2011年10月1期鉄道懐かし蒸気機関車最後の10年を語るスレ part8
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蒸気機関車最後の10年を語るスレ part8
- 1 :11/10/07 〜 最終レス :11/12/11
- 蒸気機関車が3000両を割り込み、ダイヤ改正の度にハラハラドキドキしたあの頃。
皆、本当に真剣に鉄ちゃんしてたよね。
古い話だとキリがないので、ヨンサントー前後くらいからって事で。
前スレ
蒸気機関車最後の10年を語るスレ part7
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1224909962/
蒸気機関車最後の3年を語るスレ
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/rail/1048756695/
蒸気機関車最後の3年を語るスレ 次位補機
http://hobby6.2ch.net/test/read.cgi/rail/1053533279/
蒸気機関車最後の3年を語るスレ Part2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/rail/1099518932/
蒸気機関車最後の10年を語るスレ Part4
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/rail/1135505883/
蒸気機関車最後の10年スレ part5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/train/1158067720/
蒸気機関車最後の10年スレ part6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/train/1184704635/
- 2 :
- 年度 各年度車両数 廃車数
35 4270 333
36 3937 157
37 3780 199
38 3581 128
39 3453 135
40 3318 170
41 3148 246
42 2902 268
43 2635 377
44 2258 367
45 1891
48 596(動態保存17両含む) 各3月末
- 3 :
- >>1
加減弁 乙 長声一発
- 4 :
- 43〜47の大きな名所・名撮影地のラスト
昭和43年(1968)10月 奥中山D51三重連
昭和44年(1969)10月 川越線9600、都心の蒸機牽引客車列車廃止(上野・両国・千葉)
昭和45年(1970)10月 呉線C59・62「あき」、鹿児島電化C60・61、首都圏無煙化
昭和46年(1971)10月 C62重連「ニセコ」、奥羽C61・D51、矢立峠三重連
昭和47年(1972)
3月 布原三重連、大畑ループ(矢岳越え)D51、
10月 小海線C56、羽越・白新線電化(笹川流れ)D51・C57
※48〜51はもう大きなものはなくなり、煙があればどこでもという感じになってきた。
昭和48年(1973)
3月 五能線8620、肥薩線(八代〜人吉、吉松〜隼人)
5月 D52ラスト(長万部)
6月 木曽路のD51
10月 千歳線、江差松前、日高二つ目C11、岩内二つ目9600、明知C12、
関西本線加太越え、紀勢・参宮、山口、香月・室木、佐賀・唐津など
- 5 :
- 昭和49年(1974)
3月 南宮崎電化C57・C61・D51など(南国宮崎のカマ)、七尾、石巻、陸羽東線C58
6月 D60ラスト(筑豊)
10月 本州・九州ラストシーズン(会津・山陰・北九州など)
11月 C56ラスト(木曽福島入換・本線は三江線)
昭和50年(1975)
1〜3月 南九州ラストシーズン(高森・湯前・志布志・日南・日豊入換など)
3月〜12月 北海道ラストシーズン(夏&冬)、D61ラスト(深川 4号)
12月 日本最後の国鉄蒸機定期仕業(旅客・貨物)室蘭・夕張線 C57 D51
昭和51年(1976)
3月 日本最後の国鉄蒸機仕業(追分入換)9600
- 6 :
- 昭和41年東北本線D62もギリギリ最後の10年に入るんだね。
でもウルトラマン放送開始年だからやはり“昔”だ。
- 7 :
- http://www.youtube.com/watch?v=44iLSrCGszM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=0NZdzAb7WrE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Co8qS0sMX_E&feature=related
たぶんLDかVHSで出た映像作品だと思うのですが誰か詳細わかりませんか?
- 8 :
- ナンバーが読み取れたら色々調べられるのにな。
- 9 :
- 昔8ミリで撮ってた人の動画が増えてきて楽しめるね
- 10 :
- 落ちないように二桁レスにしておくか
布原迫力あるなあ
- 11 :
- 今月、ファミリー劇場で放送の
ドキュメンタリー映画「すばらしい蒸気機関車」、
すばらしかった。
- 12 :
- 高林陽一か、当時やたらと鉄道雑誌に広告打ってたけど、
友人の家で見た映像は、なんか商業主義っぽい感じで、必然性のない女性に
ススキもたせたり、鉄橋や線路端に立たせたり、気持ちの悪い歌を唄わせたりして
何か違うと思った。自己満足としてはありだろうけど、構成的にも記録としての
価値としても中途半端。むしろ、無名のアマチュアの映像にすばらしいものが
たくさんある。
- 13 :
- そんなあなたには素晴らしい蒸気機関車から女優と歌を削除した
短縮版の栄光の蒸気機関車が良いでしょう、古ビデオ屋をどさ周りして手に入れられるレベルだとは思うが・・・
- 14 :
- 蒸気機関車館の設置箇所が梅小路に決まる前には
小山にする案もあった、と聞いたような。
- 15 :
- >>14
最初の案では動態保存の場所は小山だった
その後観光客を呼べるようにと京都に変更した
結果スペースの関係で保存機も増えることになった
- 16 :
- >>15
どうも。
保存機も増え、観光にも便利では、申しぶんないですね。
- 17 :
- 梅も開館当初は大半の機に火が入ってたなあ。
走るD50を懸命にパチパチ写した。
- 18 :
- 梅小路の扇形庫は20番ぐらい?
小山は13番線ぐらいだったかな。
確かに規模は梅小路がはるかに大きい。
でも、大赤字で大変だったとはいえ、
できれば関東地区にも末期まで残った機種
を網羅した動態保存の蒸気機関車を
集めた機関庫と客車・貨車類を残して欲しかった。
- 19 :
- 梅で選に漏れたC50やC12を入れて施設ごと残して欲しかったな。
- 20 :
- >>17
1972/8/29に冷水で撮りました(下り1791レ)。
- 21 :
- >>18>>19
まあ真岡があるからね。
C50も小山で大切に屋内保存されていると聞いている。
- 22 :
- 関係ないというか板違いだけど、関水金属Nゲージの
最初の蒸機がなぜ、C50だったのかが、謎だ。
- 23 :
- >>22
単に当時の社長(設計者でもあった)が大好きな機種だったからとか。
- 24 :
- 昭和40年代初頭に、鉄道貨物も大幅にシェアをトラックに食われることが
わかっていたら、中途半端にDLなんか投入しないでSLをだましだまし使っていた
ほうがコスト的にかえって安上がりだったかも。
昭和39年から44年あたりでローカル線が急激にDL・DC化されたのが痛かった。
ストライキで荷主が鉄道離れしたという説もあるけど、道路整備されれば
鉄道より自動車輸送が選ばれるのは自然の流れ。
- 25 :
- 来たー。山田コレクション。
三菱大夕張3.7.8、雄別C111、三美1.2(B6)、雄別茂尻102、夕張12、三菱
美唄6.4.4122、日曹9615、美鉄のキ.トラ.オハフの15両だが、本格的な
保存・公開には前途が多難だろう。
- 26 :
- >>24
室蘭線の電化なんて、無煙化と同時にしてしまえばよかったのにね。
ずらりと並んだ、数年?で要らなくなったDD51の写真を見たような?
- 27 :
- 最後の十年を体験できた人が羨ましいな、全廃時点で俺は6才。幸い地元に梅小路があったから動くC62も間近に見れた。 月に一度は通ったな、目当ては昼寝中の出雲HM付きのEF65Pだったけど。
- 28 :
- 山田コレクション本当にあったのか…
時々噂では聞いていたが
- 29 :
- 山田コレクション↓
http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2011/10/2011.html
- 30 :
- 4110の走るとこがみたいな。勾配区間ではE10よりずっと信頼が厚かったという。
コレクションのが大掛かりな補修でなく済むのなら動態で。
- 31 :
- 4122だけ梅にほしいな
まあ無理だろうけど
- 32 :
- 聞いた感じでは保存状態すこぶる良さそうだから動態保存するにしてもやりやすそう
- 33 :
- >>27
俺は蒸気全廃前に一度だけ東海道線を走るD51を見た。奇跡に近かったと思う。
雨の降る午前中、親父と故障したHOゲージの電気機関車を模型屋に修理に出した帰り、
東海道線の踏切で通過待ちしてると、複々線貨物線路、東京向きをD51の単機が走って来た。
親父がデコイチだ!と叫び、俺に窓を下げるように言い、ワイパーを早いスピードにして、
じっくり見ろ!と言われたので、車の窓越しにD51が通過して行く姿を踏切が鳴り終わるまで追った。
俺が生きてる蒸気、D51を見た最初で最後の姿だった。
D51が単機で東京方面に向っていたのは、何でか?知る由も無いが。
- 34 :
- >>33
どこらへんの踏切ですか?
- 35 :
- >>33
静態保存先へ自走で向かっていたとか?
- 36 :
- >>35
自走での移動はありえない。必ず貨物列車の次位で送られる。
無煙化後の単行で可能性があるのは、新線や増線の道床堅めの目的の工臨ぐらいしかない。
- 37 :
- >>34
現在は撤去されてるが藤沢に松下の冷蔵庫工場が在った時代、工場の北側に小さな踏切、
現在のソニー前に在る小さな踏切、今は歩行者用になってるが、当時はソニー側から一方通行になっていた踏切。
線路と道路の差が結構在り、車で踏切を渡る時は空を見るような感じで結構キツイ場所。
この踏切を挟んで西に保線用の側線が在り、黄色の小さな保線用の機関車みたいのが在り、
その場所と、その先に在る踏切、逆の東側は引地川の鉄橋が皆の遊び場だった。
蒸気、D51を見たのは一回だけ。後は見たこと無い。
その代わりにデッキ付電気機関車やEH10、EF58、80系、113系などは普通に見てたけど。
- 38 :
- >>35
さあ?何の移動かは知らない。
ただD51が単機で藤沢、東京方面走って行った。
昭和46年、47年頃の話しだから。
- 39 :
- >>38
D51448は昭和46年6月3日付けで新鶴見から大館に転属
昭和46年3月末には第一種休車扱いだったのは、転属前提で検査切れ
になる期間を浮かしていたものと思われる。
新鶴見区の蒸気も電気も資格持ってる機関士が工臨?仕業を担当するのは普通にありと思う。
湘南貨物駅周辺で何かの路線工事に借り出されたのでは?
当時、東海道線を蒸気機関車が単行で走行する可能性は他には考えられない
- 40 :
- 釜が転属する時はどうやって移動するのか長らく疑問だった。
今もはっきり分からないが。
何かの貨物列車にぶら下がっていくのか。
- 41 :
- >>40
ぶらさがりではなく次位の無火回送
ピストンやシリンダ弁が痛むことを防止するため
ロッドをはずして車輪自体だけが回転する場合が多い
有火回送の場合は乗務員を確保しなくてはならないので、
よほど工場や転属先と近接しているなど特別な場合以外は無火回送
工場・機関区最寄駅からは工場内の専用入換え機関車か相手先の機関車が運ぶ
蒸気末期は山手線のホームに立っていると、かなりの確率で
無火回送で大宮工や転属地に向かうカマを見た
稲沢から中津川に転属したD51は有火回送だった
- 42 :
- 汽笛オーケストラ 蛍の光
ttp://www.youtube.com/watch?v=Bq8xIEsFA9g
こんなこと、やってたんだね。
- 43 :
- サイドロッドを外すと位置を合わせるのが面倒なので、メインロッドのみを外すんじゃなかったっけ?弁装置も調整が面倒臭いので中立位置にしてシリンダーを傷めないようにする。
- 44 :
- 蒸気機関車のキャブの腹に区名札入れ(区名挿し)と仕業入れ(仕業挿し)が並んでたが、
昭和40年代以降しか経験してないものにとって、実働中の機関車の区名札が入ってない
ことはほとんどなかったが、東京周辺では仕業札が入っている機関区は少なかった。
長野・名古屋局の機関車はちゃん入れていて驚いた。
機関区ごとの区名札は同じ局では重複をさけていたようだが、
東唐津と西唐津なんてどうやってたんだろうか。
長岡みたいに2字使って分けていたのか?
区名札の全リストってどこかのサイトにあるんだろうか。
- 45 :
- 「港」で門司港だと分かる人どれくらいいるんだろ
- 46 :
- 門司は「門」じゃがのう
- 47 :
- >>45
門司港は「門港」の時期もあったようだが、長岡が運転所になる前は
岡一だった時代があるようにその時々で変化もしていたようだ。
昭和30年代以降は資料もそれなりにあるし、SLブームも45年ぐらいに最盛期に
突入したから、昭和20年代以前に蒸気配属がなくなった機関区の区名札が知りたい
あと駐泊所でも配置のある機関車に区名札が独自にあるところと、
本区のものをそのまま使うところがあったが、その違いはなんだったんだろう。
新・・・新得・新鶴見・新見・新津・新宮
大・・・大館・大宮・信濃大町・大分・薩摩大口
小・・・小牛田・小出・小山・小松島・小郡
同じ「新」でも各区で微妙に字体が違ってたが、さすがに
大・小はそんなに違いが目立たなかった
- 48 :
- そしてこの話題もおなじみだけど、蒸機時代を彩った南九州の機関区に見られた
「砲金製区名札」だけど、結局鹿児島工場管轄の機関区中心に見られたわけだね。
「蒸気機関車」誌57号の記事などによれば鹿児島「鹿」、吉松「吉」、宮崎「宮」、
人吉「人(独特の字体)」、南延岡「延」、志布志「志」、出水「出」が一般的で都城の
「都」は支区でも採用された希有な例、そして熊本の「熊」も存在した。
「熊」については復活した58654にも採用されたけれど、実際のものは字体も異なっていたし、
さらに熊本ならではのグリーンナンバーと同じ緑に塗られていたものがありました。
私が実際に見かけたのはD51の1両だけだったけど。
この他の宮地とか早くに廃止になった区とかもっとあったのだろうかが気になります。
これもまた蒸機全盛時代を物語るひとつの楽しいエポックでした。
- 49 :
- >>47
小郡は「郡」だったが……
- 50 :
- >>49
失礼、S38年の配置表そのまま書いてしまった。「郡」ですよね。ただ誤植なのか、それとも当時は
本当にそうだったのかは不明。
>>48
鹿児島工場の管轄かどうか不明ですが、大分局管内だと
豊後森とか柳ヶ浦はどうだったのかも興味は尽きません。
大分は砲金製じゃなかったはず。あとは熊本局内だと
荒尾・八代・高森あたりも砲金製というのは聞いたことがありませんが
宮地は宮崎と互換だったのかも。
- 51 :
- C6120は華蔵寺に保存されてた時、「宮」の砲金製区名札が付いてたけど、
あれは現役時代からのものだったのかな?
- 52 :
- 末期に奥羽から移動してきたカマ、C61なんかは砲金製もらえなかったなんて
話もあったなあ。 転属して間もない時のC612は区名札の中に白チョーク書きだった。
その後の18・19・20・24・28の区名札がどうなっていたかは記憶にないけど。
- 53 :
- 全検で入場していないカマは当然砲金区名札は難しかったのでは。勿論、休車や廃車のカマのものを
付け替えた可能性はある。なにせ末期に限らずデフや集煙装置はおろか炭水車まで廃車との交換があった。
D51160は直方から吉松に移ったあとは普通の「吉」名札だった。
当時の写真(最終撮影時期は1974.3)での判断だが、C57130は人吉から宮崎に移ったが、宮崎で砲金製「宮」に変っている。
南延岡は78626も砲金製「延」だった。C6118は砲金製ではなく、普通の「宮」名札。
勿論、撮影時期以降に砲金製に変えた可能性もある。
概ね昭和47年以降は全検切れをどんどん廃車にして、猶予のあるカマがたらいまわしだったので、
猶予のある昭和46〜47年の出場車は北へ南へとんでもない転属があった。
長門のD51なんて昭和45年以降、34輌、岩見沢も33輌が他区から転入していた。
- 54 :
- スレチだけどちょっと
素敵な動画見つけたので
貼っておきます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15282971?top_flog
バイクが好きな方どうぞ。
- 55 :
- 保守点検
- 56 :
- >>51
最終所属地が宮崎機関区
- 57 :
- 末期は本当にカマの転用がひどくて、
旭川のC5787.130.186とか
小樽築港のC58416、弘前のC58206
品川のC11292、稲沢のC6217
七尾のC11272,300,328
和歌山のC12215、紀伊田辺の88638
糸崎のC5776、若松のD6022,46,61,69
大分のC11270、鹿児島のC5552,57とC5036,42
吉松のC5723,85,151,154,182とC1264,99,167,225
宮崎のC1186とC6118,19,20,24,28
あたりは、流れ流れて最終配属区(書類上この区で廃車になった)
では過去配置がない機種だったのによく当時の労組が受けたと思う
(勿論諸般の事情=保存などで便宜的な最終配属になっただけで
運用自体はなかったものも少なくないが)
しかし保存だけなら例えばC11292をわざわざ品川区に転属させる
必要ないように思うが。書類も余計に必要になるだろうし
- 58 :
- >>57
七尾の三両は「ふるさと列車」牽引用だけどなぜか
28番ちがいなんだよね。
- 59 :
- 機関区配置表見てたら新鶴見にD51774というのを見つけた
このナンバー、俺出雲や大田で何度も見とるわ。 今は大社町で保存されてるし。
関東無煙化で廃車にならず転属されるのはよほど好調な釜なんだろうね。
茅ヶ崎にC11325というのも軽いショックだった。その後米沢かどっかに移動してるようだが。
まだカマボコドームだった頃か。
- 60 :
- 昔の配置表は順番がめちゃくちゃで抜けや誤記もあって脱力感がはんぱない。
昭和40年代になるとかなりまともになるけど。
無煙化の終焉直前の転属は状態の良し悪しも勿論あるかもしれないが、
むしろ全検の残りとのかねあいで運のいいカマが生き延びたんじゃないかと。
67〜70年あたりでほとんどの工場が蒸気の全検を廃止してたはず。
新鶴見から末期に転属したカマだと、
130 秋田→弘前×71.10.26
207 米子→長野×72.11.21
296 青森×72.3.27
448 大館→酒田×72.12.9
533 下関→長門×73.xx.xx
558 下関→小郡→長門×74.6.24
646 亀山×72.4.28
723 新見×71.12.20
774 福知山→新見→浜田×75.1.25
786 青森×71.7.21
791 大館×71.10.26
810 青森×71.10.26
確かに774は際立って長寿だったわけで、それなりの理由があったのかも。
子供心に横浜機関区で写真を撮ったりキャブに入って遊んだ遠い記憶の中では、
774は至って平凡で印象は薄い。重油併燃のタンクがついてた
130や296、786が格好よかった、791のプレートもいつも磨かれていて好きだった。
- 61 :
- 774号はこれといって特長はなかったが調子がいいのかよく使われていたようでした。
人気があったのは833や473などですかね。
浜田米子は末期になっても(他区からの転入も多くて)D51だけはたくさんいました。
- 62 :
- 関東のC57は無縁化の際ほとんどが転出もなく廃車、保存もされてないのが残念でした。
8号なんて若番もいたのに。
今関東に保存されているのは全部関東と縁が薄い機ばかりなんですね。
57,66,135,186,198(解体)
- 63 :11/12/11
- >>62
たしか新小岩や佐倉の末期のC57のうち、転出して保存されて生き残ったのは
160号があったと思う。野田市に保存された129は解体、さよなら列車を牽いた
105はめぐりめぐって動輪が会津若松に保存されている。こんなとこかな。
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