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2011年10月1期日本史いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない


1 :10/10/23 〜 最終レス :11/11/29

いわゆる下級武士=足軽層は、武士ではない。
中級武士=徒士層も本来の武士といえるか・・、怪しいようだ。

2 :
足軽って曖昧な表現だな

3 :
>>1
> いわゆる下級武士=足軽層は、武士ではない。

> 中級武士=徒士層も本来の武士といえるか・・、怪しいようだ。
そうだよ

4 :
よくわからんのだが、予備役みたいな感じ?

5 :
武士のほとんどが半農だろ

6 :
役職についてない武士は、みんな予備役みたいなもの。
近世の武士(幕府や藩に仕えている者)は、ごく一部の者が役人や兵士で、
大多数は予備役軍人や年金生活者みたいなもの。
あと、幕末になったら時代遅れの役立たず呼ばわりされた伝統的な軍事組織だが、
開国以前の治安兵力としては、城の警備とか一揆の鎮圧とか実用に役立ってる。

7 :
>>5
家庭菜園レベルで無いなら、参考までに時代と地域をw

8 :
>>5は、郷士がやたら多かった薩摩のイメージで語ってるんだろ
まあ、米沢とか長州みたいに、経済的理由で武士の農村土着を認めてたケースもあるが、
基本的にはそういうのは例外的なケースでは?

9 :
>5は江戸時代以前の話をしているのだろう

10 :
そもそも>>1の言ってる「武士」が戦国時代か江戸時代かで、
全然ちがってくるからな。
それでも、「足軽」は江戸時代でもまともな武士扱いはされてない。
逆に言うと、庶民との身分移動も比較的容易。
幕末には、一農民の林十蔵が長州藩足軽の伊藤家に夫婦養子で入ったり、
逆に富山藩の足軽の子の安田善次郎が江戸の商家に丁稚奉公している。

11 :
9番の方、正解!
一段上がります。

12 :
池田孫左衛門(相模国/元亀3)着到
馬上 20
鉄砲 ...3
弓   .5
鑓   22
旗持 ...2
指物 ...1
歩者 ...3
合計 56人
↑この中で侍身分は28人な。
宮城泰業(武蔵国/元亀3)着到
馬上 ...8
鉄砲 ...2
弓   .1
鑓   17
旗持 ...3
指物 ...1
歩者 ...4
合計 36人
↑この中で侍身分は11人な。

13 :
そもそも「庶民」というのが上と下でこれまた全然ちがう。
上士と足軽の開きと同等か、下手すりゃそれ以上ある。
上層「庶民」は自分のことを決して庶民とは思ってない。

14 :
米沢上杉家とか120万石が15万石になっても家臣の数が変わらなかったから、
家格の高い武士でも職人していた。そういう人に仕事頼むときは大工様とか庭師様とか呼ぶらしい。
農民武士は「原方衆」と言われたがれっきとした兼業武士。

15 :
>>13
大店の主人や大庄屋クラスの地方の豪農でも、
足軽に土下座しなければならなかった。

16 :
身分と貧富は別だった訳だな。

17 :
いわゆる「徒士」は、世襲足軽のような気がする。
「徒士」は江戸時代初期からの世襲足軽で、江戸時代後期になると
「いわゆる足軽=遅れてきた世襲足軽」の上位にたった。
という仮説を立ててみたが、どうだろうか?。

18 :
足軽といっても、幕府の諸組同心とか諸藩の世襲足軽と、
旗本とかが公用旅行の際に臨時に雇うアルバイトの足軽とでは、
全然ちがうような気がする。
高家が日光代参に行くときなんか、領地の村の農民に声をかけて、
旅行中限定の足軽として雇用してたそうだ。
領地の農民も、そのときは武士の真似事をして遊山ができるので、
喜んで応じていたとか。

19 :
今川氏の話か?

20 :
実際は農作業に支障を来たすし、自費負担が大きいこともあって、
割に合わないので嫌われていたのを半ば強制的に手伝わせたっぽいが。

21 :
旅行中限定の足軽って小荷駄のことだろ。まさか鉄砲足軽とか長柄足軽とかじゃあるまい。

22 :
>>12の歩者の役割って何?
荷物持ちの人足?

23 :
旗本の場合、通常の家臣でも足軽と中間は明らかに別扱い。
上記みたいなケースで臨時雇いされる足軽は、名主クラスの上層農民だったようだ。

24 :
名主クラスが領主である旗本家の家計管理のために家臣となるケースだと
身分としては近習級になるのかな
中小姓より上、用人より下

25 :
>>24
そういうケースだと殿様の金主である名主さんが、江戸に上がって用人になり、
家計管理と家政立て直し(&貸した金の回収)をやってたようです。
旗本家の用人は、そういう領地の名主クラスの人がつとめる場合もあれば、
渡り用人として家計管理、家政立て直しのプロが雇われることもあったようです。

26 :
「本来の武士」は1%もいないはず。あとの4%は世襲であっても武家奉公人。

27 :
徒士階層こそが、おそらく本来の足軽階層。
江戸時代後期の「足軽」は、1代足軽の軽卒が徐々に世襲化して成立したのでは?

28 :
足軽でも切り捨て御免OKみたいな布令ある。
てことは、所謂武士かどうか微妙と世間には認識されてたが、公的には武士ってことだろう。

29 :
切捨て御免って、戦国時代の余燼がある初期の話じゃなかったの?公然と逆らう連中の鎮圧とかという状況下で。

30 :
江戸時代初期だと、徒士も世襲されてなかったというし、
江戸時代後期でいう上級武士くらいしか世襲身分ではなかった。
世襲軍事階級≒武士、という社会通念がなんとなくあって、
世襲身分が拡大するに連れて、武士とみなされる人口が増えていった・・とか。

31 :
切り捨て御免が正式に認められたのは
武士の権威が落ちた中期以降だよ。

32 :
明治期、版籍奉還で財産を失った武士は、士族階級という身分を与えられることで
尊敬と俸給を得たらしいが、足軽以下は士族に配属されなかったw
卒という族籍を与えられたらしい。でもその後、士族と平民にそれぞれ編入された

33 :
>>30
中級武士も初期からの世襲の方が多そうだが…

34 :
まあ江戸時代は藩単位だけじゃなく家単位のお家断絶、取り潰しも多かったし、
新規召抱えもけっこうあった。盛岡藩の同心(足軽)は実際には上士のニ三男が多かった。
嫡子が病死したり病弱しなったりすると同心だったニ三男が家督を相続していきなり上士(盛岡藩では本番組)になったりした。

35 :
現職の公務員。
足軽が武士か、という話のヒントになりそうなのが、現代の役所のアルバイト職員。
彼(女)らは終身雇用じゃないし、年金も共済じゃなく社保。民間人に近い。
でも雇用期間内は公務員だし、仕事の邪魔をすれば公務執行妨害が理論上は成立する。
実態はともかく制度的には世襲できない足軽も切捨御免の権限はある…というのを何やら彷彿とさせる。

36 :
平成の大合併では改易になった役所役場も多かったしな。

37 :
>>1 公務員も上級管理職だけが公務員で下級は公務員ではないということか。

38 :
つまりプロ野球も一軍選手はプロ野球選手だが二軍選手はプロ野球選手でないとか。

39 :
公務員の上級管理職も中級武士の側だろうから、
今はなき国王級の上級武士に対する公務員的な中下級武士ってことなのかな。
武士と聞いてイメージするのはむしろ中級武士な気もするがw

40 :
上級武士はむしろ源実朝や今川義元みたいに実質武士と言うより公家みたいになるんじゃないだろうか。

41 :

幕末、一番 サムライらしかったのも下級武士
上級武士は先祖の武功の上にあぐらをかき、恥知らずな連中が多かった
幕末の旗本連中なんか、その最たるもの

42 :
旗本が役立たずだったから、百姓上がりの新撰組を士分に取り立てて京都守護に回したんだしな。
 倒幕の薩長の主体も藩でクーデタを起こした下級武士主体だった。
 戊辰戦争になるともう武士道など屁のツッパリにもならず、洋式兵器が情勢を決定するものだった。

43 :
戦国大名なんか武士以外(農民・商人)の出自の者も珍しくない。
で、皮肉なことに世襲制を押し勧めたのが秀吉なんだよね。
自分と照らし合わせて下層階級こそ脅威な事を知ってたんだよ。

44 :
>>洋式兵器が情勢を決定するものだった。
でも、これが無い内は逃げの一手だったんじゃないか?

45 :
>>42
日本だけじゃないよ。清でも八旗がまるで役立たずの貴族に成り下がってたから、郷勇みたいな連中が幅を利かせたわけで。

46 :
>>43
中学校の先生みたいな奴だなw
武家以外の出身で戦国大名になった奴なんて希少だろ。
せいぜい豊臣秀吉、斉藤道三くらいで彼らも限りなく武士に近い出自。
戦国大名のほとんどは守護大名の被官、国人などからの成り上がり。
ルーツをたどれば、大体鎌倉武士の末裔だ。

47 :
平士(ひらざむらい)→正社員
足軽→派遣社員、期間社員
中間→パートさん
小者→バイト

48 :
>>47
そりゃ戦国時代ならそういう理解でいいかもしんないけど。
江戸時代になると足軽とか同心っていう階級が固定化した。
わずかな扶持と副職・内職で食ってく世帯。
>>6のいうととおり、年金生活者とその家族みたいな感じだろうな。
江戸中期の藩政改革などでますます生活は厳しくなっていったんじゃないだろうか。

49 :
>>46
北条早雲、松永秀久、福島正則、藤堂高虎、・・・。希少とまではいかないよ。
珍しくないという表現は的確。

50 :
秀吉は「限りなく武士に近い出自だ」なんて単なる一説に過ぎなくて通説ではないんじゃないの。

51 :
>>49
ピピー 教育的指導
北条早雲は室町幕府政所別当伊勢氏の親族伊勢盛時だよ。
福島正則は由緒有る刀工の子孫だし、藤堂高虎は浅井家重代の家臣だよ。

52 :
>>51
先祖は知らんが北条早雲自体は町人出身
親戚は知らんが福島正則自体も出身は農民
藤堂高虎も父親は浅井家領内の領内の土豪というだけ。
ここ詳しい人多くて捏造しても恥かくだけだから出直しな。
てかスレ主に突っ込めよ(笑)

53 :
そもそも福島正則、藤堂高虎を戦国大名というのはいかがなものか

54 :
秀吉も戦国大名じゃない。松永久秀も。

55 :
>>52
いや、たしか北条早雲は中央につとめていたはずだろう

56 :
>>6 治安維持や城の警備なら軍隊というより警察、警備員だな。

57 :
>>52
池沼

58 :
>>56
番方って言い方をする。留守番とかの番と同じ意味だね。

59 :
いや軍隊の仕事もほとんど警備ばっかしだし。
それに武士の身分は常に野戦を想定している。
「備え」をつくるための鉄砲足軽、弓足軽、長柄足軽、馬回り、使い武者云々・・。

60 :
江戸時代に入ったら、たいした演習もできなかったろう
鉄砲つくろうとしただけで、謀反を疑われて改易されるからねえ
指南役が従来の武器の扱いを教えるくらいで、下々は剣術道場できたえる程度だったんじゃない?
鷹狩とかって、急場で橋つくったり、獲物を追い込むために陣構えを変えたりってことしてたのかね?

61 :
1万石クラスの大名の下級家臣だと、100万石大名の足軽と変わらないのではないか。

62 :
>>52
お前こそ大丈夫か?

63 :
>>1は鎌倉・室町の農業をしながら守護や地頭とか役職を兼務してる者は
武士じゃないって言ってるワケだろ?>>1が不見識なだけだよ。

64 :
>>48
嫁さんの里が京都近郊なんだけどさ・・・。
某藩の領内では百姓なんだけど領内一歩でたら某摂家の家来。
下手すりゃ殿様より・・らしんだけど。
こういうのって一体なんのさ。

65 :
>>39
現代の上級武士は議会議員。
世襲だらけで腐敗した権力闘争ばかりの上級管理職。
自らの権力を振りかざすことだけが取り柄。
実務は中下級武士が処理してなんとかなっている。

66 :
>>52
北条早雲こと伊勢宗瑞は、備中伊勢氏出身で、
誰だか忘れたけど、一説には伊勢宗家の養子らしいよ。
母親も伊勢宗家の出身だし。

67 :
>>64
京都府の向日市で江戸期の地籍図を見たことあるけど、公家衆の領地だった畑が一枚一枚記されていて、
年貢は公家に納めていたようだ。そういう農民の一部を常勤の家来を持てない貧乏公家の臨時家臣として扱ったわけ。
摂家当主は最低でも公卿だし、摂政・関白・太政大臣等になると、正従一位になるから、高位の家臣も四位とか五位の
扱いであったり、六位・七位でも正式に官位を授けられたのなら、中小大名の家老(無位)よりも地位が高くなる。

68 :
>>63
鎌倉・室町期の武士こそ、本物の武士。
江戸時代あたりは、武士の裾野が広がって怪しい連中が多い。

69 :
○○さまには及びもないが、せめて成りたやお殿様

70 :
下級武士の岩崎弥太郎の親父は、近隣の名主に半しにされてたよな?
でも時の奉行所は名主をお咎めなしにしてる。
藩に、弥太郎が直訴したが、逆に投獄にされてる。
下級武士って、現代人が思ってるような「武士」とは違うと思うよ。
実際、帯刀どころか、袴や草履すら許されてない下級武士も多い。

71 :
>>70 岩崎弥太郎親子は武士の株を売った地下浪人だろう。
 もはや武士扱いされていない。

72 :
>>71
地下浪人だが、土佐藩内でも下級武士と名主層のいさかいで評定が行われてることが多いが、
最終的に名主層の意見を尊重させてる裁きを下されてるほうが多い。
武士層でも、名主や豪商クラスとの揉め事は、評定所で藩の裁きを受けなくちゃならない。
要は、ごり押しして意見を押し通す事が許されてしまいそうなイメージだが、
下級武士クラスはそんなことは一切できなかったというのが実際のところとということだと推測できます。

73 :
>>68
確かに。
そもそも江戸の武士の生い立ちの起源は信長が無宿者や犯罪者、貧農の次男三男を常備軍としたのが始まり。
江戸大名の大半が信長ゆかりであり、下克上タイプ。それらが召抱えていたんだから、まっとうな武家がいたとはあまり考えられない。
要は江戸の武士階級はひじょうに生い立ちが怪しいというのは事実だとおもわれ。

74 :
信長が貧農の二三男を常備軍にした?
本当に?

75 :
>>74
信長は、戦時の農民召集のデメリットを払拭するため、あまり害のない貧農層の次男三男も常備軍にしてませんでしたか?

76 :
>>74
それ誰に聞いたの?見てきたの?

77 :
農民召集wって?

78 :
番号間違えた!
>>75
それ誰に聞いたの?見てきたの?
ちなみに私は聞いたことがないな。

79 :
>>77
意見が違うなら具体的にいってください。
>>78
普通に本に書いてありましたが・・・。
それに無宿者などを常備軍にしていたのは事実ですから、貧農の次男三男が無宿かするルートは容易に想像できるでしょう。

80 :
無宿化

81 :
>>79
なんという本で誰が書いているのですか?
それとも単なる想像ですか?

82 :
>>81
じゃあ、教えてください。信長が常備軍にしたのはどういう階層ですか?

83 :
>>82
ますば何という本か答えてもらいたいです。

84 :
>>83
まず、あなたの考えは?早く信長の常備軍の階層は?それすら答えられないのに否定とかソースとか言われても。

85 :
>>84
いや、まずは本を教えて下さい。
あなたが「信長の常備軍は貧農の次三男」だと言い始めたのだし、その根拠はそのあなたが読んだ本なのでしょ?
それと信長の常備軍の定義がわかりません。
即応で動員可能な武士とその家来の事ですか?

86 :
>>85
否定するなら、まず自分の定義を言うのが社会人の常識だろ?
常備軍の意味?なにいってるんですか?
>即応で動員可能な武士とその家来の事ですか?
はい?即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常備軍に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
その意味がわからないってなんなんですか?

87 :
信長が即応で動員できる貧農の次三男で構成される常備軍を作ったなんて聞いたことがないね?
誰に聞いたのそんな嘘を?

88 :
間違えました。
即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常勤武士に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
その意味がわからないってなんなんですか?
です

89 :
>>86
否定しているのではなく、「信長が貧農の次三男を常備軍化した」という史料を見た事がないので教えてほしいと言っているのですが?
なんという本ですかね?

90 :
>>86
>即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常備軍に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
↑これって根拠あるの?

91 :
>>87
だから、だったら、常備軍の創設時の階層をおっしゃってくださいよ。ただ聞いたことがないとか言われても、
あなたの聴いたことがあるないなんて聞いてないんですが。

92 :
信長がそんなもん作ったなんて知らなかったよ。
ていうか信長が初めて兵農分離を画期的に行ったとか信じてるんだろうな・・・

93 :
>>91
「信長が創設した貧農の次三男で構成される常備軍、戦闘集団」ってなんて呼ばれた部隊?

94 :
今の話とは関係無いけど後北条氏は豊臣政権に責められた時
文字通り根こそぎ動員したらしいな
字義通りの「百姓(農民ではなく各種職業的意味の)」を含め
勿論動員兵は警備とかに使って、後北条氏自身もあくまで頭数確保と割り切っての運用だったみたいだが
以前の歴史群像にそんな事が

95 :
貧農にとって次三男は貴重な労働力なんだがなぁ

96 :
>>92
すごくめんどくさいんですがあなた。誰もそんなことを言ってないでしょ?
もう信長の話はいいです。飽きました。そちらの意見をさらしてるのならまだしも、
意見すら言わず、聞いたことないだの知らなかったというだけで突っ込まれても面白くもない。
ただ、室町以来、江戸期の武士の人口と比較しても爆発的に武士人口変動が推移してる。
ようは、戦国期を当して本来の室町期以前の武士層以外から大量に流入したというのは事実。
だから下克上というのであり、単純に鎌倉期以降からの真の武士層を簿記で純利益とするなら、
江戸期の武士層を貸借対象表にあらわすと、完全に負債や資本での借方貸方、費用といった部分で差し引けば、
相当この純利益は減ると思いますよ。

97 :
信長如何にかかわらず、室町期から江戸期にかけての武士人口の爆発的増加の事実。
その人口流動は、どの階層からだったのか。突き詰めていけば感嘆にキーワードが出てきます。

98 :
>>96
意見でも否定しているのでもはなく、
「信長が貧農の次三男を常備軍化した」
という史料を見た事がないので教えてほしいと言っているのですが?
なんという本で誰が書いてるのですかね?
それともあなたの記憶違いか何かでしょうか?

99 :
武士人口の爆発的な増加って、具体的に何人くらい増えたんですか?

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