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演歌のルーツ教えて


1 :05/05/15 〜 最終レス :12/01/03
よろしくお願いします。

2 :
2ゲットー

3 :
3ゲットー

4 :
4ゲットー

5 :
演歌歌謡曲のルーツは大正時代に作られた中山晋平作曲の「船頭小唄」でしょう。それを基に派生してやがて古賀政男あたりが現在の演歌を完成させました。

6 :
船頭小唄ってどんな曲?

7 :
自分で探して聴きなされ

8 :
お前だって知らないんだろ、ハゲ

9 :
>>8
良くわかったな、ヴォケ
♪「おれは川原のかれすすき」ってか

10 :
「船頭小唄」は大正時代に流行。西条八十作詞、中山晋平作曲。♪俺は河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき

11 :
↑【訂正】「船頭小唄」作詞者は西条八十ではなく、野口雨情でした。おわびして訂正します。

12 :
ご丁寧にサンクス!

13 :
野口雨情って有名な作詞家だよね。
しかし、平成の世でも通じる、なかなか味のある詩だな。

14 :
↑野口雨情は作詞家と言うより、詩人ですね。

15 :
そうなんですか。

16 :
演歌のルーツは韓国で、日本ではないとの説も聞きますが、どうなんですか?

17 :
>>16
それは完全なガセネタ 
実は日本の演歌が韓国にわたり、逆輸入されただけ。
日本の文化は何でも朝鮮半島がルーツだと思いたい
偏狭な自尊意識がそういう誤った説を流布したのだ。

18 :
>>17
そうなんですか。
かの国は、剣道も自分の国から日本へ伝わったという論があるとか(藁)
しかし、自分は今のド演歌の‘こぶし’に違和感を感じます。
(下手な演劇っぽく、白ける)
詳しくはないのですが、昭和20〜30年代の曲には、いまのような‘こぶし’がないように感じます。
演歌の代名詞ともいわれる‘こぶし’のルーツはどこにあるのでしょう?

19 :
18 民謡でしょう

20 :
民謡がルーツですか?
う〜ん 自分の知っている民謡と
今のド演歌のこぶしは一致しないのですが...
(民謡のこぶしは、自然な感じ)
民謡のこぶしが、いつどのように変遷したのでしょうか?

21 :
演歌のこぶしだけに限って言えば、ルーツは民謡や浪曲からです。曲のルーツはまた別物

22 :
>>16
韓国の大ヒット映画『西便制』で「日本時代は演歌が流行り、戦後はジャズが流行り、
パンソリなんてダメポ・・」云々の古老のセリフが出てくる。
韓国でも演歌は日本の名残というか、日本的なものの代表みたいに見られているみたい。

23 :
幼い頃から中国や朝鮮の音楽をたくさん耳にし、
もちろん民謡、浪曲にも傾倒の深かった古賀政男が、
それらをギター1本で統一して作ったのが最初になると思う。
さらにレコードが開発され、古賀が外国へ行った経験が重なり更に進化し、そのあたりがルーツと思われる。
ジャズもまだ生まれて100年くらいしかたってないから、
ポップスに使われるコードや演奏法や作曲法はとうてい日本にあるはずもなく、
もうすでにその方法を取り入れてやっていた古賀政男はかなり偉大ということになる。

24 :
長唄端唄浪花節はどうなんだろか

25 :
そうなると、話は外国になってしまうが、
クラシック音楽やマザーグースなどは、もう何百年もの歴史があるわけで、
クラシックで使い古されて捨てられたクラシックの楽器を、
黒人たちが自由に演奏するようになったのがジャズだ。
だからジャズのルーツをクラシックまでさかのぼるのはどうかと思う。
長唄は今でも「長唄」として残っており、演歌に変化したわけではない。
日本でも「ある程度演歌としての形となった時」となれば古賀からということでいいと思う。

26 :
朝鮮人の捏造はすごいから
そのうち間違いなく来ますよ。
演歌の起源はウリナラだって。

27 :
>>25
残ってるってのは解ってるよ。
影響をいってるんだよ。
またジャズでいえばアフロ、リズムや打楽器はどうなんだ。

28 :
ID:QhXlzX+oは、口のきき方考えないと友達なくすぞ。
そそ質問に関しては・・・ちっとはてめえで考えろってとこだな。

29 :
>>28
友達は居ないんだ、グスン。
格好ばっかしつけるんじゃねえよ、ヴォケ。

30 :
>>26
来てましたw
なんつータイミングだ
77 男です女です名無しです 2005/08/15(月) 01:07:54 ID:rrAXgZLr
演歌の起源はウリのTeuroteuニダって言ってるんだけど、どうなんだろう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Music_of_South_Korea
旋律的には大陸起源だとは思うけど・・・。

31 :
Teuroteuって聴いたこともないし歴史も知らないんですが、どうなんでしょうねえ・・・。

32 :
あと、ネタ一丁w
テクノは中国起源だったらしいです
しかも1960年以前
コンピューターの起源もシンセサイザーの起源も中国だったのかw
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%96%E7%BA%AA%E9%9F%B3%E4%B9%90

33 :
昔、大瀧詠一がNHK−FMで明治大正昭和の歌謡曲の歴史を紹介する番組があったな。
あれまたやらんかな。

34 :
朝鮮の云うことなんざまともに聞いてりゃ、日本のスポーツ、食文化、音楽文化、テレビアニメ等々ほとんどのもんが朝鮮起源だって云ってるよw

35 :
     Λ_Λ    Λ_Λ
    ( __ __)   ( __ __)     /⌒\
   (6 ・ 」・).  (6 ・ 」・)    (    )
    (  ∀)   (  ∀)    |   |
   /    \ /    \   |   |
  ⊂  )   ノ\つ )  ノ\つ  ( ・∀・)  Λ_Λ   / ̄ ̄
    (_⌒ヽ  (_⌒ヽ     )   ノ  ( ・∀・) < >>32今じゃコンピューターもシンセサイザーも
     ヽ ヘ }   ヽ ヘ }   (_⌒ヽ   (_⌒ヽ   \__
      ノノ `J   ノノ `J     )ノ `J    )ノ `J
       Λ_Λ     Λ_Λ
       ( __ __)   ( __ __)  .  /⌒\
      (6 ・ 」・).   (6 ・ 」・)   (    )
       (  ∀)    (  ∀)    |   |
      /    \  /    \   |   |
    ⊂  )   ノ\つ )   ノ\つ ( ・∀・)  Λ_Λ     / ̄ ̄
     / ω <   /ω <    ⊂)     ノつ ( ・∀・)  < 中国起源のものばかりだけどな
カッ /  '´ ヽ ) /  '´ ヽ )   / ω  /  ⊂) __   ノつ  \__
煤レ/    ノノ∠/    ノノ  ∠ '´ )ノ  ∠  'ω )ノ

36 :
.

37 :
保守

38 :
アフリカのジャングルで奴隷狩りされたクンタ・キンテが、
労働歌として歌っていたのが始まり。

39 :
なるほど、そうなのか、オレもそうじゃないかと思ってたんだよ。

40 :
AM DM E7 この単純なコード進行は 
C | C | C | C | F | F | C | C | G7 | F7 | C | C |
の単純なブルースコードの進行を思い出させる.
日本は短調、アメリカは長調 でもメジャーのブルースの方がもっと悲しみが強く感じられるのは
演歌の歌は哀愁であり苦悩ではないからなのかな。
アメリカ人の短調の曲は悲壮感が漂い誰かのお弔い的楽曲になってしまう。
わび、さびの日本人は短調の曲さえほんわかまるめて、情緒の世界にもっていく。
それが演歌だと思う。

41 :
たぶん、ブルースが原点だと思う。

42 :
>>40
とても興味深い比較ですね。
日本の大衆音楽は、原点はアメリカでも、
演歌もポップスも、情緒の世界が得意ですね。

43 :
>>40
ブルース音階が暗い短調の感じがするのはスケールがC7#9だからじゃない。
これってほとんどCmに近い。
皆にはつまらない話だと思うけど。

44 :
流行歌としての演歌はせいぜい戦後からのものだから歴史的には相当浅い。
カラオケブームとともに素人さん向けの演歌の大量生産時代に入り
その頃の粗製乱造の後遺症がいまだに残ってる。
今も昔も演歌そのものの大きさはさほどかわっていない。(もともと小さい)
それよりかつての主流であった歌謡曲のジャンルが随分小さくなった。
個人的にはこちらのほうが寂しい。

45 :
>>40
>それよりかつての主流であった歌謡曲のジャンルが随分小さくなった。
そうですね。
プロが作った良質なPOPS(大衆音楽)が少なくなりましたね。
最近、かつてのPOPSのカバーアルバムが増えているのは、その反動?

46 :
すみません。
>>44 でした。

47 :
元々の演歌はフォークの原点だよな。
社会風刺の演説歌というやつ。今ではヴァイオリン演歌と呼ばれる。
原曲はオペレッタから取ったものとか洋楽だったりするらしいし。

48 :

49 :

50 :


51 :
真犯人は別に?

52 :
基本はペンタトニックだよね

53 :
E・N・KA is japanese popular song.

54 :
演歌を小学館の和英で引くと"a kind of Japanese popular
song which is full of melancholy.”とある。
しかしこれはだれが考えても誤訳だ。哀愁をおびた曲は演歌
じゃなくてもごまんとある。
ところが正しい英語は何だと考えるとこれは難しい。
演歌にはたいした歴史があるわけでもないし、今の時代多く
の人に受入れられてるわけでもない。
Country Song とはいいがたいし、Folk Song ともいえない。
戦後娯楽が乏しかった頃、男の楽しみといえば、夜の酒場で
過ごす事ぐらいしかなかった。
だから詩の内容が「夜の女」、「酒場の女」等底辺の女性を歌
ったものが多かった。
そして夜の繁華街は漁師が散財する港町で栄えたから、おの
ずと網衆(やんしゅう)を歌ったものも多くなった。
高度成長期を経て、カラオケの時代がやってきて、今の50台
以降の人達が好んで歌う曲がこれらをテーマにした曲でこれが演歌と呼ばれるようになり、
男だけのものではなくなった。
思うに年齢を問わず健全に育った女性は演歌などには興味
を示さないのではないだろうか?
何故ならおよそ別世界の話だからだ。
50台以降の男性なら大抵は夜の世界に足を運んだに違いな
いから、この手の音楽に抵抗は感じないだろうが、
女性で演歌が好きというなら、一度は夜の世界に足を踏み込
んだ人々に違いないと思うが、邪推だろうか?
さて本題の英訳だが、”E・N・K・A”is a popular man's night
life song which is full of melancholy.というのはどうだろう
か。
異論があるところだと思うが。

55 :

56 :
 演歌は明治中期の川上音二郎に代表される壮士演歌やその後(明治後期)新進
演歌師(国産レコード吹き込み歌手一号)として一世を風靡した神長瞭月が創作
した当時のインテリ学生や社会情勢を風刺したバイオリン伴奏による演歌と区別
するため現代演歌というジャンル分けをした上で、
 
 Modern ENKA is a kind of Japanese popular song represented for sad
and melancholic scene of love affairs or a variety of sentiments of
Japanese common people in life trial.
としてみました。いかがでしょうか?

57 :
Melancholyにはsadも含まれると思う。
Love affairともなると壷坂情話的な特殊の歌になると思う。
Common peopleを主題にした歌は少ない。
Life trialは試練という意味で使っているのですか?

58 :
>>56
現代演歌と壮士演歌は内容的にほとんど繋がっていないと思われます。
昭和四十年代頃より歌謡曲歌手がキャンペーンでレコード店々頭などで
マイクを握っている姿が昔の演歌師の姿を彷彿とさせることから演歌と
呼ばれるようになったということです。
と同時にカラオケの普及により演歌というジャンルが確立されていったと
思われます。

59 :
確かにsadとmelancholicとでは語義的に重なりますが、同義ではなく、英語的には
自然な組み合わせです。日本語で「物悲しく哀愁を誘う」といったような言い方を
した場合、これも同じく意味が重なってきますが、不自然には感じません。sadness
とmelancholyという名詞として並べると前者の第一義「もの悲しさ」に対して
melancholyにおける第二義の「物悲しさ、哀愁」は適当ではないかも知れません。
いずれも形容詞の限定用法としてsceneを修飾していますので、語義的重なりも含め
て許容範囲というよりは定義を語る際の表現技法としては問題視されるものではな
いと考えます。love affairsについてはご指摘のとおり特殊な場面を限定してし
まいますので、あらゆる現代演歌の場面の全てに当てはまるわけはありません。
特徴的な一場面を言っているに過ぎません。その通りです。common peopleもし
かりです。いわば富裕層に対し、庶民を指しているわけで、その庶民には一般の
サラリーマンはもちろん、演歌で題材にとられる漁師や生活困窮者も含まれます。
life trialは生きる上での試練といえばそうですが、人生で背負うあらゆる業を
歌に表現したということが述べられればよろしいかと思います。
 むしろ英訳の前に日本文での定義づけが大事でしょうか。

60 :
7時30分からNHkを見よう

61 :
演歌のルーツを考える時、明治期に活躍した演歌師の川上音二郎や神長瞭月の存在
は非常に大きく感じられます。現代演歌との内容的接点はほとんどないのですが、
実は神長瞭月については昭和51年のNHK思い出のメロディーに出演し、「新金色
夜叉」を2コーラス歌っています。大正ロマンというコーナーで小柳ルミ子が「さ
すらいの唄」を歌った後に登場し、朗々と歌いきっています。当時神長は88歳でこ
のステージの後ほどなくして亡くなっています。昭和51年というと、現代演歌の全
盛期でもあり、「私の城下町」や「瀬戸の花嫁」という現代演歌のカテゴリーに入
る得る曲を歌った歌手と同じステージに立っているのです。国産レコード吹き込み
歌手一号の演歌師であった彼は当然当時テレビで放映される歌番組を目にし、日本
の流行歌の変遷をつぶさに観察していたに違いありません。明治40年前後にデビュ
ーした歌手が昭和51年まで健在で、番組に出演したこと自体驚きでありますが、
音楽の経時的ジャンルの変遷は川上音二郎の「オッぺケペー節」を10歳前後に聴
いて以来、ダウンタウンブギウギバンドの和製ロックまで一応耳にしている世代
だったということも貴重な点であると感じます。惜しむらくは彼の晩年に流行っ
た現代演歌や和製ロックについて自身のコメントが聞けなかったことです。藤山
一郎は当時の若者の音楽や現代演歌について感想を聞かれ、一言「ご勘弁を」と
しきりに言っていましたが、その藤山が生まれる前にデビューし、自作自演で歌
っていた神長のコメントはどうであったかが非常に気になるところです。

62 :
>>61
興味深いお話有難うございます。
神長瞭月という名前は始めて聞きましたが、
察するにオペラのテノールの様に朗々と歌ったのでしょうか?
もっとも88歳という高齢ではそうもいかなかったのかも知れませんが。
もし今の演歌歌手に歌わせたら「新金色夜叉」も
立派な演歌になったかもしれませんね。

63 :
「演歌」は「歌謡曲」の誤訳。

64 :
>>61当時の一人二人の人物を現代演歌に結びつけるには
かなりの無理があるように思われます。
彼等よりぞっと以前から歌われていた民謡、俗曲。浪曲、浄瑠璃のほうが
現代演歌にはストレートに影響していると考える方が自然でしょう。
小柳の歌を現代演歌と見做すのも無理がありますし。

65 :
>>64
ぞっと→ずっと

66 :
>>64
 恐らく概論的に神長の創作歌が現代演歌に結びついたと論じているものと解釈
されたなら、当然無理があります。曲解というものです。そう解釈されても仕方
がない表現だったかもしれません。ようするに当時存命であった88歳の演歌師を
生番組に出演させ、現代演歌を含め、歌謡曲の若手とともに同じステージに出演
させ、映像を残したことについてその貴重さと斬新さについて語っているわけで
す。彼の歌う映像はこの回以外、どの民放番組にも残っていませんので存命中に
出演交渉をし、映像を録画しておいたことおける価値に趣を置いているに過ぎま
せん。朗々と歌ったい申しましたが、実際は88歳にしては声がしっかりでている
といった程度で声楽家の歌い方とは違います。むしろ素人然とした歌い方です。
彼は生前、80台後半で自作自演の歌とともに明治・大正の流行唄をビクターで吹
き込み、2枚組みのLP(後にCD化)で発売されていますので、歌唱については
そちらで確認できます。(元祖演歌師・神長瞭月と銘打っています)
 民謡、俗曲、浪曲、浄瑠璃が現代演歌にストレートに影響ていてると考えるには
極端な飛躍があります。民謡や俗曲が中山晋平の作曲した作品(新民謡や芸妓歌手
向けの小唄)に影響を与えたということを語った上で、彼の死後(昭和27年)、い
わゆる現代演歌とされる戦後の歌謡曲について述べるのであればまだ関心がそそら
れるのですが、その前に戦前・戦中に2万曲、戦後昭和36年頃までに数万曲吹き込
まれたSP流行歌について一考する必要があるでしょう。むしろ、明治・大正の演
歌師の歌と現代演歌の間にあるこれらの楽曲の素晴らしさに、およその関心が失せ
てしまうのは私だけではありません。

67 :
演歌・歌謡曲が商業目的で創作され、流行歌(はやりうた)として一般庶民に
受け止められた経緯を見ると、明治期、演歌師によって創作されたはやりうた
はその源流となりうるものです。民謡、俗曲でも明治期商業(レコード販売)
目的にあらたに創作され吹き込まれたものは流行り歌に準ずる扱いとなります
が、浪曲や浄瑠璃は流行歌とは一線を画すジャンルのように思えます。現代演
歌との結びつきを論じるのであればまだ小唄や長唄を挙げる方が的を得ている
のではないでしょうか。

68 :
演歌といっても演奏法や歌唱法によってジャンルが異なったりする
場合がありますので、一概にいえませんが、有名なところでは、吉
田拓郎作曲の「襟裳岬」は拓郎バージョンではフォーク、森進一が
歌えば演歌となります。演歌のルーツを語る上で欠かせないスタン
ダード曲「影を慕いて」は森が歌えば現代演歌、藤山一郎が歌えば
SP流行歌、佐藤千夜子が昭和3年に初めて吹き込んだものは声楽曲に
近い流行小唄、また、股旅演歌のルーツといえる「沓掛小唄」(昭
和4年発売)を吹き込んだ川崎豊は声楽家志向であり、日本調にあっ
たこぶしを駆使する歌い方はせず、張り上げながらたんたんと歌っ
ています。とはいえ、歌唱法は別として、歌詞と曲調について考え
る場合、現代演歌のルーツとなりうる代表曲はやはり大正10年に中
山歌子が吹き込んだ「船頭小唄」といっても間違いないでしょう。

69 :
浪曲が現代演歌に与えた影響を否定するなどとは歌を資料的にしか
見ることの出来ない研究者的な者の悲しい性ですね。
韓国の演歌にも見ることのできない独特の節回しは浪曲からの
ものであることは自明の理でしょう。
「船頭小唄」にしても演歌の小節はまだ見られないし、商業的な
ものとそうでないものとを基準にするというのは暴論でしょう。
また戦前、戦中の歌謡はやはり流行歌、歌謡曲と呼ばれるべきで
演歌と呼べる作風、歌唱法の出現はやはり戦後しばらくを待たなければ
ならないでしょう。

70 :
浪曲が現代演歌の中に取り込まれ、生かされている曲は数多くあり、そういう視点
で言えば、浪曲からストレートに影響を受けた現代演歌は多くあるといえるでしょ
う。問題は現代演歌への影響を考える場合、作風(詩の内容)、曲調、歌唱それぞ
れ、どの部分を持って影響があったかによって解釈は大きく分かれます。例えば、
現代演歌は戦前・戦中・戦後に発表された日本調のSP流行歌にその源流を見出し、
歌唱法については、日本調の流行歌を吹き込んだ小唄や長唄の名手であった芸妓歌
手の音符に現れないこぶしにその萌芽が認められるという考えであれば、浪曲から
の影響の前に、長唄・小唄の歌唱法について趣を置くといった具合です。実際、日
本調のSP流行歌には浪曲の要素も当然ありますが、現代演歌の商業的流行性を踏ま
えると数々の日本調のSP流行歌の影響なくして現代演歌のルーツは語れないことは
自明の理です。実際、それらの曲のオリジナル音源を聴き、歌ってみるとより明ら
かに気づきます。もちろん江戸後期〜明治・大正期(大正半ばからは浪花節)の浪
曲の要素を当然認めた上です。ですから現代演歌の定義と代表曲を上げてもらえま
すか?具体的にそのルーツとなる日本調のSP流行歌もしくは浪曲(浪花節)につい
て語りましょうか。

71 :
>もちろん江戸後期〜明治・大正期(大正半ばからは浪花節)の浪
曲の要素を当然認めた上です。
>>69はこの部分の欠落を言いたかったのではないでしょうか。
わたしは長唄、小唄の影響も見逃せないとは思いますがそれは直接的に演歌に
というよりは歌謡曲への影響のほうが大きいと思います。
研究者ではないので詳しいことはわかりませんが、演歌独特のバタ臭い節回しや
コブシ、オーバーな表現というのは抑制された日本調歌謡とは違って、浪曲の方に
近いとわたしも思いますし、それとは別に韓国歌謡からの影響も見逃せないと思います。

72 :
>>61, 66, 70
は同じ方だと思いますが、演歌の定義が確立されていない現在、
貴重な研究の一端を教えて頂いて感謝します。
文章も格調がありながら分かりやすく、演歌研究の初心者としては
演歌入門書を読んでいる感があります。
ぜひ貴殿が考える昭和演歌の始まりの曲を教えて下さい。

73 :
オーケー
ばっち こ〜い

74 :
アフリカのケープベルデには、モルナという演歌に非常に似た音楽のスタイルがあります。
このふたつの音楽にはなにか発生上の関係があったのでしょうか? アフリカ遠洋漁業の影響などが
あったのでしょうか? もしなにか知っている方がいらしたら、ぜひとも教えて頂きたいです。
ありがとうございます。

75 :
なるほど、やはり韓国の影響は大きいのですね。
海を挟んで民謡のルーツともなっていますし、互いによい影響を与えていると思いますね

76 :
演歌のルーツならここのホームページが詳しく正確ですよ
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/enkaindex.htm

77 :
良スレ age

78 :
>>76
大正時代の世相を歌った演歌と現代の演歌は別物と言った方がいいですね。
いわゆる「演歌違い」

79 :
良スレ あげ

80 :
演歌の流れは4分3拍子で「五木の子守唄」などを古賀政男が
アレンジして確立した。

81 :
揚げ

82 :
ほしゅ

83 :
あげ

84 :
あげ

85 :
あげ

86 :
さあさあ

87 :
中国じゃね

88 :
アゲ

89 :
昭和初期の流行歌の中でも三味線などを入れ、浪曲師などの影響を受けて
「こぶし」を多用したものが今の演歌の原型に近いと思う。
「小唄」「浪曲」「都々逸」などの影響を感じる。
古い流行歌でも藤山一郎などには演歌を感じない。
演歌=古賀政男説があるけど、彼はかなり新しい人だと思う。
戦前の上原敏などを聴くと、もう演歌が完成してるよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=IYgsPNhKSFQ&feature=related

90 :
演歌の「こぶし」は浪曲からというのが正しいね。
美空ひばりは浪曲もやってる、違和感がない。
http://jp.youtube.com/watch?v=YAirgvKERZw

91 :
良スレage
スレ違いで申し訳ないが
俺はクレイジーケンバンドの横山 剣さんのコブシが大好きだ

92 :
ルーツと考えられるものと、現在の演歌
違杉

93 :
現在の演歌って、歌唱法だけが残ってるけど、
アメリカンポップスとかフォークとかの影響が強いよな。
『海雪』なんて作曲がロックンロールの宇崎竜童だし、
森進一の『襟裳岬』はフォークの吉田拓郎の作。
60年代の村田英雄や美空ひばりあたりが最後の演歌という感じもする。

94 :
良スレだなぁ。
今一気に読んだ。

95 :
演歌はロックより歴史が浅い。

96 :
でもルーツははるか遠く古い。

97 :
良スレage

98 :
良すれ

99 :
演歌も韓国が起源(笑)とか言う奴出てきそうだなw

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