2011年10月1期芸能尾崎豊の「遺書」月刊誌に全文掲載 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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尾崎豊の「遺書」月刊誌に全文掲載


1 :11/11/09 〜 最終レス :11/11/19
尾崎豊さん「遺書」月刊誌に全文掲載
 1992年(平4)に亡くなった歌手尾崎豊さん(享年26)が残していた
2通の「遺書」が、明日10日発売の月刊文芸春秋に全文掲載されることが、
分かった。尾崎さんの死については、没後2年の94年に他説が浮上。自
説と真っ向から衝突し、にまで発展するなど社会的に大きな関心事となった。
「尾崎豊の遺書『さようなら 私は夢見ます』」を執筆したジャーナリストの
加賀孝英氏は94年当時に入手していた「遺書」と、尾崎さんと繁美夫人との
間のやり取りを、没後20年を前に明かした。
 ◆尾崎豊さんの死 92年4月25日朝、東京都足立区内の住宅街で全裸で傷
だらけになった尾崎さんが発見された。同日午後0時6分に死亡。死因は極度の
飲酒による肺水腫とされた。しかし、2年後の94年に尾崎さんの体内から検出
された覚せい剤について触れた、司法解剖の結果が記された「死体検案書」のコ
ピーが外部に流出し、他説が浮上。尾崎さんの実父健一さん、実兄康さんやファ
ンが再捜査を求め、10万人嘆願署名活動に発展した。身の危険を感じた繁美さん
は長男裕哉さんと渡米した。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20111109-860864.html

2 :
されたんでしょ?

3 :
尾崎豊が死んで20年経とうとしてるのにまだ「遺書」全文掲載なんかで商売してるの?
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1320797151/

4 :
週刊現代2002年8/10号尾崎記事より
  以下、週刊現代に掲載された、支倉逸人・東京医科歯科大名誉教授の著書、
  「検視秘録」(光文社刊)の抜粋。
検視官の話によると、男性は自宅で死亡したが全身に無数の傷があるという。
「男性は他人の家の敷地内で傷だらけで倒れていたところを発見され、
救急車で都内の病院に運び込まれています。病院では入院を勧めたが
家族が、家に連れて帰ったそうです。ところが家に帰ってから容態が
悪くなって急死してしまった。全身に無数の傷があるし、障害致死の
疑いがありますので司法解剖をおねがいします・・・・・・」
ベテランの検視官はそう説明した・・・・・・。
 青いビニールシートの上に遺体を横たえ、改めて全身を観察した。
体の至るところに擦り傷や打撲があった。いずれも軽度の傷だったが、
無傷のところを探すのが難しいほど全身に傷が広がっていた。
 背中には紫色の死斑が出ていた。これとは別に、赤茶色や黒ずんだ
傷跡が頭、顔、手足、胸腹部、背中などに見られた。
(略)
 立会いの警察官がうなずきながら話した。
「空き地で倒れているのを発見されたとき、仏さんが裸で地面に体を
こすりつけて、のたうち回っているのを目撃して人がいるんです。
何でも地面に顔をたたきつけていたそうです。」
 警察では当初、傷害致死を疑っていたので、男性が亡くなるまでの
足取りを調べていた。とくに男性がだれかと争っているのを目撃した
人がいないかを調べたが、目撃証言はなかった。
 私は皮膚の擦過傷と打撲傷をじっくり調べた。だが他をうかがわ
せるようなものはなかった。
続く

5 :
(略)
 手拳によって殴られると、皮下に出血を生じコブ状に青く膨れれるものの、
皮膚の表面に擦過傷は生じない。ところが男性の打撲傷は、ことごとく皮膚
の表面にこすった跡があった。つまり、男性の傷は殴られたせいではなく、
地面などに自らをこすりつけたり、打ち付けたせいで生じたものと推定された。
 自分の体や頭を地面にぶつけ、こすりつけるのは明らかに異常だが、
中毒患者にはよく見られる行動である。私は、男性は中毒ではないかと疑った。
内臓の解剖所見も中毒を強く疑わせるものだった。
 まず、胃、十二指腸、小腸上部の中が、すっかりただれて粘膜が真っ黒に
なっていた。これは直接、を飲んだために粘膜がただれて、血液が
壊れていることを意味する。
(略)
 また、肺にはすっかり水が溜まっていて、重かった。
肺の中に水が溜まっていることを肺水腫というが、男性の肺を切るとジャーッと
水が流れ出した。・・・・・・毛細血管は普通、水を通さない。ところが
の中毒症状を起こすと、欠陥から水が漏れるようになる。そして、
そのまま水がどんどん漏れだすと、肺の中が水浸しになるのだ。
 こうなるといきができないから、・・・・・・やがて溺死に近い症状で
亡くなるのである。
続く

6 :
胃と血液の中には、約百マイクロモール程度のメタンフェタミンが証明され
たことになる。百マイクロモールは17ミリグラム。・・・・・・過去に中
毒死した事例から考えて、服用して死亡したとしても不自然ではない濃度と
いえた。
(略)
メタンフェタミンが見つかったことで、男性の死亡原因が中毒による
不慮の事故であることは疑う余地がなかった。
「これは、どう見ても中毒だね」
 私が検視官に報告すると、なぜか彼は困った表情を浮かべた。
「うーん、ですか。の捜査になると、また別の捜査が必要になりますねえ」
 そして、しばらく思案を巡らせてから、
「死因としては直接原因の肺水腫というところだけを発表しましょう」
と一人、納得していた。
 による中毒死となると他課との調整が必要だ。入手先などの
捜査のためには、ここでが出たことは伏せておかなければならない。
そう考えての発言だろう。・・・・・肺水腫が直接の原因なのは間違い
ではないし、警察がのことを伏せて肺水腫のみを発表するという
以上、われわれ裏方の法医学者が口出しする問題ではない。
人を害させるためには、確実にせる方法を取るのが当たり前で、
酒やは人を害する手段としてはあまりにも確実性に欠ける。
の致死量は個体差があるから、これだけ飲ませたら死ぬという基準がない。
しかも、たとえ飲ませても吐き出してしまうこともある。
人を害する手段として、あまりにも不確実なのである。
以上

7 :
「尾崎豊の遺書『さようなら 私は夢見ます』」を執筆したジャーナリストの加賀孝英氏は
94年当時に入手していた「遺書」と、尾崎さんと繁美夫人との間のやり取りを、没後20年を前に明かした。
 「遺書」は、92年4月25日、死の間際まで持ち歩いたセカンドバッグに入れてあったという。
それには、意識し続け、現実のものとして受け止めた「死」に向かう覚悟がしたためられていた。
 先立つ不幸をお許し下さい。
 先日からずっと死にたいと思っていました。
 死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、
 そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。
 (中略)
 さようなら 私は夢見ます。
 死の1カ月後、もう1通の遺書が見つかっていた。尾崎さんの母絹枝さんの遺影の脇に置かれていた。
繁美夫人と1人息子裕哉さんへの愛情を示し、惜別とも取れる言葉が記されていた。
 私はただあなたを愛する名の神でありつづける。
 皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20111109-860970.html

8 :
何故今になって公開するのか?
死因がミステリアスなほうが、人気維持出来ると判断したのかな。

9 :
人気維持だと!?
お前は家族の死に直面したことがあるか?小僧?

10 :11/11/19
文芸春秋なんか始めて買ったわw
冒頭での「死の間際まで握り締めていた繁美夫人との写真」 ってのが泣けてくるw 提灯にも程が有る
全体的に尾崎は最後まで繁美夫人を愛して居ましたと言わんばかりの内容がだらだら続く・・
斉藤由貴とのが想像以上に彼女のプライドをズタズタに引き裂いたんだろうな
女の嫉妬ほど醜く、力強く、性に満ちた物は無い
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