2011年10月1期家庭デキ婚狙ってメシウマしようと思ったが、正直辛い
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デキ婚狙ってメシウマしようと思ったが、正直辛い
- 1 :11/09/07 〜 最終レス :11/09/09
- 書き溜めていないうえに、自分語りです。
iPhoneからの書き込みなので、改行がおかしかったらすみません
- 2 :
- スペック
私 19
主人 26
主人と知り合ったのは私が18の時。
ゲームのオフ会で知り合いました。
私は就職と進学両方に失敗し、担任の知り合いが営むガソリンスタンドで働いていました。
週6日で7時間勤務で、時給は760円。
それで大体月10万ちょっとは稼げていました。
稼いだお金は、実家に住んでいたので、家賃代として月4万を母に渡していました。
残りのバイト代も全て母が管理し、私は毎月2000円をnanacoにチャージしていました。
だから友達とどっか遊びに行くとかは出来ず、近くで開かれるオフ会だけが癒しでした。
- 3 :
-
オフ会は毎週開かれていたのですが、バイトを安易に休むわけにもいかず
オフ会と休みがあった日だけ参加していました。
だから主人と会えるのは月に一度あるかないか程度でした。
主人はこちらに仕事の都合で転勤してきたらしく、実家は九州だと知りました。
私の中で九州の人は野蛮でガッチリしていて、クマみたいなイメージがあったので
ほんわかした主人とは全く繋がらず、最初はかなり困惑しました。
何回か会ううちに、同い年では無い落ち着きと朗らかな人柄に惹かれていました。
ですが二十歳を過ぎた男性が10代でしかも
高卒フリーターを相手にしてくれるとは思わず、諦めていました。
- 4 :
- オフ会から帰り、何をしたかなど父に話したりしてバイトだけだった日々が
嘘のように楽しく感じました。
だからバイトを始めて二ヶ月でnanacoにチャージするお小遣いを貰えなくなっても
あまり気にしませんでした。
バイトの方も慣れてくるとガソスタの仕事以外にも
オーナーが育てている花の手入れや
畑の草刈りや種まき、収穫などもやらせてもらいました。
高校に通っていた時よりも充実していたと思います。
オーナーから信頼もされ、時給もあげてもらい
何もかも順調でした。
私はお金を貯めて、自分の力で大学に行くことをこの時決めました。
家賃と携帯代を除いた額を貯金に回せば、入学資金ぐらいは
余裕じゃないかとオーナーと話したりもしました。
- 5 :
- バイトを始めて半年が経った頃。
母が怒り狂って私を説教しました。
「最近バイトを怠けている。収入がなんで半分になっているんだ」と
私は免許を持っていなく、バイトの関係上やはり免許は必要と
言われたので、バイト代から貯金に回していたのを免許取得の為に別の口座に貯めていました。
それが母には気に食わなかったらしく、久々と言っていいくらいの体罰を受けました。
それに加え、最近遊びに行っている事も気に食わないし
進学も就職もしていないお前が気に食わないと言われました。
私は在学中大学に行きたいと密かに思っていたのですが、実家は貧しかったのと
母が女が学をつける必要は無いという考えの持ち主だったので
猛反発されました。
でも大学に行くのはどうしても諦めれず、担任に相談し
本来なら禁止されていた一年からのバイトを許可してもらいました。
入学資金を自分で貯めるなら仕方ないと
母も渋々ですが承諾をしてくれたはずでした。
でも実際は、女に学は必要無いという考えは変わらず
私が大学について話をする度に
「生活が苦しいのはこいつの為に貯金をしなきゃいけないからだよ」
と、下の兄妹に話していました。
- 6 :
- 削除
- 7 :
- マジで移ってきたのかwwwww
- 8 :
- ここでもなかったですか?
誰かに聞いてもらいたかったのですが、違っていたなら本当にすみませんら。
- 9 :
- どゆこと?
- 10 :
- >>8
続けて
- 11 :
- ありがとうございます
その言葉に耐えて学生時代の三年間バイトをやり通し、かなりの金額を貯めたとおもいます。
ただこの時から通帳とカードは母が完全に管理していました。
だから私は正確な金額が分からないまま、働いていました。
母はバイトだけやるなんて自分過ぎると言っていたので、学校が終わり5時からバイトに入り
10時にバイトを上がり、帰宅後は掃除洗濯洗い物を
完璧とは言えませんが、こなしていました。
それでも母は気に食わないと言って、私を罵りました。
父は私を庇ってはくれましたが、母が離婚してもいいのかと脅すと
黙ってしまう人でした。
だから私は罵られるたびに土下座をして、何時間も頭を下げ続けました。
でなければ、ほんの些細な事で下の兄妹も巻き込んでしまうからです。
ありがたい事に母は仕事人間だったので、自宅に帰ってくるのは月2回程でした。
だから学生時代の時、母はたまに家庭を壊して行く
悪魔のような人という感覚で、母親とは何故か思えませんでした。
たぶんその生活が私が小学生の頃から当たり前だったので、母<<他人という
感覚になったんだと思います。
- 12 :
- 私が高3にあがり、卒業間際になった頃。
母が仕事を辞めて自宅に帰ってきました。
私はバイトばかりと言われないよう、家事と学業とバイトを出来る限りこなしていました。
そして進路希望を出す最終時期に母に言われました。
「就職だって言ってんのに、何かってに進学とか言ってるの?」
母は私に金の無駄使いだから就職に変えろ、女に学は云々と言い続けました。
それでも私は自分でお金を貯めたし、奨学金だって貰えるから行きたいと話しました。
けれど母は絶対にダメ。
第一お前は金が貯められていないと言われました。
頭の中は真っ白になりました。
三年間バイトをしていたのは一体なんだったのかと母に詰め寄ると
「そんなものは制服代と教科書代に消えた」と言われ
それでも残っているはずだから、通帳を見せて欲しいと言うと
「私を泥棒扱いする気か!」とハサミを投げつけられました。
「泥棒はお前だ」と叫ばれ、身体中を殴られました。
- 13 :
- その日は夕飯抜きにされ、自室に叩き戻されました。
それから母は担任に連絡し、進学から就職に変わりましたと話していました。
翌日は担任と私の2人で話し合いで、本当にどっちにするかと言われました。
担任は私が中学時代の話を学校側から聞かされていたようで、私が本当に進学をしたいなら
担任から話をつけるとまで言ってくれました。
けれど、私はまた進学だと母に話すのが怖く
担任に就職でお願いしますと言いました。
就職に変えた時期が時期だったのと、氷河期がダブルできた為に就活は絶望的でした、
就活の最後の最後に、担任の知り合いの方に私を紹介してくださり、なんとか仕事先が決まりました。
仕事内容はお弁当の宅配サービスで、住み込みで働けるようでした。
母にその事を話すと、食いぶちが減ったと大変喜ばれました。
すみません、主人が帰ってきたので一旦止めます。
- 14 :
- まだ?
- 15 :
- 先が気になるお
続けて続けて
- 16 :11/09/09
- 虐待話で終わりそうだ
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