2011年10月1期大河ドラマ10年間メールで探し続けました
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10年間メールで探し続けました
- 1 :09/02/27 〜 最終レス :11/05/12
- この十年間ずっとメールでを探し続けてきました。
まだ「系」なんて言葉もなかったずっと昔から。
初めての彼女とはパソコン通信でました。
そして10年後の今もこうして、を探し続けています。
私なりにうれしいことも、おどろくことも、楽しいことも多かった
そして、悲しいことも、涙したことも多かった
そんなネット恋愛遍歴を振り返ってみたいと思っています。
ネットでのが私の運命を変えました。
私を未知の沖縄に旅だたせたり、2人の娘を授かったり、
そして忘れられない多くの女性とのを与えてくれました。
私のまわりに現れてくれた全ての女性に感謝するとともに
そのほとんどの人とはもう話すこともかなわないであろう
彼女たちの幸せを願い、
私の探しの旅がどこで終わりを迎えることができるのか
このブログを書きながらゆっくり考えていければと思っています。
山ほどのメールを書き続けてきた私ですが、
基本的に不特定多数の人に見られることを前提に書いたことがないので
どうなるかわかりませんが、つれづれに続けていければと思っています。
もしこれを見てくださった奇特な方がいらっしゃったら
コメントなどいただければうれしく思います。
- 2 :
- 10年前といいますと、私は22歳。
パソコンはようやくウィンドウズ3.1が普及し始めたころでしょうか
まだインターネットは普通の人は誰もつかっていませんでした。
当時流行り始めていたのが、パソコン通信!
そしてその中で今もプロバイダとして続いている
ニフティが覇権をにぎりはじめた時期なのでした。
私は将棋を本格的にやっていた時期でその勉強のためもあって、
将棋フォーラムが盛んだったニフティに入会してみたのでした。
そして、しばらくして不特定多数の人が読む掲示板を発見し
そこでメール友達募集のメールをするようになっていったのです。
ニフティの(未読分 ○通)ってメッセージは本当にうれしいものでした。
いつも期待に胸をときめかせながら開いたものです。
私の最初の女性のメール友達は5歳くらい年上の彼氏のいる女性でした。
その人とはついに恋愛関係になることもなく、
そしてお会いすることもなかったのです。
(でも手紙で写真のやり取りをしましたね。当時は画像添付が難しかったのです)
でもその次に出会ったのは、5歳と7歳の娘がいるお父さん。
5歳と7歳の娘さん向けにはひらがなを使い、
お父さんには普通のメールをそれぞれに書いたのでした。
年賀状の交換などもしましたし、今もたまに交流があったりします。
さて、ここまではまだ恋愛はでてきませんね。
それはまた次の機会に譲りたいと思います。
- 3 :
- 名古屋の彼女 当時のニフティ掲示板は実名表示でした。
今じゃ考えられないですね。
でもみんなが実名で掲示をだしていたんです。
それに検索をかけると同じ地域に住んでいる人の実名が
みんなでてきたんですよ。
今なら個人情報保護法違反ってところでしょうか。
おおらかな時代だったんですね。
自分は女性名の掲示に何度かメールをだしてみましたけど
やっぱり競争率が高かったようでなかなか返事はきませんでした。
でも当時のおおらかさで、自分が掲示を出して待っていると
そのうち女性からメールが届いたんですよね。
そのうちのひとりがまさこさん(仮名)。名古屋のほうの方でした。
なんか当時は遠くの方とばかりメールしていた気がします。
同じ年の大学生の方でした。
けっこう長文のメールを2,3日おきに交換して
まだ見ぬ彼女にずいぶんあこがれましたね。
わりと落ち着いた長いメールを送ってくれる彼女は
「お姉さん」ってイメージなのでした。
2,3ヶ月のメール交換ののち、初めて会いに行きました。
女の子と会うときはいつも緊張するから
新幹線を降りて会う前にドリンク剤を飲んで気合を入れたのをよく覚えています。
当時はまだ携帯なんてもってなかったし、
写真も交換してなかったから服装が目印だったんだよね。
でも、すぐわかりました。不思議なものです。
- 4 :
- 長い髪とそばかす顔でしたが、おとなしいやさしい感じの彼女でした。
近くの喫茶店でおしゃべりしたあと、名古屋城とかを案内してもらいました。
そして栄のにんにく料理のお店でお食事してのお別れ。
まだ恋に免疫のないぼくは、すぐにあこがれましたけど
残念ながら向こうには彼氏がいました。
そんなことも知らないで会いにいったんですね。
まさこさんとはその後も結構長くメールが続きましたが
だんだん間隔が長くなっていきいつのまにか途絶えました。
友達を連れて沖縄に遊びにきてくれたこともありました。
それから一度名古屋方面に用事があったとき、
勝手におうちまで遊びに行ったこともありました。
うちの前で引き返しましたけどね。
今に続くストーカー気質が表れています。
彼女が教育大学を卒業して養護学校の先生になったところまではしっていますが
今はどうしているのかな?
もう結婚して、子どもがいるのかもしれないな・・・
- 5 :
- 次に出会ったのは「めぐりん」って名前の女の子でした。
当時たぶん20歳。
でも「いきなり、めぐりんだよっっ!!」って感じのメールをくれる女の子でした。
今ならこういう子はギャル系ってくくりになるのかもしれないけど
当時はとにかくびっくりしましたね。
会ってみてなおびっくり。
すっごい背は小さいし、ぽっちゃり、
ほおが赤くペコちゃんにそっくりなぶさいくちゃんでしたね。
家出して、30男と同棲していたみたいで、電話は一回かけて3回鳴らして
切ってもう一度かけると出る、みたいな感じでした。
今なら笑えるけど、携帯もないし男にばれないためには仕方ないんだよね。
めぐりんとはたぶん3回会ったと思う。
いつもカラオケとファミレスだったと思う。
ユーミンの「埠頭を渡る風」の「〜私をそばにおいて〜♪」の部分を
「〜めぐりんをそばにおいて〜♪」って歌うのも今なら寒いけど
当時は全然OKでしたね。
- 6 :
- ぼくは中学高校を男子校ですごしたし、その後は将棋の世界にどっぷり。
いずれ書くことになると思うけど、高校生のとき初恋で手痛い失敗をしてしまったから、
好きになった女の子はひとりだけ。
女の子の話してくれること、してくれること、なんでもすごく新鮮でしたね。
女の子に興味津々だけど、シャイで、拒絶されるのがこわくて
いつも恐る恐る接していたと思う。
めぐりんは狭かったぼくの世界をまた少し広げてくれた女の子でした。
彼女の「私はブスだからファミレスで満足な女なの」って言った言葉よく覚えています。
当時そんな考え方したことなかったし、彼女は容姿のことで
ずいぶん辛い人生をあゆんできたんだろうなあって今なら思えます。
そしてめぐりんと最後に会ったときぼくは風邪気味でした。
今でもそうだけど、女の子に会える機会に飢えていたから
ちょっとぐらいコンディションが悪くても、会えるときは必ず会ったんだよね。
車の中でいきなり
「今日、道歩いていたらしらないおじさんが、だしてきて、
なめろっていうからなめてやったんだ」
ってめぐりんが言うからびっくりしました。
当時は女の子がそんなことを口にするなんて思ってもみなかったから。
そして駅前の「きくや」っていう昔ながらの連れ込み宿の話とか
そんなことを聞かせてくれたのでした。
- 7 :
- そんな話を聞いているうち、当時まだ未経験だったぼくはめぐりんにお願いしました。
「ねえ、ぼくとしてくれない?」って。
めぐりんは
「コンディション悪いんでしょ。やめたほうがいいよ」
ややあって
「あたしじゃ、もったいないと思うし」って言ったと記憶しています。
あのときはしたい一心だったから、なんでだめなんだと不機嫌になったと思うのだけど
今思えば彼女なりにやさしい言葉だったのかなあって思ったりします。
まじめなだけだった当時のぼくと、めぐりんは住む世界が違うって
彼女は感じていたんだろうなって思います。
当時のぼくには何もわからなかったのだけど・・・
その後彼女は男について仙台に行くというメールをくれて、いなくなりました。
今はどうしているのかな。。。
いい男とめぐりあって幸せになっているといいけど・・・
生まれて初めてを求めた女の子
ぶさいくなめぐりん...
- 8 :
- 次の物語のヒロインははるか南の島からやってきました。
10年前の夏の日の夜だったと思う。
ニフティの掲示板を何度もリロードしていたぼくは
「りか」って名前の女の子のメッセージを見つけました。
見た瞬間ぼくは猛然とメールを書いて、さっそく送ってみました。
今みたいにコピペなんて言葉もなかった時代
どうやらぼくは一番乗りだったらしくて彼女からのお返事がもらえました。
それは、そのときはそうとしってメールを出したわけではなかったけど
行ったこともない遠くの島、沖縄からのメッセージでした。
りかは大学生で卒業を迎える夏でした。
自分の進路や将来、そして実家に戻ること、いろいろなことで悩んでいたのだと思います。
そしてメールはうぶなぼくにもわかるぐらい、
まだ見ぬぼくへの憧れを感じているということが伝わってきたのでした。
沖縄の文化の話をいろいろ聞かせてくれました。
ウチナーグチや、ウチナータイムの話。ナイチャーという言葉。
沖縄の歴史の話や泡盛の話。
彼女が一度だけ東京にきてはとバスに乗って観光した話。
・・・いつしかぼくは沖縄に行ってみようと思ったのでした。
2ヶ月か3ヶ月くらいしたころ、自分は沖縄に行きたいって言うと
りかはとても喜んでくれました。
沖縄本島で泳ぐにはギリギリな10月のはじめだったと思います。
東京のおみやげを買って行こうか?と言ったら
きてくれるだけでとってもうれしいって彼女は言ったのでした。
- 9 :
- 生まれて初めて自分で旅行会社のパンフレットを調べ
単身でも行かれる沖縄ツアーを見つけました。
2泊3日で6万円以上して今ならちょっと高めと思うけど
早割などもなかった時代、当時ではまあまあだったと思います。
生まれて初めて、ひとりで飛行機に乗っていくと
今はなくなってしまった昔の那覇空港のターミナルでりかは待っていました。
写真も何もなくてぶっつけで行ったのでした。
おそるおそるだったけど、やっぱりちゃんとわかりました。
彼女は愛車の黒いギャランで沖縄を案内してくれました。
外を照らす光の強さや、街の建物の作りが違うことに
大きなカルチャーショックを受けました。
はじめてきたのにとっても懐かしい沖縄の町並み。
初日はひめゆりの塔から玉泉洞、
そしてその夜は沖縄都ホテルの回転レストランでディナーをご馳走してくれました。
彼女の友達がそこでアルバイトをしていて、サービスしてくれました。
きっと彼女もかなり期待して、いろいろ考えて待っていてくれたのだと思います。
当時、まだうぶだったぼくはそんな好意に器用に応えて上げられなかったのかなあ
って今なら思います。
そのころはまだ見ない遠くのメールフレンドを
みんな憧れの気持ちで待っていたんだなあって思います。
- 10 :
- そして翌日、高速道路を一路飛ばして海洋博公園、
そして彼女が生まれ育った名護の町を見下ろす展望台にのぼり
万座毛などを見ながら、58号線を南へ。
メールで話したいた嘉手納基地を見下ろすお店で飲茶をいただいたのでした。
今思えばかなりの強行軍で、きっと彼女は自分が憧れていた
デートコースを全部回ってくれたんだなって思います。
途中、旅と緊張の疲れで帰り道うとうとしてしまった自分を見て
彼女はきっと失望してしまったんじゃないかなあ、なんて思います。
彼女もずっと運転して疲れていたし、がっかりしているオーラがぼくにも伝わってきて
ぼくもまたどうしたらいいかわからなくなってしまったのでした。
那覇に戻り、彼女の友達と合流して今はなくなってしまったバイパス沿いの
ちょっと高級な居酒屋さんで沖縄料理をいただきました。
そしてカラオケ。「島唄」や「安里屋ゆんた」を聞かせてくれたと思います。
そしてちょっと酔ってしまったぼくはホテルに送られて、
彼女は部屋のテレビにメッセージを送ってくれたのでした。
「気にしなくていいよ」って。
最後の日、彼女とはもう合わなかったと思います。
彼女が教えてくれたショッピングセンターで買い物。
国際通りをぶらついたあと、ひとりで帰りの飛行機に乗り込みました。
彼女の気持ちに応えられなかったあの日の自分。
幻想に恋していたぼくたちは会えば、傷つく運命だったのかもしれないです。
その後、ぼくがりかと再会することはついになかったのです。
でも沖縄の美しい風景とやさしかった女の子の記憶は残りました。
そのことが、後にぼくの人生の新しい転機につながっていくのでした。
- 11 :
- 最近の激動の日々の話。
今日は事故った。
会社から車で出て、右にまがったとたん、信号無視のトラックに突っ込まれて接触。
向こうのおっさんはそっちが悪いと言い張っていたが無視。
ちょうど警官が見ていて、物損事故。
たぶん7:3か8:2。
あとは保険会社にお任せ。
首が少し違和感あるけどまあ平気でしょう。
別に自分は死んでも構わなかったのに、運だけはやたら強い。
おかしいのがそのへこんだ車を修理屋にもっていくまでの
ほんの200メートルばかりの道で止まっていたぼくの車に
目に障害のある老人が接触。ひとしきり文句言っていた。
自分は本当に終わっているなとひしひし感じた。
昨日はアマ名人戦の都大会。
予選でベテラン強豪滝源太さんにいい内容で勝ち。
そしたら抽選のいたずらであろうことか研究会仲間の知花くんと対戦になる。
彼は沖縄から出てきた子でメシをおごってやったりちょっと面倒見たことがある。
負けたことはなかったが味が悪くて嫌だった。
内容はまあまあだったのに、最終盤で1手パスの自滅手を放って敗れる。
自分で「ああ、そのうちやると思ったよ」と思っていたような自滅。
普通の手で勝てるのに。
そのあと道場に行って、閉店まで将棋を指し、
その後友達と食事して帰る。
- 12 :
- おととい。
会社の宴会に無断欠席したことで社長から叱責。
始末書を書けとのこと。
期限は来週まで出、書かないと首になるそうな。
その夜、大雨の降りしきる中、大好きな彼女のところへ。
彼女はくみと言って、22歳の芸大の学生さん。
クラリネットを吹きのたまご。
ぼくの片割れを探し続けた10年間の最後のひとりになるべきだった人。
人を好きになったこともあったし、人に惚れられたこともあった。
子どもを産んでくれた人も2人いた。
結婚した人も同棲した人もいた。
どの人もそれぞれにすてきだったけど
でも相思相愛になれたって感じられたのはこの人だけだった。
くみのことはまたおいおい書いていくと思う。
ぼくがこのブログを書き始めたのも、
また新たにメールで探しをすることになったのも
この人とうまくいかない中で、見失ってしまった自分の居場所
自分の人生、やすらぎ、小さな幸せを見つけるため。
彼女の部屋の前でビール、日本酒、芋焼酎を飲みながら彼女を待つ。
会ってどうするの?
わからなかった。
でも他に行くところがなかった。
将棋道場では友達が待っているのも知っていた。
実家に帰れば母親が迎えてくれるのも知っていた。
ばあちゃんのところにいけば・・・
だけど、ぼくが心を寄せることができるのは彼女のところだけだった。
彼女の部屋で待つこと4時間。
ついに会えなかった。
あきらめて、帰る。
会えなくても彼女のことを近くに感じて、思うことができた。
ぼくなりにがんばって生きていると思う。
そんなここ数日でした。
- 13 :
- 昨日から今日にかけての雑記。
昨日は事故ったりしたこともあって、気分落ち着かず。
仕事が終わった後、例によってくみのところに行ってしまった。
でもくみはうちにいる気配なし。
んで、彼女の通う大学にいってみる。
上野の芸大は今日も芸術な雰囲気があふれていてすてき。
すれ違う男子学生が、オペラの曲を鼻歌で歌っていたり
マジ声で歌いながらあるく学生もいる。
もちろん普通にダベってる学生さんたちもすてきだし、
練習室を見てまわると、真剣に練習している学生たちもたくさんいて
あちらこちらから音楽の響き。
うーん、今日もすてき・・・・
「のだめカンタービレ」そのままの世界やんか。
こんな世界にくみはずっといて、自分の才能の狭間と進路、親のことなんて
悩んだりしながら学生生活を送ったんだなーって思ったりした。
ぼくもこんな世界に溶け込めたらなあって思った。
まあぼくはぼくで、大学にもいかしてもらったし
将棋の世界でも仲間と楽しみながら切磋琢磨させてもらったから
そういう意味では似たようなことさせてもらったし
でもなんかなくしてしまった懐かしいものがここにはたくさんあるなって思った。
でもついにくみを発見することはできなかった。
歌の試験の順番にもくみの名前はなくて、出ないことが判明。
うちに帰る気分にもなれず、実家に行く途中、モモさんからメールが。
モモさんはここ1ヶ月くらいメール交換した30歳の女性。
なんと「給食のおばさん」をやっている。
メールは苦手っぽくてあまり書いてくれないが
そういう人はけっこういるので、続いているならそんなに気にしない。
8月に会おうという方向で話していたのだけど
せっかくこんなときにメールをくれたので思い切って
「今日これから会えない??」と聞いてみると案外OK。
仕事で失敗したこととか書いたので、ちょっと心配してくれたのかも。
- 14 :
- 車を30分ほど飛ばして、八潮まで。
プロフィールにはぽっちゃりと書いてあったけど、まあ正直「デブ」の系統。
70キロ近くあるんじゃないかなって思った。
でも顔はかわいらしい感じで、やさしい目をしていたし、話し方もいい感じで
別に嫌いなタイプじゃないって思った。
ただ、特別にひかれた部分がなかったこともたしかかな・・・
自分の身も考えずにこんなこと言うのももうしわけないけど。
モモさんと別れた後、再度上野に向かってくみのうちの様子をうかがってしまった。
いる気配なし。彼女はもうここにはこないのかな。。。
今日。
今日はお休み。くみの歌の試験があれば聞きたいと思ってあけてあった。
でもくみは試験にはでない。。。
うちからでる気にもなれず、ビデオをまとめてみる。
「ER」からはじまって「行列のできる法律相談所」
「NHK将棋講座」「エンタの神様」など次々。
このところの過食傾向はおさまらず、朝にスパ王たらスパとピザ。
ピザは冷凍ものに、少しトッピングを加えてトースターで焼く。
昼はカップめんと枝豆。太るばかり。
性欲過剰傾向もおさまらず。ネットをみたり、くみのことを考えながら3回する。
部屋の掃除や洗濯までする気力がわかず、放置。
眠くなって2時間ほど昼寝。
今日これからどうしようかということと、今後のことなど考えて
インターネットをいろいろ見ていたらカウンセリングの会社を発見。
大阪のほうの会社だがわりと良心的な感じのところで
しかも初回は無料ということでちょっと悩んだが電話してみた。
そうしたら、即日カウンセリングの予約をいれてくれた。
何かきっかけが見つかったというだけで少し気持ちが明るくなり洗濯に挑戦。
ゴミの片付けも少しだけやった。
スーパーに買出しに行き、タイムサービス1個100円のキャベツ(安!)をゲット。
豚肉も半額シールのを仕入れて、焼きそばを作る。
野菜、肉たっぷりで超ウマ!
しかし、過食傾向は相変わらず。
ほかに楽しいこともないからね。。。
カウンセラーさんはだめもとだったが、すごく親身になって聞いてくれてびっくり。
大阪弁のやさしいイントネーションで、プロはやっぱりすごいと思った。
くみのこと、仕事のことなどいろいろ話て、正直、少し楽になった気がする。
ちょっと不思議。
今度は有料だけど、この人とまた話してみたい気もした。
この人が最後にくれたアドバイスが
「彼女との良かったことを、出さない手紙に書いてまとめていくといいよ」
とのことで、手紙ではないけれども、このブログでいろいろ書ければと思った。
10年前からの話とも平行しながら、いまのこと、
くみとのこともいろいろ書いていければいいんじゃないかなって思う。
- 15 :
- なんだこの糞スレと思ったらこれか。はしょーがねえな。
【】元県代表山田茂樹、人未遂で逮捕3局目
1 :名無し名人:2008/08/28(木) 21:10:36 ID:TY8csFrJ
事件・事故:交際女性を刺した男を人未遂容疑で現行犯逮捕 /広島
広署は7日、東京都江戸川区、アルバイトの山田茂樹容疑者(35)を人未遂容疑で現行犯逮捕した。
山田容疑者は同日午後6時半ごろ、呉市川尻町のマンション前路上で、交際中の同町の女性会社員(25)
の右肩などをいきなり所持していた文化包丁で数回切りつけ、約3カ月の重傷を負わせた疑い。
山田容疑者自らが「人を刺した」と110番通報し、駆けつけた署員に逮捕された。
毎日新聞 2008年8月9日 地方版
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20080809ddlk34040614000c.html
- 16 :
- こいつのブログは将棋板じゃ事件の前から有名だったんだよなぁ
みんないつか捕まるとは思っていたんだよ
- 17 :
- 再び10年前の世界に戻っていこうと思う。
次のヒロインは特別な女の子。
なぜかといえば、ぼくが初体験をした女の子だからだ。
名前はゆみと言った。
雪深い新潟の山の中から都会を夢見てメールをくれた女の子。
その日は1996年の元日。
ぼくは今年こそすばらしい一年にしよう、と心に誓っていたと思う。
当時は実家に住み、将棋連盟でアルバイトをしながら
将棋の修行を続けていたが、レベルの高い関東のほうでは県代表にまだ遠く
このまま続けて行くことがいいことなのか迷っている時期だった。
それにまだ一度も女の子と恋愛をしたことがなかったので
すてきな恋愛をして、初体験を果たすことは人生の大きな目標になっていた。
沖縄のりかとは、会った後メールは途絶えてしまっていて
彼女が好きという気持ちはあったけれども
もう仕方がないことという感じもあった。
新しい見つけて運命を切り開きたいという気持ちで
「新しい一年に、新しいお友達を見つけたいです」
というタイトルで掲示を例のニフティ掲示板に出したのだった。
一人の女の子がそれに応じてくれた。
新潟の魚沼というところに住んでいる同じ歳(23歳)の女の子。
その子もまた自分の運命を切り開きたい、運命を変えたいって
強く願っている女の子なのでした。
ぼくもそうだけど、自分の力に自信のない人は
みんなによって運命が変わってほしいと思っている。
女性がすてきな王子様とのを願い、
ぼくはすてきなお姫様が自分を助けてくれると信じていた。
もちろん助けてくれるというのは主に精神的な意味だけど。
ある意味では他力本願だし、人生の問題に対する逃げなのかもしれないけど
すてきなが運命を変えてくれるという願いは
誰しもある程度もっているんじゃないだろうか。
- 18 :
- ゆみという女の子は農協で事務員をしている女の子だった。
平凡な毎日。お正月のころには雪に閉ざされる魚沼の盆地に住んでいた。
日本一のお米が取れるその地域はたんぼだらけで
きっとなんて全然なかったんだと思う。
それに彼女は血小板減少性紫斑病という血液の治らない病気を抱えていて、
薬が手放せなかった。
何か自分の運命から開放されたかったんだろうなって思う。
メールで知り合った2,3日後電話で話したりもした。
お互いのことをメールでたくさん話して、彼女とはチャットもやるようなった。
東京と新潟で電話代が高かったので、チャットのほうが安かったのだ。
でもチャットだって、1分10円のニフティ接続料のほか
電話代も別途掛かる時代だったのだから今から思えば、決して安くはなかった。
でも少しでも話がしたくて、いつも何時間も話をしていた。
最初はふとしたことで、ちょっとHな話がはじまり、
お互いの体のこととか、Hな経験のことを話すようになった。
ぼくも彼女も未経験だった。
チャットでHをするようになった。
「ぬれてきたよ」とか「今、入っていくね」とかタイプしながら。
しながらぼくはいっていたし、彼女もきっとそうだったと思う。
元旦に出会った彼女とは2月についに合うことになった。
新幹線にのって彼女はやってきてくれた。
写真も交換しないであったけど、色の白い女の子だった。
彼女はあまり自信なかったようだし、世間的な意味で美人ではなかったのだろうけど
ぼくはけっこう好きな顔だった。普通にかわいいなって思えた。
ディズニーランドに行き、ホーンテッドマンションの中で始めてキスをした。
実は女の子とのファーストキスだったかもしれない。
エレクトロリカルパレードの電飾を見ながら何もいわずに手をつないだ。
パレードを写真に撮ろうとしたら、彼女は「いいの、心にやきつけるから」って言った。
その夜、松戸のテルで初体験をした。
今なら、せっかく東京に来てくれたのだから、
ちゃんといいホテルを取ってあげればよかったと思うのだけど
当時はそんなところまで気が回らなかった。
でもホテルの大きなベッドで何もわからないまま、
彼女の体にキスしまくって、体を触り続けた。
彼女はすごく敏感で、すごくぬれる女の子だったし、声もとても大きかった。
そのときは初めてだったから、それが普通だと思っていたけどね。
- 19 :
- お互い初めてだったからなかなか上手にすることができなかった。
でも彼女は「あせらなくても大丈夫」ってやさしくしてくれた。
それで、ようやく結ばれることができた。
あまりにも興奮したせいか、天井がぐるぐる回っているみたいな錯覚にとらわれた。
一緒のお布団でそのまま寝て、朝もまた抱き合った。
そして、ぼくの故郷を案内したり、柴又の帝釈様をみたりして
あっという間に帰る時間がきた。
再開を誓って、彼女は新幹線に乗った。
二人で泣いてしまった。
ぼくはこの年の4月に東京を離れ沖縄に進学することにしたのだけど
もし、進学しないで、仕事して稼げるようになれば結婚という話に
なったのかもしれないなって思う。
でも当時のぼくはまだあまりにも幼くて、
将棋も続けたかったし大学にも行ってみたかった。
ぼくが沖縄に行くことをつげたときに、
ゆみの悲しそうな感じは覚えている。
ゆみとのことはもう少し書くことがあるのだけど、
それはまたの機会にしようと思う。
ゆみとはもう5年以上あっていない。
今はどうしているのだろう。
地震の被害を受けてないだろうか?
新潟の地震のとき、この人の名前をテレビで探したものだった。
どうか、幸せになっていてほしい。
元気でいてほしい。
ぼくが初めてつきあったと言える女の子だと思う。
それはネットで出会った遠距離の恋。
ぼくのことを生まれて初めて男性として愛してくれた女の子。
ぼくに抱かれてくれた女の子。
大好きだったゆみ。
- 20 :
- 連休ということもあって、いろいろ忙しく、また思うこともあって更新が遅れていた。
また少しづつ書いていきたいと思っている。
さて、ここ10年ぐらいでのメールでの環境についての話をしよう。
ぼくがメールはじめた10年前はメル友という言葉はまだなかった。
携帯電話はまだ一般的ではなくポケットベルが全盛を迎えようとしていた。
そのころメールでのを描いた映画があった。
「ハル」という映画で森田芳光監督作品で深津絵里さんらが出演していた。
この手の映画ではメグライアン主演の「ユーガットメール」が有名だが
それよりも前の映画である。
この映画ではニフティとおぼしきパソコン通信で知り合った二人が
出会うまでの紆余曲折が描かれ、最後に東京駅で目印のフロッピーディスクを
手にして実際に会ったところで映画は終わる。
当時は、やはり見知らぬ遠いところのというものに憧れがあった。
それに今のように誰もがパソコンを使う時代ではなかったから
ネットでのの世界に住んでいる人もわりと知的レベルが高いというか
コンピュータの世界に興味を持っている人が多かったように思う。
- 21 :
- その後インターネットと携帯電話の急速な普及に伴っての環境も
すっかり変わっていった。
メル友という言葉ができ、ついで系という言葉ができた。
パソコンは普通の人が誰でも使う、普通の道具になった。
携帯電話のメールのユーザーとして従来パソコンでの世界にはほとんどいなかった
女子高生や社会のアウトサイドに住んでいる人間たちが大勢流れ込んできた。
普通の人の大量の流入と、またニートや2ちゃんねらーのような
ネットの世界だけの住人が現れ始めた。
結果、系に伴う事件や、という名のが横行した。
あるいはいかがわしい系業者が詐欺や迷惑メールを乱発した。
ネットでのそのものが危険やいかがわしさを感じさせるものになっていった。
ネットでのは憧れ、というよりも、むしろもてない人のための最後の手段、
といったイメージさえ感じられるようになってきた。
実際、自分があってきた中でも世間的に美人だとかかわいいとかいえる人は
少なかったんではないかと思う。
まあしかし、それは男性の側も同じことで、
自分も容姿ではがっかりさせたことも何度もあると思うし、
美人や美男子はもともと世間にそんなに多くないのだ。
でも美人でなくても、魅力的な人はたくさんいるし、
広い範囲の異性を対象に容姿以外の面から話ができるメールは
自分にとってはやはり貴重なの場だと思っている。
- 22 :
- ネット環境もパソコン通信がインターネットにとってかわられる中で
匿名性というものが重視されるようになってきた。
本名を知らないままに会う、住所はもちろん教えない。
正直、昔の夢があった時代を知っているものからするとさびしい時代になった。
現在、インターネットの系サイトと呼ばれるサイトは数百、あるいは数千近くあるようだが
実際に出会えるという意味で機能しているものは10に満たないのではないだろうか?
いろいろながあっていいとぼくは思っている。
いかがわしさや、危険もあっていいと思うし、だからこそ夢も希望もあるわけだし。
何でも規制してほしくはないと思う。
しかし、規制のない世界はいずれ荒れ果ててしまうというのも人間の本性を垣間見るようだ。
自分ももうメールでのを終わりにしたいと考えていた。
年齢的にも上記の理由によってもネットによるは難しくなってきていると思っていたからだ。
だから「くみ」とであったとき、この人を最後にしよう!って心から思えた。
他の方とのメールを全て断って、新たにメールを出すことも、もうやめた。
しかし、またこの世界に戻ってきてしまった。そして今もこの世界に住んでいる。
- 23 :
- 自分は今は身分証明書などの提示が義務付けられている有料サイトで主に活動している。
そういうところでないと普通の女性、というのはまずいなくなってしまったからだ。
自分自身の年齢が上がってきたこともあって、
近い年代の女性は恋愛と結婚をあわせて考えている人が多いし
自分自身も結婚ということを意識した交際を考えている。
心から好きだと思える女性と一生かけた恋愛をしたいと思っているし
それが結婚という形をとるのでもいいのではないか、と思い始めている。
今一度、この人こそ!と思える人と出会えるのだろうか?
今も思い続けている「くみ」のことが忘れられるようなを見つけられるのだろうか?
運命を変えるかもしれないメールをもらうために、今もメールを出し続けている。
- 24 :
-
___
/ \ な!なに急に開けてんだお!!
/ ─ ─\ 部屋に入る時はノックくらいしろお!!
/ ( ○)三(○)\
| /// (__人_.) | .____
\ |r┬| / |\ ‐==‐ \
/ ヽノ ⌒`ヽ<´ \| ̄ ̄ ̄ ̄|
/ | \___)⌒ \  ̄ ̄ ̄ ̄
` ̄\ \ ,,,, \
\ /\\ \__
ゝ,,,__、___/ ヽーヽ___)
- 25 :11/05/12
- ‖
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/ `ヽ‖
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