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2011年10月1期神社・仏閣日本語のお経や現代語の祝詞はダメなの?
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日本語のお経や現代語の祝詞はダメなの?
- 1 :10/10/06 〜 最終レス :11/11/22
- 何故?
- 2 :
- 別にダメじゃない。 自分とこの仏壇とかすきなようにどうぞ。
- 3 :
- カッチョ悪いからダメです。
- 4 :
- 光明真言
通常バージョン
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん
日本語バージョン
心からお願い致します、宇宙に遍満し常住であられる大日如来よ、その偉大な誓いを示す悟りよ、
智慧と慈悲の掬いの光明を差し伸べて下さい。是非ともお願い致します。
うーん・・・まあ、カッコ良くはないかな・・・
- 5 :
- 真言とかは日本語だと格好つかないかもしれんけど
祝詞は現代語でもいいんでないかな。
素人がカッコよく古文祝詞を奏上するのは難しい。
- 6 :
- お経には昔から和讃と言うちょっと中途半端な日本語版(下手な漢文読み下し)みたいなものも多数あります。
- 7 :
- 現代語は悪くはないが、あまりに現代語に直すと荘重さや厳かさがなくなり、
気持ちが入らない。
唱えてても乗らない。気分的にノリが悪くなる。
- 8 :
- つまり「カッチョ悪い」のですねw
- 9 :
- 重要なスレです。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/police/1284047672/1-100
- 10 :
- 「ありがとうございます。」
祭儀で丁重な拝詞を用意していても
大前に伺候すると言葉はなくなり本当にこれしか出てこなくなり、
有り難さに感涙慟哭、御綾威にただただ平伏するばかりなことは実際あります。
神宮の大宮司以下伺候し居並ぶ中、祭主さまが就任為さった報告の祭儀の際は正にこのような状態だったといわれます。
- 11 :
- 口で唱えるときに独特のリズムは必要でしょ。
ノリが悪いとはそうことじゃないの。
- 12 :
- 平易過ぎる現代語だと、まるで台詞の棒読みみたいになる。
これじゃ気持ちや情感が全く湧かないな。
- 13 :
- 普通の人は自分でも何言ってるか分からん古文より
使い慣れてる現代語の方が気持ち込めやすいと思うが。
- 14 :
- これ好きでコピ保存してあるけど
ハニャーン心経
とにかくみんな空(クウ)なにょな。そう思えばつらいことも何もないにょだYO!
モノが在ると思ってもその実体は無いわけだし、
実体が無いようなモノも在るように見えるものだにょ。感覚知覚するのもそういうもにょなの。
とにかくモノ・感覚・知覚、みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしない、
汚くもならない浄くもならない、増えもしない減りもしない、当たり前の話だゴルァ。
実体がなく変化も無いんだから、縁起なんて表面的なこと、実体など無いわけでして、
無明がどうとか老死がどうとか、もう言うだけ無駄。悟りとか悟りを得るってことも無かったわけだ。
こう思えば何にも考えなくてすむし、考えないから怖いものナシ。
考え違いもないからもう究極だあーヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。
ブッダというのはみーんなこんな風な修行をしたわけで(ホントか)、
それで究極の悟りを得たと(なんだ結局得たのかよ)。
まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、
もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。
じゃあ唱えるぞ。
「ってよし、ってよし、もまえらみんなってよし。漏れもなー」
ハニャーン心経
- 15 :
- 祝詞は神様に奏上するもの。 神様がこちらに話しかけて来る時は
日本の古い言葉を使っている。したがって神様へは祝詞のような言葉の
方がふさわし。
- 16 :
- 古い言葉で神様に話しかけるから神様もそれに合わせてくれてるんじゃないの?
現代語で話しかけたら現代語で返ってくるかもよ。
- 17 :
- 昔ある聖書研究者が明治の文語体聖書と現代の共同訳聖書の語調、文体を評して
「現代の共同訳は確かに原典に忠実で分かりやすいが、文語体聖書の方が言葉が練れていて語調もよい。
何故かといえば現代口語は言葉としても歴史が浅く、練れていないので文としても余りいいものにならないからだ。
その点文語体は日本で訓読ができて以来、長い月日と使用を経た背景のお陰で言語として出来上がっている。」
と言った。
例として明治以降翻訳の文献の事例を上げたが、お経や祝詞にもそれがあるような気がする。
現代口語は成程分かりやすいが、如何せん祈願の言葉として使う時あまりにも生々しさが有りすぎ
あたかもあのマイバースデイの遊び半分地味たおまじないの文言やらラノベの台詞のような厨臭さが漂い、どうにも頂けない。(無論ラノベの擬古文は口語以上に厨臭さとみっともなさが出て来るが)
勿論内心で念じる言葉は自分の言葉、口語でしっかりしたらいいとは思う。
が言葉として読誦や奏上するのは古来からの文がいいんでないかと。
以前ある法会で陳べられた表白が現代口語を交え過ぎていて、余りのその言葉の生々しさと格調の無さ、気の抜けた文に閉口したので尚更そう思ってしまう。
あの表白は文章が下手というより、口語が如何に気の抜けた力の入らない言葉であるかという感じしかしなかった。
- 18 :
- >>1は、自分で祈願と頼む時だけは、特別に現代口語で
やってもらったらいい。
そうすれば、現代口語での祝詞がどれ程のものかが、
よぉ〜く分かるだろう。
- 19 :
- 祈祷なんぞ頼んだことない
- 20 :
- 自分で神社とか神棚に祈願する時は普通に現代語だよな。
- 21 :
- >>11が言うようなことが最大の理由だろうと思う。
で、2番目3番目に、>>12が端的な謂いだが、「荘重さ、厳粛さ」が不足するから、だと。
勿論、後者の「荘重さ、厳粛さ」に関しては、
多分に、イメージの歴史的堆積、語調そのものが持つ「硬さ」に大きく由来するので、
古文調でない表現が、そうした「硬さ」を強く持ち得るようになれば変わってくるかもしれない。
(現に、思わず顔をしかめてしまうほどの硬さでもって書かれた論文や評論というものは存在する。)
やはり最終的には、前者の「リズム(=拍)」の面がネックになるんだろう。(俗っぽく言えば「語呂のよさ」とも言える。)
>>6が触れているが、「和讃」或いはその形式をなぞったものは多くある。
(「和讃」は元々「御詠歌」の歌詞としてのものなので、語呂がいいのは当然とも言えるが・・。)
そして、たとえば白隠の坐禅和讃の読み易さ(語呂のよさ)は群を抜いていると個人的には思う。
具体的には、『どれだけ七五調に収まっているか』がポイントであり、
『現代語での表現は七五調に収まりにくい』ことが、
古文調の方が読み易く・ふさわしい、現代語によるものは「リズム(拍)」が取り辛く・格調が下がる、
といった違和感を生じさせるのだろう。
だから、現代語を使用しても、七五調を押さえることで、かなりそれらしいものにすることは可能なんではなかろうか。
尤も、『七五調を押さえようと思うと、「自然、古文調に近くなってしまう」』という日本語の文化的力学も働くだろうが・・。
- 22 :
- 3行でまとめて
- 23 :
- 3行もいらんよ
「カッチョ悪いから」だろ
- 24 :
- >>22
古来から、「古文調は厳粛な場面に即したもの」というイメージが根付いている。
七五調を外れると、もたついて美しさが欠ける。
「語調の硬さ」は、そのまま「雰囲気の硬さ」に直結し、七五調もまた、古来からの硬さを補強する。
- 25 :
- >>21の文章を簡潔にまとめると>>23になるわけだが
「カッチョ悪いから」の一言より>>21の方がなんとなくいいこと言ってるっぽく見える
というのと同じ理屈だろ。
- 26 :
- >>23
なぜ、カッコワルイのでしょう?
現代語によるやわらかい言い回しの歌唱曲・合唱曲等、或いはスポーツ大会等での宣誓、
或いは熱のこもった演説、或いは(平成)天皇の挨拶、などなど、
これらもカッコワルイのでしょうか?
>>25
的確だなw
- 27 :
- >なぜ、カッコワルイのでしょう?
カッコいい現代語のお経や祝詞がまだないから。
誰か作って。
- 28 :
- 最高ですか!!
- 29 :
- 御祭神に奉り奏上する祝詞等が古い大和言葉なのは「言霊」が発現し易いため。と聞き及びます。
現代口語には欠落してしまった豊かな謙譲、崇敬敬語の語彙も重要。
また、最も古い大和言葉?に従えば濁音はなく、半濁音と清音が基本になるのかなぁ・・・
仏教の漢文のお経は殆ど全ての人達には意味不明な有り難い単なる呪文にしか聞こえていないのが実情でしょう。
サンスクリットと近似の音と意味を先達が漢訳文(中国語)に苦心惨憺為さったものが多いと聞き及びますが、この時点で既にナマっているものを中国語が出来ない日本人が日本式音読みをする時点で完全に別物。イミプーの呪文状態。
ウチのお寺さん(真言宗高野山派)は一種独特です。歴代のご住職さんの読経は漢文らしい(教典を読謡)のですが、我々は教典を黙読で追いますが、なにを言っているか判別困難な節?で正に有り難い呪文状態。
- 30 :
- >>14
今時、2ch 語まみれの文体は恥ずかしくないのかと、
小一時間問い詰めたい。
- 31 :
- >>30
何年前のネタだと思ってんだよw
- 32 :
- >>31
何年前のネタなの?
- 33 :
- 2ch 語って使わなくなったなぁ。
せいぜい、まちbでDQN とか、
ホモ話でアッーとか稀に使うくらいか。
- 34 :
- >>32
初めて見たのが2003年のコピペだから、それよりも前だと思う。
- 35 :
- だから
好きだから保存してあるんだって言ったんじゃん
いつ見たんだろうこの板の般若心経スレだったとは思うが
いろんな訳とか載ってたけどこれ大笑いしつつ好きだった
- 36 :
- 語呂とリズム、プラス難解で意味が分からん
という条件を満たせれば現代語でもいいんだと思う。
- 37 :
- >プラス難解で意味が分からん
今のままでいいってことじゃんかw
座布団一枚 >>36
- 38 :
- 良くも悪くも「昔からそうだったから」ってただの形式主義だよ。
- 39 :
- 天理教の祭文は現代語だけど、なんかしっくりこないんだよね
卒業式の式辞みたいで宗教的でないというか・・・
- 40 :
- >>39
天理教の祭文は知らんけど、よく天理教の人が歌ってる(?)やつは
音程というか歌みたいにしてるのがいいと思うな。
初心者にも覚えやすい。
あしきをはろうてどうたらこうたら〜ってやつね。
- 41 :
- 「あしきをはろうてたぁ〜すけたまえ天理王の命。」
これに旋律と手振り付けがあったよな貴ガス
知り合いと親戚がやっていまつ。
昔、同級生の家が天理教で彼も幼少より自然といろいろ披露してくれていました。
子供ですからそれが、からかいのネタにされることもしばしばありました。
神道系ですので、件の文言は
「祓ひ給え。清め給え。
惟神。守り給え幸へ給え。」
と同じ意味合いになりまつね。
- 42 :
- 「祓ひ給え。清め給え」
を現代語にしたら
「祓って下さい。清めて下さい」
これだけ見ても現代語じゃダメだなw
全く気分が乗らない。荘厳さに欠ける。薄っぺらい。
やはり祈るにはそれなりの文体と厳かで日常と違う言葉遣いが必要。
- 43 :
- >>1
人に問うんじゃなくて自分て実験してみたら?
例えば現代語で唱えててどうなるか日記をつけてみろよ
- 44 :
- > 「祓ひ給え。清め給え」
これは、「ひ」が旧仮名遣いである以外は
このままで現代語だと思う。
「ひ」だって、発音は「い」だし。
(要するに、単に例としてイマイチ)
- 45 :
- >>44
良い例を希望
- 46 :
- お経はお釈迦様が死んで最初に作られた時
サンスクリット語は当時もそれなりに知識人でないと分からない言語だったから
「一般人が意味分からなきゃ意味ねーべ」ってことでパーリ語で最初に作られて
サンスクリット語の経典ができたのはそれよりずっと後のことだよ。
誰でも分かる文章から荘厳さや難解さや意味不明さを求めてわざわざ分かりにくくした。
- 47 :
- >>46
違うだろ。
格調高くしたら難解になったってだけだろ。
- 48 :
- 同じじゃねーかw
- 49 :
- 日本のカトリック教会の主の祈りは現代口語だね。
「天におられるわたしたちの父よ」てやつ。
プロテスタントは「天にまします我らの父よ」で現代語モドキの文語とでもいうのかな。
- 50 :
- カトリックはつい最近までラテン語だったよ。
プロテスタントが先に各地の言葉で礼拝を始めた。
個人的には神道の祝詞もそのままがいいし、お経もそのまま、
キリスト教もラテン語が一番だと思う。
もちろん個人の祈りは自分の言葉で祈るのが一番だよ。
車と燃料の問題にたとえると、どんな格調高く祝詞をあげても、愛という燃料がなければ車は走らないということじゃね
- 51 :
- 現代語の祝詞ってのも例文集にあるけど、それって幼稚園の子供集めてやった祭のなんだよね。
でも大人が殆どの場合どうかなるか。
ただの作文の朗読やね。
神前で中学生の作文発表や青春の主張されても仕方ないよーな。
- 52 :
- スタイリッシュお経
http://www.youtube.com/watch?v=HakgMDrDiwg
- 53 :
- 本来は現代語の祝詞こそが正しい
- 54 :
- (児童向け祝詞)
二回おじぎをして、二回お手々を打って、一回おじぎをして。
「かみさま、いつもありがとう。」
(神社本庁の祝詞例文集より)
- 55 :
- うむ
- 56 :
- 如来経の「お経様」は名古屋弁
- 57 :
- >>1
神道での言い伝えでは祝詞に使われている古い言葉は神が使っている言葉で
最も神に通じやすいそうです。従って現代語で言うよりも良いそうです。
- 58 :
- 古語(大和言葉)の場合、より言霊が発動し易い。云々。
そうすると、イニシオには清音と半濁音のみで、濁音は無なかったと言われますから、読み替えが必要賀茂?
- 59 :
- >>1
ギャル語がわからない中高年がいるように
神が現代語をわからないから
- 60 :
- >>58
濁音がなかったということはない。
例えばイザナキ、イザナミ。
イザナギは近年イザナキだということがわかったが、ザはそのまま。
つまり濁音はある。仮名による表記法がなかっただけ。
- 61 :
- ´| ̄`ヽr<´ ̄  ̄`ヾ´ ̄ `ヽx''´ ̄「`丶、
/ _|ノ ├〈,.-― ;. _ ,ゞ--'、:\___lヽ
,':∨::\ /´ ̄  ̄`ヽ ヽ/´ `ヽ、-.、 \::::::::::',
|、_;/ / /´ ,. 、 、 \. \ \―|
’、 / / ,. / / ,ハ ',. ヽヽヽヽ \ヾ/
\_/:/:/:./ , / .,' / // | l | , l: | ', ',. ! l :',!|
|/:/::/:/:/:! l | { /|:! l l } !ノ|::,!l | :| |::|:::::::|ノ
|:/l/:/:::,|::|:{イ⌒lヾゝ ノノイ⌒lヽ|:::!::}:;!::l::::::/
|::/|/l::/l';:{ヾlー''! lー''!/リノノ/::/:l::/
|| |:/リ、|::l;ゞ ̄´´ ,. ` ̄" ハ:lリノノノ'
リ |' __,⊥!、 " " r===、 " " /ノノ ||
'/´\:: : \ ヽーノ /`ーァ-、 ヾ、
_ / li : . ',.`ヽ、 _ ,.イ´ /.ノ::l| ヽ \____
. /'/ |l ヽ `Y´ / './ . :l| |、 / /
\l |l, \\_!_/ ‐ ´ 、!| | |\ ̄
| /; ´ ` ‐ , ヽヾ ! \|
| / ヽ::/ `ヽ |
| ,' ` ', ! 同じ板にコピペするとそのままだけど、
. | |::: ヾ ヾ .:| .| 違う板にコピペするとがポロリと
| '、:::.:.. . ― . .:.:::,' ! 見える不思議なギガバイ子コピペ。
',. \_:::.: : :_二二二:_: : : : .:.:.:.:::/ ,'
':、 ト、 ̄ ´.:.:.::::::::::.:.:.:.` ―┬ '′ /
\ |l ヽ l| /
. `/,' ヽ \ ',/
- 62 :
- (´・ω・)
- 63 :
- なに言ってんだかわかるようなわかんないような意味不明な厳めしい言葉を使うことで意識を煙に巻いて
トランス状態に入りやすくなって神人合一しやすいんだろうきっと
手っ取り早く日常の意識から祈りの意識に切り替えられるってーこったー
- 64 :
- 隻手の声(せきしゅのこえ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
白隠が修行者たちを前にして、こう言った。
「隻手声あり、その声を聞け」 (両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。)
,、‐ ''"  ̄ ``'' ‐- 、
/イハ/レ:::/V\∧ド\
/::^'´::::::::::::i、::::::::::::::::::::::::::::\
‐'7::::::::::::::::::::::::ハ:ハ::|ヽ:::;、::::::::::::丶
/::::::::::::::/!i::/|/ ! ヾ リハ:|;!、:::::::l
/´7::::::::::〃|!/_,,、 ''"゛_^`''`‐ly:::ト
/|;ィ:::::N,、‐'゛_,,.\ ´''""'ヽ !;K
! |ハト〈 ,r''"゛ , リイ)|
`y't ヽ' //
! ぃ、 、;:==ヲ 〃 片手であるわたしがたたく 拍手の音を聞きなさい。
`'' へ、 ` ‐ '゜ .イ
`i;、 / l ,-v-、
〉 ` ‐ ´ l`ヽ / _ノ_ノ:^)
/ ! レ' ヽ_ / _ノ_ノ_ノ /)
/ ノ ノノ//
___ / ______ ノ
(" `ー" 、 ノ
``ー-、 ゙ ノ
( `ー''"ー'"
\ /ノ
「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある」
- 65 :
- 「祈り」は「意乗り」。非日常的なノリが大切なんじゃないかね。
- 66 :
- キリスト教だって
ヘブライ語だけでやったりしてなさそうだし
- 67 :
- >>1
口語訳で唱えることはさすがにないが、お経を訓読するのは珍しい事じゃないだろ。
主に部分や偈とかだが。
般若心経ぐらいなら訓読でも十分だろ。長い文だと訓読だと時間がかかるから。
あと「教え」でなく「呪文」として読むならやはり真読の方がいいだろう。
今まで訓読の話が出てきていない(和讃はあるが)。一気に口語云々の話になってる。
漢文訓読は「日本語」だぞ。
- 68 :
- いやあ、読み下しの訓読は特に悪くないかと。
心経あたりは短すぎるから真読のままでもよかないかな。
後は解説でもあれば尚宜しいってなもんで。
ただここの>>1のお望みは現代口語で、って事みたいだから訓読でも訳ワカランで済んでしまうかも。
- 69 :
- 恒河沙ベクレル阿僧祇ベクレル那由他ベクレル一切皆苦
- 70 :
- 仏教の教典も漢文に成った時点で中国語に翻訳(原典に近い音と語彙に留意して)されている訳やから、
その内容が大事で有って和讃や汲んどくは許容範囲。
そのイミプーの漢文(内容)を呪術的に何か威力のある呪文のように有り難がるのはちょっと違うのではないかと?
- 71 :
- 漢文の音読みも日本訛りでは何をっているのか完全にイミプー状態。
- 72 :
- 毎日お経あげてると意味がわからない呪文のような
内容でないと、飽きちゃうよ
- 73 :
- 呪術として読経する人は
「抑揚やリズムが間違ってると効果がない」
とか言うからな。
そして、宗派によって漢字の読み方が違って揉めたりするの。
そんな人らにとっては日本語訳なんてもってのほかだろう。
経典の内容を理解して実践しようという教養のある人なら、
ちょっと解説を読めばだいたい理解できるから
漢訳のままでも良いんじゃね?漢字知ってんだし。
祝詞は日本語だからなおさら
- 74 :
- 漢訳経典はサンスクリットにして唱えようぜ
- 75 :
- 生きてる今はイミブーなのに死んで幽霊?とかになったら
有り難がって成仏できるようになるんかね
- 76 :
- >>75
だったら生きてる間にお経の勉強とかする意味ないじゃん
逆に生きてる間に身に着けた知識でしかお経を解釈できないなら一般人には現代語でやれと。
イタコに口寄せしてもらうと京都の公家だろう江戸の武士だろうが外国人だろうが東北なまり。
生前本人が一度も発したことのないような言葉で遺族に話しかけてくるから摩訶不思議w
まあだからと言ってあの世がない、死んだら終わり、唯物論マンセーというわけではないが、
少なくとも死人との交信というのは不可能だというのが持論です。
霊能者や霊媒師はもちろん、お経や祝詞の類も全部インチキでしょ?
だから歴史的な権威付けのためにアリガタイ分語調とかでやってるんでしょ?
変な言霊よりも音霊(オトダマ、造語)=本人が生前好きだった音楽を流してあげる方が、
まだ供養になるというか、遺族にとって亡き人を思い出し供養できた気がするんでないの?
- 77 :
- インチキというか、お経で成仏できるのって文化とか習慣とかで
「お経とはそういうものだ」と認識してるからでしょ。
そうでなければお経なんて聞いたこともないクリスチャンの外国人の幽霊にも
お経聞かせたら成仏しちゃうってことになるがさすがにそれはないだろうし
一般的日本人の幽霊に聖書を読んでも多分効かないだろう。
- 78 :
- つまり自分に向かって読まれているお経らしきものを日本人が聞いたら、習慣から
「あれ俺もしかして死んだの?じゃあ成仏しなきゃいかんな」スイッチが入ると?
- 79 :
- サンスクリット語読みのお経では成仏できるのだろうか
- 80 :
- 仮にホラーゲームのように悪霊に襲われるようなシチュエーションがあったとして
お経を唱えるのは襲われた(生きている)人間に自信のようなものを与えると思う。
「よっしゃ、これで勝つる!」みたいな。
そんでその気合いのような生きてる人間のパワーは、死んだ人間より強いと思うんだよ。
要は気合いですよ。
気合いが入るなら別にお経じゃなくてもかめはめ波でもいいんです。
- 81 :
- ファブリーズ除霊とかもそういうメカニズムなんだろうな。
既にオカルト板では定着していると聞いたが。
- 82 :
- お釈迦様って、サンスクリットじゃないよな
マガダ語だよな
- 83 :
- 格調が感じられる言葉の方が、自己暗示がしやすいのは確かだな。
- 84 :
- 要するにお経を漢文で読むと言うのはプロとアマの違いをつけるために重要な
アイテムなんだよ。
誰でもがわかる現代文だと理詰めで論理的に迫られてきても困るし、
外国語や古文で煙に巻いてゴニョゴニョと逃げ道を作っておかないと・・・
- 85 :
- 大勢で合わせて読む場合、現代文だと、
「言い回し」や「スピード、テンポ」などが合わせづらいってのもあるんじゃない?
たとえ、木魚等のリズムを取るものがあっても。
歌、合唱曲は、きっちりと、全ての音が決まった音符に乗っていて、決まった長さやテンポになってるから、
その「曲」の方を覚えてしまえばよい。けど、卒業とかのお別れの言葉などは、綺麗に揃うまで皆苦労する。
たとえば、高校野球の選手宣誓を、全員が声をそろえて言うのは結構難しいと思う。
現代文のお経でも、歌みたいに一つ一つに曲がついてたら、憶え易いし歌い易いかも。
みんなカラオケは得意だろうしw
- 86 :
- お経には意訳?読み下し?た和讃ちゅうものもありまして・・・
・・・般若心経の最後の有名な真言部分
(訛ってますが、)
がーてぃーがーてぃーパーラーがーてぃーぱらさんがーてぃーボーディーすばはー
漢訳で訛って(古代の中国語では音は近い?)
日本語の漢語読みで訛りまくって原型と元の言葉としての意味は崩壊し単なる意味不明な呪文。
ぎゃーてーぎゃーてーはらーぎゃーてーハラソーギャーテーぼーじーそわかー
伝わっている各国で読み比べをすると面白いかもね
- 87 :
- 聖不動経みたいに原則和文で読むお経もあるしね
ゴマ祈祷の時に読むと中々感動する 不動さんは衆生を救うために青黒い汚泥まみれで
一歩も退かない不退転の形相なんだなあ、って
- 88 :
- 性転換清浄句是菩薩位
性転換阿闍梨て、まだ生きてるの?
- 89 :
- ダブル木魚をエイトビートで刻み、他の宗派をディスル日蓮は見たい
- 90 :
- お経じゃないけど坐禅和讃、菩提和讃がいいよ
- 91 :
- お釈迦様もサンスクリットじゃないから、(マガダ語と言われる)なんでもいいと思うよ
- 92 :
- シェルドレイクの場の生成理論というのがある。
同じ現象が繰り返される事で世の中に新しいルールが生まれるというものだ
(ワセリンは自然界では液体であったのが、19世紀に工業的にワセリンが固形化されるようになると
自然界のワセリンも固体になってしまった話は有名だよね)
お経や真言も同じ理由で「大勢の人が長い期間、同じ言葉を唱える」事で
何かの力が生まれるのではないだろうか
なのでサンスクリット語のお経を中国で音訳したものを唱えても、同じ訳のものを
たくさんの人が唱えるなら、原語と違っていても力は生まれる
ただしなるべくたくさんの人が同じ言葉で唱えるほうが望ましいので真言などは
サンスクリット語読みのまま唱えたりする
以上で考えると、現代語訳のお経が力を持つためには多数の人がそれを読まなくてはならない
1人で読んでも力は生まれない
- 93 :
- 瀬戸内寂聴さんも、みんなが拝んでくれてない仏さんは力が無い
だからみんなウチの仏さんを拝んでくださいって言ってたね
- 94 :
- 現代語訳はお勧めできない。
誤訳とか訳し切れない部分がどうしてもあるから
- 95 :
- >>92
その理論だと今は「南無妙法蓮華経」が最強?
- 96 :
- 信者の数なら、阿弥陀如来様や観音菩薩様が多いように思う
ただ、お経は生き方を説くのに意味不明ですでは、なんかちがう気がするな
- 97 :
- 学会信者とかどうなるんだろ
- 98 :
- このままだと学会が最強に...
- 99 :
- 学会最強と認定されますた
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