2011年10月1期日本史!蘇我入鹿ともやし炒め! TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

!蘇我入鹿ともやし炒め!


1 :11/02/05 〜 最終レス :11/11/13
テレビで蘇我入鹿が登場してたけど
あれって大織冠絵巻か多武峯縁起でしょうか。
衣冠帯束でしたよね。

2 :
蘇我馬子(うまこ)  小野妹子(いもこ)
   |            |
蘇我蝦夷(えみし)  小野毛人(えみし)
   |            |
蘇我入鹿(いるか)  小野毛野(けぬ)
http://n.ashitane.net/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%A6%B9%E5%AD%90

3 :
そのCMまだ観たことないし検索かけてもうまく引っかからないんだけど…

4 :
ここ2,3日に出たばっかり見たいね。
ぐぐったがツイッターとこのスレしかまともには出てこない。
日本食研のHPにも情報なし

5 :
 何を置いても先ず精神としての聖徳太子というものに、異常な関心を寄せて
書かれている点で、亀井勝一郎氏の『聖徳太子』伝は特色ある著書である。
私には亀井氏の様な信念を以って、この人物を語る事が出来ないが、嘗て、
仏教の解釈書としては、何を選ぶべきかを亀井氏に訊ね、言下に、太子の
「経疏(きょうしょ)」だと言われて、それを読んだ時、異様な感に襲われた。
あんな未開の時代の一体何処に、この様に高度な思想をはめ込んだらいい
のか。それは、私が勝手に作り上げていた漠然たる歴史感覚の平衡を、
突然狂わせる様子であった。
小林秀雄「蘇我馬子の墓」

6 :
そんなのいるか!

7 :
近代主義的歴史感覚ってのは>>5みたいだね。

8 :
平安装束の蘇我入鹿?
ほかに絵面はなかったのかよw

9 :
全然情報が少ない。拾ったもの。
「もやし炒めの素」CMおもろい。そしてこの相関図もややカオスhttp://spysee.jp/e?‡a?‘a…\e1?/10317/
21時間前 tweet by camel_002
もやし炒めのもとのCMに蘇我入鹿さんがあああ!腹筋やられた・・・!
21時間前 tweet by namito0316

10 :
普通に蘇我入鹿のスレにしてほしかったな
もやし炒めのCMが全くみれん・・・

11 :
実は大化の改新の時に退位した皇極天皇は
皇極天皇の旦那(向日王)で蘇我入鹿
だってもし皇極天皇が蘇我入鹿の傀儡なら
入鹿がされた日に退位する必要がないと思うのだが?

12 :
蘇我入鹿害の最大の功労者は皇極の弟孝徳なんだろ
いつの間にか中大兄の功績になっているが
それなら皇極が退位して孝徳に位を譲った意味がない
孝徳がクーデターを起こして姉から帝位を奪った
後から姉に捨てられ難波宮に取り残されたけどね
まあ、蘇我入鹿が皇族だったとは考えられず、
皇女の結婚相手が皇族に限られていた時代に
皇極と結婚できたとは思わん

13 :
>>皇女の結婚相手が皇族に限られていた時代
なのに皇極と結婚しようとしてたからされたんじゃね
とか言ってみる
ただでさえバツ1なのに夫が死んだら今度は皇族でもない男とくっつくなんざ
弟としても息子としてもたまったもんじゃないだろうなw

14 :
>>13
間違っているぞ
バツ2だ!

15 :
皇極天皇は2度目の夫舒明天皇とは死別だから
バツ(離婚)はしてないよ
最初の夫高向王と別れた理由は解らない
死別かもしれんし離婚(バツ)かもしれん

16 :
動画キタ────!!!!
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=V0O5R_wJKTg

17 :
>>16
乙。
蘇我入鹿の束帯姿を見て思い出した。
中臣鎌足の一代記を表した「大職冠絵巻」「多武峯縁起絵巻」
は登場人物が皆束帯姿なんだよな。
勿論、後世に描かれたものなんだが。
以前、談山神社に展示してあったものを見たが、皇極天皇は十二単、
蘇我入鹿は束帯姿で首を斬られていた。

18 :
さすが日本食研。蘇我入鹿をCMに起用するとは。
しかしややマイナスイメージの人物で大丈夫だったのかな

19 :
声は誰が当ててるんだろう?

20 :
元がしっかりしてないとアニメにもしづらいしな。
多武峯のやつから取ってきたんじゃないかな?
入鹿も後世もやし炒め喰わされるとは思いもしなかったろうにww

21 :
>>18
まあ蘇我氏のイメージは大分見直されつつあるし
ああいうのは何よりインパクトだしさww
入鹿だけでなく中大兄皇子とか中臣鎌足とか蘇我倉山田石川麻呂とか
乙巳の変で出てくる人物名ってなんか印象に残る奴が多い
無駄にリズムがいいんだよなー

22 :
>>19
入鹿の声が妙に爺臭いのが気になった。
入鹿は年齢不詳だが、中臣鎌足らと一緒に僧旻に学問を習ったらしいから、
鎌足と同年代ぐらいだよな。
暗されたとき、30歳ぐらい?

23 :
公式にもある
ttp://www.nihonshokken.co.jp/enjoy/cm/newcm.html

24 :
>>23
おお、やっと公式にアップされたか。
しばらく前までCM情報ページごと消えてたんだよな。

25 :
そうか

26 :
>>21
蘇我鞍作の名前だったら
リズム悪いな、確かに。

27 :
入鹿には蘇我林太郎という名もあったな

28 :
入鹿は実は最初から蘇我本宗だったのではなく、蘇我林臣氏という複姓豪族で、
蘇我倉臣氏(石川麻呂など)と本宗の地位を争っていたのではないか。

29 :
>>28
蘇我蝦夷は馬子の嫡男だったからそれはないだろう
蘇我蝦夷の母が物部守屋の妹で馬子の正室であったことは史料からも明らか
子供の年齢から言って蘇我倉麻呂(雄正)は蝦夷の兄だったとみられるが
馬子が大臣の座をあっさり蝦夷に譲っている辺り庶兄であったとみられる

30 :
この時代に正室とか嫡男とか明確な区分けはあったのかな?
物部氏を排したあとの蘇我氏は、同族争いの連続。本宗庶家の地位が
最初から安泰とは言えなかったんじゃない。

31 :
>>30
天皇家に大后制度があったんだから嫡庶の違いはあったんじゃ?
聖徳太子も用明天皇の次男なんだよね。
庶兄がいたのにこれを乗り越えて父用明天皇から上宮を与えられたりしてた。
庶兄が少しでも優位に立とうと用明天皇の死後聖徳太子の母親と再婚したりしてたよね。

32 :
>>31
穴穂部間人皇女は再婚によって地位が低下したみたいだけどね

33 :
私がもやし好きなのをどうして知っているのか。

34 :

35 :
もやしって蘇我入鹿がいた時代にも食べられてたの?

36 :
入鹿ともやしの関係は不明

37 :
飛鳥時代は分からないが、平安時代には薬草として文献に見える

38 :
>>37
ああ、ありがとう。ということは蘇我入鹿の時代にはもやしが食べられていたとする
歴史資料はないんだね。それに飛鳥時代の食文化だと煮炊きが中心で、炒めるという
調理法も無かったような気がする。

39 :
古代中国に存在していることを考えると、
仏教移入を進めた蘇我入鹿はもしかしたらもやしを食べたかもしれない

40 :
新京都「平成京」市

41 :
聖徳太子のモデルだろ?

42 :
聖徳太子はもやし炒めが大好きだったと

43 :
入鹿はモヤシは食ったかもしれねえが、モヤシ炒めとなるとわからねえだ!

44 :
もやしで食中毒

45 :
もやしは燃やし

46 :
豆もやし

47 :
>>12
いいえ
天智天皇ですか?

48 :
>>46
大豆もやしが一番うまい

49 :
385 :本当にあった怖い名無し:2011/10/03(月) 07:33:58.95 ID:rLhcAnXw0
赤は、「中国皇帝に忠実に仕える臣下」を示す色だそうです。
http://photo.jijisama.org/dependency.html
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/01/index.html
藤原氏の色 春日大社の色 春を忘るな 春死なん
国泥棒の子孫が政府の周辺に大量にいる

50 :
ちゃんと火が通って且つしゃっきりとした歯ざわりが楽しめるように
炒めるのは以外に難しいものです。 もやし

51 :
>>49
赤が藤原氏の色とか意味不明
春日大社に限らず奈良・平安朝の建物は緑の屋根と赤い柱が基本

52 :
>>51
君にとって意味不明だろうが、理解不能だろうが関係ない。
事実は事実。赤は漢民族への臣従の証。

53 :
入鹿に乗った少年
入鹿を掘った少年
入鹿に掘られた少年
どれが最も存在した可能性高いとおも?

54 :
>>50
やっぱりもやし炒めの素イルカーも。

55 :
>>53
3番目が一番可能性高いだろ

56 :11/11/13
>>53
 
入鹿伊太郎さんなら表札を見た事がある。居るか?居たろう。

TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼