2011年10月1期懐かしテレビ【五木ひろし】全日本歌謡選手権【天童よしみ】
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【五木ひろし】全日本歌謡選手権【天童よしみ】
- 1 :10/04/06 〜 最終レス :11/08/12
- 80年代以降の歌手の殆どは、この番組に出たら
一回戦で敗退するはず。
そんな硬派な実力主義のオーディション番組について、語りましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%AD%8C%E8%AC%A1%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9
- 2 :
- 70年代は今のようなアイドル至上主義ではなかった。
あの沢田研二だってロックファンから空き缶投げつけられていたし。
- 3 :
- 参天製薬 長澤純 審査員に山口洋子 ぐらいしか覚えてない
- 4 :
- 「真夜中のギター」の千賀かほる
「昭和ブルース」のブルーベル・シンガーズ
ソフトロックのフィフィ・ザ・フリー
すべて一回戦で敗退。
厳しい番組だ…
- 5 :
- 審査員の持点は何点?
何点以上で合格?
- 6 :
- >>5
>>1のリンク先ぐらい読め
- 7 :
- 五木・天童以外で10週勝ち抜いた歌手
八代亜紀 青山ミチ マーガレット・アン 真木ひでと 胡浜三郎 大原みどり
有田美春(唯一のアイドル系)etc
- 8 :
- NHK-FMよ、わざわざ(民放)TV番組っていうのにもむかついてるのに、
「五木ひろしさん、八代亜紀さんを輩出したのど自慢番組」はないだろ!
末期の司会は浜村淳だった。
- 9 :
- 出場者に対するコメントが特に辛辣な審査員は竹中労と淡谷のり子だったように
記憶している。大原みどりは話題性は十分だったにもかかわらず、意外なほど
振るわなかったね。あと竜エリザも一応アイドル系。
- 10 :
- >>7
中状きよし?
- 11 :
- 子供の頃長沢純のファンだったから見てましたよ。
五木の勝ち抜きの模様は、毎週ハラハラしてみてました。
- 12 :
- 超ガチの審査を売り物にしていたんだよな。
五木ひろしが何かの特番で歌謡選手権を振り返っていたけど、
批評は淡谷のり子を筆頭にボロクソだったもん。
- 13 :
- この番組が76年で終わってしまったのは、
やはり時代がアイドルやニューミュージックに押されてしまったからなのだろうか・・・
- 14 :
- 審査員にナベプロ批判の発端となった「タレント帝国」の著者であり、一時期はテレビに登場する
度ナベプロやナベプロ所属タレントを徹底的に批判していた程のマルチルポライター竹中労氏が加
わった事も見逃せない(恐らく竹中氏はこの番組の企画立ち上げの段階から深く関わっていたと思
われる。)。
この番組の成功があればこそ、阿久悠氏が公然と「ナベプロ潰し」を合言葉に「スター誕生!」の
企画を立ち上げたと言えよう。
五木ひろしや八代亜紀等を生み出した実績と共に日本の芸能史や放送史を語る上で決して見落とせ
ない重要番組の一つと言えるのでは無いだろうか?
- 15 :
- >>13
寧ろ2度の時間帯移動が大きく影響したんじゃ無いだろうか。
〜1973. 9 月曜夜7:30枠
1973.10〜1975. 9 日曜夜7:00枠(ドラえもんが諸般の事情で打ち切りとなった日テレとの枠交換)
1975.10〜1976.12 土曜夜7:00枠(落ち込んでいた土7枠の強化を目的とした読売テレビ枠内での交換)
上に書いた経緯からも分かるように視聴率回復の切り札としてこの番組が使われた面があり、それがこの
番組の寿命を縮めたと言えようかと。
もう一つは番組の顔とも言えた長沢純さんの降板だろうな........視聴率が落ち込んだ責任をとっての形では
あったけど。
結果からすれば、長沢さんの降板で番組終了が決定的となったと言えよう。
少なくとも時間帯移動に見舞われる事が無ければスタ誕位とまでは言えないけど、少なくとも1980年代の
始め位までは続けられたんじゃ?と思っている。
- 16 :
- >>15
HTVは月曜時代は時差で、土・日曜に移動してからは同時だったんだな。
月曜はクロスネットだった頃はフジの枠だったから。
- 17 :
- 審査員の船村徹は辛口の批評だった。
五木ひろしはいつも誉めてた。
- 18 :
- 77年以降もこの番組が続いていれば、
ジャニーズやエイベックスやおニャン子やAKBに駆逐されて
日本の音楽界が駄目になっていくこともなかっただろうに・・・
- 19 :
- 輩出した歌手の大半がアイドル系で、この番組に比べると軟派な印象があった
『スター誕生!』でさえ、審査員の例えば阿久悠あたりはかなり厳しかったよね。
やっぱりおニャン子クラブあたりからかなあ、ホントに「可愛けりゃOK」みたいな
風潮が生まれだしたのは。
- 20 :
- 審査員の失言が問題になったことがあるらしいけど詳しいことがわからん
- 21 :
- 竹中労がフィフィ・ザ・フリーの「栄光の朝」に対して
「ハモる力もないのに無理にハモろうとしている」と一蹴して
一回戦で落としたらしい。
- 22 :
- 竹中労と淡谷のり子は基本的に辛口路線だった。フィフィ・ザ・フリーとは裏腹に
天童よしみは竹中にその歌唱力を絶賛されて本格的にデビューしたけど売れず、
かなり長い潜伏期間を余儀なくされた。
- 23 :
- 今のイギリスのBritains Got Talentよりも厳格な番組。
昔の日本はレベルが高かった。
- 24 :
- 中村淳という男性アイドルも確かこの番組の出身だったなあ。デビュー曲はそこそこ
売れたはずだけど、その後2曲ほど出して消えてしまった。胡浜三郎ってのはモロに
森進一モドキという感じだった。
- 25 :
- 山口ルミコという人が出てた時、家族でテレビを見てて
母親が盛んに顔が地味とかけなしてたのを思い出した。
しばらくしてデビューしたら「この人鼻を整形したよ!」とネチネチ。
- 26 :
- いたなあ山口るみ子。同じ頃に出てきた淳子や百恵には全く太刀打ちできないまま
すぐに消えた。
- 27 :
- 今の日本にもこのような激辛オーディション番組があれば
確実にJ-POP/歌謡曲のレベルは向上するのに。
- 28 :
- 南こうせつとかぐや姫もこの番組に出て
いろいろとエピソードを残したあげく
4週目で自ら辞退した。
- 29 :
- 売れない流しのプロ歌手とかが多かったよね。
真木ひでとも出たが、GS→演歌への転身だったっけ。
さんてどウーの参天製薬提供だったっけ?
- 30 :
- 竹中労は「あんたそれでよくプロなんて顔してテレビ出て歌えるね」とか、
とにかく容赦なかった。
- 31 :
- 八代亜紀はこの番組で再デビューしたのかな。
カラオケもない時代なのに、歌が抜群にうまかった。
- 32 :
- その八代も今では歌声より息継ぎの音の方が大きいのだから…
- 33 :
- まあ加齢もあるし仕方ないだろ。
天童はうまいね、この前生で聴いてしびれたw
- 34 :
- スーザン・ボイルがこの番組に出たら
間違いなく1回戦で敗退。
- 35 :
- 容姿も問われたの?
天童よく受かったなw
- 36 :
- 『スタ誕』とは違って容姿はあまり問われなかったように思う。天童よしみはあの
竹中労が非常にその実力を評価していて、芸名を授けてデビュー曲の作詞も手が
けた。ちなみに竹中は岩下志麻に抗議されたり佐藤栄作夫人にされたり大島
渚と喧嘩したりなどなど、当時は非常にトンがった存在だった。
- 37 :
- でも竹中は当時知名度の低かった沖縄民謡の
最大の理解者だった。
- 38 :
- 竹中労が大島渚と本格的に対立したのは『映画批評』誌への梅内恒夫(当時、
赤軍派のメンバーとして指名手配中だった)の寄稿文を大島が編集部で勝手に
読んで週刊誌の記者に寄稿文の存在を話したことに竹中が激怒したからだけど、
それ以前にも「『夏の妹』における沖縄の描き方」を批判したりしていた。その
後和解したんだったかな?
- 39 :
- スター誕生と同じ時期にやってたんだっけ?
出場者の平均年齢の差がすごそう。
- 40 :
- 阿久悠によるとスタ誕もスタート当初は流しのおじさんやら「着物を着て
三波春夫を歌うおじさん」やらといった、年齢層の高い人たちがよく来て
いたとのこと。森昌子が世に出てからは番組のアイドル路線が定着して
「ヤング」しか来なくなったようだけど、それでも初期にデビューした中
にはフォーク系のシンガーソング・ライターや完全に路線の演歌
歌手などといった非アイドル系の人たちも何人かはいた。『全日本歌謡
選手権』からもヤングアイドルは何人もデビューしているけど、売れた
人は一人もいなかった。
- 41 :
- 長沢純ちゃんが結構かわいかった
- 42 :
- 天童の事をかいてる人がいらっしゃいますが
天童自身は、既にいなかっペ大将などアニメソングでデビューした後ですよね?
- 43 :
- >>42
天童よしみは本名で「大ちゃん数え唄」を出したあとの出場ですが、アニメ
ソングのレコードを出したというのは当時の時点においては正式なデビュー
とは見なされませんでした(天童のオフィシャルなプロフィールでもデビュー
曲はあくまで「風が吹く」であり、「大ちゃん数え唄」は「デビュー以前に
レコーディングした曲」という扱いになっているはずです)。演歌系だと
森本英世とかもそうですね。もっともこの番組の場合は『スタ誕』とは違って
プロアマ問わずに出場できる番組ではありましたが。
- 44 :
- 売れない流しやクラブ歌手みたいのが多数出て、今思い出すと
かなり大人な番組だった。
昔はテレビが1家に1,2台しかなく、チャンネル権のない子供は
親の好きな番組を見るしかなかった。
底抜け脱線ゲームとか、お笑い頭の体操とか、減点パパとか。
- 45 :
- VTRは殆んど残っていないようだが
もし残っていたら今のJ-POPやアイドルの連中に見せてやりたい。
- 46 :
- 赤村淳はおいら島の人さ。プレスリーみたいな格好だった。東京のタクシー会社で頑張ってたけどなあ
- 47 :
- 審査員は山口洋子しか覚えてない
- 48 :
- 毎回同じ地味な服装のままで10週勝ち抜いた鷲見治城と
ウィキに載ってる28代チャンピオン大川健太郎(本名鷲見秀夫)という歌手は
やはり同一人物とみていいのか
- 49 :
- >>43
森本さんの名前見て、一瞬「死神博士も歌手だったの??」と思ってしまった。
- 50 :
- 末期には「子供大会」なんてのもやっていて、番組としての衰退を感じさせた。
その企画からは河村晃治という当時小3だかの少年がデビューしたけど、話題
にもならなかった。
- 51 :
- 石野真子も出たことあるって書いてあったけど、すたたんデル前?
- 52 :
- 判定の時、丸いステージがグルグル回る時、緊張感があってよかったな。
- 53 :
- >>39
そう言えば、かつて日曜日は素人出演の歌番組が目白押しだった
まず、午前中に「スタ誕」で、お昼は「NHKのど自慢」、午後から、てんやわんやの「家族そろって歌合戦」、
夜7時が「全日本歌謡選手権」で、8時に欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」(家族は素人)。
スタ誕の裏は素人の歌じゃないけど、素人の作った楽曲を紹介するNHKの「あなたのメロディー」というのもあって、
とにかく素人の歌唱を審査員気分で存分に楽しめた時代があった。
この中で、てんやわんやの番組は、一般にクマさんチームとかウサギさんチームとかで知られていたが、出場者のレベルも
けっこう高かった。審査員で演歌嫌いの高木東六先生(全日本歌謡選手権では淡谷のり子先生のポジション)が演歌の上手な
人を認めざるえず、よく「あなたは演歌の心を持っている」と絶賛していたのを想い出す。
- 54 :
- 審査員で覚えてるのは、評論家の安部寧先生、福田一郎先生、湯川れい子先生
それと、大原みどりが10週勝ち抜いた時、土下座して号泣したシーンが印象的
- 55 :
- >>29
サンテ提供は、月曜19:30時代。
- 56 :
- 流しの歌手たちは、「演歌師」という肩書で出場していた気がする。
有名歌手がいろいろ出たらしいけど、自分が覚えているのは「思案橋ブルース」
(コロラティーノ)のボーカルの人。審査員にサビを巻き舌で歌うなと注意されてた。
- 57 :
- >>44
お笑い頭の体操は、ベタな笑いが多く、アイドル歌手なんかも出てたから、
子どもでも十分楽しめたし、次の全員集合へのリレーも違和感なかった。
若い女性の出演者が発言すると、それがつまらない答えでも、「可愛いったらありゃしない」
というのが巨泉の口癖だった。
- 58 :
- http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h149625703
- 59 :
- 竹野美千代、美人じゃないけど可憐さで印象に残ってた。デビュー曲に凝って高音強調しすぎ。
案の定、売れなかった。残念だ・・・
- 60 :
- 今、熱烈に復活させて欲しい番組。
このアイドル至上主義に溺れきった
腐敗し切った今の日本の音楽界に喝を入れることが出来る
者はいないのか。
- 61 :11/08/12
- いかにも親父クセー言葉遣い
熱烈(笑)
クセーから換気したお!!
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