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2011年10月1期野球殿堂1992年のプロ野球
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王貞治総合スレッド☆巨人軍永久欠番1☆
ここだけ25年前のスレ4
お薦めの野球の本
大怪我から復帰した選手、復活できなかった選手
1992年のプロ野球
- 1 :08/03/27 〜 最終レス :11/12/11
- なかったので立てました。
やはり一番印象に残ってるのは
ヤクルトvs阪神の延長15回6時間26分の死闘
八木の幻のサヨナラホームランの試合。
- 2 :
- ゲッツ!
- 3 :
- 3
- 4 :
- 原バット投げ
大久保確変
- 5 :
- 原が最後に輝いたシーズンだったね。
デーブもホームラン不敗神話で神だった時期があったが
調子良かったのも前半戦だけで、オールスター後は良くなかった。
この年の巨人の6月の快進撃はものすごかったな。
10連勝や7連勝して最下位からわずか1ヶ月で首位になったんだから。
- 6 :
- この年のプロ野球って話題満載だったな〜
阪神躍進、ヤクルト久々の優勝、西武対ヤクルトの死闘。
この年のシリーズなんて末代まで語り継げるくらいだな。
- 7 :
- 巨人が19年振りに首都圏以外で開幕戦(広島)
以降首都圏以外での開幕戦はなし
- 8 :
- >>1
あほな。
最後の神宮決戦の9回裏3−1阪神リードで1アウト1、2塁での
リリーフ湯舟に尽きるよ。
あんなあほな継投やるの中村負広だけ
- 9 :
- チーム防御率2.90で優勝できなかったんだからねぇ。
- 10 :
- 梅雨時の巨人、凄かったな。
10連勝→4連勝→7連勝・・・この間、21勝2敗。
こんな勝ちっぷり、ほかにある? NPB史上最高かも。
で、連敗ストッパーはいずれも桑田だったはず。
- 11 :
- 連敗じゃなくて連勝ストッパーだよね?
でもこの年のセリーグは本当に混戦だったな。
9月の時点で大洋と中日以外に優勝の可能性があったんだから。
この年のヤクルトと94年の巨人は似たところがあると思う。
独走状態だったのに途中で勝手にこけて最後の最後に良い思いをしたという一人芝居のところが。
- 12 :
- 桑田がボロボロだったシーズン
斎藤17勝 槙原12勝だが桑田は15敗・・
- 13 :
- この年から野球を見るようになった。
今思い出してみれば各チームがほとんど生え抜きの選手でとても魅力があった。
もう一度この年のような混戦状態のシーズンが見たい。
- 14 :
- >>11
その大洋中日が9月以降1位2位の勝率だったことが優勝争い大混戦にさらに拍車をかけたとも言える
- 15 :
- 東京ドームでラジカセ事件があったのもこの年だったな。
あの時はまだ阪神が首位だったけど
あんな事をするなら優勝は無理じゃないかって思ったら、案の定その通りになった。
ちなみにこの試合は巨人がノーヒットで勝ちそうになった試合。
佐藤が内野安打を1本打って無安打勝ちは回避された。
阪神の先発は湯舟だったかな。
- 16 :
- このオフに長嶋が二度目の巨人監督就任。
この年ってプロ野球界にとって激動の一年だった。
- 17 :
- 長嶋が就任さえしなければ、球界はこの時に改革されてたはずだった。
全ての膿を出すチャンスを長嶋と信者が潰した。
- 18 :
- 長嶋って最初は五年って契約じゃなかったっけ?
結局ズルズル十年近くも監督の椅子に居座り続けたね。
- 19 :
- 落合の最後の全盛期かと思いきや96年に再び21本86打点の活躍(骨折しなければ100打点いってたか?)
- 20 :
- シーツが打点王。
シーツって、完全に忘れ去られてる。
「大洋」が最後のシーズン。
- 21 :
- 青山道雄がサヨナラ安打打った。
「青山って誰だ?」って、話題になったな。
屋鋪要が巨人戦で満塁ホームラン。
86年以来、満塁アーチは6年ぶり。 その86年の一発、広島球場で見とる。
- 22 :
- 青山って東京ドームでも満塁ホームランを打ってたな。
この年が自己最高の成績だったのに現役を引退してる。
通算でも19本しかヒットを打ってないけどね。
- 23 :
- >>19
離脱しなければ、打点王取ってたと思う。
ついでに松井の本塁打王もあったかも。
>>20
ウッズと似た退団の仕方だよな。
巨人ならば絶対手放さないレベルのあたり外人なのに、
大洋横浜は外人選びがうますぎて、ゴネる外人はさっと追い出す。
- 24 :
- >>11
去年のJ2で言えばコンサドーレみたいなもんか。最終節が京都だったらと思うと…
そういや、この年のドラは守道辞めろの大合唱だったな。
- 25 :
- >>10
1982年の巨人が
確か開幕から22勝4敗なんていう時期があったのに
優勝できていないとかあったよーな
- 26 :
- 90年代の近鉄がよく夏場に狂ったように勝ち出してたが
そのときも短期間に凄い勝率残してたような
- 27 :
- >>19
落合全盛期?
91年 112試合 .340 37本 91点
92年 116試合 .292 22本 71点
年俸も5000万円減
- 28 :
- >>12
間違いだらけだよー
- 29 :
- セリーグの各ティームの最終成績からすれば、94年が近い。
けど、大混戦がつづいたペンナントレースを考えたら、73年とよく似てる。
- 30 :
- >>27
むしろ、落合がレギュラーを獲得する前を除けば、
何のタイトル争いにも絡めなくなったのはこの92年からだね。
- 31 :
- >>25
それは83年ね。>22勝4敗
ナゴヤと甲子園で2敗ずつした以外は負け知らず。
途中広島に抜かれたけど最終的には優勝したよ
- 32 :
- まだパリーグの話題がひとつも無いので少しだけ。
ロッテ、ダイエーが4月にプチ確変で首位に。
西武は何故か4月はなかなか勝てなかった。
- 33 :
- 高田誠監督時代の日本ハムもそんな感じじゃなかったっけ?
春の珍事とかいわれた気がする
- 34 :
- >高田誠監督
おいw
- 35 :
- >>10
90年読売31勝6敗(7〜9月)
94年近鉄32勝6敗(6〜8月最下位〜首位)
- 36 :
- >>33
ずいぶん地味な監督だなあw
- 37 :
- 90年読売7/21〜9/12
○○○○○○○○○●●○○○○○○○○○●○○●●○○○○○○○○○●○○
94近鉄6/18〜8/10
○○○○○○○●○●○○○○○●○○○●●○○○●○○○○○○○○○○○○○
- 38 :
- ここで飛び出す、06年5-6月巨人
- 39 :
- 原のバット投げって、正確にはいつだっけ?
あれは、9回の同点アーチの際にやった、と記憶してるのだが・・・
- 40 :
- 7月5日
- 41 :
- その試合で決勝ホームランを打ったのが大野雄次だというのを知っている人は
どれくらいいるんだろうな。
- 42 :
- >>41
打たれたのは角盈男だっけ?
- 43 :
- 週刊誌に藤田さんがボロカスに書かれてたなあ
序盤は今の巨人みたいだったよな
- 44 :
- 監督が高々と跳び上がり
バットを放り上げる満塁本塁打を放ったのは、平成2年7月7日
- 45 :
- やっぱりパリーグは印象薄いなあ。
西武と近鉄の優勝争いは、この年もだよな。
金村義明がキャッチャーやったのは、92年で合ってるか?
- 46 :
- 優勝争いどころか、この年のパリーグは6月ぐらいでもう西武の優勝が決まってしまったような気がする。
5月の半ばくらいまでは近鉄が独走してたんだけどな。
- 47 :
- そうだったかなあ・・・
日本シリーズでの、「荒木対清原」の夢の対決は印象深いのだけど。
- 48 :
- 阪神がとにかく弱かった時代、唯一「勝てた」シーズンだよな。
開幕前の予想じゃ、解説陣そろって「阪神はダメ」。
けど、衣笠が「阪神は投手が揃ってる」、と言っていたことを覚えてる。
- 49 :
- 暗黒時代が終わったと思ったが
- 50 :
- 最後の打者、久慈がゴロを打ってガクっとなったのが印象的
- 51 :
- kujiといえば、2005のシリーズ第4戦9回裏の代走アウト
- 52 :
- 清原は前年からの不調が続き、4月・5月は2割も打てずスタメン落ちもあったが、
5月下旬のダイエー戦での2発ぐらいから調子が上向き、終盤はタイトルを
争うまでに復調した。
- 53 :
- 渡辺智男が突如として不振に陥った年
- 54 :
- ダイエーは西武にけちょんけちょんにやられてたな。
ゴールデンウィークの頃までは3勝3敗くらいの互角だったが
それから閉幕までほとんど勝てずじまい。
通算で6勝20敗とかじゃなかったっけ。
あとダイエーでは門田とブーマーが引退。
- 55 :
- ダイエーは、西武相手に5勝20敗1分。
それでも4位だからな。
清原の通算200号アーチを、偶然にテレビ中継で見てる。
- 56 :
- 石井丈が確変だった年
- 57 :
- 石井丈裕はシーズンも防御率1点台だったが、最優秀防御率は赤堀に持っていかれた。
しかし、防御率上位2人が1点台なんてこの年のパリーグはすごいハイレベルだな。
今年のパリーグはこの上をいく可能性があるけど。
- 58 :
- ダイエー対西武の2回戦はNHKが中継していた
途中まで西武が3-0で勝っていたが、現監督が狭い平和台で一発攻勢にあい、サヨナラ負けした
- 59 :
- ブーマー、カズ、門田、広永に打たれた試合だな
この年のナベQは12勝12敗
- 60 :
- >>57
その3年前のセリーグは1点台が3人いた
- 61 :
- 抑えが規定投球回数越えなんだから
久保田の酷使とか次元が違う。
- 62 :
- そういえば、セリーグの最優秀防御率も抑えの盛田だったな。
セパともにリリーフ投手が防御率1位なんて、今では考えられない。
- 63 :
- JFKなんぞより盛田&佐々木の方が余程凄いと思う。
最近はJFKをはじめリリーフ陣をもてはやしすぎ。
- 64 :
- 盛田のシュートと佐々木のフォークは巨人ファンの俺のトラウマ
今までで1番きついリリーフだったね
- 65 :
- 赤堀 50試合 先発2 リリーフ48(3イニング以上20試合)
盛田 52試合 先発6 リリーフ46(3イニング以上13試合)
赤堀は終盤規定回到達の為に2試合先発。
延長戦(規定12回)突入後もそのまま続投のケース多し。
盛田は開幕後6試合先発(33回12自)→中継ぎへ
抑えではなく今で言うセットアッパーでもなくロングのできるリリーフ。
この頃セリーグは延長15回制だったし。
- 66 :
- ヤクルトの岡林はシーズン終盤は野村監督にめちゃくちゃな投入をさせられてたな。
例の>>1の試合では9回をリリーフさせられたり、広島戦でも7イニングくらいリリーフで投げたりしていた。
すでに右肩痛を患っていたが、チームを離れるわけにもいかずに投げ続けていて
日本シリーズでも3試合全て完投。
この年の酷使が無ければ、どんな大投手になっていただろうと思ったりしてる。
- 67 :
- ところが、岡林は1993年以降も活躍してる
- 68 :
- いや、あの時の酷使が選手生命を縮めたのは事実でしょ。
翌年以降は毎年ケガで戦線離脱
岡林のプロ人生は95年で終わってしまったようなもんだし。
- 69 :
- そう考えると斉藤雅樹のタフぶりは抜群だよな
今では100球が目処が当たり前だが斉藤はそれを軽く上回る球数を
放ってた
- 70 :
- >>68
>いや、あの時の酷使が選手生命を縮めたのは事実でしょ。
なんでそんなことわかるんだ?
権藤ぐらい投げたなら断言するのもわかるけど。
1992年の岡林なんてシーズン200イニングいってない。
シリーズで30イニング投げた分加えても、
227イニング。これって「酷使のせいで」と断言出来るほどかね?
無論、登板数で言えば、リリーフにはかなわない。
- 71 :
- 回数より間隔の方が重要な気が...
- 72 :
- まあわからんけど
多少影響はあったろう。
前年の佐々岡のほうがもっと凄かったけど
- 73 :
- >>70
最初にも書いたけど、あの時岡林は肩を痛めていて普通なら投げられない状態だったんだよ。
でもチームがあんな状態で、エースの自分が戦列を放れるわけにも行かず強行出場。
野村監督も故障しているのを分かって使い続けていた。
チームの事情を考えれば止むを得ないことだったけど
無理して投げた結果、選手生命を縮めた要因になったんじゃないかということを言いたかったんだ。
- 74 :
- >>71
間隔と登板数ってほとんど同じものさしているのわかっている?
- 75 :
- 川崎といい伊藤智といいヤクルトのエースの晩年は見れたものじゃなかった。
- 76 :
- その反面、野村に潰されなかった石井一久はすごいな。
- 77 :
- 石井くらいの変人じゃないと、プロで長年やっていけないんだろうな
- 78 :
- チームのために己を犠牲にしてその場限りで去るのも野球人生
己の選手生命を第一に考えてマイペースを貫くのも野球人生
一軍のエースほどの投手なんだから,
監督の登板要請にを断ってもいいわけで,
すべては大人の判断したことでしょ。
高校野球じゃあるまいし○○監督が△△投手をツブした
ってのは的はずれていると思うよ
- 79 :
- >>60
単に何人とかではなく、相手打者との対戦も考慮しないとダメなんですよ。
92年パで防御率1点台は、この掲示板で使われる「神」という言葉を与えてもいいのではないでしょうか?
しかし89年セはそうではないでしょ?どう考えても。
- 80 :
- ま、この中にリアルで巨人軍斎藤が90年6月広島球場で完投した試合を見た人がいるとは思えませんが、
あれ見てたら少しは理解出来るでしょうねw
- 81 :
- 当時の読売対戦チームは、読売投手の投球を出来るだけ早打ちしなくてはならなかった。
- 82 :
- 新旧交替の端境期でレベルが低かったのも紛れもない事実。
- 83 :
- この年に阪神があそこまで躍進したのも田村と弓長がいたからこそだよな。
特に田村は前半のピッOはすばらしかった。
安定度は今の藤川並みかそれ以上だったかもしれない。
途中で戦線離脱してしまったのが非常に悔やまれる。
弓長もルーキーながら51試合に登板して防御率も1.35
もう文句の付けようも無いくらいの成績だ。
結局この年がキャリアハイになっちゃったけど。
新人王は弓長でもよかったと思うんだが何故に久慈?
- 84 :
- 印象って大事だよね。
弓長なんて私の中では名前聞いた事だけで、
そんな成績のこしてたなんて今初めて知った。
そんあのおまえだけと言われそうだけど、少なくとも私だけでも知らない。
田村は知ってる。
もう当時の生々しい記憶は薄れてるけど、藤川並に打てないと覚悟したと記憶している。
最も出てきたら一番負けを覚悟したのは伊藤
次が今中。
大野は何故か勝てそうな気がしたな。
- 85 :
- 弓長は確か今は山陰あたりのスポクラか何かでインストラクターやってる。
- 86 :
- age
- 87 :
- ゴンザレス、レイ、ライアル、マルチネス、らが早々にいなくなり、
代わりに、モスビー、パリデス、パウエル、トーベ、がやって来た。
- 88 :
- 西武の石井丈裕がオリックス戦で8回表1死までパーフェクト。
パーフェクトを阻止したのは高橋智の1安打で、
それが唯一の出塁だった。
- 89 :
- ハウエルが後半戦だけで30本打ってホームラン王になった。
- 90 :
- なのに、ヤクルトは9月に勝率3割5分
- 91 :
- ヤクルトは9月に9連敗を喫して一気に3位に転落した。
しかしこの危機を乗り越えて逆転優勝したのだから見事だとしか言いようがない。
確か9連敗しながらも優勝したのはこの年のヤクルトが初めてじゃなかったかな?
- 92 :
- 西武が8連敗で優勝したな。
「9連敗で優勝」という恣意的な要件に何の意味があるのかわからんがw
- 93 :
- >>92
調べたらセリーグでは7連敗以上したチームに優勝なしというデータが91年まであったよ。
- 94 :
- 桑田が投げても投げても炎上だった
連勝ストッパーとかめちゃくちゃ新聞にかかれてたなw
200イニング投げて 10勝はしたんだが
- 95 :
- >>93
その「7連敗以上」って括りが恣意的なんだよ。
- 96 :
- >>95
1934年から2004年までの記録を残した「日本プロ野球70年史」に確かに載ってたよ。
ペナントレースの結果や勝敗が詳しく書かれてる大型本。
「歴史編」の1992年のペナントの部分に確かに書かれてるから間違いないよ。
- 97 :
- 日本語が通じない
恣意的
の意味
- 98 :
- ゆとり乙
- 99 :
- 「恣意的」の意味がわからないって、どんだけ低偏差値なんだろ
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