2011年10月1期創作発表鬼の独立愚連隊と、姫 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

鬼の独立愚連隊と、姫


1 :11/10/17 〜 最終レス :11/10/27
SS速報から落ち延びて来ました。
ここで完結までのんびりしたく思います。
42文字で強制改行してます。読み難かったらごめんなさい。

2 :
 鉄と血の薫る平原を見下ろし、鬼の群れが獲物を品定めしている。
「ん?」
「だから“扉”が閉じちまった――って、聞いてんのかよ隊長ォ?」
 若造が声を荒げ、隊長と呼ばれた男が思索から戻る。
「……ああ。いいじゃねぇか、そんな小せえことは」
「いやいやいや、アレが消えちまったらもう帰れないんスよ、俺ら?」
 段平を後方に振り回し、ある意味で最もまともな注進に及ぶ若造だが、それは彼らの規範か
ら最も外れているのが残念でもある。
「お前はまさか帰りたいのか? この状況を前にして?」
「……いや、まあ、こいつは恐ろしく魅力的な有様ですけどね、隊長」
 滾る血潮に刺激された本能が若造を駆るが、“それどころではない事情”がそれを押し止め、
抑えつける。
「そういやコイツ、嫁を貰ったばかりでしたね。先月だっけ?」
 ああ、それこそが理由であるのに決して辿り着きたくなかった結論を、このクソ馬鹿が速効
で曝け出しやがった。
「今週だよ! つうか手前ら、あんだけ飲み食いしまくっておいて、もォうろ覚えかよッ!」
 周りの全員が上官であるという不利を無視して、若造は猛る。この位置へ辿り着いた実力と
暴虐を甘く見るんじゃねえ。
「悪い悪い。何しろあン時の酒がまだ抜けてないからな。去年だって言われても否定出来んわ」
「ああ確かに、ウチの一年分の酒が一晩で消えたよな。って、ンなことはどうでもいいんだよ! 
問題はこの新婚ホヤホヤのこの俺が“もう二度と嫁とヤれねえ”ってことだろうが! 畜生、
ブッすぞこの野郎ォ!」
 だがしかし。彼の純情は空しく空廻る。歴戦を肴に若造に倍する年月を重ねて来た古兵ども
に、遺憾ながら彼の若さは通用しない。故郷への帰還が露と消えた今日を、即座に引き受けた
無骨な鬼どもには。
「漲ってんなあ、おい?」
「まぁ、この不幸な若人には残念賞をくれてやるとして、どうしますよ俺たちは?」
 それぞれに大業物、戦斧、馬上槍、弩を担いだ荒くれが、イイ笑顔で隊長に期待を向ける。
「見りゃあ判んだろ? この下でやってる祭りに参加するんだよ。他に何がある?」
「ははっ! この、どことも知れない世界に孤立して、真っ先に向かうのが戦場ですか。はっ、
いやはや、なるほど隊長、実に貴方らしい」
 意外なことなど何一つないように、たかが五人と一人の部隊が機能を開始する。
「だろう? 血湧き肉躍るってヤツだ」
「……ってやるよ。ああってやる! こうなったらどいつもこいつも鏖だよ! 俺以上の
不幸をこの世界にぶちまけてやらねえと気が済まねえ!」
 臓物を口に銜えているのが最高に似合いそうな表情で、若造が再起動する。
「俺の部下にこんな愉快な奴がいたとは、な。あとで祝杯を挙げよう」
 隊長の顔に浮かぶ愉悦は、心臓の悪い者が見てしまったら即死でも仕方がないかも知れない。
「で、どちらに加勢するんで?」
「決まってんだろ? 負けてる方だ。奮戦空しく壊滅寸前の馬鹿野郎どもに入れ込むんだよ」
 隊長のドヤ顔と、配下の待ってましたが交錯する。
「ああ、それは素晴らしい。そこに信条だの美学だの一切絡まないところが、また最高ですな」
「――装備を確認しろ。そこの大地を血に染め挙げてやるに足る戦力を確認しろ」
 鉄塊に棒を刺しただけのように見える凶器を軽く担ぎ、隊長が部隊を確認する。その威力を。
「了解」
 それぞれに小人謹製の武器をギラつかせ、眼下の蹂躙を愉しげに眺めている。される側の方
に付くビハインドを負う悲壮など、欠片もなく。
「オラ行くぞ、三等兵。敵を百人せば一階級特進だぞ」
 己の身体より重い大剣を音もなく戦友に突きつけ、若造が吠える。
「そりゃ特進でも何でもねぇだろ! つうか活躍の代償をくれる王にはどうしたってもう二度
と会えないじゃねえか!」
 しかしまあ、当然の結果として、戒めと激励代わりの拳が若造に叩き込まれ、兵隊は地獄の
戦場に嬉々として向かう。良き敵に見えることを最上とし、し合いの末にある死こそが至上
と唱える、最悪の馬鹿どもが。
「さあそうぜ。俺らの敵に廻った奴儕には、悪いが全部死んで貰おうか」
 数多の世界であらゆる言葉で、ただ“鬼”と呼ばれた兵の、馬鹿げた狂宴がここに開催する。

3 :
「ただ死ぬなッ! お前にそれを赦すのは、敵に刃を突き立てて、それからだ!」
 亡国に立つ姫が、それが妄言と、誰より解っている鼓舞を散らす。ここは紛れもなく地獄の
三丁目であり、王を喪った国の末路として、相応しく最悪だ。
「その者はもう死んでおります。その隣の者も」
「……解っている! だが死ぬなと命じたのだ。この、私が! 立てェ!」
 稀代の宰相としてこの国を支え、だから望んで命運を共にしようとする愚かな老爺が、最後
の血筋を戒める。無理だとよく解っていて、それ故に、それでもなお。
「王女殿下を最後の国民にしないこと、それが我々の務めですからな。ここは何としても落ち
延びて頂きますぞ」
「っ、ふざけるなッ! 敵があらばこれを悉く滅する。それが我が家の家訓だろうがッ!」
「王が崩御なされるまでは、確かにそうでしたが」
 片眼鏡を鈍く光らせ、亡き王が遺した無理難題を胸に抱き、宰相が覚悟を示す。
「王はここに在る! この私が、父上の無念を受け継いだこの私こそが、この国のッ――」
「……もう、ここに国はないのですよ、お嬢さま。残骸と瓦礫、屍体ばかりがかつての領土を
埋め尽しております。――なれば我々は希望を一つだけにして、それだけは絶対に破られない
ことを誓ったのです」
 くどいばかりに並べられる爺やの言葉が、姫君の決死を、その心意気を折る。幼少より続い
た師弟としての関係が、積み重ねた年月が、逃れられない愛情を以て、堀という堀を埋める。
「でも、私は嫌だ!」
「こればかりは、どうにもなりませぬ。この国の全てを背負って、お嬢さまには生き続けて頂
かねば」
「……お前は! お前は死ぬつもりだろうッ!」
 もはや絶叫に近い声が廃城に響いた。許さぬと。
「必要となるでしょうな。おそらく」
 宰相が頬を緩ませ、こともなげに応える。自身のそれはもう、終わっているのだ。
「ですが、暇を乞う猶予を得られたのは幸い――」
「言ってやらんッ! 誰が言うものか! お前に暇など、与えてやるものか! 爺はこの私の
孫に良い名を授けることに汲々とする余生を送るんだ! 他の何かなど絶対に許さんッ!」
「……光栄の極み、と申しておきましょうか。ですがその未来は、――無理ですな」
 ここに至って初めて、この赤毛の姫の姫たる何ものかが炸裂する。判り易くいえばそれは、
“蹴り”であり、ある意味のご褒美であり、言葉にすれば「死んだらす」である。
「ブゴォ!」
「絶対に、絶対に許さん。そもそもお前らには一人として死ぬことすら許していないのだぞ!」
「こ、この喝は……さすがに、この老体には……」
「やかましいわ! この私の“絶対”は文字通りのそれであって例外など微塵も許容しないッ」
 上気した頬を右に左に振り向け、彼女は暴虐をそれと知って揮う。父である王の遺した双剣
を両の逆手に掴み、一人でも多くの敵を屠るべく。
「よう。生き残りはお前らだけか?」
 そこに壁を蹴り破り登場するsラ小隊。平時であれば災難そのものだが、この場合に措
いては少しばかり、話が違う。

4 :
「来たな狗どもッ……! って、おい。あれは何だ?」
「さあ? 私にも判り兼ねますな、お嬢さ――陛下」
 この時、双方の間には些かの距離がある。だから姫とその近習は、交わす視線に言葉にした
ら馬鹿馬鹿し過ぎる問いを込める。あり得ないがまだマシな可能性に分があることを期待して。
 ――あれ、何か遠近感おかしくない?
 ――どうやら耄碌しましたかな。私にもそのように見えてなりません。
 おとぎ話にすら聞いたこともない“モノ”が、賑やかに距離を詰め、否定しようのない事実
として並ぶ。それらとこの姫の背丈を較べれば、それは単純に倍である。
「嬢ちゃんがここの主人かい?」
 中央の“男”が鬼の形相で優しく訊くのだが、その言葉は姫の聴覚を素通りする。面構えが
怖過ぎるのだ。恐怖は人の心を麻痺させ、そして本能がこれを排除しようと働く。
「くそっ、何だか知らんが、敵ならばいッ!」
 姫の脚が跳躍に向けた力を溜めるのを感じ、宰相は咄嗟に彼女の襟首を掴んで後ろに転がす。
「なりませぬ! ここはこの爺に任せて、打ち合わせの通り――」
「邪魔を、するなァ!」
 着地を反動に、姫の身体が小柄な宰相の頭上を一足に越えて、闖入者の喉頚に迫る。鞭のご
とく撓らせた両の腕が、急所の一点で交差し、――そこで停止する。
 彼らがこんな時に“油断する”という習慣があれば、もしかしたら少しは効いたかも知れな
かった彼女の必の一撃は、鉄槌を担いだままの男が突き出した、二本の指に挟まれて未遂に
終わった。
「ッ!?」
 唯一の武器を掴んだまま、姫の身体は宙に留まり、足は空を蹴る。
「威勢のいい嬢ちゃんだな。素質もある」
「くっ、武器が通じない……ならば!」
 父の遺品を手放し、着地までの短い時間に全身の筋肉を後ろ向きに捩る。左足を先に着いて
の踏み出しが撃鉄を起こし、全身を載せた右足の踏み込みが引き金を絞る。
「ちょ、おい」
 眼下の娘の狙いに気づいた男が二本の指を振り、小刀を天井に放る。
「哈ッ!」
 柔らかな音が王の居室に響き、三人が静止する。男と姫、そして爺だ。他の連中は愉しげに
だらけている。
「何……だと……!?」
 全力の右正拳が腹筋に届く前に、男の掌によって防がれたのは、主従にとって幸いであった。
「――素養も充分だ。けどなあ、嬢ちゃん。そのちっこいのでこんなモン殴ってみろ、暫くは
そいつで飯も食えねえし、ケツも拭けなくなっちまうぞ?」
 下品に生まれ下品を重ね、下品にくたばる予定の男の下品な物言いに、姫の頬が朱に染まる。
「……う、うるさい! お前が敵ならば、私は、私はッ!」
 二の矢までを軽く捩じ伏せられて、姫の憤慨には少しだけ弱気が混じっている。
「敵じゃあないんだな、これが」
「っ嘘だ! お前のような味方は知らんッ!」
「話はそれよ。俺たちを――」
 男はそこで一旦、言葉を切り、姫の右正拳と鉄槌を放して床に座る。男と姫の視線が概ね同
じ高さになる。それは謙譲を表したように見えるが、一物の辺りを見つめられるのを嫌がった
だけかも知れない。
「雇ってもらいたくて、な」
 背後で一回転した鉄塊が床石にめり込み、おぞましい音を発てる。
「……その戯言を信じるとでも? 落城寸前――いや、もうしていると言っておかしくない、
この状況にカチ込んで来て? どこからどう見てもお前ら、略奪目的の山賊じゃないか!」
 相手が徒手を晒すなりのお前ら呼ばわり、山賊発言である。これはこの王族の故か、生来の
気性がたまたま度外れていたのか。
「しかしお嬢――陛下。彼らに攻撃の意思がないことは、この萎びた首が胴と泣き別れてない
のを見ても確か。そしていまは一人でも多くの味方が欲しい場面。一考に値する提案かと存じ
ます」
「そうそう。いいぞ爺さん、もっと認めてくれ」

5 :
「お前は口を挟まないで! そこも調子に乗るなっ、抱えてやらんとは言ってないだろうが! 
――よかろう。ではまず答えてみよ、お前らはどこから来た、何者だ?」
 ずびし、と人さし指を突きつけて姫が、人ならば誰もが発したいだろう問いを、役得として
放つ。
「ん? ああ、俺たちが来たのは“よその世界”なんだが、まあそこは遠い土地からとしよう。
これで少なくとも間違っちゃあいない。そんで、俺らが何者かっつうとだな、“鬼”が一族の
呼び名で、こいつらは年がら年中どこかしらで戦ってる、それしか考えてねえ戦狂いな訳だ」
 と、そこで一旦、口上を止めて二人の反応を確かめる。
「ここまではいいかい?」
 何故か挑戦的な鬼と姫の視線が交錯する。どちらも逸らさず、折れない。
「よく解らんが、嘘でないことは容れよう。見たままでもあるし、な」
「そのバカどもの一隊がこの近くに繋がる、まあ“近道”みたいなものを見つけてな。こいつ
は基本的に早い者勝ちなもんで、喜び勇んでそこに飛び込んだ訳よ」
 にわかに背後の連中が喧しくなる。
「俺が見つけたんだぜ!」
「いや待て。実は俺も気配を感じてたんだな、これが」
「置きゃあがれ! 手前ェはあん時“花を摘みに”行ってやがっただろうが! デカい方の!」
「ビビッと来たんだよ」
「ケツの方からだろう? そりゃ、ビッと来るわな」
「何だとコラ。穴ぁ増やして倍速で漏らすようにすんぞ手前ェ!」
「くそう。あの時あそこで靴紐が解けたりしてりゃあ、いま頃は嫁のをよう――」
「まだ引き摺ってんのかよ? 若さってのはイカ臭えなあオイ」
「歳は関係ねえだろうが! それに臭えのはおっさんの腋だってんだよこん畜生!」
 穏やかな話し合いに臭気をまき散らす部下に、音もなく振り向いた隊長が怒りの視線を巡ら
せる。覚悟はいいか、と。
「あ、いや。隊長の指示がなけりゃあ、その、なあ?」
「ごめんちょっと盛ってた。でも――」
 そこで隊長がもう一度問う。いいんだな?
「スイマッセンしたー!」
「したー!」
「したー!」
「したー!」
「したー!」
 空気を読まない自由と五体の無事を天秤に掛け、荒くれどもが平伏する。何度か行われた、
徒手による五対一の“訓練”を思い出したのだろう。
「すまねえな、嬢ちゃん。うちの野郎どもは品がなくていけねえ」
「お前もな、と突っ込んでやらんでもないが、まあいい。続きを」
「ああ。この近道――俺らは“扉”って呼んでるんだが――が、着いた途端に消えちまったと、
そんな訳だ。まあ、アレを見たことない奴に、こいつを解ってもらおうとまでは思わねえが」
「そうだな、しかし“そのような類いのモノ”があることを疑っても埒が明かん。証拠を眼前
にして尚も否定に走るほど、この私は盆暗ではない」
「そんで、帰れなくなった俺らはとりあえず、目の前でやらかしてるこの戦に参加して、鬱憤
を晴らしちまおうかなと――ん? その証拠ってのは?」
「それはだな、“この世界”にはな、お前らのような種族が在ったことなど、一度として知ら
れたことがないのだよ。もちろん、もっと大きいのも含めてだ」
 姫の言葉を受けて、男の顔が恐ろしく曇る。
「そいつは……残念だ」
「何だと?」
「俺たちはその“もっと大きいの”や“もっと強いの”を求めてそこら中に出張ってんだよ」

6 :
 六人の鬼がそれぞれに遺憾を表明する。その様子は恐ろしくも痛ましい。
「それは……まあ、その。気の毒にな」
「いいさ。数は力って考えもある。ここを囲んでる連中で全部じゃないだろうし」
 姫と爺の頬が同時に強張る。何を吐かしている……こいつら……?
「……まあ、まあいい。お前らがこの世界にいる事情は、幾分かは理解出来た。で、それを踏
まえて訊きたいのだが」
「まだ何かあったっけか?」
「あるさ。お前は先ほど、私に“雇われたい”と宣ったが、これは何故だ? 戦いたいならわ
ざわざここまで来なくとも、勝手に始めればいいじゃないか」
「俺たちは“旗印”が欲しいんだよ、他ならぬ嬢ちゃんのな。そいつを背負ってらねえと、
違っちまうんだ」
「何が違うのだ?」
「いいかい? 俺らがとりあえず目についた奴らを、適当にブチして回るとするよな?」
「ああ」
「その有様を誰かが高いところから見たらどう思う? しかもそいつらはヒャッハーだのって
喚きながらしまくって、凄え愉しそうにしていやがる、としたら」
「酷いな、それは……」
 この世の終わり、という題の絵を描いて額にぶち込めば、たぶんそれで正解だ。救いようが
ない。
「だろ? それじゃあまるで俺らが悪党みてぇじゃねえか!」
 いまもそうだよ! もう手後れだよ! という台詞が込み上げ、姫は最大の努力でこれを飲
み込む。爺はもう、内心にも突っ込む気力が失せたらしく、蒼白く俯いている。
「……だけど、私が雇うにしても、やることに変わりはないのだろう?」
「違うんだな、こいつが」
 男のしたり顔はやはり兇悪で、新しい惨法を思いついて、そいつを発表するのが待ち切れ
ない鬼のようにしか見えない。堪らずに姫は叫ぶ。
「いやいやいや、何がどう違いようがあるんだよ、それ!」
「そのヒャッハーうんたらが“姫のために!”に変わるんだぞ。格好いいじゃねえか!」
 男の決め台詞に、後ろの鬼どもが喝采を揚げる。そのかけ声はもちろんヒャッハーである。
「……その“誰か”がそう思ってくれるといいわね」
 姫の口調が年相応に盛り下がる。何か、今日はもう、疲れた。
「思うさ! ナニあの鬼の軍団、超格好イイんだけど! ってな!」
「あーはいはい。で、私はお前を雇う、お前らは敵を全滅――もとい殲滅すると。あ、同じか
意味は。まあ、いいや」
「どうした、顔色が悪いぞ? お腹痛いのか?」
 男の声はそれなり優しく、表情もそれに倣ってはいるのだが、造作が何もかもをぶち壊す。
これに慣れる日があるのだろうかと嘆息して、姫はその質問を受け流す。
「報酬は? 支払うべき金品など、この国にはもうないんだけど?」
「よせやい。俺たちがそんなもんを欲しがるかってんだ」
 ぞくり、と姫の身体が嫌な予感に震える。こいつらまさか……この……。
「じゃあ、一体何よ? 払えないものまで払うつもりなんかないわよ!」
「いやいや大丈夫だ、何の問題もねえ。嬢ちゃんからは何も頂かんよ。もちろん、この国の誰
からもな」
 それならっ、という姫の問いを制し、そこで男の顔に真剣味が宿る。これを言いたかったと、
会心の表情で宣言する。
「報酬は敵に払ってもらうからな。その命で!」
 そして既に終わっていたはずの戦が、ここに息を吹き返す。幸いにも、そして不幸にも。

7 :
 契約を済ませ、車座になった一同。満遍なく鬼の形相と向き合う格好になった姫と宰相は、
それぞれに居心地の悪さを満喫している。
「まずは嬢ちゃんと爺さんをどこかに移さねえとな。ここに残しといてうっかり死なれちまっ
たら元も子もねえ」
「お前も私に逃げろと言うのか!」
 沸点の低い姫が即座に反応する。握り締めた両手がぷるぷるしている。宰相はおろおろして
いる。かすかに、しかし時となく耳に障る捜索の喧騒が、彼の不安を加速する。
「単純に危ねえんだよ。これからこの城はかなりボロくなるからな。実家に潰されてくたばる
のは嫌だろう?」
「ここでケツをまくる方がもっと嫌だ!」
 そんな姫の拒絶を鼻息で追いやり、隊長が半笑いで説く。生肉の似合いそうな牙が口唇から
ちらりと覘く。
「見てみろこいつらを。この極道どもが好き勝手に暴れてるところに居合わせたいと思うか?」
「っ!? それはいけませんぞ、お嬢さま。ここに残れば寧ろ、彼らの行動の妨げにも――」
 蒼い顔で道理を説き、宰相は姫に翻意を願う。万一ここに残られたら、ようやく射しかけた
光明が風前の灯になってしまう。それだけは何としても。
「くっ……」
 姫にも解ってはいるのだ。自分が残ると言い張れば、この宰相も当然そうする。そして先に
死ぬだろう。それが嫌なら彼らの言う通りにする他ないと、解って、いるのだ。
「……仕方ない、ここは退いてやる」
 歯を食いしばり憤懣を理性で呑み込んだ姫に、隊長は部下を褒めるような眼差しを遣ると、
軽い調子で宰相に確認する。
「で、あるんだろう?」
「ありますとも。こんなこともあろうかと用意しておいた隠れ家が。まず見つからず、それで
いて守りは堅く、充分な備蓄と快適を約束する、お薦めの物件ですぞ」
「そいつはこの嬢ちゃんのためにかい?」
「畏れながら」
 端然と言い放つ宰相。その顔に自負の色は滲まない。この男はどこまで姫に尽すのだろうか。
どれだけ尽して来たのだろうか。
「なるほど。そいつは頼もしい。して、場所は?」
「ここから北に半日ほどの距離になりますな。もちろん、人の足で、ですが」
「問題なさそうだな。ついでに訊くが、北はどっちになる?」
「ああ、確かに陽のないうちは方角が判りませぬな。――この方向です」
 と、宰相が己の後方を指で示す。
「よし。では支度をしてもらおう。何かあるか?」
「いえ、もう何も」
「優秀だな。話も早い」
「待てい!」
 割って入る姫。彼女の支度にはまだ一つ足りていない。
「私の剣が天井に刺さっているぞ。あれは置いていかん」
「おお、すまんすまん」
 立ち上がり、人ならば脚立なくして届かぬ高さに刺さっている二本の剣をちら、と確認する
と、隊長は軽く腰を落して跳躍する。それはネコ科の猛獣を彷佛とさせる動きであり、しかし
彼の風貌を全く裏切っている。豪快の欠片もないのだ。
「悪かったな、嬢ちゃん」
「ふんっ!」
 差し出された柄をひっ掴むと、即座に胡座のまま腰に吊った鞘に納刀し、姫はもう一つふん
と唸る。その早業に鬼どもが軽くざわめく。
「なあ爺さん、ここの連中は皆この嬢ちゃんくらいに“使う”のかい?」
「いえ、この方はどうにも規格外でして」
「姫なのに?」
「遺憾ながら、左様で」
「何だって残念なんだよ?」
「そこ! 残念とか言うなッ!」
「ああ、いや、すまん」
「これは失礼を……」
 姫の突っ込みに二人は素直に謝る。二本の剣が戻って、少し迫力が増したのかも知れない。

8 :
「……喪われてはならぬ命に授かるには、惜しい才にございます」
「強くて困るってのも変な話だな」
「それが一介の剣士であれば、と王も申しておりました」
「んなもんかねえ。俺んとこの王は最前線が指定席だぜ?」
「我らは人の身なれば」
「ん? ああ、“それ”か。単純に、最強の奴が王ってのも悪くねえと思うんだけどな」
 その時、姫の瞳が妖しく光る。
「ほう、お前たちは“そう”なのか。爺、捲土重来を果たしたら、我が国もそうしよう!」
「イヤでございます。お嬢さまの片八百――からの出奔、が刹那に結像しましたが故に」
「ちっ」
 心底イヤそうな視線を応酬する主従。さすがの鬼どももこれには苦笑い。
「まあまあ、そいつはこの戦が終わってから存分にやんな」
「そう、だな。もう決めたが?」
「ならぬ、と申しておりますが?」
「だから後だって、な?」
「!」
「!」
 隊長は二人を“凄み”で黙らせ、武骨な人さし指で部下の一人を差す。
「“侍”、お前がこの二人を隠れ家まで護送しろ。安全を確信したら戻って来い。何日かかっ
ても構わん」
「ふっ、さすが隊長。俺の好みをよく解ってる。承った」
 侍と呼ばれた鬼が立ち上がり、腰に大小を差すと満足げに姫へ頷く。
「何が“解ってる”のだ?」
「こいつはな、“忠義に果つる”のが理想の変わり種なんだよ」
「忠義、って顔じゃないような気が……いや、言われてみればこの男だけ、他の連中と雰囲気
が違うな。造りは地獄そのものなのに、まさかの気品があるというか」
「だろ? こいつは前に俺たちが行った“倭の世界”で、そこの武士道とやらにかぶれちまっ
てよ。ナリから物言いまでがこの有様よ」
「腹は切らぬが、な」
 ぐへへと笑う鬼侍をうんざりと見上げ、はて、と姫はそこで首をひねる。確かにこの男だけ
が二股のスカートのごときモノを履いているが、これにどんな意味があるんだか。そも武士道
とやらは何ぞや、と。
「よし、行け」
「応」
 短く返し、侍は先ほど宰相の指した方の壁に向かって進む。扉も窓もない、ただの壁に。
「あの、城外への抜け道は、そちらではありませんが?」宰相は困惑する。
「そいつは使わぬ。どうせ狭苦しいのだろう?」
「まあ、お前には向いてないわ、確かに。だったら――」
「こうするのさ」
 抜く手も見せずに侍の小太刀が四閃する。
「へ?」
 一拍の後、角度をつけて切り取られた石壁がするりと向うに抜け、ごとりと落ちる。主塔の
外周に沿った暗い廊下がその奥に見える。
「何……だと……!?」
「何……ですと……?」
「よし。では参ろうか、姫」
「え、あ、うん?」
「……?」
 軽く屈んで新設の扉を潜ると、侍が手招きする。
「またな、嬢ちゃん」
「……ああ、そうだな。またな」
 五人の鬼に見送られて、軽い目眩を覚えつつ、姫と宰相は扉を抜ける。その先にあるのは、
少なくともこの二人の死ではない。

9 :
「よし、残りの分担も決めるか」
 ずばんと掌をひとつ打ち合わせ、残る四人の部下を眺め渡す。城の外にはその万倍の敵が
犇めいているというに、この隊長は晩飯の仕度のごとき気軽さで采配を揮う。
「待ってましたぜ大将!」
「俺はやるぜ! やるぜ俺は!」
「まあ、どうせ俺がまた美味しく頂くんだけどな」
「んだとコラ、ヤツらはこの俺が鏖にするんだよォ!」
「若いな、若造」
「滾る性欲をチカラに変えて! ってか!」
「おっ立てたままくんじゃねえぞ?」
「屋上行くか手前ェ!」
「お前……まさか俺のケツを……!?」
「アッー!」
「やかましいわ! 黙って聞け」
「お、おう」
「押忍」
「ブッ――ぐはっ!?」
 そこで若造に指導である。懲りないからといって手を緩める訳にもいくまい。
「まずは“神箭手”、お前は見張り塔から“房つき”を狙え」
「了解だ」
「頭が残るようにな。敵さんには損害を正確に堪能してもらわんと」
「この暗さでか! ――ま、やりがいはありそうだな」
「指揮官ってのは大概が灯の傍にいるもんだ。探してみろ」
「なるほど。これが年の功か」
「大して変わらねえだろうが! とっとと行け!」
 嗜虐の予感に片頬を歪めて、神箭手は箙を担ぎ、弩を掴んで部屋を出る。その二つの荷は、
どちらも人が運ぶなら馬がいる。

10 :
「次。“首刈り”と“岩突き”の二人は城内を捜索して、こっち側の生存者を捜せ」
「まーた雑用っすか! 俺ら?」
「この燃え上がる戦闘意欲を無下にしようってんですかい?」
 る気満々の二人が駄目元で抗議の声を上げるが、ここは通らない。
「駄目だ。こいつも重要な役目なんでな」
「マジで?」
「つってもこの城、もう屍体と死にかけしか残ってねえんじゃ――」
 首刈りの指摘を余裕で遮り、隊長が企てを明かす。
「いいか、よく聞け。あの嬢ちゃんには“盾”になる兵隊が必要になる。こりゃもう絶対だ」
「何でまた?」
「あの姫さんはこの世界じゃあ、かなりヤる方なんじゃないんスか? なら別に問題は――」
「まあ、盾ってのは建前で、実際は“足枷”だな」
「足枷、ですかい?」
「ああ。嬢ちゃんを死を厭わないバカどもで囲むのが目的だ」
「そうすると、どうなるんで?」
「最初に遭った時、覚えてるか?」
「そりゃまあ。ついさっきっスから」
「あの嬢ちゃんは初対面の俺に、二度も仕掛けて来やがった」
「命知らずっスよね」
「だよな。俺だってやらねえっつうの。相手はこの隊長だぜ? 冗談じゃねえ」
「でな、ありゃ困るんだわ。――例えば、うちのバカ王を野に放つのは全然構わねえだろ?」
「マジキチっすからね、あの王さまは」
「まず死なねえからな。だけど嬢ちゃんはマズいんだよ。万一にも死なれちゃ困る」
「確かに。姫さんが死んだら、俺らの大義名分が折れちまう」
「だからよ。嬢ちゃんには生き残りの命を背負ってもらう。いまここで死にかけてる奴らなら、
この先で尻を割ることもあるめえし、嬢ちゃんだって見棄てて先走ったりはしねえ筈だ」
「自分が慎重にならねえとマズいって?」
「そうだ。さっきも爺さんのために退いただろ? その“優しさ”につけ込む訳よ」
「気づいたら凄え怒りそうっすね」
「爺さんは喜びそうだな」
「つうことでよ、お前ら。ここは少しでも多くの死に損ないが必要なんだ。頼むぞ?」
「任されたぜ隊長ォ!」
「うお。いきなり滾ってんなオイ! まあ負けねえが」
「ま、励んでくれや」
 と、隊長はベルトから革袋を外して放る。
「そいつを使っていい」
「こりゃ“耳長”の秘薬じゃないスか。いいんスか?」
「俺らに必要になると思うか? この世界で」
「そりゃまあ――ないっすね。たぶん」
「だろ? なら、ここで使っちまうのが正解なんだよ」
「了解っス、隊長。こいつで死にかけを叩き起こして来ますわ!」
「オイ半分よこせ。さり気に独り占めしてんじゃねえ」
「ちッ! ほらよ」
 この斧使いと槍使いは齢が近いこともあり、何かと対抗したがる。仲は悪くないのだが。
「よし。じゃあ行って来い。見つけたらここに集めておけよ」
「了解っす!」
「押忍!」
 がっしゃがっしゃと凶器を賑やかに鳴らし、鬼の衛生兵が疾走る。姫とこの国の味方の許へ、
彼らの獲物の許へ、ごり押しの延命と、人でなしの笑顔を届けに。

11 :
「あとはこいつか。――オラ起きろ」
「うぐはっ」
 隊長に蹴り起こされた若造が呻く。先ほど水月に叩き込まれた一撃が、彼の意識を刈り取っ
ていたのだ。
「……ここは?」
「お前の戦場だよ。寝てると死ぬぞ」
「っ! ああ、思い出し――痛えじゃねえか隊長ォ!」
「もう一発っとくか? 反撃しても構わんぞ?」
「……いやホント、スミマセンでした」
 辺りにこの鬼を止める者が誰もいないことを察し、若造の顔が蒼褪める。これはマズい。
「そうか。ま、いつでも掛かって来いや。部下を打たれ強くするのも、隊長の務めだからな」
「くっ……」
「では仕事だ。お前に特等席をくれてやる」
「!」
「来る時に通った城門があるだろ? お前はこれからそこに行って、誰も通すな」
「うおおッ! 鏖! 許容もッ! 慈悲もなくッ!」
「そこを通りたがるのは敵さんだけだからよ。存分に楽しんできな」
「隊長ォ! アンタはやっぱ最高だぜ畜生! よっしゃー征くぜッ!」
 城門に親の仇がいる勢いで発進する若造に、隊長が指示を追加する。
「ああ、それとな? 半日経ったら代わりを寄越すから、それまで止まるなよ」
「半日……だと……?」
「嫌か? なら仕方ねえ、俺が――」
「いやいやいやいや! あ、この“いや”はやりたくないの方じゃなくて!」
「ほう。どうやら俺の目は曇ってなかったようだな」
 刹那、若造の巨躯に稲妻が奔る。万を超える敵の血に塗れて往生を遂げる我を視る。これだ。
「ったりめえよ! やるぜ半日! 目指せ丸一日だぜ! ウオオオオオーーッ!!」
 砂埃を巻き上げ、若造が城門へ突撃する。若さとはいつも、こうでありたい。
「さて、と」
 愛用の鉄塊を担いで、隊長は己の配置へ向かう。大破壊、或いは阿鼻叫喚の始まりである。

12 :
「王女は未だ発見に到らず、とのことです」
 伝令の報告を受け、軍団長は顔をしかめてから指示を出した。
「存外に手間取っているな。或いは逃げ落ちたか。――では、城内の捜索は払暁まで続行し、
以上とする。併せて、城周辺の哨戒に人員を増強し、不審者の発見に急ぎ努めるよう伝達せよ」
「はっ!」
 落ちている勝利を拾うだけ。それは戦端を開く前も、そして以後も喧伝されていたことであ
り、使い潰される側の一兵卒ですら、それを疑わなかった。
 文字通りに桁の違う財貨と戦力が、採算を無視する勢いで注ぎ込まれた結果、経済行為であ
る筈の戦争は濫費による蹂躙の見本市と化した。
「……まだ、終わらないようだな」
 王国の兵が逆境の底で見せつけた気概が、彼の脳裏を過る。後ろ傷のある屍体のひどく少な
い戦跡。彼我の戦力差に見合わない兵の損耗。彼らは確かに蹂躙されたが、その死は虐とは
かけ離れた壮烈に彩られていた。
「――あの玉砕が機を引き寄せた、か」
 果して帝国の顎は王国の喉笛を喰い破ったが、それは策に依るものでも、勇に依るものでも、
ましてや義に依るものでもなかった。物量によるゴリ押し、勝因はそれだけだ。
「もし、ここで終わらなければ……」
 司令官としては穏当を欠く期待を語尾に滲ませ、彼は遠く月夜に浮かぶ廃城の輪郭を睨んだ。
 正体不明の怪物が包囲を突破して城内に消えた、という報告が彼の耳を疑わせたのは、それ
から半刻ほど後のことである。

13 :
 大勢を決して尚、この城は十重二十重に包囲されている。姫と宰相、そして侍の三人がこれ
より突破するのは、その囲いの全てだ。
「ふん」
 主塔外壁に空けた窓から眼下を望み、侍は状況を観察する。こんなものか。
「ちょうど、この直線上に目的地がありますな」
 宰相が一点を差し、侍に距離と方角を示す。東から延びた稜線が落ち込む手前、森の深さと
山の険しさが交差する地点。侍は目印を幾つか決め、大雑把な経路を定める。
「心得た。――まずは東に出て、迂回しつつ北を目指すとしよう」
「それがよろしいかと」
「意外にも慎重なのだな。猪のごとく猛進するかと思ったぞ」
「俺が独りならそうするさ」
「その時は傍にいないようにするわ」
 姫は窓から身を乗り出し、振り返らずに侍に訊く。
「で? ここには梯子も縄もないようだが」
「必要ない」
 宰相の背筋を、とても嫌な予感がぬめる。
「よもや……我らを担いで飛び下りる、と?」
「それは痛快だが、爺が壊れるぞ」
「安心しろ。そのやり方も、俺が独りの時だ」
 と、侍が宰相を左腕で抱え上げ、暫し考えた後にまた降ろす。
「ひゃっ、な何を?」
「ふむ。ならばこうか」
 大小を外し、反りを下にして右腰へ差し換える。
「師匠にブッされるだろうな、これは」
 そう呟くと、侍は左腕を抱いた格好で固め、右腰に帯びた小太刀の鯉口を右手で切る。
「はっ!」
 捻りを入れた腰から音もなく白刃が抜かれ、袈裟、逆袈裟、胴の三連、いわゆる稲妻斬りが
薄闇を切り裂いた。――これに宰相は怖気を震い、姫は熱気を帯びる。
「やってみりゃあ、出来るもんだな」
 左右と上下が逆さの納刀に多少は手間取うも、大方は満足して侍は準備を終える。
「器用なものだな」
「不器用を罵られることの方が多いんだがな」
「お前の“師匠”にか?」
「ああ……」
 叶わぬ再会を想い、侍の応えが曇る。故郷より重い、ただ一つの心残り。
「さて、仕度も済んだ。参るぞ、姫」
「うむ、任せた」
「また……先ほどのアレ、ですか?」
「そうだ。俺は爺さんを、爺さんは姫をな。それでここを抜ける」
 侍の豪腕が、嫌そうな顔の宰相を捉えて抱え、次いで姫をその上に納める。
「これは何抱っこになるのだろうな?」
 鬼の首に腕を回し、おどけた顔で姫が訊く。
「さて。おそらく、これを形容する語句は未だ存在しないかと……」
「しっかり掴まって、掴まえておけよ?」
 するり、と今度は脇差しを抜いた侍が、腕の中の主従に注意を与える。窓に背を向ける。
「まさかとは思いますが――」
「そうだ」
「っは!」
 キン、と小気味いい音を発てて壁面に脇差しを突き立てると、侍は地上への降下を開始した。

14 :
 神箭手が引金を絞ると、前から後、そして主の三弓に連なる弦が圧倒的な張力を解放する。
射ち出された矢は月下に群れる有象無象を亜音速で跨ぎ、不運な百卒長の首元を刺し、穿ち、
斬り飛ばす。苦しまない死に方としては上等だが、見て楽しい情景ではない。
「まず一つ」
 かつては複数の兵がクランクを回して、或いは牛馬に曳かせて張られていた弦を、神箭手は
膂力のみで滑らかに引き、牙と呼ばれる弦掛けに留める。箙から短い方の矢を抜いて装填し、
新たな首に狙いを定め、また射る。
「二つ」
 “中原”と呼ばれた世界の、とある城を平らげた折。弦の切れた長弓で敵を撲していた彼
が残骸から拾い上げ、より重い鈍器として重用した末に記念品として持ち帰ったのが、この弩
の始まりだった。
「三つ」
 小人の工房に持ち込まれた時、それは実に酷い有様だった。まずそれは全体が血塗ろであり、
三弓は打撃の衝撃であらぬ方を向き、弓床も同じ理由で曲がり、弦は切れ端を僅かに残すのみ
だった。そして、この時点で弩を載せていた架台の存在は歴史から忘れられた。そこに木っ端
の一つも残っていなかったからだ。
「四つ」
 唯一原形を留めていた三弓を除き、構造を解析された部品は全て新造された。噂を聞きつけ
た耳長の参入により、全ては木材と金属、そして魔法のハイブリッドで構成され、必要以上の
耐久度と圧倒的な張力、原物を三世代は上回る確度と精度を与えられた。
「五つ」
 かくして、攻城戦の花形であった床弩は、やたらとデカいクロスボウとして斜め上の再生を
遂げ、持ち主に弩と命名された。後に彼は神箭手と呼ばれ、弩は魔改造を施される羽目になる
のだが、それはまた別の話である。
「六つ」
 神箭手は淡々と敵の首級を量産する。月光を利する鬼の夜目に、敵兵の輪郭は既に浮き彫り
であり、彼はただ、篝火の傍らで報告と要望に頷く同心円に終止符を射ち込むだけだ。
「七つ」
 吸気と共に弦を引き、呼気の終わりに引金を絞る。敵の首が飛ぶ。三拍子だ。
「八つ」
 鏃と矢羽に注がれた創意は矢音を極限まで削ぎ、戦場は無音のまま推移する。万の矢と明け
ない夜があれば、彼が一人でこれにケリをつけてしまうだろう。
「……ま、こんなもんだろ」
 二〇を数え、ようやく被害を認識し始めた戦場を眺め、神箭手は手を休める。一定の戦果を
上げたから、ではなく、動きの鈍い的に限りある矢を消費するのに飽いたからだ。
 元々、この小隊に於ける彼の担当は遠距離に伏せる狙撃ではなく、近・中距離を独自の判断
で縦横に駆ける遊撃である。その内でも特に近接戦闘を好む彼がこの任務を楽しめないのは、
これはもう致し方がない。小隊一の冷静を備える彼だとて、兵である前に一人の鬼なのだ。
「さてと。ちょいと楽しませて貰うぞ」
 おもむろに引金の前にあるレバーを一段押し込むと、三本に切られた溝の山が弓床に格納さ
れ、一本の滑走路に切り替わる。続けて弦を引き牙に留めると、その負荷に連動して弓床内部
から射出板が引き出される。これが改造によって追加された第二形態、投石機モードである。
「キレはねえが、コクのある一発ならこれだ」
 彼が陣取っている見張り塔は、敵の攻城兵器により半壊している。身を隠して矢を射かける
狭間は外壁と共に崩れ落ち、夜露を凌ぐ屋根からは満天の星空が展け、辿り着くための階段は
竪穴と化した。しかし残骸に身をやつして尚、城は此方を守り彼方を倒す礎の責を全うせんと
する。一発の弾丸として、一矢を報いるために。
「手頃なのは、と」
 足下から拾い上げた拳大の石を装填し、弩を軽く振ってみる。バネ仕掛けの射出板は正しく
動作し、石を咬んで落さない。この機構がないと射角を水平より下げられず、不便なのだ。
「それじゃあ、踊ってもらおうか」
 先刻とは逆に、なるべく敵兵の密集している地点を狙い、放つ。
「おうらっ」
 着弾点から幾多の敵兵が跳ね、飛び散る様を眺めて、神箭手はグッと拳を固める。
「愉快だな。ああ、愉快だ」

15 :
 神箭手の振舞った阿鼻叫喚が戦場の第二幕を開けた時、若造はまだ舞台に上がっていない。
あろうことか道に迷ったのだ。
「ド畜生がッ!」
 むき出しの上半身に長袖の血糊を纏い、朱に染まった大剣を抱えて彼は走る。あらぬ方へ、
あらぬ方へと。
 人が人のために建てたこの城は、人ならぬ彼には一々が小さく狭い。特に今夜のように敵が
うろつき味方が折り重なっている状況では、ただ走り抜けるだけが容易にならない。
 速さが削がれると敵が目につき易くなり、そして彼は目的より手段を優先しがちな男であり、
敵を見つけては駆け寄って首を獲り、戻って走ってまた見つけてと、その度に少しづつ錯誤が
積もって挙句、ここはどこだ、となる訳だ。
「キリがねえ。入口を潰さねえと話に――って、それが俺のォ!」
 ごりごりと焦燥に奥歯を軋らせ、不確かな記憶と多くない知恵を絞ってみる。何かないか。
「……クソッ! 駄目だ!」
 彼は確かにものすごいバカなのだが、少なくともそれを自覚している点に救いがある。立ち
止まって足りない脳を絞るより、動いている方が何ぼかマシだと即座に認めて決定し、爆走を
再開する。
 そして数度の曲がり角、またも湧いた獲物に躍りかからんとする、その刹那。腹筋が出来る
までに鍛え上げた左脳筋が、沸く右脳に跳び蹴りを喰らわす。切先が獲物の喉を掠めて刺さる。
「ッ――じゃねえ。オイ、いますぐ死にたくなかったら、出口に案内しろ! いいな!」
 返事を待たずに兵を小脇に抱えて、締め上げつつ彼は城門を目指す。気の毒な帝国兵は恐怖
のあまり絶句して、ついでに小便を漏らした。

16 :
 両脇に三人ずつ、意識のある一人を首から下げて、首刈りが“救護室”に戻る。
「くっくっく、やはり俺が先か」
 彼としては丁寧に敗残兵どもを壁際に寝かせると、腰のものを放って指示を出す。
「お前はこいつらを死に損なわせろ。結構な薬を喰ってるんだ、無駄にさせんなよ」
「これ、は?」
 鬼の首から降りた騎士が、袋を受け取って訊く。
「そいつも薬だ。ま、安物だから死ぬほど滲みるがな」
「すまない……ありがたく使わせて頂く」
「礼は姫さんが直々に聞きてえとよ。応えてやんな」
「……くっ」
 騎士は鬼から大きく視線を外し、仲間に向かう。彼の鎧は血塗れだが、もう流れてはいない。
「っしゃー! ってクソがっ!」
 と、やはり七人を抱えた岩突きが駆け込み、同時に地団駄を踏む。どがん。
「遅かったじゃねえか。また花ぁ摘んでたんか?」
 尻を拭く仕草で首刈りが挑発する。
「るせえ! まだ一周目じゃねえかっ!」
 青筋を際立たせて岩突きが吠える。
「まあな。じゃ、俺は次を探しに行くからよ。お前はゆっくりしていってくれ」
 ひらひらとデカい掌を振って、首刈りは全速力で消える。岩突きは己が運んだ騎士を睨む。
「お前はこいつに勝て! 一人も死なせんな!」
 同じように薬を投げつけ、負けられない相方の後を追う鬼の後ろ姿に、それぞれに最前まで
瀕死だった騎士が二人、もっと死にそうな味方を抱えて、つい笑う。

17 :
 城壁をざっと一望し、それが回廊としてまだ使えることを確認すると、隊長は鉄槌を構える。
「少なくとも、数に不足はねえな」
 城外に面した壁は彼の膝ほどの高さがあり、上端には凹凸が設けられている。身を隠しつつ
下方へ矢を射かけるための造作で、のこぎり型狭間、または狭間胸壁と呼ばれるものだ。
 もちろん、これもそれなりの損害を受けてはいるが、そのように使うのが目的ではないので
問題はない。
 打撃の点で最もリーチが短いのが、この男の槌である。手刀の延長である刀と大剣、貫手の
延長である槍と弩、蹴り脚の延長である斧に対し、拳を重く大袈裟にしたものが槌だからだ。
 そんな彼が城壁の高さと掘割の幅を隔てて、敵に対峙する理由は――まあ、その通りだ。
「おらよっ」
 槌頭の軌道が胸壁の凸を削り、彼方へと放つ。残るのは凹である。彼がここを一巡すれば、
一段低い狭間胸壁が出来上がり、そして周回は壁がなくなるまで続く。

18 :
「なあ、爺よ。この城にはあのような兵器があったか?」
「ありませんな」
 どがん、どごん、うぎゃあ、と三つ揃えの騒音が角を曲がって近づくのを聞きつつ、懐中の
姫とこれも懐中の宰相が、益体もない問答を転がす。
「あの隊長は城を戦わせるのが好みだからな」
 小太刀の鍔に親指をかけて、二人を抱えた侍が上から答える。
「ああ。『これからこの城はかなりボロくなる』とは、これか」
「そういうことだ。城も、ただ朽ち果てるよりは嬉しかろうよ」
「……これが種族と――世界の違いですかな。我らには、とても」
「まあ、いいだろう。壊れた分はあとで直せばいいさ。なあ爺よ」
「ですが……」
 設計から携わった王城がこれから被る仕打ちを想像して、宰相は言い淀む。
「そろそろだ。隊長が俺らの直上でぶちかますのと同時に出るぞ」
「そうか。よろしく頼む」
 慣れるという行為の、積極的なそれを獲得した姫はわくわくし、消極的なそれを掴まされた
宰相はげんなりと、それぞれに展開を待つ。
 やがて耳障りな破壊は彼らの頭上に迫り、脚力を引き絞った侍の一足は堀を越える。左手に
この国最後の主従を抱え、右手には抜き放った小太刀を握って。

19 :
「てっ、敵襲です!」
「何……だと……?」
 軍団長の野営天幕は、城とそれを囲む軍勢を一望する位置に設けられている。全体の状況を
把握する必要からだ。
 そして通信の速さは人力を超えることが出来ない。それは技術レベルが必要の域を超えてい
ないからであり、最前線の状況がここに届くまでの遅延は如何ともし難い。故に彼我の温度差
にどうしようもない隔絶が生じるのはまあ、無理もない。
「それはあれか、先ほどの報告にあった――」
「不明、ではありますが、関連はあるかと」
 見れば伝令の軍服は無惨にも血染めであり、彼が手にする槍のようなものが不安をそそる。
「ふむ。――で、それは?」
「はっ、これは百卒長の首を刎ね飛ばした、矢? と思われる代物です」
「矢、だと? これは明らかに、人が弓で放つようなモノではないが……。君、あの城にある
守城兵器は残らず破壊したのではなかったかな?」
「はっ、敵城の大型兵器は無力化を完了しております!」
「では、これは何だ?」
「解りません。が、この目で見た事実であります。これが彼の首を――」
 その光景を思い出してしまった伝令が咄嗟に嘔吐く。濡れた炸裂音、月明かりに舞う生首、
黒き血潮。
「……切断、して深く地中に突き刺さったのは、確かであります」
 酸味の効いた報告に、軍団長は眉間を顰める。
「ならば、だとすると、その何やらが、バリスタに匹敵する武装を以て我らに敵対した。そう
考えねばならぬのか」
「いえ、それ以上……です」
「どういうことだ?」
「あの百卒長と私がいた地点は、バリスタの遥か射程外でありました。およそ知る限りであの
距離を攻撃可能な武器を知りません。私は」
「何……!?」
 軍団長は現場にいなかったが故に災いを躱し、故に知り得ない。想像が届かない。
「……まあよい。それがあるというならばそうなのだろう。全軍に通達、敵城に正対し防御を
厚くせよ。そして攻城隊は速やかに――」
 と、そこに第二の伝令が転がり込む。やはり血に塗れ、臓物の切れっ端をオプションで貼り
つけている。どう見ても最悪の風体だ。
「てっ、敵が投石機を!」
 坂を転げるように悪化する事態に立ち会ってしまった第一の伝令が、為ん方ない上目遣いで
軍団長を見る。願わくば最悪の兆しを持ち帰った男として記憶されないように、と強く念じて。

20 :
「っしゃー!」
 面倒臭くなった挙句に壁の幾つかをぶち抜いて登場の若造が、腰抱きにした帝国兵を伴って
城門に転び出る。
「世話になったな。――ほれ、武器を取って戻って来い。ぶっしてやる」
 腰のものを降ろし、背を叩いて彼に反攻と覚醒を促す。
「ッは!?」
 若造の喜色に、およそ汁という汁を体中から垂らした帝国兵が、抜けた腰を引き摺り吠える。
「おォ俺がブッす! この野郎、この野郎ォ! いィつかきッと、仇という仇をッ!」
 鹵獲されてからの道中に繰り広げられた暴虐が、生命を脅かす極限が、凡庸な兵の箍を外す。
簡単に捧げ、簡単に消費される命を、己の手に奪い返し、利己的に使い潰すと誓って。
「そりゃ別に“いつか”でも構わねえけどよ。俺は長生きする予定はねえぞ」
 血糊の上に土埃を纏った若造が牙の覘く口唇を歪める。どうせ叶わないにしても、彼はここ
に果てるつもりでいるのだ。その意気込みが報われないのもまた毎度のこととして。
「うるッせえ! 俺が辿り着くまでは生きて待ッてやがれ!」
 どうしようもない無力をなけなしの気概で上書きして、帝国兵は城門から下る隘路を転げる。
その先が絶望とやたら近い暗転だとは知らず、戦友と己の矜持を果すために。
 彼が戦線に復帰するのは先のこととなる。それはファーストコンタクトを経験した者の責務
であり、不幸の始まりであり、しかし彼そのものの始まりでもある。

21 :
「あははっ!」
 隊長の放った地獄絵図の現場に飛び込んだ侍の懐で、姫が同情の欠片もない歓声を上げる。
 彼女にしてみれば敵が死ぬことは全くの善であり、それを間近で味わうのに遠慮する謂れは
ない。何しろ一族郎党を鏖されているのだ、喜んで何が悪い。
 城壁を時計周りに撃ち出し、進む隊長のタイミングに合わせて跳んだ侍が、爆裂する胸壁の
破片を躱して敵陣に踊り込めば、そこに彼らを見咎める者などあろう筈がなく、肉片と血飛沫
の舞う戦場を三人はするすると抜ける。
「……壮観、ですな」
「くくっ、隊長は我らを慮って手を緩めているな。余程お主らに死なれては困るようだ」
「もっと! もっと激しいのだな! 好いぞ!」
 侍の小太刀が障害物を両断して、血路を拓く。人の背を超える大業物を片手で揮い、屍体の
山を左右にまき散らす。つまらなそうに。
「これ以上、東に廻る必要はなさそうだな。このまま北へ参る」
「そうか? もっとしてからでも構わんが」
「いや。他の連中が好いだけ暴れるには、ここは狭い」
 数万の軍勢を割って、駆け抜ける予定の男が言うにはどうにも抜け抜けとしているが、口調
が気楽に過ぎる。夕食の献立を決めるよりも軽い。
「ふむ。まあよかろう。私の価値が状況を上回るならば、使わぬ手もないし、な」
「そうだ。まずは生き延びること、反撃はそれからなのだよ、姫」
「この死に意味がある場面に立ち会えなかった、それが最大の無念なのだがな」
 侍の腕の中、宰相の腕の中で、姫は憤懣をやる方なくする。遠過ぎる復讐に思いを馳せて。

22 :11/10/27
 血みどろの仁王立ちで城門に立ち、大剣を突きつけて一匹の鬼が吠える。してみろ、と。
 相対する兵にしてみれば、巨大にして異形の化物としか表せない代物であり、これと戦えと命じられてどうにかなる
ようなものではない。彼らは人と戦うために出征したのだ。
「お、おい。どうすんだよ?」
「知るか! 無理だろ無理!」
「じゃあテメェ! アレか逃げるんかよ!」
「……無理だろ……っ! 何だよふざけんな……」
 兵が惑うのも無理はないが、これに向かう男にしてみれば大概である。故にこの時点で、鬼の一人である若造はもう、
一杯一杯だ。我慢も限度である。
「……いいか。死ぬことを覚悟した奴だけ来い。他は去ねッ!」
 正眼に大剣を振り降ろし、ひとり残らずぶちすと決めて、鬼が吠える。
「ーー命が惜しくない順にかかって来いや、オラァ!!」
 眼下に狂騒が開催されたのを視て、神箭手は一服入れることにした。矢羽を喰らわすに足る標的は死ぬか散るかで姿
を消し、中・遠距離砲撃は隊長が豪快に愉しんでいる。そしてここから城門に加勢などしたら、あとで若造に噛みつか
れるのは間違いない。故にとりあえず、彼にはやることがない。
 火とかげの牙から削り出したパイプに刻み煙草を詰めて、太い燐寸を擦る。火焔の舌がちろりと火皿を舐め、紫煙が
神箭手の肺腑を充たす。
「……むしろアレだ。こいつを撃ち尽しちまえば、前線に出るしかなくなるんだがな」
 ちら、と弩のレバーを見遣る。
「――いや、いや。補充が叶うかどうか、確かめるまでは自戒せねば、な」
 木材があれば、鉄があれば足りるかと言えば、それは否である。彼の弩が求めるのは、最低でも射出時に分解しない
ことであり、それは持ち主の熟練を以てしても結構な時間がかかる。
 誰に責があるか、それは言わずもがな。小人であり、耳長である。頼まれずに極限を指向し、卑近な理想と欲望を思
うさま注ぎ込んだ、彼らのせいだ。

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