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2011年10月1期日本史【豊臣家の】あたくしは北政所【女王様】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

【豊臣家の】あたくしは北政所【女王様】


1 :10/10/17 〜 最終レス :11/11/29
あたくしは北政所、豊臣家の女王様よ。
あなた方、あたくしに質問があるんですって?

2 :
関連スレ
 姫さま総合スレ  in  戦国時代板
 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150038398/
あたくしの可愛い子どもたち
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Kato_Kiyomasa.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/22/Masanori_Fukushima.JPG

3 :
クソスレ乙

4 :
やっぱり秀吉さんは種なしだったんですか?それとも、ねね様がウマズメでいらっしゃったのですか?

5 :
家康に加担して豊臣家の滅亡に一役買った糞アマ

6 :
家康と寝て高台寺建てて貰ったんだよね

7 :
北條政子、日野富子、桂昌院とならび、従一位女摂政の官位を受けた貴婦人である。
柴の貴婦人

8 :
>>7
見事に強烈な悪女揃いだなw

9 :
中丸本理院孝子よりも官位は高いです

10 :
隠居の癖に大名並の何万石という化粧料を持ってた強欲やり手

11 :
王女は豪姫?

12 :
石田三成の娘も養女らしいよ

13 :
ところで>>1->>11にかけてなんでみんな上げてんの?
age進行でやるなら、ちゃんとテンプレに書いた方がいいんじゃね
とりあえず言えるのは
昔は秀吉の奥さんと言えば淀殿のことを言う場合が殆どだったけど
NHKの大河ドラマ「おんな太閤記」以来
本来そうであるべき正妻がクローズアップされたことは良いことだったと思う
あとTVとかの設定では
秀吉がいわゆる醜男だったという理由でなぜか藤吉郎が一方的に言い寄って
ようやっと嫁にしたような展開である場合が殆どだけど
正直あれはちょっとどうかなと思う
おそらく実際には双方の合意に基づく恋愛感情から結ばれたんじゃないかな
木下家の記録からも、そういった事が伺えるような気がする

14 :
>>13
ドラマや小説は所詮フィクション
ただ、北政所の知名度うpに貢献したという点ではスガコばあさんは偉大

15 :
>>1
二度目の豊国社の破却を止めなかったのは、なぜですか?

16 :
>>15
いや止めてる
政所が直接家康のところへ行って「やめてくれ」って言いに行ってるよ
家康はその場では「承知した」みたいな返事をしたみたいだが
例によって狸オヤジだから、なし崩し的に強引に破壊してしまったらしい

17 :
>>16
家康没後の話。
高台院が亡くなる数年前に更に豊国社の破壊が行われたんだけど、その時に
幕府に抗議した形跡がないんだってさ。小和田哲男が本に書いてた。

18 :
豊臣正子

19 :
誰やねん

20 :
76 :羽柴秀長:04/08/22 06:50
まったくあの猿兄ぃ、すぐ調子に乗るんだから。
77 :北政所:04/08/22 09:09
あんたが早死にしなけりゃ、もちっとマシだったかもね。
もう誰にも止められないわよー、あの禿鼠は。

21 :
橋田のが居なくても秀吉の女房がねねなのは常識
大河でも何度も取り上げられ、昼ドラでも取り上げられてる。

22 :
なぜかNHKが必死に広めようとやっきになっているのに
未だに「おね」より「ねね」の方が一般的な呼称として定着している件
やっぱその方が
イメージ的に可愛い感じがするし言いやすいからかな

23 :
>>22
おねっていう名前が著しく不自然だからじゃね?
「お」は接頭語のおで名前は「ね」一文字ですって・・・んな名前ある筈ねーよっていう。

24 :
大河の『秀吉』は、沢口靖子がニンでない上に「おね」呼びがキモくて見るのをやめた

25 :
大河といえば「利家とまつ」の酒井法子のおねは
だんだん秀吉に影響を受けて腹黒くなっていったりもしてて
かなり脱線していた部分もあったけど
史実通りまつとの親交も描かれていたし中々よかった

26 :
>>25
夫に影響受けて狂っていくあたり、まんま酒井法子本人だねぇ。

27 :
法子がおねなら、松嶋はおまつだろ。
整合性的におかしい。

28 :
>>27
ナンの話?

29 :
>>13
>昔は秀吉の奥さんと言えば淀殿のことを言う場合が殆どだったけど
んなわけねーw
テレビドラマの影響で北政所が正妻として認識されたなんて初めて聞いたわw
淀殿なんて昔から愛人だ妾呼ばわりされてた、っていうか今でも言ってる人が
(日本史板にすら)いて呆れるけどさ。

30 :
>>29
なに言ってんのw
現に橋田さんの「おんな太閤記」のガイドブックで
タクシーの運転手に、今度ドラマで秀吉の奥さんの話するとかいったら
「あぁ淀君かぁ」とかって普通に言われちゃってるよ
あと、もうずっとかなり昔(30年以上前?)だったか
たしか秀吉と一緒に気球に乗り込んでる淀君のCMがあったよ
淀君「家康様からの贈り物よ?」
秀吉「ん?お茶は誰が飲んでも美味しいからのぉ」
とかいうセリフがあったのを今でも覚えてる
たしかナレーションは確かあのねのねだったかな分からないけど
誰か他にも覚えてる人いないかな?
それに≪正妻≫だなんて一言も言ってないw
秀吉の奥さん = つまり秀吉のパートナーっていうと
世間一般的にまず誰を思い浮かべますか?っていう意味
いわば世間的な「認知度」とでも言うべきか
大河以前に、なぜ秀吉の奥さんとして
淀君じゃなく北政所がクローズアップされないんだろうって
子供心に百科事典開きながらずっと思ってた

31 :
そのCMは、お茶々とお茶のシャレ。
昔、「大阪城の女たち」と言う昼ドラがあった。

32 :
最近、秀吉の正妻はねねだけじゃなくてお茶々も正室だったなんていう不思議な主張している人がいるよね。

33 :
>>31
そのドラマは自分もCSで観たことあるよ
あと今思い出したけど
たしか昔は北政所って豊臣家を裏切って滅亡させるのに加担した
いわゆる「悪女」みたいなイメージも少しあったと思う
それもあって、あまり表に出てこなかったんじゃないのかな
何にせよ秀吉の妻「ねね」を大いに世に喧伝し広めてくれたのは
橋田さんの功績が大きかったことは間違いないと思う

34 :
ここまでスガコ婆さんの自演でお送りいたしました。

35 :
なべおさみ主演の「いまにみておれ」と言う木下藤吉郎のドラマがあって、
それでも嫁さんはねね。

36 :
>>30
・・・。
ここまでくるとネタか本気か判断に迷うけど、一応マジレスすると
 「テレビばかり見てないでまともな良書で知識を養ってください」
としか言いようがないなw
具体例に個人の一体験談(しかもソースは番宣本・・・)を持ち出すなんてどんだけゆとり脳のお子様かと
思えば30過ぎてんのかよ。
>>32
当時の史料に淀を側室(またはそれに相応する呼称)で記述していない、
さらに「簾中」「北政所」「裏方」(いづれも貴人の正室の意)と記述している史料まである、
摂関家の権力者は伝統的に複数の正室をもっていた、
実際に秀次の正室もそれぞれ「一の台」と「若御台」と呼ばれる二人の女性だった、等々の
福田千鶴の指摘を考えれば別に不思議な説でもないと思うが。
淀や京極竜子、前田まあらが正室として扱われていたとしても
おねが第一の正室だったのはまず間違いないだろうけどね。
言っちゃなんだが「おねをメジャーにしたのは橋田せんせー」の方がよっぽど珍説だよw

37 :
おね殿って茶人としてはどうだったのか知りたい

38 :
>>36
>「テレビばかり見てないでまともな良書で知識を養ってください」
当時小中学生だった自分にそんなこと言われましてもw
大河の番宣本を引き合いに出したのは
あくまで当時の世間一般的な認識として示したかったからですが?
それがなぜゆとり呼ばわりされるのか訳わからんw
ちなみに>>30でも書いたけど
当時から歴史のこと知りたくて子供向けの本じゃなく
わざわざ百貨辞典とか開いたりしてる珍しい子供てしたね

39 :
豊臣家滅んでいいですか?by利政

40 :
>>30 >>33
わざとそう書いてるのかもしれないけど、「淀君」と書く点で
思考が何十年前で止まっていらっしゃるような。
あと歴史好きなら、小説やドラマの影響で
人物の是非や好悪を論じることはないはずなんだけど。
どうしてそんなに「悪女」だのの意味づけにこだわるか不思議だ。

41 :
>>40
当時の北政所に対する世間の一般的な感覚を言ってるだけ
君と殿の部分も、そういうことです
もちろん歴史好きな人は「君」というのが蔑称でどうも徳川幕府が
後になってから悪意ある喧伝をしたらしいという事を知っている
けど一般の人はそういうこと知らないから
「殿」じゃなく「淀君」とTV(とくに民放系列)も含めそう言ってしまっている
そういう意味でわざと「君」と書いたんですけどね
あと「悪女」云々のくだりは昔読んだ書物とかで
とくに一般向けのやつなんかは
そういう感じの評価の本が多かった気がするんでそう書きました
もちろん私自身は昔から北政所のことが好きですし
ましてや悪女だなんて思ってるわけじゃ決してありませんよ
ちなみに正しい言い方じゃないとは分かっていますが
私自身は「おね」や「ね」よりも「ねね」という呼び方の方が好きですね

42 :
子→お子さま→お子様ランチ
寧→お寧さま→お寧様高台寺

43 :
>>42
姉→お姉さん→隣のお姉さん

44 :
あげ

45 :
お寧さまランチ

46 :
>>45
そ、それは、ありがちだけど食べてみたいw
ところでメール覧に「age」と書いてるのはワザとか?
アゲるにはメール覧無記入、なにか書いたらsageたのと同じこと
とくに理由でもない限り個人特定されたくないなら
通常は他の人たちと同様「sage」と書き込んでおくのが無難かと
専ブラなどでは見えてしまうからね>メール覧
・・・とか、ついつい言ってみたくなったりもしてw

47 :
ねねさんは、家康さんとやっちゃたんですか?

48 :
やってません。        ね

49 :
女の人は、やってないと言って、やってる時おおいからな〜。

50 :
「淀君」の「君」が蔑称っていうのがよくわかんないんだけど。
江戸時代の公家の幼名で男女ともに「○○君」って普通だし。

51 :
>>50
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/969364.html
http://okwave.jp/qa/q2741736.html

52 :
それは知っているんだけど「君」は蔑称というわりには、身分が高いはずの摂関家の子供の名は「○○君」
だし、将軍家の娘も「姫様」とはよばず「姫君」でしょ。たしかに辻君、立君が娼婦の別称だとは知ってるけど
一概に「君」が蔑称というのはおかしくね?

53 :

「ね(い)」を「ねね」というのは、加藤茶を加藤茶々というのと同じ。
加藤茶々の「ひぃっくしょん!」

54 :
>>52
たしかに一概にそう言い切れない面があることは事実
けれども状況から見て、
たとえば「太閤記」を禁制扱いしつづけた例や豊国神社を破却したことをみても
状況的に徳川が豊臣側の淀の方を良く言うはずがない事もまた事実
他に例として石田三成なども
ある事ない事でっちあげて盛んに悪く喧伝され続けたし
そういう事も考慮して「蔑称説」が採用されたという経緯もあるんでない?

55 :
神君家康、淀君を喰らう!

56 :
秀吉が茶々に夢中になっている間(寂しさをもてあました)おねは家康と浮気してしまったとか?
家康にしてみれば(嫌々仕えている)秀吉への密かな復讐と、おね子飼いの武将たち(賤ヶ岳七本槍)が目当て…とか?

57 :
>>56
?????
・・・さすがは2ch

58 :
>>38
小学生でなく現在30代後半の貴方に言ってるんですよ。当然でしょ。
今だに「昔はねねは秀吉の妻として淀より知名度が劣っていた」とか思い込んでんしょ?
一個人の一体験という限られたケースを「世間一般的な認識」と思い込める視野の狭さ、見識のなさを
ゆとりと言ったんだよ。
たしかに淀への嫉妬から関が原で家康に味方し、最終的に豊臣家を見捨てた
という解釈をする作家もいるけど
それは司馬や永井の北政所像に代表されるような「戦国を見きわめた賢妻」へのアンチテーゼじゃないの。
こういう見方もあるよっていう、どちらかと言えば少数派な解釈。
(もっともそれすらも秀頼を心配するおねの直筆書状が近年発見された事に関連してか
いまでは下火の傾向にあると思うが・・)
>>53
秀吉が北政所宛の書状に文中で「おね」と書いてんだから
やっぱ「ね」「おね(おねい)」が近いんじゃないかな。
まあ当時の名前って特に女性はおおざっぱ(とうかいいかげん)なとこあるから
「ねね」も併用していたかもしれんけど。
ちなみに淀の署名は「ちゃちゃ」、秀吉の淀あての書状も「おちゃちゃ」

59 :
神君、淀君を誅す。

60 :
>>58
>司馬や永井の北政所像に代表されるような「戦国を見きわめた賢妻」
漏れもその意見。
足利将軍の体たらく、かつての上司・信長のあっけない最期、夫・秀吉の情けない最期を見てきて、
やはり実力ある者が天下を治めるべきだと思っていたと思われ。
北政所として豊臣家を大事に思っていたのは確かだが、秀吉亡き後すでに近江派「淀」に乗っ取られて、尾張派の「ね」の手を離れており、
一刻も早く悲惨な戦国の世を終わらせるために、秀吉や七本槍同様、大器の予感(徳川家康)を育ててみたいとも思ったんじゃまいか?
それは同時に(お嬢様育ちの世間知らず)淀君に世を治めることの厳しさを教えることにもなっただらう。
西の丸を家康に譲って、高台院として出家したのもその現れで、「まつ」の前田家同様、家康の天下における大々名としての豊臣家を模索していたと思われ。

61 :
>>60
その関が原の対立構図
 
 北政所+家康+尾張出身の大名 VS 淀+三成+近江出身の大名
というのからして今はもう否定されてるんじゃないかな。
三成の娘が北政所の養女になっていたり、三成と淀はどちらかというと疎遠だったらしいし
何より関が原の前哨戦である大津城攻防戦で北政所と淀は協力して仲介に入っている。
ま、詳しくは小和田哲男の『北政所と淀殿/豊臣家を守ろうとした妻たち』でも読んで。

62 :
>>60
そこへいくと「まつ」は、うまくやったよな…前田は残り、主家・豊臣は滅びた。
まぁ豊臣を潰すには、豊臣内部の対立を上手く利用した家康が一枚上手だったというこつやね。

63 :
秀吉には完敗だったけどね

64 :
安土城では、秀吉の屋敷と利家の屋敷が向かい合って建っていた。
寧と松は互いの屋敷を行き来し、料理や味噌汁を交換して互いの味付けを切磋琢磨していたらしいyo!

65 :
日本には1800年前から天皇家に伝わるスサノオの金塊があった。
鎌倉(元のフビライ)時代、マルコ・ポーロが「黄金の国ジパング」と呼んだのはその金塊量が当時世界一だったから。
室町(大航海時代)時代にイエズス会や東インド会社が日本にやってきたのはそのため。
ヴィクトリア女王は三浦按針ことウィリアム・アダムスを通じて、日本を植民地化しスサノオの金塊を手に入れるべく、
傀儡に選んだ家康にあれだけ最新式の武器を提供し(関ヶ原合戦&大坂の陣で圧勝)天下を取らせてやったのにもかかわらず、
家康がヴィクトリアの野望に気付いため、鎖国されて天皇家に代々伝わるスサノオの金塊の強奪に失敗!
この時の恨みがやがて明治維新を起こすことになる。
KWSKはこちら↓
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tomokop/sakuryaku.html

66 :
司馬も永井路子も小説家として素晴らしいけど、
歴史家でも学者でもないんだから、
彼らが書いた人物解釈や人物造形から歴史を語るのは不毛だ。

67 :
司馬遷は、小説家に近い気がする。

68 :

69 :
>>61
北政所と三成が親しかったというのは最初から否定だが。
三成の娘が北政所の養女になったのは、人質と同じ論理。
三成が北政所への忠誠の証として娘を差し出す、
北政所は三成からの忠誠の証としてこれを受け取る。
この時代の養子、養女関係が親しさのあまり行われたのではなく
敵対する者同士の緩和剤として使われていることは日を見るより明らかなこと。
三成の息のかかった大名はことごとく改易されたが
北政所は徳川家の庇護を受けてますます栄えている。

70 :
あたくしは高台院、化粧料10万石超を誇る日本一のおセレブ未亡人よ。
あなた方、あたくしに質問があるんですって?

71 :
まんかか様ぁぁぁ!

72 :
うるせーよデブ

73 :

たぶんリアルねね様も秀頼に対してはこの程度の感覚だったんじゃないかしらん。アテクシのリッチで安楽な老後を邪魔すんじゃねーヨ!的な

74 :
なさぬ仲の義母と息子ってそういうもんなのかな

75 :
北のまん○どころ様

76 :
なんと卑猥な。
すぐに太閤殿下に言い付けちゃるほどに。首を洗うて待って居るがよいぞゑ。

77 :
秀吉とは政略結婚が普通であった当時としては珍しい恋愛結婚だったと言われている。
資料によると2人は「野合で結ばれた」と書かれており
これは縁談などが全くない恋愛だったことを意味している。
ウィキより抜粋

78 :
ウィキを丸呑みするのもお馬鹿さん

79 :
>>78
ウィキだけでなく
自分もこの野合云々の話は他書物でも読んだことがあるよ
ネタ元は木下家の書物らしいから
その信憑性はかなり高いのではないかと思う

80 :
ねねの実家は杉原家?

81 :
>>69
>この時代の養子、養女関係が親しさのあまり行われたのではなく
>敵対する者同士の緩和剤として使われていることは日を見るより明らかなこと。
断定するなら具体的な例を示さないと説得力ないよ。
信長の五女は人質として蒲生氏郷の養女になったの?
常高院お初の養女、氏家行広の娘の場合は?
淀の末妹のお江は秀吉の養女として秀忠に嫁いだけどそれはどうなの?
女性が主筋の養女(または猶子)になる場合はたいてい嫁入りの際の伯付けが多いように見えるけどね。
家康や秀忠も親藩や譜代の娘を養女にして諸大名と婚姻させてるよね。
つか、そもそもなんで三成は主君の正室と敵対しなきゃなんないのやら。
>北政所は徳川家の庇護を受けてますます栄えている。
>>69、ついでに>>60も。
栄えてません。
関が原後、北政所の甥に当たる木下兄弟のうち西軍についたものは改易処分くらっているし
また北政所が勝俊に兄の遺領を譲った所、家康が激怒して領地を没収している。
「俺に無断で勝手なまねしてんじゃねーよ!」てことだ。
とてもじゃないが北政所が「育ててみたい」なんて上から目線で見られるような関係じゃない。
「寛永元年(1624)9月6日、おねは波乱の生涯を閉じた。この時『大猷院殿御実紀』には、
『故太閤の政所従一位高台院尼薨ず。大坂亡びし後も京東山にのがれすまれしかば、神祖河州にて
一萬六千石を養老料によひ給ひ、<長いので略>』とある。徳川家から見れば、夏の陣後のおねは、
実家の木下家に保護されてはいるが、京に『逃れ住む』寂しい老尼でしかなかったのである。」
―――田端泰子『北政所おね』(ミネルヴァ書房)p243より
>>70
化粧料10万石は千姫だよ。
北政所は上記にあるように一万六千石。

82 :
一万六千石あれば大名並だよなっ

83 :
高台寺の説明見ると「京に逃れた寂しい老尼」ってカンジ全然しないけどなw自分で建てた寺だし立派な茶室もあるし

84 :
ねねって次女?

85 :
>>84
長女じゃね?次女は妹の方(浅野長政室)な気がする。

86 :
>>83
徳川実記にそう書いてあるって言うんだからそれが幕府の公式見解なんでしょ。

87 :
>>83
観光客相手に「ここの主の晩年は実は寂しいものでした」なんて言うわけないでしょw
どうでもいいけどあそこの係りのお姉さんたち「ねねさま」って呼んでんのな。

88 :
大阪城に比べたら寂しいって意味かもしれんよ。案外本人は楽しんでたりしてな

89 :
「案外本人は〜」って言ったらなんでもいえるがな。

90 :
高台寺の調度品とか、まさに華麗なる桃山文化の粋とでも言うべき、贅を尽くした超ゴージャスだもんね。

91 :
天下人の正室なんだから調度品が豪華なのは当たり前では。
寂しい晩年って言ったって別に没落して貧乏生活おくってたわけじゃないんだし。

92 :
高台院は金銭的にはリッチな晩年だったろうけど、結婚前とか秀吉の出世前にはどんな程度の生活レベルだったんだろうね。

93 :
高台寺蒔絵のことだね。

94 :
家康に墓すら建ててもらえず、てか忘れられてるような築山に比べたら幸せだったかもな、ねね

95 :
どブスだったけど、賢明な女性だった。
どうでも良いけど、秀吉・ねね夫妻って、明の洪武帝・馬皇后とかなりキャラ被ってるわ。

96 :
ねね「あたくしはちょっとゴツいだけよっ」

97 :
肖像画だと、ねねも若い頃はパッチリ目の可愛い娘って感じがしないでもない。お市みたいなふっくら瓜実が美人の基準だったのがマズかったか

98 :
お市って現代の感覚で見ればお世辞にも美人とは言えない。

99 :
お市の肖像画はかなり形式ばった型にはまった描き方だからねぇ。
でも実際はたぶん現代でも通用する美人だと思うよ。色白な肌で鼻筋が通って、涼しげな眼元をしてるでしょ。
信長やお犬など、織田家の美男美女に共通する特徴。

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