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2011年10月1期日本史過大・過小評価されている人物
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過大・過小評価されている人物
- 1 :10/10/01 〜 最終レス :11/11/26
- 源義経
- 2 :
- ↑ 過大評価?過小評価?
まあ常識的に有名人だから過大評価だというつもりか…
特にどちらにも取れる人物については過大評価か過小評価か自分の意見を明確にお願いします。
- 3 :
- 中岡慎太郎は過小評価気味。
有名だが語られる時には竜馬の影に隠れがちになってしまう印象
- 4 :
- 過小評価 篤姫
下手したら江戸が壊滅してたかも
- 5 :
- 過小評価:木戸孝允(桂小五郎)
版籍奉還、廃藩置県をはじめ、藩閥に囚われない人材登用や
軍人を政府の中枢に入れることを危険視するなど、考え方ややることが
幕末・明治初期の人物の中でも傑出してる。
- 6 :
- 中江兆民と幸徳秋水は過大評価されてる気がする。
確かに人生は壮絶だったかもしれんけど、
思想家としてそれほど偉大だっとは思えん。
- 7 :
- 源実朝は過小評価というか馬鹿にされすぎている気がする
儀式に新調した鎧を持っていこうとしていた御家人を武士の精神に反すると叱った話なんて武士の棟梁らしいと思うのだが
- 8 :
- 過大評価の最たるものは野口英世。実績が何もない。
- 9 :
- >>8
あれはハンディを背負った人間でもここまで「頑張った」んですよーってモデルだもの
業績云々じゃなくて、「頑張った」ことを見習え、って類の
ヘレン・ケラーとか、まぁそんなんだ
- 10 :
- ノーベル平和賞の受賞者なんか努力賞みたいな奴けっこういるわな
- 11 :
- >>6
その二人のレベルがダメなら同時代だと誰になるの?
文学者?
福沢諭吉?
誰?
- 12 :
- 過大評価
柳生宗厳
そもそも大和国一国一人印可であって、上泉の一番弟子ではない。
剣術の技量そのものは、同門の疋田、丸目より劣っていたと思われる。
宗矩のおかげで、柳生庄を回復、それで悠々な隠遁生活。
将軍家指南役、宗矩無くば、新陰流自体が世に出ていたかどうかわからない。
- 13 :
- ジョン万次郎。それほど役にたってない。
- 14 :
- 西郷隆盛。
過大評価でもあり、過小評価でもある。
- 15 :
- 過大評価
本田宗一郎
過小評価
中村良夫 ホンダ技術者
- 16 :
- >>15
劉邦や豊臣秀吉みたいな人だったんだろうからそんなもんだと思う。
- 17 :
- 織田信長の過大評価は比肩するものなし。
最近は落ち着いたけどね。
- 18 :
- >>17
いや、過大評価じゃないよ。古代的中世的権威と秩序を
根底から否定した天才的革命児だよ。秀吉、家康は信長の
遺産を相続しただけ。
- 19 :
- まだこんなこと恥ずかしくもなく言えるノブヲタがいるのか。
- 20 :
- >>19
それが過大評価なんだってw
- 21 :
- 元々の歴史的な評価は高いのにファンみたいな人が必要以上に持ち上げて、
過大評価みたいになってる人はいるかもね。
戦国大名はそんな人が多い印象。
- 22 :
- 武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いだって、小学生も知ってるほど名高いけど、
日本史の流れ、また戦国史の中で「中原に鹿を追う」という意味で考えると、
何一つとして小学生にも知られるような要素はないんだよな。
中央の政治に無関係なのにテレビに出てくる回数が多い東国原みたいなものだ。
- 23 :
- 室町最後期は中央政局なんかどーでもよくて
徳川勃興に深く関わる武田や北条や今川といった東国情勢が
日本史の本流であるかの如く扱われるは
江戸時代以来の伝統です。
- 24 :
- 美空ひばり、石原裕次郎
- 25 :
- ↑過大評価の例
- 26 :
- 後醍醐天皇は過小評価されてると思う、
歴代天皇の中では優秀な部類じゃないだろうかあの人。
- 27 :
- それなら光格天皇も過小評価。
幕末における朝廷権威勃興の礎を築いた天皇なのに
教科書レベルじゃ登場しないんじゃないかな?
- 28 :
- 後水尾天皇も
- 29 :
- 過大…坂本
過小…高杉
- 30 :
- 過小評価: 木戸孝允
- 31 :
- 高杉と木戸は、かなり評価されてるだろ。
過小評価は久坂ゲンズイ。
- 32 :
- 竜馬伝の後藤象二郎と岩崎弥太郎の描かれ方はひどいと思わないか?
- 33 :
- 大河なんてとうの昔にひどい作品ばかりになってますが、なにか?
って、フィクションまで対象に入れちゃうの?
- 34 :
- 幕末のクーデター主犯は全部過大評価…
- 35 :
- 人物っていうか、長州藩。
坂本龍馬土佐とか、大久保西郷篤姫の薩摩におんぶしてただけ。
- 36 :
- 倒幕の成功は薩摩藩あってこそ可能だったけど、
明治政府での薩摩閥は西郷大久保の横死が祟って
ぱっとしなくなるからなぁ。
- 37 :
- 小早川秀秋
過大評価されすぎ。
- 38 :
- 坂本龍馬は過大評価。
ただの薩長の仲介役だし。
日本初の会社設立っていうのも、そんなに重要かな?
まあ真偽はともかくとして船中八策くらいかな、評価されるのは。
- 39 :
- 徳川家康は過大評価されすぎ。
あんなやついなくても天下は治まったよな。
- 40 :
- それを証明してくれたらありがたい。
三成ヲタの俺には最高の話題だ。
- 41 :
- 戦国の終焉ということではたいした役割は残して無いけど、
幕府設置と将軍、大御所としての決定、施策がその後の歴史に
与えた影響がデカイ(当たり前)ので特筆されるのは当然かと。
- 42 :
- 司馬と加来は大の家康嫌い
- 43 :
- 凄いから天下取ったのか、天下取ったから凄いのかは
ほとんど確かめようがないことだから仕方がない。
- 44 :
- >>37
そのとおり。
あんなやつがいなくても西軍は崩れていたに違いない。
- 45 :
- 秀吉。信長の功績を横取りしただけ。
家康に到っては信長の重商主義路線を農本封建制に
逆転させた反革命家。
- 46 :
- とゆーか天下を取るだの言ってる奴は
みんな最初から横取り目当てだろw
- 47 :
- マッカーサー元帥。
あんなやついなくても日本は無条件降伏したし、降伏後もおとなしくして、
反乱なんかしなかったよな。
- 48 :
- 信長を過大評価してるやつがいるなw
- 49 :
- 過大評価 豊臣秀長
過少評価 豊臣秀次
- 50 :
- 司馬史観でやたらと過小評価されてるのは乃木希典。
世界史に残る将星なのに。
- 51 :
- 禿ネズミ秀吉猿なんぞは国を疲弊させただけの
ただの戮DQNじゃないか
- 52 :
- すみません
ウツケ信長のことでした
- 53 :
- 乃木は過大評価だな。講談浪曲の中だけでの英雄だ。
旅順を落としたのは児玉源太郎。乃木の唯一の"功績"は
配下の兵で死体の山を築いたこと。
- 54 :
- 乃木は確かに海外での評価は高いんよ。
どこの士官学校でもジェネラル・ノギを教えてた(現在は知らんけど)ほど。
ただしこれは、その軍才や実績を評価してのことじゃないんだわな。
西南戦争で軍旗を奪われたのを恥じ、自刃を企てるも阻止されたが、
後に明治帝の死に殉じることでお詫びとしたその責任感を、
「いいか、お前らも将校なら、国や自分たちの掲げる旗に、ノギくらいの気概を持て」
っつー教訓話として。
- 55 :
- 乃木は軍学校長としては名称の部類に入るのでは。
日露戦争では、黒木と奥の「二枚看板」はもっと評価されてもいいと思う
(過小評価とまではいえないかもしれないが)
- 56 :
- つーか、歩兵の時代の英雄なんだろ
- 57 :
- 最初にホモ・サピエンスになったやつ。
あんなやついなくても、俺は一人前の2ちゃんねらーになれたさ。
- 58 :
- >>53
坂のうえの雲廚乙。
- 59 :
- 松川敏胤
こいつも過小評価だな。
- 60 :
- >>53
それ司馬w
浸透戦術が開発される前の大規模構築陣地攻略に
多大な損害を伴うのは、ソンムの戦いでも証明されている。
乃木は戦史に特筆すべき程の名将ではないが、無能と
非難されるような無能でもない。むしろよく指揮した。
- 61 :
- なんと言っても過大評価は吉田松陰
マジで功績がない
- 62 :
- 長州藩を倒幕に向かわせた中心人物だろ。
評価は過大だとは思うが。
- 63 :
- いつ松陰が倒幕の指揮なんて取ったんだ
倒幕の動きなんて起こる前に
勝手に無意味な行動してとっとと死んじまっただろ
- 64 :
- 向かわせたってことは、指揮をしたってことじゃねえよ。
そりゃ紆余曲折はあったが、
革命に向けて実践して、その途上で死んだが、
弟子たちに、革命をたくして死んだんだよ。
そして弟子たちがよくも悪くも歴史の中心に結果を残した。
- 65 :
- 松陰は長州の北一輝。直接関与していないが母体作る契機を作った。
- 66 :
- 革命に向けて実践w
拙いテロ一回やって失敗しただけだろ
- 67 :
- 認識を深めるためにいろんな行動を自ら実践をし、
弟子たちを育てた。
激動の時代だから情勢もこくこくと変わり認識
も変わる。
だけど、松蔭イズムは弟子たちに多大な影響を及ぼし、
長州藩を動かすまでになった。
長州藩の英雄ではあるが日本の英雄ではないので
そこで評価に矛盾が生まれる。
- 68 :
- ソースのない話はやめようぜ
- 69 :
- 評価はともかく、
吉田松陰やその弟子たちの資料は腐るほど残ってるし、研究されまくってる。
- 70 :
- 吉田が多大な影響を及ぼしたなんてソースはない
重箱の隅突っついてやっと出てくるレベル
- 71 :
- 吉田松陰は、松下村塾という塾で、倒幕派の中心となった久坂とか高杉を教えてたんだよ。
吉田松陰は、筆まめでいろいろな手紙が残ってる。
なんと死ぬ間際の手記まで残っている。
弟子たちに向けたメッセージでもあるが、暇があったら読んでみるといい。
- 72 :
- そんなチラシ裏な手紙の話とかどうでもいい
それが長州の連中に影響を与えたなんて過大解釈するなと
- 73 :
- 資料をどうでもいいとかいってたら歴史の話なんてできないよ。
- 74 :
- ちゃんと影響を受けたという実証があって初めてソースだから
吉田の行動は高杉も久坂も桂も皆反対していたのは今更言うまでもないことだ
こいつについていったの金子だけ
- 75 :
- 高杉晋作が松蔭を読んだ詩。お師匠さんだよ。
真箇関西志士魁
英風鼓舞我邦来
霊魂可識多遺憾
猛気猶餘十八回
- 76 :
- いや高杉と吉田が知り合いなのは知ってるから
知り合いなら葬式くらいやるわ
で結局探したけどロクなソースなかったろ
あと桂が日記のちょっと出てくるくらいしかないから
- 77 :
- 高杉晋作だけじゃなく、
松蔭が主催する松下村塾の弟子たちが、長州藩の中心となった。
これは事実だよね。
- 78 :
- で吉田の思想が全然門下生に支持されてたなかったのも事実
あと松下村塾の連中ってテロリストだらけでこれ自体が過大評価だな
伊藤山縣あたりはもう吉田に会ってないに等しいレベルだし弟子筋というには無理
- 79 :
- 命がけの戦いだから(松蔭は実際に処刑されてるし、松下村塾の
連中もたくさん死んでる)、なんでもかんでも松蔭についていくってこともないだろう。
長州藩の尊命がかかってるんだから。
だけど、だれかが実践しないと、革命は起こらない。
松蔭は実践した。そして失敗し死んだが、あらたな認識が生まれる。
その生き様さえ弟子たちの教育にした。
高杉たちは実際松蔭の死でさらに奮い立った。
- 80 :
- 孫弟子
- 81 :
- >>79
尊命×
存亡○
- 82 :
- >>79
高杉や久坂はその後の行動を見てもわかるようにテロ自体は否定してないんだよ
ただ吉田のやり方はあまりにも稚拙なので付いて行かなかった
このへんで吉田はむしろ高杉らの教えをこうべき立場だったのがわかる
- 83 :
- むしろ俺は、一連の松蔭の行動、さらに松蔭の遺言や処刑されたことによって、革命への認識が深まったと思っている。
全然失敗じゃなかった。それどころか、
高杉晋作たちの倒幕への象徴となったんだよ。
- 84 :
- という妄想な
いまでも長州はそういうマンガを本気で子供に話すから困る
- 85 :
- 来島又兵衛をもっと評価してくれ
- 86 :
- 歴史上最大の過大評価は坂本竜馬
あくまで物語の中での英雄に過ぎん
- 87 :
- 坂本を過大評価し、乃木を貶めた司馬の罪は重い。
こんなの保守系を自負する産経までOBだからと一押し
しているもんなぁ。嘆かわしい。
- 88 :
- 産経が一押しする瀬島龍三
- 89 :
- 瀬島龍三と対談して須見大佐にフラレてノモンハンの小説書き損なった司馬
- 90 :
- >>32
後藤はあんなもんで十分。
- 91 :
- >>86
龍馬はひどいね。10代前半の頃のヒーローだっただけに、大人になって
知れば知るほどショックだった。てか功績から実力からほとんど嘘やん。
- 92 :
- 安政6年(1859年)11月26日、高杉晋作の周布政之助宛ての手紙
「松陰先生の仇は必ず取ります」
仇を取ったが結核で倒れた。
マンガなんかより事実のほうがよっぽど劇的。
- 93 :
- あれは防長の恥辱って言ったんだよ
要は長州が舐められたからムカついた話
しかもその後仇なんて討てる状況でもないから
剣や読書に励むことにしようとか書いてる
高杉にとって吉田なんて読書以下の存在
- 94 :
- いやいや、幕府と戦ってるじゃんw
- 95 :
- それは別に吉田のためじゃない
吉田が居なかったら誰も維新思想持たなかったとでも言うのか
- 96 :
- 少なくとも、高杉晋作や久坂は松蔭と
師弟関係を結んで強い影響をうけたのは間違いない。
- 97 :
- そもそも高杉や久坂自体が過大評価だしな
久坂は無茶なテロリスト
高杉はちょっと戦の上手いテロリスト
- 98 :
- 長州のローカルヒーローであるべき存在だからなw
- 99 :
- 沖縄奄美人の先祖。
彼らの作る砂糖が無ければ明治維新は無く、歴史は変わっていた。
ウザイと思うがこの時期だからこそ、敢えて書いておく。
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