2011年10月1期鉄道懐かし153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 4
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153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 4
- 1 :11/12/02 〜 最終レス :11/12/17
- 前スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 3
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1293372819/
ベルが鳴り終わりますと、ドアが閉まります。
閉まるドアにご注意下さい。
- 2 :
- 過去スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう。
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220534891/
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1240044232/
- 3 :
- 関連スレ
国鉄急行型電車を模型で楽しむスレ Part6
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/gage/1284123073/
国鉄の急行列車・準急列車を語る
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220176128/
これ位かな、キハ58スレや交直流急行車のスレは無いようだし。
- 4 :
- >>1
乙です!
- 5 :
- どうせ153系と165系の話しかしないのにまたキハ58入れたのかよ…
関連スレ
【DC】国鉄型ディーゼルカー【キハ】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220196114/l50
- 6 :
- >>3 強いて挙げれば
修学旅行用155・159・167系・キハ58スレ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1250373002/
- 7 :
- >>6
12系PCはどうなるの?
- 8 :
- >>5
ディーゼルカースレはもう少しで終わるぞ
それにキハ58はネタとしてしぶといし
ホンモノの153系を見ていない世代もいるしな
- 9 :
- 若い鉄ヲタは現役の165系すら見たことない場合も多いよ。
- 10 :
- 165系の成れの果てなら富士急にあるがw
- 11 :
- いつまでそんな枝葉末節にこだわってるんだか…ww
153系非冷房なら東海道線で、165系非冷房なら高崎線(上野〜大宮を含む)で、乗ったことがある
普通車客室の扇風機が1両にたった4個しかなかった
80系300番台にならったのだろうが、それよりも首の傾き角度が浅く、風の届く範囲が非常に少なかった
- 12 :
- >>11
まだ2等車ですら冷房がない時代だから差別化で仕方ないだろ
扇風機という面では唯一155系がもっとも贅沢だったな
- 13 :
- 153系はJRに承継されなかったのが不思議
- 14 :
- 153は国鉄で燃え尽きたからこそ価値があるんじゃないか
南チタ車によく乗ったけど結構くたびれていた
- 15 :
- 165系と言えば漏れは長モトだな。田舎が山梨県の塩山と日下部(山梨市)だったから
必然的に急行アルプスやかいじのお世話になった。
そばコーナーはもうやってなかったが、サハシが連結されてたことがあった。
夕方のアルプスでこまがねとかが一緒になってた場合、到着時刻の放送が
新宿を出て次の八王子までの間に荻窪くらいまでやっていたような気がする。
新宿を午後4時過ぎで終点天竜峡が午後10時近くとは度肝を抜いた。
- 16 :
- 急行「赤倉」の7時間21分(名古屋ゆきの方は特急待避でもっと時間がかかっていたはず)運転も懐かしい
84年3月25日には名古屋から松本まで、クモハ165-22に乗車
薮原〜奈良井のサミットを越える道程もなんのその
さらに先の冠着や妙高越えの足馴らしとばかり、快調に走る
当時、すでにサロ110の一部を除いて153系は全滅していたが、165系は初期製造車もまだ大半が健脚ぶりを披露していた
「赤倉」は運転区間も長く、まさに165系急行ここにありという感じだった
- 17 :
- 電車赤倉は印象薄いな
2年半弱だろ走ってたの
165系急行としては恐ろしくマイナーだ
- 18 :
- 「赤倉」は、165系だけで組成された定期急行では、確か最長距離運転だったはず
東海道線〜山陽線直通急行は長距離運転なわけだが、「長州」は不定期で167系だったし、「宮島」なども153系との混成が基本で、165系オンリー(一部クハ164等を含む)は山陽線内急行に限られたはず
「赤倉」は、165系にとってバカにはならない重要な急行なのだ
- 19 :
- 「赤倉」は峠ありカーブあり海あり平野あり、特急が走っても良さそうな区間なのに最後まで急行、というところが良かった。
何より、中央西線・篠ノ井線電化で直流急行形電車直通可能となってからも
10年近く架線下気動車で運行された無茶振りがまたすごい。
- 20 :
- うん、赤倉は気動車の印象が強いな
末期までG車2両組み込みだったし、愛読書だった「こども百科」では急行列車の代表例として
取り上げられていた
長距離気動車急行としては「しらゆき」と並び二傑と思うわ
- 21 :
- >>15
オイラは、最終増備車が集結していた千マリ車が好きだった。
北総電化でくたびれた153系や冷改165系が入ってガックリしたけど、新製冷房車だけで組成された「なぎさ」「みさき」の美しさは、決して「アルプス」には負けていなかったと思う。
鉄道模型には興味ないのに、マイクロエースの「内房」仕様新製冷房車7連を買ってしまったよw
- 22 :
- 特急型EC・DCは、583系と185系以外どれも似たような塗装だったけど、
急行型の場合は、直流・交直流・ディーゼル、で全て別々。
この違いは何でかと思ったりする。
実は幼少の折は「湘南色命」だったんで、後年「DC急行や交直流急行型ECも
湘南色だったら(そうあって欲しい)…」なんて妄想したこともある。
まあ、実態としては、特急型EC・DCが全て同じような塗装である方が
特異的なんだろう。
余談だけど、東北・上越新幹線の開業(上野乗り入れ)後、「あさま」と「ひたち」を間違えて乗った
なんてトラブルも起きたらしいから、誤乗防止の点でも「全ての急行型車両が湘南色」は無謀だったか…。
- 23 :
- >>22
しかし一方で、直流近郊形と直流急行形は塗りわけこそ違えど同じ色だったわけで。
むちゃくちゃ乱暴な見方だけど、交直流急行形の窓周りを塗ってないのが交直流近郊形、
急行形気動車の上下ひっくり返したような塗装が一般形気動車だからねぇ。
それにやはり特急は特別な存在で、だからこそ全国同じ色だったんでしょう。
現に185系(電車の方ね)の登場以降、特急の性格が変わったし・・・
ちなみに内房沿線の従弟は、車体の色で特急と急行と各駅(普通)を区別してた。
だから彼にとっては総武快速は「各駅」、東海道線普通列車は「急行」だったw
- 24 :
- >>23
>直流近郊形と直流急行形は塗りわけこそ違えど同じ色だったわけで
そりゃ元が一緒だからな
80系の色を引き継いだだけだ
- 25 :
- >ちなみに内房沿線の従弟は、車体の色で特急と急行と各駅(普通)を区別してた。
だから彼にとっては総武快速は「各駅」、東海道線普通列車は「急行」だったw
正に俺だw 俺も千葉県住民。
- 26 :
- >>21
たいがいはそこから沼にはまっていくんだがw
- 27 :
- 153系にも近郊型化改造車があればよかったのに
同じMT46を積んだ451系は1993年まで生き延びたし、471系はMT54に交換されているものの未だ現役。
- 28 :
- >>27
間違えた
471系は今年3月に廃車された
- 29 :
- 考えてみると、東北線と常磐線、上越線と信越線、鹿児島線と日豊線、
とかの誤乗の危険があったんじゃなかったか。
だから一部の線区で「スカ色の急行型」なんてのがあってもよかった気がする…。
まあ、昔は急行にもヘッドマークがあったけど…。
- 30 :
- 誤乗がどうのって話になったらもう国電レベルで色変えないと駄目だよなあ
- 31 :
- そしてやっぱり転配がらみで混色編成になり誤乗防止に神経を・・・
って急行は側面にもサボ付いてたんじゃないの?
- 32 :
- >>31
勿論付いてるし
ホーム側にも案内があったし
間違いようがないけどな
- 33 :
- 101系や103系は転配がわりと頻繁に行なわれてたから
ドア上部に線名の書かれた誤乗防止ステッカーが貼られてたね
あと南カマのブルーの103系が横浜線に使われる際にも
おっとスレチだった
- 34 :
- >>32
一般的には案外誤乗もあるらしい。
ヲタにすれば「何でこんなケースで間違えるんだ」
と思えるような場合でも…。
東北線の「いわて」「まつしま」「ばんだい」、
上越線の「ゆけむり」「赤城」「草津」
辺りの併結列車なんか特に危なかった気がする。
急行じゃなくて悪いけど、当方の知人の1人は、大宮から下りの「こまち」に
乗るべきところを併結相手の「はやて」に乗って、盛岡で慌てて乗り換えたことがあったらしい。
全車指定席なんだから、切符に記載された号車の乗車口に行けばそんな間違い
起きるわけないと思えるが、実際にはあるんだよな…。
- 35 :
- 急行型車両って1972年を最後に製造が途絶したんだな
12系客車は1978年まで続いたが急行用ではなく波動輸送用が目的だったはず
- 36 :
- >>34
そりゃあ全くないってわけじゃないだろ
- 37 :
- キハ91は最高速度120km/hと急行型にしては異常な性能だったよな
キハ181系の試作を兼ねていたのでこんな性能になったようだが
- 38 :
- >>29
普通列車利用者が特急・急行に乗らない為の専用塗色なのに、それを線区別にだなんて・・・
- 39 :
- >>29
また千マリ車の話を蒸し返して申し訳ないけど、165系急行のヘッドマークと言えば房総急行だろう。外房=サザエ、内房=ヨットというワンポイントのイラストも珠玉だった。
房総を最初に走った急行型電車が153系なのはわかっていても、房総に転入してきた153系は最後まで異端車のような感じがしてなじめなかった。
晩年、新宿駅で「ムーンライト」仕様に改造された元千マリ車の165系を見ると、なんとも言えない気持ちになった。
165系は、前面までしっかり緑を巻いた湘南色しかありえないと、今でも思っている。
- 40 :
- >>39
でも精悍な表情の165系は平坦で温暖な房総には似合わないような気がしたな
気動車急行時代もキハ28ばかりで急行運用こなしていたのだから、153系で充分
な気がしたものだ
- 41 :
- >>40
確かに、性能的には完全にオーバースペックw
キハの頃は、ダブルエンジンを連ねて屋根が真っ黒のアルプスと、キハ28が主力の房総急行は別の車両に見えた。
でも、ハイランドスケートや中央線の集約臨なんかに165系が出撃してゆく姿を見ると、さすが万能選手と頼もしく思った。
153系が新宿や両国に停まっていてもアウェーそのものという気がしたな。やっぱり、東京駅がホームだろうね。
- 42 :
- そんな勾配路線向けの165系ですが、なんでも当時の複線で多車種、多種別の錦糸町〜千葉間での
宿命的な追行運転、ノコギリ運転では165系の性能を発揮できたとか…。
- 43 :
- 強いて言えば千葉は急勾配のような峠がないと言うのもあるよな。
峠越えらしい峠と言えば内房と外房の付け根を越える土気越えくらいか。
気動車時代はキハ58系ばかりか55系が入ったり凄いと17系まで入れたらしいな。
35系まで使った愚行もあったとか。
客車時代でさえ臨時急行で旧客だと43系なんかなくて、35系どころか61系まで
使ったらしい。
あの61系の座席で急行だなんて拷問だな。
- 44 :
- 気動車時代は夏の海水浴臨に
四国総局の車が応援に来てたよ
- 45 :
- 白土age
- 46 :
- >>39
「房総を最初に走った急行型電車」は165系(正式には1972/昭和47年7月「なぎさ」「みさき」から)で、153系は昭和50年3月からです。
- 47 :
- >>39
ところが電化前に海水浴臨で入ってるんだわ。>153系
非総括のDD13重連に電源車代用のクハ16を挟むってトンデモナイ形でw
ちょっと古いが、RM32号(1986.8)の55ページにズバリの写真がある。昭和38年との由。
- 48 :
- すまん。47は46へのレスです。
- 49 :
- 別な所でも言ったような記憶があるけど、もし153系と165系の塗装に違いがなかったら
今ここでなされてるような議論に発展したんだろうか?
まあ違うのは先頭だけだけど…。あと、153系には低運転台車もあるか。
というのも、交直流型は、特に抑速ブレーキの有無で塗装を別にするようなことしてなかったんで…。
- 50 :
- >>49
塗装のほかにも幌枠が違うね
153系はまだ急行列車が憧れだった時代を反映して、幌枠も化粧をしたように銀色だった
これに対して165系は近郊型と同じ実用本位の無骨な幌枠
何か暖かな平野育ちの公家と寒冷な山国育ちの武士のように思える
- 51 :
- >>50
153系の黄金時代を知らないからね。
急行伊豆にしても東海にしても、晩年の房総急行にしても、153系=くたびれたボロ車両というイメージしかない。それだけ酷使されてきたということなんだろう。
- 52 :
- >>46
ちなみに、房総を最初に走った165系急行は「なぎさ」「みさき」ではなく、房総西線(現内房線)の「うち房(確か昭和44年)」。
「うち房」の電車化のために、165系の最終増備車44両(新製時から冷房車。モハは全て800番代、サロはAU13搭載)が当時の津田沼電車区に新製配備された。
- 53 :
- 当分>46サンはここ来ないんだろうね
- 54 :
- yy
- 55 :
- >>50
前面強化のため幌枠を前に出した。
415系はなぜか最後まで銀色だったな。
- 56 :
- 実は近郊型の先頭車は、交直流用と直流用とで全長が僅かに異なる。
(交直流の方が少し長い)
幌枠を前に出すと連結面の間隔が狭くなり過ぎるのでその関係。
- 57 :
- なるほど
- 58 :
- 451・471系にあったという外吊式のドアってのを見てみたかった気がする。
これは後に引戸式に改造されたってことだけど、新たに戸袋設けるってのは
どれだけ手間だったかと思える。
まあ、北海道用の14系・24系客車も同様の改造されたが。
- 59 :
- >>58
>北海道用の14系・24系客車も同様の改造されたが
どういうこと?
外吊式のドアを引戸式に改造するのと
折戸式のドアを引戸式に改造するのが同様の改造?
- 60 :
- つまり急行東海の最期まで残ったサロ165-133も、最後はサロ110-401になった
サロ165-130も元は言うと内房線のための津田沼配備最終組だったってことか?。
- 61 :
- >>59
確かに改造の工程は「同様」じゃないだろうから、その点では「不適切」な
表現だったかも知れない。
「共に最終的には引戸式に改められた」っていうつもりだったんで…。
- 62 :
- 戸袋追加工事の意味だよね。
- 63 :
- >>60
幕張→上沼垂→大垣→静岡へ移った車はサロ165-132
サロ165-130は幕張→新前橋を経てサロ110-401だぞ
- 64 :
- >>62
その点で「同様」と思ったわけで…。
しかし、一時的にせよ外吊式のドアが存在したとなると、
車体幅が通常と同じで大丈夫だったのかという気もする。
「特例」で車両限界の抵触に目をつぶって貰った…!?
- 65 :
- 快速が東京行きなのに急行が両国行きなのが納得いかなかった。何で急行料金払って乗る客を冷遇するんだ
- 66 :
- 交直流車の外吊りドアは台枠強度の都合上。
北海道向け折戸から引戸への改造は冬季の動作不良防止の為
って聞いたな。
- 67 :
- >>65
快速が東京に入った時期の主流は183になってたでしょ。
- 68 :
- 165系のスカ色ATC仕様車があってもよかったのに
- 69 :
- 垂れ流し便所も改良しないと。
- 70 :
- 国鉄の労使紛争華やかなりし頃は、沿線に「列車便所の垂れ流しを改善せよ」
なんて立て看板があったりした…。
で、そんなさなかの昭和48年5月に、急行「信州」に乗ったところ、
車体の到る所にスローガンが落書きされてた。
これはもしかして、今日のラッピング電車の「魁」だった…?
- 71 :
- >>068
クモハにはATC乗せない方針だったから、難しかっただろうね
俺も見たかったけど
- 72 :
- 垂れ流し便所と言えば、ガキの頃、列車トイレの中で、いかにして踏み切り上にう○こを落とせるかを考えていたな。
- 73 :
- これがホントのクソガキという奴か
- 74 :
- そう言えば、'91年10月に城端線のキハ58に乗った時、トイレに行ったら、ク○が「置き土産」に
されてたのに遭遇したことがあった。何処のどいつだ、ちゃんと始末してけ、と思ったもんだった。
一応急行型車両での出来事だったんで披露した次第…。
20年前だけど、あの車両の便所が垂れ流しだったか改造済だったかは定かでない。
- 75 :
- >>65
房総用165系を製造する時代では既に東京地下線建設決定だったのだから本来ならば最初から地下線仕用で造るべきでは?165系1000番台みたいな・・
- 76 :
- >>75
専用のATC特急車大量配置が165の代替。特急車初の2ドア標準からも明らか。急行から特急への誘導施策。
津田沼165は後日、波動配転用途で新製。だから千葉では無用の低屋根。
- 77 :
- >>40
>気動車急行時代もキハ28ばかり
そういや房総や常磐には4VK電源装置を搭載しなかったキハ28冷房改造車もいたからな。
- 78 :
- >>77
キハ28なんかほとんど無かったな。
65+58+28-5K+58+65+58+65+58なんて編成が多かった。
そのころはもう昔のグリーン車を指定席車にしてたが、28はその1両だけやったね。
- 79 :
- 話の流れが房総急行になっていることを>>78が理解してない件について
- 80 :
- 理解してないんじゃなくて、いつでもどこでも自分の話しかしない荒らしコテだから
- 81 :
- 房総急行の場合、全区間乗るとほんのちょっとってとこで100km超える場合が
多かったけど、その場合でも「200kmまで」の急行料金払わされたんだろうな…。
北総電化の前年の頃は、急行料金だけで見ると、100円から200円と「2倍」に跳ね上がった。
- 82 :
- >>76
800番台新製配置は中央線との関連が深い地域柄、臨時アルプス等への運用を考慮していたのでは?
急行廃止で新潟に転属されたのを見ると転属ありきの低屋根ではないと思う。
急行形電車不遇の房総を生涯離れる事のなかった車両が10両もいたのが奇跡。
- 83 :
- >>82
そういや、幕張の車両が「あずさ」をやってたりしたよな。
- 84 :
- 夏は房総の海へ
冬は信州方面へのスキー臨
って感じじゃないか。
- 85 :
- 千葉発河口湖行きのハイランドスケート号は、千マリ165系が定番のようにいたし、アルプスの救済臨にも起用されたから、低屋根仕様は役に立っていた。
新カヌに転属した車両も、PS23に交換しなくても赤倉運用に入れた。
ちなみに千マリの165系は、早くから汚物処理タンクを搭載していたと思う。
- 86 :
- >>83
ときの183系が長モトに転属してくるまでは、千マリの183系と長ナノの189系があずさに使われていた。
- 87 :
- ほとんどE257系になってからも幕張183系の臨時あずさは続いてたしな。
ただしこういうG車あり9両編成は幕張と大宮しかいなくてほとんど幕張が使われていた。
ヘッドマークも往年の同じだったね。
- 88 :
- 新前橋に165が1両残ってると聞いたけど、今でもあるの?
- 89 :
- >>84-85
夏は房総の海、冬は甲信でスキー・スケートとか
修学旅行用電車のような使われ方だな
低屋根が必要になるわけだ
- 90 :
- そういえば、急行型の運転台計器盤パネルは横に寝かせたレイアウト。
115系などは立たせたレイアウト。よって外から見ると、計器盤パネルの背面が無いため、運転士の姿がよく見えるんだよな。
運転士からの死角は小さくなるからいいかもしれないが、速度計以外は見えにくそうだから古い設計なんだな。
- 91 :
- >>89
「操配用」という名目で予算付けて新製してる。
機動隊みたいなもんだね。
ATCまで載せたらオールマイティだったろうけど、常時入線する訳ではないし。
- 92 :
- ATC付き、A-A基準構造、シールドビームに下タイフォン、ヒューズボックス屋根上装備の165系1000番台(モハ164-1800含む)か。
胸熱だな。
- 93 :
- ただ、その時代になってたら、PS23系のパンタグラフも実用化されてた
だろうから、「M'1800番代」は見られただろうか…。
まあ、身延線入線まで視野に入れてたとすると、モハ114-2600番代張りに
「モハ164-1601〜(低屋根も殆ど目立たず)」なんかにはなってたのかも知れんが…。
- 94 :11/12/17
- もし第2次大戦に日本が参戦しなかったら流電がそのまま80系に移行して流電カラーが急行色になったのだろうか?
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