1read 100read
2011年10月1期日本史崇光源氏(伏見宮系)意外の男系皇族候補を探るスレ5 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

崇光源氏(伏見宮系)意外の男系皇族候補を探るスレ5


1 :10/09/13 〜 最終レス :11/11/29
崇光源氏(伏見宮系)は天皇に遡るには600年以上も昔になり、
天皇候補としては無理がある。そこで江戸時代の天皇や親王から分かれた
皇族を探ってみるスレです。
崇光源氏とは約600年前の北朝崇光天皇を祖とする源氏の一派。
前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1225089348/

2 :
家系図が600年離れても実質DNAは幕末の薩長土肥のお殿様の末裔が伏見宮系だろw

3 :
現在の皇位継承順位外で
男系で近いのは
1.閑院宮直仁親王の王子,鷹司輔平の子孫(徳大寺家)
 東山天皇―閑院宮直仁親王―鷹司輔平―政熙―政通―徳大寺公純―→
2.後陽成帝の皇子,近衛信尋の子孫(近衛分家。本家は細川に乗っ取られ中)
 後陽成天皇―近衛信尋―→
3.後陽成帝の皇子,一条昭良の子孫(醍醐家)
 後陽成天皇―一条昭良―醍醐冬基―→

4 :
平成源氏小和田徳仁さんは?

5 :

>1
崇光源氏とか言ってるけど、
あの方々が臣籍降下されたとき源姓賜ってたんだっけ?
>3
現行の典範では他家(というか人臣の家)に
養子に行かれた場合の継承権ってどうなってるの?

6 :
鎌倉時代以降、源氏以外賜姓されていないから
源氏じゃないの?
賜姓されていないとしたら源氏よりも下なのか。

7 :
>6
そもそも近代以降、姓と氏と苗字(と称号)がごっちゃになって
「賜姓」という概念はないんじゃないの?
「崇光源氏」なる造語に伏見宮系への悪意を感じる。

8 :
>6
伏見、山科、久邇、北白川、朝香、東久邇、賀陽などが
戦後臣籍降下した際の姓だね。
しかし、600年前に分かれた家が戦前まで宮家を名乗っていたのは
確かにおかしいが。
普通は親王の子の代で賜姓だからね。

9 :
>8
>伏見、山科、久邇、北白川、朝香、東久邇、賀陽など
それって姓? 家名?

10 :
源平藤橘のような本姓(古代はウジ)は維新後、公的には使用されなくなった。
徳川とか細川とかいうのは名字(苗字)で、いわゆる家名にあたる。
戦後、皇籍離脱した旧宮家が名乗ったのは名字だから、当然、本姓ではなく家名。

11 :
ややこしいのだが、
古代は蘇我とか物部とか藤原というのがウジ(氏)で、家名に相当した。
そして身分を示す称号である朝臣とか宿禰とかがカバネ(姓)と呼ばれた。
時代が下ると、ウジである藤原とか源にも「姓」という字が使われるようになり、
本姓とか藤姓、源姓といった使い方が一般的になった。(氏字と姓字の混同)
その一方で、ウジ=本姓とは別の名字が出現し、こちらに氏の字があてはめられた。
だから源姓細川氏なんて言われるようになった。
こうした本姓と名字の二本立ては明治維新で廃止になり、近代以降は公式には名字しかない。
いまでは名字が氏とか姓氏とか言われている。

12 :
>>11
ややこしすぎる

13 :
>>10
明治維新後は家名と本姓はいずれも姓に統一された
現在朝廷からもらった本姓を名乗る人はまずいないからね
だから旧宮家が名乗ったのは姓で間違いがない

14 :
でも、明治以降でも私的な場面では本姓で揮毫する例はあるんだよね。
最近でも細川元総理が「源護煕」とか色紙かなんかに揮毫してるし。

15 :
源恒泰が皇族に成りたいと言って駄々をこねています。

16 :
源徳仁があの体たらくじゃな・・・

17 :
徳仁親王は親王。源氏ではない。
まあわかってやってるんだろうが悪質だな。

18 :
浩 徳仁
紀 清子
敬 愛子

19 :
>>18
今は生後7日目に皇族の宮号と名が同時に決まるが
昔は親王・内親王宣下、あるいは臣籍降下を受けるまで名が決まらず、
それまでの呼び名が「宮号」だった。
浩宮、紀宮、敬宮がその宮号に該当する。
江戸時代初期まではさらに簡易で、生まれた順に一宮、女二宮、とか
呼ばれていた。

20 :

>>13
ってことは、「崇光源氏」はやっぱり誤りですね!
>>14
私の曽祖父の祖父(幕末〜明治の人)も菩提寺の石碑に「源○○」と名前を刻んでます。
>>1
今更ですが、「意外」ではなく「以外」では?

21 :
崇光源氏って表現はアンチが伏見一門を貶めるための、造語だからなあw
戦後の皇籍離脱まで、臣籍降下してなかった伏見一門が「源氏」のわけないしw

22 :
伏見一門以外で男系皇族候補となると、現皇室と男系で系図上、一番近い皇胤。
江戸時代に元祖閑院宮から鷹司に養子に行った人の子孫ということになる。
華園門主、徳大寺さん、住友さん、高千穂宮司あたりだね。

23 :
> 崇光源氏
そもそもあんなに遠い後胤は
源氏ではなく平氏を賜るもんだ

24 :
親王になるために、代々、そのときどきのミカドの養子(猶子)になってたから、
「系図上」はそんなに遠くない。
まあ、擬制的なもんだけどな。

25 :
だったら擬制的に
アイドルか何かを猶子にして
親王にしちゃおうぜ

26 :
竹田某をヨロ

27 :
きもい子はちょっと

28 :
>>24
本来は皇族になれない伏見宮を
皇族扱いにするために便宜上猶子という形を取っていたにすぎないから。
養子としての実態はないから相続権なんかはない。
系図にも載らない。

29 :
>>28
アリスカワや姦宮とか他の皇族も代々猶子になっているけど?
皇族の身分云々じゃなくて親王宣下の関係でね

30 :
明治政府が明治天皇が夭折したら有栖川へ、有栖川が絶えたら伏見宮へ継承を決めたんだよ。大正天皇が子なくして崩御してたら現在は伏見博明天皇だよ。

31 :
そうしてみると大正天皇がただ一人の后との間にあれだけたくさんの皇子に恵まれたのは
伏見などに皇統を移してはならぬという皇祖皇宗のご意志の顕れであろうな

32 :
大正天皇が皇太子の時。病弱で早死にが予想され、明治天皇の四人の内親王が伏見系の宮家に嫁いだのは血統を高めて将来の不安に備えるためだった。女系で繋がった朝香、竹田、北白川、東久邇は別格である。

33 :
猶子にならないと親王宣下が受けられない
そして皇族の地位を維持できないようなのは
本物の皇族とは呼べないよね。

34 :
女系で繋ぐことに意味があるんだったら
女系でいいんじゃんという
Y染色体がどうこうはどこ言ったんだという

35 :
「猶子にならないと親王ではなく王に」ならまだしも
「猶子にならないと親王ではなくただの人に」じゃあねえ

36 :
昭和五年頃に昭和天皇が法律を改正して養子を取れる様にとの考えを示した。これは良子皇后が男子を産まなかった場合に皇位継承順位によらず幼い皇族を養子にして帝王教育を施そうと言う構想で伏見宮系からの養子を想定していたようだ。

37 :
>>36
適当な嘘ばっかり並べてんじゃねーよ
ttp://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/ad6eecf8246a63b17bd208813b56f1f3

38 :
皇族の養子?博添は華頂へ行って出戻り。高松は有栖川の別称で先祖代々の祀も継承したから実質養子。皇族間の養子縁組あったんじゃないの?

39 :
四条家とか中院家とか室町家とかも微妙に直系だったりするのか

40 :
名称が同じだから養子とかあまりに短絡的すぎるな。
桂宮の名称を復活させたといっても
別に養子になったわけではないから。

41 :
伏見宮が皇族ってのはインチキだし

42 :
伏見宮は創立当初は天皇宗家としての存在意義はあったでしょ?

43 :
今の皇室は閑院から入った。光恪は正当性に欠けると軽く見られが時間の経過と代替りで正当性を得た。伏見系が復籍しても五十年経てば皇族として定着するはずである。

44 :
閑院と伏見じゃ男系での接続が違いすぎない?

45 :
しかもご落胤でつないでるから
Y染色体がたぶん違っちゃってるし

46 :
ご落胤ならたぶん違っちゃってないだろう?

47 :
あんな怪しい状況では無理ありまくり

48 :
秋篠系が断絶したらどうするんだ?フランスだって何百年も前に別れたブルボンとオレルアンヌで国王出したんだぜ。竹田クンを除外した伏見系をもり立てなくてはいけないだろ。

49 :
フランスみたいに滅んだ失敗王室のマネするくらいなら
今でも立派に王政の続いているイギリスを見習って
近い皇胤から優先に継承順位をつけたほうがいいよ

50 :
仮に悠仁天皇に男子がいない場合
過去の例から見て
男系で最も血筋の近い徳大寺系に皇位が継承されるだろ。

51 :
そうだね

52 :
男系順抜きに考えれば近衛が一番高貴な感じだよね。まず近衛家だし、
三笠宮の血が入って現皇室にも近い。細川の男系だから神武の男系でもある。

53 :
そんな臣下になったのはダメ。皇統が断絶したら徳川宗家でいいじゃない。伏見系は伊勢神宮祭主として関西で細々とやって行けば良い。

54 :
徳川宗家も臣下だから同じこと
もちろん伏見も既に臣下であるからして
「臣下だからダメ」という発想は捨てざるを得ない
(「悠仁統がダメならもう天皇制もダメ」という潔いところまで行かない限り)
しかしその発想を捨てると男系の近さで測ることに
何の問題もなくなる

55 :
つまり清和源氏も崇光源氏も論外と言うことだな。

56 :
もう世襲制度自体がいらない。
どうしても君主が必要なら、木像か銅像でもつくって飾っとけ。

57 :
>>48
オレルアン家(オレルアンヌではない)のルイ=フィリップが擁立されたのは革命の結果であって、
ブルボン家が断絶したからではない。
シャンボール伯の去によってブルボン家が絶えるのはもっと後のことである。

58 :
>>31
臣下の身で「皇祖皇宗の御意志」を云々する勿れ。
そんなことを言ったら東宮御兄弟の次世代に悠仁殿下以外男子がおられない現状も
「皇祖皇宗の御意志」ということになってしまうではないか。

59 :
>>54
臣下であることは即位されることの障害にはならない(先例あり)。
でも徳川みたいな偽源氏は論外。
>>56
高師直乙

60 :
>>58
そりゃ当然皇祖皇宗の御意志でしょ
あれが皇祖皇宗の御意志でないなら
皇祖皇宗は子宝もロクに送れない無能
ってことになっちゃうじゃん

61 :
近代天皇制では伏見系は正統なる皇位継承権を保有していたわけです。江戸時代の経緯や臣下へ養子に出た男系血統は論外です。明治天皇が定められた皇族の範囲は伏見系まで。ですから旧宮家の復籍以外に万世一系はありえないのです。

62 :
昭和天皇が定められた皇族の範囲は大正系まで。

63 :
もう大空位時代にして、民間人摂政でいいよ。
ハンガリーのホルティ摂政という、いい前例があるだろ。

64 :
民間人摂政なら、旧宮家にこだわらなくても、
江戸時代に皇室から分かれた東山系の徳大寺さんでも、
後陽成の系統の醍醐さんでもいいわけだし、
近衛家や徳川将軍家でもいいわけだ。
極端な話、長嶋家や花田家でもいい。
確かに、この方がすっきりする。

65 :
大正系も絶滅予定。明治、昭和の女系も入った東久邇系しかない。続いて絶滅寸前の久邇、朝香、竹田しかないだろう。

66 :
> 江戸時代の経緯や臣下へ養子に出た男系血統は論外です。
> 明治天皇が定められた皇族の範囲は伏見系まで。
そうだとしたら昭和天皇が定められた皇族の範囲は大正系であって
昭和時代の経緯や臣下になった統も論外なので
大正系が「絶滅」(なんと不敬な表現なんだ)したら天皇制も終わりだね
それでいいならいいよ

67 :
不敬!「院と言うか、犬と言うか、犬ならば射て!」日本史上最大最悪の泥酔不敬事件だったな。

68 :
実際に弑したのに比べればまし

69 :
貞明皇后が終戦の時に「皇室は明治維新の前に戻る・・」と皇室の未来を予想したが、終戦までの皇室在り方は異常であったと思う。

70 :
>>68に同意。最悪の逆賊は蘇我馬子。
しかし>>67は「最大最悪の泥酔不敬事件」って書いてるな。
崇峻天皇を弑し奉ったとき馬子は泥酔していないと了解しているから、
「最大最悪の泥酔不敬者」は土岐頼遠でいいのか。
>>64
しれっと偽源氏徳川を混ぜるなよw

71 :
徳川は歴代の政権が源氏と認めたんだから源氏だよ
歴代政権のお墨付きが無効だと言うなら
DNA鑑定を受けてもらわないとね、徳川にも伏見にも

72 :
崇光源氏も途中で鍛冶屋の徒弟の血筋にすり替わっているから
徳川と変わらんレベルだぞ。

73 :
歴代政権って徳川でしょw
徳川が徳川を源氏と認めたから源氏ってなんと華麗な論理破綻w

74 :
その破綻した徳川にご落胤と認めてもらって以下略

75 :
そもそも徳川の源氏認定は徳川自身じゃなくて正親町帝だと思うが

76 :
大君制度が良い。明仁は知らなくても徳川三代、吉宗、水戸黄門だったら小学生は知っている。国民の理解を得やすいだろう。

77 :
>>71
>>75
それだと
「源某 宜任・・・」とか言われた時点で真否に関係なく皆源氏になっちまうぞ。
誰が認定した云々と、史学的な正否は別だと思うが。
>>76
国民の理解力を小学生の知的レヴェルまで落とすなよw
それに私は御皇室は尊崇し奉るが
三河の土豪の末裔を崇めろとか言われても御免蒙るよ。

78 :
>>77
> 誰が認定した云々と、史学的な正否は別だと思うが。
まあそういうことだね
鍛冶屋の子孫が皇族として扱われていたからといって
史学的には偽皇族の可能性は大としなくてはならない

79 :
ひがしくにさんに親王宣下を出していただきたい。

80 :
皇籍復帰にはDNA鑑定を条件にしないとね
なにせY染色体こそが重要なのだから

81 :
>>76
明仁を知らないように徳川恒孝のことも小学生は知らないだろうからおんなじだよ。
まあ徳川三代は政仁、吉宗は慶仁、水戸黄門は識仁、恒孝は明仁のことを知ってるけどね。

82 :
そして政仁は徳川三代、慶仁は吉宗、識仁は水戸黄門、明仁は恒孝のことを知ってるけど
それがどうしかしたのか

83 :

>>81-82
これこれ。いみな(なぜか変換できない)を呼び捨てとは畏れ多いぞ。
ところでこのスレで大人気の「鍛冶屋の子」って誰?

84 :
世襲親王家を設けたのは断然への保険だろ。五百年血統が離れていてもスペアなんだから。閑院宮があったから今日があるんだよ。光恪は世襲親王家から入ったから廷臣に軽く見られ苦労したけど今日の皇室に至ったんだ。東久邇が即位しても五十年経てば正当性を得られるさ。

85 :
>>83
ご指摘乙。お礼に、「鍛冶屋の子」とは貞致親王のこと。
>>82
小学生は藤原道長、源頼朝、足利尊氏を知っている。
藤原道長は一条、源頼朝は後白河、足利尊氏は後醍醐を知っている。
しかし道長も頼朝も尊氏も、同時代に生きた徳川大君のご先祖のことはおそらく知らない。
まあ何のことだか分からないだろうがね。

86 :
まあことによると
道長も頼朝も尊氏も、同時代に生きた伏見のご先祖のことは知らないかもね

87 :
鍛冶屋の徒弟が皇族にすり替わった。
嘘のような本当の話。

88 :
水呑み百姓や小作人の子孫のルサンチマン丸出しのスレだな。
みっともない。

89 :
>>88
自己紹介乙

90 :
>>86
伏見のご先祖はそのまんま道長、頼朝の同時代の天皇だろう
尊氏なら同時代の伏見のご先祖はまさに光厳院なんだから知らんはずがないだろう

91 :
丹波の鍛冶屋って尊氏に知られるほど有名だったのか。
伏見宮のご先祖さまだが。

92 :
>>91
と‐てい【徒弟】
1 親方の家に住みこんで商工業の技術を見習う少年。丁稚(でっち)。小僧。
2 門人・弟子。

93 :
確かに鍛冶屋どころかさらにその徒弟だからな
尊氏当時のご先祖の身分が鍛冶屋にすら及んでいなかった可能性が高い

94 :
崇光源氏(徒弟源氏)なんてインチキ源氏じゃん。
男系を辿っても天皇には結びつかないのだから。

95 :
最古の皇別 阿蘇公の子孫である阿蘇家
神武天皇まで遡ってしまうがな

96 :
>>94
君は十年ほど家を出て久しぶりに実家に戻ったら他人扱いされて家に入れて貰えなかった口だな?

97 :
そういう君は「オレオレ、オレだよ!十年前に家を出たオレだよ!
久しぶりに実家に戻ってきたんだよ」といって空き家を乗っ取った口か

98 :
いや、私は普通に家族に出迎えられました。
あなたは乗っ取れます? しかも宮家を

99 :
いや、私は普通に家を出ていません
ずっと跡継ぎです

100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼