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2011年10月1期野球殿堂高レベルなタイトル争い・低レベルなタイトル争い
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高レベルなタイトル争い・低レベルなタイトル争い
- 1 :09/06/09 〜 最終レス :11/10/23
- 高レベル〜1976年 張本が谷沢に僅か1毛差で首位打者逃す ふたりとも0.355
低レベル〜白仁天の首位打者
- 2 :
- 高レベルだと
鈴木と東尾が最多勝をガチで争ったとき 鈴木が確か25勝でトップ
低レベルは
小久保がイチローの三冠阻止したときのホームラン王
ヤクルトの伊東が救援なのに最多勝獲ったときもなんだかなーって思った
- 3 :
- 低レベル
小坂と松井稼の盗塁王争い
- 4 :
- 中島リックの首位打者
- 5 :
- 巨人ローズと横浜ウッズがシーズン終盤
ホームラン44本(確か)で並ぶ
したら、2人とも残り何試合か残して帰国、タイトルを分け合った
日本の野球をナメているなあと思った
ローズもウッズも実力は認めるけど、心からは尊敬出来ない
- 6 :
- 高レベルなものも
連レスですいませんが
谷沢と若松が首位打者争いしたこと無かった?
あれも高レベルだった
パ・リーグだと
やっぱり張本とか榎本がらみ
阪急の加藤英司も高レベルな争いをしていた記憶ある(加藤英は怪我かなんかなのか急に打てなくなっちゃったね)
- 7 :
- >>6
>谷沢と若松
昭和55年@谷沢.369A若松.351
ですね、記録本によると。
低レベルでは
昭和51年@吉岡.309A藤原.302B門田.3004C加藤秀.3000
ちなみに吉岡、翌年は.227。
- 8 :
- 敬遠合戦になる打撃のタイトル争いは価値を落とすだけ
掛布と宇野の本塁打王争いとか、高沢と松永の首位打者争いとか
- 9 :
- >>2
95年は脱税の28本塁打もひどいが初様と小雪とゴキローの80打点も相当なもの
- 10 :
- 低レベルって数字上での話?
ホームラン争いの四球合戦 とか打率争いのバント・欠場合戦とか?
- 11 :
- >>9
お前の頭も相当なものだな
- 12 :
- >>10
そこが難しいところ。
>ホームラン争いの四球合戦とか打率争いのバント・欠場合戦
なんてキリがないモンね。
- 13 :
- >>1
白と小田の首位打者争いはお互い規定打席ギリギリだったから
駆け引きで小細工できなくて結構スリルある内容だけどな
- 14 :
- >>5
ローズはタイトルにこれっぽっちも興味がない珍しい選手だぞ
- 15 :
- 低レベルな争いで言えば1957年と1960年のセのホームラン王争いだろ
1957年・青田昇(洋)・佐藤孝夫(国)22本 エンディ宮本(巨)・町田行彦(国)21本
ちなみに打点はエンディ宮本78打点 佐藤孝夫68打点 藤井弘(広)62打点
1960年・藤本勝巳(神)22本 森徹(中)・興津立雄(広)21本
打点は藤本勝巳76打点 森徹72打点 王貞治(巨)71打点
当時でもマスコミからは「低レベルの争い」だの「ドングリの背比べ」だのと叩かれていた
同時期にパの方では中西太(西鉄)・山内和弘(毎日(大毎))・野村克也(南)と30本90打点
以上が期待できる選手が揃っていた事もあったのだろうが
- 16 :
- 1960年当時の朝日新聞紙面での記者座談会で「22本・76打点の二冠王って可笑しいだろ」みたいな
文章があった
- 17 :
- 余計な話ながら1960年セ二冠王の藤本勝巳氏は寧ろ島倉千代子(そう、歌手の)と結婚された
方という方が全国的には有名だと思われる
- 18 :
- 2006年の斉藤和巳と松坂大輔はなかなかハイレベルなタイトル争いだったと思う
結果、3部門とも斉藤に軍配が上がったが
- 19 :
- >>14
57年はともかく60年の長島はどうなってんだ!と思って調べたら
.334 16本 64打点か。開眼前の王に打点で負けてる。敬遠32ってのは凄いけど。
下手したら、興津が本塁打王、二本足の王が打点王になってた可能性もあったんだね。
- 20 :
- すいません>>14→>>15でした。
- 21 :
- 原とポンセの本塁打争いも低レベルだったが…。
やはり95年のパ・打撃部門だな。
なんであそこまで低レベルだったんだっけ?
- 22 :
- 原とポンセwwwwwwww
名前聞いただけでしょぼい争いってことが分かるな
原がホームラン王ってwwwwww
で、いつの話だ?
88年なら原よりも落合とポンセの争いになるんじゃないか?
- 23 :
- >>22
確かポンセが33本でキング取った時。
低レベルだと思ってたら数年後に小久保が…
- 24 :
- ポンちゃんは、チャンスになればなるほど強いタイプだったから
ホームランを打てば打点が大きく加算される打者だった。
で、焦った落合は
「効率よく打点を稼ぐ=ホームラン狙う」って手に出て大振りになって
結局二兎を追う者一兎もとれずになった。
- 25 :
- >>19
当時は打率なら3割、ホームランなら30本は今よりはるかに難しい数字。
だが昔の打者のレベルがどうのこうのっていう話ではなくて(確かに昔は低かったろうけど)、
そのときの投手力とのバランスによりけりなんだな。
打者のレベルが高くても、投手のレベルが相対的にさらに高けりゃ
たとえば本塁打王が20本台とかもありうる。
- 26 :
- 高レベル
98年セリーグ新人王争い
低レベル
98年パリーグ新人王争い
- 27 :
- >>21
前半はイチローが35本ぐらい打ちそうなペースで打っていたが
後半は死球攻めで打撃を崩して第二グループを走っていた集団に
吸収され混戦状態になった。
ちょうど、この頃のパは90年代前半の長距離砲だった、秋山・ブライアント・
デストラーデといった連中が衰えたりいなくなり、次世代の長距離砲の
中村紀や小久保が本格化する前の時期で長距離砲の過渡期だったのではないかと思う。
90年代前半のスラッガーでは清原がいるが、この時期の清原はどの評論家にも
昔に比べスイングが悪いと言われてた時期ではあったが、その清原でもキング争いが
できるほど長距離砲の人材がいなかった。
- 28 :
- >>21,22
1988年セ
本塁打 ポンセ(洋)33本 落合博満(中)32本 原辰徳(巨)・池山隆寛(ヤ)31本
打点 ポンセ102打点 落合博満95打点 原辰徳(巨)・池山隆寛(ヤ)81打点
と最終的には落合も本塁打・打点共に2位に付けてはいる
- 29 :
- 1988年のセはバース(神)が息子の病気で早々に帰国→解雇となり、そんな中前年ホームラン王の
ランス(広)とホーナーの穴埋めでヤクルトに入団した(と言ってもメジャーでの実績は中々の大物
だったが)デシンセイ(ヤ)が低打率ながらホームランダービーのトップ争いをしていたが、デシンセイ
は故障のため、ランスはあまりの低打率と試合中マンガを読んでいたのを咎められシーズン途中で脱落
以降ポンセ、原、落合、池山、広沢(30本80打点)の争いとなったと思ったけど
- 30 :
- >>27 本塁打王争い
93年 ブライアント 42 ウインタース 35
94年 ブライアント 35 石井浩郎 33
95 小久保裕紀 28 ニール 27 1
96 ニール 32 清原和博 31
97 ウイルソン 37 小久保裕紀 36
96'も32本だからアレですな
パの球場広くなったこと関係あるのかと思ったけど
千葉マリン 92'〜
福岡ドーム 93'〜
大阪ドーム 97'〜 だからあんまり関係ないのかな(神戸は88')
ただ、福岡ドームは「この球場で40本とか打つのは無理」と言われた
秋山は大きいのを狙うのをやめてヒット狙うようになった
しかし清原は縁がない男ですな
95'96'あたりに調子が良ければ、監督もチームプレー優先の森ではなかったしタイトル獲れたろうに
- 31 :
- >>26
たしかに温度差がありすぎたな。
- 32 :
- HRを単純に本数で評価するならボールにも触れなきゃダメだろ
- 33 :
- 中継ぎ酷使の末の防御率1位ってのもある意味低レベルだよな(頑張った選手は
偉いとは思うが)。
福間とか石本辺り。選手としてトータルでマイナスになってる気がする。
- 34 :
- えびすは?えびす。
ミンチーとか。
- 35 :
- 山沖の最多勝は詐欺レベル
- 36 :
- 松本と高橋の盗塁王争い
- 37 :
- 98年、パの最多勝13勝が3人。
93年、セの盗塁王が24個で2人。
おかげでスーパーファミスタで緒方が走力16。
(例外的に佐々木誠につけられた走力17に次いだ数字。
やがてイチローにも走力17がつくようになるけど)
- 38 :
- 88年のセの本塁打王・打点王もそうだが93年のセもなかなか低レベルの数字。
34本94打点は、ここ20年のセでは最低の数字。
- 39 :
- 昔の30勝ラインで最多勝が争われてた時代は、
シーズン終盤では、平気で「リリーフでちょっと投げて白星付ける」作戦が行われていた。
先発だけでは25勝あたりが限界。
- 40 :
- 基本的なことで悪いけど、金田や米田もそんなに最多勝穫っていないんだよね
- 41 :
- 小山に至っては一回も獲っていないはず。
杉浦や稲尾も権藤も無茶な使われ方しなければ通算勝利数はもっと増えただろう。
結局昔の投手なんて、使う監督ですべてが決まると言っても過言じゃない。
- 42 :
- セ84年本塁打王 掛布&宇野
- 43 :
- >>41
64年に獲ってるけど
- 44 :
- 1963年
本塁打 打点 打率
王貞治(巨人) 40本 長嶋茂雄(巨人) 112打点 長嶋茂雄(巨人) .341
長嶋茂雄(巨人) 37本 王貞治(巨人) 106打点
長嶋が最も三冠王に近づいた年か
- 45 :
- 三冠絡むとハイレベルになること多いよね
王と中日・江藤 松井と福留の首位打者争いとか
長嶋は40本以上はなかったよね >>44の37本がピークでは? 中距離バッターだよね
- 46 :
- >>44
確かシーズン終盤に長嶋が数試合欠場し、その間に王が本塁打で逆転したんだよな
>>45
長嶋は1968年に39本打っている(.318 125打点で打点王)
ちなみにその年の王は.326 49本 119打点(首位打者・本塁打王)
長嶋の選手としてのピークは1963年の方と観るべきだろうが
- 47 :
- 1986年
バース 三冠王
クロマティ 影の三冠王
- 48 :
- >>45
福留松井のタイトル争いのマスゴミ報道は
福留バッシングでイヤだったなあ
松井は2つもタイトル取ってるんだからいいじゃねえかとおもった
マスゴミ嫌いになったひとつの事件だった
ちなみに親分かハリーか忘れたけど、福留擁護してた
- 49 :
- >>44
確かバッキーからの死球が原因
- 50 :
- 落合の最初の三冠はホームランとかイマイチだった記憶ある
- 51 :
- >>50 豊田が三冠王の成績じゃ無いと叩いてたが3年後に文句なしの成績で三冠王になったね。
他の打者が落合より打ててないんだからそれを叩くのが筋だろうと思ったもんだがwww
- 52 :
- 91年パリーグ首位打者
- 53 :
- >>51
王さんや野村さんに言われるのならわかるけど、
三冠王とったことのない人に言われる筋合いはない
みたいなこと言ってたな、落合。
- 54 :
- 豊田は三原の温情で首位打者を取らせてもらった
- 55 :
- 掛布は1回は三冠王取れると思ったのになぁ。
- 56 :
- 戦前の職業野球ってまじぱねーな…
HR3本でHR王とか33打数11安打(.333)で首位打者とか…
開幕から調子が良ければ誰でもタイトル獲得のチャンスあるって感覚かな?
最近で言えば田中賢介がHR王になったり草野が首位打者になったりしてもおかしくないわけだ
- 57 :
- >>56
戦前は試合数が少なかったからね
特に戦局が厳しくなった昭和19年は土日だけの試合(平日は軍需工場等に出向勤務
していた)で、且つ8月一杯でリーグ戦を打ち切った為全チーム35試合で終了した。
その昭和19年に3本でホームラン王になっている金山次郎だが、後に松竹水爆打線
のトップバッターとして74盗塁したりと盗塁王に3度輝いている程の俊足選手で戦前
のプロ野球でも数多く実況されていた志村正順アナも
「ランニングホームランで稼いだのかなぁ?」
とビックリしていらっしゃったみたいだね。
- 58 :
- >>22
原とポンセの争いで、
消化試合の帝王、落合が巨人の日程終了後に数字を伸ばした。
>>23
ポンセが1試合2本塁打したんだよね、最後の巨人で。
その前の巨人戦でも2本打ってたような。
巨人投手は原にタイトル取らせたくないのかと思った。
- 59 :
- >>27
>ちょうど、この頃のパは90年代前半の長距離砲だった、秋山・ブライアント・
デストラーデといった連中が衰えたりいなくなり、次世代の長距離砲の
中村紀や小久保が本格化する前の時期で長距離砲の過渡期だったのではないかと思う。
選手の問題ではなく、球場の大型化が理由。
- 60 :
- >>3
低レベルなうえに西武の執拗な妨害があって(故意ボーク)、最悪だった
- 61 :
- 伊東の最多勝って先発ゼロで18勝ぐらいしたんだよね
どんだけ勝ちをつぶした自演だったんだって感じだね
当時もさすがに「こんな最多勝はいかがなものか」という意見あったんでしょ?
- 62 :
- >>61
他のスレで、この年の伊東の登板記録を検証してくれたやつがいたな。
確かにヌスット白星がいくつかあった。
当時、やくみつるがやはりというか、4コママンガでネタにしてた。
- 63 :
- >>55 評論家時代の野村克也いわく
「小松に江夏のアタマがあれば20勝、掛布に山本浩二のアタマがあれば三冠王」
「原辰徳は3球で仕留められる」なんてのもあった
- 64 :
- >>61
年間42勝を挙げた稲尾もその年の救援勝利は18
長いイニング投げるリリーフ役やっていたらそれくらい当たり前
- 65 :
- 王の55本塁打記録死守は情けなかった
王なら 「記録なんか関係無い 逃げるな」って投手に言えや
- 66 :
- ローズの55本阻止は見苦しかったな
ダイエーのコーチの若菜が全部泥を被ったみたいだったが王も監督としてその場にいて
何も言わなかった所を見るとどうもなあ・・・・
マスゴミは王を神格化してるけど実際にはちっとも人格者ではないな
- 67 :
- それでも非常識人だらけの球界の中では相対的人格者
- 68 :
- 駒田っつうのはタイトル争いに一回も絡んだことない2000本安打達成者だな
こゆきや立浪や前田ノムケンでさえタイトル争いしたことあるというに
山崎裕之もないか
- 69 :
- タイトル争いっつうのは主要タイトルの年間ベスト3(盗塁も入れて)に入るとする
立浪、高木、前田は打率であるはず
山崎は盗塁かパが低打率だった頃打率であるかも
駒田は不思議とベスト3ない筈
- 70 :
- 昭和46年に平松が17勝で最多勝になってるが今で言えば11〜12勝くらいで最多勝に
なるような違和感があったのでは?
- 71 :
- >>70
最多勝の相場は20勝以上の当時としてはたしかに少ないな。何が原因か?
- 72 :
- >>71
オフにオリオールズがくる為の過密日程
- 73 :
- >>70
ずっと併走してた堀内が死球食らって骨折リタイアしたからな
- 74 :
- >>73
ピッチャーが死球で骨折とかひどい話だな。
まぁ、その堀内も中日高木にやばい球ぶつけたらしいが……。
- 75 :
- 1982年はセ・パ両リーグの打撃部門
打率 ・セ 長崎(大洋).351 田尾(中日).350 掛布(阪神).325
パ 落合(ロッテ ).325 新井(南海).315 栗橋(近鉄).311
本塁打・セ 掛布(阪神)35本 原 (巨人)33本 山本(広島)・宇野(中日)30本
パ 落合(ロッテ )32本 ケージ(阪急)31本 ソレイタ(日ハム)30本
打点 ・セ 掛布(阪神)95打点 原 (巨人)92打点 山本(広島)90打点
パ 落合(ロッテ )99打点 羽田(近鉄)85打点 ソレイタ(日ハム)84打点
パ打点部門を除いてセ・パ両リーグ共大接戦で今に伝わる様々なドラマや汚点を生んだシーズンだった
- 76 :
- 谷沢とハリーのときは四球合戦、バックレ欠場なかったんでしたっけ?
谷沢の時四球合戦なかったのは、やっぱり谷沢に人望なかったからかな〜なんて邪推してしまいましたが
谷沢と若松のリーディングヒッター争いも夏場までどちらも3割6分台キープしていたんじゃなかったでしたっけ肥饒にレベルの高い争いでした
- 77 :
- >>76
そう、で巨人もパから来た奴に首位打者はやりたくないって感じだったw
- 78 :
- >>76
張本は「私もあのとき欠場作戦をとっていたら首位打者を獲得できたかもしれません。でも休みませんでした」とか言ってた。
巨人に来て、かつて打率キープのため休んでいた過去の自分を恥じていた張本だった。
- 79 :
- >>77 失礼ですが「そう」というのは、「谷沢に人望がなかったから四球合戦無かった」に対しても含めての「そう」ですか?
- 80 :
- >>78
それは若松が相手のときじゃないのか?
- 81 :
- 1962年 首位打者 森永勝也 .307
- 82 :
- >>81
森永の話だとあの年は如何にヒットを打つかという事よりも如何にバットを振らずにフォアボールで
歩くかという事ばかり考えていたとか。
1987年セの打率争いも篠塚・正田・落合・中畑が争う大混戦だった。
規定打席ギリギリだった中畑は最後まで出続け打率が下がって脱落したが、残りの3人で壮絶な打率
争い......いや欠場のオンパレードとなったw
.333で単独首位に立って残り全試合に欠場した篠塚に対し、ようやく打席に立った落合はヒット1本
打てば篠塚に並ぶところだったが、凡フライに終わり自滅した。
1厘差の.332に付けていた正田は巨人の全日程が終了してからようやく打席に立ち、お得意のバント
ヒットで篠塚に並ぶとベンチに退き、篠塚と正田がめでたく首位打者に輝いた。
- 83 :
- 中畑はあの時よく出続けた(まあ当たり前なんだが)と思った
- 84 :
- あの時中畑が首位打者とってたら
今頃もっと解説者として説得力が出てただろうか?
…出てるわけ無いか結局中畑だし
- 85 :
- >>84
いや、打撃三部門とかの主要タイトルなら1回獲っただけでやっぱハクはつくだろうな。
説得力は……やっぱ違ってくると思う。
たとえば、打撃論に関して同じことをしゃべったとして、極端な話、張本が言うのと一茂が言うのとでは……。
- 86 :
- >>85
言ってることは正しいと思うけど
中畑だと実質的には大して変わらないと思うw
例えば堀内は実績だけ見ると素晴らしいけど
解説者としての評判がよいとは思わんし
鈴木や東尾もしゃべりのせいで評価低いし
逆に与田なんかは実績は大したこと無いが評判良い気がするし
- 87 :
- >>82
読売新聞に「正田チャッカリ1の1」
って書いてあったな。
- 88 :
- >>86
200勝した面々と比べるとそりゃ劣るが、与田の実績は大したことないことはないぞ・・・・・・
- 89 :
- >>88
たいしたこと無いよ。
200勝投手と比べてそりゃ劣るなんてもんじゃない、桁が違う。
- 90 :
- >>88
与田ファンの人は怒るかもしれんが
単純に実績だけなら中畑のが上に見える。
解説なら間違いなく与田だがw
スレタイ通りの話をすると近年では2003に谷が.350打って首位打者
とれなかったのが個人的に印象深い。
超打高投低時代とは言っても近年で
.350以上打って首位打者取れないケースは珍しいと思う
- 91 :
- 首位打者を獲れなかった数字として最も高かったのは1986年のクロマティの.363かな?
去年の青木の.347もなかなか高い数字
- 92 :
- ブーマーだかデービスの
.350 40本 100打点クラスで無冠というのも凄いと思うが
- 93 :
- ちょっと調べてみたが、抜け・間違いあったらすまない
打率.350以上を記録しながら首位打者が取れなかった例
.363 クロマティ 1986セ(バース .389)
.358 新井宏昌 1979パ(加藤英司 .364)
.357 篠塚利夫 1981セ(藤田平 .358)
.355 張本勲 1976セ(谷沢健一 .355).35478
.355 小鶴誠 1950セ(藤村富美男.362).35465
.353 渡辺博之 1954セ(与那嶺要 .361)
.351 若松勉 1980セ(谷沢健一 .369).35129
.351 岩本義行 1951セ(川上哲治 .377).35071
.350 ブーマー 1986パ(落合博満 .360).35020
.350 田尾安志 1982セ(長崎啓二 .351).35010
.350 谷佳知 2003パ(小笠原道大.360).35000
- 94 :
- 3割5分未満だが、こういうのもある。
84年クルーズ(日本ハム).348 なお、首位打者はこの年三冠王のブーマー.355
- 95 :
- >>3
1993年の緒方と石井豚の盗塁王争いの方が個数はひどいよ。
イメージはその二人だけどね(笑)
- 96 :
- >>92
ブーマー、デービスの場合は同時期に
全盛期の落合がいたというのが影響大だった。
85〜86年は落合が3割6分、50本という
恐ろしくハイレベルな数字を2年続けて叩き出したのだから
他の強打者達は不運としか言いようがなかった。
それにしても、この時期の落合VSパの強打者達の
ハイレベルなタイトル争いは凄かった。
率も残せて長打も打てるというA級外国人打者達に加え
西武の新星・秋山までもが割って入ってきてた。
これに清原も加わり、翌年以降からは
タイトル争いが更に面白くなるのかと思いきや
三冠王・落合がまさかのセリーグ移籍。
88年にはデービスが不祥事で追放。
清原は大打者に大成する事なく尻すぼみ。
以降、現在に至るまで、これほどのハイレベルな
打撃陣を揃えたタイトル争いを見る事は無い。
- 97 :
- 落合が著書にデービスは常に3割3分30本100打点は確実に打つけどそれ以上のものを
残さないから勿体無いと言ってたな。
とはいえ今のプロ野球界で3割3分30本100打点ってかなりハイレベルだと思うのだが
- 98 :
- 落合が居なかったら80年代のパ・リーグは外国人が打撃タイトル独占だったろうな
- 99 :
- カブレラ・ローズ・中村ノリあたりが凌ぎを削ってたころは結構凄いと思ったなあ
短期間だけど
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