2011年10月1期鉄道懐かし変身列車
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國鐡廣島
今時のリバイバル列車に物申す!
L特急
北海道の引退した車両、愛称名などを語るスレ
変身列車
- 1 :08/09/11 〜 最終レス :11/11/12
- 今では殆ど整理された種別が変わる列車たちを語ろう。
- 2 :
- 懐かしなので一応、今では過去の列車ででお願いします。
ルールは特に定めませんがイレギュラー色があるものがスレ的に盛り上がると思います。
- 3 :
- 165系急行「わたらせ」くずれの両毛線の普通列車。
グリーン車は開放ではなかった。
う〜んちょっとオモロみに欠けるなぁ
- 4 :
- 一番有名なのは大雪くずれ1527レか。
- 5 :
- 14系「だいせん」崩れの大社線の各駅停車ってのもあったよな
- 6 :
- >>3
「わたらせ」崩れの朝の上りは普通列車区間定期券乗車不可の列車だったから
希少価値あるぞ。
寝台がついたままの「崩れ」列車は
「大雪」「だいせん」「出雲3号」あたりが有名でしょう
- 7 :
- 急行「ときわ」の上りで面白い列車あった。
平〜水戸間普通列車
水戸〜上野が急行「ときわ」というのだが,平〜水戸間も枠付ハザ営業というのがあった。
実は以前はハザ部分は普通のハだったのだが・・・どうもハザになったのは次のような事情があるみたい。
種相談室にある話が舞い込んできた。
件の列車の平〜水戸間にハザ予定車両は平発車時点で「指定席」の表示あり
これはおかしいじゃないか!!というもの。
記事によれば種氏が水戸局に問い合わせて「水戸で3分しか停車しないので
平から表示しないと無理だ」という回答があって,誌面で
それならば@平〜水戸間は締め切りA平〜水戸間もハザ営業すべきという意見を
していた。
それからしばらくして普通列車部分も枠付ハザになった。
- 8 :
- 「やくも」の末端部分(島根県側)が普通列車として運行されてたな。
特急区間だけ乗る場合も普通区間だけ乗る場合もグリーン車に乗ればグリーン料金はかかるが、
両区間にまたがってグリーン車を利用する場合のグリーン料金は
特急区間だけでよいという特例の、まさに見本のような存在だった。
- 9 :
- 田園都市線では毎日走ってますが
- 10 :
- 山陰は変身列車の宝庫だったな・・・
>>8の「やくも」を筆頭に、「あさしお」の米子〜鳥取間快速とかDC「だいせん」の米子〜浜田間快速、
「丹波」の福知山〜豊岡間普通、「さんべ」の米子〜鳥取間普通・・・
山陰本線は今ほど普通列車が本数なかったから、特急や急行の末端を普通列車にして本数を稼いで
いたんだろうけど。
臨時「北近畿」の普通列車区間に萌えてBグリーン券買って乗った工房時代。ガラガラのグリーン室に
入って席でマターリしてたら車掌が飛んできた。漏れのきっぷ見て納得していったけど「この区間だけ
グリーンに乗られる方は珍しいので・・・」と。
東京口あたりではフツーのきっぷでも、地方じゃ「珍品」扱いwwww
- 11 :
- ガラガラのグリーンといえば、はまかぜですねw
これは現役だけど、車両がキテますよ
新造するのだろうか
国鉄時代を感じることができるグリーン車って、はまかぜぐらいかな?
- 12 :
- 新津〜新潟間が快速となる急行「きたぐに」は今となっては貴重な存在だな。
- 13 :
- 小田急に新松田行き急行、新松田から各駅停車小田原行きという
のがあってわかりにくかったのも懐かしいが、
それがなき後は新松田〜小田原間通過と停車の急行が生まれて
(今はなくなった)東武伊勢崎線のA準急・B準急の区分みたいに
慣れない人には、よりわかりにくくなったまま現在に至っている。
- 14 :
- >>9
つ金沢文庫
…北近畿タンゴ鉄道の久美浜で快速に(から)変身するタンゴディスカバリー
- 15 :
- 変身列車とは微妙に違うかな?
大阪発浜田・大社行急行「だいせん1号」に乗ると、米子から自由席2両を併結。
そちらに乗り換えれば、浜田以西は急行「ながと」米子発長門市行。
- 16 :
- 長門有希
- 17 :
- 四半世紀以上前の年末年始及び旧盆の帰省時期の奥羽線の臨時夜行急行『おが』。
福島だの米沢、山形あたりまでは、臨時急行のスジだけどその先は、既存の鈍行のスジだったと記憶してるのだが‥
- 18 :
- きのくにやサハ4801使用の南紀直通列車は南海線内は特急扱いで南海線内だけの利用もできた。
ただし、きのくには指定料金が必要だった。
- 19 :
- >>17
漏れは知っているぞ。
急行「つくばね」上野=勝田(結城まで普通)
確か上りだけだったが、結城で真岡線直通に接続して先発させた上で、
連絡線を通り上野に。
- 20 :
- 20
- 21 :
- 特急が「崩れる」ようになったのは
新特急「草津」が最初だっけかな
- 22 :
- >>19
43・10以前のキハ58系時代は上野〜水戸・茂木間(下館まで併結)だった。
(小山まで“わたらせ”も併結していたから実態は3層建て)
- 23 :
- 函館‐網走間503-504レ
札幌‐北見間だけ「準急」。
名古屋‐高山‐富山‐高岡の準急(後急行)「ひだ」が高岡駐泊の間に
翌朝城端線で一往復アルバイト。
- 24 :
- 昭和50年代の話。東京からの夜行が大垣終着の後、
そのまま大垣→垂井、垂井→名古屋の普通列車の運用に入っていた。
(名古屋到着後大垣へ回送、休日運休)
大垣→垂井、垂井→名古屋はグリーン車開放だったので、
当時、大垣→名古屋を毎朝グリーン車両で快適通勤をしていたのだが、
昭和59年2月1日の改正で大垣→垂井、垂井→名古屋が113系に置き換えられ
グリーン車両での通勤ができなくなってしまい、
2月1日の朝、それはそれはショックだったことを覚えている。
- 25 :
- 種別変更ではないが、京成はよく高砂で車両交換をやっていた。上りの一号線直通の急行が多かったみたい。北総が開通して高砂駅もタイトになったからもうやってないかな…津田沼で車両交換もあったな。
スレチ失礼Byカレチ
- 26 :
- >>25
俺は京急・京王・阪神でソーグー。今もやってるかは知らん。
社によっては乗務員仕業表に車両交換のマークがあった。
各停好きな偏屈ヲタには、一種迷惑な存在。
とはいえ梅田から三宮まで普通乗り続けるヤツは通常ならまず居まい。
- 27 :
- >>11
急行能登の489系
グリーン車原形座席
小テーブルと肘カバー
- 28 :
- 急行「みやざき(のちに「日南」に改称)」の末端区間。宮崎〜西鹿児島の普通列車。
この区間ではなぜか急行サボと愛称サボが上下逆さまに差してあった。
普通だったら「宮崎〜西鹿児島は普通」とか表示するんだが、サボそのものは一般的な
愛称(または急行)表記と英語表記だけだった。
また、時刻表では寝台車は宮崎で解結になってるが実際には西鹿児島まで連結した
ままだった。
宮崎以北の寝台券を持っていれば寝台に乗車出来てたから意味不明。
20系+12系になって指定席のスハフと寝台は宮崎で解結するようになったが、しばらく
したら又西鹿児島まで行くようになった。
- 29 :
- 昔は地方のローカル列車で場違いな「M」とあればほぼ急行間合い使用。
ロ表示なければたいがいグ開。
- 30 :
- スレの趣旨とは違うんだが、92年の8月下旬頃に、
普段は113系の総武本線普通列車が、
何故か何本か165系(か169系?)で運転されてたことがあった。
夏期講習の帰りが楽しみだった。
- 31 :
- 昔国鉄で急行、準急、急行と化ける列車があった。
- 32 :
- すいごう。あやめに吸収されて沈没。
- 33 :
- 国鉄時代の急行くまがわの1往復が快速〜急行〜普通に変身する列車でしたよね。
- 34 :
- あずさ・信濃大町〜南小谷普通化
結構あったが、今や大糸線乗り入れそのものが絶滅種
- 35 :
- 禾重木寸氏の著書「鉄道旅行術」(JTB 1980.7改訂版)より
仙台発1926D
福島から3両増結して916D(急いなわしろ4号+急いわき6号)
郡山で分割、いわき6号は平経由で終点水戸へ、いなわしろ4号は会津若松方へ
会津若松で3分割、喜多方行と会津川口行(季節運転で只見まで延長)、会津田島行
- 36 :
- >>34
・信濃大町〜南小谷間「快速」(これがよくあったパターン)
・信濃大町〜南小谷間「普通」(下り1本)
・松本〜信濃大町間「快速」、信濃大町〜南小谷間「普通」(上記パターンからの変更。信濃大町以北は時期によって運転)
・松本〜南小谷間「快速」(最後まであったパターン。白馬行きだった時も。松本までは毎日運転で松本以北は臨時)
というパターンがあったようだな。
E351系に置き換えられた列車は全区間特急に戻された。
- 37 :
- >>33
普通〜急行(夜行)〜普通の大雪6号(上下共に)
- 38 :
- >>19
電車化されてからは、上りは真岡線発小山行きを先行させて、結城で抜いてた。
- 39 :
- 80系準急「軽井沢」と115系急行「なすの」
なんと途中からバスに変身する列車だ。
- 40 :
- 末期の士幌線もバスに変身していたな。
- 41 :
- 急行「なぎさ」急行「みさき」は
館山〜勝浦間のみ普通。
よって急行→普通→急行と変身したな。
>>35
その逆バージョンは
只見発と会津田島発が西若松で併結→喜多方発と会津若松で併結→水戸発と郡山で併結
- 42 :
- 昔の急行「山陽」
南岩国から岩国まで一駅だけ普通列車。
そのあとは岡山まで何事もなかったように急行。
末期の急行「白兎」
出雲市発車時点では「普通」
米子発車時点では「快速」
鳥取発車時点で「急行」
- 43 :
- 岩国発米子行き。
広島まで山陽本線普通列車、広島から急行「ちどり4号」
山陰本線と言えば、益田発米子行き急行「石見」。
米子から急行「伯耆2号」大阪行き。
- 44 :
- >>40
バスから程なくタクシーになったようだ。
- 45 :
- >>44
それさえ今は無くされたんですよね。
地元はレールで残したがるわけですよね。
- 46 :
- >>45
今は都市間バスがついでに1日2本経由便あるらしいけど殆ど利用客いないみたいよ
- 47 :
- 最近は羽越本線に乗っていると、いきなり列車を止められてバス代行されてしまうケースが多いな。
今日も全くダメでバス代行に“変身”した列車がいくつもあったようだし。
>>46
そのバス(帯広−旭川)に乗ったことあるけど、ガラガラという程ではなかった。
糠平を出て、旧十勝三股駅のあった場所を探した覚えがあるけど、何かガランとした空地になっていたという
印象しか残っていない。
- 48 :
- 急行 立山
富山から糸魚川行きは快速になるが、
富山地鉄乗り入れの3両は特急に変わる。
その上宇奈月温泉発着の場合は、魚津に両方の列車が停車。
- 49 :
- ここまででていないのが不思議。
東京発知井宮行「出雲3号」出雲市〜知井宮間普通列車
- 50 :
- 昭和の名鉄は変身列車の宝庫。朝の列車は特に変身が多かった。
鳴海で7時過ぎに待ってると、
伊奈発新岐阜行き準急。神宮前から高速
吉良吉田発新鵜沼行き。知立から急行、神宮前から高速
東岡崎発犬山経由新岐阜行き。神宮前から急行、犬山から普通
っていうのが続けて発車していってた。
- 51 :
- 今の京急。上りの場合。下りはこの逆。
浦賀・新逗子→金沢文庫…普通
↓
金沢文庫→京急川崎…快特
↓
京急川崎→羽田空港…特急
これが平日の日中、土曜・休日のほぼ終日あるのだから凄いと思わない?
- 52 :
- >>21
183が館山―安房鴨川で走ったのが最初。
>>51
特急に化ける800
「変身」ではないが、「ニセコ」の14系も札幌=手稲間各停間合いがあった。
- 53 :
- >>28
オレ西鹿児島から小倉まで「日南4号」に乗ったけど(たぶん1981〜2年頃)、宮崎までは
「寝台車は連結してるけど真っ暗で使用不可」な運用だったよ。座席は12系で寝台は20系だったな。
他のスレで、電源車を宮崎で連結するからという説明を聞いた記憶があるが、そうだとして、
寝台車を宮崎に留置しない理由は何だろうね。
- 54 :
- >>53
その当時の20系は12系との併結改造済だったので「電源車を宮崎で」はありえない。
宮崎で寝台を分割併合しない理由は分からないけど、ジャンパ栓がややこしかったとかw
- 55 :
- 南海の「きのくに」は、難波〜和歌山市は特急、和歌山市〜白浜・新宮は急行だった。
客レが直通してた頃は、難波〜和歌山市は特急、和歌山市〜新宮は普通列車だった。
- 56 :
- >>53同じ頃・・・82年夏に乗ってるわ。
20時近くに鹿児島を発って宮崎を出る22時くらいから寝台車に移れるようになるまで施錠されてた。
子供時分だったが車掌が「通勤客に寝台を使わせないようにしている」
っておやじに説明していたのを覚えている。
普段名鉄車の椅子に乗りなれてたから12系の直角椅子に夜遅くまで座らされているのが辛くて辛くて。
乗り移った20系の寝台幅なんか気にならんくらいよう寝た。
- 57 :
- >55
戦前の黒潮も南海・阪和両線内では特急で省線に入ると快速だったような気がする。
- 58 :
- >>183の安房鴨川〜館山は特急用車両を単純に「普通列車」として運転だよな。
そうじゃなくて「特急列車」が途中から「普通列車」に化ける例の最初は
新特急「草津」あたりかなと思ったのです。
- 59 :
- >>58
その前に「ライラック」があるな。
- 60 :
- ライラックの東室蘭〜室蘭間普通列車化と
新特急草津が運転され一部吾妻線内普通列車になったのは実は同時期(1985年3月)
それ以前に特急列車が途中から普通列車になった例はなかったはず。
- 61 :
- 京王は最近増えてる。
準特急北野行き→北野から各停高尾山口行き
快速調布行き→調布から急行橋本行き
- 62 :
- 最近の話じゃこの板に合わないネタか…
しかし今更増えてるもんな。
- 63 :
- 大阪まで新快速、大阪から快速の高槻行き
震災後いつだったか、ジャーナルのレポートに載ってた。
- 64 :
- >>58-60
>ライラックの東室蘭〜室蘭間普通列車化と
>新特急草津が運転され一部吾妻線内普通列車になったのは実は同時期(1985年3月)
>それ以前に特急列車が途中から普通列車になった例はなかったはず。
特急が途中から普通列車になるのは1982年11月が最初だよ
急行草津を格上げした特急白根の1往復が吾妻線内で普通列車(快速)として運転
同じく急行ゆけむりを格上げした谷川の下り最終が新前橋〜水上を普通列車として運転
当時は急行の特急格上げが進んでいたし、185系が間合いに普通列車として使われる
ようになっていたから、いずれは特急から普通への変身列車が出てくるなと思っていたが
実際に時刻表を見たときは、ちょっと感慨深いものがあったわ
- 65 :
- >>64
>「谷川」7号は新前橋ではなく、高崎〜水上を普通列車として運転
この列車だけ高崎で「あかぎ」3号と分割
1982年11月登場の185系特急(谷川・白根はL特急/あかぎは特急)
L特急白根7号・特急あかぎ1号
白根7号/渋川〜万座・鹿沢口間快速列車
あかぎ1号/谷川7号橋〜桐生間普通列車
特急あかぎ3号・L特急谷川7号
谷川7号/高崎〜水上普通列車
あかぎ3号は終点前橋まで特急(高崎は元谷川の普通が先発)
- 66 :
- 訂正です
×あかぎ1号/谷川7号橋〜桐生間普通列車
○あかぎ1号/前橋〜桐生間普通列車
失礼しました。
- 67 :
- >>47
糠平温泉は最近人気上昇中みたいですね。
- 68 :
- S57年頃
浜松〜静岡間普通→静岡から急行「東海4号(東京行き)」
ってのがあった。
修学旅行帰りの新幹線で浜松の車窓から
165系12連を見たときはびっくりした。
- 69 :
- 485系くろしお
末端区間で普通列車になるやつがあったはず。
- 70 :
- 急行志賀・長電内は特急。
反則気味だが上野発の列車が末端区間で格上げという。
- 71 :
- 1965(昭和40)年10月改正までの急行「まりも」。
函館〜札幌間は昼行、札幌〜釧路間は夜行と札幌を境に性格が大きく異なる。
ちなみに食堂車のマシ35形は函館から釧路まで直通した。
10月改正で昼行区間が「ていね」(43・10以降はニセコ)に分離。
- 72 :
- 昼行と夜行の役割が変身というケースなら、大阪〜青森の頃の「きたぐに」も同じかな
あと「津軽」なんかも
- 73 :
- 昼行と夜行の境はなぁ…。
それを言ったら(死語となったが)九州ブルトレの殆どが末端では昼行特急だったぞ。
いわゆる「昼寝」だ。
今だって北斗星は函館以降「昼寝」需要がある。
富士なんか西鹿児島行き時代、後半は実質昼行特急だった。
- 74 :
- 水郡線急行「奥久慈」
上野〜水戸はDC「ときわ」に併結。水郡線内は普通。
「だったら別に『奥久慈』とか名乗んてもいかっぺw
なんか『「ときわ」の付属で水戸がら水郡線に入ります』とかでいがっぺよww」とか思ってた茨城っ子時代。
- 75 :
- このスレで良いのかな・・・?
大雪崩れのC58は割と有名だけど、
崩れる前の大雪はDD51辺りが牽引してたの?
- 76 :
- 水戸線急行「つくばね」も水戸線内は普通だったんだよなあ
- 77 :
- >>75
どっかのサイトで大雪を牽くD51という記述だか写真だかを見た様な気がする
- 78 :
-
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
- 79 :
- ここまで名鉄線内は特急だった、急行時代の「北アルプス」が出てこないとは。
本数はともかく、有名列車で有名車両だから見落とし?
特急時代は富山地鉄まで乗り入れて、間合いで地鉄線内のアルペン特急も
こなしてた。
- 80 :
- >>79
ずっと特急やん。
- 81 :
- >>79
>特急時代は富山地鉄まで乗り入れて、間合いで地鉄線内のアルペン特急も
>こなしてた。
いや、北アルプス号になった時から夏期の地鉄乗り入れ開始
名鉄線特急-高山線急行-地鉄線特急の変身列車
>>80
>ずっと特急やん。
70.7.〜76.9.迄は急行 北アルプス
66.3.〜70.7.迄は急行 たかやま
65.8.〜66.3.迄は準急 たかやま
名鉄線特急-高山線準急の変身列車だった時代もある
後にたかやま号の列車名は後に大阪発の高山線急行に転用
- 82 :
- いつだかの鉄ピクに載ってたが
急行アカシヤ
函館〜小樽:急行
小樽〜旭川:準急
小樽〜旭川間に収まる利用に限り、準急料金
函館〜小樽間に少しでもかかれば、全区間急行料金
だったはず…
- 83 :
- 急行日南。
門司港〜宮崎 急行
宮崎〜西鹿児島 普通
20系時代寝台は急行区間のみ、末期は全区間連結。
- 84 :
- >>71
確か釧路〜根室が普通列車だったはず・・・
- 85 :
- 常磐線急行ときわ廃止前あたりの、上野発9時頃の相馬行急行ときわ。
相馬到着後、原ノ町まで回送。その後、仙台行の普通列車(グリーン車は有料)。
仙台到着後(一旦、操車場行きだったかな?)、仙台発17時半頃の急行ときわ上野行。
上野には23時頃到着。
- 86 :
- 今だ変身だ
バトル魔法少女〜
- 87 :
- 小田急〜御殿場線のあさぎりとかも該当するかね?
- 88 :
- 南海高野線の急行
河内長野〜極楽橋間は各駅停車
- 89 :
- かつての急行『丹後』の敦賀編成。
西舞鶴までは城崎編成と連結していながら、お隣の東舞鶴までが急行列車なのに
その先から敦賀まではずっと普通列車仕様。
「ははん、さては…」と思って、始発の京都駅からの運賃換算表をチェックしてみたら、「やっぱり!」。
その1駅間の僅かな距離を急行としておくことで、西舞鶴より数百円分の急行料金が上乗せ出来るという微妙な営業キロ数となることを発見。
国鉄さんも、結構セコい。
- 90 :
- 末期の急行みよし1・6号は三次〜落合が普通にだったな
国鉄的なやつはこれが最後かもね
- 91 :
- >>88
しかし、種別は急行のままですが何か?
- 92 :
- >>89補足。
始発の京都駅を出た直後、京都-亀岡間においては紺の制服の
いかにも「優等列車の車掌さん」という身なりの人が検札に来たが、
小浜線は藤井駅を発車した直後に、今度は別の車掌さんが検札に来た。
こちらの車掌さんの制服、青色の夏用制服で、いかにもローカル列車の車掌さんという風貌だった。
同じ列車の、同じ座席に座っていたにも拘わらず、始発直後と終点間際では
車内の雰囲気も乗客の服装までも激変していることに、
この2度目の検札が来たときに気付かされて、ちょっとした驚きだったww
- 93 :
- >>73
超亀
伝統の函館発4時代の札幌行きを受け継いだ北斗星ヒルネも今は昔。
いかんせん開放寝台1両ではねえ。
ハザを増結した時期もあったのだが。
まりもが最期の頃、
夏は根室まで延長していたけど、
あれって普通列車を運休させてそのスジで快速運転していたね。
- 94 :
- あげ
- 95 :
- めちゃくちゃ亀レス
>>43
たしか、松江から米子まで普通列車じゃなかったかな?
1本後のちどり6号岩国発鳥取行き。
岩国から普通。広島から急行。松江から普通。米子から快速。
急行「あきよし」天ヶ瀬発浜田行き。
天ヶ瀬から普通。日田から急行。益田から普通。
急行「あきよし」江津発天ケ瀬行き。
江津から普通。益田から急行。日田から普通。
- 96 :
- 京浜東北線の快速電車は、南行は浜松町から各駅停車になる。
- 97 :11/11/12
- トランスフォーマーに鉄道Ver.があった
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