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2011年10月1期中国英雄【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
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ジェームス・ティエン(田俊)の消息
中国ものが好きなのに、金庸の小説が面白くなかった
朝鮮半島はなぜ歴代中華国に併呑されなかったのか
やっぱり三戦板に戻ろうや
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
- 1 :07/07/19 〜 最終レス :11/12/04
- ・神話の時代
黄帝-昌意-帝センギョク-称-巻章-重黎-呉回-陸終-季連(芋姓の祖)
・楚公室()
[季連の末裔鬻熊、周の文王の師となり、商を滅ぼす]
鬻熊-熊麗-熊狂-
[熊繹、成王により楚子に封じられる]
熊繹-熊艾-熊タン-熊勝-熊楊-
[熊渠、一度は王号を称するも周の脂、を恐れ、王号を称するのをやめる]
熊渠--熊摯紅-熊延-熊勇-熊厳-熊霜-熊徇-熊咢-若敖(熊儀)-霄敖(熊坎)-フン冒(熊ジュン)-
[熊通、隋を討ち、隋をつてに爵位をあげてもらおうとするが断られ、腹いせに王号を称する]
-武王(熊通)-文王(熊貲)-荘敖(熊艱)-成王(熊ツ)-穆王(商臣)-
[楚の荘王、晋をヒツの戦いで破り、覇者となるも共王、エン陵の戦いで破れ、覇権を失う]
-荘王(侶)-共王(審)-康王(招)-コウ敖(員)-霊王(囲)-新王(比)-
[平王、伍子胥を追放し、伍子胥の補佐を受けた呉王闔閭に首都を陥落させられる]
-平王(熊居)-昭王(珍)-恵王(章)-簡王(中)-声王(当)-
[悼王、呉起を信任し改革を行い君主権を強めるも悼王没後、旧弊に戻る]
-悼王(熊疑)-肅王(臧)-宣王(熊良夫)-威王(熊商)-
[懐王、秦に騙され秦に赴き秦で没す。負芻、秦の虜となり、楚は秦の郡となる]
-懐王(熊槐)-頃襄王(横)-考烈王(熊元)-幽王(悍)-哀王(猶)-負芻
- 2 :
- 急先鋒の名に恥じぬ疾風のごとき2get
>>3 遅せーんだよwコロッケでも食っても、デブw
- 3 :
- >コロッケでも食っても
日本語でおk
- 4 :
- >>3
宋代の中国人なんだから大目に見てやれよ
- 5 :
- m9(`・ω・´)<コロッケでも食っても!!!
なんかかわいい。
- 6 :
- ミャオ(苗)族の祖先なんだよな。
- 7 :
- 戦国になってからの没落はひどいな
ほとんどが負け戦の感じがする
- 8 :
- >>6
苗と楚は違うっしょ
- 9 :
- >>7
春秋時代は他の国が束になって楚に対抗してたもんね。
十分に天下を狙える位置だったな。
- 10 :
- スレタイの芋?にはどんな意味があるのかね。
- 11 :
- 1を見ろと言われる前に自己解決しました。
- 12 :
- 晋分裂の時にここぞ!ってわけにはいかんかったんかな
- 13 :
- ってその前に呉にぼっこにされてましたねごめんなさい
- 14 :
- wikipediaだと、クマーが「氏」ということになってるけど、
あれは「氏」なのか?
- 15 :
- 大雑把にいうと、春秋が対楚、戦国が対秦だね
斉などはそこそこの国力をずっと維持したような印象
トップは入れ替わったけどね
- 16 :
- >>14
クマーは首長を意味してるんじゃなかろか。
- 17 :
- お約束の疑問。
春申君が考烈王に子ができないのを利用した謀略。即位した李園の甥は幽王。
負芻と哀王猶は誰の子なんだと。
- 18 :
- こっちのは誤爆。ごめんなさいよっ。
- 19 :
- 霊王と平王あたりから良いとこないね、同時期の呉の季札や闔閭あたりと
くらべると公子の差が・・・、
共王あたりまで中原の国々に取って変わろうという野心が良い意味で見られ
たのだが、宋の盟によって平和になった事で楚も晋も活力がなくなった気が
する。
- 20 :
- その後の昭王、恵王は結構名君なんだけどね
- 21 :
- 重臣が一門である比率が魯並みに高そう
- 22 :
- 春秋時代のうちに、形になっただけの周を遠慮なしに滅ぼしておけばよかったのかも
- 23 :
- >>22
周も一応日本の戦国時代の朝廷同様、形だけでも神聖不可侵の存在だったはず。
もし周王朝に矛先を向けるような事があれば他の国から言いがかりをつけられて攻撃される。
- 24 :
- >>23
我は蛮夷なり
中華の号諡に与らず
- 25 :
- 子爵ってのも疑わしい。
- 26 :
- >>22
荘王は戦争をかなり行ってるはずだが、決して無理な事は
しなかった、国力を消耗させる事がなかったから名君だった
のだろう。
- 27 :
- 成王も名君の部類だと思うんだがなあ。
- 28 :
- 桓公、穆公、文公と時期がかぶってるからな
- 29 :
- 正直子玉の言うとおり文公しとけば成王の天下だよな
- 30 :
- 群臣のほとんどが王族だったのがまず問題だと思うんだ。
- 31 :
- 晋みたいにほとんど外様なのも困るけどな
- 32 :
- そう考えると極端な国家が二強だったんだな
春秋時代は
- 33 :
- 天子以外に三軍を持てたのは晋と楚だけだしな。
- 34 :
- >>33
斉も三軍じゃね
一軍一万人と少なめだけど
- 35 :
- 後年の魯も三軍を設けているはず。
- 36 :
- 覇権成立後の三軍は卿の私兵みたいなものだよね
魯でも成立できるならなおさら。
国力の比率なら
晋6:楚6:秦4:斉3:鄭2.5:魯2:宋2:衛1.5:陳1
これくらいかな
- 37 :
- >>36
比率なのに小数点以下がある
斉と鄭の差が無さ杉
- 38 :
- 【暫定数値】
晋12:楚12:秦8:斉6:鄭5:魯4:宋4:衛3:陳2
ほんまかいな。
- 39 :
- >>37
比で表す時は必ず整数じゃなきゃいけないなんて決まりは無いよ
- 40 :
- 晋10 楚12 秦6 斉7 鄭・宋・魯・衛は3〜4 と見た
斉はやはり人口多いから秦よりは上だろうし
楚は国土の広さや国制からして国力の効率的な運用は下手そう
- 41 :
- 地理的に見て、晋秦楚に挟まれている鄭は滅びていないだけでも評価すべき。
- 42 :
- 楚>晋>斉・秦>鄭>衛・宋・魯>陳・蔡・曹 番外:燕(評価できず)
なのは異論はない、かな?
戦国初期の秦の弱体っぷりを見ると斉>秦でもいい気がするけれど
- 43 :
- 周と呉と越は?
- 44 :
- >>43
周……日本で言う朝廷みたいなものだから評価外
呉・越は
斉・秦>越>呉>鄭でどうかな?
場合によっては覇者に認定されるくらいだから
鄭の方が上ってことはないと思うけれど
鄭は初期の勢いがありまくる時期と
二面外交ながらうまく渡り歩いた時期があるから評価が難しいww
- 45 :
- スレタイとは全く関係なくなってるけど
往事の虢は>>44の越・呉ぐらいかな斉・秦は及ばない感じで
- 46 :
- 楚って攻め込まれたことはほとんどゼロだよな。
つまり単純な力関係は楚>晋で中原同盟を組んでようやく互角だったと思われる。
- 47 :
- 春秋時代の時、燕は中原の争いよりも北方の民族と戦っていたんすかね〜
- 48 :
- 燕は春秋期に国といえるような規模だったのだろうか。って楚のスレでやらんでも。
- 49 :
- 燕って沢山あるよね
- 50 :
- 北燕と南燕?
そういえば武王伐紂王平話には、黄飛虎は南燕王になってるよね
- 51 :
- 戦国期の燕になぞらえて、幽州に割拠した勢力は燕を名乗るなぁ。
安禄山もだし劉守光もそうだ。
地域名でいえば、春秋戦国のころの地区割りみたいなのはずっと残ってる。
- 52 :
- しかし燕の歴史がほとんどわからないというのは、あの辺りは
当時秦や楚よりも辺境だったということなのかな
それとも燕が積極的に係わりを持たなかったから歴史に顕れない
のか
三国時代にも公孫氏政権がかなり後まで存在したし
- 53 :
- 春秋時代末期に趙氏が晋陽・代を手に入れてやっと中原から
つながった感じかな、逆に燕から代へ攻めたという事はあり
そうだけど、代にも勝てない程度の国力ですかね。
- 54 :
- 子文
- 55 :
- 燕も背後に遊牧民のような敵がいなければ、中原志向が強まったかな。
- 56 :
- 史記の世家読むと建国と昭王以外に記事がないから
燕って春秋時代に本当にあったのか? って思えてくる
戦国初期あたりに、中山みたいに建国したんじゃないかって
君主の系譜は南燕と混じってるらしいし
燕が出てくる春秋時代の話って何かある?
- 57 :
- 燕って何だか本当は異民族系の王朝のような気がするな。
文化面でも中原とかなり違いがあったんじゃないだろうか。
- 58 :
- 楚のスレなのに燕に乗っ取られましたな
- 59 :
- 言いだしっぺとしては残念でございます。
- 60 :
- 楚というとどうしても項羽のイメージが
- 61 :
- 俺としては荘王のイメージがあるね
- 62 :
- >>56
斉の桓公に助けてもらう話。
あと、春秋事語にちょっとだけあるらしい。
- 63 :
- 春秋の国々なんてほとんど異民族なんじゃない?
- 64 :
- 形だけでも周に帰属している格好の国々と、
それ以外の遊牧民とだったら、
明らかに別の民族だという意識はあったと思う。
- 65 :
- 項羽は項羽であって、あんまり国家としての楚とは結びつかない
- 66 :
- 戦国時代以降は、他の中原諸国と同様に、天下の一員って感じだろう。
- 67 :
- 楚の武王、文王んときはまだ地方で暴れている蛮族程度にしか思われてなかったけど
成王のときに中原に進出し天下の一部だと認識されたんじゃないかな
- 68 :
- 結局、全国政権の楚が登場することはなかったな。
- 69 :
- 項羽、陳勝、桓玄
どれも短命だったな
- 70 :
- 張邦昌もね
- 71 :
- 楚出身の劉邦は見事に天下を取ったんだけどね。
- 72 :
- 隋末の群雄割拠時にも楚を建てた者はいるし、
五代十国の一つにも楚がある。
意外と楚は多い。
- 73 :
- >>71
劉邦の出身地って、元々は楚の領域じゃないよね。
- 74 :
- 戦国末期に斉が衰えて、楚の領域になったってところか。
- 75 :
- 沛は項羽と劉邦が抗争してる時は完全に楚の版図だったのに
よく無事に切り抜けられたなぁ。
項羽なら腹いせに住人皆しとかやりかねんし。
- 76 :
- 宮城谷氏が荘王が楚の累代の君主で最高の君主と誉めていたな
だいたいの人がそう評価するだろうね
- 77 :
- 成王の最期がああじゃなかったら結構意見分かれたんだろうけどな
- 78 :
- >>75
単に、そこまで気が回らんかっただけだったり
- 79 :
- 行ってみたら劉邦がゴロツキでどう迷惑だったかを力説されて
一緒に悪口言いまくって満足して帰ってきてたりしてな
- 80 :
- 王朝が○王の時代、どこの国が△公で、あそこの国は□公だった
なんていうチャート、どこかにない?
ばらばらの家系図は見かけるんだけど、横に並べたやつがみつからない
- 81 :
- >>80
自分で作ってうp!
- 82 :
- 春秋戦国時代限定なら
春秋戦国史(http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/)の列国史のページに、
周王およびその他有力諸侯の在位年表があるね
弱小もカバーしてるところとなると、俺は知らない
- 83 :
- >>82
そこのサイト、あれこれ便利だったわ。
- 84 :
- >>82
感謝 見てみた
これだけ列国カバーしてくれてたら充分です
- 85 :
- 伍子胥って呉越を滅ぼす為に送られたとしか思えない。
- 86 :
- 呉と楚の戦争は伍子胥、孫武といった呉の人物にスポットが当たることが多いが
楚にも昭王、沈尹ジュツ、子西、申包胥といったなかなか面白い人物がいる。
なかでも子西は物語になりそうな人物だ。
昭王の兄でありながら、王の座を弟に譲った謙虚な人。呉の反攻に尽力をつくし、
呉から解放された後の楚を立て直した手腕は名宰相と言ってもいい。
最後は多くの人に反対されながらも兄太子建の遺児白公勝を迎え入れ、白公勝にされてしまう。
もっと評価されるべき人物。
- 87 :
- 確かに、呉に叩きのめされた後の「楚の復興話」は
小説としても面白そうだな
- 88 :
- 戦国時代後半、楚がもっと国家として活性化していたら、
秦と覇権を争って面白くなっただろうにな。
- 89 :
- 呉起の改革が楚に根付くことがあったなら、楚は簡単に首都を奪われることはなかっただろうね
- 90 :
- >>87
いつの間にやら復興してる感がある
- 91 :
- 楚は時々滅亡させられそうになってその都度復活してる感が
- 92 :
- 項羽の楚が別の楚であると考えると、楚が滅亡の危機に陥り、
復活できたのは呉が首都を落としたときと、白起が首都を落としたときか
呉のときは首都を奪還できた(後で、別の場所に遷都したが)が、白起のときはできてないのは興味深い
- 93 :
- スレタイのセンスが秀逸だな
- 94 :
- 「燃ゆる呉越」(原題:越王勾踐)
http://www.vap.co.jp/goetsu/index.html
日本版トレーラー
http://www.vap.co.jp/video/tr/0803goetsu.html
- 95 :
- 賢なるかな楚の荘王
- 96 :
- 共王の諡号を遺言に逆らって変更したエピソードがかっこよすぎる
- 97 :
- 対して成王はまさに往生際が悪すぎるな
- 98 :
- そうか?
どっちも「諡号はその人の人生を正当に評価したモノでなくてはならぬ」
つーいい例だと思うが。諡号の話をするときは必ずこの二人のことを話すよ。
- 99 :
- 初めてきたけど素晴らしいスレタイだな。
いまさらながら>>10が「芋」で覚えていないか心配w
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中国ものが好きなのに、金庸の小説が面白くなかった
朝鮮半島はなぜ歴代中華国に併呑されなかったのか
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