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2011年10月1期野球殿堂【近藤節】近藤唯之スレその3 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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トレードで運命が変わった選手について語るスレ
近鉄バファローズスレ その2
悲運の名将・西本幸雄
日米野球の思い出 2


【近藤節】近藤唯之スレその3


1 :07/02/14 〜 最終レス :11/12/20
「やったぁ、もうすぐ1000だぁ」
このスレの住人なら誰もがそう思っていたはずである。
だが、スレの運命なんて3日先が分からない。
「このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています」
この一言でスレの住人は凍りついた。
それはそうだろう。2度目の1000到達は間違いないとタカをくくっていたら、
いつの間にか過去ログ倉庫に格納されていたのだから。
人間、油断はするなという話なのか。
前々スレ
【近藤節】近藤唯之スレ
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1079790763/l50
前スレ
【近藤節】近藤唯之スレその2
http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1115637749/

2 :
まさに人生一寸先は闇という話なのか

3 :
前スレが読めなくなったとき、近藤スレに集っていた
多くのサムライたちは、いったいどういう行動に出たのか。
女学生がダンスのパートナーを変えるように、気づいた者が
すぐに次スレを立て、するりと移行したのか。
私は当時、近藤スレに出入りしていた筒井敬三投手(昭和34年
12月6日、東映フライヤーズ合宿所無私寮にてガス中毒死、
享年36歳)にインタビューした際にそのときのことを聞いた
ことがあるが、筒井は人懐こそうな顔を苦痛にゆがめて、
腹の底から搾り出すようにこう答えた。
「いやぁ、あのときは参ったなぁ。『誰かが立てるだろう』
 と思い、私は銀座のバーに繰り出して、ウォッカを飲みに
 飲みました。気がつけば夜の12時を回っている。もう大丈夫
 だろうと思って帰宅してスレを見てみたら、まだ次スレが
 立ってないので驚きました。今さら私が立てるのもちょっと
 間が悪すぎるし、どうしたものかと」
私はこの筒井の行動を、「無責任だ」の一言で片付けることは
できない。我々サラリーマン、「自分がやらなくても誰かが
やってくれる」この勝手な思い込みで痛い目に遭ったことは
一度や二度ではないはずだ。男は誰でも、口先では「俺が泥を
被ってやる」と偉そうなことを言いながら、心の底では失敗を
恐れて逃げ回り、物陰でぶるぶる震えている。
やはり自分がすべきだったのではないか、という後悔の念に
襲われながらも、時機を逸してしまうと一歩も動けない。
そして勇気ある誰かが仕事をやり遂げた後に、したり顔で
登場し「やぁやぁお疲れさん」と肩をぽんと叩くのである。
「それが人間だ」と私は思っているから、筒井をはじめ、
このスレの住人を責めることはできない。
「なぁ>>1よ。お前は本当に乙だなぁ。あのスレ立てで
 俺たち近藤スレ住人の肩の荷がグっと降りたもの。
 本当にありがたいなぁ」
筒井のこの言葉は、スレ住人の心情を見事に言い当てて
いると思う。

4 :
肩の荷が降りた住人は今頃、腹を出っ張らせて義理チョコを食いに食っている。

5 :
前スレは初代スレの「チョチョシビリ」以上に壮絶な最後を遂げてしまった・・・

6 :
「どうして前スレがあんなに早く過去ログ倉庫に格納されたのか、
 3スレ目が立って、いくつかレスがついた今でも不思議なんです。
 他所のスレでは1月の月末以来、一つもレスがついていないところもあるのに。
 でもなぁ、それが2chなんだろうなぁ。
 だけど、もう1日だけ待ってくれなかったのかなぁ。」

7 :
「実は今だから言うんですが、前スレ最後の方で二重投稿してたのは僕なんです。
あの時、何の気なしに『そろそろアゲといた方がいいかなぁ』と思ったんですよ。
でもまだ余裕ありそうだったし、どうしようと思いながら書き込んだところにあの二重投稿でしょう?
とてもいたたまれずに、すぐその場を立ち去りたい気分でしたよ。
そうしていたところに今回のDAT落ちなんですから。
こんなことならあの時アゲておけばよかったなぁ。」
実のところ、この言葉の主、二重投稿をかました前スレ972=973こそ、前スレを立てた>>1その人である。
スレ立てをした本人にしてこういうことがあるのだから、男の人生一寸先は(ry

8 :
「なぁ、>>7よ。お前さんが前スレを立てたからこそ、今のスレがあるんだ。
 これは凄いことだと思うなぁ。」

9 :
我らレス番一ケタ世代

10 :
>>3を書いたのは御大ご本人だろw
もはやこのスレの職人だけでも近藤本は出版できてしまう域に達してる…
ここまで特徴的な文体を作り上げた近藤御大は、やはり偉大ではないのか。
冗談ではなく、うなる思いである。

11 :
ここで私は思うのである。男の人生なんて数年先どころか
二三歩先もわからないと。

12 :
「アクセス規制」
書けば6文字、話せば1秒の一言に2chの住人は震え上がる。
しかし本当に恐ろしいのは、アクセス規制を食らうことではない。
本当に恐ろしいのは他人の規制の巻き添えを食らい、
その間に行きつけのスレが見れなくなることである。

13 :
ふと思ったが、もうすぐ昭和一桁世代どころか
平成一桁世代が社会に出て来るんだなぁ、と。

14 :
1936年2月26日、陸軍の青年将校21人が歩兵第一連隊、
(以下5行略)
これが、あの有名な雪の2・26事件である。
それからわずか63日後に、日本のプロ野球第1戦である
名古屋対大東京戦が甲子園球場で行われている。
今思うと、当時は不思議な時代だった。
あの雪の2・26事件から、ちょうど71年経った2007年2月26日、
日本のプロ野球界を揺るがす出来事が起きた。
中日ドラゴンズが、入団テストを受けていた中村紀洋三塁手(近鉄、ドジャース、オリックス)を
育成枠での採用することを発表したのである。背番号は205番、年俸は400万円である。
何故、中村紀洋ほどの男が中日の育成選手となったのか。
これには、非常に複雑な事情があった。
2007年1月に中村はオリックスと契約交渉が決裂し、自由契約扱いになっていたのである。
交渉当初、オリックス側の提示した条件は、
・来季の年俸は今季年俸2億円から40%ダウンの8000万円
・手首の怪我は公傷としては一切認めない
この2つである。
これに対して、中村側の主張は次のようなものである。
・40%の減俸は野球協約違反である
・手首の怪我に関しては公傷を認めて欲しい
また、このほかにも自分自身に対して「中村紀洋というブランドを認めて欲しい」という
なんともよく分からない要求もしていた。
ブランド料とは、恐らく球場への観客動員数に貢献した数字を
もっと評価して欲しいということなのだろう。
結論から言えば、球団は中村の要求を全て拒否した。
そして、いつまでたっても平行線を辿る交渉に球団は面倒くさくなった。
中村の自由契約を決めたのである。
自由契約となったことを発表する記者会見の席での発言に、関係者は絶句した。
絶句したというより、呆れたといった方が正しいだろう。
代理人の茂木立仁弁護士(39)が横にいるのにもかかわらず、
「自分が交渉に行けば良かった」と言い放ったのである。
これを聞いて、多くのプロ野球ファンが呆れてしまった。
「中村は、代理人制度を全く理解していないじゃないか。」
「しかも、自分のために骨を追ってくれた人の横で言うことかよ。
 いくらなんでも、あの態度はないだろう。」
思えば、茂木立仁弁護士も災難だった。
「ブランド料」などというよく分からない材料で交渉に行かされた挙句、
交渉が失敗に終わると「自分で行けば良かった」などとカメラの前で言われるのだから。
日本で、プロ野球の代理人ほど割に合わない商売もないと思う。
中村はオリックスと契約がこじれた反省から茂木立仁弁護士との代理人契約を
打ち切ったというが、これはあまりにも身勝手だと思う。
中日ドラゴンズ入団が決まった今、中村は茂木立仁弁護士に
最高級の名古屋コーチン1kgを持っていっても罰は当たらないだろう。

15 :
やはり、もぎたてでは青すぎたという話なのか。

16 :
なぁ>>15よ。お前のジョークは一級品だなぁ。
あれでスレの流れが一気に良くなったもの。
もうあんたに内角シュートは投げないよ。

17 :
記事後半部分にて。
ttp://www.sanspo.com/baseball/top/tig200702/tig2007022607.html
>長嶋茂雄(2月)村山実(12月)が生まれた昭和11年(1936年)の2月26日は
>青年将校によるクーデターが起きた(2・26事件)。
やはり、2.26事件は欠かせないという話なのか。

18 :
なぁ>>14よ。お前の文章は見事だったなぁ。
御大本人が書いてると思ったもの。
私は>>14の文章を読みながら、奥歯をガタガタさせ、足を振るわせた。
「緊張していると、足は前後には震えないんですね。左右に震えるんですよ」(古田敦也)
新聞社のトイレでそんな話をしていると、背中の密室のドアがすぅーっと開き、私の耳に
生暖かい風のようにこんなセリフが吹き込まれた。
「なぁ、御大なら2・26とは言わないだろう。ニ・ニ六だろうよ。」
大山群治が背後にいたのである。

19 :
殿堂板だと、「近藤本」って言葉が通じるんだな。
いろんなスレで見る。
「近藤本がソースだけどw」みたいに、否定的に使われてるのがほとんどだけど…w

20 :
そもそも、御大の著書を「ソース」に使おうなんていう姿勢が間違ってるんだなぁ。
「ソースは聖書」なんて言う人がいますか。

21 :
比較すること自体がナンセンスなんだろうけど、
「C級さらりーまん講座」は、御大の作品と逆ベクトル全開だよなぁ…。

22 :
1000まで到達させるのがこのスレの住人の目標なのに、100はおろか50もレスがついていない。
しかし、問題なのはこの日までついたレスの数ではない。
この後レスがつかなければ、再び過去ログ倉庫に格納されてしまう。
このスレの住人が問題にしているのはそのあたりである。
「1度までならば許そう。だが何故2度も許さなければならないのか。」(高木守道)
あっと気がついたとき、男はスレを保守するためのレスを打っていた。

23 :
この>>22のエピソードを語るとき、ここからさらに24時間前に
さかのぼることになる。日曜の夜に御大スレを覗いた>>22
3月6日以降、書き込みのないスレを見てため息をついた。
「御大スレが何だっていうんだ。ただの過疎スレじゃないか」
そうつぶやいて水割り5杯である。気が付くとベッドの上で
いびきをかいていた。
そして翌日、同じ時間に再び御大スレを覗いた>>22の頭に、
するすると次のような思いが浮かんだ。
「このままではまた倉庫行きだ」
たった3スレで2度の倉庫行きとなれば、他の住人から
「お前らは近藤節、近藤節というが、もう2度目かよ。
 どうだ、過疎板でも行って煽って暮らすか」
と罵られるのは目に見えている。
その瞬間、>>22は“疾風の>>22”となった。
目に止まらぬ速さで>>22を書き上げ、送信ボタンをクリック
したとき、時刻は午前0時のわずか13分前だった。
このあとに飲んだ水割りの味について>>22はこう答えた。
「水割りの味がしました」(>>22

24 :
西武ライオンズがアマチュア選手に「栄養費」を渡していたことが
発覚した件に関する世間の反応は次のようなものだった。
「確かに栄養費を渡していた西武は悪いよ。だけど、おかしいよ。
 何で、東京ガスの木村は野球を続けられるのに、早稲田の清水は退部なの。」
東京ガスの木村と早稲田大学の清水、この二人の違いはどこから来るのかと聞かれると
社会人と学生の違いと答えるよりほかにないと思う。

25 :
東京ガスのように公共性の高い企業は、言ってみれば役人の
脳みそを持った民間人が動かしていると言っていい。
役人や経済人のやることは、いつの時代も変わらない。
自分達の利益だけを考えて、うまく立ち回ろうとする。
だから、実名と顔をむき出しにされ、引きつった表情で頭を
下げた早稲田の清水にとって、母校の在野精神をこれほど
恨んだことはなかったと思いますよ。
これが東大、京大、一橋、旧帝大の連中だったら、きっと清水を
最後まで匿っていたに違いない。私は本気でそう思っている。

26 :
>>20
クソワロタw

27 :
>>25
近藤節の真髄である経済人嫌いを抑えた手腕にうなる思いである。

28 :
なぁ、お前らよ。
秋田出身の木村なら、「東京でがす」の方がふさわしいんじゃないかなぁ。

29 :
東京ガス・木村雄太投手には、1年間の対外試合禁止処分が下された。
ここで読者は思うのではないか。
「20そこそこの若者がたった1年謹慎食らったところで、
 何が困るの。しかも練習は認められているというじゃない。
 こんな処分に、いったい何の意味があるというのかね」
我らサラリーマン、春が来たといっては花見で酒を飲みに飲み、
暑気払いだといっては枝豆を胃に放り込み、食欲の秋と称して
腹を出っぱらかしてうまいものを食いに食う。そしてこたつを
出しているうちに1年なんてあっという間に過ぎてしまう。
だからこそ「たった1年」なんて言葉がぽーんと口から出てくる。
だが、よく考えてみてほしい。
新進気鋭の歌舞伎役者が、1年間舞台に立たず、毎日鏡の前で
見得を切っていたとしたら、どうなりますか。毎日舞台袖で
出番を終えた役者の着替えを手伝っていて、一流の芸を維持
できるとでもいうのか。プロの技術というのは、それくらい
繊細で、持続させるのが難しいことなんですよ。
だから木村にとって「1年間の対外試合禁止処分」という書けば
12文字、話せば3秒のこの言葉は「横綱朝青龍がダンプカーに
乗ってやってきた」よりも重い意味を持つ。
「自業自得が何だって言うんだ。ていのいいスケープゴートじゃないか」
この夜、木村は吐くまで飲んだと思いますよ。

30 :
さらに東京ガスにも、5月下旬の都市対抗予選前までの公式戦出場禁止が科された。
日本人は「連帯責任」という言葉が好きだ。
表立った声は聞こえてこないが、東京ガス野球部部員の中には
「裏金貰っていたのは木村個人の問題だろう。何で俺たちまで巻き添え食らわないといけないのよ。」
こういう不満を持っている部員がいてもおかしくないと思う。
「こいつのせいで、あの年の大会に出られなくなったんだ」
木村は今後東京ガス野球部に在籍する限り、同僚からの白い目に耐えなければならないのだ。
そんな日々が最低1年間は続くんですよ。
それでも「たった1年」なんて軽々しく言えますか。

31 :
後日、日本プロ野球組織は次年度からの希望枠撤廃を決めた。
ひと1人の人生をめちゃくちゃにしないと、たったこれだけ
のことも決められない。

32 :
移転がいつ行われるのかは誰にも分からない。
だからこそ、いつ起きても良いように心構えをしておけという話なのか。

33 :
>>14
3月23日、中日ドラゴンズは中村紀洋三塁手と年俸600万円で
支配下選手契約を結んだことを発表した。背番号は99。
99は中村がプロ入りした当時の背番号66をさかさまにした数字だという。
ついでに訂正。
×・来季の年俸は今季年俸2億円から40%ダウンの8000万円
○・来季の年俸は今季年俸2億円から60%ダウンの8000万円
×・40%の減俸は野球協約違反である
○・60%の減俸は野球協約違反である
×このほかにも自分自身に対して「中村紀洋というブランドを認めて欲しい」
○このほかにも「中村紀洋というブランドを認めて欲しい」

34 :
4月から社会人となる社会人:「プロ野球 新サムライ列伝」
中堅どころで伸び悩む社会人:「プロ野球 遅咲きの人間学」
重役クラスに昇進した社会人:「プロ野球 監督列伝」
転職が決まった社会人:「プロ野球 トレード光と陰」
それぞれの方に贈れる近藤節。

35 :
そういや大学入学で単身上京してきたとき、最初は友達も
いないし暇で暇でしょうがなかったから、古本屋で近藤本を
山ほど買い込んで、片っ端から読み漁ってたなぁ。
18の男が狭いアパートの一室で、窓の外をはらはらと落ちる
桜の花びらを見ながら、近藤本を読みに読む。
人格形成に影響しないはずがないですよね。

36 :
俺は高校1年の電車通学中に読破した…

37 :
このスレ読んでると近藤氏の本が読みたくなってしょうがない
よ。

38 :
今の若い読者は、前スレ、と言われてもピンと来ないのではないか。
しかし現スレは、あまりにも過疎過ぎる。
そこで、前スレの中でも特に秀逸なレスを引用する。
このようなレスを見て、再びこのスレが繁栄するか否かは、読者の判断に任せるよりほかはない。
まずは野球とは関係ない話からする。
佐々木(私。営業系サラリーマン。30代。さいたま市在住)
は、お得意様との商談がまとまり、腹を出っぱらかして、肉を
詰め込み、酒を飲みに飲んだ。
「なあ、佐々木よ。お前、あの商談をまとめるなんて、大した
男だなぁ。」
この時、佐々木は有頂天だったと思いますよ。
ところが男の運命なんて一年先どころか、一時間先が分からな
い。
佐々木は酔ったまま一人で電車に乗り、ついうとうとやらかし
た。
詳しい通過駅展開は省略するが、ふと目を覚ますと、次のよう
な駅のアナウンスが耳に飛び込んできた。
「次は新八柱ーー。」
佐々木は30余年を生きているが、こんな駅名を耳にしたのは
、駅名アナウンス至上、この時しかない。男にとって背筋が凍
りつく瞬間である。
思わず電車から飛び降りるが、ネオンひとつない街である。
時々、水商売風の女学生が通るくらいだ。
佐々木は一人で夜を明かすためのファミレスを探すために、歩
きに歩いた。
ここで読者はこう思われるのではないのか。
「駅前の地図を見るとか、タクシーの運ちゃんに聞くほうが確
実なのではないのか。それよりなにより、今の時代、携帯とい
う便利なものがあるじゃないかーー。」
ところがこの佐々木という男、日露戦争時の東郷将軍のような
明治魂を持った男である。
「せっかく寄ったこの街、おそらく二度とは訪れることはない
だろう。これも縁というものではないか。」
そう思ってあてもなく歩き出したのだ。
夜中の12時半から2時半まで、新八柱の街を歩きに歩いたの
は、営業系サラリーマン至上、この時の佐々木しかいない。
しかしファミレスは見つけられず、佐々木は結局タクシーに乗
り込んだ。
「松戸までーー。」
佐々木はなぜ運ちゃんに松戸と言ったのか。理由は明快である
。歩いている時、松戸まで6`という看板を見たのである。6
`ならばタクシー代も安いし、なにより松戸というのは常磐線
の快速が止まる駅である。快速が止まるくらいならば、深夜営
業のファミレスはいくらでもあるだろうーー。そう思ったのだ

しかし、松戸の東口・西口ともにファミレスは1件もない。常
磐線の快速が止まるんだと、千葉県内ではでかい顔をしている
松戸でも、この程度なんですよ。
佐々木は結局、松戸のネットカフェに入り、血の小便を流す思
いで、総毛という総毛を立てて、この原稿を書いているのだ。
最後に一言。タクシー代は1620円。これは、当時の大卒サ
ラリーマンの月給の約3ヶ月分である。

39 :
>38
バカやってないで早く始発で帰れw

40 :
>>38
サラリーマンネタで思いついたが、御大の視点だと就職活動中の学生にも一流と二流がいるんだろうな。
不採用の通知を食らうと、自分のどこが悪かったのか分析するのが一流、
自棄酒を煽りながら「あんな企業は潰れてしまえ」と叫ぶのが二流。

41 :
御大も、就活のとき、どっか放送局に落ちたんだよね。
確か「マイクの前で、自分の家の周りについて話す」っていう試験だったと思うけど、
それがまんま近藤節だったw
書き言葉だけじゃなく、話し言葉も近藤節なんだな、御大w

42 :
>>41
開口一番、
   「まずは自分の家とは関係ない話からする。」
だったのでは?

43 :
>>42
やな23歳だなw

44 :
最後は島岡御大のコネで報知新聞に入ったんだっけ。

45 :
なんだコネ入社かよ

46 :
>>45
本人は「履歴書に書いた紹介者名(島岡吉郎)が効いたのか」
とぼやかして書いてはいたが、まぁざっくり言えばコネ入社。
別にどこの業界でもやってることだから御大(近藤のほうね)
が特別ズルいとかセコいとは思わないけど。
ただ御大としては、多少コンプレックスになっていたんだろうな。
だから、その後自力で他社に移ったことを殊更に強調するきらいがある。
近藤節の濃厚かつ屈折した渋味は、たぶんそういった経歴によって
醸造された部分はあるだろう。
俺も転職組なので、その辺の捻じ曲がった感情は非常によくわかるw
「男の人生なんて、願ったことの10分の1もうまくいかない」
さんざん既出ではあるけど、ホントに名言だと思う。

47 :

48 :
>>46
近藤さんの時代の就職戦線て凄かったらしいな。こんな話が出てくるし。
ある商社を受けたら、3人しか採らないところに500人集まった。
私の隣に「思い切ってくじ引きにしろ」と叫んだ奴がいた。
「あんた、どこ」と聞いたら東大だという。

49 :
大学は出たけれど

50 :
「男は家を一歩出たら敵だらけ」(←正確な文言は忘れた)
みたいなのも名言だなと思った。
ウチの会社にもロクでもない馬鹿が幅を利かせてたりするし。
そんな時は、腹を出っぱらかして酒を飲みに飲んで愚痴でも言うしかないという話なのか。

51 :
>50
「男は閾を跨げば七人の敵あり」は昔からよく言われる言葉だな。

52 :
>>46
>「男の人生なんて、願ったことの10分の1もうまくいかない」
後年の作り話らしいが、毛利元就も似た様な事を言った逸話があったな。
厳島神社に御参りして家臣に「お前は何を願った?」と聞いて、「願わくば、我が殿を中国(地方)の覇者に、と。」答えた。
元就は「神頼みなぞ、棒を願っても箸も叶わん。中国の覇者など願っても叶うものか!」
「ならば、何故我が君が全国を統一し新たな覇王とならん…と願わぬ!」と、叱りつけたとか。
後に尼子や大内を滅ぼし、中国地方の大守になった若き日の元就の気宇壮大さを物語る逸話との事。
さて、御大ならこれをネタに一席打てるだろうなぁ〜。

53 :
>>52
クライマックスシリーズに関する監督のコメントとかと絡めてな。
「ある監督は『3位に入れるように頑張ります』などとコメントしている。
 アホなこと言うなよ。日本一になりたいと願っても叶わないのに、
 3位入りを願って何が叶うというのか。こんな志の小さい男が
 プロ野球の監督をやっているというのだから恐れ入る。」
そして「戦国大名・毛利元就のこんな話がある」から>>52の話へと…

54 :
>>53をみたあと>>52を再度確認させられる
これを怨念というのかやり切れなさというのか
これが男の運命というものだろうか

55 :
大人のエゴで高校球児の夢が壊されたことに、御大はどう反応するのだろうか。

56 :
御大が、現役プロ野球選手(NPB)で「サムライ列伝」的なものを書くとしたら、
どの選手について書いてくれるだろうか。
何度も書かれているのは、
 前田智徳
 中村紀洋
あたりか。
今のプロ野球には御大、興味ないのかなぁ。

57 :
>>56
ノリは優勝した後からは聞かないね。御大も銭ゲバは嫌いなんだろうかね。
まぁ、今なら育成上がりってんで書けそうだけど。
今、御大がサムライ列伝的な物を出すとすると、前述の前田に金本や西武の和田辺りか?
後、若い選手では青木に西岡かな。

58 :
>>56
黒田博樹
@FAせずに、男気残留。
Aブラウンやコーチに、降板させるなのオーラだしまくり。
B御大は広島ファン。

59 :
監督生活最後の日に暴言退場処分となった高木守道監督と、
2000試合出場達成の日に暴言退場処分となった
古田敦也監督兼捕手の対比で決まりだな。

60 :
すいません。
最新刊教えてください。
1年前に買ったのが最後です。

61 :
>>59
笑った!ありえる!
>>60
俺もそれが最新だと思うのだか

62 :
言葉はいらないというのが御大の常套句だが、ここでは言葉も必要なんだぜ?

63 :
GW最終日に子どもを連れてゲンナリしている父親こそ、サラリーマンの悲哀と
父親としての喜びを兼ね備えた存在だと思う。

64 :
GW明けて3日出勤したが社会復帰できず、ついつい今日有休を
とってしまったサラリーマンは、東日本で私一人しかいない。

65 :
>>64
>東日本で私一人しかいない。
それを言うなら、「東日本GW明けサラリーマン史上一人しかいない」だな。

66 :
>>65
かたじけない。
こういった抜け目ない指摘をさらりとやってのけるあたりは
>>65流忍法近藤節添削の術」と言っていい。
>>64は今夜、眠れないと思いますよ。

67 :
>>65
どう考えても一人じゃないだろうに「一人しかいない」と言い切るところまでがまさに近藤節ですな
ところで、山崎武司なんかは御大の恰好のネタなんじゃない?
嫌な上司に振り回されてトレードを繰り返した挙句、
最後によい上司に出会って花開く、という流れは須藤や江夏で御大お馴染みの職人芸だし

68 :
プロ入りしてから20年も経とうかというときに決まった東北楽天へのトレード。
サラリーマンに喩えれば、定年まで数年と迫ったある日、仙台支社への転勤を
命ぜられたとのと同じと言っていい。
仙台と言えば杜の都、牛タン、酒もうまい。しかし、山崎にとって仙台での酒は
自棄酒であり、涙酒であった。
「ふざけるんじゃないよ。本塁打王まで獲った俺が、最後の花道をこんな
 見知らぬ街で過ごさなければならないなんて、神も仏もいないんだなぁ」
そうつぶやいて焼酎5杯である。
しかし男の人生なんて、下駄を履き、玄関の扉をくぐるまでわからない。
東北楽天に移籍して2年目、田尾安志に代わる2代目監督として、野村克也が
就任した。野村が就任してまず最初にしたことは、山崎の自宅に電話をかける
ことであった。御年70になる野村は、聞き取りにくい低い声で、ぼそり、ぼそりと
山崎に語りかけた。
「なぁ山崎よ。お前は人並み以上に努力しているのに、周りはそう見てくれないから
 苦労するだろう。若い頃の俺にそっくりだなぁ」
そしてこう続けた。
 「お前がここまで築いてきた20年のキャリア、この若いチームに預けてくれんか」
名古屋で始まった山崎のプロ野球人生は、捕手失格の烙印を押され、ポジションを
たらい回しにされ、怪我に泣いた人生であった。中学時代は野球以外に相撲でも鳴らし、
プロ入り後は火事場から子供を助け出すなど「気は優しくて力持ち」を地で行く山崎も、
真面目にやっていても不真面目に見える態度が上司からの不評を買い、望まぬトレードも
甘んじて受け入れてきた。名古屋から神戸、そして最後にたどり着いた東北の地で、
野村という理解者と出会えたのである。
いい女とのもたしかに格別だが、いい上司とのこそが、男を本当の男に
変えるのだと、私は本気で思っている。
野村の言葉を聞いた山崎は、受話器を握り締めたまま大きな体を震わせて嗚咽を漏らした。
顔をくしゃくしゃにして涙を流す山崎に、野村はさらに続けた。
「なに、別段変わったことをする必要はない。これまでどおりに野球やれや」
山崎ほど、真摯な姿勢で野球に取り組んできた選手を私は他に知らない。
だから、普段着のプレーをすれば、周りの若い連中が勝手にその背中を見て学ぶ。
野村はそう言いたかったのである。
電話を切った山崎は、仙台に来て初めて、真に旨い酒を飲みに飲んだ。
不器用な野球を20年続けた山崎も男、不器用な言い方で山崎を泣かせた野村も男、
男同士の心のふれあいに、余計な言葉は要らないんですよね。

69 :
>>68
上手いなあ。

70 :
ここの住人の文章は近藤本人よりも近藤節がキツイな

71 :
「なぁ>>70よ。蒸留酒は醸造酒よりアルコール度数が強いんだなぁ」
そうつぶやいて私も焼酎5杯である。

72 :
田中幸雄の2000本安打をどう料理するか。

73 :
>>68ご本人乙です

74 :
>>68
やべぇww御大の本を改めて読みたくなったww

75 :
田中幸雄遊撃手が宮崎・都城高校から日本ハムファイターズ入りしたのは昭和61年。
繰り返すが、昭和61年に生まれたのではない。昭和61年にプロ入りしたのである。
昭和61年といえば、「ドラゴンクエスト」の第1作目が発表され、人気アイドル
岡田有希子が四谷のビルから飛び降りた年である。ここまで聞けば、団塊Jr世代、
胸が潰れて涙がこぼれてくる。
そのような年に、田中はプロのユニホームに袖を通した。2年目からショートの
レギュラーポジションを獲得した田中は順調に安打を重ね、プロ17年目の2002年
シーズン終了の時点で通算1835安打となった。2000本まであと165本、それまでの
田中の実力からすれば、1年半もあれば達成できる数字である。田中にとって、
2000本安打とは女学生がクリームソーダを平らげるよりも容易いことだった。
「2000本、2000本というが、大したことないんだなぁ。再来年には名球会入りか、
 俺の野球人生は順風満帆だぜ」
しかし男の人生は千秋楽を迎えるまでわからない。2002年オフ、それまで日本ハムを
率いていた大島康徳に代わり、トレイ・ヒルマンが新監督に就任した。
ヒルマンはチームの若返りを公言し、3年目の木元邦之をセカンドのレギュラーに抜擢、
そして田中より9歳も年下の金子誠二塁手をショートにコンバートした。こうなると、
ベンチに追いやられるのはベテランの田中である。その結果、2002年には130本だった
田中の安打数は、2003年には半分の66本に激減した。
そして時を同じくしてその年のオフ、住み慣れた東京から北海道に球団が移転した。
考えてもみてくださいよ。部長昇進確実と言われていた男が、新しく上司になった
外国人のさじ加減ひとつで、突然窓際族に放逐され、挙げ句に社屋が東京から札幌に
移るというのだから、田中はたまらなかったと思いますよ。
「あのときは荒れましたね。わざわざ北海道まで来て、毎日試合が終わるまでベンチで
 茶を啜る生活なんてまっぴらだと、毎晩ススキノのバーでウォッカを飲みに飲みました。
 これでは2000本なんて夢のまた夢、長年チームに尽くしてきた俺は一体何なんだと、
 気づいたら自宅のベッドで涙を流して寝ているんです。本当に辛かったなぁ」(田中)
そんな田中を見て、ヒルマン監督はなんと言ったのか。
「1年でたった66本しか打てないベテランなんて、糞の役にも立ってないんだ。
 どうだ、北海道がいやなら、故郷の宮崎に戻って搾りでもするか」
とでも言ったのか。
このトレイ・ヒルマンという男、肌と髪の毛と目の色こそ東洋人とかけ離れてはいるが、
胸の奥底には、男気というか、浪花節というか、日本人の心にじぃーんとしみわたるような
熱い心情を秘めている。札幌ドームの監督室に田中を呼ぶと、肩をたたきながらこういった。
「なぁ田中よ。日本ハムファイターズの看板と言えば、小笠原道大一塁手でもなければ、
 金村暁投手でも、新庄剛志中堅手でもない。田中幸雄を置いて他にいないだろう。
 ベンチにいようがグランドに立とうが、お前の1つ1つの言動やプレーに、選手やファンが
 注目しているんだ。いつかお前の力が必要になるときが来る。2000本も、近い将来きっと
 達成できる。だからそれまでは、こらえてくれや」
この言葉を聞き、田中幸雄の腹は決まった。グランドに立たなくても、チームに貢献する
ことはできる。チーム1のベテランが縁の下の力持ちになる覚悟ができたのだから、強く
ならないはずがない。北海道移転後の日本ハムは3位→5位と低迷したが、3年目の2006年、
見事に日本一に輝いた。そして翌年の2007年5月17日、対東北楽天(東京ドーム)において
山村宏樹投手からライト前に弾き返し、田中は2000本安打を達成した。
達成の瞬間、日本ハムベンチからヒルマン監督以下全選手が飛び出して、一塁ベース上の
田中に抱きついた。ヒルマン監督との抱擁を交わしながら、田中は心の奥底でこうどなった
のではないか。
「あのとき、絞りをしなくて本当によかったなぁ―――――」

76 :
>ヒルマンが田中の肩に手を置いて「こらえてくれや」
面白いじゃないかw

77 :
シュートの打ち方を聞いてスライダーを打つ。
書けば二十字、話せば五秒のこの言葉だが、実践出来る者は少ない。
やはり、天才は一を聞いて十を知るという話なのか。

天才に、余計な理屈はいらないんですよね。

78 :
良スレ

79 :
田尾がスポルトで山崎に、
「お前は采配が気にいらないと顔に出る」と言ったそうだ
でも、獲得はするつもりだったというオチだったなw

80 :
>>79
山崎がオリックスを自由契約になった時だよな。
あの時山崎は終わったと思ったよ。

81 :
御大も山崎と同じく3社目の夕刊フジが最も幸せだったと言っている。

82 :
新横綱の白鵬の土俵入りの型は、あの吉葉山と同じ不知火型だという。
御大の注目の力士となりそうだな。

83 :
>>68
山崎は5月の月間MVPに輝いた。
男は40歳を超えても輝けるという話なのか。

84 :
>>68
上手いことは上手いけど、ちょっと端正に過ぎる。
本物の御大は、もっとスットコドッコイで抜けている気がする。

85 :
「やる気、やる気、やる気!!!」

86 :
>>82
白鵬の入門に至るエピソードはいかにも御大好みだな。
「まず、野球と関係ない話から書く」で始まり、白鵬の話を延々と書き連ね、
最後にちょっとだけプロ野球選手の話をする御大の文章がぜひ読みたい。

87 :
野球板で伝説の「許銘傑のオレが豊田さん」スレが復活した。
ここの住人も負けていられないぞ。

88 :
you tubeで御大がネタにしていた1992年の日本シリーズ第6戦の秋山の9回の同点タイムリーや、
第7戦の辻のバックホームの動画を観たが、改めて凄さを実感した。

89 :
>>79
山崎は不満を顔に出したのか、出さなかったのか、それは山崎本人しかわからない。それは別にして山崎はある日、伊原と出逢った。たったこれだけの事が山崎の野球人生を狂わす別れ道になった。明日、私達の前に伊原が現れないと誰が言えるだろうか

90 :
  ____                    | | |  ||
.  /  / VVヽ                      | | |  ||
  | _|  / (0                   | | |  ||  「 伊 原 ダ !」
  |(     ⊂⊃ _______         ___
  |/   /⌒─┘ |  ___<       /ヘ へ\  _
  |   ヽ⊇    | _|  | 0| ̄      / (_)(丿 ヽ ((
  / ̄ ̄ ̄ ̄ヽ   |(   ゙ - o__      ( ^(* ⌒   ) ))
. |   |  |  |   |´ / ̄ ̄ ̄  ━┓   `i===i_´_ノノ
 |ヽ/ヽ|__|/\|   |二ヽ=      (⊃二二||☆//(┌─ ′ノノ
 |   /  ヽ  |   | |⌒||      \\   ||__//_|
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     | | |      | | |       ─ `−'(( (( (__ノノ  ─
    (    )   (   )     ☆ / /        \

91 :
「異動先の部署では、自分の力を発揮できません。
 ですから、このまま勤務させて下さい。」
サラリーマンが、こう言って人事異動を拒否すればどうなるのか。
周囲から
「あいつはいったい何を考えているんだ。給料を貰っているんだから、指示に従うのが筋だろう。」
こう言われるのが関の山だろう。
だが、吉井理人投手(箕島高)は違う。
「自分のチャンスを求めるのは、選手としての権利」と言い切ってしまう。
千葉ロッテマリーンズはかつての上司、ボビー・バレンタインが指揮を執るチームでもある。
チャンスを掴んだ吉井がこれからどうなるのか、じっくり見守りたいと思う。

92 :
相撲雑誌「大相撲7月号」の記事の中に、「明らかに」影響を受けた人物の文章。
把瑠都の項目の文中。
「一年前の春は十両昇進で胸を躍らせた男が、たった一年で失意に沈む。番付は同じ十両でも昇進と陥落では天と地ほどの差がある。」
近藤節がそのままの文章。近藤先生この文章を読んだら何と言うか。
記事担当は福留崇広氏、この人はもしかして近藤先生の弟子?
引用ご容赦。

93 :
>>92
報知の人で、弟子でもフォーローワーでもなさそうだ
ttp://blog.zaq.ne.jp/DeepImpact/article/306/

94 :
報知ってことはあながち無関係でもあるまい。
本人が気づかぬうちに、報知に漂う近藤節の残滓を
吸い込んでいたのかもしれない。

95 :
>>92
このスレ読んで文章修行しているライター志願者だよ。

96 :
生え抜きで頑張ってきたエリート社員が、去年転職してきた粗忽な男に
仕事を奪われたと考えてみてくださいよ。
二岡のはらわたは煮えくり返っていたと思いますよ。

97 :
>96
御大はエリートにはあまり思い入れがないんじゃないかな。

98 :
>>97
どちらかといえば、小関の立場になって書くと思う。
小関も2002年には、2番打者として3割1分4厘を記録した実力者である。
その小関が今は流れ流れて巨人にいるのだ。
巨人には2002年に監督だった伊原春樹がヘッドコーチとして在籍している。
伊原は小関にこう声をかけたに違いない。
「おい、小関。お前の出番だ。」
この場面で小関は燃えたと思いますよ。
「俺は骨が舎利になっても打ってみせる。」
だが、男の人生なんて思ったことの10分の1も上手くいかない。
宮崎充登投手(智弁和歌山高ーホンダ鈴鹿)の前に、三振に終わってしまった。

99 :
代打で出て行って三球三振。つまり、糞の役にも立っていない。
「なぁ小関よ。打席に立ってるだけならデパートのマネキンでも
 できるよなぁ。いますぐ郷里の栃木に帰ってラーメン屋継げや」
と言われても仕方のない結果である。原も伊原も何も言わなかった
ものの、小関は二軍落ちを覚悟した。それどころか、今シーズン限りで
戦力外通知されることすら考えた。どこの世界でも、生え抜きばかりが
大事にされて、外様は使い捨てである。
ドラマはそこから72時間、つまり3日後にやってきた。
7月18日、甲子園球場で阪神−巨人戦が行われた。1−5とリードされて
迎えた7回表、マウンド上には久保田智之投手が仁王立ちしている。
この回先頭の木村拓也二塁手が四球で出塁すると、原はベンチを
ぐるりと見回した。阪神には藤川球児という絶対的な抑え投手がいることを
考えれば、このチャンスを活かすか活かさないかは「ダイヤモンドと消し炭」
くらいの違いがある。この時点でベンチには、小関以外にも小坂誠、古城茂幸、
清水隆行、鈴木尚広と4人もの左打者が残っていた。
これまでの実績、久保田との相性、そして生え抜きベテランであるなどを考えれば、
ここは清水を使うのが定石である。しかし次の瞬間、原の意を伝える伊原の言葉を
聞いて小関は思わず前につんのめった。
「小関、お前の出番だ」
小関が震える手で自分のバットを掴んで打席に向かい、久保田が2球目に
投げた150キロの直球をぽんと振ると、ぽんと右越本塁打になった。
おぼつかない足取りでダイヤモンドを一周しながらベンチの原を見ると、
そっぽを向きながら鼻毛を抜いている。伊原はと見てみれば、下を向いて
帳面を開き、次の作戦のメモをとっている。しかし小関の心の底には、2人の
上司の思いがじぃーんと染みわたっていた。
結局この日は3−5で敗戦、首位・中日とのゲーム差も2.5と広まった。
「こら、惨めな負け方ばかりしやがって、恥を知れ、辞めちまえ」
原監督以下、コーチ・選手が巨人ファンの罵声を浴びながら宿舎行きの
バスに乗り込むと、先頭の座席に座っていた原が、最後に乗ってきた小関の
肩をぽんと叩きながらこう囁いた。
「小関、ありがとうよ」
その夜、伊原は宿舎ホテルのバーに小関を誘い、こうつぶやいた。
「なぁ小関、俺たちは外様だけど、ちゃーんと見ていてくれる上司もいるんだ。
 シーズンが終わるまで、このことだけは忘れないでいような」
管理職、とりわけプロ野球チームの監督なんて、評価されるのは1人だけで
あとの11人は無能呼ばわりされ、毎年半分は首にされてしまう。
そんな中で、生え抜きエリートを差し置いて外様の選手にチャンスを与えることが
どれだけ勇気のいることか、監督経験者の伊原はわかっていたのだと思う。
男にとって、よき上司とのこそが人生の99%を決めるのだと、私は本気で思っている。

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