2011年10月1期日本史何で敗北した奴が英雄みたく扱われんの?
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何で敗北した奴が英雄みたく扱われんの?
- 1 :11/02/25 〜 最終レス :11/10/13
-
真田信繁とか源義経とかいわゆる判官贔屓って何で起こるの?
特に信繁とか過大評価されすぎじゃね?こいつに家康以上の大望とかないだろ
浪人のままで死にたくねえから回り巻き込んで華々しく死にたかったってだけの奴が
ここまで評価されるっておかしくね?
- 2 :
- べつに〜
- 3 :
- おっと信長の悪口はそこまでだ
- 4 :
- >浪人のままで死にたくねえから回り巻き込んで華々しく死にたかったってだけの奴
赤穂の犬侍=不義士どものことですね。
- 5 :
- 判官贔屓 キモ
- 6 :
- >>1は、諸葛亮や北畠顕家やカエサルやナポレオンも
みんな過大評価されすぎ、って思ってる人?
まあどう思おうと自由だが、
ただ、勝てば官軍的な、最終的な勝ち負けだけで人物を評価できない人には
歴史というものも、社会というものも、結局わからないだろう、と思うよ。
- 7 :
- 敗北して死んだ者=無念の死=怨霊だから『たたり』をおそれて崇め奉り、
その『霊力』で守ってもらおうと近代以前の人は考えていた。これが判官贔屓の
正体。・・・・以上『逆説の日本史』からの受け売りでした。
- 8 :
- 勝者をうやまえ(´・ω・`)
- 9 :
- かっての勝者がたてた体制が崩壊すると、その勝者に反抗した者の
再評価始まって、新体制にとって都合の良い像が作り上げられるコトは
良くあるコト。
- 10 :
- 真田信繁に源義経か
確かに、よほど多勢に無勢でなければ負けそうにないな
- 11 :
- 敗北したのに英雄にならない弘文帝とか北条時行とかは何故なんだろうな
- 12 :
- 最終的に敗れて死んだが、一時期は時の人として活躍することが英雄になる条件だろう。
初めて武家として政権を握った平家を滅ぼした義経や、
一時期大狸家康の本陣まで迫った幸村は、
大変優秀な人材であるにも関わらず非業の死を遂げた。
本人に大した功績がない場合は負けても自業自得で英雄にはならないな。
平宗盛や北条高時が英雄にならないのと同じだ。
- 13 :
- はい
- 14 :
- >>12
おっと信長の悪口はそこまでだ
- 15 :
- 義経は坂東武者に担がれただけ
範頼の功績も呑み込んで有耶無耶にしてしまった
- 16 :
- >>6
判官贔屓のあまり勝者を正当に評価できない連中も同じぐらい歴史というものがわかってないと思います
- 17 :
- ヤマトタケルノミコト、源義経、楠木正成、真田幸村、西郷隆盛はフツーに英雄だよな。
- 18 :
- ヤマトタケルなんかを歴史板で扱ったらヤマタノオロチも扱うことになる。
神話板やオカルト板があるんだからヤマトタケルはそっちだろ。
- 19 :
- ここですね?
- 20 :
- >>17
真田幸村は違うんじゃないかね。
- 21 :
- test
- 22 :
- >>18
ヤマタノオロチは神代の話。神武天皇以後は人代。
- 23 :
- 判官びいき
- 24 :
- 日本人は敗北者に哀愁を感じる
- 25 :
- どっかの国の国民には理解できないだろうな〜
- 26 :
- どっかの国も、李舜臣や安重根など
敗北した奴を英雄の如く持ち上げてるけどな〜
- 27 :
- おいおい、あまり孔明の悪口言うなよ。
日本にもヲタが多いんだぞ。
- 28 :
- >>4
赤穂の犬侍は切腹させられるとは思っていなかったろう。
浄瑠璃坂の仇討のようにせいぜい流刑で
あとでどっかに召抱えられると予想していたと思う。
- 29 :
- 「日本人は判官びいきで、負けた者に同情を寄せやすい」
とか言ってしまうこと自体の方が、実はよっぽど「日本人の特殊な心性」を示していると思う。
実際には、負けた者に同情を寄せるのは世界各国に共通のことなわけで。
諸葛亮とか文天祥とか、ジャンヌダルクとか枚挙に遑がない。
これを、「判官びいき」とかいっていかにも日本特有の気質であるかのように言い、
日本人を無意味に貶める(もしくは、逆に日本人を無意味に褒めたたえる)人が、
なぜか異様に多い。
- 30 :
- ジャンヌは違くないか
- 31 :
- 負けて捕まってされたからこそ、聖女として崇められているって感じはある
<ジャンヌダルク
- 32 :
- >>29カルタゴの名将ハンニバルも英雄扱いかな。
宿敵ローマにハンニバル像までもが建ったとか。
ドイツのヒンデンブルクやロンメルなども(国は敗れたが)英雄扱いといえるか。
- 33 :
- この論理が正しいのなら河井継之助はもっと有名になってもおかしくない。
- 34 :
- ヒトラーとかも負の英雄であり続けてるしな
- 35 :
- 源義経、楠木正成、真田幸村、土方歳三、西郷隆盛、広瀬武夫、栗林忠道
- 36 :
- なんや
- 37 :
- 勝ち組より負け犬の方が多いんだから
シンパシーを感じる人が多くて当たり前
- 38 :
- 怨霊信仰だと書いてみる。
- 39 :
- 「イギリス公使館付の医者ウイリスによれば、会津軍は、政府軍の捕虜をすべてし
沿道の婦女子に乱暴し、民家から略奪し、反抗したすべての者をした。
そのため、沿道の人民はみなにげ、会津軍は、人夫さえ求めることができず
みずから、兵器や荷物を運ばなければならなかった。新津の近くでは、会津軍が近づいたので
庄屋はほら貝を鳴らして『農兵』を集め、竹槍で会津軍の退路をはばんだ。
会津軍は、うしろからは政府軍の大軍に迫られ、まえからは農民の蜂起で退路をはばまれ
みじめな敗走をつづけた」(家永三郎編『日本の歴史4』)
「若松城が落城すると、200余年の長いあいだ役人の圧制に苦しんでいた会津の人民が
いっせいに『世直し』一揆に蜂起した。10月3日、大沼郡ではじまった一揆は
11月下旬の南会津郡の一気におよぶまで、2か月近く、全領内で
しかも、まだ、政府軍の砲火のおよばないところでもおこった。
かれらは、『徳政』あるいは、『肝煎(庄屋)征伐』と書いたむしろ旗をかかげ
『村役人の農民による選挙、土地を平均に所有する、高利貸から借りた金は
徳政としてかえさない、3か年の無年貢』などを要求した。
農民は、役場・肝煎・高利貸などをおそって打ちこわし、土地台帳や借金証文を焼き
村役人を新しく選挙した。政府軍は、この2か月におよぶ『世直し』一揆の波を
手をこまねいて見ていた。こういう政府軍を見て、農民たちは、じぶんたちをこれまでの
悪政から解放してくれるものと信じていた」(同前)
全然英雄じゃないねw
- 40 :
- 信繁は神
- 41 :
- >>39
会津藩や不平士族が同情されるのやっぱり判官贔屓のせい?
美化しすぎだと思うんだけど
- 42 :
- 別に義経は善し悪しの問題でされたわけではなく
兄の政治プランに楯突いたからだろう?
戦のできるし、いい人だったとは思うが兄に警戒する気配を感じてすぐに
「これほど戦功を立てた俺を蔑ろにするか」と思って兄の命に背くあたり(無断任官)
世渡りというものがわかっていない
六韜などの古典も勉強しているのに出すぎた杭が打たれることも知らなかったのか。
判官贔屓の人々もそのあたり子供
俺なら「もう平家つぶしたので適当に治める国でもひとつくれ。
血みどろ生活も飽きたし、後は女とか風流とかやって生きる」とか先に申し込む
真田など、俺は玉砕は最悪の自己満足に過ぎないと思う
そんなとこに燃やす情熱や能力あれば建設的につかえっつーの
- 43 :
- 日本人は戦に慣れていて、敗北した人を哀れむ気持ちは理解できるが
それが発展して英雄視し始め、やがてはそれこそが正しいと思い込み
挙句の果て玉砕賛美になるのはもうゴメンだ
哀れと思うほどでやめれ
- 44 :
- > 日本人は戦に慣れていて、敗北した人を哀れむ気持ちは理解できるが
>>29
- 45 :
- >>33
継之助も雷落とすとか、もっと祟れば有名になってたのにね。
- 46 :11/10/13
- >>12
毛利勝永「講談師のせいで手柄かっ攫われた」
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