2011年10月1期生活全般てめぇらのじいさんばあさんの逸話を語るスレッド TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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流行ってると言われてるのに、周りで見かけないもの
明晰夢極めたいんだけど


てめぇらのじいさんばあさんの逸話を語るスレッド


1 :11/10/31 〜 最終レス :11/11/20
自分のじーちゃんばーちゃんが大好きな奴
自分のじーちゃんやばーちゃんのエピソードを語れよコラ!

2 :
ニートで筋力が弱ってる俺は爺さんにも勝てる気がしない。

3 :
うちのじいちゃんは戦争で食糧兵で駆り出されたので
仲間が痩せて帰還するなか、ひとり太って帰ってきたそうだ

4 :
昼過ぎに起きると自慰ちゃんと俺しかいない。
居間でワイドショー見てるジジイの横に座って
「オイコーヒーだ」と一喝
ジイは慌ててコーヒーを入れに行く。
その間、オレは録画しといたアニメを見始める。
コーヒー入れて戻ってきたじーちゃんは
チャンネルが変わっててオロオロしてる。
オレはすかさず「あ?」って表情して
ジジイは何も言えずに退散する。
「オウ、どこいくんだよジジイ」とじーちゃんを呼び止めて
強制的に一緒にアニメを見る。
昼になって腹が減ったから「メシ」と一言じーちゃんに言って作らせる。
クソまずいチャーハン作りやがったから
「まずううううううううwwwww」って皿ひっくり返して
ジジイの頭をはたくwwwwwじーちゃん涙目になってるwwwwww
次はラーメンを作ってきて、まあ、及第点だから許してやる。
夕方4時半頃まで、ひたすらじいちゃんとビデオを見る。
買い物に行くとか言い出すから、
「テメーが行っても誰も感謝なんかしねーよ。放っておけ」と
買い物に行こうとするじーちゃんを止める。
夜家族が帰ってきて、晩メシの材料が何もないことを咎められる。
オレはすかさず「ジーちゃんが行きたくないとか抜かすから」と言って
ジジイ涙目wwwwww。じいさんと一緒にこんな刺激的な毎日を送ってる。

5 :
>>4
!!じっちゃんを何だと思ってるっ

6 :
うちの婆さんは
台湾から引き揚げる時に国民党に財産を没収されたとかで(まぁ他にもいろいろあったんだろうけど)、
死ぬまで中国人のことが大嫌いだった。
「チャンコロが一人ばその分世界が平和になる」と公言して憚らなかったし、
実際「洪水で何千人が死亡」なんてニュースを聞くと凄く嬉しそうだった。

7 :
うちの嫁夫婦はバーチャンジーチャンを買い物に連れてく。
はたから見ると孝行してるように見えるけど年金支給日を狙い撃ち。
こないだは6万のガスファンヒーターを買わせてた
灯油とか生活必需品もさりげなく爺様のサイフから出させる。
自分らは1銭も使わない。

8 :
ウチのジジババは特に何もするわけでもなく
朝から晩までテレビにかじりついてるんだけど
お前らのジジババもそんなもん?
よそのうちの爺婆がどう過ごしてるかなんて知らんし興味ある。

9 :
>>8
うちもテレビメシ風呂クソ睡眠以外の行動はとらないな
まあくらいはしてるのかもしれないが、いや年齢的にそれはさすがにないかw

10 :
祖父母が死んだ後に、初めて祖母は再婚で、最初の結婚相手は祖父の兄だったと知った

11 :
ばぁちゃん引退してから何もすることがなくて暇そう…少しボケてきてる
皿洗いとかやろうとすると、いいんだばぁちゃんは座ってろ!って怒鳴られて
ショボーンとしてる。

12 :
2人の面倒を見る私は早くくたばって欲しい。これはマジレス。
おめーら外に出ろ!出かけろ!!邪魔だ!!

13 :
母曰く昔ばーさんが借金取りのいる所に乗り込んでったらしい。

14 :
うちの爺さんは元左官で引退後は左官の道具や材料で彫刻みたいなの作ってた
抽象的で誰にもなんだかよくわからなかったけど楽しそうだった
脳卒中で倒れてから左手がきかなくなってからは彫刻はやめてコラージュ始めた
新聞とかに載ってる浪曲CDの通販の広告の写真を私にきれいに切り抜かせて
それとちぎった包装紙や新聞のカラー写真の色のきれいなところ(青が好きだった)
なんかを組み合わせて色鉛筆やペン(これまた青)で模様を足したりしてた
青空や海の真ん中に白黒の浪曲士が浮かんでるようなシュールな作品をたくさん作ってた

15 :
爺ちゃんの事全然知らないままってしまわれたよ

16 :
俺40なのにじいさんもばあさんも未だにお小遣いくれる…orz

17 :
うちは夕方になると犬がじいさんを散歩に連れてくよ。

18 :
>10
うちもそのパターン。
前の夫が戦死したらしい。
昔の人はそういうの多かったみたいだね。

19 :
ダンナが死んだ→じゃあダンナのアニキと再婚するわ
昔はこんなの普通。

20 :
>>10
うちもそれだ
じーちゃん兄→戦地から帰って来たものの結核をもらっていて病死
じーちゃん→ソ連捕虜から負傷の為帰還
未亡人となったばーちゃんと結婚(じーちゃんは初婚)
→うちの親父誕生
当時はよくある話しなんじゃね?

21 :
じいさん役所に職探し→受付嬢のばあさんに一目惚れ→告白→お断り→お前が嫁にならねば死ぬ!→→すいません結婚してください→やだ
これを繰り返したが徴兵された日に告白したらオッケー貰い、ぜってぇ死なん!と決意してシベリア労働を乗り切った。

22 :
どんな経緯かは知らんが、じいちゃんは若い頃兄弟揃って結婚詐欺にあったことがある

23 :
昔の写真見せてもらったことあるけど
ちょwww誰これwww
ってくらいイケメンだったので軽くショック受けた

24 :
じいちゃんは自分から兵隊へ行きたいと申し立てたが身長が足りずにダメだったらしい。
本当かいな

25 :
うちのひいばあちゃんは、皇族の母をやってたらしい。
その時期に幼児だったばあちゃんは、皇室?の人に良いミルクを飲ませてもらってたんだって。
そのおかげで今まで虫歯になったことがないと謎の自慢をしていた。

26 :
NHKのおひさまを見てたとき、小学校で竹やりの素振りをするシーンがあったけど
ばぁちゃんそれ見て「あああああああ、やったわ!うちもやったで!」ってすっげー
キラキラして見てた。「こんなんで戦車やヒコーキ倒せるわけあらへんよw」みたいな
ことを当時思ってたらしい。ただ、口にはさすがに出せなかったって言ってた。

27 :
>>16
うちももうすぐ30だけどくれる
多分小遣いやるのが楽しみなんだろうからありがたく受け取って
そのお金であったか肌着とか婆さんの好きな芸能人のカレンダーとか買って
プレゼント(?)してるよ
ひ孫がいればひ孫に小遣いあげられるんだろうけどねえ
ごめんよ婆さん

28 :
じっちゃもばっちゃも大好きです。俺おっさんだけど。

29 :
>>16>>27
元気で長生きしてくれていいじゃん。
田舎者の祖母が戦前アメリカで生まれたと死んだ後に知ってびっくりした。
祖母は空襲のさなか子どもを産んだ。

30 :
家で1日中ヒマなのは
じいちゃん、ばあちゃん、犬、猫
そして俺。
父も母も兄も弟も今日も元気に働いてます!

31 :
近衛兵だったじいちゃん。
宿舎の2Fからむかつく先輩に小便掛けたらしい。
その後、同部屋全員殴られたらしいけど。
あんまり昔話はしないじいちゃんだったけど、
この話をする時はいつもニヤニヤして楽しそうたったな。

32 :
>>31
あなたはおじい様と同じく長身&イケメンと見た!

33 :
母方の祖父は海軍の技師で、「船の模型を作ってプールに浮かべて波を起こす」仕事をしていた。
上官に、将校にしてやるから大陸に行け!酒も食い物もあるぞ!
と命令されて、「自分は一介の技師で満足であります」と断ったそうだ。

34 :
亡き祖父
本当かは分からんが、戦時中は司令官として活躍し、昭和天皇から表彰されたらしい
(確かに賞状はある)
そのお陰で恩給が人より高いと
中学の頃、商店街の裏で子犬を拾った
子犬ってなんであんなに可愛いのだろうか?神だった
迷う事なくお持ち帰りしたものの、飼うには許可がいる
親は、(同居していた)おじいちゃんの許しが出たらいいよ、と
祖母も当然同じ意向
意を決して祖父の元へ

35 :
祖父は寡黙で、大黒柱を地で行く人間
祖父がカラスは白いと言えば祖母は黙って頷く、そんな人
でも俺には優しかった
怒られた記憶は無いが、怒らせたくはない雰囲気があった
で、犬の件
祖父は、
「いかん。散歩しなければならないし、小屋もいる。うちでは生き物は飼わん」
と門前払い
なだめる祖母
仕方ない、ダメなもんはダメ
そこを何とか…で揺らぐ人ではない
取り敢えず今夜はうちで保護し、翌日俺が学校から帰ったら母親と保健所に行く段取りになった
いざ下校、気分はどんよりだった…
下手に俺が連れて帰ったもんだから保健所行きになったのではないか?俺がスルーしてれば、ブルジョワジーに拾われてペディグリーチャム食べ放題の生活が待っていたのではないか?

36 :
家に到着
祖父が何やら日曜大工をしていた
ブロックで囲いを造り、下はセメントで固定する本格的なもの
何をしているのか聞いたら、俺を見ずに
「犬小屋だ」
エッ…
広さは3〜4畳程(結構広いw)で、周囲はブロックで、その上は丈夫なネットを張り巡らせてある
扉もしっかりとした造りで、何故か鍵付きw
敷地の半分は芝が敷き詰められていた
その場所は大きなカーポートの下だから、余程の風じゃない限り雨も当たらない
水道から引っ張る、巻くタイプのジェットホースも購入済み
小屋ていうより小さなドッグランのような、犬専用スペースのようだった
それだけでは無く、セメント?ってくらい大きい袋のドッグフードや、人工の骨のおやつ、木のオモチャなど、あらゆる用品が次々に行き付けのホムセンから届いた
泣いた

37 :
祖父の話。戦時中は満州の最前線に送られたらしい
が、結核にかかり日本へもどされた。日本の病院では「もう助かりません」と言われ、死ぬしかない人達があつめられた病室へ入れられる。
そこで、どうせ死ぬなら家に帰る!と言い自宅でずっと寝ていたらしい。
そうしたら何故か病気治り、その後50年近く生きた。
ちなみに祖父のいた部隊はその後全滅していたらしい。運強いな

38 :
バーチャンは小学校上がってすぐ死んだし
ジーチャンは中学まで生きてたけど耳が遠くてあんまり話しできなかったな
昔話とか聞いてみたかった

39 :
>>36
いい話だね
うちも犬飼うことになって、けっこう大きな小屋を作ったんだわ
そしたら当時3歳くらいだった娘が
「これわたしのおうちー」と言って座り込んでしまって
家族で大笑いしたことがあったわ

40 :
50代だけど、そろそろ自分がじいさんになりそうです。
ちなみに自分のじいさんは山口県出身でばあさんが会津出身で
結婚するとき賊軍と結婚するとは何事だとひいじいさんに勘当されたっていってた。

41 :
じいちゃんがばあちゃんを嫁にする際、ばあちゃんの実家から
ずっとおんぶして家に迎え入れたそうだ
30キロはあるし、山を越えなきゃならないから相当きつかったはずだ
『フジ』と言うばあちゃんの名前にちなんでうちに昔からある
大木の近くに藤の花を植えたじいちゃん
今は二人ともいないけど藤の花が大木にグルグル巻き付いて
季節になると花を咲かせてとても綺麗だ
こんな人達の孫で良かったなーと思う

42 :
田舎から出て来て偉い政治家の使いっ走りをしていたじいちゃんが、
住んでた下宿の大家だった子持ち未亡人とできちゃった。それがばあちゃん。
で、戦争行ってシベリアからやっと帰ってきたら、はっちゃけて外に女こしらえて
子ができた。
だから私の父には、種違いの兄姉、同父母の兄、腹違いの弟がいる。

43 :
戦時の話とかどうでもいいから
今どうしてるのか日常生活の話してくれ

44 :
>>24
家の爺さんも身長足らずで、兵隊に行って無いよ。
貧乏暮らしだったから、兵隊に行ったら少しは食えるし、戦争行って帰って来たら、年金も増えるってんで申し立てたけど、身長足らずで後回しにされて、ずっと後回し後回しで、結局終戦を迎えて兵隊に行けず終い。
その後の爺さんは、大雨で増水した川に落ちたり、路面電車に牽かれたり、割れたチェーンソーが体にぶっ飛んで来たり、癌の手術をしたり、年寄りの肺炎になったりしたけど、最後は老衰で100歳迄生き抜いた。

45 :
ちょっと切なくなるような良いスレかな、と思ったのに>>43(=>>1?)のレスで興ざめした

46 :
10年以上前に死んだ婆ちゃん、一生通して超田舎暮らしの超田舎者だったんだが
心が純粋な人だったらしく不思議体験話をよく話してくれた。
方言がキツかったが、トツトツと子供時代や娘だった頃の話を飾らずに話す。
婆ちゃんが10歳位の時の話。
婆ちゃんの住む山里の村に、今まで見たことない綺麗な着物を着た若い娘が
いつの頃からか出没するようになった。
村の人達は「町から来たオシ(喋られない人)か、ちょっと頭のオカシイ人」と言って
噂はしても無視していた。どうせそのうち何処かに行くんだろうから構うなと。
でも、初めて‘口紅塗った女の人’を見た婆ちゃんは「うわーなんて美すい女の人だべ!
ちょこっとでいいからもっと近くで見てみたいなあ」と思って少し憧れていたそうだ。
そして、何度か見掛けたこの美しい娘さんの後を、ある日の午後こっそり付いていった。
赤い花柄の手ぬぐいを姐っこ被りして、しゃなりしゃなりと田舎道を行く娘さん
少女だった婆ちゃんはワクワクして一人で尾行した。
田んぼ道から山道に入るあたりに差し掛かった所で、娘さんの綺麗な着物の下から稲?毛?
何かがチロチロと動くのが目についた。帯でも外れたのか?と、思ったとたん
娘さんはキャャ――ンと一声あげて両手を地面につけた。
驚いた婆ちゃん思わず「姐さまは狐かやっ?!」と、叫んでしまった。
これまた婆ちゃんの叫び声に驚いた娘さんは、
四つん這いのまま一瞬ピョーンと高く飛び上がって
姐っこ被りの手ぬぐいの端を真っ赤な口で噛んだ綺麗な顔で振り返り
婆ちゃんをひと睨みしてから山へ走っていった。
はだけた着物とフサフサの尻尾を揺らし山中へ逃げる「狐」を見て、
婆ちゃんは腰抜かす程ビックリ&怒りを覚えたそうだ。
オレの憧れていた女の人が、とんでもねえや!狐だったなんて・・・
ケモノのくせに人間を馬鹿にして、このやろう!だったらしい。
家に帰って母親に話したら「おめえ山学校して(学校サボる事)居眠りしてたんだべ!」と
誤解されて怒られたとの事。これもかなり悔しかったらしい。
この話は本当か嘘かは定かでないけどwいつも真顔で話していた。
婆ちゃんは、かなり巧い語り部だったと思う。

47 :
3行で頼む

48 :
それも携帯での3行

49 :
じいさんの名前は玉五郎ですガチで。

50 :
>>46のはまるで民話だな。いいなあ、そういうの。
自分のじいちゃんは、澤次郎。
玉五郎に比べたら、インパクトないなあ。
爺さんは子供の頃養子にもらわれてきたそうで、
こっそり柱の影でないていたりしたそうな。
ちょっと怖い爺さんだったので、実感沸かないんだよねぇ。

51 :
じいちゃんは、もう85くらいになるけど、職人でせんべい(クッキーみたい?)作ってる。
見た目も若くて70か65位に見える。身長も高いし(180くらい?)お洒落だし、
頑固だったりするけど、自慢のじいちゃん。みんなうちのせんべい買ってくれ

52 :
うちのばあちゃんは末端だけど某財閥の出です
ちなみに金持ちではない

53 :
うちは農村の出です
ちなみに金持ち。

54 :
うちの爺ちゃんも 身長足らずで 戦争行けなかったらしい。 飛行機つくったりしてたみたい。

55 :
ウチの爺ちゃんは17で海軍に志願して南方で10年。
その後は東京湾上で通信兵をしていた。
しかし、結核を発症して上官に退役を命じられた。
「まだまだ国のために尽くしたい!」という爺ちゃんに、上官は
「貴様は10年お国を守った。次は家族を守る番だ」と言われ、泣く泣く退役。
体調が回復した後に故郷に戻ったが、失意の日々を過ごしていた。
朝、公園のベンチに座り、そのままぼーっと夕方まで過ごす毎日。
それを近所の病院の看護婦が見ていたことに爺ちゃんは気づいていなかった。
看護婦は通勤のために朝と夕方に公園を通っていたが、
いつも退役軍人がぼーっと座ってるのが気になっていたらしい。
そしてある日、俯いて自分の靴の先しか映ってなかった爺ちゃんの視界に、
白い足袋と草履をはいた女の足が現れた。
視線を上げると、白衣を着た物凄くキツそうな美人が爺ちゃんを見下ろしてた。
「ちょっと兵隊さん!毎日毎日、朝から晩までいったい何やってるのよ!?」
「え、あ…?」
これが爺ちゃんと婆ちゃんの。
これ聞いた時は、ちょっと婆ちゃんに萌えた。

56 :
うちのおばあちゃんは城主の家のお嬢様だったらしい。
ただし連れ子。
最初の夫に先立たれたひいおばあさまが健気に子供二人を育ているのが立派だと
新聞に載り(何故??)、それを見た城主(先妻死亡)のお母様に是非後妻にと望まれて
子連れ再婚。
赤子だったおばあちゃんはお嬢様として育った。(下に妹二人、弟一人誕生)
戦争になって城主(ひいおばあさまの夫)は空襲で亡くなり、財産はどさくさで親戚に奪われ、ひいおばあさまはほとんど何も相続できなかった。
(奪った親戚は大きな病院を建てたらしい)
おばあちゃんは農家に嫁に出された。(食べられるから)
「出征前にせめて嫁を」的な結婚だったらしく新婚早々、夫は戦死。
実家に戻った後に広島で被爆。この時か空襲の時に、家宝の備前長船の名刀もひしゃげたとかなんとか。
ひいおばあさまはわずかに手元に残った高価な着物やら調度品やらを
栄養価の高い食べ物と交換する為に手放し必死で看病したとの事。
毎日どくだみを塗ったり飲ませたりした甲斐があってか
おばあちゃんも回復し、数年後におじいちゃんと再婚。
後年おじいちゃんが亡くなった時、落ち着くまで預かるわと言う異父妹を100%信じて
生命保険金を預けたら全額持ち逃げされ、以後息子(父)が成人するまで地道に働きながら貧乏生活に耐える。
この時代の苦労のせいか皮肉屋な所もあり、カープが好きで巨人が大嫌いな普通の
おばあちゃんだっったけど、お嬢様育ちの名残も少しあって
部屋で好きなクラシックのテープを聴きながら編物とかして
3時と10時は紅茶とお菓子の時間で、女学校時代のお友達と
電話で話す時は驚くほど綺麗な言葉で話していた。(皇族みたいな話し方)
でも火曜サスペンス劇場をこよなく愛していたw
最期は被爆が遠因のガンで亡くなった。

57 :
なので個人的には、今福島で子育てをしていて不安な人には
毎日どくだみ茶を飲む(飲ませる)事をお勧めしたい。
状況が違うから気休めかもしれないけど、とりあえずおばあちゃんは
60まで生きたし。

58 :
35年位前に父方の祖母が幼少期に妹が養女として親戚に連れられブラジルで生活していたのを数十年ぶりの再会ということでワイドショーに出演して妹がブラジルから日本に呼ばれ、祖母と対面をしたこと。

59 :
いつも「くそじじい」「くそばばあ」と言い合っている祖父母の話。
この間、いつまでたっても私に恋人ができないという話をしている流れで、私と母の顔がそっくりだという話になった。
するとばあちゃんが「母さんもあんたもじいちゃん似だからね〜」と言い出す。
なんの話かなーと思って聞いていたら「じいちゃん昔はすごくハンサムだったんだよ」と言い出した。
それを聞いたじいちゃんが「ばあちゃんだって昔はかわいかったんだぞ」と言い出した。
たぶん、だから私の顔もかわいいから大丈夫と身内贔屓のようなかんじで励まそうとしてくれたんだと思うが、私はじいちゃんばあちゃんのデレを初めて目の当たりにしてにやにやしてしまった。
いつも憎まれ口をたたき合っているけど、かわいいじいちゃんばあちゃんだ。些細なことだけどキュンと来た。

60 :
>>58
数年前にNHKで似たような話がドラマになってたけど、
まさかその姉妹がお婆様?
>>59
なんという典型的なツンデレw

61 :
ばーちゃんは78歳になるけど
散歩行くときはいつもじーちゃんと一緒で
しかも手を繋いで散歩に行きます。

62 :
>>26
やっぱアレそう思ってる人もいたんだw
鬼畜米英とか天皇は現人神とか神の国日本とかにもpgrしてた人いたのかな

63 :
死んだじいさんの家の裏庭は私が物心つく前は森みたいで、ある日母さん達が遊びに来てたときに青大将が出た。
私の上の兄弟が小さかったからさばいてころしたらしいけど、もし兄弟が良い歳なら放置してたのかな。
蛇所かちょっと大きい虫でも私は叫ぶから、青大将がいたら腰抜かすん。

64 :
>>55
いいね!
こういう話もっと聞きたい。

65 :
やだ、このスレ自作自演臭が酷い…

66 :
ばあさん小学生の時学校で空襲にあった、実際同級生何人かは亡くなったみたい
空襲始まって「そら逃げろ!!」となった時にばあさんともう一人友達は何故かみんなと違う方向に逃げた為に
グラマン(ばあさん曰く)に追いかけられたらしい
ばあさんとその友人は何とか逃げ切って今でも「よう!戦友!」と呼び合っている、あんた女だろ、、、w

67 :
祖母。
金持ちで、何不自由なく満州で生活。戦時中も白米しか食べたことがなく、
引き揚後暫くは食が合わず下痢続きだったと。
大きな屋敷に住み、日本から反物を取り寄せて着物を仕立てたり、
自分のとこの牛でしぐれ煮を作って食べたり…と戦時中とは思えない生活だった。
とても良い家族だったらしく、小作人とも仲良くしていて楽しかったらしい。実際戦後に無事か手紙がきていた。が、字が読めない…と残念がっていた。
敗戦後に満州脱出。
リュック1つしか持ってこれず、沢山財産を捨ててきた。
日本に来てからは信じられないほど貧乏生活で辛かったようだが、生きる幸せを感じて前向きに生活。
お嬢様だったので農業するのも慣れるまで大変だった模様。
祖父と見合い結婚。引き揚げてきた時の金目の物は義家族に盗まれたのが悔しい…とだけいってる。
未だに引き揚げ後の家に住んでいる。今の姿を見て思うのは育ちの良さはどんな暮らしをしていても残るんだなぁということ。
ちなみに祖母は大東亜戦争と言って話すがみんなのとこもそう?
祖父は戦争のことは全く話さず。ただ背中に傷があり、撃たれたか切られたかしたようだ。

68 :
俺のばあちゃんは子供のころ南の島(サイパンあたり)に住んでた。
ある日(戦時中)島に軍が攻め込んできたかなんかで船に乗って島を脱出したけど途中で船沈没。
そこを通りかかった潜水艦に救助されて生き延びたらしい。
ガキのころ始めてこの話聞いたときスゲェと思った。

69 :
逸話と言えるか分からないけど。
曾祖母は気の強い人で、98歳になった今でも「人に世話かけたくない」とほとんどのことを一人でやっている。
数年前に他界した曽祖父は、いつも椅子に座ってニコニコしている人だったが若いときは豪快で、色んな人の世話をしていたらしい。
曽祖父は昔、野菜を育てたり家畜の肉を捌く仕事をしていたのだが、ある日品物を売った帰りにきれいな櫛を見つけて買って帰った。
いつも苦労をかけている曾祖母のためにお土産として。
しかし、「あんたはもう!こんな高いもの買ってきて!」と怒られてしまい喧嘩になった。
今もその櫛で毎朝髪をといている曾祖母ツンデレ。

70 :
>>69
良き話ですなあ。

71 :
ずいぶん前に死んじゃったばーちゃん。
孫娘(母の姉の子)が、田舎から都会の大学に進学して初帰省した時の話。
どうやら大学で変な宗教に引っかかったらしく、常に「ナントカ様が」とブツブツブツブツ呟いてて、
目が完全にイッちゃってたそうだ。
「こりゃいかん」と思ったばーちゃんが台所からフライパンとおたまを持ってきて
ガンガンガンガン打ち鳴らし、「目を覚ませ〜!」って叫んだら
「ハッ!」って言って彼女は正気に返ったんだって。
ホントかよと思うが
「ホントなのよ!ホントに『ハッ!』って言って、虚ろな目がシャキッとしたのよ!」と一部始終を見ていた母は真顔で語る。

72 :
フライパンでガンガンアタマ叩いたのかと思った…

73 :
うちの婆さんが話していたのだが、爺さん家に嫁いだ頃、爺さん家の母屋が
小さいくせに6人住まいで婆さんの居場所がなくほとんど玄関先で生活していた
らしい。食事も、食卓が狭かったから一人玄関先だったとか。
俺からしたら大婆さんである所の姑が亡くなってやっと部屋での生活が確保出来た
と笑いながら言ってた。
あと、夜の営みは、やってたらバレるから離れの納屋で
農作業道具の影に隠れてやっていたと、これまた笑いながら言ってた。
うちの婆さんはまだまだ元気だ。

74 :11/11/20
古い家って母屋とか離れが普通にあったよなぁ
うちのじっちゃんの家も離れがある。
立派な建物じゃなくて土蔵の脇に
掘っ立て小屋みたいなのが経ってる。
今はボロボロでばーちゃんの農作業道具置き場になって
カオスな状態になってるけど
よく見ると、水道トイレもちゃんとあるし
昔は客人とか泊めるのに使ってたんだろう。
大声出しただけで崩壊しそうなくらいボロいよ。
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