2011年10月1期地理・人類学文化人類学 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

文化人類学


1 :11/08/10 〜 最終レス :11/11/26
「人間とは何か?」を考える学問、文化人類学のスレ立てましたよ。
文化人類学は、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野である。

2 :
「エコ」
ここ10年くらいずっと叫び続けられてるこのイデオロギー。
果たして地球や資源のことを胸中に置いた「エコ」なのか。
そうではない。
我々の生活レベルを落とさないが為の「エコ」なのだ。
これはエコに限らず須らく当て嵌まるファクタでもある。

3 :
難しい学問ですね。

4 :
文化人類学人気ねえなあ

5 :
文化人類学好きだよ

6 :
まえたかにしって人知ってる?

7 :
>>5
文化人類学のどういうとこが好きなの?

8 :
>>7
人の言葉や表情や表現や歴史、行動などを学べるところ。とても好きだよ。

9 :
文化人類学の文化とは何か?英語のカルチャーなのか?

10 :
世界の文化人類学は主に米英学派とドイツ・オーストリア学派に分別される。
日本においては明治時代ドイツ・オーストリア学派が導入された。
しかし、戦後は米英学派が主流となった。
そういった経緯により日本の文化人類学は非常に難しくわかりにくいものとなった。
英米学派の文化人類学とは言語・風俗などの観点から人類を分類するものであるのに対し、
ドイツ・オーストリア学派のそれは目の色など生理学的な観点をも含むものである。

11 :
日本は島国である故、人類学や地理学をないがしろにしている。
一方同じ島国でも英国の王子は大学の専攻を地理学としている。
教養として学問をするのではなく、外交、政治情勢に明るい国家づくりが必要である。
他国の成り立ちなど、歴史的な変遷、それに人種や宗教がいかにかかわってきたかを皆さんと学んでいきたい。

12 :
好きな理由が抽象的過ぎて恥ずかしい・・・。

13 :
>>12
まあいいじゃないか。
少しでも学んでいきなさい。
何か質問ある?

14 :
>>12
そんなことないよ。
良い回答だと思うよ。

15 :
明日から放送大学で文化人類学の集中講座がはじまるよ

16 :
みなさんクロード・レヴィ=ストロースのことどう思いますか?

17 :
お二方、優しい気遣いありがとうございます。
私は昨年、大学の講義でたまたま文化人類学を履修して好きになったのですが、お二方はどのような経緯で文化人類学に接するようになりましたか?
あと、私はまだまだ文化人類学を学び始めたばかりなので沢山のことを知りません。オススメの本などがありましたら教えて頂けると嬉しいです。
長くなってしまいましたがよろしくお願いします。

18 :
>>17
俺も大学の基礎科目履修で文化人類学を取って興味を持った。
そして大学三年からの専門ゼミで文化人類学のゼミに入った。
というか入学の時のゼミの案内ですでにどいうものかはわからなかったが文化人類学に興味あったんだけど。
お勧めの本とかは昔のことなので忘れてしまったなあ。
ゼミの研修旅行でフィールドワークということでネパールに行ったよ。
ホームステイしてネパールの儀礼みたいなものを見たり、ヒマラヤにトレッキングに行って高山病で死にそうになったのは今では良い思い出。

19 :
そんなことやってるのかw

20 :
文化人類学学んでるって言うとなんかかっこいいよね?

21 :
生理的な問題とかがあるから女性は社会を統率する立場に立てないっていう結論を出した、女性の学者のみで構成された研究グループについて知っている人がいたら教えてください
祖父江孝男先生の『文化人類学入門』になんかそんな話が載ってた気がするんだけど、どこに書いてあったか見つけられないんです

22 :
文化人類学って文化学なの?人類学なの?

23 :
とりあえずマリノフスキーとかベネディクトとかボアズとかギアツとか言っとけばいいの?

24 :
今更何言ってるのさ?

25 :
文化人類学って20年前位に流行ってた学問だね

26 :
>>16
ひとことで言うと天才だったと思う。
今の人類学というか人文社会科学は、L-Sの構造主義の影響から脱し切れていない。
>>21
ちょっとまって調べる。
アードナーの『男が文化で、女は自然か?』は読んだ?
>>22
アメリカでは人類学の下位領域。
文化学ってのが何を指すのかよくわからないけど、
カルスタとかは文化人類学から大きな影響を受けて成立した。
>>23
とりあえずその辺は、人類学に限らず常識として押さえておくべき。
>>25
日本ではそだね。

27 :
だれもいない……
『文化人類学入門』は見当たらなかった!
まぁ、女性が完全に男性より優位な社会は存在しないってのは定説です。
母系制で有名なインドのナーヤルも、オジが財産権を握っていますし。
ただ、それを生理学的理由とすると、色んなところから砲撃を浴びるかと。
とりあえず、偏見と地域アイデンティティ丸出しなこの板にも、
いっこくらい真面目に人類学を論じるスレがあっても良いかと。
誰も来ないなら小生が勝手に人類学について語ってゆきます。

28 :
うむ

29 :
では勝手に文化人類学について語ってゆきます。
とりあえず何も見ないで書いてるから、間違いは指摘してください。
もしくは、気づいたらあとで訂正します。
で、そもそも「文化人類学」とはなんぞや、実はこれが難問なのです。
教科書的な定義としては、
「異なる文化」の中で、基本的に一年以上の「フィールドワーク」をおこない、
現地の人々の考えかたや物の見かたを理解して「民族誌」を書く。
それを元に、われわれが自明と思い込んでいる常識が、
多様なバリエーションの一つに過ぎないことを明らかにする学問。
といった感じでしょうか。
しかしよく考えてみると、
「文化」とはなにか、なにをもって「異なる」というのか、
理解するとはどういうことか、どのように書くのか、
疑問は尽きないわけです。
おそらく明確な答えは誰にも出せません。
というか、人類学者の数だけ答えがあるといってよいでしょう。

30 :
もうちょっと退屈な話ですが、ご辛抱をば。
学問分野としての「文化人類学」について。
上でもちょっと言いましたが、文化人類学(Cultural anthropology)というのは
アメリカ式の分野名です。
アメリカでは人類学(Anthropology)という包括的な学問があり、その下に
・文化人類学
・形質(自然)人類学
・言語学
・考古学
の四分野が紐付いています。
それに対して、イギリスでは社会人類学(Social anthropology)という
独立した分野となっています。
両者の違いは文字通り、アメリカ式は「文化」を、イギリス式は「社会」を、
主要な探求対象とするという感じの理解でとりあえずはよいと思います。
日本では各人のこだわりはあるものの、両者は大体同じものとして扱われています。
私のレスでも文化人類学=社会人類学だと思ってください。
なおドイツ系の国では民族学(Ethnology)という名称で、
民族の移動や起源の探究に主眼がおかれていました。
戦前までは、日本の人類学研究はドイツ式の民族学を踏襲しており、
柳田國男なんかももろに文化圏説や伝播説の影響を受けています。
2004年、当時の日本民族学会が現在の日本文化人類学会へと名称変更する際も
一悶着あったと聞いていますが、詳しくは知りません。
フランスはまた独自の位置で存在感を放っていますが、それはおいおい。
ちなみに、アメリカで人類学の下に考古学がおかれた理由としては、
移民の国アメリカでは過去を調べること=他者を調べること、
だったからだと聞いたことがあります。

31 :
人類学が学問としての体裁を整えたのは19世紀後半のこと。
進化論という西洋の学問的パラダイムを背景に、
ダーウィンやウォレスらの生物進化の理論が脚光を浴びていたころです。
バハオーフェン、モーガン、タイラー、フレイザーといった学者達が、
現在の人類学の基礎を築きました。
彼らは、文化は進化するものという前提の下に、各文化はその発展段階によって
西洋社会を頂点とするピラミッドのどこかに位置づけられると考えました。
文化がどのように発展してゆくかのモデルの整備と、
西洋以外の「未開」文化の各々はどの段階にいるのか、
それが当時の研究のテーマでした。
また、当時の人類学者はいわゆる「安楽椅子の人類学者」というやつで、
自分は現地に赴かず、宣教師や探検家の報告を比較しながら理論を組み立てていました。
もちろん彼らの考え方は西洋中心主義もいいところで、
西洋を絶対の基準として文化に優劣をつけるようなやりかたは、
現在では片腹痛いとすら思えるでしょう。

32 :
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。
戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜 になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…
ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、 もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。
そうすると漁獲高は上がり、儲けも増え る。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、 ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。「そうなる までにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、
奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、
ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

33 :
この有名なコピペが示すとおり、西洋的な進化/発展の図式というものは
独善的で極めて疑わしいものであります。
ですけど、技術や社会が単純なものから複雑なものへと変化して
ゆくことは自明なように思えますし、
われわれも外国人と話したりするときには、
無意識のうちにどちらの文化が進んでいるかと考えたりすると思います。
あとからまた出てくると思いますけど、極限まで追い求めると
お互い同士はけっきょく理解できないという結論につながる文化相対主義に比べると、
進化の考え方は人間としての共通性を強調し、相互の理解可能性を開いているとも言えるわけです。
進化主義的な考え方はつねに人類学の中に伏流していて、
今後もこれから何度か表面へと噴出してきます。
今はとりあえず、文化の間に優劣をつけることは無意味である、
ということだけは覚えておいてください。
複雑=偉いではないということです。

34 :
上にも書いたとおり、この進化主義の人類学を担ったのは、
宣教師や探検家の報告を資料に理論を組み立ててゆく、「安楽椅子の人類学者」たちでした。
一般的な学説史ではこのあとに「伝播主義人類学」が来るんだけど、
いまの文化人類学にとってはそれほど重要でないから割愛。
民俗学や戦前の民族学には大きな影響を与えましたが、
いま文化人類学の看板でそういう研究をしてる人はたぶんいないので。
で、人類学のアイデンティティともいえるフィールドワークという方法論が成立し、
現在につながる文化/社会人類学のディシプリンが確立されたのは、
マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』と、ラドクリフ=ブラウンの『アンダマン島民』が
出版された1922年のこと。
彼らの理論は、社会を包括的で有機的な全体とみなしたうえで、
個々の社会的要素は(一見無用のものであっても)社会全体の維持という
役割を果たしているとみる、「機能主義」の考え方でした。

35 :
理屈はわかるけど、応用や実践までこぎつけてる人類学者って日本にどれだけいるんだろ
自分しか読まないような論文を量産する学者ってどこの学問にも多いよね
すべての学問に、利益や採算とか経済的貢献を要求すべきでは確かにない
けど、文系の学問は、今や就職面接では学部さえ聞かれないほどの存在感
経済的とは言わないまでも、人の精神文化や心に貢献して欲しいものだわ

36 :
そういう問題提起はありがたいですね。
確かに、先行研究も押さえてないような独りよがりの研究も多々あります。
しかし、応用や実践が必ずしも望ましいことでしょうか?
「開発」の名を語る暴力のなんと愚かしいこと!
文化人類学はある意味で社会科学における基礎研究です。
「経済的」「精神文化」「心」といった、
我々が無意識のうちに不用意に口に出してしまう概念を常に問い直す学問です。
少なくとも、自文化中心主義や科学の権威性に対して
異議を申し立て続けていることは、人類に対する貢献ではないでしょうか?

37 :
文化人類学の門外漢が、えらそうにすみません
学部一年の頃に教養科目で取ってた知識しかない者です
専門は文学っす
不用意に口に出す言葉を問い直す営みは、人類学の専売ではないですよね
哲学では当たり前だし
自文化中心主義やらオリエンタリズムとか、そこんとこの貢献は否定してないですよ
医療人類学は、確かに現代医療の欠点や限界も指摘する良い研究してるし
ただ、そういう貢献する人物は一部なんですよね
他は大抵、フィールドワークの方法論やエスノグラフィーの表象論、真実とは何かの認識論をこねくり回したりに終始して
それって、井戸を探したり、掘るのではなく、掘る道具や井戸のデザインにこだわるように本質とずれてる
不必要ではないにしても
そうした研究をしてなくても、自己完結してる研究が多い
応用人類学ってありますよね
でも、応用人類学ってだいたい経済やら開発に絡む研究を指してそう言いますよね
あれ、なんでかなって思うんです
文化人類学は、今や政治や経済のみならず、自国のアニメや漫画などのサブカルからスポーツ、芸能とか様々な研究対象、範囲を持ってる
けど、そうしたところのフィールドワークで得た知見は、ほとんど応用できてない
つまり、自己完結の研究なわけで
ちなみにこの場合の応用は、単に経済的利益をもたらすって意味ではないです
研究対象や文化人類学、他の学問に、知見を用いて還元や改善、貢献する意味です
ま、文系の学問ってそんなもんなのかもしれませんが
哲学も、すでに死んだ哲学者の研究の研鑽や翻訳、批判がメインに見えるし

38 :
>>37
言いたいことはわかる
ちなみに、反論してた人間は逃げたか?

39 :
どれかわからないからアンカつけてくれ

40 :11/11/26
>>37
全体的に何を言っているのかよくわからない
文化人類学の話をしたいのか応用人類学の応用性の話をしたいのか、それとも文系学問一般の話をしたいのか上手くつかめないので、
もう少し簡潔に書いてくれるとありがたい

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