2011年10月1期懐かしテレビ【1973】渡辺プロ事件を語るスレ【1981】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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関西テレビの、良かったところを語ろう


【1973】渡辺プロ事件を語るスレ【1981】


1 :07/04/06 〜 最終レス :11/06/13
1973年、番組史を揺るがす一つの事件が起きた。
日テレの歌番組「NTV紅白歌のベストテン」の同時間帯に
渡辺プロダクションがNETテレビ(現・テレビ朝日)とタッグを組み、
新規に「あなたならOK」と言う裏番組を水面下で計画し、
それをぶつけてきた。
これを知った日テレ側は渡辺プロと話し合いをしたが、
渡辺プロ側から『それじゃ、お宅の歌番組の時間帯を
ずらせば良いじゃないか』と言われた上に、
渡辺プロは日テレサイドに『放送時間をずらさないのであれば今後、
ベストテンにうちのタレントは出演しない』と通告してくる。
すなわち渡辺プロがクーデターを起こして来た。
苦しい立場の日テレ側は「ベストテン」の時間を移動するか、
渡辺プロに頭を下げるか、この挑戦を受けて立つしかなかった。
すると、日テレの公開番組スター誕生が成功すると
ホリプロ等が台頭し、1980年の漫才ブームで吉本興業、
男性アイドルを多く持つジャニーズ事務所も力をつけたことにより、
渡辺プロ側も相対的に影響力が低下した。
1981年3月23日、日テレが「NTV紅白歌のベストテン」も
11年半に亘る放送を終了すると、
その後、「ザ・トップテン」放送開始とともに
渡辺プロ側も日テレとの円満に和解し、
「ザ・トップテン」から渡辺プロ所属の歌手を
積極的に出演させるようになり、
8年間における渡辺プロ事件は終結することになった。
渡辺プロ事件についてさまざまなエピソードなど、
聞かせていただければ幸いです。

2 :
>>2

3 :
糞スレで仕方なく3\(^O^)/

4 :
以前、別スレにも書き込みましたが、日テレが75年より実施した「日本テレビ音楽祭」で、森進一、太田裕美など、ナベプロ所属歌手が全くノミネート
されなかったことに関し、雑誌の投書欄には「ノミネートの選考基準がおかしい」「『スタ誕』出身歌手ばかりが優遇され過ぎている」など、
選考に不満の声が実に多く寄せられていました。
 私は、ナベプロと日テレは絶縁状態であることを知っていましたから、ノミネート基準は当然の結果で、こんな投書をされる方は、失礼な言い方ですが、
アホだと思いました。

5 :
確か日テレの井原高忠さん(旧三井と住友の両財閥一族)が親友だった
渡辺晋夫妻と絶縁してナベプロとの全面戦争を
開始したんですよね。

6 :
今クーデター起こしても「あ、そうですか」ぐらいだね。

7 :
>>1
「あなたならOK」について
惨憺たる低視聴率で、たった半年で打ち切られ、
それに比べて「NTV紅白歌のベストテン」は、
渡辺プロ以外のプロダクションの人気歌手を動員し、
てこ入れするとともに、本家の「NHK紅白歌合戦」と同様、
応援合戦があり、ダンス、バトン演奏、物真似芸などで競い合った。
また、歌手の本性を見抜く「ウソ発見器」のコーナーが若年層の人気を得た。
ナベプロの思い上がりがもたらした後味の悪い事件だ。
売れっ子を抱えるプロダクションの横暴は今も変わらない。
「NTV紅白歌のベストテン」は81年に終了し、
「ザ・トップテン」に引き継がれた。
http://gendai.net/?m=view&g=geino&c=070&no=18919

8 :
日テレVSナベプロ事件で、トンだとばっちりを喰ったのが秋元近史
彼は日本テレビ制作局音楽班(芸能局制作部)でのナベプロ担当の
ディレクターみたいな人だった・・・。
「シャボン玉ホリデー」終了から数年経ち、毎週金曜22時に
第2の「シャボン玉ホリデー」を企画していた時にナベプロによる
クーデター勃発。日本テレビとナベプロとの対立により企画は
当然ボツになってしまった……。
空いた枠にはホリプロの和田アキ子をメインにした、
白井荘也プロデューサーらによる「金曜10時!うわさのチャンネル!!」
が登場し、お茶の間の人気を得る事になる。
騒動のとばっちりを喰い、用意していた企画が泡と消えてた秋元氏は
程なくして管理職につくが、数年後自らの命を絶ってしまった・・・。
合掌・・・

9 :
>>4
「日本テレビ音楽祭」について
81年頃から渡辺プロ側も日テレとの円満和解によって、
沢田研二などのナベプロ所属歌手が
ノミネートされるようになり、
かつて「あなたならOK」が失敗したことを踏まえ、
後期の「スタ誕」にもナベプロのスカウトマンを
積極的に参加させるようになりました。
「スタ誕」出身でナベプロに所属しているタレントに松本明子がいます。

10 :
そういえば、ナベプロは日テレでも井原がノータッチだった番組には出演させてたな。

11 :
>>10
井原がノータッチだった番組といえば「TVジョッキー」があり、
引き続きナベプロのタレントが出演していたようです。

12 :
この頃はクレージーやドリフの日テレ出演はあったのでしょうか?
ま、クレージーは実質グループ活動はしていなかったが。

13 :
>>1
>>9
日テレがナベプロとの和解のきっかけを作ったのは、
「スタ誕」の3代目の司会に
ナベプロの影響が強かった坂本九を起用したのが
きっかけみたいです。
詳しいことはこちらです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%AA%95%E7%94%9F!#.E5.9D.82.E6.9C.AC.E4.B9.9D.E6.99.82.E4.BB.A3

14 :
日本テレビが幹事局を務めた年の「日本歌謡大賞」は何故か沢田研二が大賞を受賞(73年、77年に)してるが
日テレは大賞を決める際の投票の時沢田研二には投票しなかったのだろうか?
又放送音楽新人賞や放送音楽賞を決める際の投票でも露骨にナベプロ所属の歌手を避けてたのだろうか?

15 :
この喧嘩、その後のナベプロ衰退考えると
ある意味日テレの勝ちなんだなw
>>12
ドリフでは冷戦真っ只中の1979年1月3日に2時間SPのバラエティ番組が放送された
内容は日テレ版ドリフ大爆笑みたいなもの
>>11
キャンディーズもジュリーも出てましたな

16 :
もし日テレとナベプロとの全面戦争が
現在も続いていたなら、
青木さやか、波田陽区、アンガールズなどの
ワタナベエンタのお笑いタレントが
「エンタの神様」に出演できずに、
大ブレイクできなかったかも…
そして、昨年の「24時間テレビ」にも
アンガールズが走ることもできなかったかも…

17 :
>>15
あと10年早く同じことが起きたら、日テレはほぼ死亡だったかもな。
少なくとも「シャボン玉ホリデー」が打ち切りor他局移動。

18 :
日テレとナベプロとの全面戦争中の
80年に始まった「お笑いスター誕生」の司会者に
当時、ナベプロ所属の中尾ミエが起用されていたのは、
井原氏がノータッチの番組だったからでしょうか?

19 :
ジャニーズなんてもっとえげつない事やってんだろ?
テレビ局員にうちのタレントを多く起用させろとか平気で脅してるらしいよ。
だから今や大量生産みたいな感じでジャニタレがテレビに出まくってる。
それに比べたら実力派が多かったナベプロなんて可愛いもんだろ。
今のテレビ局員はお人好しな人が多くてとても残念に思う。
もう井原さんのような人は出てこないのか。

20 :
ドリフターズは日本テレビのほかNHKでも出番少なかった。「8時だよ全員集合」でもNHKを批判するようなセリフが結構あった。

21 :
 「あなたならOK」という番組は、73年4月2日スタートでしたが、他の番組と違っていたのは
局制作の番組の場合、たとえば「制作著作 NET」、外部発注の番組の場合「制作 NET 東映」
という具合に、放送局名のクレジットが必ずあったのに対し、この番組は「企画制作 渡辺プロダクション」
というクレジットだけで、放送局名のクレジットが全くなかった点。
 後日の新聞記事で、こうした番組を「持ち込み番組」と呼び、外部の製作会社が、企画から制作まで一手に引き受け
放送局側はただ制作されたVTRを再生するだけというもの。いわば「局の電波を借りて放送する」という形になるそうです。
 技術スタッフは、すべて「東通」のメンバー。そのため同じスタッフの名前を、TBS系のドラマなどでも、よく見かけたものでした。
 初代ディレクターは、NHK出身の林 叡作、後に「イースト」という制作会社を設立されて、名古屋CBCがキー局で、日曜22:00から
放送されていた「すばらしき仲間」などを担当。テーマ音楽は、なんと「紅白歌合戦」のテーマに、
「あーなたならオーケイ」という歌詞がつけられたものでした。

22 :
>>21
フジの「新春かくし芸大会」とかと同じだな。
あとイザワオフィス制作の「ドリフ大爆笑」とか。

23 :
20 2001年 ドリフターズは吉本軍団たちとともに紅白歌合戦出演よかったよかった。

24 :
>>18
中尾ミエといえば1977年、札幌の有線放送で6年前(1971年)に廃盤になっていた
「片想い」が急上昇。これがきっかけとなり、全国にヒットの兆しが広がる。
発売元のビクターは急遽再発売し、30万枚のヒットとなる。
「片想い」はのちに中森明菜も1994年頃にカバーいたしましたが、
1977年当時もし日テレとナベプロとの全面戦争がなかったら、
「片想い」は「紅白歌のベストテン」でも歌われることによって、
中尾ミエのテンションが高くなって、紅白歌合戦にも出場できたと思う。
本当に「片想い」は名曲なのに、なぜ紅白歌合戦に出場できなかったか?
今頃になって疑問に思います。

25 :
>16
そう言えば、現在の日曜朝・昼の民放各局の番組ってナベプロのタレントが何らかの形で絡んでいる物のオンパレードなんだね。
ゲキレンジャーからウチくる!?まで正にスーパーナベプロタイムだな。
しかし、これも日テレとナベプロとの全面戦争が現在も続いていたのなら、日テレだけが仲間外れにされているのだろうか?
但し、系列局製作の番組には出ているかも知れないが……。

26 :
>>16
初期の24時間テレビには、渡辺プロタレントはあまり出ていなかった。
(というより番組自体に近年ほどタレントが多数出演していなかったような…)
メインどころで出演したのは1985年のアグネスチャンが最初?
この頃は抗争は終わってるし、アグネスもナベプロ所属で無さそうだが。

27 :
8時だよ、全員集合のコントで音楽プロモーション会社を題材にした時、
新人歌手(=田舎から出てきた3人組をキャンディーズの3人が演ずる)が
各局に売り込みという場面で、TBS、フジテレビ、NETテレビといかりや長助が発したが、
日本テレビは読売テレビと発していた。またNHKは含まれていなかった・・・
というのを何故か思い出したが、それもこの件が絡んでいたのだと考えれば
至極当然でしたね。

28 :
>>19
同感!
邪ニーズなんか、ナベプロのタレント(元を含む。一部を除く)足下にも及ばないくせに。

29 :
ナベプロの偉いところは、との交流を断ち切ろうとしたところだね。
それに比べて今の芸能事務所はほとんどとガチなんだよね?

30 :
ジャニーズが今ああなってしまった諸悪の根源は
たのきんのブレークのせいだよ。
ヨッちゃんはともかく、他2人はたいした才能ないじゃん。
特に歌も演技もダメダメな田原。
こいつがその後のジャニーズ他アイドルをダメにしたようなもん。

31 :
晋さんがかくし芸とかで顔晒してたよな。
周防やジャーニーさんはほぼ全く表に出ない。
それでもスタ誕では周防も顔晒してた事があった。

32 :
>>29
もともと芸能の世界がその筋の人たちと関係あるんだから
しょうがないっしょ

33 :
キャンディーズが辞めてからナベプロの弱体が急速化してきたような。
その後の新人アイドルなんて賞レースにすら入れなかったからね。

34 :
喧嘩していたのは芸能や音楽関係の部門で、ドラマ部門は別だったみたい。
ネベプロ系列の渡辺企画が制作したドラマ「前略、おふくろさん」などは放送されていた。
大原麗子やショーケン、いしだあゆみも当時はナベプロ系列だったはず。
和解したのは、確かドリフターズの特番で、「トップテン」ではなさそうです。
途中「日本テレビ音楽祭」は例外的に出られたという情報もあるが、詳細は不明。

35 :
>>32
プロレスの力道山もと袂を切ろうとしたら…

36 :
>>33
キャンディースの解散宣言。
晋さんも美佐さんも寝耳に水だったらしい。
そういうギャップが弱体化を招いた。
その反省をもとに売り出したのが吉川晃司。
健闘したがジュリーにはなれなかった。

37 :
>>36
昨年5月フジの番組で晋のセリフは実話かな?本当にあの言葉が出れば美談でもあるが。

38 :
それにしてもジュリーはなんで81年まで日本テレビ音楽祭出てなかったの?

39 :
>>34
「TVジョッキー・日曜大行進」にも、あいざき進也などナベプロ所属タレントはしばしばゲスト出演していました。

40 :
そう言えば最初期のスタ誕は抗争開始前だったが、ナベプロは参加してたのか?

41 :
>>8
シャボン玉ホリデーの流れを汲む番組を無くしてしまったのは、日テレにとって、大きな損失だったと思うけどね。

42 :
ドリフと日テレ(TBS)との
間で、不可解なのは、
全員集合を一旦中断して、
日曜日に、日テレで
「日曜日だよドリフターズ」という番組が流れた事。
事情のわかる方、真相を
教えて下さい。

43 :
>>42
クレイジーの人気テコ入れの為。

44 :
ゲイバッシング・プロダクション

45 :
age

46 :
阿久悠物語、
スター誕生を主軸にしたために、渡辺プロ事件に触れていた。
スタ誕で、バーニング、ホリプロ、サンミュージックが力を付けてしまったな。

47 :
2時チャオの旧ナベプロのバーターが酷い

48 :
昨日の「おまかせ」で和田アキ子が語っていたが、自身の「うわさのチャンネル」降板が原因でホリプロ勢(山口百恵等)もNTV締め出しされたみたいだね(73〜75年)。
ナベプロとの抗争は密かに有名だが、ホリプロとも喧嘩したとは知らなかったので貴重な証言だった

49 :
 結局は日テレがナベプロと和解したのではなく、ナベプロが日テレと和解したような感じがする。
 やはり、森進一の独立以降、所属タレントの独立・移籍が相次ぎ、紅白での出場枠を失った事が原因?
 ホリプロは和田アキ子を毎年出場させる事で紅白への影響力を保ち続けているし。

50 :
日本テレビ音楽祭で81年までジュリーがグランプリ候補にならなかったのはそのためか

51 :
8時だョ全員集合における山口百恵の出演回数が不自然なまでに
少なかったのも何か関係あるのかな?

52 :
>>51
 あれはフジのかくし芸大会の件とは異なり、ホリプロではなく日テレの意向では?
 8時だョ!全員集合のレギュラーの予定だったピンクレディーが結局はレギュラーになれなかったのは日テレの意向だし。

53 :
ちょっと石川ひとみが好きな者です。
彼女が「まちぶせ」で大ブレイクする81年まで、4年も要したことに
違和感を覚えるという言葉は少なくありません。
色々読ませてもらうと、
日テレとナベプロの和解が81年3月です。ひとみさんが「まちぶせ」で
大ブレイクしたのが81年6月頃、次期がマッチします。
更にひとみデビュー直後、スタ誕出で石野まこが合格、デビューとなり大ブ
レイク。このため4年もの冬の時代を。そして石野引退+和解とほぼ同
時期にやっと「まちぶせ」で開花。  
かな?

54 :
>>53
こじつけすぎです。

55 :
その大ブレイクとの因果関係はないだろうが
「ザ・ベストテン」「夜ヒット」と並ぶ各局の看板歌番組のうちの一つの
出演機会を失っているのは事実だな
若者向けでランキング制でもなく若手歌手は最も出演回数を稼げる
スタ誕歌手は実質そこからデビューするし
ナベプロにはドリフ関連やドレミファドンのような自前番組があるけど
歌番組とはインパクトが違う品
トップテンになってからは「まちぶせ」歌ってたね

56 :
石川ひとみは病気になってゴミクズのように棄てられたけどな

57 :
ナベプロは70年末期から80年初頭、制作部が3っつあって大変だったとい
うけど、それはアイドル・ニューミュージック・ロック部門の3っつってこと
? それとも、そういう意味じゃないの?

58 :
>>39 アンチナベの井原さんノータッチ番組だったからじゃまいか?
>>40そこなんだ。スタ誕開始は抗争2年前なんだな。なんとなく喧嘩
し始めたきっかけでスタ誕作った様に錯覚しちゃう(笑)ナベプロ排
除はスタ誕開始時からすでに構想されてたのかな?なんかホリプロ側
はすでに井原氏と組んでナベパージを目論んでいたような感じだね。
そこへあの晋の発言で爆発 ってことかな?
阿久悠物語みてないから分からないんだが、スタ誕は阿久が作ったと
も言われてるから、彼はどういうスタンスを持ってたんだろう?
>>42 そのドリフの日テレ版は79年? そうだとそたらそれが本当の
抗争終焉といわれる気きっかけの番組じゃ?
>>48かなり興味深い話だねそれ。そういうのにもっと注目すると、また
意外な新事実がでてくるのかもね。
>>49 説によっては、そもそも晋が井原に喧嘩売ったんじゃなくて、
NET局長直々に「あなたならOK」の時間枠変更してもらったことで
引くに引けなくなった(追い詰められた言葉?)でああいう発言に
なったという向きも。

59 :
井原さんが晋と仲が悪くなったのは、井原さんにとって晋の美佐婦人
が恋仇だったからじゃないかと思うのは俺だけか?どうもそう読める
んだがな〜

60 :
>>58
日曜日だヨ・ドリフターズ!!は71年4月〜9月
全然関係ない

61 :
>>60 スタ誕開始が71年10月だしょ。
まだ何のしがらみも無い時期なんじゃ?
スタ誕開始後も1〜2年は静けさの中で行われてて、
73年頃に抗争激化したわけだから。

62 :
それでもザ・ピーナッツの引退特番をNTVでもやった訳だが、一時的な手打ちでもやったのかな?
この抗争の煽りを受けて、ナベプロ看板のキャンディーズが
5年ほどの活動中、NTV出演が数回(TVジョッキー複数回)しか出来なかったらしい。
そのためNTV側も引退騒動時に黙を強いられ、殆ど便乗出来なかった。

63 :
キャンディーズは抗争開始直後にデビューしてる。それでもあれだけ売れたん
だから大したものだ。太田裕美もね。
それと、両者NTV紅白歌のベストテンで見た記憶が一切無いんだが・・
何回かは出ていたのかなあ。 いや、やはり見た記憶が無い。

64 :
たんぱん

65 :
71年スタ誕生始めるに当って、井原氏と堀さんが意気投合したのは、そもそ
も55年頃に井原さんが堀さんに日本テレビ入社を斡旋してくれた経緯があっ
て、でも堀さんは新バンド組んじゃったばっかしで丁重に断って(井原さんは
堀さんの2年位先輩で上下関係がきっちりしてた様子)っていう経緯があって
また一緒に色々出来るのが嬉しかったのだろうね。
加えて、堀さんとしても58年ウエスタンカーニバルを企画したのは自分らな
のに、美佐さんが立役者的にメディアに報道されて、それも悔しかった。
それは堀さんに「追い越せナベプロ」精神を奮い立たせた切っ掛けとなった
ようだし、
71年にスタ誕生始めるにあたり、堀さんが井原さんから要請を受けた際にも
両者の意見が一致するのに時間は全く必要なかった様子だね。
それと堀さんとしても、優勝者をナベプロを除いて斡旋してくれることに、当
時堀プロも大きくなりたかった時期から、シビアに考えてもそれは物理的に非
常に嬉しい作戦だったに違いない。
井原さんはともかくとしても、堀さんは少なくとも渡辺晋を尊敬している面が
あったと見れる。堀さんはどちらかというと当初美佐さん側に対して腹を立て
ていた感じがするけど、
それも最終的にはナベプロを負いまかしてやろうという気概に変貌してしまっ
た感じかね。なんかそんな感じに捉えられる。
堀プロ15周年パーティを行った際にはナベシンを貴賓として呼んでいる。
まあ音自協の幹部同士だからあたり前か。

66 :
まあ音自協の幹部同士だからあたり前か、まで読んだ。いい文章ですね。
おそらくご年輩であろう>>65氏の情熱に敬意を。

67 :
野久保直樹wwww ナベプロからの独立中止www
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1240317551/834
834 名前:219.101.195.194[] 投稿日:2009/04/22(水) 16:31:18.07 0
この一年でマネージャー何人替わった?マネージャーを付き人みたいにアゴで使ってたって?2000年早いわ
Network Information: [ネットワーク情報]
a. [IPネットワークアドレス] 219.101.195.192/26
b. [ネットワーク名] WATANABEGR
f. [組織名] 株式会社渡辺プロダクション
g. [Organization] Watanabe Productions Co., Ltd.
m. [管理者連絡窓口] HM6079JP
n. [技術連絡担当者] HM6079JP
p. [ネームサーバ]
[割当年月日] 2002/12/18
[返却年月日]
[最終更新] 2002/12/18 16:02:21(JST)

68 :
今年の24時間テレビの番組パーソナリティーにネプチューンだそうだ。
まあ、4月から中山秀が昼の顔になってるし、
日テレと渡辺プロが全面戦争をしていたというのは過去の出来事となったか。

69 :
実力いまいちのタレントのゴリ押しは試聴者から見て違和感がある。
なんかあるのか?

70 :
というか今の芸能界で本当に優れてるのは誰なのかわからなくなったし

71 :
晋社長が亡くなって、斜陽化してもそれなりのタレントを輩出できているのは
たいしたもんだと思う。
ジャニーズは果たして社長亡き後どうなるか。

72 :
マッチと東山は生き残りそうだけどね。取締役だし。
この2人なんてナベプロで言う中山、恵クラスだろ。

73 :
渡辺プロなんて、晋社長が亡くなった時点でおわっとるよ
今の娘社長はパッとしないみたいだしな
結論 ナベプロの衰退=テレビの衰退
紅白歌合戦もナベプロ歌手が出なくなってから視聴率も急降下した

74 :
ナベプロを一番袋叩きにしていたのは
ルポライターの竹中労

75 :
>>73
でも傘下も含め結構なメンツが揃ってると思う
特に役者勢がすごい

76 :
中尾ミエが逸見太郎に伝授するTV界で「仕分け」されないコツ
http://www.youtube.com/watch?v=DlsZod7qtxY&feature=related

77 :
>>30
ヨッちゃん(名前ワスレタ)にしても
エディ・ヴァンヘイレンの物真似レベルだが?

78 :
ピーナッツがいた発足当時の、まだ人数が少なかった頃のナベプロならともかく。
70年代に入ると養成所の月謝目当てでスクールメイツの人数増やしすぎて粗製乱造だったよ。
400人もいたから特待生でもない限りまともに歌も踊りも見てもらえない。
布施明ですら70年代後半に海外へ行ったらボイトレの先生に
あなたはキーからして間違ってると根本的な発声の間違いを指摘されたんだよ。
スター誕生出場者の方が出場前から個人で先生についてレッスンしてたり
ちゃんとした教室や歌謡学院に通ってた。
ナベプロが大々的に売り出そうとした鮎川真理なんてひどかったよ。
篠原ともえが喉潰したようなガスガスのかすれ声。
レコード以上に声がかすれて息絶え絶え。
デビュー前から雑誌巻頭カラーでよく見かけて可愛かったけど
それで一気に人気急降下してすぐ消えた。
昔の倉木舞をさらに悲惨にした感じ。
あと、東京音楽学院で月謝をとってる上に
所属歌手のコンサートのバックなどにギャラなしでこきつかって
問題になってた>スクールメイツ

79 :
ナベプロ、日本の流行歌の歴史みたいな分厚い本にも
テレビ界・歌謡界を事務所主導にしたり
歌手のタレント化など芸能界・歌謡曲衰退の元凶だと叩かれてた。
60年代後半〜70年代前半に音楽界を改革した
レコード会社や各音楽出版社の功績(洋楽ロックやアーティスト人気を日本国内に定着させる
他、邦楽ポップス界における洋学テイストの導入
歌謡曲とは違うジャンルの新たな人気アーティスト発掘)を
全て自分のところの手柄にしようとしたのがミサ。
ナベプロの急激な没落はその辺りにも原因がある。
>ほとんどの芸能事務所が加盟する全音協をナベが仕切っていて
>ナベタレのスキャンダルを週刊誌書かれそうになると「おたくの雑誌に全音協加盟事務所のタレントを一切乗せません」と脅迫してもみ消し。
>しかし、全音協に加盟する他の弱小事務所タレントが雑誌に何を書かれても守ってやらずにスルー。
>それも70年代中盤からどんどん他事務所がナベに反旗を翻してナベ没落のきっかけを作った一因。

80 :
キャンディーズのスーちゃんの葬儀に芸能人が少なかったり
スーちゃんの事をインタビューしても濁されたり
何か関係あるのですか?

81 :
>>79
代わって台頭したのが、
バ〜〜□ングだな。
今は赤坂に逆らうと、
業界から追放される。

82 :
スーちゃん葬儀にドリフがこないって変だよ。

83 :
>>82
いかりや・・・死亡
あらい・・・死亡
志村(当時の)・・・死亡
加藤・・・参列したがチビ過ぎて人垣に埋もれる
仲本・・・鉄棒から落ちて半身不随
ブー・・・朝6時に自宅を出たが300m進んだところで葬儀時間が終了

84 :
スベッた例

85 :
井澤健が通夜に来たから
ナベとしては筋は通したつもりだろう
タレント個々は色々動きにくいと思う
そもそも30数年間スーとは関ってないんだろし

86 :
http://hissi.org/read.php/natsudora/20110430/N3Q1WGM0djc.html

87 :11/06/13

野久保直樹 vs 渡辺ミキ

ショボい争い
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モノレール開通前の沖縄のテレビ
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