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2011年10月1期ウエイトトレ【昭和の怪物】  若木竹丸を語れ3  【怪力王】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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プロテインでつけた筋肉は悪い筋肉。すぐ脂肪になるぞ。
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【昭和の怪物】  若木竹丸を語れ3  【怪力王】


1 :10/03/07 〜 最終レス :11/11/05
「おい! 
今世界中のどこかで、お前と同じような奴がお前と同じようなトレーニングをやっているかもしれない。
それでいいのか!」
前スレ
【昭和の怪物】  若木竹丸を語れ   【怪力王】
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/muscle/1133864099/
【昭和の怪物】  若木竹丸を語れ2  【怪力王】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/muscle/1181961724/

2 :
『若木竹丸は明治44(1911)年1月20日、東京の本郷に生まれた。
父は警察官であり、富山の武家の出だった母は料理屋や風呂屋などを営み、家は比較的裕福だった。
本人が生前語ったところによると、中学(旧制)1年生まではごく平凡な少年だった。
中学2年生の時、その平凡な少年を偉大な”怪力王”へと変える差言う書のきっかけが訪れた。
 ある日、通っていた学校の先輩でもある2人組みの不良に、買ってもらったばかりの帽子を取り上げられ、泥水に投げ込まれるという事件が起こった。
ごく普通の中学生だった若木は、年上の2人に対してやり返すことが出来なかった。
しかし、それから日が経つほどに、その日のことが悔しく思い出され、「強くならなければいけない」という気持ちが沸々と涌いてくるようになった。
その為には、まず強い体を作らなければならないと考えた若木は、腕立て伏せや懸垂などの一般的なトレーニングに加えて、
椅子や自転車チューブを使ったトレーニングなどの独自に考え出したトレーニングを組み合わせて行うようになった。
 これらのトレーニングによって筋力が増強していくと、さらに指立て伏せ、肩に重りをかけての片足立ち・懸垂などのメニューも加えていった。
後年、若木は、世間からは日本のボディビル先駆者として認識される事になったが、本人は見せるためだけの筋肉ではないということを強調した。
それは、トレーニングの原点が前述したように強くなるという点にあったからである。』

3 :
 数えで17歳の時、第2の転機が訪れた。
古本屋でウェイトトレーニングの先駆者、ユージン・サンドーの「体力養成法」という本に巡り合ったのである。
この本の中に収録されたサンドーの筋肉美に興奮した若木は、「いつかあなた以上になって見せる」と誓った。
そしてこれを機に文字通り朝から晩まで1日平均12〜15時間の猛トレーニングを開始した。
 そんな若木でも疲れ果てトレーニングが嫌になる時もあったという。
そういう時は
「おい! 
今世界中のどこかで、お前と同じような奴がお前と同じようなトレーニングをやっているかもしれない。
それでいいのか!」
 ともう一人の自分が言った。そして奮い立ちまたトレーニングに戻ったという。

4 :
『「怪力法」に書かれていないことで面白いことというと、若木先生は1日に15時間とかトレーニングをしていたという話です。
先生は胸の上にちょうどシャフトがあたる位の直径のプレートをつけたバーベルを、夜寝ている間も布団の上に転がしておいたそうです。
そして、トイレに行くたくなって起きた時にはそのバーベルを数回差し上げてから行って、帰ってくる時はその辺の桟にぶら下がって懸垂をして、
また床に入っていたそうです。
また、お酒が好きなのでのみに行っていた時に人と話している時も空いた手はグリップを強くするような運動をずっと行っていたりしたそうです。』

5 :
『十円玉を人差し指と親指で曲げていました。
とにかく指の力がものすごかったです。おそろしい力です。「こんなの出来るわけない」という人もいると思いますが、
実際にお会いすると、そういったエピソードについても、「先生ならできるだろうな」と確信出来ます。
言葉では言い尽くせるものではないと思います。
先生の腕はどの角度から見ても太い、丸太ん棒みたいな腕でした。
それから力を入れて肩をいからせると、広背筋がぐわーっと上がってすごかったです。
お茶を飲んでいる時も床に指を突き立てて鍛えたり、座っていても両腕を伸ばして腰を浮かしたり、
指先に輪ゴムをつけて人差し指と中指を広げたりして鍛えたりしていたそうです。』

6 :
『若木先生が僕達に一番教えたかったのは、「人一倍努力しなければダメなんだ」ということに尽きると思います。
それも、バーベルの一差し一差しに渾身の力を込めた努力です。寝差しをしていて最後の一差しを上げられそうになくなると、
僕の頭を挟み込むようにして仁王立ちになった若木先生が、覆い被さるようにしてバーベルをサポートしてくれながら
「お前はそこで潰れてしまうのか!もしも地震が来て柱が倒れてきたら、お前は潰されて死んでしまうのか!」と、
いつもゲキを飛ばされたものでした。
 若木先生は最初、ユージン・サンドーの写真を見たときに、「サンドーと同じような強い男になりたい」と思って体を鍛え始めたそうですが、
やがて、「世界には自分よりももっと努力している奴がいるかもしれない。そいつらよりももっと努力して、世界一、否、宇宙一、神の創造物の中で一番強い存在になってやろうと思って努力した」
と話していたのを思い出しました。

7 :
東京日日新聞 昭和六年八月十八日
『年は二廿一力の譽れ』
◇本郷區湯島四の三若木ちよさんの長男竹丸君、今年二廿一歳の青年、
四十八貫ある大鐡亞鈴を持ち上げる非凡な怪力の持主である、十七日
これを聞いた本郷本實士署の武藝達者猛者な連實地檢分と出かけた、
店裏の奥まった四疊半に鐡亞鈴、鐡錘、砲丸、筋肉トレーナーなどが
雑然たる中に當の竹丸君にこにこ笑って「一番難しいのをお目にかけ
ませう」と持出したのは直徑一尺位の鐡丸が二つ付いた長さ一間ほどの
鐡亞鈴である。
◇かれはゴロリと仰臥したまま双の腕の力を絞ってウントコサと持ち
上げた、そしてそのままニ、三分間。あとで猛者連代るがわるこの亞鈴
に觸ってみたが微塵も動かなかった。
◇この外竹丸君のいふ所によれば保持する力量記録はそり返って仰臥
した胸腹、腿の上に五人の人間合計體量九十貫までを乗せる、首に革
ひもをかけてつるす錘りが百五十貫、片手でつるして持ち上げられる
のが八十貫、十二貫の錘りで胸を毆らせて平氣。
◇同君は體重十八貫身長五尺四寸二分、胸圍は流石にづばぬけて
四尺三寸、神田の順天中學を出て明大豫科を一年でやめたが中學
時代はさしていい身體ではなかった。
◇或日オィゲン・サンドウの著書を見て發奮亞鈴術の練習を初め
それから三年半、毎日十時間ずつきまって練習を續けた結果が
かういふことになった。

8 :
81 名前:名無しさん@一本勝ち[sage] 投稿日:2007/08/25(土) 21:52:53 ID:DunGofs4
だいたいの目安として、記事に出てきた重さの単位を
上から順に変換してみる。
四十八貫ある大鐡亞鈴を持ち上げる 四十八貫=180キロ
ブリッジで五人の人間を載せる 九十貫=337.5キロ
首に革ひもをかけてつるす 百五十貫=562.5キロ
片手でつるして持ち上げる 八十貫=300キロ
十二貫の錘りで胸を毆らせて平氣 十二貫=45キロ
體重十八貫 体重67・5キロ 
身長五尺四寸二分 身長163センチくらい・・・?(これは分からんかった)。

9 :
291 名前:無記無記名[] 投稿日:2008/05/13(火) 20:29:56 ID:TpMXiXx+
今から50年くらいまえに、「ボディビル」という雑誌に
若木先生が連載をしていた。色んな力自慢を紹介したりとか、
自信の経歴や体験を綴ったりとかな。
連載(寄稿)は確か10回以上続いていて、全部をここで転載するのは
かなりの量になってしまうので無理だけど、第一回目の寄稿くらいなら
6〜7レスくらい使えば全文転載できると思う。読みたいヤツいるか?

10 :
       ▽▽▽逆三角形の男▽▽▽
   
     日本の創始者     連載/若木竹丸
【男性美第一号】
昭和三十一年某日四、五人の若人が電車を待っている。その間をぬって
ニ人の逆三角形に近い若者が高らかに笑いながら、車道を横切って行く。
ゆったりした歩き方で、青春を謳歌するこの二人の青年からは後光がさす
ようだ。電車を待っていた先刻の若者は、それを見送りながら「すげェなァ
俺もああなりたいよ」「なに一年もやったらなるよ」「ノー、ノー、そりゃ
ちょっと無理でござんしょう」「お前は俺の意思の強いのご存知ないね」
「そうかな、でも喫茶店と映画通いじゃ……」「青白きインテリも格落ちか」
「おい、冗談は抜きにして、喫茶店へ行く金でバーベルでも買うか」そこへ
電車が来た。
この若人達が果たしてバーベルを求めたか否かは知らぬが、羨望と憧れで
彼ら若いボディ・ビルダーを眺めていた事だけは事実だ。
話を今から二十六、七年前に戻す。時は、昭和四年、五年、五尺三寸八分、
キッチリしたラクダのダブルを着こなした一人の青年、やや伏目勝ちに
人並みをすり抜けて行く。その男背中の幅が二十三インチ位あるだろう、
だが腹の方はその半分にも足りない。儒者石川文山は「白扇逆しまにかかる
東海の天」といったが、水に映る逆さ富士、この男の背中がそれだ、だがその
男身体に似ず少し憂鬱な顔をして歩いていく。

11 :
「おい、あれを見ろ」「えっ」「ほら、今向こうへ行く奴」「何だいあれ」
「彼奴の身体屏風みたいだな」「扇子だよ下が細いもん、脇の下に
オデキでも出来たんだろう」「奴凧か」「片輪だよ」「おかしな奴も世の
なかにいるものだなあ」「ハッハッハ」これは逆三角形の男に対する
たむろしていた若い男性の群。
「マーお気の毒」「あの人どうしたんでしょうか」「まあ怖い」これは女性。
「あの野郎!生意気な野郎だ、腕曲げて威張ってやがる」「よし、俺が奴の
真似してやる」この男両手を肩の高さに上げ、どうだお前よりすごいだろう、
といった様子で逆三角形の前へニ間位の間隔をおいて、しかもご丁寧にビッコ
まで引いて、よく見ろ、お前はほら片輪なんだぞ、と無言の嘲りで挑戦する剣道
修行者のある男。
道行く人の大半、この逆三角形の男を種々複雑な表情で見送るのであった。
だが、こんな哀れな場面許りでもない。たまには「オーあなたの身体は素晴らしい、
どうしてそのような立派な身体を作りましたか?」「日本にもあなたのような身体の
人がいるのですかネー、驚きました、さわらして下さい」感嘆の言葉と共に逆三角形
の男に近寄って身体を撫でさすり手を固く固く握るのである。これは外国人。
ここにおいて逆三角形の男、初めて知己を得た喜びに顔をほころばせるのであった。
外国人の大半は、この逆三角形の男を驚嘆の眼で近寄って話しかけた(日本人の
中にもたまにはいたが)。

12 :
かくのごとくあらゆる人々の注視の的になって歩く男、即ち当時にあってだた一人の
ボディ・ビルダーであり、日本で始めて出現したヘラクレス型の肉体、人々の奇型視、
侮蔑視、同情視? 驚嘆視等々複雑な面持ちで眺められるこの男。即ちかくいう筆者
の青年時代であった。日本のボディ・ビルダーの創造者、初めてヘラクレス型を創造
した筆者に対する人々の目はかくのごとくであった。そうでしょう。日本中でもただ
一人ともいう逆三角形の男、町を歩くのさへ奇形視、侮蔑視には相当の勇気を必要と
したのであるから。諸君のうち誰か筆者がヘラクレス型なるが故に、四尺三寸の胸囲
を創り上げたが故に、下具者扱いされねばならなかったなど考え得られる人があろうか。
現今のボディ・ビルダー諸君。我が世の春を謳歌し給え、諸君は幸福だ、素晴らしい
バーベルを握れるだけでも。右に斯道の第一人者窪田登先生をいただき何時でも相談
し得られ。左に唯一のボディ・ビル誌を以て海外の現状を手に取るごとくいながらに
して眺め得られる諸君は再度来ない青春を最大限に利用して自らの肉体を思う存分鍛え
給え、そしてデリンジャー、ハーギタイ、リーブス、窪田氏等にも負けぬ立派な身体と
力を創りあげて貰いたい。それには強固な意志と努力を忘れてはならぬ。近頃ボディ・
ビル運動の補助運動を解りやすく親切に解説していられる人見太郎氏の言葉を一寸拝借
してこの項のしめくくりとしたい。
「寒いからといって運動を休止したり、また暑いからといって休んだりするのは、真の
運動精神に欠けるものであろう。特に重量を友とするウェイト。トレーニングとは自分
の身体を鍛えるという強い決心が必要である。要は意思の問題であると思う」と書いて
おられる。誠にその通りである。

13 :
【思い出すあの感激】
昭和二年筆者十七才の春、何気なく手に入れたユージュン・サンドー
なる人の自伝。世界一の怪力、世界一の筋肉美、まさに青天の霹靂、
グラビア写真二頁にのる偉大な腕広い大きな胸、筆者はその写真に
とりつかれ、グーッと胸に抱きしめた、涙がボロボロ頬を伝う、嬉し
かったのだ、その日は懐に入れて抱いて寝た。
「ようし俺も世界一になるぞ」
この日から将来希望の画家の夢をふっ飛ばし、運動家としての苦難の道を
ここに歩むべく覚醒した。だがこの著には運動法は載っていない。まず道具
を考案することである、鉄棒一本みかげ石二個をそれぞれ左右にグルグル巻き
つけ両手立差し、片手差立ち、また寝差し。重量を加えると両手差しのスタート
たるクリーンが出来ない、さあ困った。やむなく天井の板を剥が梁に綱を通し
鉄棒の両端に結びつけてやって見た(おかげで親父に思い切り殴られた)ピストン
を抜いた自動車のエンジンを背負い、立ったり、しゃがんだり、寝て差したり、
首を強くするには地面を掘りその中に綱をつけた土台石をドッカと入れ、穴の
両端に跨がり両手を左右水平にしての引上げ。指の強靭法には階段を指力のみで
掴み登る狂気じみた方法。あれもやりこれもやり、合間合間に懸垂と腕立てを
猛烈にやった。
一年ほどやって石亜鈴を止め、ダムベルを改良したネジ抜きの両手持ちを考案し、
主としてそれでやるようになった(三、四ヶ月にして、今の
バーベル形式の物を考え出した)この間片手腕立て、片足立ち、重力加重懸垂、
椅子式運動法、チューブ運動法等々種々運動法を考案し益々鍛錬に励んだ、その後
暫らくしてボップ・ホフマン氏の鉄亜鈴運動法の著書を知り早速丸善に注文。
手許に届いた時の喜び、それは何にたとえようもなかった。この時初めて立派な
鉄亜鈴の存在を知り両手持球捍は自分の新案ではないのかとガッカリしたもので
これにより本格的な力技研究に取りかかり、それに自己創案の運動法を加えて努力
に努力を重ね、また工夫した。
当時筆者の運動方法は、時計を前に三分おき、五分おきの何時間という方法と、
雑誌を前に一頁読了、疲労によっては二頁読了、それを何百頁というような
二つの平凡な方法をとった。勿論、朝昼晩にわたって三回。
努力はやっと実を結び、新聞雑誌等に世界的怪力云々の興味本位の記事がやっと
人の目にとまるようになると、それに刺激されてかあちらこちらに不恰好な鉄亜鈴
をふり回す人がボツボツ現れた。

14 :
【世界一に挑戦】
その当時、ある日、東京日々新聞(今の毎日新聞)を眺めていた筆者は珍しいニュース
を見た。そこには世界一を自称する外国の力持ちが出羽の海部屋で日本の相撲と力較べを
やるというニュースだった。
「ようし俺がやろう」
その日が来た。筆者は石差しの神田川徳蔵氏と、弟子の飯田一郎君を連れ四十八貫八百の
練習用鉄亜鈴を引っさげて出羽の海部屋へ出かけ「もし外国の力技家に、負けるような事
になると国技たる相撲の名誉を傷つけるであろうから、僕が下っ端相撲に化けてその力持ち
と闘おう、さすればあなた方に傷がつかないであろう」と伝えると協会の人は非常に喜んだ。
そしてこの若い逆三角形の青年の上半身を穴のあくほど眺めていた。その時筆者は土俵の上で、
二、三の力技を公開した。四十八貫八百の鉄亜鈴を寝たままの姿勢で頭の後方から胸上に持来り
十数回連続して差した時にはさすがの力士連もただ唖然としていた。つづいて鉄亜鈴を両腕一杯
差したままの姿勢から胸上へ落下させた事を記憶しておる。
間もなく世界一を自称する力持ちが 力技? を公開、彼は妙な事をやり出した、背中にビール瓶
を挟んで、それに結びつけた紐を力士に引張らせるのであった。全く馬鹿気た力技で寧ろ曲芸と
こそいうべきものであった。翌日の新聞には麗々しくその珍妙力較べ?の写真が出ていた。
力較べは無為に終わったが、何れにせよ天下の横綱幕内連の前で五尺三寸八分逆三角形の二十位の
青年が、あなた方が負けると気の毒だから僕が出てあげようというのだから正に天下の奇観という
べきであったろう。これも今では懐かしい思い出の一つとなった。
やはりその当時、日本一を誇る力技興行家 北畑兼高氏が大森の白木屋で力技を公開した。
筆者は飯田一郎君を連れて白木屋へ乗り込み、彼に試合を申込んだ。試合内容はここでは
省くが彼のやる力技の大半を軽々やって見せた。筆者には練習程度に過ぎなかった。だが
彼の歯力は見事だった。また彼の両手上げも当時としては筆者以外は適する者はなかった
であろう。これには下記の如き壮快な記録がある。
昭和六年頃? スポーツ医学の某医博が全国代表の武道家運動家、学生、児童等の
一万五、六千名の背筋力を機会によって調査せる結果、一位北畑兼高氏二百四十キロ、
二位武蔵山氏、同福井行雄氏二百三十キロ(以下略)武蔵山は当時小結、福井氏は
スポーツマン、今ならこれ位の引き上げは中量級以上の重量級選手なら容易な事では
あろうが、当時としては立派なものといえよう。北畑氏の背筋力が武蔵山の上にあった
ことは彼の生涯に一つの光を加えたものである。

15 :
【腕角力日本一】
話は飛んで昭和十一年頃警視庁柔道師範で講道館指折りの怪力を誇るY・K氏が(名前を秘す)
が著者に腕角力を申込んできた。筆者は彼の手首を握って軽く捻った、彼はこんな事が現実の
世界に有り得る事かというようなか顔で筆者を見ていた。同じ年朝日新聞主催で全日本腕角力
大会が開催された。それまで数年間腕角力日本一を誇る高田腎臓氏と筆者は第一回戦に当った、
勝負は簡単、初めて負けを知った彼の後姿を筆者は淋しく見送った。勝負の世界は嫌なものだ。
筆者には余技に過ぎない腕角力も高田氏には生命ともいうべきものだ、筆者さへ出なければ高田
氏は当分日本一でいたのに筆者は彼の心情を推し測って目の前が暗くなった。腕角力日本一を誇る
強者の手首を握って軽く捻る筆者には招待もこなくなった。間もなく筆者は腕角力の公開試合を
止めてしまったがその後高田氏は再度日本選手権を獲得した。この報を筆者は誰よりも喜んだ。
十月号の本誌に体重三二五ポンドのマック・バッチェラー氏なる世界一の腕角力選手権者が不敗の
ままこのたび引退云々の写真とニューズを見て、一体外国にこの種の選手権があったのか、筆者も
当時世界一を自負せるだけに全盛時代にこれが分かっていたら、この大きな男と世界選手権を争った
であろう事を考え、小さな日本選手権で終った筆者はフット淋しくなった。現在実力日本一を誇る
腕角力の龍虎、球捍百キロ近くを無造作に差上ぐるという原氏。握力の強き事全盛時代の筆者にも
比すべき右腕の怪力家辻井鶴吉氏、この二君さらに努力を重ね、遠く視野を海外に向けて腕角力世界
選手権に挑戦してみては如何。
さていつの間にかボディ・ビルと余り縁の無い腕角力の話に突入してしまったが、ボディ・ビルダー
であった筆者は腕角力にも興味を持っていたという事を話したまでである。他に全盛時代の思い出と
して、拳闘道場への入門が道場破りと見なされ、日本選手権者や世界的選手を相手に試合用グローブ
をつけ、入門ならぬ真剣勝負となり、筆者が五分以上に彼らとマッチしたこととか。無段無級の身を
以て講道館へ出かけこれまた入門を申しこみ、なみいる高段者達を唖然たらしめ、ていよく断られた
事など。今はこれ夢の如く幻の如く脳裏に去来する若き日の一駒である。他にもいくつかの物語りも
あるがここいらで止めておく。

16 :
【頑張れ若人】
馬車馬のごとく一日十五時間近くの努力、日本で最初の逆三角形の男にはイバラの道
ばかり横たわっていたが、こんな思い出もあったという事を書いて見たままである。
ボディ・ビルダーの諸君よ、力が強ければレスリングでも相撲でも柔道でも、また拳闘
でも、陸上水泳競技以外は何でもつよくなれる。まず逆三角形になることである。逆三
角形になると動作が緩慢になるなどという人もあるが、そんな事はない。緩慢になった
のではなく、その人は逆三角形にならぬ前から緩慢であったのだ。動作はその人その人
の運動神経の敏鈍によるものであって逆三角形のボディ・ビルダーはむしろ常人より敏捷
でなければいけない。その一例は当時世界的拳闘家渡辺裕次郎氏と筆者が拳を交えた時、
筆者のストレート・スイングを渡辺氏が、当時最もスピードを誇った拳闘の雄、川田藤吉
氏と同格に見なした事。その電光石火的スピードに対者川田氏が負けた気がしないといった
事などがそのよい例である。
ボディ・ビルダーでも重量挙選手でも何かというと濶背筋を出したがる。
筆者もその例にもれぬものの一人であるが、第一濶背筋を出しながらでは
どんなボディ・ビルダーでも動作が緩慢になるのは知れたこと。全身の力
を抜けばボディ・ビルダーの動作は常人より敏捷なのである
また逆三角形の人は足が弱い足が細いといわれる、主として腓腸筋を指すものであるが、足が
弱いのでも細いのでもなく、上体の否濶背筋の膨張時のスタイルが素晴らし過ぎるため細く
見せ弱く思わせるのである。ボディ・ビルダーの下肢の生命は太腿筋の発達如何にある。
腓腸筋など余り太くする事に専念せずともよい、この筋が余り太いと、それこそ動作が
鈍くなる(筆者注・角力、柔道の如く足指の強靭を必要とする人達には腓腸筋の発達は
重要である事を附記しておく)。
要するにボディ・ビルダーの逆三角形の身体を逆三角形というのはこの道の成功者が、
皆常人と異なるからに外ならぬ。このことはボディ・ビルダー、ウェイト・リフター
以外の人々が余りにも知らぬからである。
日本独特の言葉か、アメリカあたりではボディ・ビルダーを逆三角形などという
言葉では表現しないのではなかろうか。
(連載 第一回目 終了)

17 :
誤字脱字を訂正。
>>13
上から13行目。
× やむなく天井の板を剥が梁に綱を通し
○ やむなく天井の板を剥がし梁に綱を通し
>>14
下から5行目。
× 一万五、六千名の背筋力を機会によって調査せる結果、
○ 一万五、六千名の背筋力を機械によって調査せる結果、
>>15
上から2行目。
× 怪力を誇るY・K氏が(名前を秘す)
○ 怪力を誇るY・K氏(名前を秘す)
上から4行目
× 世界に有り得る事かというようなか顔で筆者を見ていた。
○ 世界に有り得る事かというような顔で筆者を見ていた。
>>15
上から4行目
× 高田腎臓氏
○ 高田賢蔵氏
(腎臓(じんぞう)と賢蔵(けんぞう)を間違えました)

18 :

以上、
前スレより抜粋しました。
尚、このスレはage推奨です。
「さぁ、ageませう!」

19 :
新たなスレ立てとは気宇壮大なる快挙!
>>1-18
前スレが落ち、若木スレはもうなくなったと
一抹の寂しさを感じておったところ乙でありまする!

20 :
この人のやりからだとオーバーワークになるね。

21 :
いや、それはマラソンランナーがオーバーワークになるよねって言ってるのと近い
たぶん、徐々に増やしていったとか
酸をうまくつかっていたとかじゃねぇの

22 :
>>21
当時はちゃんとした理論など存在しなかったからと言うのがでかい
あと若木さんは若干と言うか大げさに宣伝している部分も有ると思う。

23 :
この人って当時、力技の大道芸みたいな感じだったんだろ?

24 :
つまらん
怪力が本当だとしても、フカシが1箇所でも混じると信頼性が全く無くなる。
紙芝居みたいな戯言。

25 :
昔の話だし、けっこう脚色されてるらしいな。

26 :
そのフカシがなにかを言ってくれw

27 :
>>26
10時間のトレーニングは普通に考えても無理。

28 :
>>27
ずっとやってたわけじゃ無いだろう。
飯食ったり休憩入れての10時間。
今で言えばダブルスプリット、トリプルスプリットみたいな感じじゃね?

29 :
>>26
あの身長と体重で上腕50cmはあり得ないと思う

30 :
>>28
テンプレ見たら17時間だよ(笑)
トレーニングの強度にも拠るが
ウエイトトレでこれはありえないだろ。
つまり就寝以外ウエイト漬けか。

31 :
1日平均12〜15時間の猛トレーニングを開始した。
すまん17時間じゃなかった。

32 :
だめだ、そういうの聞くとどうしてもジャックハンマーを思い出すw

33 :
腕は40cm台で
胸は膨らませて130cmとかじゃなかったか?
写真見てもそんくらいだと思う

34 :
フカシだらけで笑えるw
上腕50センチ以上とかw
ベンチプレス300s以上とかw
アホかと。
どう考えてもこいつの体は今で言う体操選手レベルの体だろw

35 :
まあ今からみればたいしたことないレベルだよ。
それに昔は捏造話のオンパレードだからさ。

36 :
>>33
上腕は40台、執筆するようになった壮年期に計って38cmだったはず。

37 :
>>34
ベンチは200こえたぐらいだよ
寝差しが300kg

38 :
ぜんぶデタラメ 正確なデータはなにひとつない

39 :
バーベルプレートの重量もどれだけ正確だったかわからんし、
記録も自己申告ばかりだからな。

40 :
写真があるからある程度は想像できるけどね

41 :
その時代にしては凄かったことは確かなんだから、
誇大な宣伝などせずに正味の記録を示せばよかったのにな。

42 :
>>41
まだ、ちゃんとした器具がほとんど無かったじだいだからなあ。
自作の器具がほとんどだし。

43 :
age

44 :
さっさとコイツの筋肉の写真かなんか載せろよ
一つもなかったりして

45 :
若木?奴は弱いなマダマダや

46 :
ほれっ http://e.pic.to/xa2gb http://b.pic.to/wupc8 http://i.pic.to/wf1xz

47 :
追加分
http://imepita.jp/20100418/758530
http://imepita.jp/20100418/758800
http://imepita.jp/20100418/759080

48 :
明らかに50センチは嘘だな

49 :
だから40cm台だろ

50 :
若木竹丸が首でブリッジしている上に柔道家の5人が立っている写真があるけど、
あれ出来る人っているのか?

51 :
馬場孝司154cmと
サバ読むのは似ているな。

52 :
>>50
あれCGじゃね?

53 :
武道をやってた頃は、この人は凄い人なんだなと思ってたけど、
ウエイトトレーニングを本格的にやり始めたら全く興味がなくなった。

54 :
>>53
全く興味がないのにスレを見た上に書き込みまでしたの?

55 :
ツンデレなんだろ
それに外見とかでかさとかはともかく
力の数値上で若木超えるのは無理くさいしな

56 :
首ブリッジで柔道家が5人が立っている写真は本物

57 :
Wikiの記述ってだれか修正しないのかな。
>身長162cm、体重69kg、胸囲132cm、上腕51cm。
他のやつも何度か言ってるけど、あまりに嘘くさい数字で萎える。ていうか厨房の妄想レベル。
どうせ若木の本売りたい連中がでっち上げてるんでしょ?
それか盲目ファンがメチャクチャ書いてるとか。

58 :
公式記録はないんでしょ?
全部妄想で劇画の世界だなw

59 :
昔大下栄治が大山倍達の小説かなにか
書いてたんだけどあれおもしろかったな
特に大山が若木を訪ねるとこがよかった

60 :
age

61 :
>>57
Mr.ユニバースにライト級で出場するビルダーと比べればいかに嘘800なスペックかわかるなw
けーわんまっくすが70キロだからあいつらと比べてもいい。
背が低いザンビディス(公式だと167だけどホントは165ないだろ)の腕の太さや胸囲を考えたら
130オーバーだの50オーバーだのがいかに大嘘かw

62 :
age

63 :
武道をやってた頃は、この人は凄い人なんだなと思ってたけど、
ウエイトトレーニングを本格的にやり始めたら全く興味がなくなった。

64 :
竹丸氏が半身不随になられた理由を御存じの方いらっしゃいますか?

65 :
wikiに書いてた。すみません自己解決しました。

66 :
この人はイケメンですね

67 :
NHKが怪力法を参考にコンクリ・バーベルを再現してるぞw
ttp://www.youtube.com/watch?v=9IRjYBnT8GE

68 :
>>67
コンクリートバーベル40kgって思ったよりコンパクトw

69 :
伝説と言うのはどんどん話が大げさになっていくけど、
実際検証したら大したこと無いもんなんだよな。

70 :
>>69
19世紀とかの怪力王たちなんてほとんどが見せ物でしょ?
「300sの錘を持ち上げる!」って言ったって見物人が検証できるわけもなく
インチキやり放題の時代が長く続いたんだから伝説なんて話半分がちょうどいい。
今だってフェイクプレート使って詐欺同然の自慢してるヤツだっているだろうしw

71 :
>9
ひょんなことでザンドウについて調べなければいけない羽目になり、
9さんの転載してくれた古い雑誌記事(若木少年がザンドウの本に
涙を流してこの人のようになろうと決意するところ)を興味深く読みました。
若木竹丸氏の古い雑誌記事を転載してくださった9さん(291さん)、
まだこの板にいらっしゃいますか?雑誌「ボディビル」の出版社、
この記事の載っている号数など、できたら知りたいのですが。
他にも若木氏がザンドウについて書いたものがあれば、ぜひ読みたいです。
(捨てアドさらします)

72 :
>>71
2年前の書き込みだからねー。
このスレ見ているのやら

73 :
>ですよねー…。雑誌名を「ボディビル」として検索して
みても出てこないのですが、これってひょっとして「体育とスポーツ
出版社」から出ている「ボディビルディング」の間違いなのでしょうか。
他に1960年ごろボディビルの雑誌を出していた出版社はないのかな。
体育とスポーツ出版社にメールしてみたけれど返事は来なかった。

74 :
今国立国会図書館のサイトで検索してみたら、体育とスポーツ出版社
の「ボディビルディング」は1968年創刊らしいので、9さんの言う
「50年くらいまえ」というのにはちょっと遅いですね。

75 :
>>71-74
見てるよ。今ちょうどトレ開始するところなんで、
終わったら書き込みます。たぶんあまり力になれないと思うけど。

76 :
昔の武道家のようにフカシが多いだろ。公式記録なんてないし器具の重量だって不確かだし。
この人の話はまともに信じちゃダメだよ。

77 :
言ってみれば昔のサーカスなどの大道芸人みたいなもんだよ。

78 :
>身長162cm、体重69kg、胸囲132cm、上腕51cm
この身長で胸囲と上腕囲に体重合わしたら軽く110kgはあるよねw

79 :
ウエストが細くても100kgは最低いるだろうね。
下半身が棒のように細くても80kgはないと難しい。

80 :
>75
えーっ、9さんですか? うれしいです!
前回の書き込みの後に、「ボディビル」は
ベースボールマガジン社から出ていた、日本ボディビル協会
(現在の日本ボディビル連盟の前身)であるらしいことを
つきとめました。お手元の雑誌もベースボールマガジン社
発行ですか?
若木先生の連載の載っている号数を教えて頂ければ
非常に助かります。

81 :
>>78
オフのリー・プリーストくらいかな。
162で上腕50以上あったら何か大きな塊を抱えてるように見えるぞ。
ttp://www.modelbeauty.net/p5.jpg

82 :
>>80
>前回の書き込みの後に、「ボディビル」はベースボールマガジン社から出ていた、
>日本ボディビル協会 (現在の日本ボディビル連盟の前身)であるらしいことを
>つきとめました。
そのとおり。国会図書館の検索で「ボディビル」って打ち込めば出てきます。
私の手元には雑誌ではなくそのコピーしか無い(そのコピーも2年経った今は
どこにしまったか分からない)ので、号数は残念ながら分かりません。
なので、国会図書館に行ってボディビルの創刊号から順に見ていってください、
としか言えません。お力になれなくて申し訳ない。
「ボディ・ビル」(ベースボールマガジン社, 1955-1959)は、表記のとおり
4年くらいしか発行してないので、月刊とは別の特集号とかも含めて約50冊前後。
各号の雑誌を閉じた図書館専用のファイルで、2冊〜4冊分くらいだったと思います。
そんなに量ないし、全部の号数の目次だけを確認するなら、おそらく30分かからないと
思います。サンドウはボディビルの世界で避けて通れない創始者&功労者なので、おそらく
サンドウに関する記事もどこかの号の中で見つかるんじゃないかと思う。
もちろん若木先生の連載もちょこちょこ載ってるし、変わったところでは柔道の三船先生とかも
寄稿してたりしてて目次を眺めてるだけでも面白いよ。1959年で一旦「ボディビル」は廃刊になり、
1967年からまた新たに開始するんだけど、こっちの1960年代のボディビルの方でも若木先生は寄稿を
してる。「主だった話は過去の雑誌の寄稿で使っちゃったし、あんま書くことないな〜」みたいな事を
序文でボヤいてましたが、それでもやっぱり興味深く楽しませてくれる記事を寄稿してくれてました。
71さんがもし都内在住なら、一度国会図書館に足を運んでみてください。
敷居が高く感じられますが、ちょっとスケールが大きいだけで、あとは普通の図書館と変わりありません。
無料で色々な文献を調べられるので、きっとサンドウに関する調べものにも役に立つと思います。
そんなこんなで、結局「国会図書館で自分で調べて」という実もフタもない回答でございます。ごめんなさい。

83 :
>9
9さん、丁寧なご回答ありがとうございます。(号数ですが、前スレのどこかに
1958年の3月と書いてあったような気がします。)
>「主だった話は過去の雑誌の寄稿で使っちゃったし、あんま書くことないな〜」みたいな事を
序文でボヤいてましたが
あはは、そうなんですか。こういう小さなこぼれ話が聞けてうれしいです。
都内に住んだことはなく、当分日本にも戻る予定がないのでこんなところで
しつこくお聞きした次第です。次回帰国の際にはぜひ国会図書館に足を運び
たいと思います。幸い実家近くの大学に「怪力法」が所蔵されていることが
分かったので、そちらも見てみようと思っています。
ありがとうございました。

84 :
ザンドウじゃねえよサンドウだろ
Sandowだろ

85 :
牛肉のいいところ…
どの部位だ???

86 :
age

87 :
一応wikiでも貼っておきますか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%9C%A8%E7%AB%B9%E4%B8%B8

88 :
チビだな
写真見たけど
腕は51cmあるように見えなかったな。

89 :
ベンチとかはガチよ

90 :
>>88
胸囲130cmもな。クソガリ厨房の妄想レベル。

91 :
写真と数字合わない嘘まみれのハッタリ野郎としか

92 :
筋肉バカにハッタリは付きもの
怪力法をやって大成した競技者を聞いた事がない。

93 :
78さんのレスが全て。
>身長162cm、体重69kg、胸囲132cm、上腕51cm
この身長で胸囲と上腕囲に体重合わしたら軽く110kgはあるよねw

94 :
というかハッタリも何も
本人が身体の数値いってたわけじゃねぇだろうがw

95 :
>>87
与太者に素手で引導渡して正当防衛無罪というのはマジなの?
なんだか強引に武勇伝仕立てで編集されてるようだけど、これ編集したのって右翼団体の構成員とか、その筋の人間なのかな?とか勘ぐっちゃう。。
大山ますたつと知り合いだったらしいし、何かしら不穏な団体臭がしてならない。

96 :
怪力法で自分の身体の数値書いてただろ

97 :
オフのクリス・カミアーでさえ175cm130kgでやっとこさ腕周り51cmだったよ。
昔の月ボに書いていた。

98 :
プロビルダーはサバ読んでいるから
月ボのササミがメジャーで腕のサイズを測った。
そしたらオフでも51cmしかないクリスの腕。

99 :
http://www.national-seitai.com/blog/%E9%9B%86%E5%90%88%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
g戸自称164cm実寸158cm程度
オフ時には腕周り50cmと月ボのプロフに書いていた。
しかし写真見る限りではオフの体だが腕は50cmあるように見えない。
とにかく分かることは小さい人間だと言う事。
観客がデカイ!というのが理解できない。
でかいのはJ馬場、アンドレ、ホーガンとか

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