2011年10月1期海外サッカー中田はなぜカッペロ、プランデッリにダメ認定?
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中田はなぜ短パンを食い込ませた? 嫌いなサッカー選手 《神童》Alexandre PATO part3 世界ベストイレブンをまじめに考えませんか?
中田はなぜカッペロ、プランデッリにダメ認定?
1 :11/12/13 〜 最終レス :11/12/21 中田の真の実力を見抜いただけだろうが・・
2 : 日本語で
3 : 日本語でお願いしまスミダ
4 : アクセス遮断しろ
5 : 中田は能力には問題はなかったがメンタルに問題があった あと、これは中田だけの問題じゃなくて全ての日本人全般に言える事だが 戦術理解度が低い
6 : 長谷部は高い
7 : カッペロww
8 : プランデッリは中田をほぼシーズン通してスタメン起用してたじゃん。 中田側が使われ方に不満だっただけで。
9 : 中田は3トップの右サイドとして機能していたしブラから評価されていた サブでもいいから中盤でやりたいっていったら、サブにまわされただけ あと中田は流動的なサッカーを好むが、ブラは流動的なやり方を好まずサッカーの戦術に関する嗜好性が合わなかった 後年中田フィオ2年目の時、ブラが監督に就任することになった ブラは中田に私のいうことを聞くなら戦力として計算すると言ったらしいが中田は嫌だったらしくボルトンに移籍 ローマ時カペロから残留を望まれていたがスタメンで出たかったのでパルマに移籍した 中田嫌いの奴のスレはもうたくさん
10 : 戦術理解度低かったねぇ アピールプレーが多すぎた
11 : 戦術理解度は確かに低かったね 欧州トップモードの戦術の変化の流れに乗れなかった 2000年以降の4-2-3-1のシステムのどこにもハマれなかった 彼がやりたい「2トップ下」や「王様10番」はポジション自体がなくなっていた ストライカー的な得点センスも無く、サイドは嫌だと言い、守備的なポジションも不満・・・ 彼のような旧世代の「司令塔」がサッカー界から駆逐されつつある端境期だった
12 : でも、中田はなぜあんなにトップ下にこだわったんだろうね。 もしくは、ほんとに単にトップ下にこだわってただけだったんだろうか? 所属事務所のまーけだの何だのも言われたけど、 若い時は他のポジもやってたし、柔軟に出来る資質はあったはずなんだけど。
13 : フィジカルもテクニックも高いものを持っていたのは間違いない 展開力を生かしてセンターハーフに転向しても良かったし、ペルージャ時代の得点力を見ればシュート力を磨いて1トップ下のポジションを目指すことも出来た また、当時流行し始めたサイドからゲームを組み立てると言う新しい職場にチャレンジしても面白かった なのに自分のやりやすい「真ん中の攻撃的なミッドフィルダー」と言う時代遅れのポジションにこだわって居場所を失ってしまった 「サイドより真ん中の方が偉い」とか「守備的な仕事は免除された2トップ下で自由に動きまわって創造性を活かす」とか古臭いサッカー観しか持てなかったのが失敗の原因
14 : >>13 中田は真ん中にはこだわったがトップ下にはこだわってねえよ パルマでプランデッリに要求したのはトップ下ではなく中央でのプレー 代表でもボランチをやってたしボローニャでもそう 間違ってることをドヤ顔で語るなや 恥ずかしい
15 : そうなのかスマンかった でも、サイドを起点に試合を組み立てると言う新しい欧州トップモードの潮流を読めなかったのは残念 彼ほどの頭の良い男が
16 : 結局はパルマでもローマでも主力選手に値しないと捨てられただけ?
17 : 高額に見合わなかっただけ 何せエイジアン初のスターだ、本人が望んでか望まずとも年棒移籍金が高騰しすぎた
18 : >>15 当時の状況知らないなら恥かくからもうやめとけって。 プランデッリが中田に要求してたサイドのプレーはサイドに張り付いてひたすら上下動を繰り返すこと。 SBの位置まで守備することを要求されるしその後上がってもポジションチェンジも許されない。 サイドを起点に試合を組み立てるってプレー自体が許されてなかったんだよ。 中田自身も不満はポジションの問題じゃなくて役割だって何度も言ってる。
19 : ローマに残ってたらどうなってたの?
20 : パルマでの中田は相当サイド制圧してたよね。点もそこそこ取ったし。 王様気質とブランド志向が選手としての成長に邪魔だったな。
21 : そもそもボールを持つ、効果的に捌くというプレーが異様に少なかった。 チームは左サイドのムトゥ、中央のアドリアーノ任せの攻撃で中田はSBかのようにボールとは無縁に 上下運動を繰り返す。 これは一応機能していた。ただ、労働者的なプレーであって華やかさとは無縁…。 開幕数試合、特にユーベ戦なんかは中田右サイドの屈指の試合だったがあの手の試合は稀だったなぁ。 兎に角、中田本人がつまらなそうだったしmailでも愚痴ってた。こっちも見ててもつまらなかったし。 とここまで書いてすぐ上に同じ内容のレスがあった…
22 : ま、単純な実力不足だろうな。 信者がいくら祭り上げようが、戦力外は戦力外だ。
23 : >>22 そういうつまらない煽りはもうやめようよ。 中田本人の希望と使われ方が合わなかっただけで、 普通に試合には出てたし数字も残してる。 アンチの方がトップ下最高!な価値観に毒されてるんだよね。
24 : まあ、中田の心の中には実際勝てるかどうかどうかは分からないが バルサとかアヤックスとかのガチガチではなくて流動的なサッカーというものが やりたかったんじゃないの?ブランデッリはそうじゃなかったってだけで ブランデッリの戦術に合わせれば中田は3センターの1角がベストだったと じゃあなぜ中田がブランデッリにそれを直訴しなかったのは謎だよな サイドよりかは自分のプレーが出せたと思うが 逆に長谷部なんかは柔軟に監督の要求にこたえれる能力はあるが 中田のような自分の意図とかサッカーを貫くような力はないね まあこれから、出来てくるのかもしれないし、必要ないような気もするがw 遠藤と長谷部のコンビは日本サッカー史上最高の2ボランチだろう とにかくメンタル的にも戦術的にも成熟している、サッカーはここがほとんど肝だよな
25 : 「中田英寿 誇り」と言う本を読んでみた ドイツ大会の失敗は確かな戦術眼を持つ中田が自らの考えをチームメイトに伝えきれなかったコミュニケーション能力の無さと チームに統一した戦術意識を与えられなかったジーコの監督としての無能さに起因する 特に欧州での実績が他の選手より圧倒的に多い中田の経験を全くチームにフィードバックできなかったのは実に勿体無かった この本でも中田がチームメイトとのコミュニケーションに苦労する様子が書かれている その原因は他の選手のプロ意識の低さや戦術理解度の低さのせいとなっているが、 小松成美と言うお抱えライターによるサニーサイドアップのプロパガンダ本なので全てをまともに信じるわけには行かない 常に自分たちの取り巻きと群れてチームメイトの和に入らない中田にリーダー的な素質は皆無である 98年頃のように名波のような寛大な先輩に見守られながら自由に力を発揮させれば良い結果が出るのだが・・・ とにかくサッカー選手としては日本人では数少ない欧州トップモードの実力を持っていた選手だけに、他の選手との意識の差、実力の差が あまりにも大きすぎて空廻ってしまったのは悔やまれるところである (4年後、8年後の本田選手が心配) この本で1番興味深かったのは、ペルージャからボルトンまで目まぐるしく移籍を繰り返したクラブシーン 最近でもモッジスキャンダル等で露呈されているがイタリアのサッカー界の汚さは思わず笑ってしまうほど酷い サッカー選手にとって理想的な環境でプレーすることなど稀でどんなスタープレイヤーも自身の理想を持ちつつも 現実と折り合いをつけながらプレーをしている しかし、完璧主義者中田は自分の理想のチームを求めて移籍を繰り返す 犯罪者一族ガウチのペルージャを飛び出たのはともかく、トッティとポジションが被ってレギュラーで出れないからローマを去り プランデッリと合わないからパルマを去り、逃げた先のフィオレンティーナにまたプランデッリがやって来てボルトンへ・・・ 早過ぎる引退ではあったが欧州的な不合理不条理が蔓延するサッカー界には元来向かない人間だったのかもしれない
26 : 長い
27 : スレタイ >中田はなぜカッペロ、プランデッリにダメ認定? ローマ時代に大一番で使ってヒーローにしてくれたカペッロ監督と パルマ時代にレギュラーとして使ってくれたプランデッリ監督 中田がこの二人の監督をダメ認定しているのか、ひどいな中田はw カペッロに対してBBCではダメ認定どころか肯定的なコメントしていたのに。 2010年W杯の頃、BBCのインタビューで、イングランド代表監督カペッロについてコメントする中田 【動画タイトル】Nakata: 'Capello unites teams' ttp://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/video/8762761.stm Japan legend Hidetoshi Nakata tells Radio 5 live that his former coach at AS Roma Fabio Capello is good at uniting teams. カペッロ監督(イタリア人)…現イングランド代表監督 プランデッリ監督…現イタリア代表監督
28 : 中田姐さんが良かったのはペルージャ初年度だけだよね
29 : >>5 日本の育成環境の問題だろ 欧州じゃ若年期に徹底的に戦術的な動き方を叩き込むらしいが 日本は技術重視で自由放任主義らしいし byザック まあ中田はユースじゃなしに高校サッカー出身だが
30 : Jで戦術的な動きのしつけに成功したのが柏って感じ?
31 : マジレスの前に、これだけツッコミさせてくれ。 >>1 「カッペロ」じゃなくて「カペッロ」
32 : 参考までに >>24 その長谷部さんのリーグ戦出場数 【2008-2009シーズン】25試合出場(ヴォルフスブルク) 【2008-2009シーズン】24試合出場(ヴォルフスブルク) 【2008-2009シーズン】23試合出場(ヴォルフスブルク) ■プランデッリ監督率いるパルマ時代の中田の出場数 【2002-2003シーズン】31試合出場(パルマ)★レギュラー 【2003-2004“半”シーズン】14試合中12試合出場 これが一般的に「干された」と騒いでいる人もいる時期。 12試合出場でも、確かにフル出場は無かったし半分はスタメンじゃないから 前年に比べれば「干された」状態。この時期、起用法を巡って監督と対立中。 中田は恩師のラブコールに応じてボローニャへ積極的にレンタル選択。
33 : 中田(MF)、アドリアーノ(FW)、ムトゥ(FW)で形成するトリデンテ時代も プランデッリ監督率いるパルマ時代だね。 中田‐アドリアーノ ライン http://www.youtube.com/watch?v=Pu5rSRu_-tU 当時の解説が、アドリアーノの心配はしても、中田に対しては落ち着いた目で見ているくらい 安定感を感じられる。
34 : >>25 その本を読んだ事があるけど、お抱えライターによるプロパガンダ本なのに、06年W杯日本代表の足を引っ張ったのが、勝手に空回りしていた中田だとわかる内容だった。
35 : 【プランデッリ監督】=【パルマ時代の監督】=【フィオレンティーナでも監督】 パルマで喧嘩別れしたプランデッリ監督がフィオレンティーナでも監督に・・・ ■フィオレンティーナの中田が「ボルトン」レンタルを選んだ経緯 フィオレンティーナのプランデッリ監督が中田けん制 http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1119672098/ 就任したばかりのフィオレンティーナ・プランデッリ監督が24日付のコリエレ・デロ・スポルト紙の インタビューで、MF中田に“服従”を促した。パルマ時代に起用法をめぐって対立し、その後 ボローニャへレンタル移籍。「パルマですばらしい1年を過ごしたが、最後は不満をもらしていた」と 振り返った指揮官は「私の言うことを聞いてくれるかどうか、それにかかっている」と話した。本来の トップ下ではなく、再び右サイドでの起用となれば中田の移籍が現実味を帯びてくる。 グロインペインで劣化後でもボルトンからラブコールもあったし、そっちに行くのも有りかと。 http://afcchampionsleague.com/jp/member-association-news/east-asia-news/3767 ロンドン:10日の水曜日にボルトンのマネージャー、サム・アラーダイス氏が、 日本代表の中田英寿獲得を目指していることを明らかにした。 同氏はクラブのウェブサイト上で「ヒデトシはとても欲しい選手で、彼を獲得できれば素晴らしいことだろう。 2〜3日のうちにこの話をどのように進められるかを検討するつもりである。」と語った。
36 : 実力はスーパーじゃないのに、自己主張はスーパー並だったから、だよ。
37 : >>32 の詳細 ■パルマ3年目、中田が半シーズンの「ボローニャ」レンタルを選んだ経緯 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/italy/column/200312/1230spnv_01.html ――なぜこのチーム(ボローニャ)を 「とにかくマッツォーネ監督がいたから。ペルージャで一緒にやって、人格的にも素晴らしい。電話で話してすぐに(移籍を)決めた」 【マッツォーネ監督】=【ペルージャ時代の監督】=【ボローニャ時代の監督】=【恩師】 http://mimizun.com/log/2ch/mnewsplus/1069530758/ >ボローニャは経営が悪化し、今オフに主力選手を大量放出。 >激怒したグイドリン前監督が辞任し、急きょマッツォーネ監督が就任したが、 >現時点で降格圏の15位。「チームには問題があって苦しんでいる。 >(司令塔の)ロカテッリと一緒に組んでプレーしてほしい」と、救世主として >中田獲得を訴えた。 >23日のエンポリ戦には守備的MFで先発が濃厚な中田だが、依然としてチーム内での立場は微妙。 パルマ3年目、前年に中田をレギュラーとして定着させたプランデッリ監督と起用法を巡って対立中… 守備の駒として右サイドに動きを限定される起用に対し不満を示し(>>35 でプランデッリも言っている通り) 出場機会が減りつつあった中田にとっても、レンタルはメリットあり。
38 : まあ実際はかなり重宝されてたよな カペッロは外国人枠の問題で使えなかっただけで規制が解けたら 即効であの大一番でトッティに代えて使ったわけだし プランデッリにしてもずっとレギュラーで使ってたし まあパルマ3年目にサイドで使うなら他の選手の方がいいんじゃないみたいな 発言を中田がしてからプランデッリも中田を使わなくなったが
39 : >>36 それはある。 でも、他の選手も普通にそれくらい自己主張してるんじゃないかとも思う。 日本人選手だから一言一言が伝わってきただけで。
40 : 中田自信の理想と現実の能力にギャップがあるのにそれを本人が認めれなかったからでしょ 兵卒としては優秀でそれをプランデッリにも認められていたのに自分の適正は別のところにあると喚くから 実力あるのに色々ともったいなかった選手
41 : 中田の結局の得意なポジションはどこなんだ??実は守備MF??
42 : >>9 中田を死ぬほど嫌っている中村鈍輔の関係者が立てたと思うが。
43 : そういやアラダイスのカスみたいなフットボールには不満なかったのかな 理想から一番遠いスタイルだったと思うけど
44 : ボルトンの放り込みサッカーに絶望して引退したんだろ
45 : パルマでの役割をまっとうしていたら、もう1段上に行けたかも知れないのにね。
46 : カペッロもプランデッリも中田を評価してたろ 出場機会はかなり与えてた
47 : 確かにブランデッリよりアラダイスの方が数倍カスだよなw ベテランの再生がうまいというより低コストで名前のある選手を乱獲しまくってただけに 引っかかったという…哀れな末路だったな 実力的にいえばオコチャやノーランなんかよりはかなり下だったしな やっぱり労働者や裏役的な仕事があってた、ピボーテとしてのメンタルや戦術面を叩き込めば 遠藤よりもいい選手になれたかもね
48 : むしろ今なら長谷部の上位互換版になってたかも。
49 : 長谷部ほど献身的な動きができるわけじゃないし サイドならクロスとかドリブルとか長谷部の方がいいと思う 中田の場合はやっぱり中央で起点になったりそこから自由に動いてこその選手だな
50 : >>47 中田が在籍してた時のオコチャは劣化してたしノーランにいたっては今も昔も3流選手だけどな
51 : >>49 パルマでサイドやってた頃の中田の献身性は長谷部を上回るレベルだぞ。 毎試合好クロス連発してたし。そこまで完璧なサイド適正があったからこそ プランデッリは自分の意見曲げなかったんだよ
52 : カペッロとプランデッリとではどちらの要求の方がより緻密でハードだったのか?
53 : 中田は完璧主義者すぎた 「自分の力が最大限に活かせる職場」なんて幻想であることを最後まで理解出来なかった どんなスーパースターでも理想と現実に折り合いをつけながら 与えられたポジションで精一杯チームに貢献してる バカな上司とバカな同僚を下に見ていつまでも理想のクラブを追い掛けるんじゃなくて 望んたモノでは無くても一生懸命自分の仕事として誇りを持ってプレーしていれば もしかしたら新境地を開けた可能性もあったのに
54 : ボランチなんだろうな本当は
55 : 冬移籍でローマ来たシーズンは、ボランチでスタメン起用されてたけど、 なんかそのときの記憶ないんだよね。 トンマージあたりとコンビ組んでトッティとも共存してた気がするけど、 やっぱフィットしてなかったんだろうか?
56 : 【1999-2000シーズン】冬の移籍市場でペルージャからローマへ移籍 移籍当初のローマで、18試合中15試合出場(スタメン14) 3ゴール この半年間は トッティが欠場した時などに本職のトップ下 中田がローマに来て約1ヶ月頃の、フィオレンティーナ戦 とか、お見事 http://www.youtube.com/watch?v=OnRDAbRfU00&feature=player_embedded#! でもトッティがいる時は、中盤でプレー
57 : >>39 パルマ時代のアドリアーノの言葉 「(中田は)先生。あるいは監督の次の監督。チームをリードしているのは間違いなく彼だから。 彼はピッチで若い僕らに何でも教えてくれる」 人一倍、自己主張はあったと思われる。
58 : 思えば、カペッロが中田獲得を熱望したことから、中田の波乱万丈の始まりだったのでは。 ■なぜローマへ移籍したのか ローマっ子でキャプテンでエースのトッティと本職が同じトップ下の中田がなぜローマへ移籍したのか。 『中田英寿イタリア戦記』より。著者はコリエレ・デッラ・セーラの元ASローマ担当記者のイタリア人 「もし移籍させるのなら99%ローマだろう」 ローマの他にミランからもオファーがあることを認めた上で、ペルージャ会長がこう公言。 このペルージャ会長はローマ生まれ元ローマ副会長で、当時のローマ会長とも親しい間柄。 素晴らしい選手を譲ってくれたとローマに感謝されたいという理由を述べている。 一方、ミラン副会長 「ペルージャには300億リラに選手を1人付けて渡す用意がある」 「ヒデはローマよりミランに行きたがっている。ローマだとトッティの控えで終わる危険もある」云々 チームメイトの証言やトッティやカペッロの発言等、こちらのサイトに書いてあることは省略。 ttp://www.tifosissimo.8m.com/columns/084nakataaroma.html そもそも中田獲得を望んだのは、ローマのカペッロ監督で、カペッロ自身が認めている。 「中田を要求したのは私だ。なるべく早くローマに来てくれることを望んでいる。1人で試合を決めることのできる偉大な選手だ」 そして中田との食事の席を設け、直々に説得までした。
59 : ズバ抜けた頭の良さとプライドの高さでパーソナリティーを確立させすぎてた為に上の者達とうまくやれず空回り、欧州南米出身のサッカー小僧達のひたむきな姿勢についていけなかった。 こんな感じでよろしいか?
60 : >>58 つづき 入団記者会見で、ローマを選んだ理由を訊かれた時の中田の回答 「僕を最も納得させてくれたイタリアのクラブだったからです。 シーズンの途中でペルージャを去りたくありませんでした。特に今のような状況では尚更です。 でもプロとして選択しなければならなかった。だから今ここにいるのです」 〜〜〜 半年後 (>>56 参照)〜〜〜 ミランとインテルの中田争奪戦という雰囲気でメディアが盛り上がっていた頃。例えば『コリエレ』サブタイトル 「インテルは中田に触手。センシ(ローマ会長)はザネッティの残り半分の保有権と150億リラを要求」等。 そんな喧噪をよそに中田はイタリアのマスコミに残留を明言。 「このチーム、この街は気にいっています。もう一度選べと言われても同じ選択をするでしょう。 10月にも1月にもシーズン中の移籍はもうしません。 この6ヵ月で良い友達もできました。チームではトッティ、ディ・フランチェスコ、トンマージと特に仲よくしています」 それと、何気に重要発言。 「もう中盤ではプレーしないと思います。僕のポジションは別のところ、トップ下ですから」 〜〜〜 その1年後 〜〜〜 ローマ18年ぶりの優勝! トッティout中田inで後半に司令塔を代わった天王山でヒーローになって、ローマ時代はめでたしめでたし?
61 : ということで、スレタイ >中田はなぜカッペロ、プランデッリにダメ認定? >>27 に続き、中田はカペッロのことダメ認定していないよ。 旅人時代の中田ブログ 2008年10月28日 http://nakata.net/jp/hidesmail/hml307.htm カペッロ達と食事後 >カペッロが帰り際に、何かあったらいつでも言ってくれ、と言っていたので、 >今度また試合をオーガナイズするときには、カペッロに監督をやってもらおうかな。はっはっは……。 「使える」と思っているw
62 : >>61 で「今度また試合をオーガナイズするときには〜」と言っているが、その数ヶ月前に 開催した中田主催の親善試合で、お願いした監督はモウリーニョだった。 多忙な中、来日&協力してくれたモウリーニョ。 2008年6月3日 インテル監督就任記者会見 2008年6月7日 横浜で開催された中田主催の親善試合に監督として参加 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/text/200806070005-spnavi_2.html この時に、カペッロがファーストチョイスじゃなく モウリーニョ>カペッロ だった点は、中田はひどいなw でも、カペッロはお祭り試合に笑顔で参加してくれるイメージないかも、断りそう。
63 : 一般的には、飛ぶ鳥を落とす勢いだったペルージャ時代のプロヴィンチャトップ下や ローマ時代の(実力っつうか活躍度では勝るとも劣らずだけど相手が“王子様”なので控え扱いの)まさにスーパーサブが栄光のイメージで、 今思えば豪華メンバーなトリデンテの一角ながら本人の適正にあってないサイドライン往復プレーで決裂したパルマ時代や ブランデッリが付いてきたのが運のつきのフィオ時代、 中盤頭上をボールが通り越す(今となってはなぜあそこを選んだのか不明の)ボルトン時代が暗黒イメージ。 なんだろうけど、前二者は勿論文句付けようのないくらい素晴らしかったんだけど、ボローニャ時代のボランチが地味だけど頼もしくて好きだった。やってるサッカーも好感持てたし。 なんで、個人的には中田がトップ下に拘ったってイメージはないし、球際に強くて献身的なプレーもしてたからバランサーとしても非常に優秀だったと思う。
64 : 叩いてる奴ほどメディアのイメージに流されてるからね。
65 : 2ch以外では中田自身でなく中田のプレーを叩いてるのあんまり見聞きしないけど、叩く人は試合見てなかったんだろうか。 今の海外組日本人選手の比じゃなく地上波やってくれてた(末期のボルトン戦ですら結構やってた)から、俺みたいな根っからの大のサッカーファンとまではいかなくてもクラブでの実際のプレー結構見れたと思うんだけどなぁ。 日本人選手出てるとかなり評価甘めな解説に贔屓の引き倒しだなぁと感じることが多いんだけど、 中田の場合は実際プレー内容がチーム内でも常に上位安定だったからそうは感じなかった(パルマ時代でも。ただボルトン時代は…そもそもボールに絡む機会が…)、 その上調子良い時はずば抜けてたし(ボディバランスめっちゃよくて球際強いし、組立てやラストパスの質と量でもスタンド沸かせてたし)。
66 : 現イングランド、現イタリアの代表監督に見捨てられた中田でOK? まあ西野にも見放されたが・・
67 : >>65 当時のボルトンはキックアンドラッシュ をガチでやってて中田の出番無かったよな キーパーがボールキャッチして毎回の様に パントキックで最前線に当てて
68 : >>66 とりあえず>>1 から>>65 までを読め。
69 : ■中田とカペッロ監督(現イングランド代表監督) >>27 >>56 >>58 >>60 >>61 ■中田とプランデッリ監督(現イタリア代表監督) >>32 >>33 >>35 >>37 ※両監督ともイタリア人
70 : カペッロ監督 「中田がいなくては、誰がトッティの穴を埋められるというんだ」 ※雑誌『フランチェスコ・トッティ (COSMIC MOOK サッカーベストシーン 6)』 P38より ■当時のトッティとは 当時、この実績のデルピエロ(トッティより1〜2歳年上)と無冠のトッティが、ほぼ同格扱い。 【デルピエロの2000年までの実績】 ・CL優勝(1995-96) ・CL準優勝(1996-97)(1997-98) ・CL得点王(1997-98) ・セリエA優勝(1994-95)(1996-97)(1997-98) ・ユベントスの10番エース ユーロ2000、代表の監督が「デルピエロとトッティ、2人の内1人しか使わない」方針で、出来るかぎり共存を避けたが 決勝戦のスタメンはトッティ、デルピエロは途中出場。 『デル・ピエロ&トッティ 〜最後のファンタジスタ〜』 製作年:2001年 製作国:アメリカ のDVDでも同格扱い。
71 :11/12/21 ファビオ・カペッロと中田英寿の関係を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1341877343
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