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2011年10月1期中国英雄【三国志を】後漢王朝が生き残る方法【阻止】
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【三国志を】後漢王朝が生き残る方法【阻止】
- 1 :07/03/26 〜 最終レス :11/06/17
- 黄巾の乱の後、後漢王朝最後の皇帝となってしまった劉協。
彼はどうすれば、後漢王朝を滅亡の淵から救い上げて、三国時代の到来を阻止し、
中興の祖となることができたでしょうか?
- 2 :
- 永遠に死ななきゃよかった
- 3 :
-
匈奴の単于の下に逃げ込み、機会を待つ
- 4 :
- 宦官の専横を許した時点で滅亡まっしぐら。
- 5 :
- マジレスするなら、章帝以降の皇帝が揃って若死にしたせいで、本来なら
代を追って強化されるべき帝権が弱いままだったのが、衰退の大きな理由だと
思う。
「皇帝が若死に→必然的に次代は幼主」
になったために、皇太后による臨朝称制が常態化しちゃった(=政治が
外戚に左右されてしまう、代替わりのたびに政権抗争が起こってしまう)
わけだから。
特に問題だったのが、安帝時代のケ太后ですかね?
「自分は女だから、士人(男)を近づけると倫理上まずい」
ことを理由に、中常侍を宦官から登用しだしたのが、宦官専横の原因に…。
…結局、後漢末の混乱って、宿痾化した負の積み重ねが招いたものであって、
どうあがいても不可避だったと思うのですよ。
それこそ、Mス・カァン(ハーンと言うと杉山がブチ切れるらしい)が
この時代に降臨したとしても、天下再統一は不可能でしょう。
- 6 :
- 個人として時代の流れの前に逆らえないでしょ
- 7 :
- 生き残るでいいのなら涼州あたりで細々と割拠じゃね
- 8 :
- 蜀に割拠するw
- 9 :
- (♯^ω^)ビキビキ
- 10 :
- 江戸時代の朝廷のような存在になる
のは無理か
- 11 :
- 無理っす
- 12 :
- 春秋時代の周朝は?と思ったが、
誰かが統一してしまったら、やばいな。
- 13 :
- 曹操に国名を漢にすることを条件に禅譲
- 14 :
- ソウヒが変えそう
- 15 :
- 皇甫嵩に帝位を譲る
- 16 :
- それだ!
- 17 :
- 曹不を養子にする
- 18 :
- ( ^ω^) お?
- 19 :
- 曹一族を紂するしかないのでは?
- 20 :
- 20get!
- 21 :
- 蜀漢に継承させるしかないな
- 22 :
- 仮に劉備が曹操を排して天下を統一しても、
やはり禅譲を迫っただろうね。
劉備は劉氏だから国号を変える必要がないし、
曹父子よりはるかに抵抗が少なさそう。
- 23 :
- >>5
>>11
>>22
なにか、こういう考えにも一面的というような違和感を感じる。
漢王朝に忠誠を誓っている家臣もいたし、
(今の日本の天皇家にも忠誠を感じている人がいるのに)
また、漢王朝が存続した方が利益が多いと思う豪族や名士、外戚もいたのだから、
献帝や劉虞の方が少なくとも劉備や呂布よりは出発点は好条件だし、
彼らがMス・カァン並の才能を持っていたも、存続は不可能と思えるほど、
状況は悪いかな。トップに立つ個人の持つ力量を軽視し過ぎじゃないか。
本人じゃないとはいえ、光武帝は再興しているし。
劉備も本人が帝位につくと抵抗があるから、実権だけ握ることにする可能性の方が高いと思う
一応、一族と認められているので王位につくことも抵抗ないし、
献帝の方から誅を試みて、廃位される危険をおかすことはないかも知れない
禅譲は曹丕がやったから先例となり、そのまま踏襲されただけで
ここで漢王朝が続いたら五胡の襲来、ひょっとしたら、モンゴルの襲来まで
続いたかも知れないよ
- 24 :
- ジンギスカンは所詮蒙古族の皇帝。
漢族の皇帝とは土台が異なる。
- 25 :
- 献帝に光武帝どころかテムジン並の才能あったとしても兵も権力もなかったからな
如何ともし難いのが現実だろう
あと漢の皇帝に「傀儡として」存続して欲しかった大臣や名士や群雄はいても、献帝の命に服すという意味で忠誠を誓うような奴がどれだけいたかね?
皇帝は群雄の囚われ人でしかなく、各地に自称皇帝や自称王が生まれ、袁紹や曹操ら有力群雄に漢への忠誠は無く、皇帝の自由になる軍事力も無い
献帝の代に至っては誰が禅譲を迫るか程度の問題で、漢はもう詰んでるんだよ
多分生き残る最後のチャンスは宦官戮
あれが無ければ皇帝の権力・権威はああまで無惨に失墜はしなかったはず
孟子が代表的だけど、中国では革命を肯定してる(むしろ、一つの王朝による支配には期限があると考えてたらしい)から、日本の天皇のようになることはまずあり得ない
天下の混乱が落ち着けば、必然的に漢は終わるんだよ
- 26 :
- >>25
高論ありがとう。あなたの言われることは良くわかる
ただ、テムジン並の才能があれば、個人的には王允や呂布、董承、楊奉などを心服させ、
李カクらを打倒し、その兵力を奪い、再興も可能であると思うがこれは空論
なのでやめておく。(もちろん、政治・行政にも大改革を行わねばならないだろう)
しかし、
>献帝の代に至っては誰が禅譲を迫るか程度の問題で、漢はもう詰んでるんだよ
>天下の混乱が落ち着けば、必然的に漢は終わるんだよ
これは言い過ぎなのでは? 自称皇帝の袁術はあれほどの大勢力なのに、
皇帝を名乗ったばかりに群雄から叩かれまくって滅亡したし。
曹操も漢から禅譲を受ける下準備でかなりの時間を割かれたようだし
劉備の漢中王はむしろ漢王朝の権威があると、少なくとも蜀陣営では
信じ込まれたいたことを裏付けるものだし。
それに禅譲が行われたのは神話の時代であり、周、秦、新(これもやったけど)は
みな新しい王朝に討ち滅ぼされている。
(王莽の真似などやりたい奴などおらん。かえって不吉だ)
直前まで臣下の礼をとっていた人間がいきなり無力な主君の家を滅ぼすのは
不自然だし、(周、秦、新はこの例に入らない)
日本の藤原氏のやり方の方が無用な責任や義務が生じにくいのでこっちを採用すること
もあり得ると思う。
天子の儀礼は政治家としては時間のロスが多すぎる。他人に預けた方が楽だ。
漢王朝は後代の他の王朝とは権威が違う。一度、復活をとげ、それから200年経っている。
ここで生まれた人間は全て漢王朝の臣下であった。
孟子の時代と違い、禅譲や放伐はおとぎ話に近かったはず。
王朝が変わることには心理的な抵抗がかなりあるはず。
政治システムを変えることに成功すれば(現実には無理な仮定だろうけど)
存続は可能だったのではないだろうか?
- 27 :
- 蒙古族と漢族を同列に並べるな。
蒙古兵が遊牧民の風俗上、軍隊というハードとして異常に強かったのであって、
それをジンギスカンというソフトのスペックに直結するのは理不尽。
東洋最高の英雄はジンギスカンで俺も異論はないが、
支那のトップとしての互換性は薄いだろうが。
- 28 :
- また英雄といっても所詮は一個人。
親の七光りや資本の背景無しに英雄たる個性を維持することは容易ではない。
(ジンギスカンは窮極の逆境から頂点に立った最強レベルの個性だけど、それが支那でそのまま通用するとは限らん)
- 29 :
- そもそも献帝は守成の素材としては十分すぎるのだ。
生まれた時代が水に合わないと考えるべきだろう。
だから、必然的に軍人として台頭してきた劉備が劉氏代表としての再構成の期待を背負うのも無理は無い。
仮に統一が為ったとして、建国の功臣の末路はどうなるかな?
玄武門の変が400年早くなるだけだろうよ。
- 30 :
- 日本などとは違って、中国の民衆はちからづく、という言葉を良く知っているし体現もしている。
日本はどういうわけか、政権が悪政を敷いていても、地域的な反乱(というかブーイング)
はあっても、政権それ自体をどうこうしようという発想はなかったようだ。
そういうことをやったのは、ある程度権威をもった階級のものがやっているにすぎない。
中国では知識階級ナニソレな人種が多く流入できる土地柄(地続き)だから、矛盾の多い政権末期には
内部から民衆の怒りが爆発するか、遠からず他国から圧迫されて終る。
日本は引き篭もりてきに、なぁなぁで維持して来たに過ぎない…(とさえ感じるくらい)
それに儀礼というものは、国家が大多数の民衆を支配するためにはかかせないパフォーマンスであり
現代のような政治と混同してはならない。
というか、今の政治化だって見え透いたパフォーマンスはよくするし、それによって人気をとろうともする。
多少、表現が近代的なだけで、メンタリティはそう変わるものではない。
- 31 :
- 「徳無き恐怖は忌まわしく、恐怖無き徳は無力である」とロベスピエールは言った。
黄巾の乱から何十年の戦乱か知らないが、社会基盤が完全崩壊してるのは間違いない。
そのような暗黒時代の収拾において求められるのは、唐太宗のような「徳と恐怖を両全した絶対天子」だ。
徳無き恐怖の権化である曹操と、恐怖無き徳として御輿に奉られた献帝の二頭体制で上手くいったのは袁氏勢力の消滅まで。
あとは曹操自身が簒奪の最右翼だった。
劉備は曹操より小粒だが、補佐さえマトモなら十分すぎるほど「徳と恐怖を両全した天子」として機能する。
まあ劉備死後は後漢以上に脆い政権が出来上がるだけだろうがな。
- 32 :
- >>26
レスありがとう
曹操・曹丕の禅譲は完全に新のパクリだよ
帝位が禅譲されうることは先に王莽が示してるわけだ
荀イクは漢の皇帝を単なる傀儡とみなし、魯粛に至っては漢を完全に見捨てている
曹操と袁紹は若い頃に天下取りの方策を語り合い、劉備は子供の頃から皇帝になることを夢見ていた
「漢はもうダメ」はほとんど当時の群雄や名士の統一見解に近い
ただ袁術の末路に象徴されるようにすぐ取って代わる勢力が出なかったのは、新たな王朝になる側に天下を治める資格(具体的には天下の統一)がなかったから
だから天下の混乱が収まれば漢は終わる、と条件を付けた
- 33 :
- やっぱり一番可能性があるなら遠い皇族から劉秀のような英傑が出て漢の名を継ぐしかないんじゃね?
劉備もそれを狙ってたんだろ
前漢と後漢は皇帝が遠い親戚ってだけで中身はかなり別物だし
- 34 :
- >>27
>>28
テムジンというのはただの例だよ。別に光武帝でも曹操でも劉備でも袁紹でもいい
ただ、テムジンと東洋第一の英雄なのであげただけ
無意味な仮定だけど、自分は英雄の才能はどの地域、どの時代でもある程度互換性は
あると思っているから。
(これまた無意味だが)献帝が軍事的天才ならば、呂布などを皇帝という権威もあって
心服できたかも知れないと思っただけ。そうならば、兵力も手に入るし、再興は可能と。
これは現実に起こってみないと分からない。
空論だからここまでにしよう
でも、
>献帝は守成の素材としては十分すぎるのだ
には完全に同意。凡人よりかなり上の才能だろう。
偶発的な血筋で、皇帝に就任する人物にこれ以上期待するのは無理だろう。
だから、
>>32
のいう通り、「漢はもうダメ」はよく分かる。
だが、魏は漢に完全にとって代われたかというと必ずしもそうではない
かなり権威は落ちる。駄目な漢より魏の方がとって代わられる時の抵抗は
はるかに少ない。
自分はまだ400年の余光は残っていたと思う。
(魯粛はともかく、曹操・袁紹・劉備は漢の実権を握ることを夢見ていたような
気がする。劉備のアレは「劉邦・劉秀になりたい!」程度の意味じゃないだろうか)
自分は王允、呂布を手足として使いこなし、政治改革をある程度できる
ぐらいの才能が献帝にあれば、漢王朝再興は可能だったと思うのだが
(呂布が本当に裏切らないかどうかは問わない。あくまで仮定だから
また、現実にこれほどのことを行うのは公孫サンや袁術クラスでも難しいだろう
上記にあげた人物の才能が献帝に宿るのは天文学的確率なのだが)
- 35 :
- >>34
曹操は結局未遂だが、
献帝の保護を拒否した袁紹と、帝位を僭称した劉備はアウトだろ。
俺は英雄は状況が創り出す者と思う人間なので、
英雄に相応しい人間が常に英雄として認められるラッキーチャンスを掴めるとは思わん。
だから、献帝が>>34で求められたような厨パワーを手にしても、霊帝以後では発揮自体が難しい。
仮定を重ねて、統一したとしても、煬帝や崇禎帝みたいな何処か無理のある男になるだけ。
その改革は一代で引っくり返されるだろう。曹操が息子にやられたみたいに。
- 36 :
- 劉封age
- 37 :
- 正直献帝のときにはもう手の施しようが無かったと思う。
跋扈将軍の専横などかなり前の段階で後漢王朝は既に有名無実化していた。
つまり後漢王朝を延命させるにはもっと前の段階で手を打たねばならないと思う。
光武帝は建国の功臣のうち、豪族出身者の者には実職を与えないというやり方で豪族の力を抑えようとしたけど、
息子の明帝や孫の章帝等の優秀な皇帝が位にあるうちはそれで良かったが、それ以降は結局豪族達が外戚化し後漢王朝は形骸化していった。
後漢王朝を延命させるには光武帝が、明の洪武帝のように功臣連中を徹底的に粛清しておくしかなかったと思う。
- 38 :
- いっそのこと高昌国みたいにってのはどうよ
- 39 :
- 粛清したところで効果があるとは思えない。
外戚の弊害は独裁制が完成を迎えるまで続いたし、完成しても別の問題が出た。
宦官に至っては辛亥革命まで取り除くことは不可能だった。
まあ後漢は最初の三代の遺産で続いたようなものだ。
あの時代までもったこと時代が既に凄い。
- 40 :
- 粛清粛清ってなんかすごいなw
- 41 :
- 後漢の不幸は4代目以降が全部赤子同然の幼少や20台いかずに死んでるところが不幸すぎる
普通の皇帝が続いてたら長持ちしたかも
- 42 :
- 霊帝は売官などで得た金で中央軍の強化再編を行っていた(西園八校尉のこと)
地方の混乱自体は抑えようがないとしても、この再編された中央軍が皇帝の元に機能すれば、地方軍閥が乱立しても漢の皇帝は自前の軍事力で独立を保ち天下に号令をかけることも出来たのではないか
霊帝の若死と、それにより西園軍を指導すべき宦官と外戚何氏が共に滅んだのが痛い
- 43 :
- ソフトバンク携帯について
この携帯は「全然つながらないから解約しようとしたら、6万請求された」とよく聞く(※)。
(つながりにくい理由は、ソフトバンクが使用する周波数が建物に弱いこと等、色々)
そして、各種プランが良くないが、ホワイトプランが特に良くない。
携帯のメーカーの数で考えて「友人の4分の1くらいは持ってる?」と考えがちだが…
ソフトバンク携帯を持つのは 約300人 に 1人。
300人の友人がいても、確率的にはそのうち1人しか無料にならない。(契約数/日本人口で計算)
その1人以外の通信料はすべて、他社の約2倍。1日たった7分でも月に1万円を超える。
トップが朝鮮人だからとは言わないが、日本人の客の満足度を真剣に考えてるとは思えない。
つながりにくいことにも、予想以上に金がかかることにも、解約金にも、すべて「後から」気づく。
「金さえとれば後で文句を言われてもOK」とも感じるので、気をつけて欲しい。
※…新聞記事は「0円携帯 解約に6万円 県、ソフトバンクに改善要望」で検索
↓ついでに。カモにされてるのは、ソフトバンク株を買ってる者も同じだった…
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1176891847/
- 44 :
- 漢時代、劉姓を勝手に名乗るのは無理?
- 45 :
- >>41
そうだろうね。
- 46 :
- >>44
うーん、どうでしょう
- 47 :
- 姓は無理じゃないけど皇族はたとえ遠くても税の免除などの特典があるので同時に詐称は死罪らしい
このことから劉備はやっぱり皇族の末裔じゃないかという説もある
- 48 :
- 漢王朝の戸籍を調べた上で、皇叔って称号をもらったんだから、
劉備の劉姓が詐称ってことはないだろう。
- 49 :
- なるほど、家柄では
劉備>>>>>>>>曹操>>>孫堅 って感じかな?
- 50 :
- 先祖だと自称していた中山王劉勝には百二十人以上子供がいたからな
その血を劉備が引いていてもおかしくない
- 51 :
- 200年たつと、皇帝の血縁が、むしろを織って暮らしてるんだな
- 52 :
- 董卓の専横はきになるが、自分の応援している劉備なら三国志の世界でも生き残れるはずだ。慧眼もすぐれてるしね。
- 53 :
- マジレスすると、黄巾党の兵乱すら秒した後漢王朝がアッサリ滅んだのは、以下の理由が挙げられる。
・何進が勅によって上洛を正当化した
・劉焉が州牧制を作り、地方政務官に独立裁量権と兵権を与えた
まず、何進が勅で地方の兵力を洛陽に集中させたせいで、地方で反乱が勃発し、異民族が侵入した。
これが、三国志における兵乱の直接的要因。
宦官、官僚、外戚が内ゲバやってただけだったのが、外部勢力の介入まで招いてしまった訳で。
次に、劉焉が提唱した州牧制によって、地方軍閥の割拠が完全に正当化されてしまった。
しかも、法的根拠の上に実力も伴ってるんで、おいそれと首のすげ替えが出来なくなってしまった。
この二つの出来事が無きゃ、後漢王朝はまだ少しは続いてたんじゃないのかと思える。
勢力の興亡は、政治的実権を誰が握っているかよりも、全体の統制が利いてることのほうが重要な訳で。
- 54 :
- うーむ・・・
- 55 :
- >>51
実質、前王朝の傍系の子孫でしかないからな。
中山靖王の子孫だという事が事実だとしてもね。
ただ莚を織って生計を立てていた直接の理由は父親が死んで収入が絶たれたからで、父親が生きていたら免職されない限りそこまで貧窮はしないであろう。
- 56 :
- >>53
そもそも後漢は黄巾を瞬してない
政権にとって重要な地域と黄巾の本拠地だけ平定して、各地の残党(といってもかなりの規模)は残っていた
他の群盗やら妖賊やらを含め、各地は霊帝の頃からかなり荒廃してた
それに何進が呼んだ地方の軍なんて一部だろう。異民族侵入は元からの傾向だし大々的にやったという意味では曹操の強制移住の方が重大
何進が生きていれば彼がリーダーシップを発揮して中央を制圧し地方の軍を鎮撫できただろうから、大した問題にはならなかったはず(最も、その場合は最後には何進の王朝が成立してしまうだろうが…ということは後漢はやはり終わりなのか)
- 57 :
- >>56
黄巾は大きなものは纏めて滅ぼしましたが、確かに残党は各地に残ってますね。
ただ、それが糾合するに至らず、収束に向かったのは、結局頭を叩いた事が大きいのではないでしょうか。
黄巾党の乱は結局、後漢を叩き潰すのには力不足だったと言えると考えられます。
他の賊も、中央の意向が機能している地域では滅ぼされている事を考えても、
少なくとも霊帝末期の頃には、事態は一度収束に向かっていると言えるのではないでしょうか。
董卓と丁原が軍勢をこぞって引き上げさせた事は、遊牧民が漢土に侵入する事を助けました。
というより、この二人、むしろ積極的に遊牧民の軍を利用していますよね。
遊牧民の侵入は、涼州荒廃、ヘイ州失墜の直接的要因ですし、五胡十六国時代到来の遠因です。
確かに、霊帝時代には鮮卑の壇石塊など絶対に無視できない存在もいますが、
彼の死によって勢力が一度衰退した事を考えると、やはり直接的な原因は、漢土への侵入が大きいのでは。
現に、曹操が先行して叩いた烏丸は、後の時代には殆ど活動が見られません。
他方、それ以外の方面は、魏国が統治した時点では、既に事態は収拾の付かない所にまで陥っています。
ひとたび平地に遊牧民が侵入した後は、鎮圧に当たった司令官の能力を問うのは酷ではないでしょうか。
張既、梁習、田豫、牽招、馬隆のような存在は、中国史を通じてもむしろ稀でしょう。
南蛮と山越が進入しきらなかったのは、遊牧民ではなかった事が大きいと思われます。
何進が仮に宦官を見事に一掃しても、勅を発してしまったなら、結局元の木阿弥になったように思います。
ただ確かに、事態は霊帝時代から最悪であり、結局の所霊帝時代からじゃなければ…というのは同意です。
- 58 :
- 霊帝でお手遅れかな・・・・
- 59 :
- 霊帝は中央軍改革をやってたが手遅れだろうし、何より中途半端で終わった感が強い
豪族の支配力が戦乱により強まり、強くなった豪族が戦乱を引き起こすというスパイラルだから、豪族が主体となる政権が成立するまでは混乱は収まらない
- 60 :
- つまり結局、群雄割拠は防げない。
曹操のようなのが延々現われて、周公旦やってくれないと滅亡。と。オワットル
- 61 :
- >>60
董卓や李カクがもっとしっかりしてて天下を一応抑えていたらいずれ簒奪してただろうし、袁紹が曹操に勝っていたらじきに天下統一して禅譲を迫っていただろう
曹操が微妙に勝ち切れない勢力だったからなかなか簒奪に至らなかっただけで、いずれ禅譲の道具になるだけだね
曹操死後に後継争いがあったりしたら漢ももう少しは長生きしただろうけど、少しの差だろうな
- 62 :
- >>61
周公旦プランですら、駄目なのか。どーすりゃ良いんだw
- 63 :
- >>62
その周公旦にも周王になったという説がある時点で終わってる
まあ皇帝を擁立する勢力が力を付け始めたら逃げるかすかし続ければいいんだよ
- 64 :
- >>63
王朝存続の為に延々と兵禍と粛清って…それって国家全体を見渡せば百害あって一理なしのようなw
- 65 :
- 劉備が同姓革命をすれば、ナショナリストもロイヤリストも目をつぶるだろう。
- 66 :
- >>64
その通りだと思うよ
だから荀イクだって誰だって皇帝を傀儡として連れてきましょうとは言っても権力や軍事力を返上しましょうなどとは言わなかった
>>65
劉焉が皇帝になる野望を秘めて益州に向かったのや、袁紹が劉虞を立てようとしたのは正にその発想
いくら後漢の系統が天命を失ったとはいえ、いきなり全く別の氏の王朝が立つことには抵抗も大きいが、劉氏の中でふさわしい人物に交替し、天命を新たに受けるという格好なら抵抗も少ない
- 67 :
- 黄巾の乱は、光武帝が軍縮で地方軍を減らしたため即座に対応できず大きくなったんで、
元々は大した反乱じゃなかったのかも
あと、中央軍も都の近くとはいえ地方に駐屯していたから、
首都の兵力が執金吾ぐらいしかなく、西園八校尉を新設せざるをえなくなった。
建国時の、名将がたくさんいて少数の兵力で十分という状態がずっと続いたからで、
もっと早く軍制改革していれば何とかなったかも。
財政破綻したかも知れんけど。
- 68 :
- >>66
まぁたしかに劉一門なら抵抗は少ないだろうが
そうなると皇帝候補擁立合戦になるね
- 69 :
- >>68
でも実績と評判のある奴でないと劉氏でも誰も支持しないよ
単に劉氏というだけなら血筋の分だけ劉協の方がマシなわけで
だから実際には擁立合戦まではならなかった
- 70 :
- >>69
劉焉、劉虞、劉岱、劉寵、劉表、劉ヨウでも駄目だったあたり、
もう血筋以外じゃ光武帝クラスじゃない限り、天下一丸となって奉戴とはいかなかったんだろうな。
- 71 :
- 擁立者の力次第
- 72 :
- 擁立者というより劉氏本人の実力だね
劉虞に即位待望論が生じたのは、彼自身に幽州牧等として実績があったから
- 73 :
- まぁ、劉虞の場合は、頭の中にお花畑が咲いてた。
だから、公孫サンとかには嫌われてしまった訳だけどな。
兵力居などは劉虞がされる前から、劉虞に臣従するフリしつつ、周辺を荒らしまわってたわけで。
しかし、牧としての実績は紛れもなく本人の能力による所だから、あれでダメならもう他でもダメだろうな。
- 74 :
- 兵力居って強そうな名前だよね
- 75 :
- 曹豹も名前だけで人気が出た。
- 76 :
- ( ;∀;) イイハナシダナー
- 77 :
- しかし、ここにいる誰かがタイムスリップして献帝に仕えても
どうしようもないわな。せいぜい予言者として名を残すか?
- 78 :
- >>77
予言して未来が変わり、知識と違う方向行ったら、後は腹決めて生き残りを図るしかないな。
ちなみに、前に友人と話してた時には、塩商人として生き抜くのが一番てっとり早いという結論だった。
三国時代の藻塩法と、流下式までの製法の差で約3000倍以上、生産力に差が出て来るんで。
- 79 :
- >>77
楊奉に、曹操と董昭と徐晃の言うことは聞くなと教えてやったら歴史が変わるかもしれない
- 80 :
- 呂布を討伐した時点で曹操が野心を見せなければよかったと思う。
あの時点では、曹操も漢朝の臣として劉備や袁紹とも協力体制を維持できていたわけだし。
重臣として帝を曹操が補佐していけば、漢は逆賊に侵されることもなく安泰だった・・・かな?
- 81 :
- 野心バリバリの袁紹をどう処理するのか。
功績を挙げていくと、いずれ皇族として迎え入れられかねない劉備をどうするのか。
この2つの問題が頭を悩ませる所だ。
献帝自身に、曹操におんぶに抱っこじゃ嫌だという意識が強いからなぁ。
- 82 :
- 演義か平話だけど、張飛が董卓に会うなり、
「気にくわねぇ、ぶちしてやる」
今度は曹操に会うなり、
「着にくわねぇ、ぶちしてやる」
二人が張飛を止めなきゃ、歴史は変わっていたのだろうと思った。
- 83 :
- >>82
> 「着にくわねぇ、ぶちしてやる」
あっ、誤変換すみません。
- 84 :
- >>82
確かに変わりそうだけど、それだと桃園三兄弟がただのテロリストで終わってしまうwww
- 85 :
- かなりカオスだなw
- 86 :
- 実際関羽もりゅうびもテロリストになるのはまずいと思ったから止めたんだろうしねw
- 87 :
- 実際関羽もりゅうびもテロリストになるのはまずいと思ったから止めたんだろうしねw
- 88 :
- ( ^ω^) なんで二回書くのw
- 89 :
- sage
- 90 :
- 史記には刺客列伝があるが、三国時代、目立った刺客はいないのかな
- 91 :
- >>90
蜀の大将軍・費イをした郭循くらいかなぁ。
- 92 :
- 董宅をした呂布や韓玄をした魏延
- 93 :
- 最初、魏延は魏の将だと思った
最初、呉蘭は呉の将だと思った
- 94 :
- 何故だ。何故みんな存在を無視するんだ。
そう、公孫氏の存在を…!
- 95 :
- こうさんそん
- 96 :
- >>95
(♯^ω^)ビキビキ
- 97 :
- 安藩万とかこの時代の異民族にいそうな名前だよね
…ごめん
- 98 :
- >>97 ___
./ \
.| ^ ^ |
| .>ノ(、_, )ヽ、.| <あまり私を怒らせないほうがいい
__! ! -=ニ=- ノ!___
/´ ̄ ̄ .|\`ニニ´/ `ヽ
{ .|__  ̄ ̄ヾ }
i;;',,, r---イ /|,、_,, ,',;:',i
.l;';',;,, } /;\ / ヽ / ,;,;;',;l
.|;;',;, } ./;;;,, \ / ;;;;;;ヽ ,,;;','i
i;',, / /;;,',';; ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i
i;,'; /./,',',';;" / \ ',',',;;,'i ,;',i
/ / i 、 / ヽ ',;::'、| \
ヽヽヽヾ丿 〈 ヽ'' {////
```` ト, i | 、 i´´´
- 99 :
- こやつらwwww
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