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2011年10月1期野球殿堂中西太はケガさえなければ史上最強の打者だった
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背番号別歴代最強選手決定戦 1973−74年の巨人軍 【1975〜】第1次長島巨人【〜1980】 野球殿堂自治スレ
中西太はケガさえなければ史上最強の打者だった
1 :08/07/25 〜 最終レス :11/12/10 タラレバで申し訳ない。むなしいのはわかっているが言わせてくれ。 中西は、あのケガがなければ王以上のスラッガーになっていた。
2 : 三原に三冠王を阻止されてなけりゃ球史に名を残してたな
3 : 自らのスイングの凄まじさ故の腱鞘炎だった訳で 非常に残念ながらそれも実力のうち
4 : >>2 あの頃、三冠王の概念はなかった 中西と豊田の双方で納得した結果
5 : >>4 >あの頃、三冠王の概念はなかった それは負け惜しみじゃない? 当時ミッキーマントルが三冠王を獲得して 日本球界でも三冠王が意識されはじめたというし、 シーズン終盤首位打者・本塁打王であとは打点だけという展開で スタメンを外れてチャンスで代打で出て打点を稼ごうとして結局失敗しているし。
6 : 中西の腱鞘炎て実はゴルフでダフったのが原因とも聞くがな。 三冠王なんてブーマーや松中は取ってもたいして名を残してないんだから 変わらんだろ。
7 : 入団の数年前のラビット時代にいたらどれほど打っただろうか。 青田昇が太なら60本は打てたやろうと言っていたが。
8 : >>6 「実はねぇ…腱鞘炎の悪化はゴルフも原因のひとつなんですよ」 藤本哲夫・元西鉄球団部長の話(直に聞いた)
9 : そのまんまで、最強打者だよ 「ケガさえなければ」って言ったら、別の誰かの名が上がってしまう
10 : 昔のフィルムで中西が藤田から打った33年日本シリーズ第六戦のホームラン を見たが、軽く振って後楽園のレフト上段に入った。また昭和38年のフィルム で、もう既に監督生活に入った中西が代打かなにかで出てきて、平和台の バックスクリーン越えに打ち込むのも見た。王のホームランはライトぎりぎり という記憶のみで、こういう大ホームランはあまりなかったような気がする。 中西は確かに怪物。
11 : 少なくとも50年代最強の打者ではあるだろうね ただ王より上ってことはないだろ王と同レベルではあるだろうけど
12 : 堅忍監督になって選手やるきがなくなったそうだ
13 : 昭和27年〜33年の7年間が中西太の全盛期。ただ、昭和30年代はボール が飛ばない時代なので実力はともかく記録で王や野村は抜けなかっただろうね。
14 : >>13 同世代の山内が400本打てなかったからなあ がんばって500本ってところだろうね
15 : 身長が185cmだったら平均飛距離150mくらいいってただろうな
16 : 伊藤智仁はケガさえなければ史上最強の投手だった とか言ってる伊藤厨と同じようなもん ケガがなくても王に及んでないだろうし
17 : あの時代の人にしては異様にガッチリしてるもんな。見るからに飛距離出そうな体格
18 : 通算の数字で超えてはないが 選手としてコーチとしての実績や存在感はONに劣るものではない。 つまらん仮定など不要。
19 : 怪我なくても、普通に最強候補でしょ。 王、イチローはちょっと別格にして、その次のクラスに必ずいる。
20 : >>13 流石に王理恵と野村サチヨじゃ抜けないな
21 : 最強の打者 と 最高の打者 は違う 中西は最強
22 : 歴代の選手比較って王、長嶋、張本、野村の世代を 中心に語られている傾向が強い。 昭和35年以前が全盛期の人たちは、 投高時代で記録も地味だし、損をしているな。
23 : フル出場できた時期が短い分、通算成績は残念だが、 タイトルはいっぱい獲ってるし、 最強打者は誰か?みたいな話になると、この人っていう意見が多くないか? 現役時代を知らん世代でも、コーチとしての名声は高い。 「ケガさえなければ…」って仮定など不要と言うのに同感。
24 : BS11デジタル 8月1日(金)19時00分〜21時45分 大人の自由時間「甦る、昭和野球」 ・昭和30年・パリーグ豪快対決 ・昭和40年・甲子園ライバル対決 ・昭和50年・V9以降戦国時代プロ野球 ・今後のプロ野球界、マスターズリーグ ほか 司会 中田秀作 ゲスト 中西太、土橋正幸、柴田勲、尾崎行雄、若松勉、松沼博久 ttp://www.bs11.jp/imgex/otona_friday/shouwa.jpg ttp://www.bs11.jp/?action_public_pgm_detail=true&cid=8&pid=183
25 : >>20 野村紗知代は兎も角、王理恵では抜けそうな俺って、趣味悪か?
26 : それより当初の予定通り早稲田に進学していたら、どれぐらいの成績を残していたか興味がある 大学2〜4年生にあたる年に三年連続ホームラン王になってたんだから 長嶋の通算8本どころか田淵の22本すら遥かに超える本塁打記録を作っていたのかもね
27 : >>26 興味あると言ってる癖に、全然球場について理解してないバカ!
28 : 江本、この人のことボロクソに言うのいい加減にやめんか
29 : 中西は、若くして致命的な故障を負ったのに20年近く現役生活を送った(当然、故障後は無惨)にも関わらず、生涯打率が王より遥かに上という怪物。 しかも、王の時代よりも打者不利の時代だったのに。
30 : 故障後は代打俺ばかりで 通常打者の1〜1.5シーズンくらいの打席数しかない。 だからダラダラ代打俺を続けても 生涯打率にあまり影響しないというだけの話。
31 : 練習では全盛期並にガンガン打ってたのに、 試合には全く出ようとしなかったという証言が多数あるね。 本人はどう考えての行動だったのだろうか。
32 : 単にプレッシャーがかかった場面で出るのが嫌だったから。 本人の名誉の為に1966年以降は代打での成績は上向いている。
33 : 腱鞘炎の原因 もしかすると 稲尾が若いとき バッティングピッチャーやらされてるとき 先輩の「イテテ」が楽しみで 打者の要求とちがう内角にコントロールして 変化球か速球か 投げてツマラセテタのでわ?勝手に考えてしまう!(笑) 重いバット振りすぎと思う!確かに歴代の打者
34 : 日本語でOK
35 : 俊足好守であのホームランは異常 最強で異存なし
36 : 突出度で言えば昭和30年代の投高打低時代において最高じゃあないの? 年間HR数がその年の近鉄とか弱いチームのチームHR数を上回っていたりとかしたらしいくらいだからな。 それと、当時で通算3割はかなりの価値。おまけにあの体型でトリプルスリーなんかもやってるし。 でもやはりケガがね。タラレバのハナシじゃなくて、ケガしないのも実力のうち。 野球やるのが仕事のプロ野球選手なんだから、野球やっての怪我で力が落ちたら そこまでの選手って事。その上を行く選手はケガしにくいくらい丈夫か、ケガしても克服するか、 ケガしないプレーを心掛けるか、いずれか。
37 : 飛距離では右の中西太、左の松井秀喜 実績では右の落合博満、左の王貞治
38 : 明らかに過大評価 時代的に傑出しやすいのに三冠王をとってない選手が 王、落合に及ぶはずがない
39 : 三冠王のがしたの僅差でわ!
40 : >>39 確かに僅差だったが、その「僅差」が いばらの道なんよ。 「三冠王のがした」に1厘差も1分差も同じ事。 王だって20代の頃僅差で首位打者を獲れな かったせいで三冠王をのがしたことがあった。
41 : 葛城が単独打点王獲得の為に、四球になるクソボールをファールして その後ホームラン打たなけりゃ三冠王になってたがな。
42 : 僅差で逃したのが何度もありチームメートに首位打者を譲る形で欠場あったりしてるのに過大評価はないだろ トップ3をホームラン王で達成してるのも三冠王より評価すべき
43 : 王って、同時代での傑出度は中西に比べれば全然大したことないよね。 中西の時代に比べれば超がつくほどの打者天国だし。
44 : >>15 > 身長が185cmだったら平均飛距離150mくらいいってただろうな 中西は174くらいしかないからね。身体つきもガッチリというよりは 小太りって感じだし飛距離はせいぜい125〜130mが限界 160mというのは単なる伝説。回顧厨の願望でしかない
45 : >>144 身長なんて関係ないよ。 門田なんか170ないし王も175。
46 : 門田は170以下なのにオールスターで神宮の上段まで飛ばしてるからな。 youtubeで見られる
47 : 場外にボコスカ放り込んででしかもバックスクリーン越えてるのがかなりあるの考えたら飛距離は160はないにしろかなり行ってるだろ
48 : 中西の三冠と豊田の首位打者(選手生活唯一のタイトル)がカブったシーズン最終戦、 三原監督は「俺にはどっちかなど決めれん」とばかりに欠場したそうだ。 だから豊田のタイトルを優先したのはヘッド格のコーチ。(たしか川崎徳次) しかし、なんとなく当時は三冠とか記録にあまりうるさくなかったんじゃないのかね。 今と比べると。 実質三冠でしょ、中西は。
49 : いや普通に豊田が猛打してた可能性だってあるし中西が4タコとかする可能性もあるわけだから実質とかないでしょ。 同じだけ休養したんだから首位打者は豊田だよ普通に。 中西が凄いのは認めるけど、その年は実質も糞もなく二冠
50 : まあその後の日本シリーズの事も考えると 両方欠場させて正解だったんじゃないの ヘタに豊田が首位打者逃していたら、あの性格だから後々ロクな事にならないかと。
51 : 中西は、リーグ総本塁打の5分の1を占めたシーズンもあるからな。 傑出度なら55本打った年の王、ローズ、カブレラなど鼻糞みたいなもんだ。
52 : >>6 =8 激しく亀レスだが、マーがWiiのやりすぎで肩を痛めた話と似てるな。
53 : 本当に知らないの 今は無き平和台球場に中西太の当時最長飛距離160メートルの記念碑が有った事を
54 : 三冠王を僅差で逃したのが4度 全て獲ってりゃ、誰もが認めるのにな
55 : 三冠王がどうのこうの騒いだのは野村の時でしょ この時でようやく中島の記録を再確認した程度の認識
56 : 傑出度なら文句無しに史上最強だよね
57 : 中西が傑出度で王より上に感じるのは、王には長嶋がいたから。 長嶋がいなければ王は何回三冠王をとったことか。 ただボールの飛距離や同時代人に与えたインパクトは中西がはるかに上。 王の凄さは実績表を見てはじめてわかる。 個人の好みの問題ともいえるが俺は数々の逸話を残した中西の怪力を推す。 夢があっていいじゃん。
58 : 当時の映像を観たとき、一人だけ明らかに体付きが違うのに驚いた。 ウェートトレーニングが普及していなかった時代にあって、現代のスラッガーと比較しても全く肉体的に遜色がないという印象。身長の低さなど問題にならないような逞しさだ。
59 : 怪我がなかったら最強だったのは長池徳二
60 : >>57 「長島がいたから王の傑出度が下がった」 って、傑出度の概念に矛盾した理論だと気づかない?
61 : >>59 生涯本塁打率が歴代3位だしな。
62 : 怪我がなかったら最強なのは 門田 と言ってみた(`・ω・´)
63 : 王もケガがなかったら、そしてかつ終身打率3割にこだわらなかったら900本いってた。
64 : すげー「たら、れば」ばっかで笑えるスレだなww
65 : バッティングを技術として考えると、史上最高峰なのは間違いない。 本人も「怪力」というよりバランスのいいスイングを心掛けていたというし。 3年連続してチーム本塁打数(近鉄や大映)以上の本塁打を放ち、高卒2年目から 4年連続本塁打王。もっと評価されていい打者なのは間違いない。 ちなみに、いろんな評論家の中西評。 青田…「太は歴代最強の打者」 三原…「最強打者5人は、王、大下、川上、中西、長嶋(1位は大下)」 張本…「右打者五傑は中西・別当・落合・大杉…(あと一人忘れた↓)」 豊田…「太っさんこそ空前絶後のホームランバッター」 タラレバがなくとも、最強打者のひとりなのは間違いないですね〜
66 : >>57 は何を言ってるんだ…?長嶋が後ろにいなかったらもっと勝負避けられてると容易に想像できるはずなんだが。
67 : あの時代は投高打低だからショボく見られるんだろうな
68 : 本人か豊田に首位打者を譲ったと言ってた。 "それならば二人で旨い酒を飲もう"云々・・ 中西は足も県で一番速かったと自分で言ってた。 素振りする映像なんかでも物凄いよね。筋肉の塊。
69 : >>31 若いうちから監督を任されてしまったからね 城戸(則文)が伸びてきたので守りの良さも買って起用した、みたいなこと言っていたけど 自分が出て失敗したらどうしよう、みたいなことを監督だから考えてしまうのだろうな
70 : 「悔しくないんだよ。あまりに凄くて」 By 佐々木信也 「昔はバットの芯に当てて、それをいかに遠くに運ぶかに工夫をこらした。 ところが、今は芯にさえ当てれば勝手に飛んでいってくれる。今のコーチは楽ですよ。」 By 中西太 「今のボールは飛びすぎ。あの当時、今のボールだったら片手でもホームランが打てる」 By 中西太
71 : だからこの手のタラレバでは張本が圧倒的に最強だよ。 利き手の右手が癒着して不自由だったわけよ。 あれさえなければ.400、5000安打、1200本塁打は行ったよ。
72 : でも、張本はそれをカバーするために猛練習して、あそこまでいったわけで。 もし、癒着してなかったら、それこそ今頃ムショ暮らしだった可能性もあるわけで。。
73 : 突出度から見れば中西、王、落合
74 : 全盛時6年の中西のタイトル獲得率は半端じゃないな。 また、これだけの天才にして、 バッティングコーチとしても一流ってのは珍しい。
75 : >>65 三原評で張本が入ってないが 自己中プレーとマナーの悪さ(相手バッテリーを脅す等)を嫌った様な気がする 張本評のあと1人は山内 江藤愼一 土井正博 長池の誰かだろう (ノムは認めていなさそうな気がする)
76 : 張本評で長嶋が入ってないのが意外。仲が悪いわけでもないだろうに。
77 : 華を差し引いたバットマンとしての能力ではその五人にかなわない ってことだろ
78 : 常勝球団であれだけマークされた中で首位打者6回とってれば大したもんだと思うぞ
79 : >>78 確か、史上二番目のスピードで二千本安打達成したしね。 右打ちでは最速記録だったハズ。
80 : >>76 >張本評で長嶋が入ってないのが意外。仲が悪いわけでもないだろうに。 巨人を追い出されたときはケンカ別れみたいな感じだったよ 最も張本のほうが一方的に恨みを持っていただけだったらしいけど そういえば藤田−王−藤田の12年間はOB面して何かと口を挟んでたのに 長島復帰後はその手の動きがピタッと止んだね
81 : 張本と長嶋は自宅のある田園調布近辺のジョギング中よく顔を会わしていたらしい。
82 : >>80 巨人を追われた時に張本は長嶋と一対一で話し合って もう一度だけチャンスをくれ、巨人に残してくれと訴えたかったんだけど 長嶋がシーズン中は勿論名球会の行事でもひたすら逃げ回って果たせなかったんだっけ?
83 : 駒田にも同じことしてたな
84 : 中央公園の三原、水原の銅像のすぐ近くに中西太の銅像建ててほしい!
85 : ハリーは子供のころからの川上信者だからね 長嶋としては警戒するとまではかなくとも何となく相容れないところがあったのかも
86 : 52〜58でタイトル10個だからなぁ。。。 怪我がなければどんだけいってたんだろ
87 : >>86 ただ数字そのものは飛びぬけてるわけでもないし 相対的にみても2位以下に大差をつけてのタイトル獲得ってのはないんだよね
88 : 十分飛びぬけてると思うが・・
89 : シーズン最多本塁打は36本で40本いってないし 打率も0.332が最高で0.350を超えた事がないよ 本塁打は`飛ばないボール`ってことで説明がつくかも知れんが 打率は大下が0.383を記録してるわけだし
90 : 中西はその年のあるチームのチーム本塁打以上を打ったこともあるぞ
91 : >>90 全本塁打数に占める個人の本塁打数では昭和21年の大下が圧倒的な筈
92 : 中西よりも大下の方が 凄いだろう。ボールが全く飛ばない時代に推定飛距離が148mのホームランを打った。平均12〜13本の時代に20本打った。今なら60本ぐらいの価値があるよ。
93 : よく耳にする中西の伝説で外野手が中西の打球を見て前に出て捕ろうとしたら グングン伸びてその外野手の頭を超えてホームランになったって本当? 昔、呂が一軍デビューしたてのころその伝説を彷彿とさせるライナー性のホームラン を打ってたけど・・・
94 : ショートがジャンプした打球が本塁打 が伝説じゃないかな。 「ショートがジャンプした事はたしかだ」と ダメ押しみたいなのを何かで読んだる
95 : それってルースとかでもよく聞く伝説だけど 目測を誤っただけじゃないかと思う
96 : 81,2年頃の甲子園で確か早実の選手の打ったホームランが、 サードがジャンプした取ろうとしたライナー性の打球がそのまま 伸びてラッキーゾーンに入った、というものだった。 だから中西の伝説を聞いたときも、ありえただろうなと思った。
97 : >>96 これか?確かにサードがジャンプしてる。 http://jp.youtube.com/watch?v=IY9hS8_TYc0
98 : 中西と豊田がタイトルを分け合ったときは、双方納得なんかしてないぞ。 少なくとも豊田のほうは強烈なまでに。 正々堂々と最終戦で決着をつけようと思っていたところに、あんな措置を とられたもんだから、首位打者を取れたことを喜ぶどころか、欠場してとった タイトルになんの意味があるんだと、大激怒。 駒沢球場から電話で必死に三原の居所を探しまくったが、結局わからずじまい。 プライドを傷つけられ、悔しさのあまり歯軋りしながら球場をあとにしたってんだから。 この件を境に、あれほど尊敬していた三原から、心がスーッと離れていったとまで 書いているからね(もっとも嫌いになったのは性格だけで、野球人としては、その後も 尊敬し続けているらしいが)。 ちなみに、本人は、其の年は首位打者なんかより、あの年の西鉄では、中西や大下が 夏場に欠場する中、ただ1人年間を通して働いて結果をだしたという自負があった為、 MVPのほうが欲しかったらしい。 首位打者の件は、太さんにいつまでも借りを作った気がする、汚点のタイトルだ、 とまで言っているが、MVPを逃したことについては、悔しくてたまらなかったと 正直に述べている。
99 : そりゃあの豊田だし納得するはずがないだろうなw つか野武士なんて呼ばれてるぐらいなんだからそんな馴れ合いはないだろうな
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