2011年10月1期DTMBTMのススメ 1
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【ユニット】相方を探すスレ【エンジニア】
ボーナスで買う機材挙げてけ
FM音源? どうでもいい!だろ? Part11
BTMのススメ 1
- 1 :11/07/02 〜 最終レス :11/10/21
- アナログ→デジタル→ブレイン
個々のアナログ楽器をリニア録音していた時代が
ソフト音源によるノンリニア編集の時代に変わった(デジタル)。
だがまだ進化を続ける。究極はブレイントップミュージック(BTM)。
「経験」という物質を超えたリソースを生かすことができ
ノンリニア編集を超えた5次元編集(多焦点、多方向、無時間概念、感情感覚の利用)
完全なる想像力の世界。メモリ制限も無限に拡大可能。
個人が音楽制作→みんなに公開‥という古いお約束パターンに飽きてしまった人
そもそも脳内の創造物を「カタチ」としてアプトプットすることに疑問を感じる人
多くのDTMユーザーはPC内のHDDの隅に創作作品が葬られているという現実
BTMであれば制作楽曲が中途半端で終わることはない
そもそも完成という概念も途中という概念も存在しない
本来、生きていくことや幸福になるための糧である「お金」を無駄にすることもない
所有している「物質」を完全ゼロにできる
創作もライブもすべて脳内補完で楽しもう、それが次世代の音楽制作スタイル
グルーピーとのファックも脳内で楽しめる
- 2 :
- 以下今日の昼ごはんスレ。
今日は松屋のトマトカレーかな?
- 3 :
- 結局アップルという会社が新しい技術を発表したり
そもそも70年代に同社が世に打ち出した「体験」というテーマは
人間の想像力を超えることはできていない。
それどころか、本来備えられている
「想像力」を衰えさせる結果にすらなっている
テーマパークのアトラクションも3D映画も
疑似体験なのだけど、所詮は物質を超えられない
それはソフト音源もDAWも同様である。
人間の想像力の手助けどころか、ただの妨げである。
- 4 :
- 誰にも曲聴かせられないから完全にーじゃん
- 5 :
- なぜ脳内の想像物をカタチとしてアウトップットすることがセオリーとなってしまったのか
それは、他人に伝える手段である。脳内の情報を物質に転換する必要がある。
ただし、それはあくまで「他人に伝える」という欲求があることにより定義される行為だ。
あなたはそこまでして他人に脳内の想像物を知らしめたいのか?
あなたの創作物はPC内で葬り去られ、墓場のようになっているのはなぜか?
それらの疑問に向き合ったとき、ある答えが出てくる。
アウトプットするという行為そのものが、そもそも間違っているのだと。
- 6 :
- 常識と考えられ植え付けられてしまっている固定概念から解き放たれよ。
音楽を楽しむ為に、物質は必ずしも必要ではない。
- 7 :
- 現代社会において、音楽を制作するスタイルは様々だが
人々は、「ある楽器の音色」からヒントを得たり
「何かの現存する物質的要素」を切っ掛けとして
そこから曲作りを広げていったりする人が多いように思う。
それらのような手法は完全に間違っている。
だから同じような楽曲で溢れてしまっているのだ。
だから陳腐化してしまうのだ。
完全なる想像力の世界では、何かに頼るようなことはない。
無限世界、無限空間の中でふと浮かびあがる「人生の経験によるエレメント」を根源とした
独創的な創作物が次々と完成されていく。
過去の著名な音楽家はそもそもそうやって創作を行ってきたから素晴らしい音楽が多いのだ。
現在のデータベース化された社会、デジタル化された音源などは
人間本来の想像力を見事に破壊してくれてた。
しかも現代において他人に自分の想像世界を公開するという行為は
形式化され過ぎて魅力を感じない、つまり欲求としてではなく、作業と化してしまっている現状により
一度見直す必要があると思う。ーで良いのだ。
ーが間違っているという定義はどこにもない。すべてはーが基点である。原点回帰だ。
- 8 :
- つまりは楽器も録音機器も必要がなく、
他人に公開する必要に駆られることもない
それこそがBTMだ。
- 9 :
- 実はBTMを応用すれば
「音楽」や「映画」というカテゴライズすらも必要なくなる。
人生すらもイメージが可能であり、
例えば、自分が内閣総理大臣に就任し現存するすべての社会的問題解決を行うことも
軍事国家を設立し戦争を起こすことも、女子アイドルグループのトップになることも可能である。
実際に物質的な考え方でそれらを行おうとすると様々な苦労や問題に直面する。
つまりは良いことばかりではないのだ。そして達成されるかどうかもわからない。
なぜ人は自らが物質的な体験を得ようとするのか?
人間の幸福作用、快楽作用を生み出す要素は
必ずしも5感を必要しない。イメージのみで享受することが可能である。
ただし、生きているということが前提である。今日、明日生きていく食料や望みがなければ
イメージで快楽を得ることもままならない。
あなたはそれでも高いお金を払い(生きていくことや幸福の糧であるお金を消費し)
物質的な満足を得る為に高価な楽器を買いますか?
欲求をコントロールし、そもそもどこへ辿り着きたいが為に、その行動に出ようとしているのかを
考えてみれば、おのずとBTMという世界の素晴らしさが理解できるはずである。
- 10 :
- ____
/ \
/ ⌒ ⌒ \ なにいってだこいつ
/ (●) (●) \
| 、" ゙)(__人__)" ) ___________
\ 。` ⌒゚:j´ ,/ j゙~~| | | |
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 ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__|_
- 11 :
- 以下このスレはベッドで寝転びながらノートPCで曲を作る、
BTM(BedTopMusic)のスレになりました。
寝転びながら作曲するための機材やノウハウを語り合いましょう
- 12 :
- 寝転んでノートPCするときの問題点を列挙すると
・首が痛くなる
・腰が痛くなる
・肘が圧迫されて手が痺れてくる
まずこの3つをいかに解消するかだな
- 13 :
- 風呂に入りながら鼻歌で作曲する
BTM(Bath Time Music)なんか作業はかどるけどなぁ。
- 14 :
- >>1
結局 言いたいことは
DAWに挫折しますた
ってことで おk?
- 15 :
- ーでいいというのはごもっともだが音楽の原点では無いなあ
- 16 :
- >>1
あぁ、ガムやるよ
- 17 :
- ベッドルームテクノミュージック
- 18 :
- >>1
文章がたくえむにそっくり
- 19 :
- 自己啓発本や変な哲学本を読み漁って、意味もなく朝活(笑)に励んでそうなタイプだな
- 20 :
- なかなか感心だな。
>>11
BTMを突き詰めるならば、まだまだ甘い。
俺ならベッドに寝転びながらノートPCすら使わない。
それこそがブレイントップミュージックだ。
>>13
君は惜しいな。
俺なら風呂に入りながら鼻歌というアウトプット作業は行わない。
イメージだけで完結する。それこそがBTMだ。
>>14
DTMに挫折?DTMが挫折した瞬間を感じたんだよ。これからはBTMの幕開けとなるだろう。
>>15
君のようなタイプは、何か物質的な切っ掛けを基に音楽を作り始める感じなのかな?確定はないが。
イメージから作り始めてから物質的な制作へ進めた経験があるならば
ーの重要性は理解できるはず。
>>19
自己啓発本や伝承されている哲学などは嫌いだ。
なぜならそれらはアウトプットされた物質要素であるからだ。
本質だけで良い。
つまり脳内創作物を他人に伝える必要などない。
- 21 :
- ブレイントップって何だよ
言葉おかしいだろ
- 22 :
- デスクトップミュージックもおかしいだろ
それに合わせた造語だよ
- 23 :
- >>1はあやしい脳科学の人みたいw
- 24 :
- 伝える必要が無いと言いつつその思想を不特定多数に公開しちゃってるじゃない
スレ立て時点でゲームオーバーじゃんよ
- 25 :
- >>24
ここに書いてる内容は音楽でも創作物でもないぞ?俺は哲学者でもない。
趣味で音楽を作り続けてきただけの一般者だ。
君はレベルの低い上げ足取りしかできんのか?せめて日本語を読めるようになってから出直してこい
- 26 :
- 全員、もう一度しっかり1から読むように。
「個人が音楽制作→みんなに公開‥という古いお約束パターンに飽きてしまった人」
ネットが存在しない時代までは自分の創作物を伝達する手段というものが、
テレビや雑誌など原始的な方法しかなかった。
つまり、音楽を創作しても、そこから他人に伝えるまでがまた茨の道だったわけだ。
そのハードな関門をすべてクリアして、初めてリスナーに想像物が届いたわけで
まあ小学生の遠足と同じだわな、家に着くまでが遠足です。っていう。
今は遠足先の目的地まで「どこでもドア」のようなシステムで一瞬で到着、帰路もなく
遠足先の内容のみが、遠足の評価に繋がっている。
野球部に入れば、どんな学校の誰もがとりあえず甲子園に出場できる、みたいなノリだ。
そこへ至るまでの苦労や、伴うドラマ感もない。優良作も駄作もコンビニで陳列されている状態。
いまテニスのグランドスラム、ウィンブルドンが開催されているが
なんたら選手権みたいな、運や実力で上がってきた研ぎ澄まされた才能というものを
人は求める傾向にある。それを楽しみたい。
だが現在の音楽に関係するシステムはリスナーの期待よりも
配信者の都合に合わせたシステムに成り下がっている。リスナーよりも制作者の為のシステム、時代。
これがすべてをダメにしており
結果、制作者の戦意すらも失わせている。そして本質に気付く。
そこまでしてみんなに聴いて欲しいのか?なんのために?それが一体なんの意味が?
アウトプットする為に物質的なカタチにしなければならないが
そうする為にはそれなりの機材や、落ちぶれたセオリーを通過しなければならない。
コンビニの陳列に自分の「独創的な音楽」が並ぶ頃に、果たして自分は満足しているのだろうか?
- 27 :
- 20 :ブレインマスター:2011/07/02(土) 23:09:26.89 ID:doNYb19Z
>>13
君は惜しいな。
俺なら風呂に入りながら鼻歌というアウトプット作業は行わない。
イメージだけで完結する。それこそがBTMだ。
イメージだけで完結できなくなってくるから出力すると思うんだ
それに自分が作曲してかたちが残らないのは作られた曲も
作った自分も寂しくなると思う
もし新しい今にないジャンルの音楽を先人達が作っていたとしたら、
1の言うようにイメージだけで誰にも知られないように完結(?)していたのかもしれない
だから今は凡人並みの曲しかない?
あれ何が言いたいのか分からなくなってきたぞ・・・
要約すると、1とは逆にイメージで収まりきれないから形に残す人も居るって事が言いたい。はず
ちょっと気になったからレスしてみた。的外れ気味で拙い文章でごめん
- 28 :
- 要するに表現の放棄だろ
くだらん
- 29 :
- >>27
>イメージだけで完結できなくなってくるから出力すると思うんだ
それは俺の達観した世界観から相対的に観れば旧世代の考え方なんだ。
優れたオリジナリティとはイメージだけで実は完結しているはずであり、
他の物質的要素(例えば、ある楽器のある響きやミキシングなどの外的要素)が加わることで
完成されていくとあれば、それはオリジナリティではない。
昨今の楽曲は、それら外的要素を頼りにしすぎているから似たようなものが多い。
完全なるオリジナリティ=人間個々の感情や思想であり
それを音として表現するのが音楽創作である。表現の放棄をしているのは現代の物質依存の音楽家たちである。
- 30 :
- >>29
応えてくれてありがとう。まさか自分が此処まで日本語下手とは思わなかった
拙いながらも質問させてもらいます
自分を音に変えてソレを音楽にしてこそ音楽創作である
脳内のイメージを既存の楽器などで「再現」してしまっては、
既にオリジナルではない
って事なのかな
脳内で完結しているなら表現する必要も無いと思う
楽器などの要素って脳内のオリジナルを表現する為の媒体だと思ってるんだけど
それらを使わず表現して音楽創作ってどういうこと?
脳内で完結しているのに表現をするって既にオリジナルじゃない気がする
- 31 :
- >>30
>脳内のイメージを既存の楽器などで「再現」してしまっては、
既にオリジナルではない
説明をわかりやすくする為に一例を。
俺は昔、サンプラー(MPCなどのシーケンサー搭載のもの)が好きだった。
両手両足の本数を超えたドラムパターンが組め、
ピアノやギターなどでは通常の奏法では不可能な表現が可能な上に
既存の音源から取り込むという、それまでの「楽器を演奏して録音」という固定概念を打ち砕いた新アイデアに
自由度の高さと、無限の可能性を感じたからだ。
現在のDAWソフトやソフト音源は、当時のサンプラー思想が基礎であるのは理解できると思う。
それだけにサンプラーの登場はひとつの新概念、新文化として定着した素晴らしい発明だったわけ。
ただし、サンプラーに対して批判の意見も多かった。
ドラム奏者やピアノ奏者からすれば、「あんなので組み上げたフレーズは嘘っぱちすぎwwwww」
「スネアの革の本物のニュアンスが出てないじゃんwwwwww」 などなど。
楽器愛好家はその楽器の特性を重視する。
つまり表現としてその楽器の限界を超えることはできない。奏法にしても、思想にしてもだ。
木の鳴りを重視するギタリストの中に、ジミヘンのようなギタリストが受け入れられなかったのはそういうことだ。
だがジミヘンやサンプラーが後世に残した影響は計り知れない。
>脳内で完結しているのに表現をするって既にオリジナルじゃない気がする
君が話しているのは、カチコチに凝り固まった「考え方のひとつ」にしか過ぎない。
頭の中で音は鳴らせないのかい? 俺はどんな音でも「聴いたことのあるトーン」なら鳴らすことができる。
それらを5次元的な脳内作業で瞬時に完成させることができるのがBTMだ。
上で話しているオリジナルというのはマテリアリティからの脱却の意味であり
脳内完結の作品に著作権の絡みは存在しない。よってそういう意味でのオリジナルという話ではないのであしからず。
- 32 :
- 例えばジャズ等でインプロヴィゼイションが発生する瞬間がある。
しかも各奏者の偶然の重ね合わせであるドラマが生まれる瞬間だ。
これが「ジャズは何か起こるかわからない」といわれる理由なわけだが
この偶然性のあるの一致=シンクロニシティは意図的に生まれるわけではないので
録音作品として残すことは不可能である。つまり刹那的なものである。
あなたが誰かと気持ちよく過ごした時間、それは仕組まれたものではなく
その時の空気や気温、互いの感情、背景、タイミング、シチュエーション等、
様々な偶然が折り重なり、気持ちよいという記憶に残るわけだ。
しかしそれを作品というカタチにアウトプットしようとすると
どうしても余計な要素が入り込み、「気持ちよい」という純粋度はどんどん低下していく。
なぜなら他人が理解できるように普遍的なマスタリング処理を施さなければ
公開する意味がないからだ。
その時点でオリジナリティからかけ離れてしまう。
BTMならば完全なる作品を創作、表現できる。
- 33 :
- 32でも書いたが「その瞬間の体験」という刹那的な作品をまた楽しむために
俺はBTMを続けている。
なぜここに書き込む人は、後でもう一度同じものを視聴したい、や他人に聴かせられないという
考えに縛られているのか。俺が話しているのはそこじゃない。
自分の生活を思い出して欲しい。すべては瞬間に表現され、そして心に残る。
もう一度体験する為に、人は求める努力をする。それが愛されることの満足であれ、金儲けであれ、
応援しているチームの快勝であれ、だ。
確かにビデオカメラにチームの優勝を録画して、それを何度も観ることも可能だ。
だが俺が話しているのはそれを超えた部分、
つまり、現地でその当時、その瞬間に味わった衝撃的な感情の動きだ。
それは繰り返し観るビデオでは再現が不可能である。
それと同じことを音楽創作の話に置き換えて考えてくれ。
じゃあその衝撃的な感情の動きをまた味わいたければどうすればいい?
録画を観るのか?
俺ならばもう一度「体験」をしにいくだろう。
ただまったく同じ体験はできないだろう。2度目というのは衝撃度が薄いが
もしかすると予想外の新しい衝撃を味わうことができるかもしれない。
それらは至って刹那的である。
- 34 :
- 33の続きだ。
刹那的な醍醐味を求めるならば、生演奏(ライブ)の話でいいじゃねーかと聞こえてきそうだが
それは違う。>>32 の6行めに書いたような、毎回それぐらいの完成度、充実度の高いライブがあれば観たいものだ。
だがビジネスとしてライブは運営されている以上、ある種のルーティン化が必要とされる。
そのルーティン化が感動を薄くしてしまっている。
突然、スクランブル交差点のど真ん中で
ブルースマンがギターケースを開けてギターを弾き出した、とても素晴らしいメッセージととともに‥
という衝撃的な場面に遭遇すれば、それはまさに刹那的な感動であるが
それすらもルーティン化、予定調和化されてしまうと、ただのイベントとなる。
音楽創作も同じく、ルーティン化や道具などの外的要因で
どんどん純粋度は失われ、駄作となっていく。
1でも書いたが、大半のDTMユーザーはPCのHDDの隅に創作品がゴミ処理場のように固められているのが現状だ。
一体なんの為に音楽創作を続けているのか、自分がやりたいのは本当にこういうことだったのか?
そんな疑問に直面している人にお勧めなのがBTMだ。
- 35 :
- BTMが魔術芸術と娯楽芸術のどちらに分類されると考えているのか教えてくれ
- 36 :
- BTMはパーソナルな脳内完結創作および表現手法だから
娯楽芸術に該当する
- 37 :
- >>31-34
わかりやすい説明ありがとう
BTMってすごいなって思った。確かに頭の中ならなんでもありだな
ありえないくらいのドラムパートや腕何本あるんだって言うくらいのピアノの旋律
楽器が奏でる音以外の音を混ぜ込む事も出来る
音作りじゃないにしたって自分の望むシチュエーションだって構築できる
だけど脳内補完するにしろ完成されているのにそこに新鮮さ、刹那的な醍醐味やその瞬間の体験
があるのかは分からないな
あと表現と再現に分けたのは表現は客観化するって意味だから
最初に脳内補完と書いているのに客観化する意味はあるのか。BTMを始めた時点で
自分という音を作り構築され続けるものではないのか
なんて思ったから。レベルの低い揚げ足取りみたくなってごめんなさい
BTMという新しい道について話してくれてありがとう
とても貴重な話だと感じた。感謝してます
それではバイトなのでここらで失礼します
付き合ってくれてありがとう
- 38 :
- 常に頭の中で空想音楽が鳴っている状態を保ち、それを楽しむことでBTMの道が開ける。
間違っても楽器を触りながら(音を探りながら)音楽を制作するスタイルになってはいけない。
PCの電源を入れてから音楽を制作するということもダメだ。
物質に頼ることで想像力はどんどん低下していく。
そして以後も何かの物質に頼らなければ、欲求は解消されなくなってしまう。
無駄に音楽機材を購入したり、プラグインを何時間も触って時間を浪費したりなど。
また、作品というカタチに残すということは、言わば想像物を「安定」させるということだ。
安定という概念は、BTMとは完全に対極の側にある。
あるアーティストが車の運転中などにふと頭に浮かんだフレーズを基に
自宅でそれを思い起こしながらギターなりピアノなりで作曲活動を進めているとする。
彼は音楽を職業としているのでカタチにしなければならないし
想像物がルーティン化され、普遍的なマスタリング処理を経て
(発想の当初よりも)陳腐化されてしまうことに特に問題意識をせず
生活をしていくためのビジネスとして、それらの作業を行っていると仮定する。
彼のスタイルは正しい。俺は何も言及はしない。なぜならそれが彼の職業だからだ。
俺がBTMを伝えたい相手というのは、プロでもなく、
自宅の空いた時間にちょっとDTMをかじってみたり、趣味として活動している人たちに向けてである。
アーティストが職業として創作活動を行う場合、目的がはっきりしているのでそれに向けて進めば良いが
アマチュアの場合ゴールはない。さらにそれなりにお金のかかる趣味でもある。ゆえに間違いを起こしやすいのだ。
ただなんとなく「創作品を発表すること」がゴールのような気がして
そのような行為を行おうとするが、まあ、実際にそこまでのことを続けてみればわかると思うが
何度も繰り返し言っている通り、コンビニの陳列に自分の作品が並べられたところで
なんの実感もない。最初は知人に自慢するのだろうか? 自己満足に浸るのだろうか? いずれ刺激は得られなくなる。
- 39 :
- 作品を陳列に"並べられて" 次にすることはなんだ? ライブかな?
イベントで順番に"並べられて" ドキドキしながらステージに立つのか。
BTMは凝り固まった制作手法からの脱却や、想像力のさらなる解放をテーマに話してきたが
音楽活動というスケールまで視野を広げてみると、結局このように形式化されてしまい
ある種の薄気味悪さすら感じる。 すべてがお約束。用意された箱の中でアトラクションを体験させられているだけだ。
みんなが当初の目標とするアウトプットされた「作品」という、排泄物はただのクソである。
そのクソを手にして、「我の名は○○というアーティストなり」と声高々に登場して
自分は誰々と、ちょっと違う表現者だということをアピールし続ける。
実にくだらんw
ただ、そこまで活動を行えれば自分の勘違いに気付きやすいが
そこすらも到達していないアマチュアにとって、音楽創作の趣味というのはただの無限地獄である。
BTMはすべてを解放する。
- 40 :
- >>1を部屋から解放するやり方だけ思いつかないんだよなぁ
- 41 :
-
人間が物質を用いて得たものを理論化して築いたものが、音楽であれば楽典という形式になる
楽章論やその他の理論も、音楽として理解されやすい形式は何かをつきつめて築き上げられている
ハードウェアを通る段階によって、何らかの形式に当てはまった音楽が本来の音から離れる事になり
それが否定されるのであれば、形式的にも理論化された手法が介在する音からも脱却していない音楽は
当然BTMの概念で考えれば否定されるべき音になる
さらに、ハードウェアを主体としてそれを用いた手法などの部分的な形式は否定した上で
大よそ何らかの概念や形式に当てはまる音楽には気味悪さを感じるあたり
物質を介した音を自然界に共鳴させる表現方法としても用いられるライブが、
そのライブがルーチン化される事によって否定される事から考えても、
そもそも手法といった無形の形式から脱却されるべくがBTMとなる
これら否定されるべき音に共通するのは、何らかの枠組みや設計、物質といった形によって生み出された音という現象
物質や形式、意思の介在により画一的に固定的にされた現象が否定されないならばBTMの提唱する本来の音にはならない
- 42 :
- 従って、BTMに求められる「全てからの脱却と解放」はそれらが全て否定する事でなければならなく
推奨されるべくは、規則性を持たない自然音であって音楽ではない
作者から受け手への表現過程を意味する芸術に沿って、意識の有無に関わらず音楽理論と呼ばれる法則により
秩序という形式をもたらされた音は、BTMの定義により否定される音とされるべきで音楽ではなくなる
概念や形式、物質を元に構築された音楽理論そのものが否定されるべくである
>>1の出したジャズの例えは音楽理論のことではなく、偶然性の共鳴現象の事であるが、そういうことである。
概念、形式、物質から脱却した何の形式にも属さない音は芸術ではないがBTMではある
ということは、芸術ではないということは、音楽という芸術のカテゴリに含まれなくなり、
娯楽音楽という概念にも自称的にもカテゴライズするべきではない
一方で形式から解放された完全なる音が推奨され、一方で何らかのプロセスを通った音が否定されるということは
完全なる解放された音であり、そこには表現の外面的要素を形成する芸術が除外される事から、芸術の定義上の表現の放棄につながる
表現された先にある存在と内面を繋ぐ唯一の芸術という道を排除して意味して初めての完全な脱却といえる
つまりはBTMとは規則も法則も形式にも捉われない、完全なる自由の音であり、人々が求める芸術の姿にはない
以上
- 43 :
- >>1
で そのBTMってどんな曲なの?
聞いてみなきゃわかんないな
自分で作った曲って たいてい名曲に聞こえるものだから
第三者に聞いてもらわないと 本当の出来はわからないし
- 44 :
- >>1
脳内完結してんなら独りでオナってろよ
結局自分の才能に絶望して言い訳してるだけだろ?
難しい言葉で塗りたくってもだめだよ。
- 45 :
- >>41>>42
自演乙
- 46 :
- >>1
BTMは、創作であったとしても、表現ではない。
他人との共有はない。共感もない。
共通体験がなければ、共通の思い出もない。
リアルタイムで他人からインスパイアされることもない。
そこから発展することもない。
思いもしないハプニングもない。
受け継がれることもない。
だがしかしだがしかしだがしかし、
趣旨はまあ分からんでもない。
- 47 :
- >>46
>>41-42で書いて思ったけど
BTMだと表現しようという意思が込められないから創作でもないよ
>>1は煽ってるだけ
- 48 :
- 完全に目が覚めたわー
俺も頑張ってみるわーBTM
あと1は米が長いよ3行でまとめてね
- 49 :
- >>43
よくわからんが既に聞いてんじゃないの?
自然の音なんでしょ?公園行けば勝手に聞こえるってことかね
- 50 :
- よく考えてみたらBTMだろうがDTMだろうがーに変わりないわけね
それを>>1は言ってるのだろう。
結局欲求を満たせれば、脳内イメージだけでもOKで具現化する必要もないという。なんというマトリックスワールド
- 51 :
- このスレを見て思った事を
書きこむか、わざわざ書きこむ事はないかの違い。
- 52 :
- こんな馬鹿なスレが有ったのかww
まあいつか作るよ
- 53 :
- >>50
そりゃ違うね
誰かに聞かせるために 音楽は作るものだし
自分の頭のイメージを音を通じて 聞き手に伝えるのが音楽だ
つまり それが表現というものだよ
それが 楽しいものではなくてもかまわない
憎しみに満ちたものでも
不気味なものでも
それは かまわない
- 54 :
- >>53
そりゃ違うんじゃない?
だって誰かに「聴かせるまでに到達した」DTMを趣味としてるやつが
いったいどれだけいるんだよw このスレは「それを目的としてる」だけのやつが多いだけ。
結局はーじゃん。そりゃライブしたり配信したりしてるやつはいるが
超大多数は、自分クリエーター、そして自分リスナーの自己完結世界だよ
それはバカにした意味でもなくて、普通に会社努めてしてる、普通に所得のある人間が
最もシェアを占める趣味だからこそ、自己完結世界の人が多いってこと。つまり趣味だ。
で、BTMは、そりゃ実体的なものは感触すらないが
欲求を満たすという部分では同じだと思ったまでだ。
- 55 :
- あと >>1を読んで感じたのは
わりと思想、哲学をベースにしてるなあ、ってところ。
>本来、生きていくことや幸福になるための糧である「お金」を無駄にすることもない
>所有している「物質」を完全ゼロにできる
この辺は、ちょっと面白いなと思った。
- 56 :
- 誰かに聴かせてなんらかの感動を与える、という生産性を得るためには
それなりの修練と設備投資は必要。
- 57 :
- まあ 昔なら金がかかってたんだが
今なら ネットに繋がった一家に一台のパソコンがあればなんとかなるけどね
- 58 :
- >>55
kwsk
- 59 :11/10/21
- すまん、いいや
>>1の下四行が>>1の結論だとわかった
まあ金も時間もかかるけど表現はやめたくないな
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