2011年10月1期大河ドラマ    郷士差別の真相 NHKの大嘘     TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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    郷士差別の真相 NHKの大嘘    


1 :10/03/10 〜 最終レス :11/04/04
土佐藩が一番郷士差別が酷かったと誤解されるかもしれませんが、
実際はそうではありません。土佐藩は、「政治は土佐」と司馬遼太郎が書いたように暗君が一人もおらず、
大庄屋の家系の中岡慎太郎、豪商才谷屋の家系の坂本竜馬、豪農の家系の武市半平太のように、
尊皇攘夷派の土佐郷士の中核はほとんど元平民であり、農民や商人(平民)が郷士株を買って
武士になっても比較的とがめることはしませんでした。
それなので、平民が結構な割合で進出してきていたので、郷士差別というよりは
「元からの名門武士VS平民」という構図が近いです。
それに比べて日本で一番郷士差別が酷かったのは、薩摩藩です。
大半の郷士は無高で「無高郷士」と呼ばれていました。これらの郷士は、藩に許可されていた大工や内職で
生計を立て、中には武士身分のままで上級郷士の小作人になる者もいたもいたそうです。えらい違いでしょ。

2 :
暴君がいないといわれた土佐藩と比較して、このような差別の土壌となった元凶を紹介しましょう。
「DQN四天王」でググったら分かる人ですが、薩摩藩の初代藩主は島津忠恒という人です。
具体的に何をした人かといえば、「家康好きな人で仲良くなるために親豊臣派の伊集院忠棟を丸腰で呼び出して害」
「兄の復習で謀反を起こした伊集院忠真に、待遇を保障しておきながら鷹狩に誘って害。言い訳をする」
「忠真の弟と忠棟の母や幼い兄弟をどさくさに紛れて害。言い訳をする」
「お気に入りの師範に勝った東郷重位に腹を立て刀を奪った後に害しようとして扇子で返り討ちをくらい腕を負傷」
「自分のお気に入りの陶器が壊れていたので家臣をそうと狙う」
「義久派が強くて自分に分が悪かったので平田晴宗を害」
「嫌いで鹿児島上から追放した前妻の亀寿の資金源を遮断、死にかけまで追い込む」
「主君であることを良いことに家臣に嫁と離縁させて自分の娘と結婚させる」
「政治に無関心だったので、薩摩藩は財政が悪化し、二代光久の代で家老・島津久通が金山を開発しようとするなど苦心」
「朝鮮征伐では、一週間のほとんどを蹴鞠に費やし、朝鮮人の捕虜に逃げられ笑いものにされる」などなど、
山内一豊の相撲の行為は、豊臣秀吉など他にも似たような行動をとっている将がいて、
ある意味戦略上の行為ではありましたが、島津忠恒の度が過ぎる非道に及ぶものではありません。
また山内容堂が郷士を差別していたとありますが、そんな書状は一切見つかっていません。
NHKは、なぜ左翼の味方をしたり真実を報じないんでしょうか?
NHKはちゃんと解説として真実も報道すべきですよ。

3 :
DQN四天王・・・

4 :
乙女ねーやんが活き活きしてるからね。土佐は。
女を家畜同然に扱う当時の薩摩じゃありえんことだ

5 :
あれ?朝鮮で日本軍を救ったのは島津軍ではありませんでしたか。
薩摩と土佐の違いは敗者に対する態度に出ていませんか。
維新でもおおむね薩摩は優しく土佐は厳しかった。
このため土佐は旧幕府方からずいぶん蔑まされたとか言われているようですが。

6 :
島津忠恒を調べてみたけど
確かに暴君かもしれないけど、暗君では無いみたいだ

7 :
>>5
どうしてそんな嘘をつくんです?
じゃあ、逆に問いますが、「大鳥圭介伝」において、山崎さんが、
当時新政府軍の土佐藩の藩軍大司令官・板垣退助にインタビューをしていますが、
そこには「藩士授産のために斗南藩士たちに下賜金を世話した」話が出ていますが、
これが幕臣に対する厳しい処置なんですか?
また、板垣が創設して土佐藩士が多かった自由党でも幕臣を快く迎え入れています。
近代日本の政党と社会の「植木枝盛と自由党結成旧幕臣の政党活動」などをよく見るとわかります。
幕臣に気を使って日光東照宮にいる大鳥圭介ら旧幕臣を救い出したのも板垣の配慮ですよ。
それに私は会津での蛮行が会ったとは思いませんが、薩長だけ批判されて土佐が批判されていません。
当時の会津戦争の官軍総司令官は板垣退助で、佐幕派でもなく官軍に自主参加した人ですから、
批判があっても当然ですが、なぜ批判されていないか。
その答えは上記の「貧しくなった斗南藩士たちに下賜金を世話」の話などに出ています。
対する薩摩藩はどうですか?幕府側に厳しい要求をし、
江戸で罪もない人々をしまわったり、強盗・強姦・放火・暴行したのは厳しいを通り越して非道な処置ですよね?
長州藩は禁門の変で単独で兵を挙げて敵と戦いましたが、犯罪行為は一切しませんでしたが?

8 :
>>6
確かに暗君というのは頭が悪い君主を指すので違うと思います。
ですが、「政治に無関心だったので、薩摩藩は財政が悪化し、
二代光久の代で家老・島津久通が金山を開発しようとするなど苦心」したことに
焦点を当てても失政をしたことはぬぐえないでしょうね。
多少の出費はあったと思いますが、減封されず現状維持の石高だったわけですし。

9 :
郷士差別かどうかは知らんが、
薩摩が下級武士や農民、縦社会の規律に厳しかったのはわかる。
琉球とか、財政の為に子の間引きを藩政としたりとかねぇ。
人と思わないところがあるようだ。
ゆえに、その部分は無視するであろう篤姫は見れなかった。
ドラマでもある程度は入れて欲しいが、厳しくは言わん。
しかし、それが情報でも公平性を欠く一方的偏重となってる点は、
放送協会としてあるべき姿ではあるまい。

10 :
>>8
政治に無関心って具体的な事例を挙げて貰わないと
>>7
土佐の岩村精一郎は中立和平の長岡藩の河井継之介を追い返し
長州の世良修蔵は会津に対して強硬姿勢で、結局捕されて北越戦争の発端となったじゃないか
薩摩にも黒田清隆が榎本武揚の助命嘆願したとか、西郷隆盛が庄内藩に寛大な処置をしたとか良いことをした人はいる
薩摩・長州・土佐、どこも善行・悪行どっちもあるんだよ
禁門の変で京都は27000世帯が消失する大惨事です

11 :
岩村精一郎だけをあげつらって土佐藩の総論とするのはどういう了見でしょうか?
長州と土佐を北越戦争の発端としますがじゃあ薩摩藩は強硬姿勢じゃなかったんですか?
薩摩藩は江戸での撹乱に西郷以外にも二人の藩士が主導的にかかわっています
黒田清隆が榎本武明の助命に努めたのに、本当に裏はなかったんですかね?
榎本武明が捨てるには忍びないといって、黒田清隆にオルトランの
「万国海律全書」を送りますが、これは日本に存在する唯一の国際法の
(オランダ語訳の)研究書です。これはとり方によっては賄賂とも取れますよ。
捕縛される前に介錯してもらって自害もできたはずですから。
黒田は「開拓使官有物払下げ事件」で収賄の疑惑があり開拓使長官を辞任しています
この際には土佐の三菱には官有物払い下げを拒否し、肥前藩の大隈の反対もありました。
そして榎本には福沢など多数の人物から助命嘆願の声が上がっており、
人脈の少ない黒田はこれらを味方につけるために助命に走ったと思われる節があります。
まあ少しの良心ぐらいはあったかもしれませんが。
それに黒田は妻しでも有名で、酒乱で酔った勢いで刀を振り回すこともあったそう
ですから不審死の揉み消しがあったと疑われて当然です。人格に疑問が残ります。
薩長土肥で比べて、薩摩藩が非道なのは実例で明らかですよ。
なぜ必死にかばおうとするのですか?関係者の方なんですかね?
政治に無関心なのは政治に我れ関せずなことをいうのですよ。
何もしていないのに実例をあげる必要がありますかね?

12 :
それに、禁門の変で京都は27000世帯が消失する大惨事になったのは「不可抗力」で、
薩摩藩が江戸で強盗・強姦・放火・暴行を行ったのは周到な計画の下に行われた「故意」
によるものです。これは天と地ほどの差がありますよ

13 :
また薩摩藩は奄美の人や郷士だけではなく百姓にも厳しくて
全国でも稀な「八公二民(一部では九公一民とも)」という重税を強いています。
これは薩摩藩郷士にも同じ税率で行われました。
仕組みとしては、
薩摩藩郷士は、正租は籾高1石(実際は9斗6升といわれる)から玄米3斗5升と
賦課税合わせて4斗(籾高換算では8斗)近くを納めたので八公二民に、
島津領に対する徳川幕府の所領安堵は最初(1617)で薩摩31万5千石、
大隈17万石、日向諸県12万石合わせて60万5千石です(1634{寛永
11}琉球高12万37百石が加わる)
薩摩の石高は籾高(籾高〜玄米高の違いは、殻付き落花生と殻無し落花生の
違いで量目が二分の一ほどになる)で表示されていた(幕府の夫役などは
1万石につき何名と指図されるので石高表示が多いほど人数が多く集められる)
玄米高では30万3千石の島津領での年貢は籾高1石につき玄米高定租3斗5升。
賦課税が役米3升、口米7合、賦米1升1合の計3斗9升8合を納めた。
籾高ではおよそ8斗に当り、籾高1石で8斗が租税負担であったので八公二民になります。
(役米:参勤交代費用、口米:領主へ進物代、賦米:諸々修理費等)

14 :
「八公二民」というのは百姓の収入の80%が税金でとられ、
収入が20%だということです。もちろんその80%の中には、
肥料や農具や土地代などの諸経費は含まれておらず、
全て百姓側の負担なので手取りなんてあってないようなものでした。
因みに幕府の天領の年貢は「四公六民」です。後にあがって「五公五民」となります。

15 :
たかがドラマで大嘘とかw

16 :
上士と郷士の差別と郷士と平民の差別は別でしょう?
土佐郷士に参政権は無く、郷士の武市が上士に取り立てられ藩政を動かせたのは異例だし。
上士は土佐に移住した山内系で、郷士はもともと地元の長宗我部系。
郷士の中核のほとんどが元平民としてるけど、長宗我部家は信長・秀吉以降の兵農分離と違い農民でも志願で合戦に参加できる一領具足国制度を採っていた。
男子なら家臣が居なくても、一人で合戦志願し参加でき功を立てる事もできた。
長宗我部家は四国全土合わせたとしても100万石にすら満たないのに、秀吉の四国討伐の際には4万近い兵を動員して戦ってる。
その為、長宗我部侍は武士と平民の身分の境目が元々薄く、土佐では農民も長宗我部侍だったわけで。
だから土佐郷士は元々平等意識が非常に強い。

17 :
フィクションと史実の区別が付かない人ってw

18 :
確かにドラマ鵜呑みにするアホ視聴者は誤解するだろうなw
結構いたりするんだこれが

19 :
>>16
これまた変わったことをおっしゃられましたが、
そもそも武市に害された、上士・吉田東洋は長宗我部の重臣の吉田重俊の末裔ですよ。
上士・後藤象二郎もその遠戚ですよ。
その上、一両具足は半農半兵で平民ではないし、長宗我部内でも正式の武士として
扱われてないから、具足を一両しか持たないのでしょうが。
しかも、この中で大部分の長宗我部の正規の武士は吉田家のように山内氏に仕えて
上士になりましたよ。浦戸一揆などでも一両具足の反乱と書いてあります。
それは元から長宗我部家に差別があったことを表すことに他なりません。
それに盛親に土佐半国を与えろと無茶苦茶な要求をして謀反を起こしたのですから、
子孫がある程度の責任を背負わされても当然ですが、薩摩藩島津氏は古代からの土着の
大名ですよね?そこが差別の土壌なのは余りにも不自然で弁解の余地はないでしょう。
それに身分制度も元も子もなくなるから、郷士が上士になるのは珍しいことですが、
大して功績のなかった岩崎弥太郎も1867年11月28日に上士に昇格しています。
それに吉田東洋は当時では画期的な「身分を問わない学習塾」の少林塾を開設していますし、
漁民のジョン万次郎を土佐藩士に取り立ててますし、被差別者とはほど遠い寛容な人物
ですよ。
>>15
たかがドラマでも影響力がありますし、このこと以外にもNHKが作ると
ストーリー的にも無茶苦茶なことが多いので声をあげておかないと、
新たな差別を生むことになったり、勘違いする人か出てくるからですよ。

20 :
×被差別者
○差別主義者

21 :
また山内容堂公が下士が嫌いというのはおかしな話です。
ペリー来航時はまだ27歳なのに近藤さんの配役はミスキャスト。
他藩との付き合いでも四賢候と慶喜以外は、殆ど郷士でとかです。
武市にもたびたび城に呼び出して話を聞いたりしていますし、
武市の処刑は参政・吉田東洋の害が契機ですから、自業自得ともいえます。
岡田に口を割るなよと毒しようとするということは、主犯であることを、
自認している裏返しでもありますしね。
大藩の殿様だったから上級武士としか付き合う機会がなかったのと
下士が嫌いなのはまったく別問題でしょう。

22 :
軍用金の徴発とか焼き討ちとか倒幕・佐幕派問わずやってる

23 :
尊皇攘夷は上士下士入り乱れてのブームだったのに
龍馬伝は上士が公武合体、下士が尊皇攘夷と住み分けするんだろうか・・・

24 :
>>2
> NHKは、なぜ左翼の味方をしたり真実を報じないんでしょうか?
ここ飛躍があってよく分からんのだが、左翼の味方ってどの場面がそれに相当するの?

25 :
>>19
一領具足は上士待遇で軍議にも参加でき、功次第で城持ちにもなれた。
具足が無いのは、知行持ち=(家臣持ち)で無くても身一つで参加できたから。
武士が特権階級となったのも兵役負担は武士だけが負ってたからで、長宗我部家は国民軍に近い形成を取ってる。
近代に入ってから、国民全体が兵役負担を持つ国民国家が形成されると、武士の特権や身分制がなくなったのと同じ。
土佐の郷士の同格、平等意識が強かったのもその為。
それに山内は土佐に入国する前、家臣団をほとんど大阪で募っていて長宗我部系の吉田東洋の祖先は異例。
長宗我部侍を散々弾圧したがそれでも収まらないから、知行と参政権は無いが名字帯刀は許す郷士制度を作っただけ。
>>21
武市は上士格に取り立てられたし、武市の罪名は主君に対する不敬罪で、東洋暗はなんら証拠も確証も掴めてない。
容堂が他藩士に寛容だったのと土佐郷士(長宗我部侍)に寛容だったのかはまったく別の話しだし。

26 :
>それに黒田は妻しでも有名で
これは当時のマスコミの書いた確証の無い俗説。
裏には彼を追い落とそうとする長州閥の影もあった可能性あり
>薩摩藩が江戸で強盗・強姦・放火・暴行を行ったのは周到な計画の下に行われた「故意」
大政奉還時も佐幕派が圧倒的多数の薩摩本国、場合によっちゃ兵力が十分に集まり切らず倒幕中止ということもありえました。
だから、西郷は益満に関東撹乱の抑制を促しています。
でもタイムラグか、雇われ工作隊が先走って江戸市中にはその被害が出ました。
江戸を落すや、その事実を知った西郷はある程度カタがつくと
騒乱の責任を取る形で早々に鹿児島に帰っています。
>長崎範一 ◆Esa.K.P.JroJ
薩摩に悪役の先入観ありきで語ってる感強いっすね
どうせ西郷が薩摩に引いたのも大村益次郎の台頭で、っとか言うんでしょ

27 :
幕末土佐の上士好きだから、気持ちはわからんでもないけど
ドラマはドラマとして楽しんだ方がいいよ
土佐持ち上げるために薩摩を貶めてるのは
ドラマで郷士ageのために上士sageしてるのと一緒

28 :
>>25
だからなぜそうやって嘘をつくのですか?
揚げ足が取れそうなところは反論して、反証できそうにないところは放置ですか?
また一領具足は具足がないんじゃなくて具足が一揃いしかないから一領具足というんですよ。
>それに山内は土佐に入国する前、家臣団をほとんど大阪で募っていて
長宗我部系の吉田東洋の祖先は異例。
資料も調べないでよくでたらめなことが言えますね。
だから私がちゃんと資料を出して返答しているところの反証をしてくださいよ。
まず、この部分に関して言えば、光吉治重の子も山内氏に仕えていますし、
武藤四郎兵衛の次男の忠左衛門宗利も山内家に200石で仕官していますし、
吉田家の例が異例ということはありません。
>武市は上士格に取り立てられたし、武市の罪名は主君に対する不敬罪で、
>東洋暗はなんら証拠も確証も掴めてない。
>容堂が他藩士に寛容だったのと土佐郷士(長宗我部侍)に
>寛容だったのかはまったく別の話しだし。
事なかれ主義ですか?武市が吉田の意見と衝突していたことなどから見て、
どう考えても武市が三名に指令したとしか考えられませんよね?
あなたの主観から言えば、以蔵の毒未遂も他の藩士を守るためとかいいそうですが。
これに関しては、書物で武市が以蔵を被差別地区の貧乏人だと差別してたことが発覚していますよ。

29 :
>>26
私は、薩摩藩の功績は否定するつもりはありませんよ。
大村益次郎もそうですし、小松帯刀など素晴らしい人物もいましたが、
ただ黒田について聞かれたから、信頼のおける品行方正な人物ではないと
お答えしただけです。それに本当に黒田の妻しはゴシップですかね?
他の藩の事を聞かれればそちらを答えたと思います。
後出しにしようと取っていて悪いのですが、黒谷は確証のある事件で、
「開拓長官在任時代、武装商船に乗船したときに、酒に酔って船に
設置されていた備砲で面白半分に岩礁を射撃しようとして誤射し、
住民の少女をめてしまったことがあります。示談金を払って解決していますが」
これも酒に酔っての事件ですが、ならば何故悔い改めて断酒をしなかったのか。
ただ官有物の破格払い下げ事件で十分品行方正とは言いがたいと思いますけどね…。

30 :
それに既成事実として土佐藩よりも薩摩藩の方が郷士差別が酷かったのは確かですよ。
そうであるならば、反論せずに、維新を起こした郷士達を褒めてあげるべきでしょう。

31 :
>>27
というか色分け方がつまらんのよ無個性で
郷士を抑圧するイジメ役でかまわんからネタ要素もってこいと

32 :
>>25
書き忘れてましたが、「軍議にも参加でき、功次第で城持てる」のは
どこの国でもだれでも当然ですよ。逆にエタヒニンなら素性調査されて
仕官を断られるわけではありませんよね?
前田は小姓、秀吉は百姓、蜂須賀に至っては賊です。
それと、長宗我部氏重臣と兵である一領具足の間に本当に軋轢がなかったと思うのですか?
こんな差別的な呼称で関ヶ原後の末路もぜんぜん違うのに。

33 :
愛子さまが集団ストーカーのターゲットにされているのは間違いないでしょう。
http://www.asahi.com/national/update/0305/TKY201003050335.html
>愛子さまを特定のターゲットにした直接的な暴言や暴力は一切ない。
本人だけを攻撃せず、周囲を巻き込んでしまうのが集団ストーカーの特徴。
>廊下で別の教室から急に飛び出してきた2年の男子2人にぶつかりそうになった
これは典型的な「激突キャンペーン」
咳払いなどで与える恐怖感には限界がある。
ぶつかりそうになることによって恐怖感を持たせたり怒らせたりする。
「ぶつかってないんだから悪業にはならない」という幼稚園児レベルの論理。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100305-00000061-mai-soci
>教室でかばんを投げたり、大声を出すことがあった。
「子供に大声を出させる」というのも教団がよく使う手口。これだと苦情を出しにくい。
「信者同士が喧嘩を始める」という手法もよく使う。恐怖感を抱かせるのが目的。
これらは氷山の一角であり、他にも様々な嫌がらせをされているはずです。
集団ストーカーは教団を繁栄させるための行為ではなく
日本人を苦しめるための行為なのです。

34 :
長崎範一age

35 :
黒田だけでなく明治期は品行方正でない人って多かったよね
三菱は後藤象二郎と結託してインサイダーで儲けて、山県は山城屋和助事件起こしたり
井上馨は尾去沢銅山事件を起こしたり、伊藤博文は度が過ぎた女好きのだし
本当に汚い奴等ばかりだwww
綺麗なのは肥前くらいかな?

36 :
> 綺麗なのは肥前くらいかな?
江藤新平などは司法卿として綺麗好きで、高官の汚職追求にめっぽう厳しかった。
でも反動は大きく、政変で追い落とされ捕らえられた挙句に司法手続き抜きで晒し首コース。
こういう荒事になると、土佐の誰彼が絡んでくるのは偶然か必然か。

37 :
追い落としたやつって薩摩の大久保じゃねえか・・・

38 :
ドラマに史実云々は言うまでもないが、
歴史的事実なんて見方でそれぞれ変わるだろう。
現存する資料から再構成できる過去の現象にも限界があるし、
ましてや、その現象をどうよむか素朴実在論的に捉えるのは.....

39 :
明治六年の政変は政府への抗議の意思表明として
それぞれ自分自身の意思で下野したんだろ

40 :
あの殿様の陰湿な目つき、不穏な挙措動作、イチャモンをつけて乱暴狼藉をはたらく上士連中。
ドラマの描写がここまでひどいと、あそこまで土佐は悪くなかった、悔しいのう悔しいのう、NHKは大嘘つきだ、ギャーッ、と抗議する者が出てくるのは当然だ。
しかし土佐を持ち上げようとするあまり薩摩を踏み台にしてよしとする姿勢は病人あるいは幼児のそれでしかないぞ。

41 :
わかった。じゃあここは今日から上士の不当な扱いに悶々とするスレだ

42 :
板垣・後藤はもっと評価されてもいいとは思う
ドラマや小説での扱いは典型的な逆差別だよな

43 :
一番の被害者は平井収二郎だと思う
いちおう上士なハズなんだけど龍馬と仲よかったんだけど
ドラマのはなんだアレ

44 :
山内公と東洋もそうだよ。
東洋は漁師(中浜万次郎)を藩士に取り立てたり、
当時としては珍しい身分隔てなく入れるようにした塾で
下士に勉強を教えてやったりと典型的ないい人。
改革しようと思ってたし、武市をそうなど夢にもおもってなかった人なのに
された。悲劇の人はこの人だよ。
容堂公も、伊達宗城や島津久光のように利益誘導で幕府につく大名が多かった中で、
ただ義理堅く幕府に尽くした忠臣なわけで最後まで幕府を裏切らなかった武士の中の武士。
それだから慶喜も無事で、ガチで戦わなかったから維新後の日本も繁栄したはずなのに。
それに龍馬は容堂に会えない立場なのに、容堂が悪かったとおもうのは完全に捏造。
あくまで土佐の風習をこの人のせいにするのはおかしい。この人自体は他藩だけど郷士大好き。
その後、龍馬が実質的に容堂公と結ぶことになるのにそれにも触れていないし。

45 :
龍馬脱藩を大赦-土佐藩への海援隊帰属化-大政奉還の流れだね。
大政奉還については、賢い殿様だったから象二郎の構想ではないと
気づいてただろうけど、龍馬だと思ってたかは分からないな。

46 :
>>42
板垣は明治の民権運動で日和ったのが激しく評価を下げたと思う。
士族の反乱でもやって死んでれば英雄扱いされてたかもw
土佐は人材としては武市位しかいなかったね。
藩主が中途半端に才覚あったのが人材が出て来れなかった要因だろう。

47 :
>>46
板垣さんについてはよく知らないけど
国会議事堂に伊藤博文と共に銅像になってる人だよね
英雄じゃないだろけど、評価は高いんじゃないの?

48 :
>>47
自由ってことで戦後評価が上がったとおもわれ

49 :
容堂も結局単なる日和見主義で終わっただけだからね。
勤王派が勢いあった時は協調し賢候と言われて喜んで、公武合体が勢いになると武市らを切り捨て弾圧。
思想としては勤王だけど情義では佐幕と、結局混乱だけ引き起こした。
日和見路線は鳥羽伏見の戦いの際も影響して、結局路上で屍をさらした志士は土佐が多いのに、土佐の功績は第三勢力の中途半端な扱い。
藩の滅亡を賭した薩長が明治政府の主流になり、薩長閥が専横したのも仕方の無い事。
>>46
中岡もいた。
板垣も龍馬が生きてたら岩崎みたいな商人なってただろうが、中岡が生きてたら立派に参議が勤まった言った位だからな。
王政復古の功績も坂本じゃなく、中岡じゃないかとか言ってる位だし。

50 :
>>49
何か勘違いしてない?
>勤王派が勢いあった時は協調し賢候と言われて喜んで、
>公武合体が勢いになると武市らを切り捨て弾圧。
この人(容堂公)は常時佐幕だよ。慶喜と徳川家への恩恵に報いるために。
でも本心では尊皇攘夷で幕府を討って新たな秩序を打ち立てなければいけないと
思っていて、酔った時は尊皇攘夷を立派に唱えるが、平常時に戻れば、佐幕を
強固に支持する態度にばかり打って出るから、「酔えば勤皇、醒めれば佐幕」と
揶揄されたんだ。
それに板垣は商人にはならないよ。坂本なら十分ありえるが。
彼は官軍先鋒大将としても会津戦争総司令官としても目覚しい活躍をあげていて、
この頃の純粋な軍功だけを見ると板垣の右に出るものはいない。
司馬は彼を「板垣に文官など務まるはずがなく、軍人以外にどういう仕事も適していない」
といったが、中岡が生きてて土佐閥が何とかなる目算があるんならば、
板垣は軍人になってるだろうと思うぞ。
>>48
出鱈目いうなよ。あの銅像は昭和13年にできたもの。
板垣は政党政治・衆議院の創設者で明治帝が宣旨を下さなかったとはいえ、
与党の党首(現在でいう首相)であったんだから、伊藤博文や大隈重信
と同等に評価されて当然だよ。

51 :
板垣って人は、乃木が間違えて政治家になってしまったような存在なのかな?って思ってしまう
軍人としても、大村益次郎のような戦略家とも思えず
もしも軍人になっていたなら現場で指揮する軍人として、日清戦争や日露戦争にも満州に行ってそう

52 :
乃木は維新期は一兵卒みたいなものだから比較しづらいな、
板垣が維新後軍人畑に進んだとしたら山県辺りの地位を争ったかもね
大村ほどの近代軍の造詣は無かったかもしれないけど
運動家に転身した柔軟さがあったから、それなりに軍の近代化にも適応出来そう
征韓論の口火を切ったほどの好戦家だったから、前線には行ったかもしれないけど

53 :
薩長からは郷士格出身の華族が出たけど土佐郷士で華族になった人いる?

54 :
初代衆議院議長になった中島信行とか男爵いもの川田家とか
あと日露戦争の軍功でなったのも結構いるんじゃね

55 :
田中光顕が伯爵になって色々話も残してるな

56 :
>>5
板垣退助は大鳥を救ったのではなく、単に旧幕軍に日光に居座られると
戦略的地形的に不利だから、日光の僧侶を工作して旧幕軍を追い出しにかかっただけ。
そして、板垣の工作があろうが無かろうが、大鳥は食料が無いため日光から出ざるを得なかった。
日光に残った旧幕側負傷兵は虐されている。
(柴田宜久「明治維新と日光」)
>>11
榎本武揚の自害未遂は丸毛利恒、林タダス、大鳥圭介はじめ多数が書き記している。
榎本、大鳥ら投獄後は木戸孝允ら長州が中心に死罪を強固に主張、
黒田ではなく西郷隆盛が動いて初めて助命が成立した。(大鳥圭介伝)
黒田清隆の妻しはジャーナリストの疑念に過ぎず、証明はされていない。
決め付けることはできない。(井黒弥太郎の各文献)
黒田の酒乱はストレスによるもの。酒さえ飲まなければまともな人格だった。
福沢は榎本の母親からの手紙の代筆をしただけ。助命運動に寄与はしていない。
福沢が榎本に化学本の差し入れをした際、「基本的すぎる。
あれしきの学者の差し入れはこの程度のもの」と嘲笑していた。
(榎本武揚書簡集)
開拓使払い下げの収賄疑惑は、ジャーナリストの捏造。
ttp://irisio.seesaa.net/article/61200946.html

57 :
龍馬伝17.7%↓
最低を争うここも終わりですか。

58 :
やっと「怪物、容堂」の回がめぐってきた。
DQN争いが始まるぞ。

59 :
いちいち体験しないとその程度の事すら理解できないのはお前のようなガキだけだ。
みんなわかった上で、わかっているからこそ、只の甘ったれだと言っているんだ
お前には理解できないだろう?それが人生経験・社会経験が無いって事なんだよ。

60 :
>>2
> また山内容堂が郷士を差別していたとありますが、そんな書状は一切見つかっていません。
書状がないから差別が無かったというのも立派なDQNだな

61 :
>>60
証拠が無いことは信頼するに足らない事

62 :11/04/04
ちなみに、容堂の母親は、郷士出身な。
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    龍馬伝に高杉って・・・
【熱い】 乙女姉やんにハァハァするスレ 【女性】
もし卑弥呼で大河ドラマをやったら…
顔だけで龍馬伝の配役を決めるなら?