2011年10月1期鉄道(海外)植民地の鉄道
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植民地の鉄道
1 :11/10/16 〜 最終レス :11/11/27 植民地に敷設した鉄道について。 フランスの海外県などの話題もOKということで。
2 : 1z モザンビークのガーラットとかね。
3 : サンファンの地下鉄とか?
4 : 台湾がそうだね。
5 : 蘭領東インドとかな
6 : 近代化されきったイスラエル鉄道(本線のみ)とかな。
7 : 仏領インドシナとか
8 : 昔のインドとかパキスタンもかな
9 : 近くて忘れがちなのは香港
10 : 英領インドが広軌を採ったということは、日本のケープゲージは 諸外国が、日本を植民地並みに見做していたという説に反するな。
11 : 英領インドが広軌を採った理由。 1、何も前提条件が無ければ標軌より広軌の方が輸送効率が高く有利である。 標軌が有利なのは欧州全体に広まってる言う事のみであり、欧州直通の展望が無いインドでは有利さがない。 2、インドは台風が強烈という考えがあり、強風に対しては広軌が有利。 まぁ、インドも広軌は金がかかり過ぎるので、この後メーターゲージ推進に方針転換するのだが。
12 : 植民地並に見なしてたのはその通りでは?不平等条約押し付けまくってたわけで、
13 : どうも。 そういえば、日本に狭軌を薦めたのは、資金の負担能力を 心配されたからだと、どこかで聞いたような気もします。
14 : モロッコとチュニジアの鉄道はフランスみたいに近代化されてるけど、あそこも植民地だったのかな
15 : 機関車発明以後も、狭軌鉄道は馬で引かなければ採算が合わない、と考えられていたのだが、 1865年に英国Ffestiniog鉄道(約2ft.ゲージ)が機関車の運行に成功してから、 狭軌動力鉄道が注目され始めた。 南アフリカ、1874年、1435mm→1067mmに改軌開始 米国コロラド、1870年頃、915mmの大鉄道網建設開始 インド、年忘れ、1676mm→1000mmで新線を建設 こういう情勢もあり日本の鉄道の狭軌選択と相成った。 勿論今と違って、超貧乏国と言う事もあった。
16 : >>14 ともに1956年にフランスから独立。
17 : モロッコとチュニジアは知らないが、 フランス本国のPLM鉄道はアルジェリアのPLM線も経営していて、 http://trains-worldexpresses.com/800/816.htm http://enginemanwook.files.wordpress.com/2010/09/plm-algeria-garratt-231-132bt1-societe-franco-belge-raismes-france-2697-1936-g-hamilton-collection-0909102.jpg ↑は1937年製、大型高速ガーラット(動輪径1800mmφ)。 ベルギーで作られた後、フランス本国でテストされ最後にパリ→カレー平均100km/hで走ってる(多分途中給水8分は計算外)。 他にアルジェは現地設計のRobert式100%水管ボイラー機などで有名。 私見ですが、植民地は独立国より必ず劣ると言うのは正しくないです。 植民地の機関車はソコイラの二流独立国や機関車自作国より先進的な機関車を持ってました。 南アフリカ、その他、然り。
18 : 英国の機関車技師は優秀な人がかなり植民地等後進国に出て仕事してる。 思いつきで言うと 1、トレビシック(孫その1)、エジプトで機関車の予熱器の研究で有名 2、トレビシック(孫その2,3)、兄弟で日本に来て機関車国産化に貢献(日本では有名) 3、アダムス、似たような兄弟がいて区別つかないが、一人が日本でも仕事 4、Feirlie、関節機で有名。一時だがインド経験 5、Garratt(1864-)、南米ドサ回り経験大、関節機特許で有名 6、Deuhurst、南米専門、蒸気機関車終了後機関車史研究 7、Kenneth Cantley、支那向け4-8-4設計 彼らの環境は以下だろうか? 1、本国で技師のポストが得られない 2、本国の技師は経営者との軋轢もある 3、植民地なら、思う存分納得のいく仕事が出来る 4、植民地の給料は良い 5、植民地は契約年数終わった後、他の鉄道会社がその手腕を評価してくれるか否かは不確か 6、植民地は医療環境も悪く(手術とか危険)、風土病なども不安 英国以外は知らない。 シャプロンが1950年代、南米でドサ回りしたのは、広い意味ならこれに含まれるかも知れない。 彼がフランス国鉄に残ったら、ディゼル機の仕事あたり以外なかったろう。
19 : チュニジアの1435mmゲージ幹線蒸気機関車は第一次大戦後は Société alsacienne製が多かった 1000mmゲージ機関車は数多く書ききれない。フランス製が多い。 1943年頃Alco製2-8-2が20両入ってるが、これってマッカーサー型じゃなかろうか http://www.derbysulzers.com/tunisia.html ↑はSulzerディゼル
20 : チュニジアは1876年〜1880年に最初の鉄道建設。 1927年の資料では 標準軌、317mile、1000mm軌、948mile、計1265mile. 鉄道経営は2社 1、Compagnie Fermiere des Chemin de Fer Tunisiens 2、Cie de Phosphate et du Chemin de Fer de Gafsa 1、は所有機関車、214台(内1/3が標準軌)。 標準軌は西のアルジェリアの鉄道と連絡。 2、は1885年発見の燐酸鉱を港に積み出すための砂漠横断鉄道。 所有機関車、83台。 将来イタリア領リビアへの連絡を意図してた(連絡完成したかは不明)。 既に書いたズルツァーHPに拠るならば、1000mm軌、270mile.
21 : チュニス機関車 https://lh6.googleusercontent.com/-mvA6woXFFUc/Tsz6Q3X-XXI/AAAAAAAAKWc/xZdTGkPhVZU/s800/img918.jpg Société Alsacienne de Constructions社Belford工場1904年製。 Sfax-Gafsa鉄道向け、1000mmゲージ 製造番号、5458-5463 気筒、431mmφ×558mm 動輪径、1100mmφ 動輪軸距離、3533mm 総軸距離、5433mm 缶中心高さ、2100mm 缶圧、12kg/cu 鉄道会社機関車番号、21-26 そろそろ別な話題へ
22 :11/11/27 本格的鉄道でなく、モノレールだが、 アルジェリアには紙の原料に使う葦の大規模農園があって、その現場管理にはドコービル式簡易線路が使われていた。 しかしこの線路は砂嵐に見舞われると簡単に埋まってしまい、農作業が出来ない。 フランス人農業技師Lartigue氏は http://cnum.cnam.fr/CGI/fpage.cgi?4KY28.22/0024/100/448/0/0 ↑の簡易モノレールを発明した。動かすのは人力か畜力。 Lartigue氏はこのモノレールを推進し、動力モノレールとして欧州一般に売り込んだ。機関車関係の協力者は複式機関車で有名なマレー氏。 1888年にLartigue Railway Construction Company が英国で敷設した The Listowel & Ballybunion Railwayは蒸気動力モノレールで唯一採算が取れた例。 Lartigue氏が死んだ後、Lartigue式は電気運転高速モノレールを目指し、20世紀初めベルギー博覧会で100km/hの運転を見せた。 跨座式モノレールの元祖と言われる物は他にもいくつかあるが、 Lartigue式は戦前最も発展したものであり、そのルーツはアルジェリア。
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