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まさに神話の世界だった、別府鉄道を語ろう


1 :08/09/21 〜 最終レス :11/11/27
大阪や神戸から程近い場所とは思えないような
ローカルムードに溢れていた
別府鉄道について、思い出などを語ろう!!

2 :
2番取れました(^o^)/

3 :
有名な温泉地の「べっぷ」でなくて「べふ」
多木化学の専用鉄道と言っても良い存在だね
国鉄との接続駅土山も小さな駅だがもう一方の接続駅野口もえらいひなびた駅だったなあ
一度乗りに行ったが土山線の客車はまるで明治村にあるような客車をつないだ混合列車
客は俺と同行の友人のみでした
窓の木枠が腐ってボロボロだったのが印象にあるな

4 :
乗車体験は他スレに書いたから割愛するけど
あのニ軸客車が保存されるとは思わなかった。
でも細部は復元されてない。
別府鉄道のマークは、多木化学と同じだったね。

5 :
別府駅の近くの公園に置いてあったキハ100って、
解体されたんだよね。

6 :
確かに神話というか夢の世界
1980年台でも残って乗車できたことが奇跡としか言い様が無い
2軸客車もそうですが、野口線の41000も同じく今昭和30年代?といいたくなるような状況でした

7 :
高砂線も飾磨港線もないもんね

8 :
>>7
飾磨港線(正確には播但線の末端)は、別府鉄道とは関係ナクネ?

9 :
別府鉄道は、基本的には多木化学の出荷専用線であって
旅客輸送は「地域還元・貢献事業」として行っていただけだし、
逆にそういう形態だったからこその車両状況だったんだろね。
旅客需要があれば、少なくともあんな酷い接客サービスで
利用者が納得できる訳もなく、最低限の車両更新はしただろう。
それにしても末期の軽便以下の布陣だもんなぁ>土山線

10 :
高砂線の時間が悪くて土山線を優先にして野口にはいかなかったのが残念。
バケットカー、別府鉄道では本来の用途では使わなかったろうけど
戦後とかの混乱期に中の荷物が持っていかれたりとかはなかったのだろうか。

11 :
信じられないだろうがピクトリアルに2号蒸気+ハフ6+ハフ5+ハフ3+ハフ1+
キハ3+キハ1+キハ2という海水浴臨時列車の写真がある
別府海岸は遠浅で海水浴、潮干狩りでにぎわったそうな

12 :
もし、今でも残ってたら
究極の保存鉄道になってたかも・・・。
ま、無理か。

13 :
16輌編成の0系ひかりが轟音上げて背後を通過する中、
客も音もなく土山からの客レが止まる姿を山陽のホームから
見ていたよ。

14 :
117系シティライナーの新快速が疾駆する傍らで
来る筈の無い客を待ち続けるオープンデッキの2軸客車。
その時代的に隔絶された空間を見てみたかったな。

15 :
ひとりじゃなく、鉄研団体でしか行った事ないのが悔やまれる orz
あれは、もっとのんびり見たかった&見ておくべき物だったよなあ。

16 :
廃線跡(松風こみち、だったかな?)の整備費が、物凄い金額だったそうな。
それだけの金があれば、鉄道が維持出来たんじゃないの?
と当時は揶揄されてたな。

17 :
>>14
時代のアンバランスの極限です。
オープンデッキのハフ7の乗り心地は、遅い割に異常に悪い。
座席も木造ベンチと記憶で、絶え間ない震動が座っていて下半身から伝わってくる。
台車と線路の問題?
3月でしたけど、もちろんデッキにも立ってみました。
別府港⇒土山は貨車なしで乗車。
その折り返しは土山から少しはなれて構えていたら混合列車で、構図見直しで慌てました。

18 :
廃止がとり立たされる以前のこと。
土山駅の国鉄出札口で恐る恐る「別府港まで」と言ってみたら、
立派な別鉄硬券があっさり出てきてほっとした。

19 :
>>17
乗り心地もひどかったけど、貨車の連結の仕方も荒っぽかったな。
乗り終えて車内で余韻に浸っていたら、いきなりガッシャーンとやられて、
椅子から床に転げ落ちたのも、今となっては良い思い出だよ。
ハフ7は、毎日あの衝撃に耐えていたんだよな。

20 :
初めて訪問した時、野口から別府港まで乗ったが、野口駅で待っていたのは
元国鉄→片上のキハ100。
バスケット付きのキハ2か3を期待していただけにがっかりしたけど、
今振り返るとキハ100でも貴重な乗車体験だった。

21 :
そういえば、終点の別府港から先に延長する話があったっと地元の人から聞きました。なんでも工業地帯か製鉄所の方面だとか・・・。途中にあった川重のタンクは甲種してたのかは誰かしりませんか?

22 :
>>18
A型の青い硬券だったような覚えが。
車庫も見学させて貰えたな。
ダブルルーフ二軸客車と機械式気動車は貴重だったが、加古川のキハユニ15も珍しかった。

23 :
別別坂円藤野
府府  長原
港口井寺前口
●−−−−●特急
●●−−−●快急
●●−●−●急行
●−−●●●通急
●●●●−●準急

24 :
ハフ7は、大正末期につくられた木造二軸客車という点でも珍しい。

25 :
>>20
ちょっとズレますが、加悦でキハ08を期待していたのに、2度行って二度ともバケットカーが来てがっかり
超贅沢かもしれませんが、こんなこともありました
野口線は41000だけですね
ここと筑波鉄道で乗車できましたけどこれも十分すぎるほど貴重
>>22
加古川のキハユニ15ですね
3/6/9がいて、一段窓初期型の3、二次バス窓の9、そして赤坊主の6がいて全部貴重
全部正面が未改造で湘南スタイルでしたけど、赤坊主は大糸線の81の海坊主とともに異様な姿で強烈な印象がありました

26 :
>>25
そうですか。俺は加悦でも乗車したのはキハ08でバスケットカーには
乗れませんでした。

27 :
>>26
どうも極端に期待すると、何故か外れたりするものなのでしょうかねw
バケットカーは、当時他でも乗車可能でしたでしょうか?
筑波鉄道に行ったのはもう少し前ですが、往時41000で復時がバケットカーであったような記憶があるのですがどうもハッキリしません
バケットカーに荷物があったりする貴重な機会は、当時でも稀だったと思います

28 :
>>27
昭和52年に廃止された尾小屋、昭和47年に部分廃止された下津井電鉄(確かに
部分廃止までバスケットカーは走っていた)、玉野市営、昭和46年に廃止された井笠鉄道で
走っていた。

29 :
最新型の旅客車両が41000だなんて…、片上じゃこれが来ればラッキーだったのに…。

30 :
確か廃止の数日前の1月だったか2月には
雪が積もりましたな。
積雪のため駅なのか大きな踏切なのかよくわからんような構内でした。
あの時撮った写真はどこにおいたか忘れてしまいました。

31 :
>>17
「そらまあ、乗り物は一つも変わってへんでなあ。ゴットンゴットンゴットンとね。
乗り心地悪いですわ、ホホ。ガタンゴトンでしょ。」
と割烹着のおばちゃん。

32 :
>>30
確か最終日が大雪じゃなかった?
まあ平成生まれのおいらが聞いた話だから確証は無いがw

33 :
>>30
廃止当日も大雪だったさ。
山陽本線のダイヤが乱れてて、土山〜加古川間の移動に予想外に時間を食った。

34 :
廃止日と同じ日、
形式写真の巨匠、西尾克三郎氏がったんだよな。

35 :
現役当時でも、山陽別府駅とマンハイムあたりまでのの歩道状態だったな。
踏切通過のたびにタイフォン鳴らしていたのが夏菓子。

36 :
別府港の貨物の入れ替えが凄かった。
踏み切り番?が遮断機を手で直接持っていて、貨車の入れ替えの合間をみて
すばやく遮断機を上げ、人や車を通して、すばやく遮断機を下ろし、貨車を通す。
神業というかなんと言うか・・・

37 :
>>35
道路の交通量がおおいからだろけど、踏切はよく整備されてたなーとオモタ。

38 :
>マンハイム
そーいや目の前に平屋だけど床面積の大きいジャスコ別府店があったな。
別府駅跡にできたヨーカ堂に客を奪われたけど。

39 :
貨物列車に1両だけもうしわけ程度につながれていた客車をみた時にはビックリした。

40 :
廃止直前に乗りにいこうとして行く道中に突然行き先を野鉄に変更して結局乗り損ねた当時消防の漏れが来ますたよ

41 :
>>39
客車と言うより車掌車だよな

42 :
末期に本を売ってたよな。
買ったら別府港の車票モロタ。

43 :
最終日、別府港って記載のある車票の裏に
「雪により運休」って殴り書きしたやつ
が改札の所に置いてあった。
後日別府港駅にいったら捨ててあったんで
拾ってきちゃった

44 :
余談だけど、車票が何だかわからないって人、手を挙げて…

45 :
ハフ3だったか?まるで叩き大工が板を線路と併行方向に張った様な客車
があったな。
それから早く廃車されたが元中越鉄道甲1型1号(国鉄1050)の3号機
が、100周年で店じまいしたイギリスのNasmyth Wilson製Cタンク。
連れの中越3号は今「礪波市のチューリップ公園」に保存(建物の中)。

46 :
別府鉄道でgoogle画像検索すると、ゾロゾロ出ますねえ。

47 :
>>46
大分交通別大線とかひっかからんだろなw

48 :
廃止当時、三岐が保存車輌の収集に積極的だったらキハ2も里帰りしたのだろうか。

49 :
運賃は確か百均だったっけ?

50 :
別府鉄道に最後に乗ったときの切符が出てきた
「別府港から土山ゆき」(額面30円)
別府港駅普通入場券(額面100円)
いずれも運賃変更印付き
運賃はいったいいくらだったのか??記憶はない・・・

51 :
キハ2は円覚寺の近くに保存されてたなぁ。
雨どいが無くなっていてイメージ変わっていたけど、まだ無事かなぁ。
円覚寺の駅は抜群に雰囲気が良くて、ホーム手前に子供が線路を横断
する看板があったな。あれってどういう意味だ?子供はここを渡れって
意味か?それとも運転手に対する警告か?それとも別の意味か?

52 :
>>51
駅の名前でいうなら円長寺だな。
本当に円覚寺という寺があるんならアレだけど。

53 :
>>52
ごもっとも円長寺だった。
で、その看板は?どうなの?

54 :
加古川市が野口線復活&野口〜駅間のLRT敷設を野望してるのは本当かねぇ。
まあ、確かに軌道敷は一般道へ転用せず保全されてるし、市役所〜駅間の道路は
結構広幅員で中央分離帯の処理も怪しいところがあったりするけど・・・

55 :
復活は妄想だろうけど、野口線ルートのバスはマジで欲しい。
かこバスは、ちょっと大回り過ぎて遅いし・・・

56 :
線路の継ぎ目のたびに脳天まで突き抜ける振動、側板がたわんで窓ガラスがビリビリ音をたて、車体が分解するかと思いました…。
二軸客車のあの最悪の乗り心地は最高でした!
まさに夢のような世界でしたね。

57 :
俺が訪問した時は葬式鉄であふれていてデッキは鉄で一杯だった。
それでも最悪な乗り心地は堪能できた。
それでも南部縦貫のキハ101には敵わなかったような。

58 :
鉄の友だち(複数)の土産に、別府の切符を買っていったんだが、
数日後、それが教室に落ちていたときはショックだった。
当時は、大手派ばかりで地方派は俺だけ・・・・・・

59 :
それはナカーマに恵まれませんでしたね…
だからって、大手私鉄の券売機券なら集めてたかどうかは疑わしげだけど。
いつのものかわからないが別府の「野口・土山両線車内乗車券」が
でてきた。頂き物だと思う。180円なり。

60 :
垂れ流し便所以外で車内の床下の線路風景が楽しめるのは別府の2軸客車だけだったな。
あそこの機関区の表札盗まれたんだよな。あの頃も盗り鉄は多かったけど、表札の盗難は珍しかった。

61 :
これまたもらいモンだと思うのだけど、58.12.14
別 府 港 から
中 野  ゆき
発売当日有効 130円
 下車前途無効
(別府鉄道)別府港駅発行

62 :
別府鉄道の走行音を公開してるサイトがあるんやね。
発車時の短いタイフォンの鳴らし方が懐かしい。

63 :
初めて言ったときに乗ったのは、キハ2だった。
車掌さんが手でドアを閉めて鍵(引っ掛けるタイプ)を掛けてから出発したのをみて驚いた。
3回行ったけど、キハ101の走行は見ることが出来なかった。

64 :
現役の頃は、そこに在るのが当たり前だと思ってたから乗らずにいたら、消えてしまった。
そういう意味で後悔しきりなのは、俺にとって別府だけじゃなく、加悦、下津井、尾小屋、片上、鹿児島交通・・
あの頃は、まだ国鉄が面白く、折しも2万キロ全線完乗がブームの頃で、俺にとって私鉄は後回しだった。

あん時、乗ってりゃよかった、ていう路線は誰でもあるよね。

65 :
鉄ヲタ肥料屋が来ました
問屋主催のメーカー説明会に多木化学の人が来てて
製品説明の後に社内で見付かった昔のフィルムをDVD化した物を見せてもらったんだが
その中に別府鉄道の入れ替え風景や走行風景も入っていて良かった

66 :
>>65
そのDVD商品化したら売れるかもょ?
と入れ知恵して、売れなかったらイヤだけど…

67 :
>>66
1万円までなら買うぞ!

68 :
初代キハ1−2(旧レカ1−2)の単車は面白かった。ガタンガタンで窓ガラス
ビリビリ、1が日本車輌、2が加藤(コピー車)で2の方が前面が「角張って」
いた。2は予備車的存在だったが、1が土山線の蒸機と衝突して直す間定期運用
だった。最初に写しに言った時に2にまだ代燃釜がついていた。奈良鉄道の
古の単車も置いてあったが、なぜか叩き大工の3が土山線に主に使われた。
>>54
加古川市のLRT問題だけれど,あながち理由が無い訳ではなく、播州鉄道
の予定線図に山陽本線加古川駅の南側から「北在家」=(野口)までの予定線
が書かれてる。(注:高砂線開業後の「北在家」は戦後の「鶴林寺」の位置)

69 :
>>65-67
3000円で売ってるよ。地元じゃ新聞記事にもなった。
小林写真館(姫路市)↓
http://www.koba-ps.com/aiz/p-tetsudo.html

70 :
って、これは別府鉄道じゃなかった。勘違いだスマソ。
多木化学なら、実は昨日社長と某所でいっしょに酒飲んだ。
DVDのことはまた聞いておくわ。

71 :
>>70
今度飲む機会があったら、別府港に佇む木造3階建ての黒い洋館を見せてくれとおながいしてw

72 :
>>54氏他加古川のLRT関係の方々へ
68ですが予定線図は「神野村保有文書」に出ていますから参考にされて
下さい。(今後LRT実現運動とかする時に)
播州鉄道の加古川が「じげ」=寺家町の事?と表示されていたり面白い
です。
(元短期間神野村村民)

73 :
国鉄が土山駅の貨物取扱をやめなければ、今でも走ってた。
と思いたい。

74 :
別府は小学生の時に野口線に一回乗ったきりなんだよなぁ。
確か三岐上がりのキハ2で、運転士さんがシフトレバーとクラッチ
操作で変速やるのを見て愕然とした記憶が。俺はあれと岡山臨港で
乗った江若キニ9の残党の2回しか機械式気動車の乗車経験ないんだ
けど、岡山の場合は結構込んでて運転台の後ろで見ることができな
かったので、かぶりつきで運転台直後から見た別府の分の方が強烈
な印象が残ってる。
ちなみに、車内で写真を撮ろうとしたら車掌に規則で禁止されてる
と言われて撮れなかったんだけど、あんな時代離れした鉄道だった
から、やっぱり恥ずかしかったのかねぇ、あれは。
あと、車両がアレな割に線路の状態が良くて、それどころか鉄橋を
架け替えたか何かでその前後のバラストが真新しかったのも印象的
だった。

75 :
へぇ〜車内撮影禁止だったんだ・・・。

76 :
>>74
俺は普通に写真撮ったが何も言われなかった。

77 :
一人だけ何でもダメという車掌が居た覚えがw

78 :
おれはキハ2に乗ったときは感動のあまり、写真を撮るという意識は吹っ飛んだ。
というか考えが及ばなかったというか・・・。

79 :
>>74
そんなアホのレチ居たかなあ?土山線でも野口線でも言われた記憶がない。

80 :
野上じゃないけどその時期になんか些細なトラブルがあったんじゃね?

81 :
>>80
確かに最後はピリピリしていた。

82 :
>>66>>70
遅レススマソ。
書くのを忘れてましたが見せてもらったのは、
今から7年位前です。
フィルムは30分位でその大部分は多木化学の製品の製造風景とかでした。
別府鉄道については5分位だったような記憶が・・・orz

83 :
初めて別府へ行った時は、加古川線野口からでした。野口にはテッキリ蒸機+
混合列車が待っていると思っていたのに、バケット付きのDCがいたので若干
がっかりしたものです。
別府港では雨宮の1号機が入れ替え中、車庫には雨宮の2、日立の5などが待
機中。土山への帰りの混合は日立の5の牽引だったように覚えています。
1960年の冬だったと思います。

84 :
野口線は旧播丹鉄道と連絡して居た頃は海水浴や潮干狩り列車が加古川
から直通して居たが、昭和18年に鉄道省に買収されてから殆ど無くなった
筈。終戦直後に土山にキハ1か2が居たのを見ているが、その後はSL列車
(混合)が土山線、ガソやDCが野口線の主流だった。

85 :
ガソリンカーの排気が、どんな匂いだったのか嗅いでみたいです。

86 :
廃業前にも、ハフ7を買い戻す為、相模鉄道が、
蒲原鉄道の ハ2(雨宮製ガソリンカー 阿南鉄道キハ101を前身とする)
を、代替調達する話しがあったけど、何故お流れになったのですか?
・・・まぁ 機械式気動車好きの俺だが、例外に
雨宮は妻面の雨樋のRが嫌なので、好みではないから善かったのだけど・・・

87 :
>>86
なんか嫌じゃん。せっかくカコイイ客車だったのに、ガソリンカー流れに変わるのは。
ってとこじゃね?

88 :
雨宮は面白い独特の気動車を作っていた、播丹鉄道のレカ15だの同系が
北陸鉄道能登線(廃止)に居たが、角張った車体と播丹レカ15などは
ゲルリッツタイプに似た台車だった。最後は東濃鉄道笠原線で終わった
けれど(荷物台部分車体延長)。雨樋は余り気にならなかったが。

89 :
>>87 古典的で、木造だからヤもすれば一両客車減車時、元「特車」ガソリンカーで2両あった 
ハフ5、※ハフ6温存で、処分されていたかもしれないハフ7が、ハフ5より重用されたのは
、軽いらしい。 
「特車」と違い 軽量設計ガソリンカーベースの 蒲原ハ2 で、手を打たなかった
と云う事は、その時点(多分昭和40年代初頭?)で別府鉄道自身も、旅客営業
は、近隣住民へのボランティア・サービスとして、とらえあまりメリットの無い
近代化より風情を、意識のだろうか?
※ハフ6についても、相鉄から返還オファーがあったが、何故か実現していない。何故?

90 :
89 訂正  軽いらしい→軽いから、らしい
      2両あった→2両まとまって 揃っていた

91 :
連続でゴメン。
俺の機械式気動車好みランク
☆☆☆☆日車・・・単端式は、秀逸だ。その後のびわこ型や流線形電車との関連性が興味深い。
☆☆☆加藤・・・猿真似と馬鹿にする人もいるが、マネも巧く安くやれれば凄い。オリジナルもあまり見劣りしない。
☆☆川車・・・造らせればソコソコもモノを造るが、所詮当時業界2番手
☆汽車・・・やる気ナシ 癖は、 あるが とりあえず頼まれれば、他所がやらない電気式を造ったのは偉い
☆松井・・・何で、日車より先に両運つくれたのに、木造なの?貧相!!
×梅鉢・・・丈夫だけど、あか抜けねぇ・・・井笠で何で日車じゃなくてコイツが残るの?西大寺も しぶとい!失礼!
○○丸山・・・デザイン方向性は、全く他社と影響関連無しただが、別次元のモノと
考えいる、九十九里鉄道の活躍もあるが、嫌いではない。模型化するなら
車両を、あれこれ増やしたくなる脅迫観念から解脱出来るから良いと思う。
××雨宮・・・妻雨樋・間延びした腰高の側面嫌、全くあか抜けない無気味、電車デザイン
も脈絡あまりナシでは?
あくまでも、俺の独断好みです。悪しからず・・・

92 :
>>89
> 風情を重視 に一票。
むろん私ゴトキに真相がわかりうるはずもありませんが。
しかしソー鉄が代車を提案してたとは…
島原に旧鉄博の1号機にA8を交換トレードってのは有名ですが
(あの時代によくその重要性に着目したものです)。
2両も客車集める気があったなら、昭和50年代なら神中や旧相模のキハは
なりは電車にやつれていても、かなりの車種を残せたのではと妄想。

93 :
>>91
日車は江若キニ4・9が素敵すぎ。岡山で見たキニ13はもう廃車
になってた(キハ12?乗ったけどあれは…)けど、あのキハ04
よりもキハ07よりも堂々とした姿は忘れがたい。窓配置と窓寸
法のせいもあるんだろうけど、凄く長身に見えるのね。
加藤は下津井でカハ50のなれの果てのモハ110見ただけなので
何とも。ただ、日車のクハ5と比べて悪い印象は皆無。
川車は戦前最終期の西大寺キハ7(保存車)しか知らないが、
意外と小さくて驚いた覚えがある。3フィートだからてっきり
下津井クハ5・6より大きいと思っていたんだけどね。
梅鉢は井笠ホジ7を陸橋下で見ただけだが、見た目は一見ごつ
そうだけど間近に見た感じでは意外と柔な印象があった。
汽車・松井・丸山・雨宮は何分現物見てないので何とも言い
難い。
…しかし、岡山県南部をぐるっと回るだけで4メーカーの代
表的な車種をまとめて見ることができたんだよなぁ、岡山臨
港の廃止の頃までは。
別府と加悦も含めたら、日車は重要なサブタイプが単端式除
いてほぼ網羅できてたし。

94 :
>>89
SLブームを見て、うちも最近まで使ってたSLをスクラップにせず置いておけばよかった…って中の人がぼやいてたのを、なんかの本で読んだんだけどな。TMSか鉄ピクかはたまた…
おそらく昭和40年代後半か50年代前半頃の話だよな。

95 :
とにかく、別府鉄道って 車両構成とかも含めて模型的で最高だったなぁ。
戦前〜戦後に、かけて育った先輩ファン達は、嫌がるかも知れませんが、
客車や気動車に、塗られたツートンカラーも可愛くてとても似合っていたと思う。
消防の頃、金欠でNゲージの大型編成もの列車が、買えず 
消去法で模型化で感心持ち始めたのだが、いつの間にか此の手の鉄道に
ハマってしまった。
ハフ5・7・・・自作でプラバン・ボール紙での窓開けは、苦労した。下回りは、
       トミー2軸貨車とピイコ製2軸車下回り。ハフ7のデッキは苦労した。
       結局針金で造った・・・取扱い要注意。
キハ101・・・妻窓が作れず、半ば諦めていたところGMのキハ04が出て、
       奮発して買った。・・・何で1両は、キニなんだよっ 糞使えねぇなぁ。
       ギョロ目ライトは、東急3000のランナーを、大山で買い更新車より暢達した
DD1351・・・裕福な友人が、カトー製後期購入時口説いて安く譲ってもらった。
      グリルをプラ板で、潰たりしてそれらしく見立てた。
蒸機・・・当然 トミーの汽車会社タイプを吊るしで(要は、そのまま)・・・。
キハ1・2初代・・・チビ電の下回りだけ買い、プラペーパーで造った 何回も出来に満足出来ず
造り直した。
キハ2・3・・・側面は大山で旧国のランナーを漁り側板を駆使しつくった。キハ3
       の妻板はプラ板で造った。荷台は、ストラクチャーの柵を改造した。
       
       下回りは、キハ3はトミックスボギー貨車利用でダミー
       実車も後年は稼動してなかったらしいから善いのだ。
       キハ2はキハ04シヤーシー切り詰めが災いし接触悪く不調になった。
出来の悪さで、飽きてしまい 何時の間にか処分されてしまったが、昨今の模型製品環境
はNでも凄い充実しているようで愕然、 羨ましい残しておけば良かった。
また、造ろうかな・・・・しかし車体自作の窓開けは、目にしんどいしなぁ・・・

96 :
しっこいが補足
DB201・・・シナノマイクロのDE10?タイプのショートを買い車体を、それらしく
     自作ウエイトを、外したりて重心や集電が悪くなり不動車に
小型DL・・・トミー製CタイプDLを、改造失敗に懲りてそのまま使用。
      不満はあったが、改造失敗リスク、小型DLが無いと始まらないので
      ・・・
キハ20・・・土山駅のジオラマ(勿論不出来!!)を造った時、奮発購入。しかし 狭いレイアウト
      エンドレスでは満足に走れず・・・友人曰く「お前 買い物間違っている!」
以上

97 :
>>95-96 イタチでもおもろかった。
先日撮影地で友人と、江若(リアルでは知らない)のDD13
(国鉄よりちょっと先に出たという似て非なるヤツ)は
どこへ行ったんだっけ、という雑談になったが、
おかげで思い出した。どうも。
うろ覚えはいかんよなぁ。

98 :
>>95
つ ttp://homepage1.nifty.com/kitchen/zaiko43.htm

99 :
土山線に何回か乗ったけど、いつもハフ7だった。
ハフ5は最終運転間近の客車2両連結で運転したときにやっと乗れた。

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