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2011年10月1期日本史謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!60 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!60


1 :11/11/21 〜 最終レス :11/11/30
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼
事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者
以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛
邪馬台国は、三世紀に日本列島に存在したとされる国の一つであり
古代史最大の謎として人々の関心は高い。
この日本建国に関わる邪馬台国、女王卑弥呼について議論をしましょう。
前スレ http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1320252751/
リンク http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listtitle

2 :
>>前スレの998
>豊かな社会に鉄器が多くあるということと
>鉄器が社会を豊かにするということは違う。
弥生時代、九州の鉄器が社会を豊かにしていないと断定した根拠は何?

3 :
なんか話がおかしいんじゃない。deshabari氏とジョーカー氏の論争の発端はdeshabari氏の
「王墓などの遺跡がある弥生時代の九州に比べて王墓もなく器具類出土品も縄文時代のものとさほど変わらない弥生時代のヤマト
に大型前方後円墳を築ける勢力が自生したとは考え難い(要約)」という書き込みではなかったか。
そして途中で鉄器の話になって、ジョーカー氏の
「鉄器の豊富さが国力につながったような事を示すものは無い。」に対してdeshabari氏は
「鉄器の国力に与える影響を評価するためには鉄器が入る前後の人口や耕地面積などの変化が分かるデータが必要であるが、その
ようなデータは現在の考古学資料には揃っていない。したがって、考古学資料を基に”鉄器の豊富さは国力の増大につながらない”と
言うのは間違っている。考古学資料では判断できないのである。となれば常識的に考察するしかない」と答えている。
最近ではジョーカー氏が
「鉄器が国力を押し上げると言うことが証明されれば 鉄器の乏しいヤマトは後進地域といえるだろうが
鉄器導入”後”の先進性を証明できなければ そもそも鉄器導入”前”のヤマトを オクレテイルだの評価がしようが無い。
「オクレテイル」と断じるに鉄器の不足を挙げるなら 鉄器によって「ススンデイル」となる事を証明しろ阿呆。」
と取り乱した(阿呆などとコドモの喧嘩なみの書き方)発言をしたのに対し、deshabarisi氏は
「鉄器の有無は重要なファクターであるが、それだけで弥生時代のヤマトの後進性を語っているのではない。
ほぼ同じ時期の九州には須玖岡本、三雲、井原、平原など豪華な副葬品を有する墓が存在する。もちろん鉄器も鉄加工施設跡も出土する。大陸や半島
との交流も行われていて文化や技術が入って来ていたことが見てとれる。
それに対してヤマトの弥生遺跡には王墓と見られるようなものが無く、大陸や半島との交流を示す物品の出土もほとんど無い。工具は石器であり、縄
文時代からさほど進歩しているとも思えないほどである。」と冷静に議論の流れと本筋を外さず答えている。
どう見てもジョーカー氏はdeshabari氏と対等に議論できる器ではないようだ。

4 :
>>2
絡んでくるなら少しは過去ログ読んでからにしろ。
根拠は現在出されている「人口の推定」
散々出てきた話だぞ阿呆。
それが鉄器の出土量の多寡に全く連動していない。
じゃあ逆に訊く
『 弥生時代、九州の鉄器が社会を豊かにしたと断定した根拠は何? 』
答えろ。
鉄器が豊富だから社会が豊かだと言うのは無しだぞ?w

5 :
>>3
引用をダラダラ並べただけで何が言いたいのか分からないが
鉄器の影響を計る為の 資料=集落や田畑跡 が将来的にどうなるか分からない
今は判断できるものではないと言うのなら
鉄器そのものも同じ。
九州に大集落が相次いで出てくる可能性があるなら
畿内ヤマトからどっさり出てくる可能性もあるだろうと言う話だw
鉄なら大きなインゴットが何個か出てくれば統計数字も大きく変わる。
その点で既に自己矛盾、アホの地爆劇。
どの道リアルで鉄器が豊富だから人口に関して大きく下駄を履かせましょう…なんていっている奴はいない。
いたら教えてくれ。

6 :
>>1
もう新スレ立ってるw
前スレの>>995 www氏
スレ終わっちゃったのでドン来いに返事を書いときました。

7 :
>>4
> 鉄器が豊富だから社会が豊かだと言うのは無しだぞ?w
えー、それダメなんですか?
まあ、社会が豊かじゃないと鉄は入手できない。
資本主義社会では、資本がさらに資本を生みだすわけだから、
鉄資本がさらなる鉄資本を生みだすと言えなくは無いんだけどな・・・

8 :
どうでもいいが鉄の普及が多いのは九州に違いないが、
当時のマキムクにもその鉄が来た跡が残っている。
これはマキムクと北部九州が敵対してたわけではなく友好関係からなる事柄なんじゃなかろうか。
どの本かは忘れたが鉄をつくるときの何かがマキムクから出てたはず。
マキムクと鉄について誰か書き込み宜しく〜☆

9 :
スレ立て乙。そろそろ復帰しようかな。

10 :
>>4
はあ?
鉄が世を豊かにするのは世界の歴史で実証済みで、自分で勉強して来い。
世界の非常識を立証すべきなのは、お前の方だろ。
ただし言っておくが、鉄鏃についていえば、これは農業生産をするための
道具じゃないから、共同体を守り、敵を攻める等に非常に有効だったということだ。
それが鉄鏃の豊かさだ。

11 :
ジョーカーが半べそかいて困るぅぅぅぅーw
では、縦目さんがネタ書き込んでくれるのであと宜しく〜ねるw

12 :
>>9
縦目くん ジョーカーの後始末頼んだw
あとネタの書き込みもw
では、、、、、、zzzz

13 :
>>9
>ろそろ復帰しようかな。
かなり前から復帰してませんかね?

14 :
倭人伝の牛馬ですが
扶余伝(三国志)は「家欲得、輸牛馬乃與之」
高句麗伝(三国志)は「其馬皆小、便登山」
東沃沮伝(三国志)は「少牛馬、便持矛歩戰」
挹婁伝(三国志)は「有五穀、牛馬、麻布」
穢伝(三国志)は「祭虎以為神。 其邑落相侵犯、輒 ...」
韓伝(三国志)は「知乗牛馬、牛馬盡於送死」
州胡伝(三国志)は「好養牛及豬」
弁辰伝(三国志)は「乗駕牛馬」  
倭人伝の「其地無牛馬虎豹 羊鵲」は上記の国々と精密な比較にもとずいて、記載されてある らしい。

15 :
>>10
馬鹿の一つ覚え
具体性が何も無い。
以前出てきた中世における鉄事情
Wiki 「鉄」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84
>農器具が鉄器で作られるようになると、農地の開拓が進んだ。
>中世日本では鉄は非常に貴重であり、鉄製の農機具は政府の持ちもので、朝借りて来て夕方には洗って返すことになっていた。
>私有地の耕作には鉄の農機具を使う事が出来なかったため、良い農地は政府の所有であった。すなわち、中世の日本の貴族は鉄の所有権を通して遠隔地にある荘園を管理した[22]。
>11世紀頃から鉄の生産量が増えると、鉄が安価に供給されるようになった。個人が鉄の農機具を持つ事が出来るようになると、新しい農地が開墾されるようになった。
さて弥生時代の九州にどれだけの鉄があったのかな?

16 :
>>15
論点そらして何言ってんの?農業生産の話は、別な板でやれよ。
鉄器は九州の方が圧倒的に多い。邪馬台国には鉄鏃があった。
畿内にはほとんど鉄器がなかった。
だから、邪馬台国が九州にあった蓋然性が高いのだ。

17 :
deshabari氏さん 私が相手しましょう

>「王墓などの遺跡がある弥生時代の九州に比べて王墓もなく器具類出土品も縄文時代のものとさほど変わらない弥生時代のヤマト
>に大型前方後円墳を築ける勢力が自生したとは考え難い
奈良には、標高四六七メートルの円錐型の三輪山があり、その西方にマキムク遺跡があるわけで
この三輪山というのは万葉集や記紀にものるとおり、かなり高名なヤマトを代表する霊山で
この高名な三輪山を無視して語るべきではないと思う。
>鉄器の国力に与える影響を評価するためには鉄器が入る前後の人口や耕地面積などの変化が分かるデータが必要であるが、その
>ようなデータは現在の考古学資料には揃っていない。したがって、考古学資料を基に”鉄器の豊富さは国力の増大につながらない”と
>言うのは間違っている。考古学資料では判断できないのである。となれば常識的に考察するしかない
おっしゃるとおり鉄器は国力に影響します。
畿内説というのは九州〜近畿におよぶ西日本一帯が連合してるわけで
九州に出土例が多いからと言って畿内説は成り立たないというわけではない。
筑紫に鉄が多いなら〜そりゃ畿内のモノでしょWWW

18 :
>>17
残念でしたね。
万葉集は、九州〜中国〜四国地方出身者の歌がほとんどない、
いわば畿内万葉集なわけ。
記紀は、九州系人脈をほとんど切った大和朝廷下で作られた
いわば畿内系人脈史書なわけ。
だ〜か〜ら〜、三輪山が魏志倭人伝には出てこないで、イ妥国伝
には阿蘇山がでてくるわけ。
で、問題は中国側に、畿内の様子がほとんど知られていないわけ。
だから、邪馬台国が畿内のわけないでしょ?

19 :
>>18
ほう、そりゃ三輪山が弥生時代にはなく古墳時代に入り突然現れた
ということかね?そんなことあるわけないでしょw
それに誰も阿蘇の話なんてしてないしw 
今話してるのは古墳築造以前の弥生時代のヤマトの事だよwww

20 :
おはよう「メ」ちゃん。

21 :
そんなに自説に自信がおありなら論文でも書いて投稿すればいいでしょ。
それで自分のレベルをお確かめください。相手にされないならその程度なんですよw
社会人なのに邪馬台国について深く勉強するモチベーションが僕にはわかりかねます。
すでにプロが畿内マキムクと結論出してるのになぜ素人がうだうだ言ってるのか・・
分からない人だなあw

22 :
yahoo検索でいいもん見つけてきましたよ。
邪馬台国のアマチュア論争大会があるようですw
http://inoues.net/club5/kunisaki8.html
ってかこれに参加してるのみんなおじいさんばっかでウケルww
もしかしてこのスレにいるのもみんなこういうおじいさんばっかなんですか?

23 :
<鉄>について
日本の歴史(寺沢薫氏)農機具の鉄器化は飛躍的か(P82〜84)要約
弥生の農業生産の増大は「農具の鉄器化」が大きく影響を及ぼすものではない。
<理由>
@北部九州を除けば農具の鉄器化は弥生農業に大きな影響を及ぼすものではない。
 それに、北部九州でも、鉄器化は農具ではなく土木・開墾具から徐々になされた。
A以前に木製の幅の狭い打ち鍬で耕作実験をしたが乾田の荒起こしはできた。鉄刃
 をつける意義はさほどないというのが実感だ。
<上記に対する反論>
@に対して
 土木による灌漑設備の構築及び開墾は農産物の増加に影響しますね。これに鉄器を
 使用したとなれば鉄の影響が大きかったということだね。
Aに対して
 鉄器により開墾された農地だから木製鍬でも荒起こしもできたのだろう。
 あわせて、その木製農器具を作成するにも鉄の工具が必要だろう。
弥生の奈良盆地に「鉄」があまり出土しないから、「鉄の有用性は無い」
と言っているのだろうが…自ら「墓穴」を掘ったようなものだ。

24 :
これが反日マスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています
「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット
「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」
「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット
「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」 
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット
「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット
「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット
他にもカットシーンがたくさんあるので、ブータン国王の演説 でyoutube検索してください

25 :
>>21-22 名古屋のサガミファンさん
>相手にされないならその程度なんですよw
君はあいてされてる?w
>yahoo検索でいいもん見つけてきましたよ。
>邪馬台国のアマチュア論争大会があるようですw
君以外の人はみなさん知ってるはずでw
たぶん、ご本人は気付いてないダケと思う(10人中9人知ってて、君1人ww)
>ってかこれに参加してるのみんなおじいさんばっかでウケルww
>もしかしてこのスレにいるのもみんなこういうおじいさんばっかなんですか?
私は30代ですね(きみからみたらおじさんかな?w)。
20代も居ますし、結構若い人も居るはず(まあ年寄りは確かに多いねw)

26 :
筑紫の民さんは3年ぐらい前に凄い顔でにらんで来た奴に似てるんですがもしかしてご本人?!
まあ、それはいいとして・・・
> <鉄>について
で、寺沢薫氏の反論したので私にコメントしろってことでしょうか?
寺沢の反論を書いても薫氏はココにはいないというか・・・w

27 :
鉄が貴重品だった時代、鉄器の最優先目的は軍事だろう。
国家が優位に立つためには、軍事的に優位である必要がしばしばだ。
半島に出入りし、内乱の経験もある邪馬台国では重要であったろう。
鉄がわずかしかない畿内が、この状況に登場する可能性はない。

28 :
>>27
>鉄がわずかしかない畿内が、この状況に登場する可能性はない。
畿内が「取って来い」って九州に命令したんですよw

29 :
鉄が独占できた畿内の一部の豪族と、
入手が容易で鉄が独占できない九州では
統一過程が変わってくる。

30 :
>>23
>弥生の奈良盆地に「鉄」があまり出土しないから、「鉄の有用性は無い」と言っているのだろうが…自ら「墓穴」を掘ったようなものだ。
やれやれ、読めて無いなあ。筆者の主張はそんな下らない事じゃない。
鉄製農具が普及したからといって、飛躍的に収穫が増大した訳では無い。と述べているんですよ。
ここでの主張は、弥生時代の農業生産力は、従来想定されていたほど高いものではなく、緩やかに増大していった」(p,94)
だとすると、余剰がもたらす富の集中による国家誕生といった考え方では、時間的な無理がある。
よって筆者は、「コメの力」とは別の「この時期に凝縮された社会関係や政治関係の中で」 王権誕生の原動力を模索すべきだと結論付けたんですよ。

31 :
>>29
ソノ時代の鉄というのは大陸や朝鮮からですからどうしても九州に入る。
鉄の出土例は九州のみっていうのなら、九州説さんの言う通りになってしまうが、
日本海沿岸地帯の島根県だとか、鳥取県とかにも多くの鉄が出てるわけでして・・・
上で書いたようにマキムクにもその爪痕はありますし、「九州には鉄がアル」なんて
言われてもですね、「出雲にもあるじゃないか」というか、あまりピンとこないんですよね。

32 :
出雲と言うか、山陰は製鉄によるものじゃないかな?
もうちょっと後の時代の。

33 :
>>28
考古学的にも文献的にも、完全否定できるから、泣いていなさい。

34 :
で、スグ岡本、三雲、いわら、平原、の王墓に対して、マキムクは共同墓地ばかりですが、
マキムクの勢力は出雲や吉備の勢力と繫がりがありますし、ジョーカーもどっかで言ってたと思うが
出雲の四隅突出弥生墳丘墓が大型ですよね。
九州だけが王墓ばかりというのならまだしも・・・そうではない。

35 :
>>34 
>マキムクは共同墓地ばかりですが
は?

36 :
前原の王墓って副葬品は多いが、別に大きくはない。
九州はそんなもんよ。
古墳時代のかなり後にならないと、大型古墳はない。

37 :
あ、ごめん
マキムクではなく奈良全体のいみね

38 :
>>32
弥生時代の鉄〜入って無かったけ?俺の勘違いかな?
>>33
どう完全否定できるん?
>>36
副葬品が豪華なので王墓なんですが、列島の主というまではねえ・・・・

39 :
謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,遞相攻伐,歴年無主。
九州の”鉄鏃”をこの時の遺物と考えているかもしれないが、
事実は、この直後の景行が使用した遺物である。
だから、鉄器からこの鉄鏃を抜いて考える必要がある。
そして、鉄には2種類がある。
鋳鉄の使いまわしは、弥生中期から存在するが、鍛鉄は、この時代からである。
鉄鏃はこの鍛鉄に含まれる。

40 :
>日本の歴史(寺沢薫氏)農機具の鉄器化は飛躍的か(P82〜84)要約
みんながあまりにも〜王権誕生ぉ、王権誕生ぉうるさいので
私も試しに、購入したんだがwww 
内容がびっしりと書かれてるって感じがしていいですよねwwwww
これみなさん持ってるの???

41 :
>>40 改めドツボ
別にその本にしても「不磨の大典」では無いからちゃんと内容を消化しつつ読んだ方がいいと思うぞ。
このドツボと言うのはどれだけ本を読んで知識を得ても言うことが何処かピントがずれている気がするというかずれている…
傍から見ていてとても負案陀wwwwww
まあ寺澤と言う学者自身がかつて学会を支配していた京大の小林佐原の年代観に反旗を翻し
今の畿内説というより考古学の年代観を作り上げた改革者・立役者の一人といえるんだろうか?
(他に近畿では森岡、九州では橋口、柳田ら
 あと保守本流の京大で都出を宗教改革時のカトリック内部から出た改革者に例えられるか?wwwwww)

42 :
>>30 ローガン
>鉄製農具が普及したからといって、飛躍的に収穫が増大した訳では無い。と述べているんですよ。
飛躍的に収穫が増大したと見積られるんでないんかい?
寺沢氏は「鉄器化は農具ではなく土木・開墾具から徐々になされた。」
つまり、数少ない鉄を<土木・に開墾使用>して開墾された農場には<鉄で作った木製農機具>を活用した。
行間を読めばそうなるでしょう。
なのに、「鉄製農具が普及したからといって、飛躍的に収穫が増大した訳では無い」などという詭弁・・そしてそれを放置する畿内説
こっちが、「やれやれ・・・」ばい。

43 :
鉄器が原始社会を変貌させるなんて世界の常識で、
日本列島だけは例外なんてトンデモ論は、無視してよろしいでしょう。

44 :
>>43
うん、本来ならば無視だけど、相手はローガンだからね。
放置したら<承知・納得・理解・そのとおり>となる。

45 :

      検索    「韓国は“なぜ” 反日か?」

46 :
>鉄製農具が普及したからといって、飛躍的に収穫が増大した訳では無い。と述べているんですよ。
鉄は肥料じゃないんだから、使っても飛躍的収量増大は無い。
鉄を使えば、労働時間の短縮にはなる。
短縮され、余った時間をどう使うか?
水田開発に回すには、ため池の開発からである。
古墳づくりにも時間を回すことが出来る。
垂仁(217年〜239年)
最初の古墳(石塚?)からホケノ山古墳までこの垂仁時代と思われる。

47 :
鉄器があれば、木製農具がバンバン作れる。
鉄器があれば、未開発地を農地に変えるのが容易。
鉄器があれば、石器で攻撃してくる敵を容易に射せる。

48 :
>>5
>鉄器の影響を計る為の 資料=集落や田畑跡 が将来的にどうなるか分からない
>今は判断できるものではないと言うのなら
>鉄器そのものも同じ。
ここ2日ほど出張していたので閲覧できなかったのだが、進行が速いですな。
さて、上記引用文は私の発言に関したもののようであるが、どうも誤解があるようだ。
私は「鉄器の影響を計る為の 資料=集落や田畑跡 が将来的にどうなるか分からない 」とは言っていない。
「鉄器の影響を評価できるようなデータが考古学資料には揃っていない。揃う見込みもない」というのが私の
見解なのである。ある遺跡で鉄器が用いられる前の時代の耕地面積と後の時代の耕地面積を比較できるような
データを得ることは無理であるし、現実にそのようなデータは無い。
したがって、「今は判断出来るものではない」ではなく、「評価に使えるデータがない。将来も無い」である。
もちろん「鉄器そのものも同じ。」と言うのはナンセンス。事象の次元の違う話である。
>九州に大集落が相次いで出てくる可能性があるなら
>畿内ヤマトからどっさり出てくる可能性もあるだろうと言う話だw
>鉄なら大きなインゴットが何個か出てくれば統計数字も大きく変わる。
どうも「鉄の影響の話」と「集落遺跡の数や規模からの人口推定の話」がごっちゃになっているようだ。
それにしても、話の持って行き方がひどいな。
私は「九州に大集落が相次いで出てくる可能性がある」などと馬鹿げたことは言っていない。むしろ、都市化な
どで発掘できなくなったり壊された遺跡が多いだろうから悲観的である。それはそれとして、
私は遺跡の発見率について「全国各地の遺跡発見率には違いがあるだろう」と述べたことがある。理由は
土地開発の程度、遺跡に対する市民の関心度、教育委員会などの遺跡発掘に対する熱意、予算が全国各地
で同じとは考え難いということである。

49 :
垂仁(×217年〜×239年)
△鏡が多出する事由が整合しない。つまりデタラメ。

50 :
△鏡が多出する事由が整合しない。
△鏡は274年以後の晋鏡である。
ここに景初3年・正始元年銘鏡が存在するためには、何が必要か?
景初3年の朝貢と、晋書正始元年東倭重譚納具。の年号がなぜ247年に必要か?
それは、274年に晋による冊封体制への参加。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。274年神功渡海
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
この辺から古墳築造に弾みがつく。その初めが
239年の朝貢であり、240年の倭王位授与である。
崇神6年が景初3年であっても魏と崇神は何の関係もないんだろ?
であれば、景初3年を刻む関係が見えない。
成務48年を関係のない九州で記録できるのであれば、”崇神6年”と刻めば事足りる。

51 :
>>484 deshabariな縄文人
言っていることに全根拠も蓋然性も無い。
非科学的非論理的。
現在そして将来にわたって出土する集落や田畑の跡はデータになりえないと言うのなら鉄器も同じ。
鉄器の現在のそして将来の出土数が古代の実情を反映しているのかいないのか分からないとするのが道理。
鉄器の出土数と言う自分に有利なところだけはそのままにしたいと言う浅ましい考えが見え見えの牽強付会。
どの道リアルで人口の算出に鉄器の出土数を考慮して…なんていっている人間はいない。少なくとも俺は知らない。
なんなら国外でも良いから例があるのなら教えてくれw

52 :
王氏の解説が信用がおける。△の500枚は舶載品ではなく、日本製。
つまり日本の鏡作が製造したもの。
鏡作神社社伝  崇神6年9月3日 鏡を改造し鋳る。

53 :
>”崇神6年”と刻めば事足りる。
崇神当時、崇神天皇を崇神とは言わない。これは後代つけた天皇号。
大陸から大陸人が渡来している。崇神以前の王莽の銭が畿内に出てる。

54 :
>>51
>現在そして将来にわたって出土する集落や田畑の跡はデータになりえないと言うのなら鉄器も同じ。
わらず理解力がないですな。もう進歩の余地のない頭の構造となっているんでしょうな。
私が言ったことは「鉄器の影響の評価に必要なデータの話」である。ある地域に鉄器が入った時点の前と後
での変化を算定できるようなデータは無いと言っているのである。
>鉄器の出土数と言う自分に有利なところだけはそのままにしたいと言う浅ましい考えが見え見えの牽強付会。
それは貴殿の僻み。九州の弥生遺跡のうち鉄器を出土するものの比率と奈良の弥生遺跡のうち鉄器を出土するもののそれを
比較したらどうなるの?まさか「奈良で発見された弥生遺跡は鉄器を出土しないものばかりで、鉄器のある遺跡はまだ発見
されていないのだ」と言うんじゃなかろうね。
>どの道リアルで人口の算出に鉄器の出土数を考慮して…なんていっている人間はいない。
それは当然だろ。人口算出の基本は住居数だろ。但し、住居遺跡が全て見つかっているわけではないから正確な人口は得られないがね。
なんでこんな愚にもつかないことを言うのかね。あほらし。

55 :
>>54 deshabariな縄文人
毎度毎度何とか誤魔化そうと哀れなやつだ。
>ある地域に鉄器が入った時点の前と後での変化を算定できるようなデータは無いと言っているのである。
前後=時間軸で比較できなくても地域間で比較できる。
鉄器の多い地域と少ない地域。
少ない地域は鉄器が入る前の状態。
多い地域は鉄器が流入した後の状態。
両者にさほどの差がなければ鉄器の及ぼした影響は少なかったと見るべき。
>人口算出の基本は住居数だろ。但し、住居遺跡が全て見つかっているわけではないから正確な人口は得られないがね。
要するに今出ている人口と言うのは全くあてにならないと言う話だなw
(恐らく日本も国外も関係が無い)
「歴史人口学」とか丸々抹だなw、ゴミクズレベル九州説の常識は世界の非常識。
でも鉄の量が人口の増加に大きく寄与したことは脳内設定で真実。
客観的データも何も無い、主観のみの与太話。

56 :
>>42:筑紫の民
>行間を読めばそうなるでしょう。
なんで?読んだんなら解るはず。たった4行。しかも直前に「弥生時代を通じて」とあるのに…
君自身が引いたp,82の最初の4行をもう一度読んでご覧なさい。読んで無い人もいるだろうからコピーすると
「権力醸成の背景には農業の生産力があると言われてきた。そして、生産力の増大と言えば、誰しもが「農具の鉄器化」を考えてきた。
しかし、弥生時代を通じて、北部九州を除けば農具の鉄器化は弥生農業に大きな影響を及ぼすほどのものではない。
それに北部九州でも、鉄器化は農具ではなく土木・開墾から徐々になされたのである。」
そして次の行から、増産のペースは従来説よりも遅いものである事についての論拠を述べている。
君は、行間を読むというが、それ以前に章のテーマ自体を理解できていない。

57 :
「行間を読む」…便利な言葉だなw
「すなおに読んだら」と同じかwwwww

58 :
でさ、ローガンは
鉄器がない社会と、鉄器がある社会の差が無い、って断定してるわけね。

59 :
>>54 名前 deshabariな縄文人
>まさか「奈良で発見された弥生遺跡は鉄器を出土しないものばかりで、鉄器のある遺跡はまだ発見
>されていないのだ」と言うんじゃなかろうね。
あ、書き忘れてたな。
お前みたいにゴネ徳を狙うなら言えないことも無いぞ?w
荒神谷や加茂岩倉で銅鐸や銅剣の出土分布図が一気に変わったのはお前も知っているよな?
鉄にしたって中期の丹後奈具岡遺跡の建物跡から同時代屈指の8kgの鉄器が出た。
「鉄関連遺構が全て見つかっているわけではないから正確な数は得られない」といえばそれでお終い。
その場しのぎの屁理屈はちょっと変えれば諸刃の剣とwww

60 :
さあさあ、箸墓や△鏡を無理矢理ドンドン卑弥呼に関連付けた詐欺畿内説が、
今度は
   これから畿内には九州を上回る鉄器が出るはず だとか
   鉄器など有っても無くても社会はまったく変わらない だとか
次々に大嘘・デタラメ・ペテン・詐欺説を繰り出してきそうだなw

61 :
>>60
現在の地域間の比率を大きく変える住居跡が出てくる可能性を強弁できるなら
「これから畿内には九州を上回る鉄器が出るはず」と言っても何ら問題ない
>鉄器など有っても無くても社会はまったく変わらない
実際今問題にしている人口とかは変わっていないのだから仕方が無いな。

62 :
九州には畿内を越える規模の集落は見つからんのが、九州説の弱点だよな

63 :
畿内にそんな弥生遺跡あったか?

64 :
畿内って、九州の指揮による開墾地でしょ?
奴隷的人夫が招集されて畿内に集められ、土木工事をしたわけでしょ?
いわば最果ての地だから、そんな状況だったんじゃないかな。

65 :
畿内には吉野が里の何十倍もある弥生遺跡が複数見つかってる
唐古だって、吉野が里の何倍もある

66 :
え?

67 :
畿内には広大な銅鐸文化圏があったが、とっとと滅亡しちゃった、の間違いでしょ。

68 :
それはとっくに否定されてるな
秋津やマキムクも九州にはない規模
前方後円墳も畿内を中心に拡がる
集落遺跡の規模なら、九州は中国地方にも負ける

69 :
それは、何でもかんでも卑弥呼の時代に繰り上げる
畿内説詐欺の常套手段。

70 :
箸墓古墳周辺もまだ5パーセントくらいしか、発掘されてないしな

71 :
まあ、卑弥呼の時代に向かって滅亡していた畿内文化圏は、
他からの入植地という色彩が濃いね。

72 :
こっちにも<再掲>
<魏志倭人伝中「倭国乱れ・・・」の一文>
「その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年、
乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。」
↑ ↑ ↑
これに対して
↓ ↓ ↓
日本の歴史(寺沢薫氏)倭国乱れる
略・・しかも私は、「倭国大乱」(「後漢書」)が文字通り戦闘を伴う大規模な騒乱であった
可能性は薄いと思っている。2世紀後半に鉄鏃や鉄剣の出土量が増えたとはいっても、西日本
が大規模な戦乱に見舞われたという考古学的な痕跡はほとんどない。・・・
・・・私は、「倭国乱」の実態とは、それまでのイト倭国(九州にあった「倭国」と言いたい
らしい。)の一局的な均衡が崩れ、イト国を盟主とすることに同調しないクニ・国がイト倭国
内部にも出始め、さらに、イト国に替って新しい倭国の枠組みを作りだそう、という瀬戸内以東
の国々がけん制し合っている状況を示しているのだと思う。・・・・・
↓ ↓ ↓
瀬戸内から畿内において戦いの跡が無いものだから「戦ってなかった」と言って
邪馬台国を無理やり畿内に持ち込もうとしようとしているのが見える。
九州には「戦いの跡」はいっぱいあるよ。(戦闘で死亡したであろう被葬者など。)
ついでに、熊本は平野〜盆地〜山地の稜線(多分に主要接近経路)は石鏃がザックザックでるよ。
「倭国争乱」はほぼ、九州内だけの事なのだよ。

73 :
日本の歴史(寺沢薫氏)七章王権の誕生 1新時代の幕開け(P248)
略・・・奈良盆地では画期的な事態がおきていた。「ヤマト王権」の最初の王都と考えられる
桜井市巻向遺跡の出現である。
・・・略・・・この遺跡は規模が巨大なだけでなく、北部九州のイト倭国の時とは比較になら
ないほどの広域な交流の輪を拡げ、周辺に前方後円墳が築造され、・・・略・・・三世紀の
日本列島でこれに匹敵する政治的、祭祀的な遺跡を他に探すことはできない。・・・略・・・
つまり、卑弥呼の共立によって新しく誕生した倭国の実体がこのヤマト王権であって巻向遺跡は
その王都であり、かつ日本最古の都市だというのが私の主張である。
この本のタイトルは<王権誕生>である。話の中心はつまり上記部分だな。これが話したいがために
やれ<農業の発展に鉄は関係ない>だとか<倭国争乱では戦いは無かった>だとか言い張ってたんだな。

74 :
魏志倭人伝から
○伊都國 ・ 千余戸有り。
○奴國  ・ 二萬余戸有り。
○不彌國 ・ 千余の家有り。
○邪馬台国・ 七萬余戸ばかり有り。
○投馬國 ・ 五萬余戸ばかり有り。
これだけの人々を養うには大量の農産物が必要だね。
大量の農産物を生産するには「農地の開墾」が必要だね。
農地の開墾のために石製の農機具で樹木を倒して斜面を削ってというのでは非効率だね。
ましてや、木製土工具で「農地の開墾」するか?
鉄製の土工具で効率的かつ迅速に開墾できたからこそ、倭人伝でつたえられる多くの人々を養う
大量の農産物を生産することができ、国が豊かになった。
と普通考えるわな。
で、その時代「大量の鉄」を輸入し使用できたのは九州勢力で、倭人伝にある国々は当然九州内に
すっぽり収まる。
だから、残念だけど畿内に邪馬台国は無かったんだな。

75 :
<魏志倭人伝中「倭国乱れ・・・」の一文>
「その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年、
乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。」
↑ ↑ ↑
これに対して
↓ ↓ ↓
北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。
謂之倭奴國… 其國亂。←倭奴国の乱を畿内大和に設定できない。
だから、九州女王国に共立卑弥呼は、倭奴國王位継承。
至邪馬臺國,即倭王所都。畿内大和である。正始元年”倭王位”授与。
歴年無主。←3世紀初めの前原王墓を最後とする。←考古学のいう巻向年代と整合した数字である。
考古学はさらに、3世紀半ばに畿内庄内式土器が北部九州に持込まれる、とする。
次の時代、布留式期には、半島の土器やカマドと共存する。~功渡海はこの時代である。
共立女王卑弥呼は、魏への朝貢のためのみに共立された。
だから、乱を平定する力は無い。魏はそのことを把握しているから正始元年に邪馬臺國
に倭王位を授与する。女王共立の最大勢力は、女王の出身母体である旧倭奴國勢。
倭奴國と大和が協力するのが、景行による九州平定である。

76 :
>ましてや、木製土工具で「農地の開墾」するか?
崇神の任那建国は210年である。
筑紫の水田開発は、神功時代。

77 :
>イト国に替って新しい倭国の枠組みを作りだそう、という瀬戸内以東
の国々がけん制し合っている状況を示しているのだと思う。・・・・・
魏が関与している時代に魏の意向を無視した思考である。

78 :
>その時代「大量の鉄」を輸入し使用できたのは九州勢力で、
鋳造鉄斧とその使い回し、鉄鏃を除外すれば、九州にもほとんど”鉄”は無い。
九州が「大量の鉄」を輸入できたのであれば、公孫氏の鏡、楽浪鏡も輸入されたか?
答えは”否”である。
楽浪鏡を輸入できたのは、東瀬戸内以東の勢力であり、その時代の墳墓として
ホケノ山古墳(225〜250年)が存在する。
ホケノ山古墳の地”茅原”をスガワラと読めば、垂仁の墳墓にしかならない。
景行の九州遠征が、”乱の平定”である。

79 :
ところで倭国が鉄を大量に購えるほどの代価ってなにがあったんだろう?

80 :
>崇神の任那建国は210年である。←何の根拠もない。
崇神垂仁の代あたりにかかろうが、210年などオマエの恣意的な決めこみ。
120年等大幅にぐらつく半島年代が、そんな簡単に当たるわけがない。

81 :
ほんと九州説とか低学歴じみたマニア臭い意見ですねw
元の知能が低いんでいくら勉強しても低学歴で素人のおじさんじゃあ
間違った答えしか導き出せませんよ。
我々高学歴派の言うことにちゃんと従ってくださいw

82 :
19歳?ジョーカーの化けコテ

83 :
太国さんも素人の民間人のおっさんなんだろうし、
名門大の学徒である僕にちゃんと従ってくださいw
ちゃんと分をわきまえましょう。ジョーカージョーカーと
何言ってるのかわからないですし気味が悪いですよ。

84 :
これまで文献史学が誤った年代を正しいとしてきたのは、
旧帝大(現東大)の御威光である。
新羅 192年 4月大雪。(後漢 193年 6月寒風冬の如し。)
新羅 193年 6月倭人飢餓の為渡来する。=弥生後期末の出来事である。
新羅 209年 伽耶に援軍。三国遺事 加羅 541年 建国330年で新羅に身を寄せる。
唐古、鍵遺跡や近江伊勢遺跡など各地の遺跡が衰退する。=居住地の放棄。
青谷上寺地遺跡の人骨は食人を表す。
2世紀末 纒向遺跡に各地の土器が集まる。

85 :
>>79
崇神世(ホツマ同58年)の任那建国(210年)は、大きい。
これにより任那で鉄の採掘権を得たのであれば、狗邪韓国(カヤカラ)での倭人は
畿内(東瀬戸内、阿波)から派遣されている。
ホケノ山古墳(225〜250年)木槨、楽浪鏡、大量の鉄器は任那以後。
東海、東瀬戸内の壺は、異俗多帰以後。
穴あき壺(庄内式)は埴輪の始まり、垂仁末。
茅原(スガワラ)チガヤ、スゲカヤは植物学的に同一である。漢字導入時にスガワラに茅原を振ったのであれば
ホケノ山古墳=垂仁である。

86 :
>>62
> 九州には畿内を越える規模の集落は見つからん
須玖遺跡群は、中心部分が30万uを越え、後背丘陵の一般居住地を含めると100万uを越える。
比恵・那珂遺跡群も終末期以降、規模が拡大する。
三雲・井原遺跡群も、居住地の範囲は40〜50万uほど。墓地や谷部を含めると100万uを越える。
後期以降のこれら集落は環壕を巡らさず、全体として面的に集住する大集落だ。
津寺遺跡、中田遺跡群、加美・久宝寺遺跡群、纒向遺跡などと同様の新しいタイプの拠点集落である。
>>65
> 唐古だって、吉野が里の何倍もある
唐古・鍵は約30万平方メートル(中期後半)、吉野ヶ里は約40万平方メートル(後期前半)。
どちらも後期後半まで環濠を巡らす古式の集落にあたる。

87 :
遺跡の規模なんか言い出したら鳥取最強になっちまうやんけ

88 :
そういうこと。
別に畿内にだけ大規模集落があるわけではない。
というか、狭い奈良盆地では、どうしても集落も小さめ。

89 :
地政学という概念をみなさん考慮しなさすぎですね。
瀬戸内ルートの交通と、東国経営の両面を考慮した結果、
大和に都を置くのがベストな判断なので3世紀にマキムク政権が誕生したんでしょう。

90 :
ぶっちゃけ、畿内に大集落が出たと大騒ぎしても、
もっと大規模な集落が多数出ている地方では、
「何を行ってるかわからない」と呆れているだけ。

91 :
>>55
>前後=時間軸で比較できなくても地域間で比較できる。
>鉄器の多い地域と少ない地域。
>少ない地域は鉄器が入る前の状態。
>多い地域は鉄器が流入した後の状態。
>両者にさほどの差がなければ鉄器の及ぼした影響は少なかったと見るべき。
全く非科学的な考えですね。物事の因果関係の調べ方について何も理解できていない。低学歴で素人のおじさんじゃあ
無理も無いですけどね。
鉄器の影響の有無を調べるのに「鉄器の多い地域と少ない地域。」の人口で比較することができるか?
先ず、人口が正確に算出できるかという問題がありますが、それはクリアしたとしても、
比較しようとする地域の自然条件(土地の状態と広さ、天候、水(河川)の状態などなど)など鉄以外の条件が等しく
なければ鉄の影響を見ることはできないのです。
例えば山陰地方は関東平野部に比べて平地が少ないのですが、この山陰地方に鉄器が入ったからといっても広大な関東
平野部の人口を凌駕するのは容易ではありません。
それから、鉄器の有用性を食糧生産力の面に限定して国力を論じるのもおかしいでしょう。鉄器は土地の開墾に力を発
揮するだけでなく、工具として木材の加工(これには木製農具の製造も含まれますが)を容易にし、建物の建設や橋な
どの施設の建造の工期を短縮するなど労働生産性を飛躍的に高めます。これにより国民生活に余裕が生まれます。
さらに軽視してはならないのが武器としての鉄器です。接近戦は石の斧や棍棒でも戦えるとは言っても、鉄製工具が
有ればより硬い木で棍棒を作れるでしょうし、弓や矢も沢山作れるでしょう。

92 :
鳥取最強ってなに?

93 :
私のHN勝手に使わないでくださいw
91は私の偽物ですww
私は邪馬台国などに深入りするほどアホではありませんので

94 :
まともに論を構築できてるから、
ちょっと見直していたが、偽物だったか。

95 :
>>91 低大
>例えば山陰地方は関東平野部に比べて平地が少ないのですが、この山陰地方に鉄器が入ったからといっても広大な関東
>平野部の人口を凌駕するのは容易ではありません。
何れ誰かがそう言うツッコミするだろうと思ってたが…

実際「人口密度」でもやはり鉄器との関連をうかがわせるものが無い。
「倭国誕生」より 泉拓良・西田泰民編 1999 の数字だが
弥生時代(単位: 人/Km^2)
東北0.50 関東3.20 北陸0.85 中部3.07 東海4.50 近畿3.33 中国1.80 四国1.61 九州1.56 
無論「平地の割合」が問題になってくるがこの数字が平地の割合に準じたものであるのなら
結局鉄器によって人口密度を上昇させたことは伺えないとなる。
恐らくこの程度の話はここの畿内説の常連連中は念頭においている。
そもそも「鉄器の多寡が人口の増加に多大な影響があった」と主張するなら
それをデータをもって論証して見せろ。

96 :
恐らく デシャバリな縄文人 他ゴミクズレベル九州説 にとって現行の人口推定は満足いくものでなく
本来なら(その鉄器量に見合った)他地域を圧倒する人口を示してなきゃならないのだろうが
そんなことは夢のまた夢、与太話w
その言い訳に(これもよくあるパターンだがw)予算云々を言ったところで
問題は九州と近畿の間だけじゃない。
そもそも北部中部九州は他のどの地域より鉄器量が抜きん出ているのだから
逆に言えば北部中部九州が”狙い撃ち”で予算を不当に削られていると言う陰謀論を唱えるしかなくなるw
まあ時代や地域をもっと細かくしたものなら何らかの傾向が出てくる…という可能性もあるのかもしれないが
そもそも遺跡そのものの規模や構造に鉄器の多寡が影響しているような話は聞いた事が無い。

97 :
>>94
邪馬台国関連の本など数冊しか読んでないので
私はそんなに詳しくないので気付いてくださいww
何十年もマニアやってる爺にはかないませんよ。
また馬鹿馬鹿しいのでかないたくもありませんがww

98 :
>>91 低大
>それから、鉄器の有用性を食糧生産力の面に限定して国力を論じるのもおかしいでしょう。(以下略
本当に同じところをグルグル回っているばかりの阿呆だな。
だからそうやって鉄器の便利さを並べ立てたところでじゃあそれが国力国勢にどのように繋がったのかを論証して見せろと言う話だ馬鹿者。
「鉄器は便利だ!」ハイハイハイそれは良い。
がどんなに便利なツールも数がなければ意味が無い。
畿内や他の地域に比べて圧倒的に多いとしてその絶対数はどうだったんだ?
ハンドル変えて多少文章を変えても中身はつまるところ「てつはべんりなんだぞ」だけの繰り返し。

99 :
恐らく >>91 旧帝大歴史学徒 は 森村伊作 か deshabari=縄文人 だろう 

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