。
- 76 :
- 春秋戦国
【候補】
管夷吾(仲)→富国強兵策を採用し、桓公の覇業を補佐、【確定】に異存はないでしょう
伍員(子胥)
公孫僑(子産)→中国最初の成文法を制定、間違いなく【確定】
范蠡→たぶん【確定】、伝説的な後半生を除いても、越の宰相時代の功績がデカい
申不害
李?(李克?)
西門豹
藺相如
公孫鞅(商鞅)
黄歇(春申君)
個人的に、名臣だと思ってる人物を何人か
戦国四君に限って言えば、人臣として最も活躍したのは春申君ではなかろうか?
しかし、バランス悪いな
- 77 :
- >>76
呉起は?
- 78 :
- >>76
管仲、子産が入っていて安嬰が何故を候補に入れてないんだ。
安管と言えば斉の名宰相だろ。
霊・荘・景公の三代に仕え、政策は節倹力行を旨とし君主を諫めて国をよく治めたのが安嬰。
>>77
呉起はどちらかと言えば、軍事家・法治主義の先駆者としてのほうが強いな。
- 79 :
- >>77
呉起の戦績は抜群、政治家としても有能なんだが
死後にその功績が水泡に帰してしまったこと、魏には他にも有能な政治家がいたことを考慮して
あえて外した、いや普通に入っていても全然おかしくないんだけどね
別に十傑に絞る必要はないんだが、春秋戦国っていくらでも出せそうだから
>>78
晏嬰は文句無く名臣、なんだけどさ
国力を大きく伸ばしたわけでもなく、斉景公に覇を唱えさせたわけでもない
無事是名馬を地で行く名宰相なのは分かっているんだが、どうしても富国強兵した連中の方を
評価したくなってしまう
すまない、本当に自分の趣味だけで選んだ十名だから
- 80 :
- 西門豹はそれこそ地方の名知事レベルじゃないか?
- 81 :
- >>79
いいよ、確固たる信念をもって意見を述べているみたいだし。
確かに呉起は有能なのだが魏・楚じゃなく、もし秦に仕えていたら
商鞅以上の功績を残せていただろうに・・・orz
>晏嬰は国力を大きく伸ばしたわけでもなく、斉景公に覇を唱えさせたわけでもないが・・・
分かるよでも宰相って
『上は天子を補佐し四時の推移を順調ならしめ、下は地の恵みを豊かにし、
外は四方の蛮族を鎮撫し、内は万民を治め、諸官にその職務を全うさせる』のが
本来の任務だと、陳平が漢の文帝にそう述べているし、自分もそうだと思う。
この事は是非、諸兄にも知っていてほしいな。
(別に>>79に文句言ってる訳ではないよ)
- 82 :
- >>76
管仲が入っていて、晋の狐偃と趙衰、
秦の百里奚、楚の孫叔敖が入ってないのは何故?
いずれも、主君を覇者に押し立てただろ。
- 83 :
- >>82
勝手に弁護させてもらうけど
>春秋戦国っていくらでも出せそうだから
>すまない、本当に自分の趣味だけで選んだ十名だから
って>>76は言ってるよ。
- 84 :
- 「糠糟の妻」で有名な宋弘(後漢)
- 85 :
- 後漢
李膺 『登竜門』の故事で有名。
朝廷の綱紀がゆるんだなかにあって、高潔を保ち、
心ある人はその知遇を得ようと願った。
司隷校尉に就任後官界の綱紀粛正つとめ、宦官を震えあがらせた。
(反撃にたおれたが・・・orz)
楊震 王蜜に対し言った『天知、地知、子知、我知、何謂無知』言葉が有名。
地方長官から閣僚級(司徒)にまでなった人物。
先祖も昭帝の時に丞相を出した名門だがそれを鼻にかけず、
一門には贅沢を禁じ、清廉潔白な生き方を通した。
李膺は三公では無いけど有能さと名臣ということで推薦したい。
- 86 :
- >>85
最近宮城谷三国志読んだ?
そのふたりは結局腐敗した政治を立て直せなかったわけで、、
名臣であり声望は高いけど百選には入らないと思う
- 87 :
- 両漢は皇帝自身か外戚の専権者が印象的で名相という感じの人が少なくないかな?
前漢の人
・蕭何
言うまでもない
・桑弘羊
異論もあろうが、破綻同然の財政を立て直したのは彼の手腕によるところが大であろう
武帝末期から昭帝前期において、行政面は彼が牛耳っていたとみてよいだろうし、彼が財政を立て直したお陰で前漢はあと百年隆盛を誇ったと言ってよいのではなかろうか
・テキ方進
儒学と天文に明るい大学者で辣腕の政治家
外戚王氏がはびこる成帝後期に丞相となり、王氏勢力を分断・弱体化させた
また弛緩しつつある支配体制の立て直しのため幾つかの新制度や方策を打ち出す
特に三公制は実質的に彼が推進し、後漢末に至るまで採用された
専権者を含むなら、霍光も入って然るべきだと思う
- 88 :
- >>86
宮城谷氏はすきですが三国志は読んでません。
前漢は比較的、宰相として有名な人物はいるのだが。
後漢は豪族の連合体の体質から脱却しきれてないのと、
尚書が実質的に政治を動かすようになり三公が実行機関に過ぎない、
しかも幼帝が続き、外戚と宦官の専横でそれを押さえることを出来ていない。
その為、名相が余り見当たらないような気がする。
一応後漢の三公の名前を挙げとくよ
袁安 厳命かつ公正な政治を行ない評価は高い。
袁紹・袁術の先祖。
呉漢・とう禹・胡広・何休・陳パン・王梁・栄弘・伏シ甚・侯覇・李通・馬成・韓?・
とう融・欧陽エイ・劉隆・蔡茂・朱浮・馮勤
詳しい人がいれば説明頼みます。
- 89 :
- 春秋時代から推薦
宋の襄公を補佐した目夷(子魚)はどうかな?
小国なのに殷の末裔ってプライドだけで覇者になりたい
我儘な襄公をしっかり支えた彼は凄くないか?
本来なら君主の座に就いていてもおかしくない人物。
(止む得ない事情で臣下となってる訳だし)
- 90 :
- >>89
アホのアホな行動を止めきれなかったのは名宰相ではない。
忠臣ではあるがね。
- 91 :
- >90
そのアホを懸命に支えたから一応覇者になれたんだろ。
(最終結果だけで判断するのもどうかと思うが)
そんなこと言ったら李斯や諸葛亮、極論を言えば管仲、蕭何も名宰相じゃなくなるけど・・・
李斯は二世皇帝胡と趙高を諸葛亮は劉禅のアホな行動を止められなかったし、
管仲は自分の死後の事までをしっかり配慮できてない。
蕭何は臣下の謀反の原因である高祖の猜疑心を押さえてない。
第一、君主がアホか凡でも宰相次第でなんとかなるのが普通じゃないの?
それと反対意見も結構だか一人ぐらい推薦しろよ。
- 92 :
- >>91
存命中は抑えていられた事例と存命中に抑えられなくなった事例を並べるのはちょっと違うんじゃないかな?
まあ抑えきれなかった一点を持って名相でないというのは言いすぎかと思うが、多少のマイナス評価にはなるだろうね。
それと余談だが、劉禅は諸葛亮存命のころは特に変な行動はしてないよ。
むしろ諸葛亮の死を皇室にとって幸いだったと慶賀の念を表した家臣を処刑したりと人の上に立つ者としてふさわしい振る舞いもしてる。
劉禅の悪い面が出てきたのは董允が死んで抑える人がいなくなってから。
その結果、政治の腐敗は進んできたものの血なまぐさい政争にまでは発展させてない。
例えばお気に入りの黄皓らが画策した姜維降しに賛同しなかったりね。
もっとも単に決断力がなかったか、時間がなかったからかもしれないがw
- 93 :
- >>92
諸葛亮はむしろ劉備の呉への出兵を止められなかったのがマイナスだな。
あれは蜀漢としてやっちゃならん行動だ。
- 94 :
- いや?
蜀漢が荊州豪族の政権である以上、荊州本土を奪われたままなのは不味いよ
- 95 :
- >>94
そりゃマズいかマズくないかと言ったらマズいに決まってるが魏呉両方を敵に回すよりはマシだろう。
- 96 :
- だから戦争してある程度領土を分捕って
適当な所で呉と和議ってのが蜀漢の(劉備の)考えだったんだろう
- 97 :
- >>96
その荊州人脈の中心人物であり、三分の計という戦略立てて呉との外交受け持った諸葛亮本人が
「法正が生きていれば止められたし実施しても危険は避けられた」のにっていうくらいだから失策でしょ。
- 98 :
- >荊州人脈の中心人物
それは非常に胡散臭いんだが。諸葛亮に関しては荊州派閥では孤立してるという説も充分成り立つ
それに「法正が生きてれば〜」は事後の発言だし、夷陵における諸葛亮は沈黙を保って中立だよ
- 99 :
- >>98
いや、荊州人脈に劉備が価値を見いださなければそもそも27,8の若僧を厚遇せんでしょ。
それに、事後でも悔やむほどの大失態だったわけでねえ。
それを擁護するのはちょっと無理があると思うよ。
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