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2011年10月1期鉄道懐かしオマエラが見てきたカオスな列車編成 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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オマエラが見てきたカオスな列車編成


1 :09/01/09 〜 最終レス :11/11/04
故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。

2 :
南武の103系で
←川崎
クモハ・モハ・クハ+モハ・モハ・クハ
の編成があった思い出が

3 :
>>2
京浜東北の103でも、そんな編成に乗った事があるな。

4 :
L特急つばさの臨時列車で12系客車が該当された時

5 :
今はもう見られないという意味で、常磐線415系
こんな感じ↓
銀色+銀色+白+白+銀色+白+白

6 :
キハユニ単行

7 :
>>5
定期的にみられたカオス編成の典型例だよね<常磐線中電
上越新幹線開業前に見られた185系+165系の急行「あかぎ、ゆけむり、草津」とか、
「ミッドナイト」とか「まりも」に非冷房キハ56が増結とか。

8 :
雑誌ネタなので珍しくもないかも知れんが、「富士川4号」
  ↑クハ165
  ↑クモハ165
   モハ164
  ↑クハ165
  ↓クハ165
出典「鉄道ジャーナル別冊 急行列車ジグザグ日本全周」

9 :
シュプール全盛時代の181系DCの2本併結回送。
向日町→糸魚川の日と金沢→糸魚川の日があった。
キハ181
キハ180
キハ180
キロ180
キハ180
キハ180
キハ181
これを2本併結で14連

10 :
下関や広島、宮原の14系座席車、シュプール車、寝台車をごちゃごちゃに繋げた
“珍ドコ列車”が最強!

11 :
定期カオス編成と言えば
京王の○t

12 :
DE10と寄せ集め旧客による臨時急行「いよ」

13 :
15年程前に「はまかぜ」で
↑キハ181
↓キハ181
 キロ180
 キハ180
↓キハ181

14 :
今だって「スーパーおおぞら」にはキハ283を中間に並びで繋げた編成が比較的頻繁に走っている。
向きが同じで高運転台のキハ283が3両連続して繋がるって、萌えないか?

15 :
阪和線の普通
カラフルだったのが懐かしい

16 :
>>11
都営新宿線の先頭だけ取替え編成は○tの亡霊か?
常時ミックスの横浜線も忘れがたい。

17 :
583系→485系「はくつる」
ストライキで車両確保出来ず代走。前面幕は臨時だった。
485系→583系「鳥海」
S60,3改正の1ヶ月前あたりから代走していた記憶。

18 :
>>13
座席数の少ないキハ181は、自由席ならともかく指定席車の場合は
キハ180の代替は可能なのだろうか?
素朴な疑問。

19 :
シュプール全盛時代には583+485なんて編成もあったな。583と485の連結部分は始め中間車、のち先頭同士。583の貫通扉が初めて有効に使用された瞬間だった。

20 :
>>18
基本的に定員の少ない車両に変更する場合は自由席に充当する。
しかし、突発的なことや車両方向、給電関係の問題でやむを得ず指定席車両に充当の時は、
席番のない乗客にはその時空いている座席に誘導する。それは乗務する車掌や駅に指示が来る。
もちろん計画的に充当する時は、マルス発売の時にその席番号は売れないようにする。

21 :
98年頃総武線103系で横ナハ東ウラ東マトとかが一編成で走ってるのを見た。
でも塗色は全部黄色だった。

22 :
>>16
○tの亡霊と言えば
一時期試作車編成の先頭車を10-300に差し替えて走っていたね
電動車3ユニットと先頭車の全てが形態違い

23 :
真夏のカオス、、、と言うか悪夢
キハ58(冷房車)
キハ28(非冷房車)
キハ58(冷房車)

24 :
“列車編成”ということでいいなら、やっぱそれは昔の貨物列車に勝るもんはないでしょう。
2軸、ボギー、有蓋車、無蓋車、タンク車にコキ、そして車掌車…。
雑多な形式が入り乱れて連結されている貨物列車は面白かったね。

25 :
>>24
昔の貨物はむしろ、形式がビシッ!と揃ってる方が輸送システムとしてのカオスっぽさを醸し出してる様な気がするのですが、、、
EF65(500)+レサ10000+レサ10000+レサ10000+・・・・・・+レサ10000+レサ10000+レサ10000+レムフ10000
とか、
9600+セムフ1+セラ1+セラ1+セラ1+セラ1+・・・・・・・・・・+セラ1+セラ1+セラ1+セラ1+セムフ1
とかですね。
ちなみに、上記2編成はどちらも機関車が音を上げてしまった事のある編成です。

26 :
>>25
気持ちは分からなくもないけど、やっぱり
ダッダッダッダダン、タンタン、タンタン、タタ…タタ、タンタン、タンタン、タン タン、タンタン、タンタン…
って不規則なリズムを奏でながらゆっくり通り過ぎて行く貨物列車の方が魅力はあったなぁ。
ワム90000とかワラ1とかポピュラーな有蓋車に挟まれて、稀にワ1とかいう小さな貨車が混じると、
微妙にそこだけリズムが短くなったり、ワム80000のような2軸でも大型の有蓋車が来ると、
16分休符のような一瞬のリズムのズレがあったりね。見ていても凸凹の編成は数えるだけでも楽しかった。
家のそばに横須賀線が走っていて、日に何本か日産の新車を輸送するク5000の専用貨物列車があったけど、
ずっと同じ車両が繋がる綺麗さはあったけど、何も面白みを感じなかった。最後尾に付く車掌車がヨ太郎なのか、
それともワフだったのかが楽しみだったくらいだね。

27 :
20年位前に内房線で
特急(9両)+113系(6両)+113系(6両)を見た友人がいる
どれかが故障していたらしい

28 :
22年前の年末、小田急E運用に釣掛け時代の旧4000が海老名から代走で入り、成城学園前まで走った、列車は成城学園前で打ち切り。
編成は4018F+4020Fの6両。営団側は休日ダイヤだった為の変運用だったらしい。今となってはE運用の4000は当たり前の事だが。

29 :
名古屋駅の大晦日臨で伊勢方面の列車(種別快速)で
特急用気動車にキハ58(?)を2両くらいつないだの見たな。
特急用はロザとハザとして営業,キハ58はハとして営業。

30 :
連投になるが
朝の盛岡発沼宮内&大館行列車を忘れてはなるまい。
EL+雑形客車(いろいろ)+DC数両(いろいろ)

31 :
国鉄最後のダイヤ改正の日の阪和線の混色103系
スカイブルー編成
両端のクハがウグイスで中間4両がスカイブルー、
オレンジ色6両編成、ウグイス色6両編成、天王寺寄りクハのみがオレンジ色の
4両編成の103系が一気に出現。

32 :
EF58
オハネフ24
スロ81
オシ24
オロネ24
スハ14
マニ50
割と有名なアレ

33 :
後藤工場入出場の気動車を連結した、山陰本線の客車列車

34 :
>>30
「…花輪線が分岐する好摩まで機関車が引っ張るのだろうが、こんな
珍奇な列車は他に類を見ない。車両にはさして関心も知識もないのだが
、この呉越同舟列車には興味を覚える。…」

35 :
新潟とか福岡周辺で良く見られたDCの混成編成。
17、20、35、55、58系がランダムに組成されたのは笑えたね。特に車高、車幅が全く違うキハ17とキハ58が
並んで繋がっていると、その凸凹編成は際立った。色もオリジナル、急行色、首都圏色といろいろあったし。

36 :
5色の電車。
ttp://www.dai2ntv.jp/player/index.html?item_id=NtvI00014010

37 :
長崎本線
キハ2600(島鉄 冷房 エアサス)
キハ26−600
キハ17
キハ36
キハユニ
急行型4両(グリーン付き)

38 :
>>35
福岡周辺では修学旅行色もあったな。
つか気動車鈍行では整った編成見つける方がむしろ大変だった。

39 :
>>17
583系の鳥海って、ダイヤ改正前に485系の転配の関係で、代走になったと記憶している。
話は変わって、身延線に投入された115系の新車の編成が、クモハ+モハ+クハ+クハだった。
クハ2両は背中合わせで、車掌が中間運転台でもドア扱いできるように、こんな編成になったらしいが、
越後・弥彦線電化の際に、中間クハは抜かれて、暖地向けの2000番台なのに耐寒改造されて新潟へ持ってかれた。
ついでに、この電化で余剰となったキハ47の一部は、寒地向けの1500番台なのに、四国に転配された。

40 :
東海道線で153系+185系は結構みたな
そういえば今でも中央西線で朝211系+213系+313系って走ってるかな?

41 :
南武線 昭和59年ごろ
101系
クモハ+モハ+モハ+モハ+モハ+クモハ
全車電動車
運転室には  「オールM編成」 と運転士に表示する
札が付いていた
当然加速性能抜群であった。
武蔵新城→武蔵溝の口の爆走は忘れられんぞ!!!

42 :
>>41
素晴らすい!!
オールMは101系本来の使い方だ。
南武線のようなゲタ電線区ではなく東海道線走らせたいなw

43 :
こういうのは除くのかな、国鉄時代の新宿駅。
順番は忘れたが、クモヤ143?と朱色の101系と黄色の103系。
つなげられるじゃん、と思ったが、たしか101系の蛍光灯が点いてなかった。
どれかの床にでかあジャンバー線が投げ出されていた。

44 :
>>40
高崎線だと165と185が連結してたな。
ほかに高崎線ネタだとスカ色が混ざった115とか、身延色交じりの荷電とか走ってた。
あと一度だけスカ色115系3両が秩父1000系を引いて走ってた

45 :
>>36
これってイベント運転用に組成されたやつだと思う

46 :
>>45
民営化記念ね
横浜線でスカイブルー、オレンジ、エメラルドグリーン、鶯の混色があったやうな?
オレンジ(T−31)と鶯は関西からの転入車だった

47 :
キハ80系の転入が遅れたため、急行型キハ56系で暫定運転された特急「北斗」
前面窓がパノラミックウインドのキハ56が先頭に立っていた。
種別幕は「特急」を掲出し、貫通扉にヘッドマークも
特急料金は100円引きだった。

48 :
高崎線の12系客車の普通列車

49 :
昔の清水港線
どこに人間が乗るべきかぱっとみただけでわからなかった

50 :
昔、常磐線をEF80がキハ28・58の編成を引いて走って行くのを見た。
お客は乗ってたけど、気動車側に不具合でもあったんかな?

51 :
東上線沿線の人が伊勢崎線の
3万系+1万系とか1万30系+1万系という編成を見ると
カルチャーショックを受けるようだ。

52 :
カオス、と言われると、体質改善前の近鉄養老線だな。
伊勢電・志摩電・吉野鉄道・近鉄による車体更新車まで入って、
ともかく「生き残った古典車・異端車が全部ここに流れ着く」という印象。
手小荷物室付きの元伊勢電6221と、いわゆる名古屋線タイプの元関急電5301と
ノーシルノーヘッダアルミサッシボックスシートの元志摩電5941(5945?)と…
みたいな編成には、まあ何というか、味があった、と表現しておこう。
大近鉄の一部ではなく、地方私鉄のような味。
そのせいか、旧かもしか号の5821の2連が、めーっちゃきれいな編成に見えた。
元伊勢電のエース・モハニ231からの改造車だった事も当時は知らなくて、
「…きれいすぎて、なんか普通の電車やなー」と思ってしまった経験があるw

53 :
1984〜85年頃の新松戸は凄かった、常磐快速も武蔵野も2〜4色の混色当たり前、常磐中電は白と赤の混色だらけ。
常磐緩行では2日間のみエメグリと地下鉄色混色の103-1000が営団乗入れで走った。営団から苦情が来て2日で終わってしまった

54 :
583系みちのくに1ユニットだけ混じってた赤い485

55 :
【偽装】カレーパンに大便を混ぜて売っていた男を逮捕。常連客「独特のコクがあるパンで大便とは気付かなかった」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/bread/1229505910/

56 :
阪和線の113系6両編成だが、、
前後のクハ111が春日色、中間のモハユニットがそれぞれ湘南+スカ色2両づつってのが
昭和48年関西線殿下の際、天ナラに113系が豆されだした頃にあった運用。

57 :
>36 >45
王寺の冠水事故の後、関東から応援でかけつけた101系の編成がそんな感じだった
5色はさすがになかったと思うが、3色4色は当たり前だった

58 :
大糸線に115系が新製投入されてから荷電廃止までの間、湘南色115とスカ色クモユニやクモニが組んであったな
115系化の時、広島からクモニが転属してきたが、牽引車扱いだったらしく滅多に本線に出てこなかった。

59 :
>>57
当時のジャーナルで、出雲のカン付きPFが関西線快速色の
113系を牽く写真が載っていたぞ

60 :
80年代ぐらいまであったと思うが、長野発中津川行の客車列車は旅客車3両に荷物・郵便車が5両だったな
もっとも荷物・郵便は熱田まで行ってたらしいが

61 :
常磐快速線で両端がエメラルドの一般型クハ、あとは地下鉄色の
1000番台と言う編成。

62 :
>>61
クハの車両番号にアンダーラインが引いてあった谷塚

63 :
80年代の「ゆうづる」にオロネ24+オハネ24+オハネ25の編成があったような気がする。
二段式A寝台+二段式B寝台+三段式B寝台。
定期列車のくせになかなかのカオスっぷりと思うが如何。

64 :
>>41
1985年頃、片町線で冷房車編成が本来組んでいたTが103系に改造後、代わりに首都圏からモハユニットを挿入されて、おまけにちゃんと6M0Tで走ってた。

65 :
静シス クモハ60076+モハ111+モハ110+サハ87+モハ80+クモハ12054 昭和51年
大船駅にて 60069 076の
2両は名カキ配置時からのスカイブルーのままで、ひときわ目立つ存在だった…

66 :
70年代後半の肥薩線矢岳越の混合列車。
D51+オハユニ61+雑多な貨車+D51という混合編成で走っていた。客車はたった“半両”しかなかった!
木次線もキハ52 600という簡易荷物室車両が単行で走っていたね。

67 :
>>66
おしい!
肥薩線矢岳越えの混合列車には、スハユニ62と言う九州の中では珍車中の珍車が
運用に入ることがあって、更にカオスな編成だった。
見た目はオハユニ61と同じだけど極寒地仕様の二重窓と歯車式発電機+大容量蓄電池。
更に矢岳越えでカオスな編成と言うと
D51+D51+マニ20+ナロネ22+ナロ20+ナシ20+ナハネ20*3+ナハネフ21
もちろんD51は矢岳越え仕様の重装備型。
あまりにレア過ぎて、流石に見たことはないが。

68 :
やっぱり
EF65+マニ30+コキ+コキ+コキ+コキ…

69 :
昔、某夜行急行の自由席で旅行している時、夜明け直前に運転停車で目が覚めて、
ぼーっとして車窓を見てたら行き違いの貨物列車がやって来た。
列車そのものは特に珍しくも無い無蓋車ばっかりなのだが、積み荷がカオスだった。
目の前を・・・・・・・
61式戦車+61式戦車+61式戦車+61式戦車+61式戦車+61式戦車・・・・

70 :
国府津電車区開設前の東海道線東京口と横須賀線もしょっちゅう混色を見たな
TcやTs1両だけとかMM'1ユニットだけが違う色になってる
予備車が共通だったんだろうけどね
横須賀線は総武直通後も関西から来たTsとTが転入後もしばらく湘南色だったっけ
他に国鉄末期の千葉で短編成化のためにTcが各地から大量転入して来た時に
阪和色との混色もあったな。スカ色のMM'ユニットにTcが湘南色や阪和色の編成があった
西は今でも転配後に元の塗色で運用される事も多いので、カフェオレとか除いても混色が日常茶飯事だけど
東は転配前に先に色を変えてしまうのでこういうのが見られなくなったな
幕張なんかE231の玉突きで国府津と高崎から大量に113系と211系が転入してきたけど全て転入前に塗色変更済み
これが国鉄時代なら次の検査入場まで元の色そのままだったんだろうな

71 :
>>70
そういえば高校時代、まだG車がなかった総武快速で通っていたが、通常基本編成と
付属編成で先頭同士が向き合うところ、1両が逆向き、つまり先頭車が同じ向きに
2両連結されているのを見た。
カメラがあったらと悔いたが、今でも自分の目が信じられない。

72 :
キハ181+キハ180+キロ180の3両で、東海道線・山陽線を走る、
キハ181系の高砂工場入出場回送列車。

73 :
京急1000形の間に700形サハを含んでるドア数が違う編成。1000形の走行性能も形無しだった
けどね。
ここの板的には物凄く最近なネタ。京葉線304編成まさかの7M3T。6M4Tならよく見たけどまさか
のモハが奇数という珍編成でした。

74 :
1973年頃、筑豊本線の4線区間で見た片運気動車の単行運転
キハ16か17あたりだったのか
運転台の無い方の貫通扉には鎖がしてあった

75 :
>>73下段
VVVF試験車を組み込んだ編成か

76 :
昭和55年ごろ、山陰本線倉吉駅改札口から見た、キハ82+キハ80
倉吉発着の「あさしお」か「はまかぜ」の附属編成が故障でも起こして、
切り離されたのだろうか

77 :
国鉄時代のDCなんかは普段からカオスだったよね。
キハ45-キハ20-キハ55-キハ28-キハ58-キハ10-キハ17
和歌山線辺りでもこんなのはザラに見かけた。

78 :
小学生だった昭和50年代前半、大船に住んでた
よく東海道線の列車を見に行ったり110フィルムのバカ○ョンカメラで拙い写真を撮ったりしてた
その時にカオス編成で印象に残ったのが急行『東海』
サロ165以外きれいに153系冷房車で整った南チタ持ちの『伊豆』と違って名カキ持ちの『東海』は何でもありだった
両端Tcは165系でサロは163、中間普通車は153系冷房非冷房155系の混成、なんてのをよく見かけてた
たまに165系MM'ユニットや159系が混じる事もあって全部のMM'ユニットが違う形式とかもあった
それが宮原への117系投入による153系転入で155系と159系が消えて中間普通車は153系冷房車で揃う事が多くなった
そして153系も消え165系に統一された編成は、なんかつまらなかったな

79 :
銀河に緑カニがくっついていて驚いたが珍しくないと言われたのも思い出

80 :
国鉄時代の「きのくに」に58系9両従え和歌山側にキハユニ16(湘南顔)が
先頭に立って阪和線爆走してた

81 :
昭和53年ごろ
阪和線でスカイブルーの103系が天王寺方にオレンジ色の旧国を連結して、
和歌山方面に走っていくのを見かけた。

82 :
>>80
気動車は、基本的に何やっても自由(片運が単行で走ってもおk)だから、
その程度でカオスな編成と言うのは当たらないような気がする。

83 :
昔の総武快速の側面方向幕
「鎌倉」「大船」「千葉」「急行・安房鴨川」・・・・

84 :
>>82
うん、特にきのくにのキハユ二増結は所定の編成だからカオスとは言えないな。

85 :
所定でも、編成の組み方が異常だったりしたら、カオス認定でもいいと思うけど、
整った編成の端っこに、姿かたちの異なるニやユやユニが増結されてるのは、
当時としてはわりと普通の話だったからなあ。
キハユニ16自体は、稀少車として珍しがられてた記憶はあるし、急行の先頭に立つ、
という事で貴重だったと思うけど、「編成」を珍しがられたのとは
ちょっと違った気がした。

86 :
>>80
「きのくに4号」で所定ではキハユニ26だったようだ。
昭和50年3月時点で一時、天王寺ー和歌山市間で連結していた。
参考:特急、急行気動車列車編成順序表(昭和50年3月)

87 :
やっぱりかつての天王寺鉄道管理局と四国総局の組成のセンスの良さは伝説だなw

88 :
カオスな編成のセンスなら西鉄だと思います。
会陽の増結運転でボギー式やら単端式やらのガソリンカーにオープンデッキの客車を
テキトーに連結した編成はカオス以外の何者でも無いでしょう。
動物園の保存車も井笠の蒸機じゃなくて単端ガソリンカー牽引を再現してほしかった。

89 :
1968頃年末臨時急行桜島?か東京から九州までオハ61スハ32混じりは強烈な記憶。

90 :
>>88
読み方は「さいてつ」でokですか?

91 :
>>90
にしてつ だろ?

92 :
すまん 間違えた
氏のう…

93 :
オレも最初西日本鉄道の事かと思ったけど、よく読んだら西大寺鉄道の事か

94 :
 旧客寝台急行時代の「天の川」でA寝台オロネ10が故障のためにスロ62
を連結してA寝台の客を案内していた記事をRF?で読んだ事ある。

95 :
中央東線の115に、クモハモハクハ+サハサハ+クモハモハクハなんて編成があったけど、
何で4+4にしないでこんな編成になったんだろ。

96 :
>>95
かいじだと、サハ1両がサロ165になるね。
スカ色のサロ以外にも、湘南色のサロを入れてた時期があったらしい

97 :
やっぱりダイ改前に数日走った113系+165系でしょう
熱海〜伊東間で113はG車入り7両+クモハ+モハ(500番台+サハ153+クハ165
おそらく(ごてんば用編成に田町のサハを入れたのだろう

98 :
>>95
8連時代の末期は4+4もあったよ
塩山−韮崎の甲府盆地内ローカルが身延線間合いの旧国から本線の115系になった時からだね
300番代の編成はそのサハ2両のサンドイッチだけど、0番代(モハは800番代)の編成はクモハモハサハクハの4連を2組つないでた
その時、三鷹区唯一の1000番代が4連1本新製配置されてそれも0番代と共通運用だった
組み替えられたのは韮崎の折り返し線が4両で限界なので4連にバラせる編成が必要になったから

99 :
211系の
クモハ モハ クハ サロ サロ クモハ モハ サハ サハ クハ
は現行編成だけど、なんとなくカオスだね。
そもそも
クモハ モハ サハ サハ クハ
でたくさん作ってしまったので、サハの廃車が結構出たし。
カオスな車両計画ってところか。

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