2011年10月1期日本史ロリコン 江戸時代の結婚
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ロリコン 江戸時代の結婚
- 1 :11/09/08 〜 最終レス :11/11/03
- みなさんに質問ですが
私の高祖父の父は1844年に満19歳のとき満13歳の女の子と結婚してますが
こんなFC2動画みたいなロリコン当時は許されてたのでしょうか?
- 2 :
- 結婚はしているけど、渉はしていないんじゃ?
だって帝王切開できんから、若年出産は無茶危険でしょ。
- 3 :
- 高祖父って曽祖父のいくつ上?
- 4 :
-
>>1 あっちこっちに同じことを書きちらすな
- 5 :
- 許婚で早く結婚しておくだけだろ
- 6 :
- ロリコン文化を育む
- 7 :
- ロリコン大国日本
- 8 :
- ロリコン徳川幕府
- 9 :
- ロリコン幕府
- 10 :
- hentai
- 11 :
- 江戸は男性が圧倒的多数で女性の選択肢が多すぎて、男には殆ど選択する自由がなかった
今以上の女尊男卑社会で、かかあ天下なんて言葉もある
徳川秀忠は恐妻家だったとも言われてる
ロリコンと言うより男が相手を決めていないと結婚出来なかっただけじゃない?
- 12 :
- >江戸は男性が圧倒的多数で女性の選択肢が多すぎて、男には殆ど選択する自由がなかった
女不足はあくまで江戸の町限定の話で、その江戸でも男が嫁取りできるほどの身代を作れれば嫁は選び放題。
>今以上の女尊男卑社会で、かかあ天下なんて言葉もある
かかあ天下は上州の話。嫁が生糸をつむぎ機を織るから稼ぎ頭で大事にされるという程度の意味で、家の中で
威張っているわけではない。
>徳川秀忠は恐妻家だったとも言われてる
例外中の例外事例。
>ロリコンと言うより男が相手を決めていないと結婚出来なかっただけじゃない?
残念ながら、女は貧困地域では間引きにより男女比を崩すほどに淘汰されがちな存在。
- 13 :
- 江戸時代でも、嫁の実家が夫の家と比べて政治的経済的に凌駕する場合には嫁が威張れた。
徳川秀忠は幕初だからありえたその例外パターン。
- 14 :
- 「江」の初体験は11歳!(大河ドラマ)
(逮捕!!!
- 15 :
- 前田利家は児童にして妊娠させた鬼畜
- 16 :
- 秀忠のカミサンのお江よは年上だろ
ロリコンじゃない
- 17 :
- >>12
>残念ながら、女は貧困地域では間引きにより男女比を崩すほどに淘汰されがちな存在。
貧困地域は女の方が売れるから女が生まれたら喜んでた
税も女は優遇されてたから、男女比が歪な農村は多かったんだよ
- 18 :
- >>12
むしろ明治以前は成人男性の方が少なくないか?
男の子が成人できるのは、5人に1人と女の子より死亡率が
高かったのでは?
- 19 :
- >>15
家康の母ちゃんも今で言うと小6か中1で家康を生んだのでは?
- 20 :
- いや、寿命が短いからだろ
早く結婚しなきゃ子供がうめないんだ
人生が短いわけ
- 21 :
- >>17
美人の産地ならそれもあったかもね。山村などはどこも貧しく、そこで生まれる女児を際限なく
買っていけるような経済状況ではなかった。
>>18
間引きと男女比を絡めた調査では、東北などは明らかに男が多く、上方とかでは男女比がほぼ同じ。
- 22 :
- >貧困地域は女の方が売れるから女が生まれたら喜んでた
>税も女は優遇されてたから、男女比が歪な農村は多かったんだよ
売るために女の子を産むならそれらの村では女も多くは留まれない。
買うのは金があり婦としての働き口がある江戸などの都市部だが、むしろ
男の流入が多く、>>11が指摘するように女は男に比べて極端に少ない。
ゆえに、売るために女を産む地域はごく限られており、都市でも農村でも
女が多いとするデータも根拠もない。
- 23 :
- >>1の意図が判らんな。
現在の価値観で過去を論じたところで正しい結論はでないのにな。
>>1の言う時代では月のモノがあれば充分「女」だったんじゃないの。
「女」が相手ならロリコンとは言わんな。
今の日本では少なくとも18歳未満は「女」とは見做さないからロリコン扱いされるんだろ。
- 24 :
- >>1の意図が判らんな。
現在の価値観で過去を論じたところで正しい結論はでないのにな。
>>1の言う時代では月のモノがあれば充分「女」だったんじゃないの。
「女」が相手ならロリコンとは言わんな。
今の日本では少なくとも18歳未満は「女」とは見做さないからロリコン扱いされるんだろ。
- 25 :
- 童謡「赤とんぼ」に「15でねえやは嫁に行き……」とあるじゃん。
当時(大正)も数え年だろうし、数え15歳ってのは満13〜14歳だからな。
- 26 :
- >>22
街道沿いの農家は男が人足として駆り出され田畑の労働力不足は恒常的だった
- 27 :
- >>26
時代が下ると専業化して、生涯一人者の日銭稼ぎの人夫人足になる。
彼等の相手をするのは数分の一の数の飯盛り女などの婦。
- 28 :
- 助郷は定助郷なら実際に近隣農村の百姓が出ていたが、家を離れるわけじゃない。
幕末の軍の移動など大規模な移動で遠方の村々が助郷に割り当てられた場合は、
日雇いを雇う金を負担するという形をとった。その方が助郷に割り当てられた側も
取り仕切る側も好都合だから。
- 29 :
- 農民には年貢の他にも様々な役務や雑税が課せられて
「百姓は生きぬように死なぬように年貢をとる」
「ゴマの油と百姓は絞れば絞るほど出る」の格言が生まれた
- 30 :
- > 「百姓は生きぬように死なぬように年貢をとる」
> 「ゴマの油と百姓は絞れば絞るほど出る」の格言が生まれた
今の中央・地方官僚に受け継がれとるな…
- 31 :
- >>29
絞りすぎると再生産能力まで失われるから、加減をする代官などの地方支配役人は
相当な能力が要求された。
盛岡藩南部氏なんて、領内が天保の大飢饉で人口をどんどん減らしているというのに
年貢減免をしないどころか、更に御用金を課したために、領民は逃散するわ一揆は起こすわで
大変なことになった。
そんな地域だからかどうか、いまだに談合をやって、仕切る小沢の声は天の声なんだってさ。
- 32 :
- >>20
2011年現在女性の初婚年齢は「29歳」。東京なら「30歳」。
そう考えたら日本は江戸時代に比べて相当寿命がのびたな。
- 33 :
- >>29
また現代の作り話信じてるのか・・・
上層の農家である庄屋や豪農は右手にうちわ、左手に小槌状態だぞ。
今現代の総理大臣が庄屋だらけなの見れば、いかに在地で地から持ってるかわかるだろ。
- 34 :
- >>33
作り話と言うのか…
飢饉で農地を手放して小作人に転落した農民の土地を集積した地主・豪農が
行政機構と結託して百姓を支配した結果だろ
- 35 :
- >>34
一部そういう豪農がいたというだけだろ。
日本の豪農庄屋は全部小作からそういう形で土地を集約した結果だと思ってるのか?
庄屋の出自は室町よりの土豪や地侍等の旧武家層だぞ?
もともと自前の土地が多いという庄屋がほとんどだが?
- 36 :
- 税は個人に払わせるのでは無く、村単位で払わせてた
百姓が土地を持ってようが小作だろうが税を徴収する側は関係無い
農地は「所有」から「利用」へ転換が進んで幕末〜明治の自作農は大幅に減少してる
- 37 :
- ↑
この人ヴぁかなの?
もう少し勉強しようよ。おじちゃん、孫に恥ずかしい世そんな知識じゃ・・・
明治や大正の地方農村は土地を資産運用してた例挙げてくれよ
このうそつき
- 38 :
- 所有と利用の書き方が悪かったか?スマソ
土地を「所有」出来なくなって「借用」したでいいかな?
- 39 :
- 庄屋層が土地を集積するなど経済的に伸びたのは明治以後。経営ノウハウを持っていて、
幕藩体制による規制が取り払われたため。
明治以後の地主は金は持ってるけど暇をもてあましてせっせと投機に手を出したり、
偽物の骨董品を大量に掴まされてるような状態。
- 40 :
- >>36
あほどね。
確かにそういう事実はあった。
まとめていえば、
基本江戸期、農地の転売や分地は原則禁止であり、
庄屋が小作農などから土地を接収してたのが常態化してたというのは大嘘。
しかし、明治期以降土地を手放すもの多くなったりし、
また売買によって豪農層がさらに肥大化していくといった傾向が強かったという側面があったということ。
これなら正解です。
庄屋層は室町よりの旧武家層であり、江戸期もともと土地は持ってますから。
個人に由来するもので、接収してたわけではありません。
- 41 :
- ↑
訂正
>>38
- 42 :
- >基本江戸期、農地の転売や分地は原則禁止であり、
>庄屋が小作農などから土地を接収してたのが常態化してたというのは大嘘。
地域によってはなし崩しだけどね。水戸藩では、農民が土地を売る場合に買い手が
年貢を納めない条件で農地半分を買うなどして、売った農民が半分だけの農地で
年貢全額を払うというようなことが常態化していた。
和泉国あたりでは、農民による土地の売買結果を領主が記録するなどして事実上
容認していたり。
江戸時代の土地売買証文は今でも各地からわんさか出てくるよ。
- 43 :
- 江戸時代にも土地集積は起こっていた。明治以降は加速しただけ。
- 44 :
- 庄屋の権限で儲けていたというのは誤り。商売で儲けた豪農が世襲庄屋を押しのけて
庄屋になり、庄屋層が徐々に富を持つものたちに代わっていったというのが正しい。
- 45 :
- みんな!ロリコン!ロリコン!
ロリコンの話だってば!
- 46 :
- もちろん書いたとおり、原則といってるだけで、絶対と入ってません世私。
もちろんそういう実態があったのは事実。それは税金を納められないなどの現代でいう行政執行や差し押さえの類。
もちろん層でなく純粋な転売もあったでしょう。
御家人なんてほとんどの家が株売ってしまって赤の他人が世襲してますからね。
旗本もご多分に漏れず。
ですから、土地を投機目的でも集積でなく、理由ありきでですから。
庄屋豪農層が江戸期没落したという事実はありません。
あるのは平百章以下です。
庄屋層がつぶされてる例は力を持ちすぎで、藩や幕府から目をつけられ三大将軍時代に大名とともに、
千石クラスの旧武家庄屋層は次から次絵とつぶされた事実はあります。
力がなくつぶされていたわけでは庄屋はありませんよ。
- 47 :
- 世襲庄屋が商売で儲けた新興の豪農にその座を奪われるのは、関東から西日本にかけての
商売の盛んな地域でのごく一般的な傾向。
- 48 :
- >>47
そんなのおおげさすぎ。
関東や西日本全土なんてありえない。
当時の江戸や堺、上方周辺のみだから。
江戸から少し離れた武蔵、例えば川越越えたあたりで新興商人庄屋が打って変わってるのが一般的なんてありえないですよ。
まったくなかったといってるわけではなく、少ないです。
さらに上州など行けば、そんな例などきわめてまれ。
堺や上方抜けても一般化してたなんて嘘。
大都市周辺、当時で言えば名古屋や浜松周辺でもあったでしょう。
ですが一歩抜ければそんなのはまれです。
- 49 :
- 山村では経済の波をかぶりにくいから変わらない所も多いけど、農村で
商品経済の波に飲み込まれたのは必ずしも大都市周辺のみではない。
木綿や菜種が栽培できる西日本の暖かい平野部なら大抵飲み込まれている。
自分で極論を吐き、相手の主張を勝手に極論に摩り替えるのが君の欠点。
- 50 :
- オマエらさっきから何のはなししとるねん?(w)
- 51 :
- >>49
ですから、なかったと入ってません。
それに、商品経済といいますか、農村でも殖産興業は行われてたのはわかります。
しかし、地方農村ではあなたが思ってるほど流通経済が発達していたわけではないんですよ。
城下の庄屋や町場の庄屋ならいざ知れず、
基本旧武家等の土豪や地侍って代償よりけりではありますが、
武家の部分と農家の部分と商人の部分全部兼ね備えていたわけで、
それらは城下から離れた在地が多いわけです。
そのような在地では圧倒的に庄屋の力は不動のもので、
庄屋自体も自ら殖産興業に励んでいるものも多いですよ。
また、地方在地は、そう簡単にパワーバランスに流動性がほとんどありません。
城下のようなあらゆる面に流動性のある場所柄、藩御用の商も兼ね備えた豪農が入れ替わり立ち代りという実態は
あったにせよ、城下や都市部から離れた在地では、旧武家層の庄屋があらゆる権限の独裁していますし、
また、何度もいいますが、流動性が基本ないんですよ。藩と庄屋という電車の直線レールのみしか。
あなたは、当時の地方農村部の実態が少し疎いようですね。
江戸周辺の農村が地方農村だと思ったら大違いですよ。
- 52 :
- それから在地の旧武家庄屋は専売件も持っていますので
城下や町場名主の村々のように、藩や幕府からの庄屋に対する締め付けが強いところは、
とても名主層の力は弱いです。
しかし、ひとたび城下から離れた在地は、びっくりするような旧豪族や旧室町大名家重臣等の
大身の庄屋が多く点在します。
また51でも述べたように、基本流通が地方在地では発達していません。
街道沿いならいざ知らず。
そうなるとほとんどが庄屋⇔藩のみなんですよ流通経路が。
さらに地方在地は庄屋の権限が非常に強く独裁状態であり、
さらに専売の権限なども持っており、あなたが言っておられるような世界はまれだというのが現実なんですよ。
ただ、在地でも庄屋より豪農はいくらでも点在します。
- 53 :
- 反論の傾向を見る限り、東国の人かな。こっちが商品経済に飲み込まれた地域に関東まで含めてしまったから、
後進地域の関東、特に北関東を念頭において、三河や播磨や瀬戸内沿岸など上方以西でどれだけ菜種や綿花の
栽培が広がっていたことも知らずに自信を持って反論していないだろうか。
特に山城や大和、摂河泉あたりでは、千か村以上の村々が連合して菜種や綿花の販売価格について
幕府相手に集団を起こすくらいに力をつけていた。国訴って言葉くらいは聞いたことがあるだろう。
- 54 :
- >>53
殖産興業が盛んに江戸中期意向行われていたのは再度いいますが知っていますし認めます。
あなたはどう考えても西国の人ですね。
その経済を基盤にした商工会のような全身が上方においては発達していたのも認めます。
特に上方や堺など藩と呼べるものはなく、今で言う経済特区ですから、
先ほど述べたような名主自体が在地等の主体ではなかったのでしょう。
ですが、53の文と、西国の在地と何の関係があるんですか?
西国の名主は東国の名主のように力などなかったのですか?
- 55 :
- >商工会のような全身が上方においては発達していたのも認めます
そんなものはないよ。国訴は、仲買や問屋の横暴に抗しているうちに村や領主の枠を超えて徒党を
組むようになり、相手が価格統制を試みる大坂や京都の町奉行所ひいては幕府にになっただけ。
あくまで利害を同じくする村々ののためのつながりで、のたびに村々は入ったり抜けたりしている。
>特に上方や堺など藩と呼べるものはなく、今で言う経済特区ですから、
たとえば瀬戸内沿岸は干拓地を中心に商品作物の生産が活発になり、畿内近国に劣らない活況を呈した。
>ですが、53の文と、西国の在地と何の関係があるんですか?
>西国の名主は東国の名主のように力などなかったのですか?
商品経済の先進地域と世襲庄屋の零落の関係の話。
話の流れさえ見えていないようだけど、自分が極論を振り回しているのに気付いてくれないとかみ合わないよ。
- 56 :
- >>1
ロリコンっておっさんがずっと年下の少女に手を出すことを言うんだろ
昔は男も女も10代半ばで結婚した
夫婦の年齢差そのものは初めて全国民の戸籍が作られた明治時代にも4歳程度で
それほど差がない
- 57 :
- オッサンが後妻や妾を十代の少女から選んだりもするけどね。
- 58 :
- ウ・ラ・ヤ・マ・シ・イ
- 59 :
- 十代なんてそんなにええかい?
ガキじゃん
オレは断然
に感情持ち込まないし、話が早い
- 60 :
- 23歳のパフュームとケコンしたい35歳オッサンでーす。
- 61 :
- FC2動画でも「はじめて社会の『歴史』」の授業受ける年齢?の女の子が小汚い
オッサンに×××される映像ありますがもちろんエロ幕府の時代なら???タイホですよねえ。(今なら(??)許されますが??)
- 62 :
- 女郎の水揚げは数えの13だったな。
- 63 :
- いや、女郎の水揚げは数えの15歳
満でいう13歳〜14歳だろ
明治以前には男も女も15歳で成人結婚してたから
- 64 :
- >>57
本妻が妾の面接をしたり、跡継ぎの無い家は苦労してた
- 65 :
- 13才の美少女を突き破りたい・・・
- 66 :
- >>60
あれは本当に23歳なのか。
- 67 :
- 昔(江戸時代)の13歳は今(平成時代)の23歳!
- 68 :
- >>64
跡継ぎのない家は養子をとってた
妾を囲うのはそこそこの長者だけ
長者ならば正妻に跡取りがいても妾を囲う
- 69 :
- 類人猿はみんな一夫多妻制だよね。人間だけが例外なわけがない。
- 70 :
- ボノボなどは乱婚。日本のDQN男女と同じ行動パターンだ。
- 71 :
- >>69
類人猿は多夫多妻、つまり乱婚。
ボスが入れ替われば雌たちは夫である前ボスをあっさりすてて新しいボスと交尾する。
また、pンジーのDNAを調べると群れのボス以外を父とする子猿も複数おり
ボスの目をかすめたも多発していることが分かったらしい。
- 72 :
- 初潮以後の女は出産と育児に専念するるべきだ。。学業だの仕事だのやらせるのは
人類の損失。
- 73 :11/11/03
- 精通があった男子も子供を養うために仕事に専念させるべきだけどな
学業とか部活で性欲を昇華とか人類の損失
精子が一番活発な10代の頃に子づくりして大勢の子供を養うために
必死に働くべき
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