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2011年10月1期日本史もし源頼朝が義経・義仲ら身内を粛正していたら TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

もし源頼朝が義経・義仲ら身内を粛正していたら


1 :11/02/01 〜 最終レス :11/11/21
源氏は三代で途絶えることなく安定政権を作ったか
足利幕府の如き内輪もめでかえって幕府崩壊を招いたか
それともまた別の展開になったか…
歴史にifはないなんて堅いこと言わずに語りましょう

2 :
てか、もしもなにも、頼朝は義経義仲範頼行家義広と身内を粛正したんだが

3 :
なんてこった…
肝心のスレタイを間違えてる

4 :
これの鎌倉時代版か
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161313522/
6 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/10/20(金) 12:33:39 ID:bWDVvue8
よし、妄想するか。もし東軍が勝っていたら
首謀者の石田治部、小西行長、恵瓊は六条川原で斬首大谷刑部は討死、宇喜多は逃亡のち八丈島に流罪
西軍の所領はことごとく没収され、毛利は防長20万石に削封、長曾我部・立花らは改易、島津は安堵
豊臣の直轄領から東軍へ恩賞を与えてしまい、豊臣は河内65万石の大名に転落
そして徳川は征夷大将軍に任じられて幕府を開き、その12年後に方広寺の鐘に家康を呪う文字があると
言い掛かりをつけて豊臣方の大坂城を二度に渡って攻撃し滅亡させると思う。
ちょっと飛躍しすぎたかな?東軍が勝利するifならこんなもんでしょ
7 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/10/20(金) 12:59:09 ID:2RS+plRh
>>6
どうだろう。そもそも東軍が勝つという前提が難しい。
西軍は上方と大阪城を抑えていたわけだし当初こそ東軍は岐阜城を落したり
勢いがあったが大垣城から西軍を誘い出すまでが限界で
関が原の布陣では西軍に先手を取られたじゃないか。
あの関が原では早期撤退すべきだったのを、何を血迷ったか
家康は本陣を繰り出し、あげくのはては静観していた小早川秀秋に
攻撃しかけて東軍壊滅のきっかけまでつくったではないか・・

5 :
このifは展開がむずかしいな。
だって義経がいなかったら、奥州藤原は存続不可能だし、
義仲が早々に倒されたら、松殿家は摂家としてあれほど繁栄しなかったかも。

6 :
よし、妄想するか。もし頼朝が粛正をしたら。
頼朝の嫡男・頼家は政治センスに欠けていて伊豆・修善寺に幽閉後、北条氏の手により暗。
弟の実朝が3代将軍となるがあまり政治に関わることは出来ず和歌に没頭、
さらに鶴岡八幡宮の銀杏の木(2010年に東原亜希のデスブログの呪いで倒壊)に隠れていた
頼家の遺児・公暁に暗される。
実朝の代に既にお飾りとなっていた将軍家はこれにより源氏嫡流は断絶。
遠縁である九条頼経が第4代将軍となり実権は完全に執権である北条家へ移ることになる。

7 :
押さえるべきだったのは身内より外戚の北条氏じゃないの?
鎌倉幕府があれぬきで関東支配を確立できるような体制を頼朝は残せなかった。
もう少し、長生きできていたら話も変わってきたんだろうか。

8 :
身内の女が少ないから
北条&比企で義兄弟作ろうとしたが、それが対立の元になった

9 :
>>6
妄想炸裂しすぎwww
源経基以来、延々と続いてきた源氏が、ついに政権とった瞬間に
三代で滅びるとかって、マンガか小説の読みすぎでしょw
それに、源氏の将軍が和歌に没頭して、
藤原氏が将軍になるなんて似合わねーよw 逆だろ普通www
まさか、そこで男の代りに女が実権握って「尼将軍」と呼ばれる、
とか言い出さねーだろうな?ww

10 :
>>6
九条頼経って誰だよ。

11 :
鎌倉幕府第四代将軍だぉ

12 :
そんな将軍いないよ

13 :
>>11
それはあり得ない。
もし下向するなら摂家に台頭した、西園寺家の公玉だろう

14 :
>>10
たぶん一条実経の間違いだろう

15 :
>>6
嫁の一族に簒奪されるって中国史のパクリじゃんw
源氏断絶なんてことが起きたら、朝廷に幕府自体滅ぼされるんじゃねえの?
後鳥羽上皇もいたしww

16 :
>>6はどう見ても、ありえない空想。
もっと現実性をもったシナリオをきぼんぬ

17 :
いい題材のスレだと思ったのに
1のミスでネタスレになったな

18 :
頼朝の選択肢は
奥州藤原&義経、義仲の粛清が先か
北条、三浦の粛清が先かのどちらかしかなかったろう。
どちらも不正解なのは、歴史が証明しているなw

19 :
室町幕府のように執権家を複数にすればよかった

20 :
で、頼朝自身も粛清された、、、という噂を聞いたことがあるんだが
ホトンですか?

21 :
もし、南北朝動乱で北朝方が勝っていたら?

22 :
それは有り得ないだろう。
戦上手の楠木正成がいるんだから。

23 :

24 :
>>22
そりゃそうだな。
北畠顕家もいるし。
歴史にifはあってもよいとは思うが、あまり現実味の薄いこと言われても興ざめするわなw

25 :
もし織田信長が天下統一に失敗してたら、徳川家康による政権簒奪を経て江戸幕府の成立もなかっただろう。
しかし浅井の反乱に続いて松永久秀、荒木村重に明智光秀。これだけ同盟者や重臣が反乱起こしてるんだから、
一度くらいは成功しててもよくね?

26 :
>>25羽柴秀吉も反乱してたもんな。
結局人望がないから、家康みたいな周到な人間に天下をかっさらわれるんだよな。

27 :
南北朝動乱って北朝の勝ちじゃないの?
じゃ今の皇室の祖先はどの系統なんだよ…

28 :
あれは南朝が絶えちゃったから必死で探したら北朝出身の坊主の隠し子が
居たんだわ。
もう60近かったたけど、南朝最後の天皇の姫、40前と結婚させて、
でたった一人生まれた皇子が今の天皇家のご先祖。

29 :
・もしも仏教受容をめぐる蘇我氏、物部氏の戦いで蘇我氏側が勝利していたら?
・もしも壬申乱で大海人皇子側が勝利していたら
・もしも戊辰役で薩摩側が勝利していたら?
・・・

30 :
このスレは、あと30レス以内で終るとみた

31 :
頼朝自身きっかけは作ったが
軍事行動を起こすには担がれる立場に甘んじることから始めた
その後自身の能力で実際の統制力を強めていく
その過程で義経他身内の粛清は避けられない道程(さすがにやり過ぎか?)
いずれにしても武家政権の確立は彼抜きでは考えられない
後継者にはこの遺産は重すぎた

32 :
北条氏だって足利氏だって徳川氏だって一門は厚く遇して長期政権を維持しているからな
徳川なんて嫡流絶えたら親藩から将軍迎えることにしてたし

33 :
足利は微妙かと

34 :
te

35 :
>>31
一方的に担がれたというがそもそも北条時政など都の人は誰も知らない
その点頼朝は長らく院近臣を務めた都の官僚出身
後白河法皇の平家打倒の院宣を受けるほどに
源頼朝は都人から知られた存在だったわけだ
北条時政では平家打倒の院宣など戴けるはずもない
担がれたというよりも代々武士団の棟梁として東国統治を続けた源氏の末裔
頼朝が声をかければ東国武士がすぐ集まっただけのことだろう
何も東国武士が初めから強固な武家集団を結成していて
その一番上のお飾りとして都の貴族頼朝を担いだというわけではないということ

36 :
>>25
信長がせめて、家康は無理でも信康だけでも葬ってたら、
徳川の家臣に甘んじてた信忠が、家康亡きあとにさらに簒奪して
織田家に政権が奪還されただろうに。
やっぱ信康の安定感は異常。優秀な弟は他にもいたが、
秀康も忠吉も力不足。秀忠は論外だしw

37 :
>>36
家康は戦は滅法弱く臣従しまくりの人生だったから
武力で織田家から政権を奪取することは不可能だったろうけどね。
(豊臣家が幼主だったから政略結婚と策略で天下取れただけの話)
信康は優秀だった、だから、父の家康が息子にされるのではないかと恐れた。
武田家では実際に息子の謀反が起こっている。
だから、怖くなった家康は息子に切腹を命じた。
そもそも信長が本当に徳川を脅威に思っていたのならば
家康・信康共に切腹を命じて終わりでしょう(ついでに生まれていた秀康・秀忠も串刺しで)。
息子だけが死ななければならなかったのは家康が息子の謀反を恐れて切腹を命じたから。
江戸時代中ごろになって急遽切腹させたのは信長だという歴史が作られた。

38 :
>頼朝が声をかければ東国武士がすぐ集まった
それならとっくに挙兵してたんじゃ・・・。
令旨が回ってきたとき、兵を集める手立てなどまるでなかったから
内心ガクブルだったというのが本当でしょ。
だから、清盛にけっっしてバレないよう令旨の一件をひた隠しにしてた。
北条は取るべくして天下を取ったんだよ。
源氏の家臣すら見限っていたものを、平氏でありながら
清盛を恐れず頼朝を拾い上げたその度胸だけでも並じゃない。
頼朝にはそういうカリスマを感じない。
ギリギリ(一か八か、又はヤケクソ)になって
やっと兵を挙げるけど、頼朝のケツを叩いたのは北条だと思うね。

39 :
>>38
源頼朝は流人とはいえ、母やら従者やらの同居が認められ、かなり裕福に暮らしてたんだよ。
ある程度の武士を集められる目論見もあったし、
いつか挙兵する気は間違いなくあっただろう、ただし、平清盛に勝てる自信がなかっただけ。
清盛死後、以仁王の令旨が廻ってきたのでこれは、と思って飛びついただけ。
そもそも、傍系の木曽義仲や源頼政ですら挙兵できたのに、
河内源氏嫡流で彼らの主筋に当たる源頼朝がなぜ挙兵できなかったと思うの?

40 :
北条の支援で挙兵してるでしょ?

41 :
頼朝は義家の直系ということで
関東武士団には旧主家という意識は有っただろう
ただ挙兵当時は手兵は二三を除けば北条氏しか無く(後年幕府内で特殊な地位を占めることになった遠因)
当初から力で君臨したわけでは無い
権力を固める過程で一族の優遇(弟達や甲斐源氏など)と御家人を競合させた上での排除(朝廷との関連も有る)
政治向きな事は御家人層を排除し専ら京都下りの貴族を活用
最終的には独裁権力を確立した
彼だから成し遂げられた事であって(矛盾も多し)凡庸な後継者には過重な負担

42 :
>>40
いや、北条は平家攻めで何も戦功がない。
というか、そもそも頼朝と一緒に鎌倉にいて一切出兵していない。
源氏軍として組織されたのは頼朝の呼びかけに応じて集まってきた関東武士たちで
頼朝は北条が兵を出してくれたから挙兵できたわけじゃないよ。

43 :
>>41
頼朝の挙兵に応じたのはいずれも源氏が平安時代中期からの関東支配において
源氏を主君とした源氏恩雇の武将たちで、4月に以仁王の令旨発令、
その後2,3カ月で早くも頼朝のもとに300騎が集まり、8月には軍事行動に出ている。
この時集まってきたのは同族の源氏たち、源氏恩雇の武士たちであり、
関東の小家であった北条氏だけの支持で軍事行動を起こすことは無理だった。
源氏恩雇の関東武士団がなければこれだけ早い時期の挙兵は無理である。

44 :
東北を義経、西国を義仲と分割統治したから
頼朝政権は安泰だったわけで、2人を抹したら
すぐに瓦解して、坂東武士団による実力争いが
勃発していただろう。

45 :
源ヤリトモ

46 :
 北条氏の後押しがあったから挙兵したし、反平家の武士も集まったん
じゃないか。歴史的にも誰もが認めている事実を否定してどうする?www
 西国を義仲が分割統治?もう一回ちゃんと勉強しなおして来い!!

47 :
 最低限の歴史くらい知ってからにしろよ。恥かいてて恥かしくないの?

48 :
そうだよな。頼朝が義仲を追討して敗死させるとか、
あんなに頼りにしていた義経を粛清とか、
イフスレにしても空想過ぎる。
鎌倉幕府は義仲、義経、範頼が頼朝亡き後も
補佐したからこそ繁栄していったんだから。

49 :
義仲はともかく、義経は家人も少なく経済基盤もないから、
粛清される理由が見当たらない。多少でも政治的センスがあったら
義経を担いで頼朝に対抗しようとする勢力が現われたかもしれない。

50 :
>>46
そんな歴史的定義などないぞ?
北条の後押しがなければ頼朝は挙兵できない?
木曽義仲や源頼政が挙兵できたのに、源氏嫡流の頼朝は一生関東で野武士状態?
んなことあるわけないじゃん。
北条がいなくても弟たちや関東に住む源氏の末裔たち(新田や足利)が
ちゃんと頼朝のもとに集まってくれてたよ。

51 :
>>46>>47
歴史を知らないのはおまえの方。
北条は頼家・実朝の外戚だったから政権を取れただけで
頼朝挙兵で戦功をあげたからではない。
そもそも、北条の戦功って何か上げれるの?
戦功建てたのは多くが源氏ゆかりの武将たちで、
北条は大した働きしてないんだけど?

52 :
>>48
義経は英雄になり過ぎた、将来跡取りの頼家の邪魔になるかもしれないから
頼朝の意志で粛清した。
我が子との政権闘争になりそうな身内(弟・甥)をすのは
頼朝だけに限らず権力者がよくやる手じゃん?
北条が自分が政権を撮るのに邪魔な義経を、頼朝の意志を無視して
害したのではない。
そこは定説と違うし勉強しようよ。

53 :
>>52
はぁ? 北条が義経を害? そんなバカなこと言ってないけど。
それこそもし義経が頼朝に粛清されていたら、頼家は北条氏に手玉に取られていただろう。
義経が頼家の邪魔になるなんてありえない展開www

54 :
>>53
馬鹿者発見w
頼朝の跡取りは誰だよ?
北条とかいう馬鹿wwwww

55 :
春らしくなってまいりますた

56 :
>>54
ここは「もし頼朝が義経・義仲を粛清したら」という
妄想スレだよ。何をムキになってるんだよ。
肩の力抜けよ。

57 :
>>56 意味がやっとわかった。確かにムキになるだけアホだったwww

58 :
ところで粛正するって言っても幕府設立後だよな?
義経・義仲あたりを幕府設立前に粛正するのはさすがに無理があるし
ましてや平家を倒す前に粛正しちゃったら平家に勝つという前提すら成り立たない

59 :
>>49
義経に関しては朝廷との関係が決定的
政治性が少しでもあれば手柄を独り占めをせずに御家人層に花を持たす気遣いも出来ただろうし
(実際鎌倉御家人の戦力が無ければこの戦果は有り得ない)
・・・

60 :
>>52
あまり勝ち過ぎても、
まずいわけですな。

61 :
>>39
自分の父親、息子をしたのは、他でもない源氏だよ?
令旨のことを北条以外の人達に固く秘密にしてたのは、いつ清盛にチクるか
わかったもんじゃないと、全く信用してなかったからでしょ。
その時の潮流加減でとことん無視されたり、奉られたりしただけで
頼朝自身に武威があったとは思えない。

62 :
スレ違いだと思うが読んでみてくれ。
今回の震災、東北の被害がむご過ぎてスルーされているが、千葉県旭市の津波被害は明らかに不自然。
ちょっと日本地図を見てもらえば判るだろう。
震源地からは銚子岬の陰に隠れ、前は太平洋、右は九十九里浜と、津波を反射する物はなく、入江もないので津波が巨大化する原因もない。
にも関わらず、津波は市内住宅地まで襲い、死者13人(俺の記憶に間違いなければ全員津波被害)が出る事態となった。
津波被害としては、福島に隣接する茨城をも凌ぐ関東最大の被害である。
近隣の同様な地形条件の市でもこれほどの被害は出ていない。
旭よりも震源地に近く、ちょうど旭市の防波堤の様に太平洋に向かって大きく突き出した構造になっている銚子ですら、コレほどの被害は出ていないのだ。
つまり、津波が不自然なカーブを描いて、ピンポイントで狙ったように旭市を襲ったとしか思えないのである。
続く・・・

63 :
>>62の続き
大袈裟な表現はしていない、何度も言うが一度日本地図を見て確認してみて欲しい。
この津波被害がどんなに不自然なモノか納得してもらえるだろう。
旭市はあの木曽義仲の一族が逃れて拓いたという伝説がある。
木曽義仲と言えば、源氏の一勢力として平家を初めて破り、京都から平家を排除した武将である。
そもそも木曽義仲の父が関東で源頼朝・義経兄弟の兄である義平と戦って破れ木曽に落ちたのだから、あながちあり得ない話ではない。
さらに続きます・・・

64 :
>>63の続き、コレで最後だと思うから我慢して読んでみてくれ。
さらに今回の震災では、岩手県も福島に次ぐ大きな被害を受けた。
岩手と言えば平泉、奥州藤原氏の黄金郷があった場所だ。
壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経は、その後、兄の頼朝と仲違いしこの平泉に逃げ込んで、この地で討たれた。
元々、義経は幼少時代から奥州藤原氏の庇護を受けて育ったというのが近年の有力な説である。
事実、義経の直参の家臣は皆、奥州の出身である。
あの弁慶ですら、比叡山の僧兵出身ではなく、出羽三山の山伏系武装兵出身だという説が近年注目されているほどだ。
平家を滅亡に追い込んだ二人の源氏武将ゆかりの地が、まるで狙われた様に被害を受けたのは偶然だろうか?。
最近、ネット上で今回の震災がアメリカの地震兵器によって人為的に起こされたモノだ。という説が浮上してきている。
それを指示したのは、アメリカを裏で支配するロックーであるという。
もしソレが本当ならば、ロックフェリー=平家の末裔説もあり得ると言えるのではないだろうか?。
平清盛の不自然な大出世も、清盛=フリーメイソン説ならば納得がいく。
いやむしろフリーメイソンの力無くして、当時の日本で無名武士があれほどの出世はあり得ないのではないだろうか?

65 :
>>61
頼朝父は家臣の裏切りでされたが別に源氏にされたわけじゃない
息子をしたのは北条だろう
なぜ頼朝が他の源氏を信用できなかったの?
源氏である異母弟たちに大軍を任せたりしたの?

66 :
「源氏恩顧の武将」なんて頼朝による創作。
そもそもそれ以前に源氏は関東の支配などしていないし。

67 :
>>66
前九年の役・後三年の役は?
新田や足利など源氏の武将たちが関東に土着してたのは無視?

68 :
平教経「義仲だけが相手なら、我らが負けるはずがなかろう」
源頼朝「じゃ、義経やっちまうよん」義経「兄者…ゲフッ」
平知盛「源氏自滅キター!」平教経「それ、京まで押し返せ!」
貴族「阿呆じゃ阿呆じゃ、源氏の棟梁は!」
平教経「平氏に逆らう貴族どもは逆臣ぞ!島流しじゃ!」
                   …という夢をみてみた

69 :
頼朝が作り上げた体制は
基本は都下がりの貴族をスタッフとした彼の独裁体制
権力基盤である組織された御家人層(軍事力)を政治向きから排除したが(悪いようにしないから俺に任せろてとこか?)
それだけに個々のの有力御家人とは個人的な信頼関係を維持しようと腐心してる
(身内の排除もこのためには不可避だったかも?)
生存中はともかく早晩破綻するのは必然だろう

70 :
tesuti

71 :
>>67
前九年の頼義、後三年の義家はともに、陸奥守という国の役人として、それぞれ安倍氏、清原氏と戦ったに過ぎない。
しかもその前九年役、
関東から頼義に率いられて参戦したとされる諸将のその内訳をみると、その殆んどは実際は都の武官職についていた者、つまり京武者。
生粋の坂東土着豪族など極わずかで、それに上で述べた京武者(実際は頼義の同盟者)と、更に陸奥守赴任後に官符(つまり頼義の力によってではなく国命)によって従った兵の全てを合計してもその数は安倍軍の3分の1ほど。
源氏の動員力などその程度のものでしかなかとたのだ。
そして「頼義軍」は安倍軍に惨敗する。
それは後三年役の義家にしても同じこと。
>新田や足利

>関東に土着してた
のなら、それは平氏系土着豪族や藤原氏秀郷系土着豪族と同列ということで、関東豪族のone of themということに過ぎない。
そんな彼らが、「坂東軍ヒエラルキー」のトップに君臨して、
>源氏恩顧の武将
とやらをたくさん従えられるような
>関東の支配者
のような存在である等とはとても言えまい。

72 :
>>64
義経のお墓にいってきましたよ。
平泉の高館にあるんですが今年は藤原祭がないんです。
…なんか訳もわからず一気に悲しい気持ちになりました。

73 :
ねね、源平あたりで武芸に優れた猛将って言ったら誰が思いつきます?
平知盛とかよく聞くんだけど

74 :
情緒的かもしれないが
義経の腰越状は頼朝は見てる(それ以前に許可なく官位を受けたものは東国下向禁止の命令を発してる)
個人としては許したいと思ってたかも・・・

75 :
>>73
畠山庄司重忠
斎藤別当実盛
伊勢三郎義盛
意外なところで梶原平左景時

76 :
ありがとうです
平知盛って強いんですか?
他に、平とか源とか北条がつく人で挙げれますか?

77 :

78 :
>>76
平教経は、平家による源氏派鎮圧戦「六ヵ度戦」の中で、瀬戸内の水軍で源氏に
寝返った勢力と対峙。
「昨日まで平家につくといっておいて今日はこれか!一人残らず討ち取ってくれる
わ!」
という怒りの叫びを敵に浴びせ、一声だけで、敵軍を壊走させた。
その場所は岡山県倉敷市下津井田之浦。「備前壇之浦」と、当時は呼ばれていた
そうな。潮流の難所で、壊走の際、海に落ちて死んだものもいたそうな。
 教経が怒りしときの顔思へば 波さへ騒ぐ下津井の海  平賀元義
瀬戸大橋本州側の直下に「田土浦公園」があり、その碑に詳しく載ってる。

79 :
能登守教経
悪七兵衛景清
鎌田政近
佐藤忠信
緒方惟義

80 :
>>78-79
  能登守教経や悪七兵衛景清の活躍の多くは軍記物語の中だけじゃないか。
 平家一門で実際に軍を率いていたのは知盛・重衡・通盛・維盛・資盛・経正・
 忠度といったあたりだろう。

81 :
>>80 猛将探しだろ?大将探しじゃないぞ。

82 :

83 :
源頼朝の領土っていったいどこ?
土着できない武士なんていずれ外戚に傀儡になっただろ。
弱体したのは範頼・義経ら他の源氏が粛清されたから。

84 :
頼朝は利用されてることなんて端から承知だよ

85 :
>>83
範頼一門、義経一門はよき藩屏になりました

86 :
源氏同族の新田や足利は関東に領地があったんだよな
頼朝は領地を平家に奪われたとはいえまた平家から武力で奪い返した
それだけのこと

87 :
亀の前事件で伊豆へ逃走した時政討ち取ったのは正解だな

88 :
保守

89 :
もしもお江戸にピラミッドがあったら

90 :
義仲を身内と呼んでいいのかね。

91 :
そもそも頼朝自身が粛正されたかもしれないという疑念が

92 :
もしも、ロシア革命が成功していたら
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1313125519/

93 :
もし源義朝が身内を処刑しなかったら

94 :
源頼朝「粛清はしましたが、"粛正"というもののやりかたはわからなかったのでしていません」

95 :
もし>>1がスレタイを間違えなかったら

96 :
もし京成が標準軌に改軌していたら
もし京浜・小田急・京王が戦後再独立していたら
もし愛電と名妓が合併していたら
もし南海鉄道が国有化されなかったら
もし鹿児島本線が水俣経由だったら

97 :
>>96
どれか鉄道系の板に立ててこいw

98 :
もし相撲協会が外国人力士を容認していたら

99 :
もし恐竜が白亜紀末期に絶滅していたら

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