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2011年10月1期日本史「大坂の冬の陣、夏の陣」 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

「大坂の冬の陣、夏の陣」


1 :10/12/17 〜 最終レス :11/11/30
戦国板で、豊臣家が徳川家康を挑発したから、
大坂の陣は起こったという主張があります。
実際は、どうなんでしょうか?

2 :
age

3 :
>>1
そのとおりです。タヌキオヤジに大阪方は嵌められたのです。

4 :
それより大阪の役はどうすれば豊臣方は勝てたんだ?
関ヶ原なら西軍は裏切りがなければとか、秀頼よりを無理やり出馬させれば勝てたんだろうけど
大阪の役の豊臣勝利はやっぱ無理ゲーなん?

5 :
堀を埋めなければ負けなかった。

6 :
age

7 :
大坂方は、真田幸村とかが色々作戦出したけど
それが実行されなかったのが勝敗の原因らしいです。
その理由は大坂方は関が原の戦いなどで流された牢人の集まりだったから
信頼とか絆?を築く時間がなく、案を出しても大野治長ら(秀頼の家来)に
信用されず受け入れられなかったってことです。

8 :
アホな妾の淀が外交もいくさもむちゃくちゃにして豊臣家を沈没させただけ。それ以上でも以下でもない。
権力者の妻妾が政治に口出しして国を傾ける例なんていくらでもあるじゃん。その一例に過ぎんよ。

9 :
家康が豐臣家を滅ぼす意図を固めたのは、冬の陣あたりからだろう

10 :
>>1
それ結局誰が主張してるの?
>>8 
淀殿は妾ではない。れっきとした妻ですよ。
つか未だにこういう人いるんだな。

11 :
>>7
その城外出撃策なるものはなかったという説聞いたことあるが。
あったとしても当時の情勢を分析すると結局籠城戦が一番現実的だったと。

12 :
豊臣方は最低でも指揮系統の統一が必須だろうな
そうなると総大将には豊臣譜代の家臣にも大きな影響力があり、かつ浪人衆も納得するような百戦錬磨の武将
となると既に死んでる加藤清正か、福島正則あたりが良かったんだろうけど、
現実的に八丈島から宇喜多秀家を連れてきて総大将になってもらうのが一番現実的だったかな

13 :
福島なんかすでに徳川の犬じゃんか。

14 :
出撃説って本当にそう主張したのかどうかが怪しい。
周りが全部的なのに出撃は無謀だろ。
篭城策を取ったのは当然だ。

15 :
>>1
スーパーセレブのお江サマが、
豊臣家なんてつぶしちゃいなさいよ!って
家康に頼んだから。

16 :
>>15
おいおい・・・
お江サマ、大阪城にいた自分の娘(千姫)は
見しかよw

17 :
>>5
家康は豊臣方が埋めた堀を掘り返したのを見て
宣戦布告であると言って出陣、滅ぼしてるからね。
どの道力づくでも堀を埋める気だった。
ちなみに、大阪城攻略法として秀吉が冗談で言っていたのを
家康が覚えていて秀吉の言葉によって息の根を止めたともされている。
>>8
家康は秀吉がいよいよ病が重くなったあたりから
天下取りを目指して、秀吉に血判状を出す一方で、
味方になってくれそうな大名と次々に婚姻を結んだ。
家康は豊臣に臣従する気は初めからなかった。
(家康が秀吉より先に死なない限り)
つまり、淀がいなくても豊臣家は滅んでいた。

18 :
>>10
正室は一貫してねねで淀は側室だから妾。
>>17
徳川家が天下を握るのと豊臣家を断絶させるのとは全く別問題。豊臣が織田のように大大名として
存続する可能性は、アホの淀が政治に口を出さなければ十二分にありえた。

19 :
>>18
織田が大大名だって???
織田家の石高見ろよ。
どこが大大名なんだ。
信雄は家康に軟禁されて任地へ行けず、
消滅寸前だったし。

20 :
>>18
正室も側室も「室=妻」。
側室にも相続の権利があり、妻としての立場が認められていた。
ちなみにねねと淀を指して「両御台所」と呼んだ史料がいくつかあり、
秀吉の晩年、淀が大変重んじられていたことも分かっている。

21 :
>>19
秀吉が死んだ時点では岐阜城主が石高が一番か。
家康は大坂城を退去させられればいいという考えだったようだけどね。
>>20
側室でも妻とかいう問題じゃなくて、淀は妾でも出自自体を重んじられただけの話。
側室は妾。日本の伝統では二人目の妻を意味する第二夫人とは決して呼ばれない。

22 :
>>21
>側室は妾
これはどっから引っ張ってきた定義?
厳密にいえば側室と妾は違うんだが。
例えば妾は本妻に認められた存在ではなく別宅に住んだとか。
妾には夫の遺産の相続権がないことが多い。
淀は出自が良かったので重んじられたというのも違う。
例えば秀吉の側室の中では、信長の姪である淀よりも
信長の実の娘である三の丸殿のほうがはるかに出自が良い。
また、京極龍子もれっきとした近江源氏、室町幕府四職のうちの一家であり、
もとは淀の出た浅井氏の主家に当たる名家であり、織田や浅井より血筋が良い。

23 :
>>21
秀吉が死んだときの岐阜城主は秀信(三法師)だが、
たかだか13万石の大名だ。
どこか大大名なのかね?
ちなみに秀吉が死んだ時点で豊臣家に次ぐ大名だったのは
徳川家康220万石だよ。

24 :
>>22
>例えば妾は本妻に認められた存在ではなく別宅に住んだとか。
じゃあ淀城を独自に与えられた茶々は妾か。
>妾には夫の遺産の相続権がないことが多い。
定義自体が不明確なわけか。
>信長の実の娘である三の丸殿のほうがはるかに出自が良い。
確かにそれはそうだ。淀は次期当主の生母が次期当主によって、あるいはその臣下によって
大事にされたってだけの話だな。

25 :
>>23
秀吉が政権を簒奪した段階では信雄が大大名。
すぐに福島や最上などのような末路を辿っても、あくまで大大名。

26 :
>>24
淀が淀城に住んだのはたかだか3年ほどだよ。
秀吉の側室であった時期の大部分は大坂城や伏見城で
ねねや他の側室たちと暮らしている。
妾=側室という定義でいる人は少ないから
その辺は調べてみなよ。
見解の違いだから
これ以上妾=側室だとごねられても仕方がない。

27 :
>>25
へー、秀吉が死んだ時点で織田家が大大名だったって言うのは
間違いだって気付いたわけか。

28 :
>>25
秀吉がどの時点で政権を取ったとするのか知らんが。
清州会議では信雄は百万石を獲得していたが
この時点ではまだ柴田勝家も生きているし
秀吉の天下ではないもんな。
ちなみに信雄は秀吉が死んだ時点で5万石の大名だった。
秀頼が家康政権下で大大名でいられない理由が分かるだろ?

29 :
>>17
冬の陣の前に北の川の中州を掘削しとけば
チャンスはあったんじゃないの?
あれさえなければ大阪城天守や本丸を砲撃なんて
できなかったんだから。
少なくとも、徳川家及び諸侯連合軍は寒さと糧食不足で
撤兵を余儀なくされる。徳川家の権威は失墜する。

30 :
結局、時期が不明確だとして大大名云々に突っ込みを入れてくるだけで、>>17への当初の
反論の「豊臣が滅ぶのは必然ではない」という点には反論はないみたいだね。
>>26
>妾=側室という定義でいる人は少ないから
>その辺は調べてみなよ。
>見解の違いだから
一度でもググったことがあるのかね。その上で自説が定説だといわれたらあとは水掛け論だ。

31 :
>>28
信雄が家康と組んで挙兵したのは、政権を秀吉に簒奪されてムカついたから。
他にどんな理由があるのか。

32 :
前田みたいに徳川政権にヘイコラ言ってたら、秀頼も大大名のままでいられたかもしれないけどね。
所領は既に摂河泉の大部分にまで削られてたわけだし。

33 :
大砲が無くても毎晩の時の声と銃声で豊臣は精神力が尽きて敗戦間近だったろ。

34 :
そんなことより徳川による日本史上最大規模の
ジェノサイドの話が聞きたい

35 :
>>30
家康は豊臣を滅ぼしたでしょうよ。
だって、秀頼、淀ばかりではなく、国松もして豊臣家を根絶やしにしているからね。
大名として残してやる気が少しでもあれば、8歳の国松を生かしておいて
豊臣家を復興させてやればよかった。
国松をし、娘まで嫁がせることなく尼寺に入れて未婚を強要したわけだから
やることが違う。

36 :
>>35
それらは全て徹底抗戦という形になった結末としてのことだから、その形にならなかった場合とは前提がまったく違う。
天下人となり足場が固まった徳川家に最後まで逆らったやつだけが徹底的に叩き潰された。豊臣家にしても、
日蓮宗不受不施派にしても。ゲーム理論の基礎では、安定状況に導くには相手の態度相応に報復するのがいい。
それを多元的かつ力の強弱が複雑な状況で何を正しいかを判断するのが政治的判断なんて言葉で呼ばれる。
政治力を発揮して恭順の意志を示す奴をそう簡単に潰すことはできない。前田家にしろ、武備恭順の島津にしろ。
要はバランス感覚だ。自分の持つ力を正しく理解して生き残りを図れれば生き残れるし、アホの淀は自ら
最悪の手ばかり打ってその可能性をぶっ潰した。
家康がもう少し若ければ、あの時点で鉢植えを拒んだ豊臣に焦って禍根を断つこともなかっただろうけどね。
上方ってのは日本の最重要拠点だから短期決戦で行かざるを得ず、ゆえに根切りに繋がった。
はじめの一文が飲み込めなければ、あとはピンとこないかもしれないけど。たぶん君は社会経験の乏しい学生だろ。

37 :
喩えるなら、アメリカ映画で馬鹿な女(淀)がヒステリーを起こして自分に刃物を振り回してる状況。
早くコンピュータでパスワードを入力しないと世界は破滅するというのに、馬鹿な女(淀)は自分の
判断が誤っていることを理解できず、闇雲にコンピュータから主人公(家康)を遠ざけようとする。
映画なら馬鹿な女(淀)を説得するなりして対処するけど、本当に余裕がなければ、馬鹿な女(淀)を
死んでもかまわないくらいの判断でぶちのめしてからコンピュータに向かうだろう。
なお、爆破指示用コンピュータは時間差を設けて他にいくつもあるし、馬鹿な女(淀)は中途半端に
生かしておくと、ぶちのめされたことで完全に主人公を敵視して確実に同類のバカを集めて
妨害を始めるよ? 今なら馬鹿は一人だけど。
大体そんな状況。映画のように馬鹿な女を説得する時間があれば、馬鹿な女をさずに済んだのに。

38 :
>>36>>37
僕は文盲の気ちがいです、まで読んだ。

39 :
淀が馬鹿とかヒステリーとか・・・
よっぽど考え方が偏った人なんだね。

40 :
>>35
同意。
この時代、嫡子は害されても庶子は生き残れることが多い。
たとえ男子は害される場合でも女子は助命され、女系は残るのが一般的。
しかし、女子の天秀尼すら千姫が助命嘆願しなければ助命されず、
しかも嫁ぐことなく尼になって未婚を通すことが条件って、
どんだけ厳しかったの?って感じ。

41 :
淀が理性的だったとか政治的判断に優れてたなんて話は寡聞にして聞かないな。
フェミ女が書いた小説以外で、そういうことを示す史料とか研究結果ってある?

42 :
家康は関ヶ原で豊臣家を66万石の大名にまで落とした。
それでも飽き足らずにさらに淀の人質や
秀頼の領地がえを要求していたのだから
生かしておく気だったという理論の方が難しいだろう。
同じく徳川の姻戚であった加賀前田家は100万石を許しているのに
豊臣は66万石でも駄目なわけだ。

43 :
徳川家の旗奉行を務めた穂坂氏に詳しい人いないかな?

44 :
>>41
君の文章の方がよほど非理性的でヒステリーだな。

45 :
>>42
大坂は上方でしかも経済的にはドル箱の港湾都市だからな。
そんなところに潜在的な敵を大藩のままで置くわけないじゃん。
だから家康は九州に移そうとし、淀君は拒んだ。
それだけの話だろうに。

46 :
>>45
秀頼の転封地は大和じゃなかったっけ?
九州って、誰を動かしてねじ込むの?
大坂から出ていけば残してやるってもんでもないだろうに。
豊臣も女系まで根絶やしにしている。

47 :
淀がヒステリーとか言ってる人って、
司馬遼太郎の小説の読み過ぎじゃないかな?
秀頼のもとには淀のほかにも織田家やら石田やら
毛利やらいろいろな旧臣たちがいてその総意だったろうに。
23歳にもなった秀頼が意見も言えないぼんくらだったというのも
小説家が造り上げた妄想だろ。
悪いことは全部淀に押し付けるという。

48 :
>>47
>司馬遼太郎の小説の読み過ぎじゃないかな?
池波正太郎も同じ。真田家の奴だから大坂方には好意的だけど、淀が聡明なんて設定にはなってない。秀頼は
聡明だとしているけど。他の小説家の作品は知らない。
子供の頃読んだ小学館のマンガ日本の歴史は考証がしっかりしているというので評価されてるけど、やはり
ヒステリー扱いだったな。
創作系で淀がまともに描かれてるのって、フェミの影響で女を悪く描けない最近の映像関係くらいじゃねーの。
>秀頼のもとには淀のほかにも織田家やら石田やら
>毛利やらいろいろな旧臣たちがいてその総意だったろうに。
いつの時代設定だよ。
>悪いことは全部淀に押し付けるという。
だから、何を根拠に淀が聡明だったと言ってるんだ? 

49 :
>>48
ほらほら。
自分の根拠が「小説」であることを自分で暴露しちゃって。
ここは史学板なんだから、池波や司馬の小説を史料にするなよ。
彼らは男と女の合戦に男が勝ったということを描きたいだけだから。
実際の大阪城の主は秀頼で、淀の首を取ったって何にもならないのにね?
道理で話がかみ合わないわけだ。

50 :
>>49
相変わらず相手の主張を都合よく解釈する子どもだな。創作の話が出たからその流れに乗ったのに。
別に既に出した「少年少女日本の歴史」を根拠にしてもいいよ。考証は驚くほどしっかりしてるし、
君のように馬鹿な歴女にも読めるだろう。

51 :
>ここは史学板なんだから、池波や司馬の小説を史料にするなよ。
>彼らは男と女の合戦に男が勝ったということを描きたいだけだから。
池波の真田太平記では随分くのいちが活躍するけどね。最近のドラマみたいに時代背景を無視する不誠実さは
ないから、史実に基づいて男尊女卑の世界が描かれるのは当然だけど、女の側の価値観は尊重してる。
鬼平にしろ剣客商売にしろ、女を主人公にした話は多いしね。

52 :
テレビドラマ真田太平記では淀はヒステリックだが綺麗な女に演出されていたよ

53 :
淀を美人に扱わなかったら、それこそ史実に反するかもなw

54 :
大河ドラマ「徳川家康」の夏目雅子の淀君が最高だろ

55 :
>52
淀をバカだ阿呆だと言う奴が多いけど、相手は歴戦の兵の家康だよ
たいていの参謀がついていても勝ち目は薄い。
冷静に考えたら、実戦を指揮したことのなり淀が指揮して、少しは
家康の肝も冷やさせた戦いなのだから、彼女は有能だったと思う。

56 :
>>55
大坂城という天下の名城にいて真田信繁や後藤又兵衛といった大将を擁し、十万の兵を集めたが、
城攻めが苦手な家康の調略の標的となって騙され堀を埋められ、そのまま落城。
実質的な総指揮官が淀じゃなくて物言えぬ石ころならもっと戦えたのに。

57 :
>>56
あれは家康がだましたんでしょ。
一方的かつ強引に堀を埋め、大坂方がこれを掘り返したら
徳川に対する宣戦布告だといって一気に秀頼と淀をした。
家康は前々から秀頼をしたかったが、大阪城内にいて
それが果たせなかっただけ。
むしろ大阪城が血気盛んな男の城だったら、
もっと早くに秀頼は家康にされていたはず。

58 :
>>56
家康は関ヶ原で西軍についた連中を徹底的に粛清して、
豊臣を除く日本国中の大名を家康配下においた。
大阪城冬の陣の時点で、城持ち大名はすべて家康に味方している。
その状況で、関ヶ原で粛清された浪人たちが勝つのが無理なんだよ。
で、豊臣は家康に生きるも死ぬもお好きにどうぞ、
と首を差し出すくらいなら、と徹底抗戦に臨んだ。
戦国時代、大名は必ず降伏さえすれば命を助けてもらえるとか、
大名として扶持してもらえるとか、天下を渡してでも降伏するべきだったとか、
そんなの一概に言えないでしょ。
家康がたまたま誰にでも降伏して運よく生き残ってきたというだけで
特に恨みのある豊臣に対しては大恩に報いたとも思えないし
名誉の死を選ぶ大名はいくらでもいたのだから。

59 :
生き残りたいなら大阪捨てて田舎へ引っ越しするか
いっそ領地を捨てて家康から2万石くらいもらって公家になるとか
完全に公家化する前提なら清華くらいの家格でも承認されたと思う。

60 :
>>57
政治が分からないなら馬鹿な女の子が口を出さなくていいのに。発想が淀と全く同じだ。
秀頼を是が非でもす理由は家康にはないよ。あるのは秀頼を是が非でも支配下に置くことだけだ。
>>58
>家康は関ヶ原で西軍についた連中を徹底的に粛清して、
首謀者程度しか粛清していないから大坂城に真田や長曽我部が入ったわけだ。処刑したのは
石田と小西くらいで、他の大大名に対して家康がやったのは単なる領地召し上げ。宇喜多でさえ
島流し、真田親子でさえ高野山追放で済んだ。
>家康がたまたま誰にでも降伏して運よく生き残ってきたというだけで
>特に恨みのある豊臣に対しては大恩に報いたとも思えないし
>名誉の死を選ぶ大名はいくらでもいたのだから。
大恩には報いないよ。家康が大名内の世論を慮って将軍徳川家への従属を申し入れた豊臣家を
処遇するとしたら、秀吉が織田に対してやったこと程度に扱うのがふさわしい。旧主をその程度に
冷遇する前例はわざわざ豊臣家が作ったわけだし、従属を申し出た相手をしては天下人としての
人徳が疑われ、他の大名の猜疑心を生む。
これで分からないなら、たぶんお馬鹿な女だから男の政治感覚が分からないんだろうと思う。
無理に口を出さなくていいよ。女同士で意地の張り合いやってるのと同じ基準で見ても
分かるわけがないから。

61 :
>>59
家康は別に武家であっても許したと思うけどね。大坂城にいることをどうしても無視できなかっただけの話。

62 :
家康に右大臣家を滅ぼす理由はあるよ
乱世の種は摘まなくてはならないから

63 :
>>43
保坂

64 :
>>62
一度いくさになればね。国松がされたのはいくさにまでなったために徹底的に滅亡させる
大義名分ができたから。
しかし、せっかく10年以上もいくさがなかったところに大いくさを起こすこと自体が
体制側にとってはより大きな乱世の種になる。いくさは技術だから行われなければ
技術が廃れていって反乱を起こせなくなる。そこにわざわざいくさを起こそうってんだから。

65 :
大坂の陣で感動するエピソードは
淀殿と常高院の別れ
秀頼と千姫の別れ
常高院と千姫が秀頼の娘を助命できよう尽力したこと
真田家の子供たちを伊達家と片倉家で引き取り養育したこと
(片倉重綱と真田幸村の娘の阿梅は結婚し夫婦となる)

66 :
あまり感動しないエピソードだな・・・

67 :
>>61
家康は関ヶ原で西軍についた大名を徹底粛清しているよ。
武家を許したのならば、なぜ西軍を許さなかったんだい?
城を持つことも許されず、軒並み切腹を命じ、
わずかに親族が東軍についたために助命嘆願を申し出た者に対しては
高野山に入り出家することを生きるためのただひとつの方法とした。
秀頼が家康に降伏すれば同様だろう。
切腹か、豊臣家取りつぶしの上、高野山で出家だよ。
家康は自分に敵対した人物を許したことなどないからね。
前田は秀吉が死んだ一年後、関ヶ原も起こらない、何もしていない時期に
勝手に母親を送り付けて家康にどうか臣下にしてくださいと
言った家だから関係ない。

68 :
ただ一つではないな

69 :
>>67
きみ島津って知ってる?
毛利とか立花とか久留島とか聞いたことないかなぁ?

70 :
許したと言うよりも、元々グルだったと見るほうが自然じゃね

71 :
もともとグル?
誰が?

72 :
「西軍だったが、裏切って東軍についたため粛清されなかった」大名
とっさの判断でそんなことするか?
あり得ないだろ

73 :
>家康は関ヶ原で西軍についた大名を徹底粛清しているよ。
マジキチか?
首謀者の石田小西が切腹は当然として、それに加担した毛利、上杉、島津、佐竹、宇喜多といった大大名は
一人も切腹させられていない。増田長盛や織田秀信、長宗我部、真田昌幸も同様。これを徹底粛清と表現する奴は
明らかに頭がおかしい。
つまり、お前の主張の前提自体が全て誤りであることが、お前の認識や主張がおかしいとする何よりの根拠だな。

74 :
俺も家康は何があっても豊臣家を滅ぼすつもりだったと思うよ
ただ、大阪からの転封に応じるなどして時間稼ぎしていれば
家康の寿命が尽きて逃れれたかもしれんが
それでも家光くらいまでに滅ぼされてたかもな
あの官位であの石高、さらに豊臣恩顧の大名の存在
目障りすぎるでしょ

75 :
>>74
恩顧なんて、既に目の前で豊臣が滅ぼされても逆らえないくらい無意味なものになってるし、意にそぐわず
従軍してる大名も、むしろ豊臣を生かしておいた方が逆らいにくくできる。徳川にとって豊臣が目障りなのは、
立場不相応の拠点を有しているからに過ぎない。
反徳川の盟主として担がれる懸念については、むしろいくさが廃れれば自然消滅する。わざわざいくさを
自分から行っては懸念材料を増やすようなものだ。徳川の世が続けば、反徳川の盟主として豊臣の
存在感は薄れるしね。なにしろ天皇に将軍として認められた家柄だし、豊臣は織田から政権を簒奪した
歴史があるから、同じことをしただけの徳川を悪として批判するいわれはないしね。心情で豊臣びいきの
大名たちも、道理でなく秀吉個人への忠誠心でしかないから。何度でも繰り返すけど、その秀吉は主君の
織田から政権を簒奪したんだよ。
政治的決着は関ヶ原の段階でついていた。それを受け入れなかったのは加藤清正くらいかもな。

76 :
>>75
家康がいい人で、将来の戦乱のもとになっても秀頼を生かしておくつもりだったというのは、
それこそ小説をもとにした妄想にすぎないよ。
それくらいに家康は天下を欲していた。
たとえ自分が天下をあきらめても秀頼様を生かしておく、
なんて人間じゃないんだって。

77 :
>>73
マジキチはそっちだろう。
家康は西軍を徹底粛清した。
大阪城で捕えることができた石田などは粛清している。
しかし、毛利や上杉、島津がいつ家康に捕えらられた?
捕えることができれば間違いなく切腹させただろうが
家康は捕えることができなかった。
やむなくせなかっただけだと言っていい。
それでも減俸などになっている。
家康に敵対して家康に捕えられ、
それでも助命されて大大名にとりたてられた大名がいるの?

78 :
>>75
主張がすべて小説根拠で史料によってない人だからなあ。
よっぽど家康は天下がとれなくてもよかったと妄想してる人なんだね。
あのあたりの小説はすべて勝者の側(家康味方)で書かれ、
豊臣目線ではどれも書かれていない。
負けた明智や石田が悪人のように描かれるのと同様、
淀が悪人だから負けたことになっている。
大事な史実の大部分を省いているからねえ。

79 :
>>76
既に天下取ってるし、秀頼を生かすかすかはいい人か否かでなく、政治的事情で決まる。人情で
大勢力の扱いを決めたら秀吉の二の舞だ。秀吉ですら必要に迫られて行っただけの選択だというのに。
本当にダメな子だな。
>>77
徹底粛清ってのは、逆らった人間全てを表舞台に立てなくする状況をさす。大大名の多くを
減知で済ませた状況を徹底粛清とは決して呼ばない。
より厳しく処断したかったが相手を捕えられなかったのなら、粛清できなかったからしなかったと表現する。
状況を知らないんじゃなくて、言葉の使い方がおかしいだけだということは分かったよ。
逆らう相手を中途半端に許せば豊臣の二の舞だから、家康がそんな馬鹿なことをするわけがない。
>>78
反論が相手の主張に基づかず、思い込みを振り回して妄想を根拠にしちゃう人だからなあ。
単なる自分の思い込みを議論の前提にしてのけるその粗雑な脳ミソはなんとかならんだろうか。

80 :
>>78
国史大辞典にごく普通に書いてあるレベルの話ですら平然と否定してのける人だからなあ。
で、その根拠はやっぱり自分のお気に入りのドラマだったりするんだろうか。
>淀が悪人だから負けたことになっている。
儒教では悪人だから負けたってな価値観だから、前近代の歴史書は全てその価値観に基づいて書かれる。
今時、そんな価値観で書かれた小説が読み継がれるわけがないけど、君は馬鹿な子だから、歴史どころか
小説さえ妄想で語ってのける。
本当にダメな子だ。

81 :
>>79
あれえ?
最初は家康はいい人で秀頼様をす気がなかったのに淀が・・・
という主張だったのに、家康の天下取りのためには
秀頼をすこともあったという主張に大きく転換しましたね?
秀頼を生かすだけの政治的事情はなかっただろう。
たとえば、二条城の対面。
若く美しい秀頼が京の市民の大歓待を受けたという。
これは徳川に不利なことは書かない徳川家の正史徳川実紀に
載るくらいだから、かなりの衝撃だったろう。
家康は息子の代になっても秀頼に勝てると思っていたのかな?
そうではないだろう。
家康は秀頼をす理由を何とか見つけろとブレーンどもに頼み、
鐘銘事件を捏造してまで秀頼をそうとした男だよ?

82 :
>>79
お前が小説根拠なのは事実だろ?
何か当時の文献読んだのか?
読んだなら上げてみろ。
小説基本の奴に小説基本だと言って
激怒するって馬鹿かw

83 :
>>80
小説しか読んでないのに日本史板で馬鹿みたいに
説教垂れる本当に駄目な子だねえ〜
母ちゃんのでも吸ってろ。

84 :
歴女ってのはこんなものなんだろうかね。歴史的人物に自己を投影させ過ぎるから、その人物が
史実としてかっこ悪いと指摘されれば、自分が批判されてる気分になってヒステリーを起こす。
人は事実を指摘されると腹を立てる。大人はそれを自覚できるけど、子供には無理。
会津とか三戦とか、気持ち悪い人間の巣窟だからな。

85 :
>>84
ほらほら。
自分で言い返せないからって腹を立てて
歴女がどうとかヒステリーとか会ったこともない他人を個人攻撃。
小説が大好きな人格障害の子供は寝てな。来るんじゃねえぞ。

86 :
>>84
歴史的人物に自己を投影させ過ぎてるのってお前だろ。
お前に反論している人は誰ひとり小説基本で話してねえからな。
文献をもとに公平に議論している。
小説しか読まねえで日本史板に来るな。

87 :
>>81
じゃあ、俺が「政治的事情」でなく「いい人」であることを根拠に秀頼をさなかったと主張した部分を
ちょっと指摘してもらおう。見つからないか、君が読み違えてることが明らかになることによって、
君の勘違いは客観的に証明できるから。
>>82-83
国史大辞典まで小説扱いされたら、もう君をデンパ扱いするしかなくなるよ。
あと、君は必死すぎる。見ていて痛々しい。

88 :
ここまで来ると、おバカな女の子を俺がいじめていることになりはしないか。

89 :
>>87
じゃあまず、君が「政治的事情で秀頼をさなかった」と
結論付けている部分を描きぬいてもらおうか。
そして、77や81への反論もね。
全く人の文章が理解できてないみたいだな。

90 :
>>88
史料を呼んでるやつは馬鹿な小説厨男を制裁しているだけだから
完全にお前の勘違いだよ。

91 :
>>87
デンパ君が他人をデンパ呼ばわりねえ・・・
君の過去の記事、読んでごらんよ。
司馬に池波?これのどこが史実を描いてるの?
恥ずかしくならないかい?
自分の文章読んで・・・

92 :
>>89
なぜその質問でさえ勘違いが入ってるんだろう。こっちの一貫した主張は「政治的事情を考慮すれば、
秀頼が家康の支配下に入れば家康はさなかった」だ。該当部分は、たとえば>>60の冒頭が明確だな。
ちょっと頭を冷やしてから、主張を続けるか決めるといい。いくらなんでもそれでは議論なんて無理だろう。
あと、バレバレの自演はやめてくれ。必死すぎて見ていて痛々しい。

93 :
>>81には答えておこう。これまで出てきていない話題だからな。
いくら民に人気があっても、軍事力を持つ武家政権の帰趨には影響しない。
わざわざ僻地の江戸を本拠地としたのはそれが一番の理由。

94 :
こいつが入れ込んでいる司馬遼太郎ですら、
二条城対面の後は家康は秀頼を害する明確な意志を持っているんだよな。
それ以降も生かしておく気だったなんて
ほどんど誰も言っていないんじゃないのか。
今回のスイーツ大河は江様の活躍により、
家康も秀忠も秀頼助命に動くことになっているらしいが。
まあ、普通はありえない。

95 :
秀頼は家康配下に入るくらいなら名誉の死を選んだだけだろう。
なぜそれが分からない?
どんな屈辱を味わってでも生き延びるために
家康にこびへつらうべきだった、
なんてお前の価値観だろう。

96 :
徳川慶喜はさっさと新政府に降伏して体力を温存しようとした。
しかし、逆に腰ぬけのように言われるんだよな。
新政府は意図に反して慶喜の体力温存は認めなかった。
雄藩体制を否定して徳川家を無力化、
徳川家は辞官納地を命じられ、
慶喜は隠居、徳川家家督も別の家に移った。
慶喜はその後60年間趣味のカメラに生きただけだった。

97 :
でも徳川家は存続したな、しかも公爵位

98 :
>しかし、逆に腰ぬけのように言われるんだよな。
手下がまだ戦ってるのに、自分だけ、けつまくって江戸へ逃げた事実は消えんからなw

99 :
>>98
豊臣だって兵が残ってたしな。
慶喜は徳川方に不利だったから逃げたんだろ。
逆に部下たちの中には徹底抗戦して
江戸城で討ち死にを望む者が多くいただけの話。
討ち死には悪だ、降伏してどんな目に会ってでも
助命を請え、というお前の思想が正しいならば、
部下を見捨てて逃げた慶喜の行動は全く正しい。
価値観の問題だな。

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