2011年10月1期ニー速映画評論「ALWAYS 三丁目の夕日」 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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映画評論「ALWAYS 三丁目の夕日」


1 :12/01/14 〜 最終レス :12/01/14
金曜ロードショーで観た
ドラマ自体はベタな展開(それ自体は悪いことではない)でたまにお涙頂戴的な演出がある
※「お涙頂戴的」というのは、細かい下地(心理描写などのプロセス)を抜きに結果の悲しさだけで泣かせる、という定義で使った。
しかし、それらは出演陣(主に茶川)の好演によって相されている
とはいえ裏を返せばドラマ自体の質よりも
演技と昭和のムードに頼った形で感動が引き起こされている感じは否めない
思ったのは、この作品はあまりにも付箋が回収されておらず、各シーンに統一性がない。
続編を意識して作ったのかもしれないが、
これを1つの映画として捉えると、評価は下がらざるを得ない。
長編ドラマシリーズとして1つ1つを丁寧に描けば、また評価は変わっただろう。
しかし、これは「映画」なのでポイントを絞らないといけない。
この映画の最大の盛り上がりは、やはり
@茶川が淳之介を抱きしめる
A六子の帰郷
という2つのラストシーンだろう
これら2つをより効果的に盛り上げるために、もっと
「茶川と淳之介の葛藤やエピソード」「六子と鈴木家の葛藤やエピソード」を丁重に描くべきだった。
無駄な小話は焦点が分散するだけなので、いらない。
例えば、この作品においてヒロミの存在はどれほどの意味があったのだろう?
淳之介と心の交流をするわけでもなく、トントン拍子かつお約束的に茶川と同姓を始める。
彼女の人間性もあまり描かれていないので、薄っぺらい。
そして彼女はある日、脈絡もなしに唐突にいなくなる。
明らかに機能していない。
残念ながら、「親に捨てられた子どもを簡単に客に押しつける無責任な女」と結論づけられても仕方がない。
続編を前提とした描き方だとしても、少なくともこの作品においては飾りだけのヒロインである。

2 :
また、茶川のツンデレっぷりが終始、中途半端である
「お前は迷惑だ」と平気で子どもの面前で言う男なのだから、
最後まで情を表現するような演出はやめるか、
行方不明になった時に抱きしめたシーンで心を完全に開ききった状態にすべきだろう
このどっちつかずな状態では、最後に2人が抱き合い愛情を確認するシーンが活かしきれない
細かい点で気になったシーンを指摘すれば、
(1)鈴木オートでブチキレて六子をそうとするシーンはコメディを意図したのか知らんが、
キ○ガイにしか見えなかった。
大の大人が、女の子供に対してあの発狂ぶりは人間性を疑ってしまう(w
(2)子供2人がいなくなったシーンで
六仔だけが泣いているが、姉的な存在になるのがあまりに早すぎる
心配する素振りだけでよいのではないか。
(3)六子が「私が家を出るとき、これで口減らしができるって。手紙書いても返事もこねえし、私捨てられたんです」と泣くシーン。
毎日ポストを確認する等の付箋がないからわざとらしい。つまり、お涙頂戴的な演出になっている。
(4)茶川が転んで淳之介がいきなり現れるのは唐突過ぎる
より自然な別の演出法があったのではないか。
(5)また、茶川はなぜ、実の父親の手から勇気を振り絞って戻ってきた淳之介を、3度も突き飛ばさなければならなかったのか?
車から一人で帰ってきた時点で十分過ぎる程に彼の強い意志は読み取れるのに、あまりにも残酷すぎる。
無意味なツンデレ行為があのシーンを白けさせてしまった。何故、ベタに抱き合わないのか。

3 :
ボクの短くて的確な得がたい最新映画レビューを調子にのるなとか煽ってやめさせておいてこんな駄文は放置ですかゆるせんな

4 :
シャムおじさん「余計な頭ついとる」

5 :
そうなんだ

6 :
けっこう的をいているよこれ

7 :12/01/14
付箋を回収ていや付箋てきみそれ
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