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2011年10月1期野球殿堂1990年のプロ野球を語ろう
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自治スレ@野球殿堂板
完全試合/ノーヒット・ノーランあれこれ
もし王貞治が阪神に入団していたら
MLB歴代ベストナイン+DH考えた
1990年のプロ野球を語ろう
- 1 :08/10/21 〜 最終レス :11/12/19
- 近年では壊滅的につまらなかった年と思う。
野茂を始めとする多数の新人の大活躍と
久しぶりにAクラス入りした大洋が話題になったが、
逆に言えば両リーグとも早々と独走になってしまったから
それぐらいしか話題が無かったということ。
開幕からの桑田の謹慎、阿波野のボーク、金田の長期出場停止等
ゴタゴタが印象に残っているのもこの年の特徴。
- 2 :
- >>1
桑田って何で謹慎になったのよ?
- 3 :
- >>1
開幕戦の篠塚の誤審もな
- 4 :
- この年、中日ファンだけど中日戦以外のカードもよく見る野球好きの友達が、
「今年は野球がつまらんから相撲を熱心に見てる」
と言ってたな。
自分も6月頃には既にペナントレースに対する興味を失い、
野茂の活躍や与田vs佐々岡の新人王争い(今でも佐々岡のほうが相応しかったと思っている)ぐらいしか
興味が無くなっていたな。
あと、台風の影響で新幹線が止まりドームの試合が中止になったのってこの年だっけ?
- 5 :
- >>2
登板日漏えい
- 6 :
- >>5
登板日漏えいの件はうやむやのままで、
謹慎の理由は金品を受け取ったこと。
- 7 :
- 野村克也のヤクルト監督就任には驚いた(就任自体は前年秋だけど)
あの当時、鶴岡人脈から外れ、川上人脈とも交わりがない野村に現場復帰の可能性は無いと思ってた
関根潤三の放任野球からの180度転換に、やくみつるはマンガの中で噛み付いてたなあw
- 8 :
- 清原のさらなる飛躍が期待できた年。
西武独走でペナントレースよりデストラーデ、石嶺、藤井、門田とのホームランダービーが注目された。
優勝が決まった後に調子を崩してしまったが、打率、ホームランはキャリアハイで最高出塁率のタイトルを獲得。
- 9 :
- 3位で『部下に勝ちグセをつけさせる方法』とか本まで出した須藤。
2位で愚将呼ばわりされたピーコ。
- 10 :
- 超ヘボヘボ外人投手、ロックフォード。
前年のアイケルバーガーとどっちが下かな。
- 11 :
- 広島市民球場に蜘蛛男が乱入したのはこの年
- 12 :
- 開幕前の予想では巨人より広島や中日の方が前評判が高かった。
90年の巨人は「ペナント」では、ライバルチームがこけて
やることなすこと全てがうまい方向にいった感じ。
- 13 :
- 広島はヤングが期待はずれだった面はアレンの予想外の活躍でカバーできたが
前年活躍したロードンがサッパリ、移籍の高沢もサッパリ。
前年既に悪かった北別府はともかく、大野までが大誤算。津田もダメダメ。
ただ野村のブレイク、佐々岡の活躍、開花の兆しを見せた江藤や前田など
新生カープへの可能性は感じさせた。
- 14 :
- 巨人が88勝42敗で勝率0.677だっけか。
他球団が自滅したり、やる気なかったのもあるが、
この勝率は今後もそう簡単には越えられないだろうな。
90年〜現在まででは以降では最高の勝率かな?
そして同じく圧倒的な強さでパを征した日シリで西武に4連敗。
スコアは4戦合計で28-8の20点差。
12年後の2002年もペナントで共に独走で優勝したが、
今度は巨人が西武に4連勝。
スコアは奇しくも4戦合計で29-9の20点差。
巨人が12年越しのリベンジを果たした。と雑誌に書いてたな。
94年にも勝ってるけど
- 15 :
- 調べてみたらこの年
須藤が「シーズンを盛り上げた」という理由でリーグから特別功労賞もらってるんだな・・・
いかに盛り上がらないシーズンだったか&いかに当時の横浜が弱小だったか
を物語っている。
- 16 :
- >>1
てめえ何言ってんだよ!?
この頃こそ最高の野球が見れたじゃないか!
それに今のプロ野球は球場とかショーだけは立派で魅力的な選手がいないから詐欺じゃないか!!
- 17 :
- >>14
日本シリーズ両チーム4連敗の要因に
シーズン駄目だった投手を1戦目の先発にもってきたこと。
2002年の西武1戦目の先発松坂...。
エース級活躍の西口報われね...と思ってたけど
1990年の巨人も1戦目先発にシーズン8勝の槙原だったとの話。
しかし打線が原の20本塁打が最高と貧弱で
これといった抑えもいなくて
シーズン通して投手を10人しか起用しなかったってのも驚き。
- 18 :
- 西口は東京ドームで勝てないって明白なデータがあるから同じ要因には出来ねぇよ
- 19 :
- 有藤でコケたロッテはまさかの金田再登板
正直、今さらカネやんは無いだろうと思った
- 20 :
- >>18
そういう要素も考慮にあったん?
松坂人気にあやかっての起用なら世も末...と当時思ってた。
- 21 :
- >>4
ちょうど大相撲ブームが始まった年でしたね。
本格的に加熱したのは翌1991年のことでしたけど。
- 22 :
- この年のセは、1強4弱1問題外という感じだったな。
- 23 :
- この年の映像って、何故か不思議と放映されることが少ないですよね。
- 24 :
- >>23
見所の少ないシーズンだったからでしょ。
- 25 :
- >>21
この頃はまだプロ野球全盛だったっしょ
大相撲ブームは今
- 26 :
- 斎藤雅 20勝
桑田 14勝
宮本 14勝
木田 12勝
香田 11勝
槙原 9勝
槙原が惜しかった
- 27 :
- せっかく宮本と香田のピークが重なったというのに、
そこが槙原らしい。
- 28 :
- >シーズン通して投手を10人しか起用しなかったってのも驚き
先発-斉藤・桑田・宮本・香田・槙原 先発押さえ兼任-木田
押さえ-水野・廣田
谷間先発-吉田
敗戦処理-加藤
- 29 :
- そんな陣営で基本が先発完投だったから中継ぎを使う必要があまり無かった
- 30 :
- 5月頃まで、斉藤雅とダイエーの勝星がほとんど一緒だった。
- 31 :
- この頃は競馬ブームが全盛期だったね。
- 32 :
- この年中日がコケた最大の原因はディステファーノだったな。
打てん・守れん・走れん、挙句の果てには乱闘を起こして退場を繰り返す始末…
- 33 :
- 番外篇
1990年プロ野球 その他主な出来事
・ブライアント 東京ドーム天井スピーカー直撃ホームラン
・ナゴヤ球場 試合開始前に火災発生
- 34 :
- >>31
中野コールにオグリ奇跡の復活Vとかね
- 35 :
- 両リーグとも独走でつまらなかったなぁ
阪神ファンだった自分は絶望的なシーズンだった
孤軍奮闘していたキーオが離脱した時点で終戦した
- 36 :
- まさに暗黒の1年だったね
- 37 :
- 中村勝広就任1年目、リーグ最低の防御率、最低失点ヤクルト以外に負け越し。
- 38 :
- オフのプロ野球ニュースで当時流行ってた深夜番組「カノッサの屈辱」風にシーズンを振り返っていて、
「フセンイチ星野率いる〜」とか「ヨーツー篠塚の〜」とかやっていたが、
阪神は原始的な国家として列強の争いから取り残されたように描かれていた。
- 39 :
- >>38
それ覚えてる。
ブッシュ藤田率いる巨人合衆国
ゴルビー山本率いる赤い軍団広島
古葉ベルリンの壁をぶち破ったコール須藤率いる横浜大洋
フセンイチ星野率いる世界の火薬庫中日
ヤクルトは名前は忘れたけど、中国に例えられていたはず
で、阪神は南アに例えられ「それが何ア共和国」
でも、そうやって面白おかしく演出したにも関わらず、
山場といえる山場は5月頃の巨人vs中日の死球に端を発する騒動だけだった
(湾岸危機に例えられていた)。
いかに盛り上がらないペナントレースだったかというのを結果的に示した形になった。
前年度のパをああいう演出で取り上げたら物凄く盛り上がっただろうに・・・
- 40 :
- >>28
今にして思えば、こんなにも代わり映えのしない面子をよくもまあ飽きもせず見続けられたものだよな。
- 41 :
- ちびまる子ちゃんが大ブームの年だった
- 42 :
- 巨人は130試合中70完投だっけか。
加藤初は、敗戦処理というか、
引退試合の為に一軍登録したんじゃなかったか。
- 43 :
- >>39
そうそう、よく覚えてるなあ。
ちょっとググったら「ニクソン桑田のクワーターゲート事件」とか「ポール牧の戦い」とか
「テンアンモン野村」とかが出てきた。
まあ、逆に言えばパロディー仕立てにでもしないと山場もなにもない
シーズン回顧になってしまうということなんだろうな。
パの回顧も確か野茂と清原の対決メインの構成だったし。
- 44 :
- 1990・終了 試 勝 敗 分 率 差 差 貯
@ 巨人 130 88 42 0 .677 リーグ優勝! +46
A 広島 132 66 64 2 .508 22.0 22.0 +2
B 大洋 133 64 66 3 .492 *2.0 24.0 −2
C 中日 131 62 68 1 .477 *2.0 26.0 −6
D ヤクルト 130 58 72 0 .446 *4.0 30.0 -14
E 阪神 130 52 78 0 .400 *6.0 36.0 -26
巨人 広島 大洋 中日 ヤクルト 阪神
巨人 ■ 16―10 15―11 18― 8 19― 7 20― 6
広島 10―16 ■ 13A13 13―13 16―10 14―12
大洋 11―15 13A13 ■ 14@12 10―16 16―10
中日 8―18 13―13 12@14 ■ 12―14 17― 9
ヤクルト 7―19 10―16 16―10 14―12 ■ 11―15
阪神 6―20 12―14 10―16 9―17 15―11 ■
↑この年の巨人を4タテした西武は最強wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 45 :
- 森監督は前年の近鉄をかなり意識してたようで、のちの取材で
「1戦でも勝たれたら、相手は勢いづいてしまう」
「今回ばかりは偶数戦を確実になどとは言っていられない」
「相手に何もさせないうちにシリーズを終わらせたかった」
と語ってたな
- 46 :
- 今さらだけど巨人は2年連続シリーズ初戦から3連敗だったんだな
- 47 :
- 当時クライマックスシリーズがあったら巨人は意外と負けたかも知れないですね。
試合間隔が空いてしまって・・。
- 48 :
- >>44
あわや2位以下が全て借金になりそうだった
- 49 :
- 秋山の30本50盗塁ってこの年じゃなかったっけ
- 50 :
- そう 打率は250だけど ホームランは35本だったかな秋山
- 51 :
- >>44
この年は、巨人が強かったというより
(セは)他が弱かったという感じだなあ。
- 52 :
- >>51
優勝候補と目されながら開幕ダッシュに失敗し四月一杯まで最下位争いを繰り広げていた
広島と中日が叩かれていたね
特に中日は開幕前は優勝候補の本命と観られていただけに特に叩かれた
広島は投手陣の高齢化が問題視され、中日は1001の暴君振りや不動産関連との不可解な
関係等が問題視され、その後1001の激ヤセ振りが話題になる始末だったw
- 53 :
-
桑田の復帰試合(?)のラジオ解説が江本で
試合後に‘桑田投手はインタビューを一切拒否するって言ってます‘ってレポーターが憤慨してるのを
『そんなの当たり前じゃないですか、桑田は当分の間一切インタビューを拒否すればいいんです!』って
江本がってたのを覚えてる
- 54 :
- 桑田はすごかったな というか精神力がぱねえ
異様なムードだった復帰戦で完封だもんな
- 55 :
- この年の広島の開幕投手は大野。
前年、前々年と再三自軍の貧打に泣かされてきていた(vs槙原の0−1とか)。
そのため援護さえあれば・・・と思われていた。
それが開幕戦、あの阪神に滅多打ちでKO
- 56 :
- この年の日米野球で初めて勝ち越せた
- 57 :
- 日米野球の最中、野茂に投げさせすぎだ、とか近鉄が文句つけてたな。
で、そういう騒動のあった次の試合で指揮を取った金やんが
自チームのロッテの投手ばかり使った記憶がある。
- 58 :
- >>56
>この年の日米野球で初めて勝ち越せた
第1戦から‘ポンポン‘ってな感じで4連勝で勝ち越しが決まっちゃった
さすがに`ヤベー‘って思ってのか残り4戦は一分けを挟んでメジャー側の3連勝で
最終戦は継投ノーヒット・ノーランまで喰らったが
向こうではちょっとした問題になって【News Week】なんか「この恥さらし!」って大激怒してた
で2年後はちゃんとチーム練習をしてから来日しメジャー側の6勝1敗1分って成績になった
- 59 :
- この年日米野球に出場した選手で今でも現役というと誰?
工藤、立浪、山本昌辺りは出場したっけ?
大リーグ側ではボンズがいるか(今も現役かどうか微妙だが)。
- 60 :
- グリフィーとかジョンソンとか
- 61 :
- >>25
この年より、両リーグ独走、シリーズも独走等要因により
著しく人気低下(実際にはどうか知らないが、そう言われた)
- 62 :
- 古田がデビューした年でもあり、早速盗塁阻止率で両リーグ1位(.527)となりプロ1年目でゴールデングラブ賞に輝いたという事も忘れてはいけないだろう
- 63 :
- >>61
翌年からヤクルトの台頭・阪神が優勝争いに絡んだ大混戦・10・8・3年連続シリーズ最終戦決着など盛り上がる要素はたくさんあったと思うけど。
- 64 :
- この頃の古田は打は駄目だったな。
誰が翌年の首位打者、翌々年の3割30本を予想したであろう。
- 65 :
- 沢村賞は未だに斎藤が妥当だっただろと思う
- 66 :
- >>64
野村に「お前は.250打てばいい」と言って本当に.250だったんだよな
なんであんなに3割を打てるようになったんだろう
- 67 :
- >>63
プレーや選手や展開等あまり関係なく、
何となく世間がそれまでの野球一辺倒っぽい感じではなくなっていった、
みたいな事もあると思う。
- 68 :
- >>65
そうかな。
リアルタイムの頃から一番優れた投手は斎藤でも沢村賞に相応しいのは野茂だろうな
と思っていたぞ。
真っ向から投げ下ろす本格派でダントツに多く三振を取る野茂こそ沢村賞に相応しいと思った。
この年の2年前もベストナインは最多勝を取った小野だったが
沢村賞は軟投派の小野でなく本格派の大野だったね。
- 69 :
- >>68
その割には最もいい投手を選ぶことに〜とか今年の選考委員会はいってるからなあ
- 70 :
- >>64ただ一年目のキャッチャーで2割5分を残すっていうのも大したものだと思う。
本当は捕手を固定したいのに、
2割にも届かない面子ばっかりだからとっかえひっかえせざるを得ないチームもあるし・・。
- 71 :
- >>59
wiki「日米野球」でググッたら
1990年 来日:メジャーリーグ選抜
来日メンバー ドン・ジマー(監督)、ランディ・ジョンソン、セシル・フィルダー、フリオ・フランコ、オジー・ギーエン、ケン・グリフィー・ジュニア、ケン・グリフィー・シニア、バリー・ボンズ 他
- 72 :
- すごいメンツだなww
- 73 :
- >>71
このメンツでやって、最後は「秋山を連れて帰りたい」って言われたんだよな
全盛期の秋山は神だった
晩年のいぶし銀のキャプテン秋山も好きだけれども
- 74 :
- 巨人優勝の翌日に報知新聞の激ペンの白鳥晋のコラムが読売の巨人優勝見開広告にでかでかと載ってたな。
独走優勝で面白くないというペナントレースを肯定する内容だったような。
- 75 :
- この年のオフの契約更改が秋山と清原のその後を決定付けたような気がする
- 76 :
- パリーグは6月に西武を追い抜くチャンスがあったのだが。
西武が6月に8連敗してオリックスが0.5ゲーム差に迫った。
しかしオリックスがそのチャンスを生かせず、そのあと西武が9連勝して一気に突き放された。
その後の展開は見ての通り。
逆にいえばこの年の西武が危機的な状況に陥ったことがあるというのが驚きだ。
- 77 :
- この年の西武はそこまででもなかったやろ。
日本シリーズに勝利し、
翌年に王者としての強固さが完全に完成したんやったな
- 78 :
- >>61
90年の西武って独走か?
確かかなり連敗していた時期もあったけど
- 79 :
- >>78
連敗もあったけどべつに危なげなし独走。西武より早く優勝を決めた巨人藤田監督は
優勝インタビューでまだ「西武を倒して日本一を目指します」と発言してたくらい。
- 80 :
- 6月に9連敗あったけど連敗止めてからは8連勝で9連敗帳消しにしたなw
あれ以外は危なげなかったような
- 81 :
- この年の西武に対抗できそうな存在だったのは意外にも日本ハムだったと思う。
最終的には4位に終わったが一時2位になったことがありこの年は健闘したと言っていい。
打線は若干弱かったが2桁勝利投手が5人いてチーム防御率は2位で投手陣は強力だった。
惜しいのは西武にだけ11も負け越してしまったこと。
他の球団には勝ち越しまたはタイだっただけにもったいなかった。
- 82 :
- おかげでFは西武援護軍などと言われてしまっていたな。
- 83 :
- セリーグも大洋がプチ確変したよなあ。
開幕してからしばらく貯金もあったし。
前年がダントツの最下位だったから、あの変わり様にはビックリしたな。
佐々木やマイヤーの加入が大きかったんだろうな。
- 84 :
- >>83
遠藤の復活も大きかったな。
- 85 :
- この年はダイエーが目を覆いたくなるほどの投壊を起こした。
チーム防御率が5.56で2004年のオリックス(5.66)や2005年の楽天(5.67)並みの防御率の悪さ。
ちなみに次にチーム防御率が5点台になったのは2003年のオリックス(5.95)までなく、90年代では唯一だった。
- 86 :
- 佐々木は1年目は活躍してねーだろ
- 87 :
- 大洋は一頃から新監督でちょっとだけ成績が良くなる傾向がある。
82年 関根潤三 スタートダッシュ成功、6月まで2位争い
85年 近藤貞雄 スーパーカートリオ
87年 古葉竹識 前年より借金1つ減のみも古巣・広島戦夏場の8連勝
93年 近藤昭仁 7月中旬まで首位ヤクルトを2差まで詰める
98年 権藤 博 御存知38年ぶりリーグV&日本一
01年 森 祇晶 7月に11連勝2位浮上も8月対ヤクルト戦の誤審?に泣き3位
05年 牛島和彦 三浦初タイトルにクアトロK1番石井、4番佐伯全試合固定で借金1の3位
07年 大矢明彦 10年ぶり復帰、GWには一時首位。9月まで阪神とCS争い
この90年もポンセが不振だったもののマイヤーとパチョレックの両外人は打ったし
横谷や宮里、清水(桑田からの逆転3ランは当時鯉ファンの私も狂喜乱舞)など
脇役野手が出現した年でもあった。
投手では斎藤明、新浦の衰えを野村、大門、中山の新たな先発ローテーションを組んだ
シーズンであり、さすが巨人のファームで育成し勝ち続けただけあるなとか
小5の分際で思ってましたね(笑)
- 88 :
- 県営あづま球場で当時難攻不落の斉藤雅樹から打った高木豊の決勝ホームランもよかった。
- 89 :
- このスレを見て野球観が変わった
- 90 :
- この年CSなんかして5割以下3位大洋が日本一なったら即中止になっただろ
- 91 :
- 西武が近鉄を相当意識していたのは、前年のブライアントの件が
過剰すぎるほど頭の中にあったんだろうと思う。
- 92 :
- 大洋って翌年同じ勝敗数で5位だったんだな
- 93 :
- 近年かね?>>1
ペナントつまらん、シリーズつまらん
斉藤雅樹は最後でERA1点代逃す
収穫は野茂ぐらい?
ひどい年だった
- 94 :
- >>52
> >>51
> 優勝候補と目されながら開幕ダッシュに失敗し四月一杯まで最下位争いを繰り広げていた
> 広島と中日が叩かれていたね
> 特に中日は開幕前は優勝候補の本命と観られていただけに特に叩かれた
本命は前年も独走優勝した巨人だよ。
(実は89年もセリーグは結構つまらんシーズンで、札幌シリーズ終了時点で11.5差もつけてた。)
開幕前から「今年は巨人と西武だろ」って感じで、
実際そうだったからつまらなかったんだよ。
中日が開幕前に本命とされてたのは89年。前年優勝してたほか、OP戦が凄かった。
- 95 :
- >>92
翌年は阪神が前半戦弱すぎて
オールスター前に阪神以外の5チームに貯金があったからな
- 96 :
- 89年のシーズン前は巨人も不安要素多かったからな
吉村 ほぼ絶望
クロマティ 故障明け
斎藤 覚醒前
桑田前年不調
山倉の衰え
- 97 :
- >>76
そりゃこの年の西武は
91年92年と比べるとまだまだだったもの。
本当に盤石になったのは92年
- 98 :
- >>76
そりゃこの年の西武は
91年92年と比べるとまだまだだったもの。
本当に盤石になったのは92年
- 99 :
- >>90
1990年は桑田の1ヶ月謹慎と槙原が毎年お馴染みの故障で前シーズン後半の殆どを棒に振り、何とか
シーズンには間に合う目処こそ立ったものの球威がまるで戻っていなかった事がかなりの悪影響を及
ぼすと観られていたんだよ
前年も69完投と先発投手に依存した戦い方をしてきた巨人だったから、尚更先発2枚の穴が大きい
と
又当時ドーム本拠は東京ドームを本拠地としていた巨人と日ハムしか無く、他球団に比べて
異様に試合消化が早い一方、Aクラス入りの常連だった中日や広島は土のグラウンドで且つ
甲子園に比べても水はけが悪かったので試合消化も異様に遅かった(w)
そんな事情より開幕ダッシュで大差を付けて逃げ切るしか無い(と観られていた)巨人にとって
桑田の1ヶ月謹慎と槙原の球威が戻ってきていなかった事がかなりのダメージとなるだろう、と
観られていたんだよ
後斉藤の覚醒が本物かどうか?の不安も無いでは無かったしな
只桑田不在の穴を前年2勝の木田が先発リリーフフル回転で埋めた事と宮本、香田が一本立ち
した事で全ては杞憂となった訳だが
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