2011年10月1期日本近代史【商社】近代史上の大企業【工場】
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【商社】近代史上の大企業【工場】
- 1 :10/12/20 〜 最終レス :11/09/11
- 既に倒産してしまった会社でも
未だに大繁栄している会社でも
とにかく近代日本史に名を遺した有名な企業を語ろう。
- 2 :
- パルナスはモスクワの味!
- 3 :
- かつては日本一の売り上げを誇った鐘淵紡績(カネボウ)
- 4 :
- 富士通の社名の由来は富士山ではなく、
古河財閥とジーメンスの合弁だったことに由来する。
- 5 :
- ホテルオークラは、公職追放にあった帝国ホテル会長が終戦後に設立したもの。
そのため、帝国ホテルとホテルオークラは姉妹というか伯母と姪の関係にあるともいえる。
- 6 :
- >>3
紡績会社は戦前戦後の吸収合併、分割再吸収で元々の会社がよー分からんw
おまけに一族内の分裂と外資まで絡んでの経営権委譲のややこしい話まで知ったらカネボウって結局何?wみたいな話になるwww
船場には魔物とインド資本が潜んでいるw
- 7 :
- この手のスレは歴史学科卒の人より商学部で学んだ人の方が詳しそうだな。
- 8 :
- 江戸時代の豪商で明治以降も生き残った所って
三井、住友、鴻池くらいだと何かで読んだんだけど、
どこまで本当なんだろう・・・。
- 9 :
- >>8
鴻池は中身がすっかり変わってる
- 10 :
- 青森県の前原時計店の初代店主は日本で初めてハレー彗星を観測した人物。
さっきNHKでやっていた。
- 11 :
- 住友が掘り、三菱が造り、三井が売る。
- 12 :
- そして俺が消費する
- 13 :
- 住友財閥は実は戦後になるまで商社を持っていなくて
戦前は貿易に関する事業は全て三井物産に委託していた。
現在でも三井住友銀行をはじめとして三井と住友が何かしら提携しているのは
この時代の名残だと俺は思う。
- 14 :
- 住友は色んな面でガメツイ
あまりのガメツサで取引が上手くいかず三井三菱の後塵を拝すこと多し
- 15 :
- なんという俺のためのスレ
企業史研究が趣味の俺にはありがたいスレだぜ。
>>13
住友は社訓として商事事業を行わない方針だったんだよね。
住商よりも住金物産の方が歴史が長いというww
商社の歴史の話題ならかなり出来るぜ。
- 16 :
- 以前、これと似たようなスレがあって
三菱鉛筆のなんちゃって年表が出てたな
- 17 :
- >>16
三菱鉛筆のはパロディでしょう?
- 18 :
- 誰が考えたか面白いパロディだった。
- 19 :
- >>4
古河市兵衛の主な収入源は足尾銅山の開発だったが、
古河財閥はその作業を進めるための水力発電所の設置を依頼したことがきっかけで
ジーメンスと癒着するようになった。
古河財閥が鉱業(足尾銅山)から通信業(富士通)に転身したのは、
もともと電線の原材料には銅が使われていたため、
足尾銅山から掘り出した銅を通信網の敷設に流用しようとしたのがはじまり。
- 20 :
- >>8-9
鴻池家は江戸時代より大阪で両替商を営んでいたが、
明治維新で新政府が大名貸しの債権を帳消しにすると
収入源を断たれて衰頽の一途を辿った。
鴻池家は本家と分家・別家の確執が極めて深く
一致団結して再興に力を注ぐことは事実上不可能であった。
そこで本家は土居通夫という官を招聘して
独裁的な手法により分家・別家を追放するが、
救世主のはずの土居はそれを終えると鴻池家を見限ってさっさと去ってしまったので
鴻池家がかつての繁栄を取り戻すことは二度となかった。
余談だが、土居通夫はその後、大阪商業会議所の会頭に推挙され、
20年以上に亘って関西の財界に君臨して死ぬまで大富豪として名を馳せた。
大阪の通天閣は土居通夫を称えるために土居通夫が自ら造らせたものである。
- 21 :
- 戊辰戦争から日露戦争に至るまで輜重を独占し、兵士に粗悪な糧食を売り付けた死の商人・大倉喜八郎。
西南戦争でコレラが流行した際に医薬品を買い占めて暴利を貪った藤田伝三郎。
ともに、大倉組・藤田組という悪名高き戦前の政商の両頭である。
大倉組は幕末には乾物と鉄砲の小売商だったが、
維新後に渋沢栄一という強力な後見人を迎えて
札幌麦酒(サッポロビール)や大倉商業学校(東京経済大学)を次々と設立。
今では土木に進出して大成建設としてスーパーゼネコンの一角を占める。
また、>>5に書かれているホテルオークラの創業者とは、大倉喜八郎の実子である。
藤田組はもとは大阪を本拠とする軍靴の工房だったが、
やがて陸軍省の用達として被服や日用品、そして人夫まで扱うようになる。
西南戦争で前述の通り医薬品の買い占めを行い、三菱の岩崎家に並ぶほどの成金となった。
しかし、藤田伝三郎が傲慢にも「我が嫡子のみが藤田組の後継者となりうる」と宣言して、
甥の久原房之助を追い出したのが運の尽きだった。
手切れ金のつもりで売り渡した茨城県の日立鉱山を拠点として、
久原房之助は工具の修理場、日立製作所を立ち上げる。
それに対して藤田組は徐々に他の財閥との差を拡げられていき、
今ではDOWAホールディングスという聞いたこともないような企業群に成り下がっている。
- 22 :
- × それに対して藤田組は徐々に他の財閥との差を拡げられていき、
○ それに対して藤田組は徐々に他の財閥に追い抜かれていき、
- 23 :
- 昭和の新興コンツェルンと軍・官僚・政治家とのつながりはイラク戦争時のアメリカ並みにひどいw
- 24 :
- >>23
無学なので日産コンツェルンしか思い浮かばない。
- 25 :
- >>8
京都の住友家、摂津の鴻池家、伊勢の三井家と、何れも関西の豪商だな。
ただし、三井家の場合は三井高利が兄の死後に
江戸へ飛び出て創業したものなので実質的には関東の発祥。
それはともかく、江戸期の豪商の生き残りであれば、
大丸の下村家、高島屋の飯田家、松坂屋の伊藤家も含めてよいと思う。
蚊帳を売っていた西川家と乾物屋を営む高津家も現存。
ちなみに、有名な紀伊国屋文左衛門と紀伊国屋書店は全くの無関係。
- 26 :
- 日本とアメリカとイギリス以外の国は、
1890年代に内燃機関実用化される以前は、
民間大企業は金融業ぐらいだった。
鉱山、蹄鉄、鉄道とかは国営企業。
日本は1880年代には鉄道と鉱山は民営が中心だった。
- 27 :
- >>11
山の住友、海の岩崎、都の三井。
- 28 :
- 日本放送協会の初代会長は三井物産の岩原謙三か。
次いで軍国主義の時代には逓信省の小森七郎。
- 29 :
- ちょっと岩原謙三の名で調べてみたら、ジーメンス事件の贈賄者の1人じゃないか。
こんな奴でも数年で社会復帰して大富豪の生活に戻れたんだな。
共犯者の山本条太郎も南満州鉄道株式会社の総裁、
飯田義一も大正海上火災(三井財閥)の会長として平然と復活。
- 30 :
- >>13
三井家と住友家は、濃密な姻戚関係を結んでいる。
- 31 :
- 日経経済新聞 夕刊 2007年10月3日
近代大阪の精神 異能の系譜をたずねて -1-
文明開化の風景@
嘉永2(1849)年―明治35(1902)年に連続して長者番付に載った商家
http://unkar.org/r/history/1213711812
- 32 :
- >>26
そういえば、電話の管理も最初は民間会社に任せられる予定だったらしい。
渋沢栄一、大倉喜八郎、三井物産の益田孝が組んで動いている。
最終的に逓信省の判断で不許可とされたが、
この時に逓信省にありながら渋沢たちに同調した官僚が、NTTの創業者とされる石井忠亮。
- 33 :
- かつて存在してた山一證券って
そのグループも含めて完全に消滅したの?
- 34 :
- 戦前、鈴木商店って会社があったけど、
全盛期は凄かったらしいね。
- 35 :
- そうそう、商店っていう名前から個人小売業をイメージするけど実際には総合商社で製造業まで手を伸ばしてた巨大企業。
第一次大戦の時に凄まじい利益を稼ぎ出して三井・三菱に追いつく勢いだった。
急成長の裏側でアクロバティックな資金繰りをやっていたけど台湾銀行の破綻で破裂した。
軍関係者も絡んで相当色々あったみたいだけど詳しいことは闇の中。
- 36 :
- 植民地台湾を活動拠点に成長し、破綻後も、傘下企業の帝人株をめぐって大々的な「事件」が起こったりと活動履歴は華々しい
- 37 :
- >>26
>>32
鉄道では、
フランスが王政復古時代の1840年代に、民営ではうまくいかず、国営にしたら大発展した。
王政復古フランスの後見的な存在だったオーストリアもフランスに習って、
国営で発展。
ドイツとイタリアはまだ統一前で、プロイセン国鉄やバイエルン国鉄や、
サルジニア国鉄や両シチリア国鉄などが路線を延ばした。
イギリスは、最初の実用化鉄道から第二次大戦後に国鉄が出来るまでは、全て私鉄だった。
アメリカは最初から現在まで全て私鉄。
日本も1880年代に日本鉄道や山陽鉄道に代表される私鉄勢で路線を全国網にし、
日露戦争後の1906年に大規模な私鉄を国有化した。
フランスでは、国鉄の成功に続き、ナポレオン三世が国営工場を作った。
鉱山や製鉄や工廠とかも、鉄道に続いた感じ。
- 38 :
- >>37
民間工業が発達していたイギリスでは、
サッカーチームはマンUの鉄道やアーセナルの工廠や、
鉱山などの企業部活から始まり、プロ契約解禁から現在のプロ球団になった。
アメリカのプロ球団は、新聞広告から始まった。
アメリカは全国紙が無く、地域タイムスとか地域ポストとかデイリー地域とかだったので、
チーム名が地名になった。
英米以外の国は、民間大企業があまり無かったので、
教会とかの体育協会(アスレチッククラブ)が元になって球団を作った。
- 39 :
- >>37,38
余談だけど、一般のアメリカ人が尊敬する職業は軍人とビジネスマン、
軽蔑する職業は公務員とCIA(スパイ)と何かで読んだことがある。
- 40 :
- 江戸時代後期である19世紀前半の日本の人口は約4000万人で、
当時のイギリス本土、フランス本土、オーストリアより同程度だった。
民営大企業が勃興できる下地はあった。
- 41 :
- 大量生産品を消費する人口が産業を支える側面はあるけどそれよりも金融システムが確立していたことが大きいと言われている。
仲間株は株券を通じた出資システムと通じ、金銀手形決済は企業の締め日・払い日・利息の基本。
国内流通網が完備されていた事で更に生産システム・大量輸出能力の確保が可能だった。
人口の多い少ないよりインフラが江戸期に整備されていた事の方がよほど近代化への準備としては重要だったと思うぞ。
- 42 :
- >>21
今年の芥川賞作家、朝吹真理子さんは日立とジャパンエナジーを興した
久原房之助の曾々孫に当たるみたいですね。久原房之助は毛沢東に実際に会った事のある
数少ない日本人の一人です。
- 43 :
- 保守
- 44 :
- 三井
- 45 :
- 山水電気って今何やってんの?
- 46 :
- >>45
今は香港資本の傘下、メーカーとしての売り上げはゼロ、
社員は10人以下で昔の製品のアフターサービスと
不動産賃貸収入で会社は一応成り立ってるらしい。
売り上げは連結2億
- 47 :
- それで一部上場を維持してるとは凄いな。
- 48 :
- >>47
まあ売り上げ2億って書いたけど今はなんかもっと悪化してるっぽい・・・
調べたら2010年度は連結売上4000万だったwww
これ以上赤字出すようだと上場してられないかもねw株価もこの1カ月ずっと1円だし・・・。
- 49 :
- 鉄道会社を財閥という観点から考察したいのだが
鉄道板は車両がどうのこうのというばかりで面白くない
漏れが知りたいのは企業活動と土地開発と都市の発展なんだ
誰かレクチャーしてくださいお願いします
- 50 :
- 俺も産業史とか興味あるけど2chってあんまりそういうスレないよなー。
- 51 :
- >>49
ゆとりの発想だな
日本企業経営史や産業史の入門編読めば書いてあるんだから自分で探して読め。
何がレクチャーだ
- 52 :
- レクチャーしてやれよwww
- 53 :
- >>51
まあ確かにただ「レクチャーしてくれ」みたいな聞きたいことが明確じゃない聞き方は
答えようがないよなw
- 54 :
- 知らないことを質問されたら「僕も無知です。分かりません」と白状するか無視すればいいのに、
なんで>>51、>>53のように上から目線で説教する奴が出るのかね。
>>51が「産業史の入門編を読めば〜」と言っているのも虚勢の可能性あり。
本当に入門書を読み込んだ人間ならそんなことは放言しない。
日本史板に限らず学問カテゴリ全体で傲慢な自惚れ屋が増えた。
>>49
『日本鉄道史 技術と人間』という本が2001年に刀水書房から出ている。
ただし、経営者というよりは末端の乗務員や乗客の視点から記述されている。
また、明治・大正時代だけでなく終戦後(1950年代)にも多くの章が割かれているので、
見た目の分厚さに比べて参照すべき箇所は多くない。
技術史よりも社会史の観点に立っているという点では参考になると思われる。
- 55 :
- >>54
お前の書いた論文あるか?
あるなら俺の書いたのと交換して読み比べてみようぜw
- 56 :
- >>49
鉄道会社に財閥が関係していた時代なんて、あらかた研究し終わってるんじゃね?
史料復刻も多いし。
- 57 :
- 何で日本の線路幅は狭いまんまなんだ?
- 58 :
- 西武や東急の敷設と沿線開発は財閥形成と言えるのかな
猪瀬直樹が本出して既に有名な気がするが
- 59 :
- >>57
原敬が鉄道広軌化を妨害したから。
とは言ってもあの時線路幅を標準軌に改造したとしても、
劇的な変化は望めなかっただろうと思う。
- 60 :
- まあ標準軌だったら新幹線は違ったものになってたかもな。
- 61 :
- >>60
列車は左右の車輪にかかる重量バランスが狂うと脱線する原因になる
狭軌が一般的になったのは、日本では技術が低い時代には狭軌のほうがバランスがとりやすかったのがあるのだとか
- 62 :
- >>61←ウソ書くな
狭軌の方が最小回転半径を小さく出来るから、
特に山の多い土地では、標準軌より鉄道建設コストがかなり安くなるから。
車でもホイールゲージが小さければ回転半径が小さくなるのと同じ
1067mmの国・・・インドネシア、フィリピン、ニュージーランド、日本
全て山の多い島国。大陸国は国際列車が多くなるから、他国とゲージを
合わせる事が重要になるので、標準軌を使うケースが多い。
ロシアは戦争で攻め込まれた時にゲージが標準軌だと簡単に敵の列車が
侵入してしまうから、あえてゲージを広くしている。
- 63 :
- 三菱財閥が有する静嘉堂文庫は中国の古書を保存していることで歴史学者には有名だが、
これは二代目の岩崎弥之助が、清末の陸心源(有名な蔵書家)の子である陸樹藩から僅か十万元の廉価で買い取ったものである。
同じく三菱財閥の東洋文庫は、三代目の岩崎久弥が大蔵大臣の井上準之助と結託して中華民国のお雇い外国人モリソンから東洋学の洋書を購入したものである。
静嘉堂文庫と東洋文庫はどちらも戦災による財政難から、1947年以降は支部として国立国会図書館に併合されていた。
静嘉堂文庫は1970年に改めて独立するが、東洋文庫は2009年まで国立国会図書館の支部であった。
- 64 :
- 変化を先取りする三洋証券
- 65 :
- 今の東京三菱銀行の前身である三菱銀行も、元を辿れば
三菱鉛筆資金部が独立・分社してできたもの。
現在の三菱商事も、そもそもの淵源は三菱鉛筆販売部が
販路を世界に拡大するために分社化して設立された。
三菱倉庫は、三菱鉛筆が製品の鉛筆を保管しておくために
建てた一棟の倉庫がルーツとなっている。
三菱重工業も、三菱鉛筆が鉛筆製造の機械をドイツからの
輸入に頼っていたのを自社生産すべきだとなって社内に
設立した三菱鉛筆機械製作所が、他の機械の生産も手がける
ようになり、その後拡大に拡大を重ねて現在のような大企業にまで成長した。
また、日本光学(現ニコン)は三菱鉛筆が鉛筆を切断する際、より高速に
切断できるように非接触で長さを測れる測距儀を製作したのが始まりである。
三菱地所は、三菱鉛筆が将来の事業拡張に備えて確保して
おいた用地を自社で使う予定が変更になったため、ビルを
建設して賃貸に出し利益を上げようと設立した三菱鉛筆不動産部が発展したものだ。
また,三菱鉛筆は、早い段階から社員の福利厚生にも注力
していたが、特に力を入れていたのが社員の家庭を守る
ための生命保険制度で、この三菱鉛筆独特の生命保険制度が
今日の明治生命保険の母体となっていることは周知の事実であろう。
ある年の冬に倉庫が全焼して鉛筆10万本も焼失した。これを契機に損害保険業務子会社をつくり後に東京海上となった
三菱製紙は鉛筆製造時に発生する木屑を有効利用する事業として始まった。
三菱樹脂はシャープペンの芯に混ぜ込む樹脂の研究チームが独立した。
三菱マテリアル(旧三菱金属)はボールペンや消しゴム付き鉛筆に使う金属素材の調達部署であった。
三菱化学は鉛筆装着用消しをゴム開発することからスタートした。
麒麟ビールは鉛筆の芯に使用する黒鉛を製造する際の熱源として
当時使われていた麦わらの麦の有効利用のため創業された。
- 66 :
- >>65
ニコンとビールの説明が秀逸
- 67 :11/09/11
- 日本ではなくドイツだが、バイエルアスピリンは
第一次大戦以来相当に苦労したらしいな。
商標権やらなんやら他国に賠償名目で奪われ、やっとの思いで
買い上げ回収したとか。
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